2014年08月05日

厚寿苑にショートスティして医者にみてもらう (心に青雲の主催者の言う社会性が欠如している 医者とかがどういうことなのか?)



厚寿苑にショートスティして医者にみてもらう


(心に青雲の主催者の言う社会性が欠如している
医者とはどういうことなのか?)


今日はショートスティで母がまた厚寿苑にまた行った。あそこは建物が立派であり眺めもいいのある。働いている人はほとんど外部の人であり30人以上は働いているだろう
あれだけのものを経営するには人手がそれだけ必要であり人手が大事になる。
南相馬市の鹿島区ではもう一つ新しい老人ホームを建てている。
ここでも建物を建てても人手が集まらなければ経営が成り立たない
これからは人手が集まらなくて倒産したり会社が起こせない所が現にでているのだ

厚寿苑のいいところは近いから気楽に行ける、そこで車椅子押したり食事を見ていたり
何か補助的なことも家族が近ければできる。人手たりない分を家族が資格がなくても補うことができる。近くの人が来て手伝うことも看護師の仕事とは違うのだからできるのである。ただみんなしないだけである。
いつまでも外部からの助けはない、どこも人手不足だからである。
すると地元で人手を補うほかなくなる。それができなければもう経営も成り立たなくなる
風をひいて一カ月くらい咳が止まらないので隣の病院でみてもらった。
そこの医者は今まであった医者では一番好感をもった。
前もみてもらったがニコニコしていて気さくな先生である。
「まあ、肺炎ではないですよ、風邪が長引いて咳がつづくことがありますから」
「そうですか、咳が長いので心配していました」
「肺炎ではないですから大丈夫です、百才までは生かさないとね」
「ええ、百才は一つの記録ですからそうですね」
こんなことを話できるのもその先生が気さくであり話しやすいからである。
あういう医者にはであったことがない、たいがい医者は愛想が悪くぶっきらぼうであり
必ず患者を見下している。
「あんたは自分の言うことを聞いているだけでいいのだ」というふうにふんぞりかえっている。
ただ最近は低姿勢な医者は多くはなっている。だから患者様とかなんかかえって不自然な対応もするようになったのである。
大病院では病気をみているのでありその人がどういう人であるかは関係ない
医者の問題は単に病気の問題だけではない人間そのものを直接相手にするから問題になるそれは看護師でも同じである。相手が生身の人間であり直接向き合う仕事だから他の仕事とは違っている。それも相手は弱者であるからお客さん相手の低姿勢になる必要はないのである。それでどうしても傲慢になる人が多いのである。
看護師でももう忙しいからその人などみている暇はない、機械的に治療して処理するという感覚になっている。
だから自分は病院で手術して入院して看護師にも虐待されたしそのこが忘れられないのである。一つのトラウマになってしまったのである。

「心の青雲」の著者もしきりに今の医者や看護師を批判している。自分も病気で医者や看護師と接するからそうなる。そこで医者とか看護師には社会性がないとまともに人と接することができる人がいないと批判している。
それは本当であり医療技術の前に医者は人間そのものとじかに向き合うから人を傷つけやすい立場にもある。ただそんなことを考慮していまく人はいない。
そもそもそのしきりに言う社会性とは何なのかよく分からない、社会性とはどうして身につくのかとなる。会社員だったから実につくということはあるだろう。
自分のようなものは会社にも勤めていないのだから社会性がまるでなく大変な苦労をしたのである。医者はどうしてその社会性がないのだろうか?

それは病院とか医者や看護師の働く場所が心の青雲の著者が言う社会性が養えない場だからだろう。つまり医者とか看護師は常に弱いものを相手にして見下していられる場にいつもいるということである。だから悪くなく容易に患者でも虐待できるしとがめられることもないことも多いのである。
もし強いものが相手だったら相手も黙ってはいないから怖いが福祉の場では弱いものが相手だから相手を見下そうが虐待しようが常にそういうことができてとがめられない場にいるから人間的におかしくなる。
社会性とは常に相手にするのがお客さんであり低姿勢になり人と対処する
それが全く医者とか看護師にはないからそうなる。

ただはっきり言って「心の青雲」の言う社会性とは何なのか自分にはわからない。
なぜなら会社で技術職で優秀な人が会社を企業して失敗していた。
その人は最高級の資格をもった頭のいい人で近くの人を指導してあの人はいい人だったと言っていたからだ。その人はその会社に勤めている時は社会性のある優秀な人だった。
でも起業して会社をはじめてから借金経営になり嘘もつくし人間がでためめになってしまった。ではその人がどうしてそうなったのか?
その人が社会性がなかったのかというと自分などより社会性があったし社会人としても社会から優秀な人として認められていたのである。
だから社会性とは何なのかというときそれまた明確にわからないのである。
ただ自分はあまりにも社会性がないことははっきりしていた。
それはニートとか会社とか勤めない人は本当に社会性が欠如してあとで困る
それをここ7年間くらい介護から自分の病気で苦しんできた。それはまさに自分の自業自得だったのである。

まず医者としての社会性を持ち対人的なことでうまくやれる人はまれだろう。
それは技術的に優秀でもそうである。東大出ようがそれも関係ない
そもそもどうしてそうした社会性が養えるのかわからない、ただ会社に勤めていれば養えるし社会人として仕事している人は養える。社会的常識は今や会社で養う時代だからそうなる。昔だったら村社会がありそこで社会の常識を養っていたからである。
だから会社からはずれたものは社会性が養えなくなるのである。

例えば東電の幹部であれ社員であれその人たちは社会性があり優秀だとみられていたのだでも技術にいくら優秀でも経営はまた違ったものでありその経営に失敗したのが東電だった。それは技術があり会社に勤めていて優秀だった人が会社を起こして経営に失敗したのとにている。つまり何かにオタク的に理系でも優秀な人がいる、そういう人は社会性がない、変わり者になる。でも人類的に優秀な発見発明をしたりする人もいるのである。
パソコンを発明した人はそうだった。機械マニアでありオタクであり社会性がないが人類に貢献したのである。ただあとでマックの社長とか経営者になったらか違っていた。
単なる技術のオタクではないものを身につけるようになったのである。
芸術家なども変人が多く社会性がない人が多い、でもその絵であれ音楽であれそれがよければ社会で評価する、社会性は犯罪をしないかぎり問わないのである。
かえってそういう人が芸術家らしいとかなり社会では容認しているのである。
芸術家が背広来てネクタイをしているのが似合いないのである。
だから盲目の世間だました作曲家もそんな格好をして世間をだましたのである。

いづれにしろ医者であれ看護師であれどんな職業でもすべてに通用する社会性など身につけられない、特に専門家の時代は社会性が身につかない人が多くなっているのだ。
専門にとじこもり他のことがわからない人が多くなっている。他の仕事も多様でありわからないのである。
だから今糞暑いから何もしたくないとか言うと外で働く人を見ろよ、こんな暑い所でも仕事をやめるわけにはいかないだろうとか言う人がいるしそれは本当である。
そう考えるのも一つの社会性なのである。そういう場でアルバイトでも働けばそういう社会性も経験しているから身につくことなにるのだ。
だから現代のような複雑な社会では社会性とは何なのかとなるのである。
これは本当に専門家していたら身につかないものである。
人間が経験することはあまりにも限られているからそうなるのである。

ただ自分には社会人として本当に基本的な現代の社会性すらなかったことは確かである。それはやはり会社勤めしたりして人と交わらないとかのためにそうなってしまった。
ニートなんかは必ずそうなるだろう。また社会性というとき結婚して子をもたない家族をもたない人も社会性に欠如することが確実にある。
それから何ら自ら苦労して働かない人も社会性が身につかない。
この世の中のことは働かないとわからない、介護でも苦労して食事作ってだしているだけでも最近スキヤが忙しく息つく暇もなく働いているのを見て自分も経験したから同情している。それから食事を作ってだしてくれた親にも感謝して食事作りをしているのである。社会に生きる限り人はいろいろなことを直接間接にしてもらっているといんうことを自覚したのである。そんなことが当たり前だいうとき、まさにそれが社会性でありその社会性がない人が多くなっているのも事実なのである。
鳩山首相のような人は大金持ちの家に生れたのだから一時は宇宙人などと言われたがまさにあの人に庶民をわかる社会性はまるでなかったろう。
今の阿部首相でもあまりにも恵まれすぎるとそもそも社会性がないから庶民のことなど苦しい人のことなど理解できないということがあり国のトップに立つ人が社会性がないともなるのだ。
だからそもそも社会性が何かなのかということがわかりにくいのである。

stap細胞の件でも責任者の一人が自殺したけどこれも研究という象牙の塔にとじこもり社会性が欠けたからだとかなる。その社会性とは何なのかとなる。世界的にも研究者として認められていた人なのだから社会性がないなどとは言えないだろう。

NHKスペシャル見たけど、研究者というより、マネージメント能力が高い、
 (お金を持ってこれる)っていうのは褒め言葉だと思うがなぁ。
 研究ばっかりで、社会のことをあまり知らないという人よりも、
こういう人がいてくれるおかげで、組織が回っていたということも
 あると思うが。

これは象牙の塔の専門バカではない学者バカではない、社会性があった人だったともなりその社会性はなにかやはりわかりにくくなる。

本当は嘘をついたりする人はそもそも社会性がないとなる。嘘をつくことから犯罪にも発展するし重大な事故にもなる。東電は権力をもっていたから嘘の報告をしていたし放射能などわからないからいくらでも危険を隠蔽していたのである。
だからこうした大会社でも社会性がないとかなるから社会性とは何かはわかりにくい。
ただ対人的に世話になったらお礼を言ったり何か礼儀的なことも社会性である。
そういうことも今はない人も多いし社会性とはいろいろな方面にある。
敬語を使うにしてもそうした会社とか人と交わる場所にいないと身につかないのである。敬語を使うことも社会性である。だから社会性とは何かとなると多方面になるから余計にわかりにくいのである。
会社勤めできるうよな人はそうした基本的な社会性は身につくがそれがすべての社会性ではとないから人間が生きることはむずかしいのである。


まず社会性は学校では身につかない、だから東大ででも社会性は身につかないしかえって社会性がないと心の青雲の主催者は批判しているのはわかる。
社会的にもまれた人は社会性が身につく、底辺を生きる人も福祉で生きるにしても役人との交渉が上手でないとできないとかそれも社会性かないとできないともなる。
福祉だからと何でも役人からしてくれるとは限らないのである。
交渉力をもたないと何もしてくれないから生活保護を受けられずに死ぬ人もいる。
一方で社会性がありすぎて不正受給も絶えないというのもあるのだ。
たから社会性とは何なのかわかりにくいということである。
結局すべての社会性を充たした人などこの世にいないとなっしまうからだ。


タグ:医者
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