2023年10月24日

イスラエル民族主義が問題の根源にある 【石を投げて戦うガザの人たちはゴリアテと戦っているのか】

イスラエル民族主義が問題の根源にある

【石を投げて戦うガザの人たちはゴリアテと戦っているのか】

●新約と旧約聖書の相違

旧約と旧約の相違はなになのか、それが今回のイスラエルの問題でも関係している。神の民としてのイスラエル民族主義がありそれを実行すれば異民族は滅ぼされるべきだとなる。現実に旧約聖書では神に逆らう者は滅ぼされてきたからである。それはその民族を根絶やしにする絶滅させるという徹底したものだったのである。

それが旧約聖書の記録なのである。 ヘブル人が神に選ばれた民である。だからこそ神の味方する。政教一致になるとそうなる。日本だって神国となって特別天皇を神として神の国だと戦争に負けないとかなって3百万にも死んだのである。それは75年前であり遠い昔ではないのである。何故そうなったかのかとなればそれは政教一致だからである。宗教というのは創価でも何でも政治と一体化するのである。神の民となり仏の民となり政教一致となり時の政権を奪取することに向かう。そして反対すると罰当たるとか地獄におちるとか言って批判は許されないのである。

政治とは妥協の産物である。でも宗教は妥協するということはない神は絶対であり仏も絶対でありそれに逆らうことはできない
逆らう者は徹底して攻撃して排除するとな。だから何か妥協するということはないのである。
要するに今回の問題の根源に民族主義があり選ばれた民としてのユダヤ人がありパレスチナ人は民族も違うしまたアラーの上神に祈っているとしてもそれをまた一神教としては同一だがエホバの神ともまた違っている。

つまり民族宗教となるときある民族が優秀でありその民族に支配されなければならない。それがナチスにもなった。アメリカでも白人が一番優れているから白人至上主義になり必ずある。でもどうして白人は皆優れているのか。確かにその中には優れている人もいるわみんなが優れているわけでもないのである。
ある民族が特別すぐれていて神に選ばれた民でありそれを尊ばねばならぬ。それがヘブル人の信仰であり思想である。キリストが現れて新約の時代になるとまた様相がかなり変わってしまった。実際は黒から白になったくらい変わってしまったのである。キリストの信仰は民族主義信仰ではない。ヘブル人が優秀だとして神に選ばれたということではな、なぜキリストが十字架についたのか。それは当時民族派がいてヘブル人の党派に属さないから殺されたとしている。

●キリスト教は人道を重んじる宗教

キリストを通じてヘブル人の宗教でも万人に普及したのである。

【心の清い者は神を見るだろう】

その前にどの民族とか誰かとか選ばない。白人か黒人かとも選ばない、それは人類個々人に当てはまるのであり民族とは関係ないのである
それはヘブル人に限定するものでないから普及したのである。例えば宗教の違った人がイスラム教でも苦しんでいる人を見ればかわいそうだと見て助ける。でも宗教が違っているからといって助けないということはどうなるのかとなる。
つまりキリスト教徒は人道的宗教なのである。人道を一番重んじているのである。その最たる言葉が教えが汝の敵を愛せよということであ。敵でも愛しなさいということを教えたのでだからある。ガザであれだけ苦しんでいる人たちがいるのに宗教的理由から肯定されるということはキリスト教徒だったらありえないと思う。
もちろんユダヤ人の被害も大きかったのだから恨むのはいやむを得ないと思う。それが旧約の時代ならば相手の民族殲滅するとなる。だからイスライルで起きていることは旧約時代の再現なのである

そして旧約聖書でも神は必ず弱い者の味方のなのであ。それが象徴されているのはダビデがゴリアテを石を投げて勝利したことである。相手は強力な敵だったのだが簡単に一つの石が当たって死んでしまったのである。それで思うにはガザではこれまでイスラエル軍にそうして抵抗してきた。それが若い人でも石を投げて抵抗していたのである。武器がないからそうしていたのである。ガザの人たちは弱い人たちなのである。

でもイスラエルは強力な武器があり軍隊を持っていたのである。ただ前の中東戦争でそうではなかった。周りがみんなアラブ人が敵と化してイスラエルに襲ってきたのである。でもイスラエルは勝利したのである。イスライルは四方をアラブ諸国に囲まれて弱い存在だったのであるでも勝つことが出来たのである。そこに神が加勢したともなる。

●日本民族主義と結びついた日蓮の信仰団体の危険

でもその後は強力な軍事国家となりアイアンドームとか鉄壁の守りを作り備えた。でもそれも破られたのである。その原因はあまりにもハイテクに頼った結果だと評している。ここに現代の盲点があったのである。とにかく今やイスラエルはゴリアテであり石を投げるガザの人たちがダビデなのかと見てしまう。だからイスラエルに神は味方するのかと疑うことにもなる。
いづれにしろ民族宗教というのは危険なのである。ナチスとかもゲルマン人が一番優秀だからとあれだけ悲惨な結果になった。日本民族主義でも日本は神国でありだから必ず勝つとなりそして300万人も死んだのである。民族宗教というとき日蓮主義は危険である

日本民族主義であり戦争の時もやはり日蓮主義があったからである。今でも日蓮系統は創価であり顕正会であり国粋主義であり民族主義であり政教一致だから危険なのである。それらどうしても過激になる。
だから政教一致というのは災いの元になる。それを見過ごしていると大惨事になるということである。宗教とならば妥協というのはない。絶対だから従うか従わないかになる。そこで政治的に妥協するということはなくなるから苛烈になり犠牲者も多くでる出るのである
いずれにしろ汝の敵を愛せよといったキリストと旧約の民族的宗教とは違ったものである。そこが混同しているのである。

とまかく世界のことでも力だけでは解決しない、一見解決したようでも怨恨が残りまた争いが再発するのである。
アメリカがしてきこたは力の解決でありそれで失敗したとして反省している。つまり力では平和は来ない、それはキリストがいていたことでありそれがキリスト教徒でも実行していないのである。
posted by 天華 at 17:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層