2025年02月01日

AIの作る詩の謎ーでも完全ではない 【岩に刻まれた顔の詩−人間の顔の不思議ー天才の画家の顔】


AIの作る詩の謎ーでも完全ではない
【岩に刻まれた顔の詩−人間の顔の不思議ー天才の画家の顔】

 a human face carved in rock with digunity and storength

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ゴッホ
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ゴーギャン
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セザンヌ
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ピカソ


岩の表面に、ひとつの顔が刻まれる
時を越えて、変わらぬ岩に
冷たく硬いその姿は
ただ静かに立ち、永遠を見つめる

人の顔、その目には力が宿り
その額には誇りの跡が刻まれている
岩は語らぬ、だがその顔は語る
その口を閉ざして真実を見つめる

風が吹き、雨が降り、
時は変わりゆくも、この顔は変わらず
その沈黙の中に、
人間の威厳と魂の輝きが映る

岩よ、君は岩と一体化して
その堅実な胸に、力強く刻んだ
人の貫く意志、変えぬ信念
未来へと伝えるために

顔は語らずとも、自ずと語る
不屈の精神、揺るぎなき信念
内にに充実して口を閉ざす
強固な岩に刻まれて岩となる


AIの詩を変えて私が作った詩である。何か今AIの詩の方が読まれているという、返って人間の詩より読みやすいと好評なのである。ただ何かおかしな点がある。どうしてもそれを直すとか付加しないと一連のものとして読めないのである
でも8割くらいは確かに完成している。
確かなことはAIは別に詩とか理解していない、その意味を理解しているわけではない。言葉の連想のように作り出している
人間も実際は言葉から連想して文を書くからである。その言葉を通じて事物でも自然でも理解する
はじめに言葉があったというときもそれだけ人間にとって言葉が大事なのである。つまり自然でも言葉がなかったら人間は自然と一体化できないのである

だからピカートが現代社会がカオスとなりもはや言葉で表現できないアトム化した分裂した状態になりナチスが生まれあと分析した。今のカルト教団でもそうである。題目を唱えることはハイルヒットラーと大して変わりない。人間は常に数字として統計的存在でしかないのである。
つまり言葉でもはや表現できない世界である。東京であれ大都会を言葉でもはや表現できない
巨大なビルが乱立して人間はもはや群集として大衆としてあるだけになる。その人間は自然と遊離して言葉を喪失した
言葉で表現できないものの前で言葉を失うとなる

それはlosinng face ともなる。面子を失う意味にしてもそこに人間の顔など見え出せないからである。
要するにロボットであり言葉が機械語とか商業語になり本来の詩語としての機能を失ったのである。ということは言葉と精神が一体でありこの世界は言葉で表現できない異次元の異様な世界となる、逆に人間を自然と一体化した顔とかなるとそれはもはや別なものとなり返って異様なものともなる
現代社会は顔がない社会である。みんな同じ顔であり機械的数字となる。□とか〇とかに一様化されて万物の象徴としての人間の顔はないのである。
ただアウトサイダーとか言われる極わずかな人は確かに顔を持つ
天才的な人もやはり依然として顔を持つ、顔にその人の精神が刻印されている、でも後は凡庸な顔となる

原始人の顔は周りの自然が反映された顔になったというときもそうである。山とか岩とか光の影とか雲の落とす影とかが顔に反映されているとかピカートの〔人間の顔〕で考察している
原始人であれその後の人間の顔は時代によっても違っていた
縄文人は今の現代人とはまるで違った顔だっとなる

何かヨーロッパの中世とかなると女性でも室内にこもり日本でも深窓の令嬢とかなる、確かなことはは戦前と戦後の日本人でも顔が違っているかもしれない。まず江戸時代の人と明治になってからの人は顔でも違ってきた。

現代人の顔はより功利的になり何か機械的になっているかもしれない。それはアメリカに習ったからアメリカ人と似たものとなる。アメリカはすべて金を追求するから何か顔にも現れる、世界的に人間はビジネスマンの顔になる。絶えず金を計算しているとなる
何かグローバル化することは一様化することでありそれぞれの国の文化を失うことでもあった。精神の基は文化でありその土地土地をcultivate-耕すこととなるときその土地と切り離せず人間もあり顔も作られるとなる
グローバル化することは一様化規格化することでありそれぞれの国の個性も失われることになる。どこにい行っても都会は同じ景観になる。高層ビルがあり車の洪水であり騒音の世界になる。
つまりその土地土地に根ざす文化が失われたのである
それはlosinng faces その土地土地の顔も失われたとなる

これら天才の顔は簡単に説明されない、でも天才だから何か特別な個性が刻印されている。ただ読みとることはむずかしいとなる

ゴッホの神経質な灼熱の太陽に燃え上がる顔
ゴーギヤンの冷静な謎めいた微笑
セザンヌの円筒的幾何学的顔

何かその画風が顔に現れていないか?それを解き明かすことはむずかしい。上野霄里氏(うえの しょうり)の顔も天才だからそうなる
つまり天才は強烈な個性を持つからそれが画風となる。
いずれにしろ人間の顔は神秘的である。特に天才となればそうなる。それが画風に現れる。ただ自画像を描くのはやはり天才的な人だからだとなる

現代人の顔はまさにピカソの顔になる。顔まで分解して統一されない。現代社会がアトム化した分裂社会であることを象徴しているのである。





2025年02月02日

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

ラインの物語の詩−ローマ帝国の境−古城【AIの完璧な詩】

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ライン川よ、古き流れよ
お前はどれほどの歴史を
その水面に宿してきたか
ローマの足跡を残して

帝国の軍旗が風にひるがえり
お前の岸辺を征服し、
その足音が大地を震わせ
遠くの山々を越えて行った。

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する

だがその時代が過ぎ去り
帝国の栄光も色褪せて
今は静けさの中で
ただ流れ続けるのみ。

ローマの道はもう消え
その名も、風の中で霞む
だがライン川よ、あなたは
いまだにその記憶を抱えている。

お前の水が語る物語は
数えきれぬほどの戦と栄光
そして敗北、別れ、そして
新たな時代への旅路。

ライン川の流れよ、、
その滔々と流れる水は、
ローマ帝国の夢を今も映し
歴史の中で静かに息づく。

ローマの威光も今は遠く
だがライン川の流れは
過去を紡ぎ、未来を育む
永遠に続く道を示す。

riverはライバルの意味がわかる、大陸では川を挟んで攻防があった。ライン川はまさにそれを象徴している

ローマの力が及ぶ限り
お前はその力を見守り、
兵士たちの行進を包み込み
戦の炎と血の匂いをともにした

このAIの詩は完璧である。付加したのはここだけである

そのローマの精強な軍団を
ライン川はさえぎり留めた
ゲルマン民族は依然として
強固にその土地を死守する



ライン川の古城

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古城が静かに語る
ラインの水面に映し出され
時の流れに濡れた石壁が
歴史をささやく

砲火が轟く戦の夜
輝ける王冠を奪い合い
影の中に消えた英雄たち
その名は今も風に舞う

城壁は語る、誰がここで
誓いを立て、誰が愛を誓ったか
貴族たちの舞踏会の音色が
遠くから聞こえるように

しかし時は流れ、王座も
砂のように崩れ落ち
今、ただ風と雨に洗われ
静寂が支配する

だが川は決して忘れない
この城の姿を、足跡を
歴史の中に溶け込んで
いつまでも語り継がれる




AIとは何なのか不思議になる。
外国の河は国境にもなる、ライン川はラテン民族とゲルマン民族を分ける歴史的境界でもある。ローマ帝国も侵入できなかった征服できなかった強力なゲルマン民族の地だった
宗教でもラテン系はローマカトリックでありでもルターが生まれたドイツはカトリックに反抗したプロテスタントになったことでもライン川を境にして異なる歴史を形成したのである






2025年02月03日

2025−新春ー東海道から瀬戸内の電車の旅―韓国(慶州)−桜前線を行くの詩

2025−新春ー東海道から瀬戸内の電車の旅―韓国(慶州)−桜前線を行くの詩

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小田原城天守に海を望み見ゆ
天下の剣箱根の山を打ち越えて
旅人の登る街道の古き道
我が踏みしめてその苦労を偲ぶ

駿河湾望みて広く打ち寄す波や
清水港や海の男の勇ましき
魚躍りて波ひびき富士の嶺高く映ゆ
三保の松原に謂れや砂浜広く富士を望みぬ

伊豆半島迫りて見ゆかな
大島、利島、三宅島、、、、
断崖に波打ち響き船そ行く
結ぶ島かな波に揺られぬ

新たな年に旭日昇る日本列島胎動す
東海道や京都大阪結ぶ新幹線
日本の栄ここにありなむ
大輪の花海に向き咲く

名古屋城の金の鯱輝きその威信かな
東西を分ける関ケ原越えて
近江平野の開け琵琶湖を望む
三上山の富士に似て形の良しも蓮華畑かな

さらに遠く春の日や鉄路はつづき
瀬戸内海や明石大橋望みて
淡路島四国とつなぎ見ゆるも
さらに電車は一路海に沿いひた走る

その海沿いに桜は満開咲きつづき
博多の港より韓半島に渡るかな
慶州の古都に古墳や松桜並木の通りかな
韓半島と日本の絆の歴史あり

秀吉の壬辰倭乱や激しい攻防の蔚山城
その野望の砕かれ恨みかな
歴史の興亡は常にありて語られる
春の日よ桜咲き共に結ばれ栄なむ

日本列島波そ轟き鳴り年明けぬ
日本に帰り桜島煙吐くかな
西郷隆盛い出て新たなる日本の夜明け
明治の英傑侍の興亡激しも

開聞岳春の夕日さし船は惜しみ離れぬ
四国沖春の朝日は昇り大阪へ
その城跡広大に巨石はめ込む石垣
春の夕陽の赫赫と映えて沈まむ栄華の跡に

みちのくへ我は帰らむあわれかな
西から東へ桜前線たどりつつ
今ようやく我が街に桜は咲きぬ
6月に稚内までも桜は咲きぬ日本なり

若者よ、大望を懐き世界に出でむ
日本に生き世界を股に生きむ
再び輝き取り戻す日本なれ
今日本列島春爛漫錦なり

小なる日本も大なるべし
限界を打ち破り大いなる世界にいでむ
富士より高くヒマラヤの峰天空より望みぬ
ここは天にも達せむ高き極みかな

小なる夢を見ず大なる夢を見よ
狭き一隅に留まるなかれ
汝の視界を広げよ、境を越えて飛翔せむ
かなたパラダイスを見るだろう

実現せざるものを現実化した歴史を知れ
絶えざる刷新なくして進歩無しも
自由の太陽は輝き地球を照らす
神は汝を大いなるものと成すべし

汝は死して終わらず天の都に生きむ
永遠の命の朽ちざる栄光の都
そこに神とじかにま見えて神と共にあり
神は汝を祝福してその一員と成すべし


桜は韓国の慶州まで咲いていたし稚内までも6月に咲いていた
日本というとき地理的にも韓半島と連続している感じになる

ただ中国と古代えあれ秀吉の壬辰倭乱があり激しい攻防があった、それは明治以降も続いていた
ともかく中国の一帯一路というとき日本でも韓半島は一帯一路の国である
なぜなら古代でも中国軍が韓国に加勢してまた壬辰倭乱でも中国が加勢したからである
そういう地理的因縁の場である。

私は青春18切符で九州まで生き韓国に船で渡った。これは結構長い旅だった
韓国は地理的にも歴史的にも連続性を感じる、日本の延長でありまた中国から見れば中国の延長になる
だから韓半島は今も二つに分断されている、そういう地理的宿命を背負っているとなる

ともかく日本は桜の国であり海に囲まれた国である。桜が咲く時一番日本的光景になる
桜前線は韓国から九州でも西から東へと移動するからである
だから旅としては日本列島を縦断するのがお勧めだとなる
それには電車の旅がいいとなる、でも新幹線だと早すぎて景色が心に残らないのである

奇妙なことは九州で普通電車に乗ったら高校生が乗り合わせて強いなまりで話していた

菜の花や訛りの強く乗合す地元の人や一時共にす


新幹線は早すぎるのである、すると旅というよりただ早く目的地に着くだけで旅が消失する・
旅の行程が省かれるからである。














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2025年02月04日

多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本 【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】


多様性の基本はそれぞれの風土地理が基本
【山村とか限界集落となり喪失すると多様性がなくなるー玉野村や浪江町の津島のこと】

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●文化〔culture〕の意味

それぞれの土地の個性は特色はどうして作られのか
その基本になるのは地形と地勢とか地理である。
だからこそcultivate〔耕す〕がcultuerになった。つまり人間は住む場所によってこそ一番影響を受ける。風土地理の影響が大きい、それはまた生まれつきとか遺伝があるにしてもその生まれた家とか家族とかに環境因子に左右されることが多いのである
遺伝も致命的だが環境も致命的である。

双子に生まれても別々の国で育てば言葉も違い全然違ったひとになることでもわかる。また健康というのも遺伝的なものが基礎にあるとしても生活習慣が大事になる、やはり習慣的に運動していないと体全体を健康に保てないのである

筋肉は常に鍛えていないと劣化して全体に影響する、また運動していないと血流も悪くなり体でも脳にも影響する
だから生活習慣が積もり積もって老人なり症状となって現れる
だからかいかにに人間は日ごろの生活が大事かわかる
何でも日々の生活が脳でも体でも影響する、それが老人になり結果として現れる

また人間は風土の影響が大きい、だからこそ風土が文化を作るとなる。風とは天候とかであり土はまさにその土地土地の地勢とか地理とかである。例えば福島県はハマ,ナカ、アイズに分かれている、海側に面している浜通リだと会津とか山に囲まれた地域とは相当に違ったものになる。いつも海を見ているものと海から太陽が昇るの見ているのと山から太陽が昇り沈む場所に住んでいる人の感覚は基本的に違ったものになる
だから場所を変えると気持ちも変わる。それで人は遠くに旅したいとなるのは場所を変えることにより心まで変わる体験する

●隠されてあった玉野村の魅力

それで相馬市の玉野村はかなりの坂を上るから遠く感じた
玉野村の本体は伊達と相馬の境の集落から脇道のトンネルをくぐった所にあった。そこに私が行かなかったのは不便になっていたからだろう。何かそれで失敗した
玉野村の本体はそのトンネルをくぐった所にあった
それはなぜかとなれば平らな土地が拓けてあった。つまり平らな土地があれば田んぼでも畑でもつくり何とか暮らせるとなる
山間だから日本では平な場所が少ないからだ
それで木戸木の人が土地を平らにするのに苦労したと言っていた
平という地名はそこから生まれた。

ともかくトンネルを抜けてかなり広い平らな地が拓けていることに玉野村が形成された。ただ霊山とかあの辺りは石戸村であも坂であり本当に平な土地がない山間の不便な斜面があり家がある
だから野というとき日本では斜面のことだった。そうした斜面に人は畑を作りまた県〔あがた〕を作りそこが県の由来だったのである
ただ県というときそこは今でも中央から認定されて税を納めるのであげるが県になった。行政区域としてあったともなる

●県〔あがた〕の歴史的意味


県 (あがた)

古墳時代に、畿内[きない]の朝廷[ちょうてい]は国造[くにのみやつこ]に地方を支配させていましたが、それとは別に、朝廷が直接支配していた土地のことです。県の責任者が県主[あがたぬし]です。朝廷に食料や物資を納めていました。

山の森は水をたくわえ水を供給するからこそ神聖な山となり祖先の山となり信仰にまでなった。
最初からなぜ日本の中心でなく大和盆地の飛鳥が先になったのかというと飛鳥から水田を造り始めたからだ。大阪は難波江であり八十島であり大きな入江であり葦原の入江であり水田に適していなかったのだ。まずなんらかの生産力がないと貯えがないと国は興らない、飛鳥で水田を米を作り始めて国力がついてきて飛鳥から藤原宮-平城宮-平安宮と発展した。

「県〔あがた〕」は、大和にあった大王〔おおきみ〕家の直轄地である「大和六県〔やまとのむつのあがた〕」(=「曾布〔そふ〕県・山辺〔やまのべ〕県・磯城〔しき〕県・十市〔とおち〕県・高市〔たけち〕県・葛城〔かずらき〕県」)の他、「河内県」「吉備県」「筑紫県」など、西日本に多く見られ、朝廷の直轄的性格が強いようです。

岩手なるあがたの民の憩場(いこひば)の森となれかしけふ植えし苗  昭和天皇

昭和天皇は歌がうまかかった。その伝統も平成天皇令和天皇になると失われたとなる、何か原始的心性がとても東京のような所では養いないとなる


県が多いのは奈良になる。全国的には国造〔くにのみやっこ〕であるがその前に県〔県〕が行政の単位としてあった。
田というのは水の供給が必要であり山だとそれができるから棚田は確かに不便だが水を得るということで県〔あがた〕となった
平地に田を作るのは溜池とか必要であり水を供給するために水路も必要となり土木事業が必要になる。それはそうした技術がないとできないあから最初は山の斜面の県〔あがた〕で田を作っていたのである

●まほらばとは

うつせみの吾が居たりけり雪つもるあがたのまほら冬のはての日 斎藤茂吉

この歌も不思議である。斎藤茂吉には原始的心性があったとなる
つまりまほらというときまさにトンネルをぬけて玉野村の本体があった地域だとなる

ま‐ほ‐ら (マホ(真秀)に、漠然と場所を示す意の接尾語ラの付いたもの)すぐれたよい所・国。
まほらま。まほらば。まほろば。万葉集[5]「きこしをす国の―ぞ」
・・・と「広辞苑」に有ります。

これもあるが何かーまー洞〔ほら〕にも通じる、それは玉野村の本体にトンネルをぬけたときそこが洞に感じたからである
まほらばとは洞が関係しているともなる。一種の隠された桃源郷でもある

ともかく土地の魅力は地理い風土にある。だから私は飯館から浪江の津島に行った時そこが秘境に思えた、長泥でもそうである
私はかえってそういう場所に魅力を感じる。

白藤の垂れて長しも谷間にそ薄雲に月津島に着きぬ

こんな感じになる。それも原発事故で廃墟の村になった。ただ全国でこうした限界集落が増える。それは何を意味するのか人間の多様性が失われることである。

つまりどこでも都市化して人口が集中する、そして辺鄙な村は喪失する。それは多様性が喪失することになる
すると何か欠けたものになる。ただ正直そういう場所は住まないで時々訪れるのにはいいが住むとなると現代では不便すぎるのである、それでも津島にも診療所があった。あれは貴重だった。なぜなら病院に浪江まででも行くのが遠すぎるからである
ともかく私は東京とかに魅力を感じないのである。そこで自転車に乗ってまわることもできないし意外と見るべきものもないのである


飯館村、相馬市玉野村の変化−東北【福島】中央道で旧道となった道 
【山村が失われるてゆくー日本の多様性が失われる】

冬に入る玉野村 【知られざる世界がまだ身近にあった】










posted by 天華 at 22:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月05日

生成AIとは何なのか 【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】


生成AIとは何なのか
【知情意の知の部分の無限の拡大ーでも神にはなれない】

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●膨大な情報の処理できるのが生成AI

今話題になっているのは生成AIである。これは何なのかまだよくわからない、それはあらゆる分野に影響する、そのことでAIで詩を作ったりイメージクリエイターで画像を作って来た
詩まで作れるのかという驚きである。
その仕組みの謎はおそらく膨大な情報をデーターをインプットされていてそれをうまく処理するようになっている
とにかく人間一個の収納する処理できるデーターはわずかでありでもコンピュターになると無限大になる
その情報の量によって人間の脳力を拡大する

たとえば私の家に関心がある本を千冊も集めたとしてもそれを十分に利用できない、読んだとしても忘れているとかある
でもそれらを電子化して一つにまとめればテキスト化すれば一つの単語から同じ内容のものを集めるとそれを編集すると創作にもなる。何かそういうことがAIでは行われている。

人間の弱点は記憶することが限られていることである。
その容量が小さすぎるのである。そのために視野狭窄に陥る。
地名の興味があるとしたらその関連した本なりを情報を集める
そのための書庫でも作るとなる。でもまた一冊一冊となっているとそれを調べるのがめんどうになる。だから図書館は利用しなくなった、実際は図書館の本でもテキスト化してAIのように調べられると便利なのである。
AIとは一冊一冊の本ではない膨大な本をテキスト化して通信で世界中の人が利用できる仕組みである

一冊一冊の本を別個のものとして読むのではなく相互に関連させる、それはテキスト化すると電子化するとしやすいのである。
坂がさかいになるというのを本に書いてあったが忘れていた。例え読んでいても忘れる、それより自分の書いたプログでも忘れていてまた検索して読んでいて感心するのも不思議なのである
人間はとにかく忘れやすいのである、本を読んで徴〔しるし〕をつけていても忘れている。読んだことも忘れている。


集約とは集めてまとめることです
集約とは多くの物事を整理して一つにまとめることです


●人間は記憶によって自分を認識する

人間は実は記憶によって自分を自分として認識しているのだ。現在の意識と過去の記憶との間に整合性があると人間はその意識を自分の意識として認識する
AIが神になる日ー松本徹三

つまりここで大事なことは人間の記憶なのである。結局人間の一生とは何を記憶されたのかである。その脳に記憶されたのがあならの一生だったとなる
それで最も印象的に記憶されたものがあなたの人生だったともなる。戦争とかなるとその体験は余りにも強烈で忘れることがない、それで私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで地獄の苦しみを生き抜いた、そのことが死ぬまで忘れられず死ぬ間際まで戦争のこと語っていた、それは結構認知症で重く何でも忘れるのだがその戦争のこてゃ忘れなかったのである。一般的に青春時代に体験したことは忘れない、若い内は記憶力が優れているということがある。
要するに記憶が大事だと言うと老人になるとその記憶に生きる、思い出が人生になるからである。老人はみんな経験して記憶されたことを語るからである。その記憶が人生だったとなる。
私が旅のことを語るのは旅が人生のようになっていたからである。その人記憶されたものが何なのかそれが最後は人生だったともなる。

ただいろいろ体験しても嫌なことは余り語りたくない、その人は自分の人生を語らない、何かそこで嫌なことがあり人をだまして儲けたとか後ろめたいものがあり語らないとなる
金融関係とかだとそうなりやすいかもしれない、また人をだまして儲けるとかでも他にある。

いずれにしろAIとは何なのか、まだ解明されない、具体的には本を千冊あるとしてそれをテキスト化して電子化して編集して新たな視点を得るということにもなる
その仕組みは私にはわからない。ただ膨大な情報が貯えられていてそれらを抽出して組み合わせるとすると別な新たな識見を得ることになる。人間がたとえ本を読んでも忘れるし膨大な情報を記憶することも処理もできないからである

昔から三人寄れば文殊の知恵とか諺にある。でもそれが十人から百人千人・・・・となっていったときどうなるのかもはや人間では処理できなくなる。AIだとそれが処理できるからAIに聞いた方がいいとなる。
でも地理とかは地図を見ても必ずしもわからない、現場に一回だけでも立てば実感するのが地理である。それは体でも五感でも全体の感覚で感じる。その場の空気も感じる。だからすべてAIに聞いてもわからないとなる。

●知情意の知の無限の巨大化が生成AI

またAIが政治的にでも中立にはならない、中国の生成AIのデープセークが天安門事件について聞いても答えないとかある
それは人間が意図してそうしている、操作されているから危険だとアメリカでは問題視している。でもアメリカでもすべてが中立で公平となるのかとなるとそうでもない、やはりアメリカに不利な情報は出さないとかなる。そこに依然として人間の意志が働き操作される。道具自体は中立である。
石があるとしてそれが人を害さないしまた人間の争いでもどちらにつく見方するということはない、要するに道具でも物でも機械でももともと中立でありどちらに味方する意志をもたない、人間がその意志をもって操作する。ロボットでも自らの意志を持たない、意志を持つのは人間である

知情意がるときAIがもつのは膨大な知の分野であり情と意はもたない、怒ったり悲しんだりとか情はなく知の巨大化したものになる。情と意志はもたないのである。だから返って冷静に情報を伝えるということはある、そこに感情的なものははいらないからである。人間の体を見るにしても医者がこの人は気に食わないとかいい感情をもたないときそれは患者にも影響するし判断もおろそかにしたり誤る。でもAIには機械はそういう点では中立であり冷静に判断するから誤らないとはなる
人間はともかく好き嫌いがあり感情的になるからである

ただ知の部分だけが無制限に拡大すると何が起こるのか?
逆に情のない冷たいものとなり一種のフランケンシュタインのような化け物にもなる危険がある。AIが神のようになる危険はそこにある。ロボットは情と意志はもてないからである。
要するにAIでも人間を治めることはできない、ただ機械は道具は中立である。AIも機械だから中立である、でも人間によって操作される。それで中国のデープセークが共産党に不利になることは答えないように作られている。
つまり人間を治めることができるのはやはり神しかいない、それは人間の世界が滅びてから天の国で実現するとなる
神自ら治めるのである。そこには神は偏り見ないで公平な裁きがあり平和がもたらされるどんなことをしても人間でも最高に優れたAIでも人間を治めることはできないのである。

2025年02月06日

天才上野霄里の変幻自在の剣 【独自の剣法の創始者でありまねることができない】


天才上野霄里の変幻自在の剣
【独自の剣法の創始者でありまねることができない】

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剣でも一つの型に嵌められない
縦横無尽の無手勝流
右から打ち込むと見れば
左から打ち込む
正面から来ることはない
どこから剣が来るのかわからない
変幻自在の剣で捕らえられない
それでも隙がない
突如強烈な電撃の一撃!
活殺自在の剣の驚異
その前に人は卒倒する
自らの己が流派で自在
その達人は習わず自得する
彼には彼の流儀があり
それはまねることができない
それは伝授されることはない
その達人の技はその人のみのもの
それは秘術にもなる

なんでもそうだけど一流の人間となると理解できなくなる。だからこそ天才は天才を理解して意気投合する。それがヘンリーミラーと上野霄里だったとなる。その表現が方法が今までの小説とかと違った独自の表現になった。
私自身は天才でもないからヘンリーミラーとかでも理解できなかった。上野霄里氏はヘンリーミラーその骨の髄まで理解したとなる

天才とは何か異常なエネルギーを持った人でありそれは生まれつきである、だから彼は小学生から大人の小説でも理解していたとある。天才とはまれなる天分に恵まれた人である、だから努力しなくても会得する。そもそも努力を嫌っているのである
だから彼の文章を読むと何か整然としない、何か変幻自在の文なのである。それで戸惑ってしまう。

でも普通人間は天才ではない、普通の人間が多数なのである。キリストも天才とは違う、普通の人間でありだから万人に通じるものとなった。また聖書の予言者とかは特別の人でもなかった
明かなことは何か欠けた人でありとても優れた人とは違うことが不思議なのである。むしろ劣った人だったともなる
それが神がかかわり偉大にしたのである。あくまでも神が偉大にしたのでありその人の功績ではないのである。またその本人も常に自分を誇ることはしなかった。神を賛美することであり自分のことは卑下していたとなる

天才とは生まれつき他の人とは違っていた。異常なエネルギーの持ち主であり能力の持ち主である。だから常人がまねるとおかしくなる。その差が大きすぎるからそうなる、その危険性は神格化して偶像崇拝になることである。
いずれにしろ天才と言われる人は常人とは根本的に違った人である、だからまねることはできない、それはニーチェとかヘンリーミラーとか上野霄里は何かミケランジェロのあのキリスト像と似ている、凄まじい怒りが堕落した人間に向けられた。まずキリスト像をあのように描いた人はいない、弱々しいキリストではなく恐るべき怒りのキリストであり仁王像に似ている。

それはキリストは神殿に入り商人に激怒したのと似ている、神殿を商売の場にするなと怒ったからである
それと同じように現代文明人を厳しく断罪したのである。
だからアウトサイダーとして共通している。それはキケルゴールとか内村鑑三とかの単独者の系列につながる人である
ともかく組織と集団を異常に嫌悪して排斥した。でも現実社会は組織集団化で動いている、宗教でも組織集団化したときすでに死に体になっていた、それがカトリックであった。教会が神の代人になり権力を行使するようになった

それは仏教でも特に現代ではカルト教団がそうである。完全に権力化してこの世の力を得ようとしているだけである、本来の宗教はゼロでも宗教ということで特権を得ているのである
でも結局民主主義とは数がすべてであり数ですべてが決められる
それで選挙で選ばれたのがナチスでありヒットラーであった
それが席巻して多大な人命が失われたのである。それは共産主義革命でも同じだったのである。カンボジアで200百万人が粛清されとか集団組織化の人間の恐ろしさを具体的に示したのである
要するに人間社会は集団組織化すれば悪も悪ではなくなる
その集団組織に逆らうものは粛清抹殺されるのである

でも集団組織をあれほど嫌悪して断罪したことは返って異常にも見える。普通はその集団組織に自ら組み入れられる。それが人間社会である。天才はそれに耐えられない、だからこそアウトサイダーになり超人志向になり原生人間を主張したのである
ニーチェも言っていたが個人も狂っているが集団も狂っていると
集団が狂う方が一人の人間が狂うより怖いのである。それが莫大な人間の死にとなり終わったからである。

確かなことは現代からルネサンスのような真善美の殿堂が生まれないことである。世界でも大都会というのはすべてビジネス都市であり共通している、そこに真善美はないからである。それで索漠としているのである

とにかく上野霄里氏のことが理解できないのは何か天才剣士のように真正面から型通リにこないから面食らうである
宮本武蔵のあみだした二刀流にもなる
ただ本でも理解できないのは深く読め込めないのも同じである

自分の人生を生きるものとなる時、はじめて彼は他人の生活を見たり聞いたり感受したりより深くで理解して他人の生活に浸透していくことが可能なのであるー宇模永造

こいうことなのである。自分自身があって自分自身が生きなければ他人も理解できないとなる、特に相手が天才となるとさらに理解できなくなる。天才は時限の違った存在でありその発想も常人と違うからそうなる




宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】 【なぜ地蔵が多いのか?】


宝蔵寺の石と屋形の地蔵堂【残る雪、風花、寒し】
【なぜ地蔵が多いのか?】

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中に小さな地蔵がある、それは子供なのか?地蔵は子供と関係している
何かこの地蔵堂は一つの家族のように見えたのである。

文化の日に近くの地蔵堂をたずねる

晩菊や畑の中に地蔵堂
風花や風の冷たく雲に月
夕月や寺に大石残る雪
寄り合いぬ御堂に地蔵外寒し
外寒し子供の地蔵御堂内
寒きかな数軒守る地蔵堂

昨日の雪が石に残っていた、宝蔵寺の石はいい石である
あそこは陰になって暗い、朝は日がさしてもあとはささない

玄関に夜出たら風が冷たく雲に月が出ていた。寒くなった。
雲に月が出ていた

屋形の地蔵堂の中を良く見たら子供の地蔵があった。小さくて気ずかなかった。そもそも地蔵と何なのか?
際立って 子供 の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もあり、また 小僧 姿も多い。 賽の河原で、獄卒に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、中世より仏教歌謡「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や 水子 の供養において地蔵信仰を集めた。 関西 では 地蔵盆 は子供の祭りとして扱われる。

何か地蔵は子供と関係していた。屋形の御堂のなかには小さい地蔵があった。それが子供なのかとなる。もう一つは水子供養で子供を中絶して産まなかった供養である。
ともかく何らか子供と関係してここの地蔵堂もあった。
ここにあるのは何か小さな子供の地蔵がある。それが一緒にあるのは家族のように見える。

そもそもこうした御堂はいたるところにある。でも家数軒とかしかなく守られてきたのかとなる
あの辺でもそうである。何かそれは村が家族のようになっていたからかもしれない。村でも家が数軒とか離れているのである
ともかく御堂でも一つの共同体のなかにあり守られてきたとなる
今はそうしたつながりは希薄化しているから忘れられるともなる
ただなぜ日本にはこんなに地蔵が多いのかということである

地蔵信仰は子供の守り神であり子供の病気であれ何か子供を守ってくれるとなり地蔵が祭られた、切実な身近なものとして周りにあるのはそのためである。
とにかく墓をみると子供が死ぬことが多かった。いろいろな病気で死にやすかった。これは墓をみればわかる。いかに子供が早死にしていたかである。だからこそ子供を供養するということで地蔵が多いともなる。



2025年02月08日

日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり 【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】


日本のカルマ個々人のカルマーグローバル経済資本主義の終わり
【預金封鎖、東南アジアに出稼ぎ、また売春など】

●急激な変化に戸惑う

何か今起きていること起きつつあることが信じられない
つい先ほどまで盛んに中国の飛躍的発展成長のことが語られていた。今は中国が窮地に追い込まれて数億人が飢えに直面するとかそれが理解できなくなる。その変化が急激だから何が起きているのか理解できなくなる
日本の衰退は失われた30年というときそれは相当に長い
でも中国の衰退は急激にそうなった。だからまた日本とは違っている
グローバル経済は何か世界的に変化が速いとなる
だからついていけないとなる。

ただ常にこの世は変化である。三日見ぬ間の桜かなである。
でも逆に三日見ぬ間に散る桜かなともなる
この変化が激しいのである。それで戸惑うとなる。昔からそいうことはあったが今はグローバル化して世界の変化に巻き込まれる
それを理解するのがむずかしとなる。
確かなことは人間は個々人でも必ず人生でも様々なことで変遷する。家族でもそれぞれ違っていて運命なのか翻弄される

私の母は大人しい人だったけど東京に女中で働き東京の人と結婚したが夫が工場の事故で死んだ。そのとき一生暮らすだけの補償金をもらったが戦争が終わり預金封鎖があり金は紙屑になった
ただ実家の近くに土地を買った分だけが残ったのである
だから預金封鎖があるというときそれはまたありうる
つまりこの世に起きることは必ずカルマとなって繰り返すのである。だから預金封鎖などないとは言えなのである

●カルマは相手にしたことが自分にもされること

そしてカルマというとき日本人が東南アジアに出稼ぎに行くとか売春に行って逮捕されたとかこれも信じられないものとなっている。でもそれも日本人のカルマだとなる。なぜならカルマとは繰り返すであり何か相手にしたことがカルマ、業となって返って来る、相手に苦しみを与えたものはやはり今度は苦しみを受ける
それが本当に日本が外国でしてきたことを日本で同じことをされるとなる。それがカルマの法則なのである
だから国同士でもそういうことが起きて来る

また世界の覇権国が常に移動するのもそうである。大英帝国の没落もそうである。次はアメリカ帝国の没落である。今やアメリカは自分の国を守るのに必死になり関税を高くして国内の雇用とか経済を守る守勢にたたされている。これまでは世界の攻めの外交だったが守りの外交になる。自国優先にならざるをえない。グローバル化でアメリカが有利で栄えたように見えて逆に国内産業が衰退したという一面がある。製造業でも衰退してその不満がありラストベルトの人たちを救済するということでトランプが支持された面がある

いずれにしろ人間社会で栄枯盛衰は避けられない。だからアメリカでも衰退してゆく、アメリカはもはや世界の覇権を守ることができない。その限界が隣国にも高い関税をかけるのもそうである
自国の経済を守ることに必死だとなる。それだけ国内経済が疲弊しているのかとなる
ただ世界を見れば経済が成長して伸びている国が見えない、インドもうまくいかないとか行きずまっているとかヨーロッパも苦しいとか行きずまりになっている。それは世界的に経済が停滞して内向きになっている。グローバル化が限界になり世界経済自体成長しないとなる

●インフラの老朽化も修復できない

ともかく中国の衰退は規模が大きいから世界に影響する。日本は日本で衰退凋落がさらに加速する,少子高齢化は深刻である
空家が多いのは東京でもそうなり地方では深刻である
日本が縮小する衝撃痛みが顕著になる。
何か水道管が壊れて道路が陥没して修復できないとかある。
いたるところで人材が不足して直す人もいないとかなる
ローマ帝国は水道橋などが修復する人がいないとかで衰退したという説もでてきた。確かにあれだけのものを維持することが容易でなくなる。日本のインフラもそうなる心配もある
つまり拡大増産から縮小することの衝撃が大きい。そのことが全国で起きる。

不思議なのはカナダで住宅を作る労働者がいなくて住宅費が馬鹿高くなり住むことができないホームレスが増えているとかカナダもそうなのかと驚く、大工と職人が確保できない、それは単純労働とは違うからである。
このことは今日本でも人材不足として起きている。つまりローマ帝国衰退と同じく人材不足で衰退するともなる

この経済の衰退はグローバルに起きている。これはもう地球は経済成長の限界でありこれ以上の人口増加は望めないということかもしれない、何か世界的に縮小してゆく、その衝撃が起きている
地球の許容範囲を越えた結果として起きている現象だとなる。
もはやアメリカのような大国は世界から現れないとなる。
世界自体の経済が縮小してゆくとなる。経済成長がなくなると同時に資本主義も終わりグローバル経済も縮小するとなる
何か中世的世界になるというときもやはら歴史でもカルマがあり揺り戻しが起きる、同じではないにしろ過去への回帰が起きる
そもそも無限拡大拡張拡散増産とか無理だったなる。それが世界的経済の停滞となる、それは自然の理でありそれには逆らえないともなる




posted by 天華 at 18:41| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2025年02月09日

AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩 【まず空間軸の地理を世界史でも知る】


AIが作るローマ帝国の栄光の道の詩
【まず空間軸の地理を世界史でも知る】

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古代の石畳に足を踏みしめ
帝国の息吹を感じる
アッピア街道、戦士たちの行進路
松の木が見守る栄光の道

戦車の轍が刻まれし地
凱旋の歌が響く空
今もなお、歴史の風が吹き
帝国の夢を語り継ぐ

栄光の道よ、永遠に
時を超えて輝き続けん
ローマの魂、ここに息づく
不滅の栄光の道よ

ここまでAIが作る詩

私が付加した詩

はるかブリタニアへも
スコットランドのハドリヌスの
石積みの長城の址の残りぬ
ここに北方の冷たい風が吹きつける

発見されしローマのコインの一袋重し
そのコインに刻まれし皇帝の肖像画
我はここの王なりと誇りしかな
しかし久しくも土に埋もれしを・・・

コインもまた東西に別々の皇帝の顔
ローマ帝国の分裂衰亡の歴史
ローマの道はスイスの山を越え
延々と続きその栄光を語る

ローマの栄光の日よ、その跡よ
シーザーのルビコン河を渡りしも
ライン川に強固なゲルマン人
そこに立ち入ることはならじ

ああ ローマの凱旋門の古りて
その栄光の日は遠しかも
東西に分かれてなおその余命を保つ
ローマの道になお栄光の日を偲ぶ


はい、承知いたしました。ローマ帝国の道についての詩を作成します。以下、詩の案です。


GEMINIのAIの詩

ローマの道

石畳の道、永遠に続く 帝国の息吹、

今もなお 兵士の足音、響き渡り

商人の声、賑わう道


山を越え、谷を渡り 川を渡る、

橋を架け 砂漠を越え、海を渡り

全ての道は、ローマへ続く

文明の光、照らし出す 文化の華、


咲き誇る 交流の輪、広げゆく

ローマの道、世界の道

時に война, 時に мир 時に栄華,

時に衰退 歴史の সাক্ষী,

今もなお ローマの道、語り継ぐ


この詩はかなり不十分である、chatGPTの方が優れている、でも一応参考にはなる




ブリタニアを治めた7年間にカラウシウスは、プロパガンダ的手法も用いて自らの権勢を世に広めた。その手段のひとつが、写真にあるような自らの肖像を刻んだ良質な銀貨の発行だった。

ブリタニア (Britannia) は、イギリス、特に古代ローマの属州「ブリタンニア」があったグレートブリテン島南部の古称(ラテン語名)である[1]。フランスのブルターニュ地方(小ブリテン)には4世紀から8世紀にグレートブリテン島から移民が訪れ、10〜11世紀には、英仏海峡を挟んだ両地域がブリタニアと呼ばれた[2]。Britannia はフランス語 Bretagne(ブルターニュ)と同根である。

ハドリアヌスの長城(ハドリアヌスのちょうじょう、英語: Hadrian's Wall、ラテン語: Vallum Aelium)は、イギリスの北部にあるローマ帝国時代の城壁(囲壁)跡。広義にはローマ帝国の国境線を防御する防御壁『リメス』の一部であり、ローマ帝国最北端の国境線でもある。2世紀に、第14代ローマ皇帝ハドリアヌスにより建設された。
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なぜローマ帝国の道となると詩としてうまく表現されるのかおそらくローマ帝国となるとまたローマの道となるとその知識の蓄積が膨大でありそれで抽出されてAIが詩を作り安いのかもしれない、何でもいい詩ができるわけではないからである。確かなことはローマ帝国は十分な知識が貯えられているからそれで詩でも作れるのかとなる。
それにしてもAIが詩を作るのは何なのだろうとなる。詩を作る人でも簡単に作れない。だから半分はAIが作ったものを参照して私が作ったのである
確かなことはこのようにいい詩がAIで作られるとは限らない、ある分野でいい詩が作れる。

いずれにしろヨーロッパは歴史が地層のように明確に見えるから興味深い。それは明らかに現代にも通じている歴史なのである
コインの歴史を知るにもそれは現代に通じている。
イギリスから大量のローマ時代のコインが発見されたのは最近のことである。つまりローマ帝国の遺産はヨーロッパを作っていたのである。
詩でもいろいろあるが歴史をテーマにすれば叙事詩になる。世界史とは壮大な叙事詩でもある。
年代とか暗記するだけにあるとつまらない。そこで展開された人間の物語がありそれが叙事詩になる。
ともかく空間軸と時間軸で地歴として世界を見る。基本的に地理がわからないと時間軸の歴史も分らない、だから中国は歴史の国だけだ余りに広くて地理が分かりにくい、それはロシアでもそうだしインドでもアメリカでもその広さの規模が違うので地理がわからないことで理解できなくなる。でもヨーロッパはなんとか地理がわかる
それで時間軸の歴史もわかるとなる。




Step on ancient cobblestones
Feel the breath of empire
Appian Way, the marching path of warriors
A glorious road watched over by pine trees

Where chariot ruts are carved
The sky echoing with the song of triumph
Even now, the winds of history still blow
And the dreams of empire are passed down to the next generation

The road of glory, forever
Shine forth beyond time
The spirit of Rome lives on
Immortal, glorious road

And far to Britannia
As far as Scotland's Hadrian's
The ruins of Hadrian's Wall in Scotland still remain
Here the cold winds of the north blow

A bag of Roman coins discovered is heavy
A portrait of the emperor inscribed on one of the coins
I was proud to be king here
But long since buried in the earth...

The coins also bear the faces of the emperors of the East and West.
The history of the division and fall of the Roman Empire
Rome's road crosses the mountains of Switzerland
The road of Rome goes on and on and on, and tells of its glory

Rome's glorious day, its marks
Caesar crossed the Rubicon
The Germanic people, strong on the Rhine
No man shall enter there

Oh, how old is Rome's triumphal arch
The day of its glory may be far off
Divided into East and West, it still lives on
Still on Rome's road, still remembering its glorious day

Translated with DeepL.com (free version)