2023年12月01日

小規模農業とか個人商店が成りたたなくなっている―米が日本で食べられなくなる? 【NHKの放送は偏っているー農協(JA)と結託している?)


小規模農業とか個人商店が成りたたなくなっている―米が日本で食べられなくなる?

【NHKの放送は偏っているー農協(JA)と結託している?)

シリーズ 食の“防衛線” 第一回 主食コメ・忍び寄る危機【NHKスペシャル】

農地面積が一定で、一戸当たりの農家規模を拡大するということは、農家戸数を減少させるということである。特に、コメ作には規模の小さい非効率な兼業農家が多すぎる。農業で生計を立てている主業農家は9%に過ぎない。

JA農協は農家戸数や農業従事者の減少を食い止めるに組織的な利益があるのだ。逆に農家戸数が減少すると政治力が減少する、農家、特に兼業農家が減少するとJAバンクの預金額が減少するというデメリットがある。JA農協は、これをなんとか食い止めたいと考えているのではないか。

「農家の高齢化で、日本人に餓死の危機」はウソである…専門家が「むしろ農家はもっと減らすべき」と説くワケ

●NHKの偏った報道は大きな誤解を生む

NHKで注意しなければならないのはNHKは必ずしも中立ではない。中立の放送をしているわけではない。でも何かはNHKは中立のように思われている。そこでどうしてもNHKを見ているとその放送はそのまま正しいものとしておのずと受け入れられてしまうのである。 NHKの放送は偏っているということを知るべきである。この辺で津波や原発事故で大被害になったらその時の放送でも偏っていたのである。その放送の方針は上層部で会議で決めた。

津波の被害者より原発事故の被害者を優先する味方する放送をしたのである。飯館村で放射線の被害が大きかった。相馬市では松川浦で津波の被害が甚大だったのである。それで飯館村の人が相馬市のトマト農家に雇ってくれて言ったら断り津波の被害にあった人を雇った。そのことを放送してそのトマト農家を悪いものとして冷たいものとして取り扱っていたのである。それは直接言わないにしても放送ではそういう風に見られたのである。

私自身は別に飯館村の人を非難するとかということではない。また原発の被害者を非難するということでもないただその放送を見た時地元に住んでいたから何かおかしいと見たのである。それは飯館村でも原発の被害にあった避難区域でわ南相馬市でも小高とかは補償金の額がけた外れに大きなものだったのである。

だから南相馬市ではその補償金の額によって分断されたのである。 30キロから外れた鹿島区は隣の原町区と1/3くらいしかもらっていない。また追加賠償の裁判があってまた保証金が貰えるが小高区は一人200万以上ももらえる。でも鹿島区原町区は50万もらえるが鹿島区は一人16万なので。それより相馬市になると7、8万くらいしか貰えない。ただ今回はかなり地域が拡大しているから少なくてももらっている人が増えた。放射線の被害にしても相馬市の違いで測ったらここよりも高い0.5シーベルトもあったのである。だからそもそも放射線の量などはそれほど違ったものでそれほど違わないのである。

ともかくNHKの放送でもマスコミでもその放送に偏りがある。それはなぜなのか?NHKと農協(JA)が結託しているということにもなる。だから農協の言い分を優先して放送しているのかとなる。なぜなら番組に出ていた人の中に農協の幹部の人がいたというからである。放送を見れば食の危機が現実でありもう日本人は米を食べることがきなくなる危機的な状態として放送している。

でもヤフーニュースで語られていることはそれとは違った見方をしている。日本は小規模農業零細な農業が多かった。私は田舎に住んでいるからとにかく小さな田んぼは多いのでそれは日本全体でそうである。その象徴として五反田とか二反田とかでも地名化していることでわかるわかる。五反百姓というのが普通に居たからである。それだけ零細な農業である農民は一部を除いて貧しかったとなる。

ただ山のほ方では返って炭焼きとか紙漉きとなどして木材も資源として燃料となう薪を売っていたり肥料になる草木でも山にあるそれを売るということもあった。だから意外と相馬市の山上でも紙漉きとか地名化して江戸時代の馬頭観音もあった。なかなか江戸時代の馬頭観音は見ないからである。だから相馬市の城下町に炭であれ薪を売ったりしていた。また仕事にしても肥料となる草木であれ米を作るだけではない。養蚕も盛んだった。そうした仕事があり生業があり百姓というように農民は実は100の仕事を持っていた人たちだったということである。

●田舎では農業は身近にあるが影響力は相当に減退した

ともかく田舎に住んでいれば確かに農業は身近にある。でも意外と農業のことを知らない人が多いのである。なぜなら田舎でも純粋な農民というか専業農家は1割にも満たないのである。戦前だと農業に従事していた人は8割もいたとなすると農業中心の社会だったとなる。戦後でもやはり農家が6割くらいもいたのである。だから農家の影響力が強く農協は政治的にも大きな力を持っていたのである。
農民の支持がなくては政治も成り立たないとなっていたのは当然である。でも工業社会になった時その農業に従事する人は全体の1割も満たないとなり農協の力相当に減退したのである。

そもそも日本の農業は土地が狭いから五反百姓とか二反の田んぼしか持たないような零細な農家が存在した。だから小さく区切られたたが多かったのである。子供の頃は田んぼはあり麦も作っていた。他にも野菜も作っていたし果物も作っているし花栽培もしているから農民の仕事は米を作るということだけではない。ただ基本として米を作ることがある作ることになっている税でも米で収めていたからどの位の広さの田んぼを持っているか目安となっていたのである。

ただヤホーニュースでの解説で日本では食糧危機にはならないとしている。むしろそうした小規模な農家はやめて大規模な農家に集約して生産力を上げれば少人数でも農業は成り立つとしている。野菜でもキャベツなどは大規模に生産して企業のような農家から全国に売られ輸送されているのである。地元の野菜とかで成り立つものはない。地元産として売られているものもあるがそれは僅かなのである。大量に生産したものを安く売るのは現代の経済だからである。

●小規模経営は個人商店でも成り立たない時代

そして経済で変わったのはあらゆるものは大規模会社経営となり商店でもツルハドラッグとかレストランでもチェーン店が中心になってしまったのである。私の家は戦後間もなく店を始めたがそれは大掛かりなものではない。ありあわせもので商品をただ並べただけで売れたのである。それは今でも後進国でインドなどでバラックのような小屋で売っているのと似ている。何か用意するにしても金はかからないものだったのである。

でもそうした小規模の個人商店は消滅するようにもなった。とてもスーパーの品揃えには叶わないからである。最近近くに弁当屋と総菜屋ができたそれもあまりにも小規模であり弁当の種類でも3種類くらいしか出してないのでだからとてもそこで買う気がなくなった。前にあった弁当屋はいろいろなものを出していたから買う人もかなりいたのである。ただこうして小規模な商店は経営できなくなっている社会なのである。

つまりそれは二反田とか五反田とか零細な農家と同じであるそういうものは成り立たなくなった。この辺では津波原発事故の後土地の改良が行われ田んぼでも大規模なものになった。そうなると機械で効率的にやれば人手不足でも色補える。現実は大規模の農業化してスーパーに入ってくるのはそうした大規模農業化した農家で作られたものは売られているのである。だからNHKの日本の食の危機を米が食べられなくなるとかいうのは一方的な偏った放送だとも見た。

そもそもなぜそういう風に偏った放送になるのだろうか。それはNHKの放送の方針でそういう見方を視聴者に強制しているのである。その放送を見た人は確実に米が不足して日本人は米が食べられなくなるという切迫感を持つことは確かである。それが日本人に日本人の頭に刷り込まれるのである。すると何とか農業を応援しなければならないとか税金を使ってでも農業維持しなければならないとかな。税金取られても仕方がないという風になってゆくのである。確かにスイスでは農業を維持し食糧を確保するために国民の納得のやっとくを納得して納得させて国が援助している。でもその援助にしてもただ援助するというだけではなく厳格な指導の下に援助しているのである

●地元から地に着いた放送が個人で可能になった

とにかく確かなことは零細なもの個人商店とかは農家で成り立たなくなっている。また一方で小規模の農業でも農家でも必要だという意見もある。さまざまな見方があるからそれは検討すべきである。でもNHKの問題は偏向報道がありそれが全国で放送されるので国民に刷り込まれるから世論を作り出しそれで間違った方向に人々を導くことになる。でもインターネットだとヤフーニュースでも私のように地域から見て批判したり同調したりできるのである。

それを読む人は少ないにしても地元でより身近なものとなるからそれなりに影響が出てくるともなる。何か情報というのはマスを相手にしたとき大衆を全国民を相手にした時本当のことが歪められる。それはその情報でも地についたものとなっていないからである。例えば東京とか大都会から見れば田舎の事は分かりにくい。農業についても田舎町でも分からなくなっているのだから余計に分からないのである。するとNHKの偏った放送に都会の人も影響されておびえることにもなる

だから地域地域から情報を発信するというとき地に着いた情報と情報発信だから見方も違ってくるのである。その地元の事情と密接に結びついているから違ったものになるのである。ただ最近農家でも空家化しているところが多い。それは常にそこを通っているから現実として見るのである。もちろん都会でも空き家が多くなっているのだから同じだということは言える。

ただこの辺では津波原発事故以後農地の区画整理が行われ大規模な農地改良がされたのでそれが目立つのである。それも大きな変化だとなる。そうなると機械も利用しやすいし人員が少なくてもそれなりに米を生産できるかもしれない。どうしても二反五反とか小規模な農家は続けられないとなっているのである。そういう農家も維持すべきだという人もいる。
でも後継者も高齢化してそれもかなり難しくなっている。でも大規模にして機械を利用すれば実際は米はなく米が作れないなくなるという米が食べられなくなるということはない。それをもう米を作る人がいなくなり食べられなくなるというNHKの放送は大きな偏向報道だと見る。

だから放送というのは中立ということがないことである。必ず偏った放送になっているのである。 NHKがなぜ農協と結託してそうしたのかそれは分からないにしても放送するにしても民間だとスポンサーがいてそのスポンサーの批判はできないし同調したものとなるからそこにどうしても変更放送になってしまうのである。
私の場合は別にどんな団体とも結託していないし金ももらえないから中立だと思う。それはただインターネットではほとんど無料で放送できるからそうなったのである。 youtubeなどでも意外と簡単にできるものとなっている。ただマスコミやテレビとは違い見る人は限られているからそれほど影響はないというだけである。でも放送というのもこのように変わってきたのだから偏った放送でもこうして誰かが批判して指摘する時代になったということである。


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五反以下が多いのである。五反百姓以下の人も多かったとなる
一旦も多いのには驚く、これだけでは生活もできない・・

posted by 天華 at 19:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年12月02日

冬の日に南相馬市の原町区をまわる(桜井古墳、十一面観音、新田川) 【冬の雲、冬椿、銀杏、枯野、落葉・・・】

冬の日に南相馬市の原町区をまわ(桜井古墳、十一面観音、新田川)

【冬の雲、冬椿、銀杏、枯野、落葉、枯芒、白鳥・・・】

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ここはまだ津波の被害の跡が残っている

【泉の十一面観音】

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裏が石でできているのはめずらしい

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野は枯れてノスリ一羽や朝の空
三本の樅ノ木変わらず冬に入る
冬の雲樅ノ木三本動かざり
山鳩の公園に見かけ冬椿
冬椿垣根に木の列大古墳
落葉踏み根付ける木々の太しかな
新田川瀬音ひびきて冬の山
野は枯れて十一面観音閉ざされぬ
みちのくの野は枯れ沖に船一艘

津波後消えにし家やその後に残れる石や冬の日暮れぬ
新田川岸辺に芒白鳥の五六羽身を寄せはや日の暮れむ
冬の日のさして古き碑何語る木の葉一枚ここに散るかな

今日は原町の方を回った。道の駅にから三本のモミの木が見える。そこには前は仮設住宅が立っていた。今はもうなくなった。何か老人になると遠くに行くのは億劫になる。それですでに十四五年旅をしていないのである。旅ばかりしていたのに今になるとそんなにしたくないとなる。何かその三本のモミの木のようにその土地に根付いて動きたくないともなる。

そのもみの木は三本でも信頼し合っている。そこに安心がある。でもそういう人も居ない。ただ何かその三本のモミの木を見てたら心も落ち着いたのである。やはり人間はいずれはどこかに定着して落ち着く。そういう場が必要なのである。。ただ信頼し合う人というのはなかなか得られないのである。

新田川は浅瀬の川である。深いところがない。でも相馬市の宇多川よりはましである。あの川には何か魅力が感じられない。ただ上流に行くと川の様子が全然違ってくる。荒々しいものとなってくる。大きな石がごろごろして険しいという感じになる。だから川にもそれぞれ必ず表情がある。川はやはり上流まで昇って見ないとその川の表情がわからないともなる。

新田川の岸辺の公園の銀杏木は陽に輝いていた。そして落葉を踏んでその根が太く根付いてるの感じる。山鳩が枯木の枝に止まっているのを見えた。そこに椿が咲いていた。今の時期は冬椿であり寒椿にはなっていない。それから桜井古墳にも垣根に冬椿が咲きこ木々が列をなしている根付いている。何か写真を撮る時見方を変えると違ったものに見える。

山鳩が来たのは幸運だった。鳥はすぐ飛び去っていくからなかなか写真に撮れない。今回も山鳩はボケてはっきり映っていなかったのは残念。写真でもカメラの機械の問題もあるがシャッターチャンスを逃さないことが大事なのである。鳥の場合はすぐ飛び去ってしまうのでなかなかいい写真が撮れないのである。

泉の十一面観音のお堂はいつも閉ざされている。 十一面観音見れるのはいつなのかとなる。開帳するのはいつなのか秘仏となっているのかもしれない。また周りの碑を見たら象頭山とあり珍しいと思った。それは実際に四国にある讃岐にある金比羅山の別名でもある。ということは金毘羅参りがはりその記念だったのかどうだ。金比羅の碑は結構この辺でもある。金毘羅参りは明治までブームになっていたということである。

(金刀比羅(ことひら)宮を目とし、南側の愛宕山を鼻として象の頭に見立てられるところから) 香川県西部、琴平町にある琴平山の別称。
[二] 江戸時代、金刀比羅宮が、神仏習合のため、金毘羅大権現松尾寺と称したころの山号。

2023年12月03日

自己投資自己開発できなかった今の老人世代【団塊の世代】 【企業戦士として奴隷のように働かされた】


自己投資自己開発できなかった今の老人世代【団塊の世代】

【企業戦士として奴隷のように働かされた】


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高齢者から搾り取れ!姥捨日本!】高齢者(エルダリー)よ団結せよ!
反旗を翻せ!エルダリー革命!俺たちに明日はない!あてにするな!-

●団塊の世代は平気で親とか先生に殴られていた

なぜ加治将一氏に共感するのか、団塊の世代で同世代だからである。何か子供の時の暮らしも貧しく同じだった。教育といってもすし詰め教育でありクラスは50人とか同年代で8クラスとかあった。今は三クラスぐらいしかないので。そうなると教育といっても暗記教育であり詰め込み教育であり先生は日常的に暴君ともなり平気で殴っていたのである。何か廊下に立たせるとか見せしめとしてそうしていたのである。その時同年代の女性は母親になって今でも厳しくしつけたほうがいいとしているのである。その考え方が変わらないのである。でも戦前生まれの人でもそうして生徒でも平気で殴っていったことで近くに居る先生を恨んでいた人がいたのである。

ただそれは先生だけではないそもそもが親が子供を躾けるのに平気で殴ったり子供の言い分などは聞かない強権的な親だったからである。それで地震雷火事親父となって親父というのは怖い存在だったのである。それは明治時代からそうなっていたのである。私の父親は明治生まれだからまた酒屋の丁稚奉公だから私を丁稚にしようとしていたのかもしれない。そこでそろばんを習わせられた。それは結構上達して自慢になった。でもそんなものコンピューターができて何の役にも立たなかった。つまり時代が変わるということはそういうことである。。

家には子供部屋もなく一冊の本も置いてなかった。漫画を読んでいたがその漫画も借りて読んでいたのである。とてもそういう環境から自主的に興味を持って勉強するということはあり得なかったと思う。基本的には読み書きそろばんが出来ればいいというのは教育だったのである。その後団塊の世界の世代などはモーレツ社員とか今日企業戦士なって24時間戦いますかなどのコマーシャルのように懸命に会社の奴隷のようになって働き高度成長時代を気づいたのである。

●団塊の世代は学校を出てモーレツ社員に企業戦士になった

そしてジャパンアズナンバーワンとか言われるようになったのである。その後にバブルになり失われた30年になったのである。そして今高齢者はただ負担となるだけであり社会にとって邪魔だとされるようになったのである。まともに年金もらえず窮窮として生きるのがやっとだという人も多い。。そしてなぜ老人が邪魔だかという時何か生産的なことをしない。また老人は暇で一日パークゴルフなどをしていい身分だともみられている。

モーレツ社員として会社に尽くしてもいったん退職すると地域社会で何か役割もなくただ無用のものとして邪魔者扱いされる。地域社会でも今やそういうものはなく役割もなくただ邪魔者扱いされるだけである。ボランティアなどするとそれも社会では簡単に受け入れることはない。おそらく何か邪魔者として入ってくるということもありうる。だから老人の行き場が無くなっているのである。

そしてただ老人はお荷物であり介護などでも保険で若者は税金を払うから老人はただ負担として見られるのである。また数が多いことでもただ負担が増やすだけだとみられるのである。ではなぜそうなったのかというと老人は70以上とかなると企業戦士とかモーレツ社員とかなりただ会社のために奴隷のように働くかなかった。その結果として自己投資自己開発ができないということがあったかもしれない。なぜなら自分の場合は大学を卒業してから職にも就かないし放浪していたりあとは引きこもりになってしまった。

●私は会社人間にもならずはずれて自己の興味に生きた

でも不思議なのは自分が一番勉強したのは大学を出てからだったのである。なぜ勉強したかというと受験戦争とかの詰め込み教育とか点数を取るための暗記教育ではない。自主的に興味を持って勉強するようになったのである。特に旅行が仕事のようになっていたから地名に興味を持ち地理に興味を持つようになったのである。そこは自分の学問の出発点だったのである。
つまり何か学ぶということは自己自らが興味を持って自己開発して自己研鑽しない限り知識も目につかない。要するに何でも積み重ねによって成果がいつか出てくるのでは。それは天才は別にしても平凡な人でも自己投資自己開発自己研鑽しない限り何か目に付くことはないのである。それは別に知識だけではなく大工の技術とか農業の技術とかでもやはり自己研鑽をしない限り一人前になることはないのである

おそらく今の老人に欠けているのはこれまで自己に投資する開発自己開発するとか自主的に興味を持って学ぶとは学ぶということが足りなかったから老人になって会社を辞めると無用のものとなったのかもしれない。私自身はどこにも就職もしていないで引きこもりになったが旅をするだけであったり地域を回って郷土史に興味を持ったりして自由に生きてきた。それができたのは親に恵まれた結果だったのである。こういう生き方をしたのは団塊の世代などではほとんどない。生活のために企業戦士となり猛烈に働かねばならなかったからである。

だから自分の人生というのはそういう人たちとまるで違ったものとなっていたのである。でも私自身は一人で自己開発をして自主的に興味あることを追求してきたのである。その成果がようやく老人になって現れてきたということである。でも大方は会社人間であれ企業戦士であるからあったから会社を辞めると無用な人間となってしまったと思う。つまり自己投資自己開発がなされなかったことが原因だったのである。だからその人自身の個人としての価値は生み出さなかったのである。それはあくまでも会社としての組織としての価値であり個人としての価値ではないからである。だから退職すると用なきものとなってしまったのである

だから私に対して職人として優秀な人はあなたは遊びをしているだけだ金にもならないと見ている人もいる。でも奇妙なのはその人は暇になって何をしていいかわからなくなっているのである。ということはやはり何かその職業だけに限られていてその人はまた金にならないことはしないのである。そこで思ったことは老人になって必要なのはやはり何か趣味でも必要であり遊ぶということが必要なのである。その遊ぶということは何か女遊びとかただ浪費するだけのものではない

●今老人は暇を持て余しているのはなぜか?

旅することも遊びであるだから別に昔でも遊行聖というのもいたのである。禅宗でも雲水となり旅をして自然と融合する。そしてそのために喜捨をされて旅を続けていたということもある。だから私は禅宗に惹かれるのである。つまり奴隷のように企業戦士として会社のためにだけ働くのでは人生ではない。別な人生もありえたのである。ただそれは特殊でありアウトサイダーともなり一般的には適用されるものではなかったのである。だからこそただ働くことしかない人は会社を退職すると何をしていいかわからなくなるということである。なにか自己に投資して自己開発をしていないからである。

それで奇妙なのは引きこもりという人たちが百万人もいるとかそれは何なのかとなる。なぜなら団塊の世代だったらみんな会社に勤めてモーレツ社員となり企業戦士となっていたからである。でも自分自身の場合はそういう人生とは全く違ったものとして生きたとなる。ただそれは親に恵まれた結果だったのである。普通はそんなこと許されないからである。だから自分は特別親に感謝しているし今でも供養しているのである。

いずれにしろ時代が変わると価値観が変わることである。戦前はみんな国家のために生きていたそして戦争で国家のために死んだのである。それだけ国家の価値が何よりも大きなものだったのである。戦後は敗戦で焼け野原から出発して経済を復活すること豊かになることが目的となったのである。そのときの価値観は経済的に豊かになることでありそれしかなかったのである。
とても人間は経済的にある程度満たさられると何か他のもの求める。それが今ある程度豊かになって価値観が変わってしまったのである。だから本当に変なのは大学の教授がみんなアーティストになれとか言っていることである。そんなこと団塊の世代とか企業戦士とかモーレツ社員の時代に言ったら相当な反発があった。

でも今になると私のように生きた遊びに生きたい人は価値あるものともされている不思議がある。なぜなら老人になってただ暇を持て余している人も多い。その人たちは何の価値も社会に提供しないからである。でもそう趣味に費やした人でも遊んだ人でも旅に費やした人でも今になるとそれが価値あるものまでなってしまったのである。だから価値観が変わるということは時代によって必ずあるということである。そんなバカなということが時代が変わり起きてくるということである。

●思考脳創造脳感性脳遊戯脳の時代に

その一つが子供時代にそろばんを習ってそろばんができたことを自慢していたかそろばんは何の役にも立たなかった。その労力と金も全く無駄になってしまったのである。むしろそろばんなどより算数でもそれを興味あるものと自主的に学んだらその後の学習にも影響した。つまり暗記教育は何の役にも立たないということである。確かに暗記も必要ではある。でも肝心なことは思考脳創造脳感性脳遊戯脳でありそれがいま求められていることが時代が変わったことなのである。
思考脳創造脳感性脳遊戯脳は結びついている。学習でも遊ぶということは思考脳創造脳が必要になる。算数でもソロバンのように暗記ではなく図形でまなぶというとき具体的にボール紙でも切ったり遊びのようにして学ぶということが興味を持つことになる
ただ暗記だけのソロバンのようなことでは算数でもその後数学でも興味をもてなくなるのである。だから思考脳創造脳感性脳遊戯脳を一体化することが大事である。

だから職人が私に対してあなたは遊んでいるだけだという時その人は暇を持て余しているのである。その人は何か人生が遊びだということは全く理解してない。また金を稼げないものは価値無いものとしているのである。そこは職業によりまた時代によって価値観が変わることがでありそれを理解していないということである。
だから必ず時代によって価値観は変わる。戦前は国家一辺倒であり国家の価値が第一であり。戦後は焼け野原となり経済は豊になることは第一の価値であったのである。でも今になると確かに豊かになることは必要である価値がある。それでもやはりそれだけではない別の価値を追求するようになってきたのである。だからみんなアーティストになれというのはそういうことなのである。ただ一面今はまた貧乏な時代になったということでそういうと反発されるようにもなる。それは時代は固定されていない常に変わるからそうなるのである。

posted by 天華 at 12:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2023年12月04日

日本人の食にグローバル化経済の歪みが現れた 【シリーズ 食の“防衛線”牛乳・肉・卵 タンパク源を守れるか【NHK】


日本人の食にグローバル化経済の歪みが現れた

【シリーズ 食の“防衛線”牛乳・肉・卵 タンパク源を守れるか【NHK】

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●アメリカに押し付けられた日本人の食の変化

戦後のアメリカによる日本への影響は大きなものだった。それは生存の根本にかかわる食にもあった。そもそも日本はアメリカに負けて焼け野原になりまともに食べるものもなくなった。団塊の世代は食べるものがないので給食などに脱脂粉乳とかをアメリカからもらって栄養とっていた。それはかなりまずいもので吐き出した思い出がある。でも食べるものはないのだからそれでも栄養にはなっていたのである。アメリカは土地が広くもともと農業大国だった。その規模にしてもにほんとは比べが多がない大きなものだった。

そしてなぜ日本がパン食が増えて牛乳などを牛肉など食べるようになったのか。その食の変化はアメリカが学校給食でパン食にして日本に小麦を売るためだったとされる。。子供の時食べた味は忘れないので大人になっても食べたくなるからである。ただ私の子供時代に牛肉を食べた思い出はない。つまり日本は戦争に負けた結果そうした根本的な食のことでもアメリカの影響は大きかったのであ

その後もやはり食でもアメリカの影響が大きいものだった。なぜならアメリカの輸出品とは実は農業大国であり農産物が麦とかが輸出品でありそれは大量に作られて余っていたのである。だからこそ日本にその余った農産物をコメでね麦でも売ろうとしたのである。それは特に日本は高度成長して電器製品がアメリカに大量に売れた時車でも売れた時アメリカに売るものがなく農産物を日本に売る他なかった。だから一時は車でも日本車でもアメリカ人によって壊されたりしていた。

実際は日本はそんなにアメリカから麦でも農産物でも輸入する必要はなかったのである。でもアメリカで売るものがなく買ってくれとなって従わざるを得なかったのである。そこに無理やり買わされて日本の食料の自給率が低くなったのである。またグローバル化経済になって世界から食料肥料でも輸入するようになったのである。その肥料でもまた牛のエサとなる飼料でもなかなか入らず円安で高くなり経営が苦しくなったのである。だからグローバル化のひずみが食の問題に一番現れたともなる。

食はそもそもその土地と風土にあったものとして縄文時代から長い時間をかけて作られてきた。だからそもそも魏志倭人伝に馬牛羊がいないと記されたのは大陸と比べてそこが一番目立っていたからである。日本で動物を食べたりすることはあまりなかった。漁労民族であり魚からタンパク質をとっていたとなる。家畜の問題はその餌代が飼料代が大きなものとなり経営を圧迫する。だから世界グローバル化してその飼料が入ってきているときはよかった。何か世界で問題が起きてくると入ってこなくなる。つまり食の安全は防衛は他国から輸入していては作れないのである。
グローバル化はその職場で外国に頼った結果日本の自給率が減ってウクライナで戦争とか円安にもなり日本で買うこともできなくなるということである。

●グロバール経済の歪みが食料に現れた

そして北海道などで乳牛の大規模化を行ったがそれを維持するのも大変になった。その飼料代が高くなりすぎたからである。トウモロコシでもアメリカではエタノールとか燃料に使うようになって安く売ってくれないようになったのである。結果として今は小規模で牧草で牛をを飼っている方が成り立つということが紹介されていた。つまり餌代が高くなれば自分たちでまかなうほかなくなったのである。そしてトウモロコシでも自分たちで作る。耕作放棄地を利用して麦でもトウモロコシでも作るようになったのである。

私の子供の時代は麦畑というのは常にあった。何か米一辺倒というのではなくいろいろな種類のものを作っていたとなる。そういう農業は自給する農業はもともとどこでも行われていた。それがグローバル化経済で食料まで輸入したり輸出したりして歪められたのである。コーヒーが商品作物となりその他のものを作らなくなったときコーヒーが安くなって他に畑があって作っていたものをコーヒーにしたから自足できなくなり失敗した例もある。つまりそうしたコーヒーだけの単品生産は商品として売るためにそうなったのであり何かある時食べるものさえ地元で得られないとなってしまったのである。

ここにグローバル化経済の歪みがあったとなる。ただ日本でも米が東北で商品作物となり江戸に輸送していた。それで東北で飢饉になったのは米ばかり作ってほかの食糧を作らない結果だともしている。それは今のグローバル化経済とも似ていたのである。食料というのはやはりその土地土地で自給自することがもともと良かったのである。それが自然の理に合っていたのである。やはり自然の理に反するものは必ずどこかで復讐される。

伊達藩では藩をあげて北上川水系の改修と湿地の新田開発に取り組み,江戸への産米輸送に力を注いでいました。当時,伊達藩では「買米制」という制度をつくり,お百姓さんが年貢を納めたあとの余った米をも藩が買い上げ江戸へ送っていたのです。このため米どころであってもお百姓さんは満足に米を食べることができませんでした。「百姓食物常々雑穀ヲ可用食之事」(米を食わず雑穀を食うべし)という「百姓法度」が出されるほどでした。

●漁労民族稲作民族として日本人の体も作られてきた

そもそも日本人は縄文時代から漁労民族だった。または稲作民族だった。日本は消化するために腸が長くなっているのはそのためだという。まだ肉食が基本の欧米人は肉を消化するためにそれに適した酵素が出てくるという。また肉食とパンとワインはあったものでありそれが欧米人の体を作ったともなる。だから体までがそうしてその風土によって長い時間をかけて作られてきたものだとなる。だからグローバル化でアメリカの要請で日本の食の文化も歪められたのである。

だからグローバル化というのは確かにプラスの面もあったがそもそもはその人間の生活の根本となる食の文化を壊したともなる。そして牛肉を食べるということはそもそも日本にはなかった。でも子供の時からハンバーグを食べていればその味が忘れられず大人になっても食べるのである。そこにアメリカの隠された意図があったのである。

だから牛肉というのはもともと日本人は食べていない。何かグローバル化することはすべていいように見えるがその土地土地の風土に合った生活が何千年もの時間の中で作られてきているのでそれを壊すことになるから危険なのであった。
つまり日本はアメリカに戦争で負けてアメリカの影響があまりにも大きなものだったのである。確かにいい面もあったが根本的なところで日本独自のもの特にその風土に合った食の面で歪められてしまったのである。やはりその根本となる食に関しては自給自足が原則であり輸入はあくまでも細くするものであり今のように自給率は減ってしまったのは大きな問題だったのである



posted by 天華 at 16:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年12月05日

冬の俳句十句【師走、冬の雲、冬の山、冬薔薇、冬の暮、冬柳】

冬の俳句十句【師走、冬の雲、冬の山、冬薔薇、冬の暮、冬柳】


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盲人の手探り歩む冬の雲
暇人も何か追われる師走かな
目につきぬ杖つく人や師走かな
水清く流れひびきて冬の山
轟ける滝に吹き散る木の葉かな
咲き続く空家の庭や冬薔薇
なお散らぬ一輪惜しむ冬薔薇
我が庭の石に向き咲き冬薔薇
石一つ休めとここに冬の暮
山上に紙漉き沢や初冬かな
一里坂越えて来たらむ冬の暮
城下町六万石や冬柳

杖ついて歩く人が目につく。それだけ老人が多いということでもある。空き家の庭に人がいなくなってもそこに冬薔薇が咲いていた。そこはいつも通る場所だった。とにかく空き家が増えていることは確かである。何かもったいないとも思う。誰か利用している人が返って価値あるともなる。ただ放置されているていてもそれがただ寂れたという感じしかなくなるからである。

庭の冬薔薇がなお一輪咲いてまだ散っていない。それを一人で見守っている。この花が散ったら後は咲かない。相馬市の山上の方はなかなかいい場所だった。一里坂というのは今田辺りありどこか場所がわからない。だから一度そこを行ってみたい。意外と近くでも場所は分からなくなる。地図だけを見てもなかなかわからない。宇多川をさかのぼって滝平は滝平の滝がありいうも水が結構流れている。この辺では滝はあまりないので見物である。

相馬藩6万石は規模としては小さい相馬野馬追があるから何か大きな藩のように見えるのである。でも相馬市に行ってもそこが城下町なのかどうか外から来てもよくわからないだろう。それでも城下町だった事は確かなのである

冬は回想するのに向いている。回想して家に籠る。今日は特に曇っているから外に出にくい。冬籠りしてじっとしているのも老人には向いているのである。ただ師走ということでしは追われる感じになるのである








2023年12月06日

みちのくの枯野の俳句十句【旅は遠回りでも時間をかけるべき】


みちのくの枯野の俳句十句【旅は遠回りでも時間をかけるべき】

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みちのくの争いの跡枯野かな
みちのくの枯野の駅やその名かな
みちのくに黄金出して枯野かな
みちのくの枯野に残る金色堂
みちのくの枯野に月や都跡
みちのくの枯野の沖に船一艘
みちのくに深く休みて枯野かな
みちのくの枯野に黙し石一つ
みちのくの枯野に眠りやすらかに
みちのくの消えにし人や枯野かな

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

奈良時代からみちのくは辺境の地として奈良の人々に知られていた。それで真野の草原とは萱原のことではなく一つの地名だと私は考察した。このことはちょうどここが気候の分かれ目であり境目になっていたのである。だから南相馬市の鹿島区の海老村にマルハシャリンバイという奄美大島から種が流れ着いて自生している。その南限の地であり気候的にも暖かで自生する場所だったのである。また照葉樹林文化の南限の地でもあったのである

「天皇(すめろき)の御代栄(みよさか)えむと東(あづま)なる陸奥山(みちのくやま)に黄金花咲(くがねはなさ)く」

宮城県涌谷町だ。天平21(749)年に同町で日本で初めて金が産出し、奈良・東大寺の大仏の塗金用に献上。時の聖武天皇は大いに喜び、歌人の大伴家持(おおとものやかもち)が言祝(ことほ)いだ歌が万葉集に収められている。

これは宮城県涌谷町のことでありそこに天平という記された木簡が発見された。だからそこは明らかに歴史的に証明された場所だとなる。真野の草原の場合は石巻にも真野という地名があり萱原という地名もあるから二つの説がある。でも南相馬市鹿島区が有力なのである。

とにかくみちのくとは何か。それは奈良時代から既に知られていて道の奥となり辺境の地だった。みちのくといってもすでに奈良時代から歴史が始まっている。だから北海道などとは違ったものとなっている。そしてみちのくというとき平泉までがみちのくという感覚であり岩手県からさらに青森県になるとみちのくということにもならない。なぜなら江戸時代でも芭蕉は旅してみちのくというとき平泉までだったとなる。芭蕉が旅してきた結果みちのくという場所をイメージされ定着したのである。だから一人の詩人によってみちのくをイメージされるようになったから詩人の功績も大きいとなる。

なぜならみちのくというとき必ず芭蕉の奥の細道をイメージするからである。みちのくは今でも奥の細道という感覚は残っている。芭蕉は夏に来たがむしろみちのくを感じるのは秋から冬にもなる。枯野がふさわしいのである。でも東京になるともうそういうものは全く感じられない。でも江戸で枯野見ということが行われていた。枯野をわざわざ見に行ったのである。江戸の中心から離れて枯野を見に行ったのであう。だからまだまだ江戸の周りは自然があった。でもこの枯野見は今や東京でも電車に乗りかなり離れないと感じることはできなくなったのである。

旅をするときその行路が違っていると印象も違ってくる。東北新幹線とか東北線で来て平泉までくるのと石巻線で来るのは相当に違った感覚になる。みちのくはそこで広い感じるからである。。だからをすすめるのは石巻線を通って平泉に来ることである。
でもこの線は相当に不便である。かなり時間がかかってしまう。でも急いだ旅は最短距離を行った旅は印象として残らないということもある。現代そもそも旅が喪失したのである。東京から新幹線で2時間で仙台につきそれから30分くらいで一関に行って平泉に行く。そういう旅はは芭蕉の地の果てまで行くような感覚の旅をしたような感覚とはまるで違ったものになる。そんな感覚は全くないし芭蕉が感じたようなことも感じないのである。それはもはや旅ではないただ移動しているだけなので。だからそこで感じるものは浅薄なものとなってしまうのである。

要するに旅をすることはかえって回り道をしてゆっくりと目的地に着くことである。でもこうして時間をかけた旅は忙しい現代ではしにくい。私は時間だけはたっぷり与えられていたのでできたのである。つまり旅を充実するには金をかけて豪華なホテルで料理を楽しむことではない、時間をかけることでありその時間がないことが旅を浅薄なものとしている。もう車では旅はないただ移動しているだけなのである。でも自転車で旅しようとしたら大変な苦労があり時間もかかるのである。でもそれが記憶に残る旅となり回想するのである。

夏草や兵どもが夢の跡。 5月雨の降り残してや光堂とかは何かみちのく象徴したものとなった。ただ夏だったので感覚的には違っている。むしろみちのくにふさわしいのは彼のなのであ。彼ので彼のわびさびの世界がみちのくなのである。未知の国は西のような堺は無い。依然として彼の世界だと思うな。でも逆にそういう芭蕉があまりに文明化して都会化して安らぎがなくなったら未知の子は依然として彼らの世界であるときそこに安らぎを感じるのである。

まず東京のようなところに住んでいる人は感覚的にも以上カス以上化する。そこに何か自然から遊離したものとなりビルとビルのはざまで群衆と大衆の中に人は埋もれてしまうのである。だからそんなところによく人間が住めるものだと思う。そこで四季を感じることもなかなか出来ない。江戸時代だったらまだまだ周りは周りには自然がありだからこそ彼のみという風流があり得たのである

2023年12月08日

投資は人間にとって不可欠なもの 【投資先がなくなると資本主義は終る】

 投資は人間にとって不可欠なもの

【投資先がなくなると資本主義は終る】

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藤原肇ー紙の爆弾

(3)ポンツィ金融(ポンジ金融)

 最も危ない状態。期待所得により利払いすらできない状態。利払い分についても借入が必要で、借入残高が増大していく状態。
 つまり借入を増加させることでしか、元金と利子の支払いができない状態を示す。大雑把に言えば、営業利益が支払利息を下回るような状態である。



●投資は人間に不可欠なものとしてあった

投資というときそれは本来悪いものではない。株とかとか離れても人間は常に何かに投資している存在だからである。今日は人間は何するにしてもそれは投資になる。例えば勉強するにしてもそれは未来への投資なのである。本一冊を買うにしても金がかかるわやはり知識を得るための投資なのである。一番分かりやすいのは農業でありそれも投資なのである。なぜなら種をまくそして肥料をやってその種が成長して実りなる。でもそこには必ず人の手間と時間がかかる。

だから農家の後を継ぐ場合はその作物を育てるノウハウが伝授されるから楽になる。でも一から始めれば農業は簡単にできるものではない。とにかく人間と投資は不可分に結びついている。種をまくことは投資であり未来に実りがあるから種をまくのである。何もしなければ何も得ることもないのである。だから投資というのは人間にとって別に資本主義の株式とか関係なく人間が存在してから投資ということは必ずあったのである。

つまり人間のすることはなんでも未来への投資なのである。例えばパソコンなどその出始めにはおもちゃのようなものでもバカ高いものだった。それはしょっちゅうフリーズしてまともに使い物もない使えないものだったのである。でも一台40万とかバカ高いものだったのである。それをしていた人は使っていた人は特殊な人たちだった。でもそれは投資だったのである。未来への投資になっていた。そこでbbsとか文章で話をするということが実は画期的なことだったのである。つまり通信機能が付いているということが一番画期的なことだったのでだから私が通信機能付の富士通のワープロを買ったということがインターネットにのめり込む減塩になっていたのである。

たとえその時おもちゃのようなパソコンでもそれを高いとしても買ったことはやはり未来への投資だったのである。ただその時はそれがこのように世界的に発展するということは見えなかった。でも実際は地域間のパソコンでの通信とか国内での通信はすでに始まっていた。富士通のニフティーではそうした通信をシステム化していたのである。でもそれをしている人はまだまだ特殊な人だったのである。だからこれほどまでに世界的になりもはや必需品となったことが驚きだとなる。ただ最初のうちはそれをそのパソコンを買ったり通信をしていた人は投資していたのである。

●投資は必ず未来に向ってする

それは未来に向かっての投資だったのである。だから人間は必ず投資する存在だということである。投資とは未来に向かっての投資なのである。だから投資に向いているのは若い人だとなる。なぜなら若いということはすべてこれから人生を始めるということであり未来があり未来に向かって何かしら投資することになるからである。つまり種をまくということである。そのが種は実りとなるのが投資したものを収穫するということである。

写真でも写真を撮るにはいいカメラとレンズが不可欠である。だからそれも投資なのである。私はソニーのα6000を買った。このカメラが意外といいものだったのである。その後いろいろ出たが画質はさほどかわらないのである。レンズでも中古の二万くらいのでも映りがいいのである。だからこれは投資してもお得だったとなる。αシリーズはその後いろいろ出ても画質はたいしてかわらないというからだ。画質が最優先されるからこれに投資したことがお得だったとなる。だから何か買うということも投資なのである。その見返りは大きかったとなる。

例えば投資が始まったという時世界航海に出る船に投資するという時そこに投資する人たちは必ずリスクはある。なぜならその時船で後悔することは危険に満ちていたからである。だから船が沈没して帰ってこなければ何も得られないとなる。でも無事帰ってくれば莫大な利益が入りで配分されるとなる。だから投資というのにわ危険がともなっているので

資本主義には何か投資するということが基本的にある。社会主義になると何かみんな平等になるということはあっても投資ということがなければ経済がどうしても停滞する。でも共産主義国家でも中国でも体制は共産主義でも経済は資本主義なのである。だから常に投資ということはされてきた。外国でも投資してきたのである。それは将来中国が人口も多いし国土も広いし発展することが成長することが見込まれたから外国でも投資してきたのである。

●老人は投資に向かない理由

ともかく人間にとって投資とは不可欠なのである。常に何かに向かって投資する存在なのである。でも必ずしも投資したからといってそれがそれがすべて利益となって帰ってくるとはならない。投資したものは利益は得られずただ損だけになってしまうこともある。農業にしても種をまいてもいろいろな影響で天候などの影響で収穫されないこともある。だから農業にしてもリスクがある。でもまず種をまいて育てない限り収穫は得られないのである。つまり人間にとって何かに投資するということは不可欠なのである。資本主義とはそうして投資するということで成り立っている。でもなぜ今資本主義が行き詰まっているかとなると投資する先がなくなっている。

成熟社会となり投資する先が無い。インフラでも道路でもなんでも整備されればもはや投資することはなくなる。さまざまなものが整備されれば投資されるということがなくなる。だから投資先がないからオリンピックとか万博とかそんなものに投資しても無駄だとなる。それだけ投資する先がなくなっている。高度成長時代はいくらでも投資する先があり銀行でわ借りる人がいくらでもあり利子が7%とかついていた信じられない時代があったのである。その時貯金していれば貯金しているだけで金は増えていったのである。今や銀行に金を預けても手数料取られたりして増えることもない。だからなぜ銀行に金を預けているのかわからなくなる。銀行にしても金を貸す先がないのである。そこで資本主義自体が行き詰まり限界に来ているともされる

そして投資というときそれは必ず未来に向かっての投資なのである。だから投資という時若い人にわ向いている。でも老人になると未来がない。後は死ぬだけだとかなってしまう。すると投資するのも無駄となってしまうのである。老い先短いとかなるとかなり何か投資するということがむいていないのである。私の家は古い家なので隙間風が入ってきて冬は寒い。それで家を暖かくするには窓が重要だという時その窓を直そうとしても広い家なので金がかかる。
でももし若い人ならその家に長く住むのだから未来への投資として金をかかっても治そうとするだろう。でも老い先短い人だぞ家にしてもそんなに長くすまないとなり我慢して住むかともなる。つまり若い人の感覚と老人との間隔は相当に違っているのである。例えば老人の介護にしてもそれは子供が病気になって介護するのとは違う。なぜなら子供は未来があり病気になっても直れば長い人生を生きることになる。

ところが老人の介護はただ死ぬだけでありその間介護するということになる。そこに子供のように未来はないのである。だからそこに労力を費やしても未来は無いとなる。だから若い人が老人を介護するというのはそれが職業となるのは何か無駄に思えるのであ。老人を介護しても老人には病気でも治らない人が多いしただ死んでゆくだけだからである。老人が未来を考えて投資するということもしにくい。老い先短いのだから例えば種をまいても木を植えてもそれが成長するのに時間がかかりその木が成長して実がなるというまで待つこともできない。そのうちに死んでしまうということである。

でもこの辺で津波でまず松林が流されたがそこにまた松を植えた。その松は成長している。でもその松が大きくなるのは50年もかかるとなればとても老人はその成長した松を見ることはできないのである。だから老人には投資が向いていないのである。老人は投資これまで投資したもの成果として発表するのに向いている。例えば私自身が旅に費やしたとしてその旅のことを書けばそれも一つの成果である。これまで老人は経験したことをさまざまに語る。それも一つの成果であり実りである。でもこれから投資するということは老い先短いのだからできないとなってしまうのである。

●投資先がなくなるとき資本主義は終る

いずれにしろ投資というとき株式だけではない常に人間には投資が必要なのである。その投資したものはまた必ずしも実りともならない。でもそもそも種を蒔かなければ投資しなければ何も得られないことは確かである。だから投資にはリスクが伴うのである。教育にしても投資なのである。それで子供の時そろばんを習ったがそれも投資だったが今や何の役にも立たない。そういうことは投資にはある。投資したものはすべて実りとなることをとはならないのである。そこに投資の難しさがある。いくら投資しても時代の変化で実りとなるとは限らない。でも意外なことが投資して実りになることもある。だから投資というのは別に株式だけではない不可欠なものとしてあった。

ただ株式となるとその投資でもいったい何に投資してそれが何をもたらすのかだ投資した金が増えるということしかない。グローバル化して経済が巨大化すればもはやそれを全部見通すことなど誰もできない。だから現代の投資は投機となり資本主義の限界が生じたとなる。投資するにしても何に投資したものが何なのかとかわからない。ただ金を投資して増えるということしかないから投機になる。 一種のギャンブルにもなる。でもクラウドファンディングとかなるとそれは何に投資するかはっきりしている。こういうものを作って作りますよとして金を集める。その金を早めに払った人は安くその品物を買えるのである。だから何に投資しているのか明確に見えるのである。だからそれは投機ではないのである。とても株式市場時になると巨大であり投機になってしまうのでは。

そして資本主義が終わるというとき投資先がなくなってしまったからだとなる。今世界的企業であるGAFAは何か必ずしもものを作り出しているわけでもない。でもbeingイメージクリエーターとか言葉を入れれば映像が作られる。それはコンピューターが画家になり芸術家になったということでもある。だからチャットgptでも今そこに投資されるという時それが新しい未来を作り出しているからである。

でもそれは今までのものを作り出すとかインフラを整備するとかとは違っている。でもそこが巨大な利益を生み出しているというのも現代なのである。そこは確かにただ遊びの空間ではない金を生み出しているのである。だから今一番儲けているのはGAFAでありそこに人は投資するのである。確かなことは人間社会に投資はなくなることはない。ただ投資先が必ず変わってくるのである.
だから意外なものは投資して大きな利益を生むということがある。ただそれが何なのか分からないということもある。だから投資には常にリスクはつきものなのである


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2023年12月09日

お金の賢い減らし方―大江英樹の批評 【老人は共感する本ーただしある程度金の余裕がある人】


お金の賢い減らし方―大江英樹の批評

【老人は共感する本ーただしある程度金の余裕がある人】

●紙幣であれ貨幣であれ何なのか?

この本は金を増やす本はいくらでも出ている。でも金を減らす本はほとんど見かけない。人間はいくら金があっても金を増やしたいと思う。また人間はいくら金があっても減らしたくないのである。それはケチというより人間の心理なのである。だから金を減らすということは大きな金があるにしろ多少のお金があるにしろしたくないのである。それで金がタンス預金などで回っていかないから経済が停滞する。だからお金を減らす減らし金をもっと世の中に回すべきだとしている。お金は天下の回りものだという時それも同じことである。

そもそも金というのは紙幣というのは何か分かりにくいのである.貨幣物々交換が面倒だから生まれたというのは違っていると言う。紙幣は借用証書用の借用証書だとも言う人もいる。金の解釈はさまざまにある。なぜ紙切れなのに価値があるのかとなればそれ自体すでに紙幣というのは本当に紙切れになることもあるし実際にそうなったこともある。
だから今盛んに預金封鎖が行われるとか紙幣が紙切れになるとか言われるのはそのためである。銀行に貯金してでも利子はなく増えない。物価は上がり金の価値は低下している。物の価値が上がるという時ただの紙切れの紙幣の価値は下がる。本当の価値は物にあり紙幣は実際紙切れなのだから紙切れになってしまう。ただ小判とか黄金だったらばc貨幣自体に価値があるのだから紙幣とは違ったものなのである。

それで株というのは紙幣と違っている。

通貨というものはすべからくバーチャルマネーだと言えます
これに対して株式の方が実はリアルマネーなのです
なぜなら株式を持っているということはその会社の一部を所有していることになるからです
通貨という信用をベースにした実体のないものではなく会社の設備や人材という財産の所有権をという目に見えるものを裏づけにしているからです
お金の賢い減らし方

これがただ金を持っているのと貯金しているのと株を持っているということの大きな相違だとなる。会社の株を持つということは株主になるということはその会社の財産権と設備とか人材とかお所有しているということにもなる。ただ金を持っているだけではない。

●資本主義は自己増殖社会−金が金を生む

だから何か株式投資というのはギャンブルだとか言うが実際は違っている。株式投資というのはその会社のことをよく理解していなければできない。でもそれが複雑であり素人でわかりにくいから証券会社とか銀行でもその会社を投資先を選んでもらっているだけである。でも本当は会社のことを理解してその会社の投資するということはその会社の経営者と同じだというのも分かる。でも様々な会社がありそれを理解することは難しいから証券会社とか銀行に頼んでしまうのである。

ともかく確かなことは資本主義社会が「資本が自己増殖する」社会だという時金でも常に金が金を生むということにならない限り成り立たない
だから高度成長時代は銀行に預けていれば利子が7%とか信じられない時代であった。その時銀行ではただ金を貸せばいいだけだったのである。いくらでも金を借りたいという人は会社があってそこから利子を取ればいいだけだったのである。その利子を貯金をしている人に回せばそれだけでよかったのである。でもそれがなくなると貯金しても利子がつかないということは何のために貯金しているかも分からないのである。

だからむしろある程度金ある人はそんなところにただ置いておいても金は有効に働かない。だから金を社会に回すということを言っているのだと思う.
ただかなにしてもそんなにただ減らすただ減らすだけで増えないとしたらいくら金があっても普通はそんなことをしない。それより今そんな金を持っている人は少なく70になっても汲汲として働かざるを得なくなっている。だからこの金を減らせというのはある程度余裕ある人に言っていることである。普通の人には人には関係ないかもしれない。ただタンス預金をしていても金は回らないことは確かである。

●お金は感謝のしるしにはなっていない

そしてお金は感謝のしるしだという時それを現実の経済活動ではそんなふうにはなっていない。誰もスーパーで物を買うにしてもただ値段を見ているだけでありそこにその野菜でありあれ果物であれ作った人など誰かも分からない。どんな苦労して作ったのかもわからないのだからどんな人が作ったのだからわからないのだから感謝のしようもないのであ。ただ値段だけを見ているだけである。ただ大工さんとか家の設備を作る人は直接家に来て対面的に関わるから感謝するということがあった。それは目に見えて目の前で仕事をしてくれた人がいたからである。でも物を買う場合そういうことはないのである。

そして感謝というとき例えば売る方にしても100のものを100で売れるより2000売れた方がいいとなる。例えば100円で買ってくれた人がいくら感謝してもそんなことは通じない。売る方にしてみれば200円もらった方がいいのであり感謝など必要ないともなるのである。第一貧乏人は果物でも高くなると買えないのである。もしあなたが貧乏だからあなたには安くしてあげますよとなれば買う人も感謝する。

でも現実社会ではそんなことは絶対にあり得ないのである。例えば金持ちには高い物でも売れる。でも別に金持ちはそれを買ったからとして感謝などしないのである。むしろ感謝してくれという方なのである。だから売る方では必ずありがとうと言っているのである。でももしかしたら金持ちには高くして貧乏人には安くしたりすればその貧乏人は作った人に感謝することは確かである。でも現実の市場経済活動ではそんなことは絶対にあり得ないのである。だから金は感謝のしるしだというのはほとんど成り立っていないのである

そもそも感謝といってもそれはあくまでも心であり直接に伝わることはない。そして現実の社会ではそんな感謝より具体的にその感謝を示すものを要求されるのである。それが金であり金を多くもらえば作る人は提供する人はそれが報酬だとなるのである。だから別に感謝などはよりは金の多寡で全ては決まってるのは現実社会である。ただ感謝するということが悪いことではない。ただ現実問題として経済活動でそういうことは通じないということであ。ただ著者が言っているのは金にある程度余裕があるのでそういうことを言っているのだと思う。

でも人間の心というのはこならず必ず具体的な行為となって現れる。例えば介護とかになると病人の世話で世話とかになると愛がないと簡単にできない。確かに病院では医者でも看護師でも体を診ているがそこに愛があるとはならない。だから看護師自身が家族のようにはなれないと言っているのである。家族なら確かに医療行為はできない愛はある。その愛が大事なのである。

その愛が病気とか介護になると必ず必要でありそれは欠かせないものなのである。例えば医療行為はできなくてもただ見守っているだけでも愛がそこにありそれは愛がない人にはできないのである。それを自分自身は家族もいなくなり痛いほど経験したからである。その人は私が手術する時ただそこに居るということさえ嫌っていた。は何もしなくてもいいのだがいることさえ見守ることさえ嫌がっていたのである。

その人には全く愛がなかったからである。私のところに来た人は介護に来た人は全て何の愛もなかったのである。ただ金がほしいというだけの人だったのである。ただそれは実際は恐ろしい事だったのである。つまり愛が人間愛がないとしたらもう関わるべきではないとなってしまう。つまり人間の本心というのはどこかで必ず現れてくるのである。それが恐ろしいことなのである。だからダンテの地獄篇でもまさに人間の本心が現れた世界でありそこが地獄なのである。その地獄を自分は経験したのである。それはまた自分と自分の家のカルマでもあったとなる。でも実際はこの世こそ地獄なのである。その地獄を経験したのである。

とにかく感謝するということは大事なことである。それは必ず何らかの行為となって現れることがある。何か金が払えないとしても物をもらったとき感謝すればそれをいつか何かその人に行為となって現れる。何か困ったときやはり今度は助けてくれる人になるかもしれない。だから私は感謝を否定しているのではない。ただ現実経済活動でそうした感謝ということが無視されているというだけである。

●思い出が最後に残る価値となるのわかる

この本で思い出が一番価値あるものとなるというときそれは老人にならないとわからないことである。そして思い出というときたとえばに人ならやはり時間に比例しているかもしれない。一緒に長く過ごした時間お共有した人が一番思い出の人となる。それが家族の思い出である。でも家族でもやがて子供たちは育ってゆくそして家を離れてゆく人も多い。すると共に過ごす時間がなくなる。そうなるとやはりいくら家族でも疎遠となってしまうので

私の場合は特殊な事情で子供の時から60歳までも一緒にいたから特別二人の親に以前死んでからも依然としてそれが思い出となり忘れることができないのである。その理由は長い時間共に過ごしたことでそれが思い出となりそうなったとなる。だから夫婦でも熟年離婚っていうのは相当に損であるなぜなら人間には限られた時間しか与えられていない。すると長い時間を共にした妻でも別れて60過ぎからまた誰かと近しくなりということが難しくなるのである。

その最大の理由は人間はそんなに時間は与えられていないということである誰かと一緒に過ごすにしてもそれは極めて限られた人であり多くの人と時間を共にするということはできないのであるできないからである。だから時間の価値というのはお金の価値よりも大きいものだったともなる。なぜならもう時間は取り戻せない。青春時代もう二度と帰ってこない老人は金があっても病気になったでしたら何もできなくなってしまうのである.そして人間は何かをするチャンスを常に逃してそのチャンスにもいろいろある。勉強するチャンスとか旅をするチャンスとか善行するチャンスとか金を得るチャンスとか恋愛するチャンスとか友情を作るチャンスとかさまざまなチャンスがありそれを逃しているのである。

だから留学などは金がかかるからしないしないとかしているとあとでできないってその留学の体験というのは相当に価値があるからである。つまりこの本でも言っているが体験会見することがもっとも価値あることなのである。その体験した思い出が価値あることだと老人には否が応でも分かるのである。なぜならもはや老人は体験ができなくなるからであるいくら金があっても過酷な外国旅行とか他の事でも登山とかそうしたことはできなくなる。ただ過去に体験したことを思い出すだけになってしまうのである。








posted by 天華 at 17:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年12月10日

海を見ていた工事に来た富山県の人と語る 【太平洋、日本海、瀬戸内海でもその相違は大きい】


海を見ていた工事に来た富山県の人と語る

【太平洋、日本海、瀬戸内海でもその相違は大きい】

●太平洋と日本海の相違

日本海には、暖流の対馬海流と冷たい海流のリマン海流が流れています1. 対馬海流は、黒潮の一部が対馬海峡から日本海に入り、日本列島の沿岸を北に向かって流れます。その一部は間宮海峡をこえて、さらに北に向かい、シベリア大陸の沿岸を流れます。ここで冷やされた海流が、やがてリマン海流として日本海を南に向かって流れます1.

日本海側にも対馬暖流が流れていますが、黒潮に比べると流量は約1/10、流速は約1/4しかありません。日本海が荒れるのは季節風の吹く冬の期間だけ。この穏やかな海を利用して開かれたのが、江戸時代終わりの「北前船」です

富山ナンバーのバイクがあり海を見ている人がいた。その人はすぐ近くの御刀神社の堀を治す人であり田んぼの区画整理でも仕事する人であった。それを毎朝海の方に向かって自転車で行くので見ていたのである。ただ富山ナンバーということは富山県でありちょっと珍しいと思って話しかけた。
その人は工事でも浪江とかなると倍の値段で請け負うという、つまりそれだけ依然として原発事故で避難区域になったとことは国から特別金がでているとなる。その額もまた大きいのである。

何か釣りのことを話して日本海の魚は小さいと言っていた。そうなのかと思った。日本海と太平洋の広さはあまりにも違っているからである。ただ日本海だと潮の流れが見えるという時やはり太平洋とは違って狭いから見えるのかと思った。ただ潮の流れというのは普通はわからないと思う。ただ与那国島まで船で行ったときそこから黒潮が流れているということを聞いたときここから太平洋のいわき市あたりまで流れてゆくのかと思った。

黒潮は南からの魚を運んでくる。でも親潮は北の魚を運んでくる。その潮目となるのはいわき市あたりなのである。親潮が運んでくるのは魚も大きく味がいいとなる。一般的に北の魚の方は大きくうまいことは確かである。南方の魚はそれほどうまいとは言えないからである。

その人はおそらく釣りをしている人なのだろう。だから魚のことから釣りのことを聞いた聞いてきたのである。釣りというのはなかなか自然に通じないと海の事でも魚の事でも知らないとできないのである。それは川の魚でも同じことなのである。だから釣りをしていた哲学者がいてそれを語る語り本を出している人もいる。それだけ釣りは自然と通じることでありそれで釣りに見せられると言うのも分かる。

●土地の人に聞くことが重要

ともかく海外行っても太平洋と日本海では相当に違っている。太平洋は日の太陽が昇るところであり日本海は太陽が沈む場所である。その違いは相当に大きい。いつも日が昇る太平洋を見ているのと陽が沈む日本海を見ているのでは感覚的に相当に違ってくる。まだ韓国から見ると日本海は東海となり日が昇るところなのである。その相違もまた大きいのである。つまり人間はそれぞれの住む場所で地理とか地形の影響必ず受けている。でもなかなかそれが分かりにくい。だから旅することが実感することであり重要なのである。そして何かちょっとしたことでも地元の人に聞くことが有効なのである。日本海の魚は小さいというときそうなのかなぜなのかとなる。それだけでも何かその土地のことを知ることになるのである。

それで失敗したのは私は旅をして地元の人もあまり話さないからその土地のことについてよくわからないままに去ってしまった事が公開される。その点柳田国男とかは土地の人と途中から話を聞くことがうまかった。それが学問の出発点となった。柳田国男は文献として残っているものよりその土地土地に伝えられたものを口碑として重要視して民俗学を起こしたからである。何でもやはり土地の人に話を聞いてそこから学問起こしたとなる。つまりその土地のことはちょっとしたことでもその土地の人から聞くことが重要なのである。必ずそこには土地の人しか分からないことがあり土地の人からその場に立って直接聞くことが重要なのである。ただそれは簡単にはできない。みんなそう何かを教えてくれるわけでもないからである。宮本常一もまた全国を回りそうして土地の人から直接話を聞いてその体験から民俗学を発展させた。

ともかく海でも瀬戸内海とか日本海とかありそれは太平洋とは相当に違った海なのである。潮の流れというとき瀬戸内海は確かに潮の流れがわかる。島々の間を確かに潮が流れている。だから何何水道というとき水の道だとなる。瀬戸内海で驚くのは大きな船が島々の間を航行していることである。だから大きな船が迫ってきた時驚いたのである。この辺では太平洋の沖にいつも二三艘の船が見えるだけだからである。大きな船がそれですぐ近くに迫って来て通って行った時驚いたのである。ただ大船渡市でも大きな船が出てゆくのを見たとき感動したのである。まさに大きな船が渡る市にふさわしとなる。つまりこの辺では大きな船を近くで見れないからそうなったのである

●海を知ることの難しさ

とにかく海を知るということは魚を知るということから海を知るということにもなる。今年は一匹の鮭も上って来なかった。それはこの辺だけではなく温暖化なのか海に異変があり鮭が昇って来なかったのである。北の方では昇って来たところがあっても南になると昇って来なかった。これも何かしら温暖化とかがあり海に異変が起きてそうなってしまったのである。ただ鮭はもともと北の魚でありだから海の温度が高くなればあその変化が受ける。それが原因になったということは推察できる。

ただ海のことを知ることは容易ではない。津波でもなぜこの辺で海老村は高い所にあったのに津波によって流されて消失してしまった。それは海の底と関係して津波が陸地の高いところでも関係なく押し寄せたためである。そのために崖のある高いところに津波の避難場所としてして指定していたのだがそのためにそこに逃げた30人が死んでしまったのである。だから津波のことは専門家でもわからなかったということである。別にそこに逃げなくてもすぐ近くに50mでも歩いて行けば安全地帯があったからでる。

いずれにしろその土地のことはその土地の人でないとちょっとしたことでもわからないのである。旅をすれば必ず道でもわからなくなる。その土地の人にとっては分かり切ったことでも旅する人には分からないのである。だから必ずちょっとしたことでも聞くことが土地の人に聞くことが大事になる。でもその土地の人でも道すら簡単には教えない。だから今はみんなスマホの地図を見ているのである。ただ確かなことはちょっとしたことでも土地の人から話を聞くときなるほどとわかることがある。でもそれは普通は簡単にはできない。だから私の場合は旅をしたとしてもそんなに土地の人と話しないから失敗したとなる。何か旅をするとすでにその土地の人に話を聞くというより風景でも変わっているからそれに見とれているだけになってしまうのである。

例えば相馬藩には飢饉の時1/3がいなくなり欠け地となった。そのために越中とかから富山県などから移民を募り土地を開墾させたのである。その子孫が三分の一もいる。このことは富山県とは歴史的に深い関係があるともなる。それは墓地を見れば一目瞭然なのである。なぜなら必ず南無阿弥陀仏と記された真宗の墓がありそれではっきりとその子孫がここに依然として多く生きているということがわかるからである。ただその人は工事に来ただけでありそういうことには関心がない。でもやはり富山県だということで関心をもったのである。何か別にその人が知識人でなくてもこならず土地の人はその土地について何かしら語ることがあるということである。それは必ず参考になるのである。
posted by 天華 at 13:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層