学生運動の時代【失われたエリート教育―大衆化した大学】ー三菱鉱業爆破事件の桐島聡の一生
●マンモス大学で大衆化して地の塩たるべきエリートは消失した
今回の桐島聡の50年近くも三菱鉱業爆破事件から氏名指名手配されても見つからなかった。大概50年前になると何があったのかも忘れてしまう。ただそれらは左翼の革命運動として一連のものとしてあった。それは学生運動の延長として赤軍派があった赤軍それが悲惨な結果になった。
1968年(昭和43年)頃から東大闘争、全学共闘会議(全共闘)と呼ばれる運動形態が現れた。
1970年3月31日、JA8315号機(愛称「よど号」)は日本航空351便赤軍派を名乗る9人(以下、犯人グループ)によってハイジャックされた。犯人グループは北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)へ亡命する意思を示し、同国に向かうよう要求した
1972年には連合赤軍による12名のリンチ殺人事件(山岳ベース事件)が発覚した。こうして学生運動は急速にその支持を失っていった。左翼学生運動同様「民族派」学生運動も次第に衰退していった。
これらは学生運動の延長としてあった。だからこの運動にの主役はもともと学生であった。その学生が連合赤軍とかなりハイジャックして北朝鮮に逃れたり亡命したりした。連合赤軍は仲間割れして仲間を惨殺したり悲惨な結果になった。そもそもなぜこうした学生運動は起きたのかそれは大学が大衆化したことも原因していた。文系の大学とかなるとマンモス大学になり講義を聴くにしても千人くらい詰め込む行動でしていたとかだから大学に入った時高校とはあまりにも違うので戸惑ったのである。そして大学の不思議なのは授業に出なくてもいいのである。大学の教授というのはまたゼミで一回くらいあったがあとは会っていない。
だから大学とは何か教育する場だったのか教える場だったのか文系の場合はわからない。大学というのはそもそも自主的に学ぶことがなければ何も学べないところだったのである。そこはただのキャンパスがあってもそれは公園と同じだったと言う人もいるのも分かる。なぜならそこでそこが教育の場というにも持っていなかったのである。授業には出なくてもいい。教授は講義を休むことがある。そして朝から下宿で麻雀をしていた人も結構多いのである。文系の場合そうして大学とは遊びの場であり勉強する場でもなかったのだ
ただこうしてマンモス大学で学生を集めてその学生も戦前のエリートになるものでもなかった。国立大学の東大とか京大とかトップになればやはりエリートの道をゆくことにはなっていた。でもそのほかは私立の文系とかになると慶應とか早稲田とか別にしても他はそれほどエリートでもない大衆化した大学になっていたのである。
だから大学は何をする場なのかということも分からなくなった人もいると思う。その不満が学生運動の原因にもなっていたことが確かである。そうした大衆化した大学に対して不満がありそれが学生運動にもなったのかと思う。何か社会を変えるということでもなかった。第一学生は社会のことなどわからないその極端な例が中学校で金の卵として集団就職した人たちがかなりの数たからである。
大学に行けた人は地方ではクラスで5、6人であり恵まれた人だったのである。だからその時代に大学に入ったということ自体そういう人たちと比べると相当に恵まれた人たちだったのである。その人たちは学校では遊んでいたともなる。でもその時集団就職した人たちは工場下町の工場で下積みとして働いていたのである。その差も大きいものだった。
そのときまだ高校卒でも少ないものであった。それで警官と衝突してゲバ棒で大学生が戦ったがそのとき警官は高卒でありその大学生に対して不満が大きかった。お前たちは大学生になるくらい恵まれていたとなっていたからである。なぜお前たちは恵まれてるに暴れているのかともなったのである。
要するに学生の不満でありそれは社会全体に影響するものでもなかった。なぜなら社会人と学生は別の別の者であり学生だけが運動したから社会全体を巻き込むものはならなかったこれ。だからマルクス主義という理論だけが先行して現実の社会人の生活は観ていない。だから革命になるということはなかったのである。そのとき創価なども会員を増やしていた。創価というのは問題はあるにしろ現実に生活している社会人でありその社会人に根ざして運動していたから違っていた。学生運動の場合はみんな学生でしかなかったのである。だから理論だけが先行する現実社会を見ない運動になっていたから破綻したのである。
例えばそのあとのオウム真理教でもそれもう理系の学生が中心となっていて現実社会とはかけ離れたところで運動するようになっていた。だからそれは社会的に影響して社会的広がりを持つものとはならなかったのである。何か創価などはみんな社会人でありそうして社会で苦しんでいる人たちを相手にしているから学生運動とは違っていたのである。だから困って苦しんでいる人と庶民を相手にしているから何か泥臭いものとして庶民にじかに接していた。そういう人はなかなか相手にする者もいない。
それは共産党と本当に似ていたのである。最底辺の人はやはり同じように相手にするのは共産党くらいだからである。ただ共産党の違いはそういう最底辺の人たちを相手にするから学生運動とは違っていたのである。確かにマルクス主義を基にしているのだが理論にしていた。でも現実社会では最底辺の人を相手にしているからそういう理論だけでも成り立たないものとなっていたのである。底辺層のいる地域では市営住宅地とかでも創価かか共産党に入る。そして票の取り合いになり争っていたことでもわかる。学生運動とはそうした現実社会とかけ離れて理論だけになりそれで破綻したのである。
明治維新の日本は、日本の未来に危機感をもつすぐれた人物が多く登場した時代といえる。ローマの繁栄がそのすぐれた人物が統治したことから生まれたように、日本がアジアの中で西欧に対して少なくとも独立し、アジアの雄として一矢報いることができたのは、こうした先見の明をもつ人々が、当時次から次へと登場したからである。
西欧においても、すぐれた政治家が排出しているとはいいがたい。むしろエリート層の能力の衰退が顕著である。そうしたエリート層では、未來へのかじ取りができるはずもない。
日本はこのまま「国家の衰退」を黙って待つだけか
●明治時代に依然として侍がいて指導者になっていた
私は、藤島高校、福岡高校、松山東高校など藩校の流れを汲む高校から、ノーベル賞の受賞者がでているのは、このような歴史に負うと考えている。それぞれが独自の価値観を熟成し、その独自性が国際的に通用する人材を育成している。
大学受験の最難関「東大理3」からノーベル賞受賞者が出ない理由
ノーベル賞が藩校と関係しているのか理解できないけど江戸時代に培われた武士の教育が明治維新を成し遂げ指導者を輩出させた。それは幕臣だった武士も活躍したからである。
様々な分野で日本を導く者となったからである。西欧文明の挑戦を受けた日本だったがそれに対応するものが鎖国した日本にはあたとなる。他のアジアでもヨーロッパの植民地化したことでもわかる。それだけ西欧文明に対応できるものがなかったからだとなる。なぜ明治に様々な分野で指導者になる人が綺羅星のごとく輩出したのか?例えば武士道キリスト教を先導した内村鑑三などがそうだった。そのとき幕臣だった人たちが指導者になっていたのである。大学であれあらゆる分野で指導者になっていた。
そうなり得たのはやはり江戸時代に培われたもの。藩校で教えられた人たちが指導者になったことである。その人材は江戸時代に培われたものから生まれていたのである。その伝統の上に西欧文明を根付かせたと取り入れたとなる。
だから藩校のあるところから優秀な人材が生まれたという時もそうであり藩校のあるところは大藩であり福島県だと会津になっていたのである。相馬6万石には藩校はなかった。会津には日進館があったからである。だから明治維新でも会津から政府に雇われて活躍した人がいたということでわある。不思議なのは幕臣である人はその子孫は現代でも薩摩長州よく思ってないのである。
内村鑑三でも絶えず藩閥政治を薩摩長州の政治家を批判していたからである。そういうところにやはり歴史があり歴史が伝えられているということでもある。つまり明治にさまざまな分野で人材が輩出したのは江戸時代の伝統があってそれでそこから培われたものは指導者になったのである。そして文化でも明治時代に一番漢詩が興隆したのである。和魂洋才があった。和魂があって洋才があったのである。
だから明治に漢詩でもってその志を述べる人がいたということである。蝦夷共和国を主張した榎本武揚などがそうである。武士は漢詩を作れる教育がなされていたから漢詩を作れたとなる。今の政治家でそいう言う人いない、短歌すら作る人もいないのである。短歌なら武士のたしなみとしてみんな作っていたからである。
そうした人材が大正時代頃になると消失して行った。結果的にその後は昭和になり太平洋戦争へと進むことになる。それは明治の時のように人材が枯渇して侍の伝統を受け継ぐ人たちがいなくなった。だからこそ軍人であって侍の真似をしてもその中身は本来の侍の心を持った人でもなかったのである
●医は仁術でありすべてが算術に金儲けになった
おそらく藩校とかでは江戸時代ではまずモラルを重視し人間はいかにあるべきかということを最初にその教えられた。その後に知識を教えた。それはあらゆる分野でそうだったかもしれない。医者だったら医は仁術であり算術ではない。医者もまたモラルを優先していたのである。職人ですら職人気質となりモラルがそこにあった。 算術だけではないものはそこにあった。それはやはり社会の中で侍がモラル的に模範とされるべきものとしてあったからである。
だから商人と違って算術にはならなかった。何か社会には地の塩となるべきものが必要なのである。それが消失したとき社会は荒廃する。明治時代には地の塩となったのは侍だったのである。その侍がいなくなったとき大正以降は日本の伝統的なモラルが消失して太平洋戦争に向かい300万人も死んだということである。戦後にしてもアメリカ軍に占領されてアメリカ的価値観が押し付けられてそれですべてが算術になってしまったのである。
ただ地の塩が消失したというときそれは日本だけの問題ではない。世界的に大衆化が起きて経済だけが優先される金だけが優先される社会になった。資本主義がキリスト教の修道院から生まれたというが今やそれはただ金を得ればいいというだけの世界になったのである。グローバル経済とは道徳なき経済でありただすべてが算術になったのである。
日本の高度成長時代一時は日本は世界から注目されてジャパンアズナンバーワンとかになりなっていたがそれもたちまち失われた30年となり今や日本は日本の悪い点ばかり言われるのである。高度成長時代は日本の良い点ばかり言われたの大違いである。
なぜ日本はいまや衰退するだけなのか。それは地の塩たるべき人が作れなくなったということがある。ただそれは世界的に起きていることであり大衆化でありただ全て算術でありお金を儲けるということしかない社会になってしまったのである。だから戦後の教育でも大学でも何かモラルというのはない。人間はどうあるべきなのかという根本的なことは教えない。それより膨大な知識を詰め込まれその点数を稼ぐことで受験戦争がありそしてただ得するということだけを目指したのである。
●大衆化社会で真のエリートが養成できなかった
だからこそ東大であれ有名大学に進学してそこでエリートになり得するということしか考えない人になった。それはなぜかといえば大衆に支持されるには利益を優先しなければならないからである。それでカルト宗教も大繁盛したということでそこ宗教となればモラルが中心になるあそんなものは微塵もない。狂気のように御利益を得るために集団化して祈っているだけである。それはただ巨大な利権集団に過ぎないのである。これもやはり大衆化社会から起きたことでありそこでは地の塩などはない。また育てないのである。それが極端になるとナチスのようになってしまうのである。その教祖はヒットラーにもなるのである。
これは日本だけの現象ではない。世界的に起きたことである。なぜドイツのような歴史が古いモラルは高いプロテスタントが生まれたような国でナチスが生まれたということが理解できない。確かなことは大衆化現象というのは世界的なことでありそこで地の塩は失われてまともな指導者は大衆社会からは決して生まれないということである。だからカルト教団のような教祖は悪質であっても大衆は求めているものは御利益であり何か高等なものではない。
また大衆というのはモラルなどを求めていない。だから現代とは大衆社会でありその大衆とは何なのか知らなければ理解できないとなる。大衆が主人公となり大衆によって決められる社会だとなるからである。マスコミでもその大衆を相手にしているからモラル的には腐敗しているのである
学生運動とは何であったのか。それはやはり大学の大衆化であり地の塩たるべき人たちがただモラルもなく利益を求めて真のエリートではなくなったということである。それに反発したとしても大衆社会自体を変えることはできないのである。そういう社会自体の問題として学生運動も起こりそれも挫折したとなる。
●老人になって明らかにされる個々人の価値
いずれにしろ老人になるとその人の人生の人生が何であったのかおのずと問われ明らかにされる。誰でも老人は自分が生きてきたことを語るからである。戦争を経験した人は忘れられないから認知症になってもそのことは忘れず死ぬまで語り続けたとなる。戦争で300万人も死んだというときそのことが何であったのかとうことになる。その命が犠牲にされてもそれが意味もないとされたら死者は浮かばれないとなる。ただ老人になっても何をしてきたのか語らない人もいる。その語らないということは語りたくないということである。どうしてもそこにやましいことをしてきて語りたくないのかもしれない。たしかにその人は戦争で18歳で志願兵になってそれで人を殺したみたいだよある。でもそのことを語ることをしない口をつぐんだのである
それにしても桐島聡の一生はなんであったのだろうか。爆破事件から50年も生きていたということの驚きである。その人の一生は爆破事件で終わっていない。それから50年も生きたということでありそこにその人の人生があったと思う。そこでやはりともも何か音楽に熱中していたらしい。その人と語り合った人もいるしそこで何か生活がありそれは人生となっていた。でもなぜ最後に自分の名を名乗ったのか。何か自分の人生を振り返りそのまま誰だかわからないものとして消えていくのは嫌だったとなるのかもしれない。何か自分自身でありたいとして死んだのかもしれない。
ともかく人間の一生は何であったのか老人になるとおのずと明らかにされる。その人間の価値はその一生はなんであったのか明らかにされる。ただ人間の価値といっても多様だからその人の価値を見ることは難しいとなる。ただカルト宗教団体でもある団体組織団体に所属していたときはその組織団体の価値がその人の価値にもなる。会社に所属していればその会社の価値がその人の価値にもなる。でも会社を退職した時今度は会社の価値がその人の価値にはならない。その人の個人の価値が何なのか問われるのである。ただ会社で働いてそこで何か価値あるものを身につけている人はいる。でも会社を辞めたら退職したらその人の価値が消失してしまうということもある
ともかく人間の一生は何であったのか自らも他者からも価値づけされることは確かである。ただ組織団体に属しているとその組織団体の価値がその人の価値になる。でも組織団体の価値がは焼失したりするし会社を辞めたらその人の価値は何なのかとなってしまう。