世界で最初に飢えるのは日本
【グローバル経済の歪み(円安で外国から輸入できない)―日本の国土の荒廃】
鈴木宣弘 『世界で最初に飢えるのは日本』
享保の飢饉は、西日本をイナゴが襲ったことで起きました。このとき、伊予国・松山の作兵衛という農民が、父と長男が死んでもなお、麦の種を食べず、自分も餓死してしまいました。翌年、周囲の村はこの麦の種をまき、飢饉を切り抜けました
父と長男が死んでもなお、麦の種を食べず、自分も餓死してしまいました。翌年、周囲の村はこの麦の種をまき、飢饉を切り抜けました
●農業に大事なのは肥料、種である
農業にとって何が大事かというとここで種がこれほど大事なものだということは歴史的に経験しているのである。そして次に大事なのは肥料である。農業は肥料なくしては成り立たない。だから最初に行われた農業は森の木を切ってそれをその灰を肥料とした焼畑農業だったのである。それもある意味で自然破壊でもあったでも人間の業として自然破壊をしなければ人間は生きていけないということがあった
だからユーチューブで種がいかに大事なものかを説明しているその種を確保しないと飢饉に通じているということである。
日本の厳しい自然環境が関係している。梅雨、台風、温度格差、多湿に伴う病気など様々なリスクが日本にはある。こういう厳しい条件下で選ばれたものは、いろいろな場所に適応可能なので、日本の種は海外でも通用する。特に伸びているのは中国やインドといった新興国だ。人口が増えているので野菜摂取量も多くなる
日本の野菜種子は、なぜ海外でウケるのか
日本の風土が関係して多様な種が育成された。米でももともと熱い国で作られた者であり日本では寒い地域があるし全国的にも寒い冬がある。
でも寒冷地帯で生育できる種が開発された。今で北海道でもうまい米がとれるようになったのである。寒い所では米はもともととれない、だから中国は満州などはかなり寒い地域であったから米は作っていなかった。でも日本人が満州に開拓に入り米を作るようになったのである。寒い地域だとトウモロコシなどが向いている。だから満州を鉄道で行ったら尽きることなくトウモロコシ畑が延々と続いていたのである。だからトウモロコシは中国では主食にもなる。
●蝦夷は狩猟民族であり中国の官僚が名付けた
稲作となると大量の水が必要であり水が豊富なところでないと作れない、日本では幸い水に恵まれていたから稲作が普及した
稲作は水の管理とかでも溜池を作ったりと高度な組織的労働が必要でありそのために狩猟時代は大きな国家は形成されなかったが稲作が普及して大和王権とかの統一国家が形成された、東北中心の蝦夷となると狩猟が主でありそれでその生業の相違から大和王権と対立したとなる。それは遊牧民のモンゴルと稲作の農業国家
と対立したことでもわかる。
『日本書紀』斉明天皇5年(659年)には朝廷に従った蝦夷が遣唐使に同行し唐の高宗に紹介されている。ここで引用された『伊吉連博徳書』によると、熟蝦夷(にきえみし、にぎえみし。おとなしい蝦夷)が最も近く、麁蝦夷(あらえみし。荒々しい蝦夷)がそれより遠く、最遠方に都加留(つかる、つがる。津軽)がおり、連れてきたのは毎年入貢している熟蝦夷であること、蝦夷は肉食で五穀を食べず、家を建てずに樹の下に住んでいるなどを説明した
蝦夷は肉食で五穀を食べず、家を建てずに樹の下に住んでいるなどを説明した
五穀とはいつつのたなつもの」あるいは「いつくさのたなつもの」とも読む。古代からその内容は一定していない。現代においては、米・麦・粟・豆・黍(きび)または稗(ひえ)を指すことが多い。いずれも代表的な人間の主食である。これら五種をブレンドした米を五穀米(ごこくまい)と呼ぶ。
そもそも農業のことを知らないと基本的に歴史でも理解できないとなる。なぜなら人間はその食べる物によって生活も成り立つのだからそれを知らなければ歴史もわからないとなる。
でも田舎に住んでいても意外と周りは田畑はあったとしても農業に実際に携わっている人は1割にも満たない。 9割は何をしているかといえば会社員が多いとなる。日本全国でも戦前から戦後まで農業社会であり農業なくして国家もあり得なかったそして生糸産業は国の柱となったがそれも農業の一環としてあった。だから蚕に食べさせるのは桑の葉でありそれは農業でもあった。だからどんな山の中にでも兜屋根で蚕を飼ってか生糸を生産する家はどこにでも残っている。その生糸をとアメリカに輸出して日本の経済が成り立っていたのである。
確かなことは戦前だったら農業に従事している人が7 8割とか戦後でも6割くらいが農業に従事していたすると江戸時代から農業社会が継続されていたとなる。でも戦後10年くらいは農業社会だったが電器製品を作りそれが外国に売れた。そこから日本は工業社会になったのである。その時からグローバル化経済になり外国に輸出するものがなければ豊かになれない時代だったのである。それまでは外国から輸入するものは少なかった。だからこそ木材であり石材であり何であれ資源があれば石炭でもその探して燃料としようとしていた。もちろん木材は炭にして山村でも木材を売って金持ちになっていた人がいたのである。つまり日本にある資源を利用する以外に生活する方法はなかった。
でもグローバル化したとき燃料は炭から石油にかわり電気に変わる日本にあった資源は利用されなくなった木材でも外材がいいとして輸入するようになった
もちろん農業でも肥料は外国から化学肥料を輸入するようになった。このようにグローバル化して日本は輸入に頼るようになったのである
●円安で日本は食料も輸入できなくなる
今円安とかなりそのグローバル化経済の弊害が現れたつまり円安になれば外国から資源を輸入するの高くなりすぎて輸入できないとなったからである。物価は上がるあらゆるところに円安は影響してくるのである。それはグローバル化で食糧でも外国に頼るようになったからである。高度成長の時代のように電気製品が売れてときは良かったのである。今や日本は車くらいしか外国に売れるものはない。
でもグローバル化で日本の経済は食糧までが外国頼りになる農業にしても肥料でも化学肥料は外国から輸入しているから農業自体が輸入なしでは成り立たなくなっていたのである。
だからこそ日本は世界で最初に飢える
それはグローバル経済の中で競争に負けて結果的に自国で食料も自国での食料もまかなえず飢饉にまでなるということである。だから現実に日本には森があり木材も豊富なのだがそれも利用されなくなった。結果的に山の森でも丸森あたりでも森の木が切られてメガソーラーパネルのになってしまった。それは木材が豊富にあっても日本の木材を利用しないからである。そこに住んでる人にしてもやはり木材を利用して金にならなければ住むこともできないとなってしまう。そういう矛盾が今さらに円安で生まれてきたのである
だからグローバル経済を批判してきたけど現実にそうした極端なグローバル化は日本の国土を荒廃させ飢饉にまでなってしまうということである。グローバル競争に勝っているときはいいのだが一旦負けてしまえばその国土も荒廃するだけになってしまう。それでそもそもグローバル経済というもの自体を見直すべきだとなる。まず国というのはその国で自立する食料があり資源をその国にある資源を利用してそれを基礎にして貿易でもありそれがなくなったら国自体が荒廃して国を維持できなくなる。結果的に日本は最初に飢饉になって何千万人も死ぬと警告されるのである
飢饉がなぜ起きるかという時その原因は必ずしも気候変動とか何か自然災害とかでもなく人災であるということがある。
何故江戸時代には飢饉が多かったのか?
江戸では米が東北から入って来て飢饉はなかったのである。米というのは商品作物になっていた。江戸に売るために作られていたのである。こいうことはグローバル化で他にも起きている。
商品として外国に売るためにコーヒーばかり作っていた国が地域がコーヒーの値段が安くなって今度は自分たちが食べるものを田畑に作っていなかったので食べるもの歳買えなくなるということにもなったそれは飢饉に通じているのである。だから経済というのは基本的には自給が基本であり貿易はあくまでも贅沢品が輸入していたということになる。
なぜならそもそも貝とつく貨幣はは宝貝が元となっていてそれは装飾品である贅沢品だったのである。食料などは自国で生産して交換などしない売ったりしないのである。やはりそれが経済としてまともであり基本としてあるべき姿だったのである。
何かそれが世界的に歪めるものになった。グローバル化経済では一旦競争に負ければ国自体も外国に売るようにもなってしまう買われるようになってしまう。それは戦争ではないが戦争とも似ているのである。
●農業が基本にあり自国の資源を利用するのが理に合っている
日本人は外国人の客の召使いとなりまた外国にも働きに出稼ぎに出るようになる。それは日本がこれまでしてきたことでありそのときは東南アジアから出稼ぎ者は来ていたのである。
でも日本が円安になり稼げないとなれば今はベトナムとネパール人が来ているがその最低の生活よししている人でも日本には来ない。それよりも日本人が外国に出稼ぎに出る時代にもなってしまう。これがグローバル化競争の残酷な事実なのである。
だから根本的にグローバル化とは何か歪みをたらし矛盾となり国土まで荒廃させてしまう。ソーラーパネルが丸森であれ北海道であれ大規模に作られるのは自然破壊なのだが森があったとしても木材として利用されないからこそそうなってしまうのである。
だからグローバル化とはこうした矛盾があり国土でも荒廃させてしまう。つまり基本的に人間はその国に生まれればその国にあるものを生かしてそれを基本にして生活するほかない。それをすべて外国に頼るということはどうなるのか
日本人は最初に何千万人も飢える
これは脅しではなく現実だと思う。グローバル化経済の歪みがそうさせるのである。ただ飢饉が生まれたという時外国でもベネチアあたりでも外国の輸入があって食料も維持できて飢饉にならなかった。それは東北の米が江戸に送られて東北では米が食べられず飢えていたのである。何かグローバル経済とも似ているのである。もちろん江戸でも困窮していた。流民となった人が江戸に集まったからである。
ともかく日本でも戦前から戦後十年までは農業社会であった。だから学校でも田植えの時期とか忙しくなる時農休みというのはあったのである。それは農業社会であり学校でもそれに合わせるためにそうなったのである小学校のときイナゴ取りしてそれを売って学用品とか買っていたのである。その時は相当に貧しかっただからこそ家には一冊の本も置いていなかったのである。せいぜい読み書きそろばんできればいいという時代だったのである。そこから急速に変わって農業というのは何か身近なものでなくなり田舎に住んでいても実際は分からなくなった人が多いのである。
例えば冬という言葉が増えるから来ており冬には野菜がとれやすいのである。それは意外なのだがそういう言葉の中にも農業に由来したものは基本的にあり農業に由来しているのは多いからである。だから基本的に農業知らないと歴史にしろ何しろ理解できないのである。でもそれが例えば東京などとか大都会を見れば田畑などまるで全然ないのだから何か実感として農業を理解できなくなっているのである
でも飢饉になったとしたらどうなるのか。戦後焼け野原になって何もなくなった時高価な着物を持って農家に食料と交換したりした。そういうことは再現されるかもしれない。