2014年07月04日

集団的自衛権の私的な見解 (アメリカの命令で戦場へかりだされる)


集団的自衛権の私的な見解

(アメリカの命令で戦場へかりだされる)

●創価公明党は平和の党でもない宗教とも何の関係もない


公明党がアメリカからSGIの活動をカルトととして認定するぞと自民党が脅した。
フランスでは創価公明党をカルトとして認定している。
ではなぜ日本ではカルト宗教団体なのに放置されているのか、それは自民党にもアメリカにも利用する価値があるからである。自民党にとって一定の票田でありそもそも創価は
反共産主義の団体として活動をアメリカから許可された団体だったのである。
一方で創価公明党は中国と密接な関係にあり中国との幹部との交流を欠かさなかった。
それで太田建設大臣は中国に秘密情報をもらしていると問題になった。
結局公明党は自民党とアメリカの軍門に下った。
そもそも創価公明党は仏教などと何の関係もない、どこまでも政治的利権ご利益を追求する団体であり利益にならないことはしない、だから大きな権力に従い利益を得た方がいいとなる。


創価には政治的野望をもっている、また権力志向の強い人が入って活動する。宗教とは何の関係もないこの世の欲にまみれたどろどろした場所である。だからあらゆる欲望が許されるしかえって増進させられる。題目を唱えると元気になるというとき、ぎらぎらした欲望を充たす元気がでてくるということである。
政権をとったら権力奪取したら底辺にあえでいる人も議員にもなれる社長にもなれる高い地位につける毎日あおり選挙活動している団体である。
だから平和なんかどうでもいい、武装して権力奪取するんだとまで幹部は言っていた。
ただそうした往時の勢力は今はないだろう。もう下降一方であり権力を奪取するより
大きな権力に付随して利得を得るしかない弱小団体になりつつあるのだろう。
池田大作の病気入院などもそうした凋落傾向に拍車をかけている。


●中国の台頭に備えるため


集団的自衛権がなぜ阿部政権の下で決められるのか?
それは国際情勢の変化なのだろう。中国の台頭があり尖閣諸島など南西諸島などでも中国が進出することに脅威を感じるから防衛のために牽制のために集団的自衛権が必要になるただこの集団的自衛権は日本で決めるわけではなくアメリカの命令に従い他国との戦争にも参加する義務を強いられる。アメリカとの同盟国なのだから当然だとなる。
アメリカだけでは守れ切れなくなったアメリカの弱体がありアメリカから強いられたのである。日本はアメリカの力には逆らえない、これから日本はアメリカと中国との板挟みになってゆく。どっちかにつかざるえない苦しい立場になる。


集団的自衛権はわかりにくい、ただそのねらいは徴兵制とかにエスカレートして戦争体制を作ってゆくことである。アメリカが衰退すると自国防衛に進まざるをえない。冷戦体制が終わり今度は中国の脅威が増してきたからである。それは太平洋戦争で日本が独自で世界で張り合う時に多大の犠牲が生じたと同じである。強大なアメリカまで敵に回す暴挙に出たからである。ただ日本が自国防衛するとき、そういう孤立状態に追い込まれると太平洋戦争と同じ結果になりカルマとなる。
太平洋戦争はアメリカも中国もロシアも敵にまわした結果悲惨なのとなった。
その力の過信が悲劇を生んだのである。
日本はアメリカに中国にも敵対して独自の道をゆくことはできないジレンマの国である。ただ韓国などと違いそれに伍する力があると錯覚させるものがあることがまた危険なのである。だから日本は技術でも優秀なんだという奢りがありそれが原発事故につながっていたのである。


ただ戦後をみればどうみても日本が戦争できるような国とは思えない、個々人でも戦争で死ぬような思想も決意も根性もないだろう。右翼が日本兵の強さを賛美するとき、確かに日本兵は今の日本人とは違っていた。今の日本人は飽食であり豊かさの中で育っているからかつての日本人とは違う。団塊の世代からは経済一辺倒であり国を思うより会社の利益追求の企業戦士になったのである。
今の若者にしても経済的豊かさの中で育ったのだからとてもかつての日本人のような根性がない,だから戦争で犠牲になるようなことはできないだろう。
自衛隊にしたって本当の戦争を経験していないのだからどこまでやれるのか不安だろう。戦争は人を殺すことだし殺されることでもあるから人間の極限状況を生きることになる。「心に青雲」の主催者のうよな根性をもつことは普通はできないだろう。


ただ日本という国は歴史がありその蓄積した歴史的力が危機の際には働く、だからいくら中国が襲いかかっても一億玉砕でも抵抗する力をもっている。それが日本という国でありそれを恐れることもある。最後は原爆まで落としてまでアメリカが日本人を殲滅しようとしのはそうした恐れをもったからである。中国は巨大でもそこまでまとまる力はない、
犠牲がでれば損だと戦争さえやめるだろう。


●自衛権は私的経験からも許される


集団的自衛権は私的な自分の経験からするとこの世界が弱肉強食である。
それを自分が病気とか弱った時責められてきたのでそのことを今でも強い憤りをもっている。病気で抵抗できないものを責めてきたのである。
その時、人間とは動物と同じで弱くなったら餌食にされるものだと強い憤りをもった。
病気になり火事場泥棒も経験した。病院でも看護師にいじめられたとか誰にも同情されなかった。それは身寄りがないとこの世界はまさに非情の世界となることを知った。


その経験から人間観も変わってしまった。
「人間は弱いとどこまでも責められて財産も命も奪われる」という恐怖感である。
それに対抗するためにこっちも命懸けで戦わねばならないと思うようになった。
この世はきれいだことではない、食うかく食われるかの世界であると理屈ではない体験から知ったのである。この世はなまぬるい世界ではない、相手が弱いと思いば襲いかかってくる弱肉強食の世界なことは変わっていないのである。
だから自衛する権利はあるし戦わねばすべてを奪われる。
ただその自衛権がどこまで許されるかである。


正当防衛が認められるのは、危機が迫っているとき、生命や身体を守るためにやむをえず応戦したときだけ。また自分の攻撃が相手の攻撃と同程度であることも重要で、攻撃しすぎれば過剰防衛に。基本的に素手には素手で、ナイフにはナイフで応じれば正当防衛になりますが、ナイフに対して銃を持ち出せば過剰防衛になります。
http://president.jp/articles/-/9080


正当防衛でも過剰防衛になることがあり日本では他国に集団的自衛権を行使することは過剰防衛になる。その辺のかねあいがむずかしいのである。
本当に弱者として中国であれふみにじられたら日本は怖い国になる。チベットとか・・
日本が中国にふみにじられたら太平洋戦争のように総力戦になり抵抗するから日本は簡単は中国でも征服はできない。


敷島の 大和心の ををしさは  事ある時ぞ あらはれにける 明治天皇


こういうふうに危機に際して日本人は大和心が起きてくる国である。


ともかく津波原発事故から日本は激動の厳しい世界の転換期に入ったゆく予感がする。
だから今の若者はかなり厳しい時代を生きることになるかもしれない。
団塊の世代は恵まれた時代であり平和を謳歌した世代だった。
戦争で死んだ人たちは不孝な時代を生きた。ただこれから時代的に厳しい世界を生きることになるかもしれない、ニートとか若者がいるけどそういう人たちも今までとは違い厳しい立場にたたされる。徴兵制もありうる。
常に時代は変わっている。世界情勢も同じままではない、だから一身上でも団塊の世代は恵まれていたし自分も恵まれていた。
それが60年すぎて自分の一身上でも回りも激変してしまったのである。
 

posted by 老鶯 at 20:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層
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