2014年06月18日

立葵 (南相馬市でも新しく街をデザインし直すことが要求されている)


立葵

(南相馬市でも新しく街をデザインし直すことが要求されている)

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鹿島区も旧街道通りと駅前通り新しい区画整理された道がある
そこで店が散在しているから利用しにくい
美的景観とすると真野川沿いの通りが並木があり花も植えられているので
自分としてはいい感じだなと思って通っている

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墓地の前に復興住宅の団地ができたが
墓地の前にあういう都市化した団地がでることは予想もできなかった
それでも絵のようにマンションのように外装を良くすると
何か落ち着いたものになる
でも墓地の前にはにつかわしくなかった。
でも土地がないのだからどうにもならなかった

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岩沼の二木の松は歴史も活かされた通りである
車が多くても人の歩く道が整備されていた



街の角曲がりて赤き立葵

街を行き色変わり咲く立葵

人住まぬ家の庭にしツツジ咲き赤きも誰も見ずに虚しき


立葵が街の角を曲がったら咲いていた。今頃が立葵の季節なのか?この花は街の中に咲いてもあっているなと思った。街の中だはあわない花があるだろう。
菖蒲はあわないと思ったが真野川沿いの新しい通りの並木道に咲いていた。
あそこは道の両側が歩くようにできていて並木道になっているから他とは違っている。
鹿島区はもともと浜街道だったところと駅前通りと区画整理でできた
新しい通りがある。福祉関係の建物が集まっているのは新しい所である。
あそこで福祉の湯は便利なので利用している。
温水器などが壊れたし地震で壊れたのを修繕していない、直すことが金もかかるしめんどうになっ。家は古くなるとリホームしたりするのでその金が大きいのである。

家族が住む家にしてもその住む人も変わってくる。
子供が育ったり家族が死んだりして変化すると家も変わる
その変化で無用になってゆくものがかなりある。
空家が全国で700軒もでてその利用に困っているというのはそのためである。
近くの空家の庭を見たらツツジが赤く咲いている、でも見る人がいないとしたら何か虚しいとなる。
要するに利用されないものを放置していることは市全体でも良くないのである。
何事使われていることによって生きてくる。
空家のままだ死んでしまうし邪魔になってしまうのである。


震災から三年すぎて思うことは仮設の時代は終わったということである。
すでに長すぎたとも言える。ぶらぶらただ遊んでばかりいる三年間は長い。
これから警戒区域解除になるまで二年は長いのである。
だからなんか仮設の店や食堂などあるがそれも合わなくなっている。
街というのは変化を好むのだろうか?田畑がある環境が変化を好まない
でもその田畑すら津浪で原発事故で耕作されず原野化している。
津浪の被害地には家は建てられないだろう。
ではそのままにしていいのかとなる

何かもう悲しいというだけではない利用方法を模索すく時期に来ている。

これだけ変化したということは新しいものを一から計画しやすい
そもそも市街地を魅力なくなったのは商店街がさびれたからである。
商店街は買い物が不便なのである。品物がないというだけではない
小さな街でも店もばらばらになっていて買い物しにくいのである。
街には街の魅力作りが本当できないことはない

そのために新しく街をデザインして新しい街を作るほかないだろう。
そのために区画整理して新しい通りが生れた。
真野川沿いの通りは並木があり花なども植えてあった。
あそこを歩けば通りであり魅力がある
スーパーは便利でもそうした自然を取り入れた通りは作れないのである。
ただ旧街道の道と駅前通りと新しい道とばらばらになって店が散在しているから
街自体が活きてこないのである。
街は鉄道全盛時代は駅前がにぎわうしと必ず変わる

だからそれは今にはじまることではない、どこでも古町という地名があり
それも近くにありいかにすぐに町が古くなってしまうかわかる。
それは時代が変わりそれに応じてにぎわう場所が変わってくるからだ。

いづれにしろ3・11の震災以後は変わらないと言っても変わることが要求されている。
街自体のグランドデザインを作り直すことが要求されている。

そんなこと個々人には関係ないというが市役所などでは考えざるをえないだろう。
そして市が衰退してゆきことは個々人にも影響するのだ。
確かに不利な条件が重なっているから困難を究める
そんなことを考える必要もない、自分たちには関係ないということもある。
ただ何かを構想することはイメージすることは一銭もかからないということはある
こういう街になってほしいという願望はもつことができる
そのイメージが実際に現実化するということもある


浜通りは変化に富んだ地形だった。海があり川があり山がある。
だから海ゾーンと平地のゾーン、街のゾーン、山のゾーンに分かて市作りを考える
海のゾーンは津浪の被害地だから何もなくなったのだから
新しいものを一から作り安い
街はできているから頭で構想するようにはいかないからいつまでたっても変わらない

でも鹿島でもばらばらに店があること原町ではシャーター通りの店が駅前通りに多いのは外から来たら相当にイメージが悪くなる
なんかゴーストタウンのように見えるだろう。

そして小高はここはそもそも街を再生できるのかどうか
まず今までとは違う全く違った発想の街作りが要求されている
それより小高では街が存続できのかという厳しい状態になっている
でも塚原に公会堂ができて集まる場所ができたとか復興しつつあるのだろうか?

いつまでも宙ぶらりんではいられない
仮設に長くいることで補償金暮らしがいいとか板についている人たちもいる
金を見せびらかしている人もいるというから反感をかっている
補償金で遊んであとは生活保護がいいとか言うのも虫が良すぎるだろう。
小高は本当に小高に住むのか?嫌なら原町や鹿島でも住むのか
そういう選択が迫られてくる、別に小高に住まなくても原町鹿島に住むなら住むように備える必要があるだろう

それでも今までのように仮設的な暮らしや考え方では受け入れられない。
かといって高齢化社会では新しいものを考え作ることは不向きだというのも問題なのである。

本当は市に住む人がそれぞれの立場で知恵をしぼることなのである。
いろんな人たちいてその人たちもいろいろな経験を積んでいて何かしらできるということはある。
それが活かされていないということがある。
だから総合デザイナーのようなリーダーが必要になることもある。
それは市長がやるのだがそれも頼りないと評判が南相馬市でも相馬市でもそうであった
だからよそから市長に立候補してもらうということも市民が考えたのである。

そもそもこれだけの被害があり変わるとどうしていいのかなかなかリーダーシップをもって市を変えることは至難になる。
ただ観光面などからみると食べ物は放射能汚染だが景観とか自然の美には変化がなかった自然が汚染されて緑が赤茶けたとか花がしぼんだとか水が汚くなったとかなったら
もう住むことはできなくなっていた。放射能汚染にはそういうのが見えないのでわからない不思議があった。
だから観光面では必ずしもマイナスばかりではない、観光なんかまた先の先だというのは言える、でも常磐高速道の開通に期待している人はいる。


いづれにしろこんな災害にあったら宮城県でも福島県でも市民力というのが試される
小高や浪江とかでも町民としてそもそも維持できるのかということがある
現実に住むのをあきらめて若い人は帰らないとなり分散して町の消滅の危機にある。
ただ小高でも住むのをあきらめるなら原町鹿島でもそこにコンパクトシティ化して住むというのも考えられる。
ただすでに小高に帰ることはインフラも整備しているから帰る人は帰る
でもそこで新しく町作りすることは高齢者だけになると苦しくなるだろう。

いづれにしろ市民の知恵とか力の結集とかが要求されている。
そして小高と原町と鹿島ではそもそも前から別々の町であり街作りが望まれていたのである。
それが津浪原発事故で混乱状態になってしまったのである。

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