2023年10月01日

青春時代は出発点であり人生の方向を決めるから大事 (人間は失敗するのは最初に方向を誤ることーそして引き返すことができない)

青春時代は出発点であり人生の方向を決めるから大事

(人間は失敗するのは最初に方向を誤ることーそして引き返すことができない)

●若きときに神を覚えよ

ドラマで金持ちの家同士が意に沿わなくても政略結婚のようなことした。それは戦国時代でもその後もあった。でも現代ではそれは強制できない、別に親に反対もできる時代である。
それであとでいろいろ問題が起きて事件が起きた。人間は出発点が悪いと必ずその後に問題が起きてくる。その出発点になるのは青春時代でありそれでそこで方向を誤ると人生をの後悔するともなる。 青春時代は出発点でありそこで間違うと一生が間違った方向に行ってしまうともなる。

ただ若いときは先が見えない。何か時間が無限にあるように思えるので。だから若い時したいことをして欲の赴くままに生きるというのも普通にある。ただその青春の時代を実際はあっという間に過ぎる。それも一瞬の輝きだったとなる。それは女性にも言える。その若さは美は儚く30過ぎるとおばさんとかになってしまう。だから親はその美貌もすぐに色あせてくるから婚期を逃すから早く結婚しろとなるのである。

若きうち神を覚えよ知れという時それがなぜ大事なのか。神を覚える神を知るということが若い時しかできないからだとなる。別に年とってからの方がいろいろ経験を積んで聖書でも深く読めるしいろいろ理解するのだから別に若い時でなくても神のことを知るということはできると思う。でもそれができないとなればいかに若い時の時間が重要だったかあとで知る。でもその時遅しとなっていたらどうなるのか、もう時間を元に戻すことはできない

●カルト二世は親にすべて決められる

それは神を知るというだけではない就職するにしても何をするにしても青春時代が出発点になる。そこでその出発点が誤ると一生誤ってしまうともなる。それは怖いことである。だからカルト宗教の二世問題とかが深刻なのである。その人たちの一生がすでにもう生まれた時から決められていたとはである。その方向は親によって決められそれ以外考えられないとなっている。そういう家族では親に反抗するということは相当に難しいからである。
その人の一生は全く親に決められたもの以外ないないのである。そういう人は別の道があることも全く分からない。そしてそのカルト宗教団体について疑問も何もない。ただおかしいと気づいても目をつぶるのである。
なぜなら親の言うとうりになっていれば親からもほめられるしそれは家族のためになっているのだから家族に反抗するようなことはできない。そこにカルト宗教二世の深刻な問題がある。そういう人は親の言いなりになりその集団組織の完全な一員となり何ら個性を発揮することなくロボットとして奴隷として終わる。

その集団組織に従属して何一つその人が生きる個性も示すものことなくただハイルヒトラーで教祖を偶像化して一生を終わってしまう。これも恐ろしいことである。それもなぜそうなるのかといえば出発点が悪いからそうなったのである。だから青春時代は出発点でありその行く先が方向が決まってしまうから大事な時なのである。方向が間違ってしまえば北に行くのではなく東に行けばよかったとか言っても人生の場合は簡単に方向転換できないのである。

●なぜ大学選びが大事になるのか

なぜ大学選びが大事になるのか。それは大企業などでは選別するのにやはり大学を見ている。マーチから上でないと履歴書を見てすでにそこで選別されて入社できない。そこからしてやはりすでに差が出てきて生涯に影響する。もちろんそれが人間を全て決めるものではない。でも大企業に入るものと入れないものの差がすでに若い時にできてしまうということである。

ただそれから一流の大学を出ても会社に入って仕事ができないとかなりニートになる人も居る。だから学歴ですべては決まらない。社会で仕事ができるかできないかは必ずしも学歴では決められない。
でもそもそもが出発点で大企業に入れないとしたらその差が将来的に大きくなってしまうのである。ただ大企業でもそれがすべて価値を決めるというわけではない。人間の価値はあまりにも多様だからである。だから別に大企業に入らなくても自分自身の価値を作ることはできる。私自身は底辺でて社会から外れてしまったから出発点がそうなると一生社会から外れた人生になる。

でも逆にそのために自分自身の興味あること関心のあることを故郷で追求してきてきたのである。その成果をブログで出しているのである。ただそれは例外的なものであり特殊であり普通はやはり大企業に入るものと中小企業や底辺層になるのは相当な差になる。だ
から氷河期というのはその出発点でまともな会社に就職できず非正規になってしまったから45とか50過ぎて非正規であり結婚もできないしもう60になったら働くことさえできなくなり年金もわずかでありそれが今度は国の負担にもなる。
それは出発点から悪いからそうなってしまったのである。だから出発点が悪いと誤ると氷河期世代のように結局その人たちでも国家でも問題を抱えることになるのである。

●人間は先を見れない

ただ正直人間は個人でも組織集団でも国家でも先を見ることはできない。一時的にカルト集団でも創価などでも会員が爆発的に増えたことがあった。でも今になるともうその熱狂は終わり会員は増えることはないし衰退するだけになってしまった。そういうことは時代的に常にありあれだけ興隆していたのに衰退してしまうことがある。

七つの海を制覇した大英帝国でも今や小国に戻ったともなる。だから時代の変化で人間はその先を見ることができない。それで日本でも高度成長時代がありその後に失われた30年があった。その期間も本当に長かった。給料も上がらないそして今や円安で物価は上がり日本は世界でも実際は先進国ではない貧困国家になってしまったのである。 IT化に遅れ頼む日本は依然としてハンコとか戸籍とか保証人とかが必要であり何か自由に経済活動出来ない国であり改革できない国だったのである。

今や日本は高度成長時代は日本がすごいということばかり言われ日本は今や何でも悪いことしか言われないのである。その代わり方も激しかった。ともかく青春時代2は人生の出発点だから重要なのである。そこで方向を間違うと一生誤ることになる。だから大事なことは何か目先の利益だけではない何か未来にを作るものを志すということでもあ。それで立志式というのはあったということはそのためだったとなる。志すことが悪かったら一生もやはり悪い方向に行ってしまい一生を誤ってしまうのである。

●なぜ14才で立志式があったのか

14歳を祝う行事。
・奈良時代の「元服の儀」が由来。
・将来の目標や夢にして誓いを立てる。

奈良時代から立志式があったということはやはり時代が変わっても人間は変わらないことがある。まあ14歳となるとやはりその年頃でもうすでに将来に対して志を持つことが大事なのである。
私の場合はちょうど14歳に父親が死んだからそれ以来なぜ人は死ぬのかということが頭から離れなくなった。それで求道をしていたのである。その入った先はカルト教団でも私の志は目的は死の解決だったのである。でもカルト教団などはそうかでも他でもそういうことを問題にはしていない。
なぜなら社会で勢力を持ち権力を持ち知恵や名誉や金持ちになりたいというだけだったからだ宗教や信仰など追及はしていない。だから私は学生時代に辞めたのである。
つまりそういう場所で運動している人はこの世の栄華栄誉とか金持ちになりたいというだけである。そうしたギラギラした欲を持つ人たちが集まる場所なので。だからまともな人だったらそんなところに居ることはできない。

ともかく人生の出発点が誤るとその後の人生も誤った方向に行ってしまう。とても人生は短いから引き返すこともできないしやり直すこともできないのである。その深刻さが分かるのは老人であり老人は別に学がなくても何であれその人生の結果を否応なく示されるのでは。
俺の人生が無駄だったとかむなしいとかみんなになってしまっているのである。それは出発点が悪かったからである。ただこの世の栄耀栄華を目指してなんとか他者より優れていることを示したいとかそういう動機が悪かったともなる。

そしてその結果を老人になれば変えることはできなくなってしまうのである。何か方向を変えるのは若いうちなら出来るが30くらいすぎるともうできなくなってしまうのである。それだけ人間には充分な時間を与えられていない。だからチャンスにしても一回だけだとか結婚するにしてもその人が人を選ぶというよりたまたまちょうど若い時に出会いがありそれで結婚したという人も多い。その人がどういう人なのかとなど簡単に分からない。

というより人間には十分に相手を見たり考える時間がないのである。それより先にあるのは性欲でありそれゆえに交わり仕方なく結婚したとかも多い。そして1/3も離婚しているのはやはり十分に相手を見て選ぶ時間が人間にはないのである。
要するに人間はたちまち老いてしまう。そしてみんな後悔しているだけだる。どんな人でも後悔しない人はいない。たとえ恵まれて大企業に入ったとしても結局社畜だったとか言う人も多い
だから若き時神を知れということになる。若き時に神を求めよとなる。でもカルト教団は一切そういうことは教えないし求めていない。この世の栄耀栄華を求めているだけである。世俗社会より異常なほどにこの世の栄誉栄華を達成することをだけを求めているのである。だから仏法であれその教義とは正反対のことを追求しているだけなのである。だからなぜ宗教を看板にしているのか全く分からないとなる。


2023年10月02日

空き家1000万軒にもなる (個々人では解決しない社会全体の問題になっている)


空き家1000万軒にもなる

(個々人では解決しない社会全体の問題になっている)




●家は思い出があり愛着があり簡単に壊せない個々の事情がある

空き家のことをNHKで放送していた。10年後20年後に1000万戸が空き家になる。それも都会でも空き家が増えている。その空き家の処理をどうするか問題になる。空き家の問題は簡単に壊せないとかある。そこでその家で育った人がいて愛着が生まれている。家というのはただの建物ではない。箱ではない。そこで人が暮らした歳月があり営みがありそれが思い出として家がある。
だから問題なのは家というのは単なる建物というのではない。その家で暮らした人間の思い出がその家と共に宿っている。物がありその物に心が憑くとなる。物は単なるものとしてあるのではない。物心がつくという時も物と心は一体なのである。仏教で言えば色心不二となる。、物と心は一体なのである。それは東洋的思想だとなる。

そこで家という建物はハードでありその建物どういうふうに利用するかがソフトだという。その利用方法があるのだがそれはソフトだから何かアイディアが必要でありそれが問題になっている。
でもリフォームするとそれは使えるし今中古物件が売れているというのも分かる。そのリフォーム代を不動産屋が金を払ってしている。若い人たちが安い家を買えるのだから人気になるのもわかる。ただ都会の空き家と地方の空き家問題とは違ってくる。
東京でも一部では五軒に一軒が空き家となるという。だから東京というのも全体的に縮小してゆくのかとなる。そしてやはり今までは地方から集まってきた若い人たちがすでに老人になっている。そしてやはり高齢化して老人が増えてくるのである。

●空家問題は市町村で社会全体の問題

この空き家問題は個々人の家の問題でもあるがこれだけ空き家が増えるということはそこに住んでいる周りの人にも相当に影響する。だから自治体でも放っておくのではなく関わらざるを得なくなっている。火事とか誰かが勝手に住むとか犯罪の温床にもなる。アメリカではやはり自動車産業が衰退して街自体がすたれてゆく街を紹介していた。そこでは市が積極的に関わり都市計画として空き家を壊してそこを農地にするとか公園にするとかして都市全体の問題として関わる。
つまりこれだけ空き家が増えるということは個々人の問題でもあるが公共的な問題にもなっている。

また東京都心から埼玉県の方にニュータウンができた。そこから東京都心の都心へ通う住宅地であったがそれも空き家化している。そしてなんとかゴーストタウンになるのを防がなければならないとして対策を考えている。
この辺では原発事故で避難区域になったところは実際に空き家だらけであり街自体がゴーストタウンになったのである。今でも空き家だらけでありそれも壊されている。
最近私の家私の住んでいる近くでも四五軒が壊されてそこが空き地化したのである。町の中でもやはり家が壊されて空き地化しているところがある。

ただこの辺では原発事故で避難区域になったところから移住してくる人も多い。そこで新しい住宅地が四つくらい生まれた感じになる。そして不動産会社でわ土地を整備してその土地を売り住宅さらに建てようとしている。それは原町にも原発避難区域から移住してくる人が多いのである。
だから空き家が増える日本の地図を見るとき南相馬市は空き家が多い場所になっているのは当然である。でもなぜいわき市の方がもっと空き家が多いのだろうか。いわき市には原発避難区域から移住した人が新しい家を建てて近隣ともめたことがあったからである

●いわき市はなぜ空家が多いのか

グラフで見るいわき市の居住世帯あり住宅数は多い?少い?(推移グラフと比較)

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いわき市は原発避難区域からの移住が多いからこういうグラフになった。いわき市は面積が広いから農村地帯もありそれで空家も多いが原発避難者が二万人とか移住して補償金で新しい家を建てたので地元の人もめたのである。

ともかくこの辺は原発事故と津波の被害で海岸地帯の村が消滅したりその変化が激しかった。もし津波と原発事故がなかったらこんな大きな変化にはならなかった。それでもやはり少子高齢化になり空き家はどこでも増えた。それで原発避難区域とかは帰った人もいるがその人たちは老人が多いからまた周りは空き家だらけでありそういう町が維持できるのだろうかとなる。
そこで暮らすのも不便になる。だからいわき市であれ南相馬市でも相馬市にでも移住した人が多いのである。それだけの補償金をもらったからである。

だから原発避難区域になった街は維持できなくなりいわき市とか南相馬市とか相馬市でも移住するようになった。だからそこで減少している人口が歯止めがかかったともなる。
そのことは何を意味しているのかというと人口減少の時代には小さな町とか村が維持できなくなる。それで山の中の村の人を介護とか医者とかでも回るとすると2時間もかかるとかその手間が大きいのである。それが昔のように医者にも見てもらえないとか手厚い介護などしないという時代ならばそこに住むのも良い。

でも今のように手厚い介護とか医者にもかかりたいというとき山間部のような村は一軒一軒回るだけで2時間もかかるとか手間になるのである。そのような村では昔は救急車も来ない。そして子供を医者に診せるために背負って峠を越えていこうとしたら死んでいたとかいう話もある。
でもそうなってもその時代なら諦める他なかったのである。今になるとそんなことはできないとなりそういう僻地の村には住みたくないともなる。でもやはり今の平均的なサービスを受けるとしたらやはりそれだけの手間と金もかかってしまうのである。

●老人は仮設住宅でいつも話し相手がいて良かったという

何か原発事故でこの辺では仮設住宅がいくつも作られた。その時住居も狭いから隣の生活の音が聞こえたり嫌だという人もいた。
でも山間部の辺鄙なところに住んでいた人がいつも近くで話し相手がいていいという女の人もいたのである。確かに山間部だと街から離れていると一軒一軒も離れているから気軽に会えないとはなる。でも仮設住宅だったらいつでも会えるという便利さはあり女の人はいつも話し相手があるとか良い面もあったのである。
どちらかというと老人はそうして離れ離れになっていると孤立しやすい。でも長屋のようなところで集団的に暮らせば返って常に身近に話す人もいて親しい人もいるというとき安心するかもしれない。何か介護となるとき近くが良いのである。それは相馬市に娘がいても隣の市に娘がいても車で15キロくらいあるとやはりなかなか簡単にはこれなくなる。

だから車がない人は一日一回でもいいからバスがでるといいと言っていた。その人は脳梗塞になり自転車に乗れなくなって歩いてスーパーに行くほかなくなったからである。飯館村では大倉の隣の木戸木(ことぎ)に住む老人がそういうバスを利用している。
いくら車で近いとしてもすぐ隣だったら行けるし様子を見にに行くこともできるしまた別々の家でも近くだったら何かおかずを作ったら持って行くとかそういうこともできる。
でも田舎だと離ればなれになって暮らしているし買い物でも街から離れるとどうしても車が必要になるのである。だから車がない人は相当に不便になるのである

●空家で庭の方が価値あると見た

ともかく空き家がこれから1000万軒にもなるという。この数は半端ではない。それをどう利用するのかということは社会全体の問題になる。そしてそれをほっておくのももったいないとなる。だから不動産会社でリフォームして若い人向けに住めるようにしたのはよかった良かった。でもそういうことができるのは東京とか大都市になる。地方になるとなかなか仕事もないから若い人も住みにくいとなる。
私が空き家で注目したのは庭である。近くにも本当にいい庭があった。その家はあまり良いと思わなかった。何か古くなってそこには住みたいとも思わなかった。でも庭が立派でありその庭を活かす方法があってもいいと思った。
でも所有者がいるのだから勝手にはできない。そこを近くの人が集まるような場所にしてもいいとかなる。それも個々にに対応しなければならないから面倒になる。そこには必ず所有者が居るからである。
その所有者がと交渉しなければならないから面倒になるのであるそれで自治体で積極的に関わり空き家を生かす対策をするようになった。でもその家でも空き家でも物置にしたいとか思い出があるとか個々にに違っていて対応が難しいのある。


死者が帰ってきても寄り憑く場がない(詩)

死者が寄り憑く場所としてやはり家がある、その家がなくなると死者はどうなるのか、墓になるのか、墓は家がなくなっても残っているからである。
本当に空家でも幽霊が住んでいると感じる。やはり家とはそれだけ単なる物ではなくなている。だから家を壊してしまうと何も残らなくなる、死者が寄りつく場所がなくなるということである。

posted by 天華 at 17:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年10月03日

遠野の地名由来 (地理は地形を知り境界を知るー関ケ原、区界(くさかい)など)


遠野の地名由来

(地理は地形を知り境界を知るー関ケ原、区界(くさかい)など)


●遠野の地名

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(1) 閉伊の先、閉伊の奥の意味で呼んだ汎称「遠閉伊」の野原という意味
(2) 山間の遠い野
(3) アイヌ語のト(沼)ヌプ(野)
(4) 「東野」の意味で東方の野
(5) 「撓野(タワノ)」の転訛で、たわんだ地形の盆地  

「遠閉伊(とほのへい)」の下略形という。または「タヲ(ゆがんだ地形)」+「ノ(野)」の転か

こちらは閉伊という地域にあって、さらに遠い閉伊・・・閉伊の奥地という意味もありそうですが、遠い閉伊の野・・・から遠野となったという説も語られてはいる。


 遠野の語源に関しては「東方の野」からきた説や、たわんだ地形の盆地である「撓野(たわの)」の変化、など諸説ある。日本地名研究所の谷川健一所長(89)は、村崎説を支持した上で、平安時代に編まれた日本の正史の一つ「日本後紀」に「遠閉伊(とおのへい)」が登場することに注目。閉伊の拠点であった宮古地方から遠いところという意味で、「後年、そこから閉伊が抜け落ちた」とみている。
上遠野郷の由来 上遠野郷の歴史」に「福島県石城郡の『今昔我等の郷土』によればー岩城氏の一族上遠野滝氏の領であったとい

平安時代に編まれた日本の正史の一つ「日本後紀」に「遠閉伊(とおのへい)」が登場することに注目。閉伊の拠点であった宮古地方から遠いところという意味で、「後年、そこから閉伊が抜け落ちた」とみている。

これが有力である。なぜなら正史にも記されているからである。
閉伊郡ありこれは宮古を中心に広い範囲である。宮古が早く開けたが遠野となるとかなり奥地になるからである。
それは地形として理解できる。地形を基にしたものが地名であり地形と一致しているからわかりやすい。日本で野というとき野原とか平地をイメージするが実際は山の斜面であり平なところではない、平の地名は別なのである。日本で平らな所は湿地帯とか沼と湖になっていて住めなかったのである。
だから田でも最初は山の斜面に作っていた。それで県(あがた)が最初の国になったのである。
入野とか遠野とかの地名は平らな場所ではないのである。

吾が恋は まさかも悲し 草枕 多胡(たご)の入野の 奥も悲しも
(万葉集 東歌)

この歌は山に挟まれた奥の地域ということである。日本にはそういう場所が多いからである。

いわき市の遠野町は

上遠野郷の由来 上遠野郷の歴史」に「福島県石城郡の『今昔我等の郷土』によればー岩城氏の一族上遠野滝氏の領であったとい


地名で混同するのは地形と姓が一体化する。もともと地形を基にしていたのが村の名が姓となりその姓が移動して村の名になる
いわき市の遠野がそうである。遠野氏が支配して遠野となったとしいる。それはもともと中村村だったのが相馬氏が支配して相馬市になった。でもそれは最近のことだったのである。
やはり地名と地形が一致する時地理はわかりやすくなる。

私は御斎所を街道下り遠野に出た。その時稲は刈られて刈田になっていた。だから淋しい風景だった、地形から見ればまさに遠野だったのである。それが遠野氏が支配して遠野になったというとき何かがっかりしたともなる。
でも遠野はその地形と合っていたのである。

刈田なれ遠野に来たり農夫に会う

●地理は境を知るとわかりやすい

地理を知るには境を知ることである。どこが境となるのかそれも人為的行政的な境ではなく地形の境を知ることである。人為的なとは例えば戦国時代でも新地は相馬藩ではない伊達藩である。そこは別に地形と関係ないのである。遮る川も山もないからである。
ただ伊達政宗の領地になったからでありそういう地名は地形と関係ないのである。だから参考にならないのである。

そして必ずしも境は地形と一致してあるわけではない。地形と一致している時わかりやすくなる。例えば山形県と宮城県は面白山トンネルがありそのトンネルを抜けると山形県になる。その山が明らかに境界となる。現実に面白山のトンネルを抜けると依然として春なのに雪がなお厚く山に残っている。トンネルを抜けると雪国だったとなる。

陸奥(みちのく)をふたわけざまに聳えたまふ蔵王の山の雲の中に立つ・斎藤茂吉

これは陸奥となれば福島県、宮城県、岩手県と広大である。でも二つに分けるとはならない、蔵王は山脈ではないし蔵王という一つの山だからである。ただ福島県の南相馬市の鹿島区まで蔵王は明確に見える。だから陸奥の象徴的山にはなっている。
でも陸奥を二つに分ける山ではない、それより私の住んでいる阿武隈山脈はいわき市まで続いているから中通りの吾妻山は見えない、だからこの山脈こそ福島県を分けているのである。
この阿武隈山脈があることで浜通りは地理的一体感がないのである。でも近くの山に登ると牡鹿半島から金華山が大きく見えたのである。だから地形的には宮城県の方が一体感があるとなる。
とにかく人間に心の面でも地理と風土は一番影響する。そして地形は人間の力で変えることができない。阿武隈山脈を平らにすることはできないからこれはいくら交通が発達しても地形そのものは変えられないのである。

大陸だとヨーロッパならライン川がありそこがゲルマンの境でありローマ帝国が侵略できない地帯になっていた。大陸だとこうした大河が境になる。それはロシアとウクライナの戦争でもそうだった。ドニエプル川が境となりその川を渡って攻撃することが難しいのである。川を渡り攻め入ることが危険になる。だから川をめぐって攻防があり現代でも同じだったとなる。つまり地理の地形のカルマがありかわらないから依然として河をめぐって攻防がある
そして今年は異常に暑く干ばつにもなりライン川の水が減り船で物資を運べないとして苦しんでいる。大陸では今も川が交通路となり物資を運んでいるのである。

●地歴を知るには境を知る

地歴というとき地は地形のことである。歴史も地形から作られから地歴となったのである。
関ケ原でなぜ天下分け目の戦いがあったのか、地形と地理が関係していた。関ケ原は東西を分ける境目だったのである。
気候的にもそうである。関ケ原を電車で行くと雪が残っている。まだ冬を感じる。でも関ケ原を抜けると近江になりそこは春となっている。景色も何か穏やかに感じる。
不思議だったのは琵琶湖の湖西線が通る高島から関ケ原の方を見るとそこから朝日が昇ってきたことである。それが意外だった
それで東でありそこから東(あずま)となっていたのである。

雪残る関ケ原を出て近江かな
近江に出穏やかなれや春の山
近江なれ蓮華の野を見て三上山

●みちのくの真野の草原も境のことだった

陸奥(みちのく)の真野(まの)の草原(かやはら)遠けども面影(おもかげ)にして見ゆといふものを 笠女郎

この歌も境の歌だった。そのこと追求してきた。この歌は大和王権に属する陸奥の辺境のことだった。それはやはり気候としても南となりマルハシャリンバイの自生の地として南相馬市の鹿島区の海老浜が指定されていたからである。そのことは書いてきた
ただ津波で海老村は消失してしまった

これらの山を詠んだ歌は、生駒山は三例、竜田山は三例、奈良山は真土山といった、大和国を越えていく地点を詠むことが多い。『万葉集』では関より、次のように生駒山・竜田山・奈良山・真土山は六例を数える。

遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
(中臣宅守)

(徒に関険を設け、防禦を用ふ
の往来、毎に稽留の苦を致す。『続日本紀』延暦八年七月甲寅条)
遂に中外をして隔絶せしむ。既に通利の便を失い、公私と、わずか四例のみである。以下に二例のみ挙げる。
対して『万葉集』では、次の歌をはじめとして、 

遠き山関も越え来ぬ今更に逢ふべきよしのなきがさぶしさ
夕さればひぐらし来鳴く生駒山越えてそ我が来る妹が目を欲り
白雲の竜田の山の露霜に色付く時にうち越えて旅行く君は

五百重山い行きさくみ賊守る筑紫に至り
これらから、意識の上では、関を越えることよりも山々を越え
りことなのである。


『万葉集』にみる「みやこ」と「ひな」への意識
file:///C:/Users/KOBAYASHI/Downloads/nike_061_137.pdf



奈良時代は関所より障壁となる山とか川が意識された。特に日本では山が多いから山を越えることに難儀したから山はまた国の境ともなり峠をこえることが異郷に行くことだった。それで峠という漢字は日本人が作った国字なのである。

山が境になる時今は車とか電車でも行くとわかりにくくなった。歩いて苦労して旅することがなくなったからである。
でも岩手県の宮古市から電車で区界(くざかい)という地点はかなり標高が高い
だからそこに電車が止まったとき雪が春でも厚く消えずに残っていたのである。

区界駅雪厚く残り一時を電車の止まり越えて行くかな

まさに区界(くざかい)境界だったのである。

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2023年10月04日

総務省は戦前は警察を動かす権限があった (県の政治のことは無関心なことの問題−内堀知事の問題)


総務省は戦前は警察を動かす権限があった

(県の政治のことは無関心なことの問題−内堀知事の問題)

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福島県庁で南相馬市の水害被害の支援を頼む

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【隠蔽、捏造、逃げ虚飾テク!テレビ各局プロレス化で終了!】見せかけの真実の追求で装い、既得権は絶対に離さないメディアの腐ったテクー加治氏将一


福島民報は創価の聖教新聞を刷り県で株を50パーセント持っているから官報である

総務省設置法第3条第1項に規定する任務を達成するため、行政組織、地方自治、地方公務員制度、選挙、政治資金、情報通信、郵便、統計、消防など、国家の基本的な仕組みに関わる諸制度、国民の政治活動・経済活動・社会活動を支える基本的なシステムを所管する。

かつては強大な権力を誇った旧自治省・総務省
 「内務省」の権限の中でも現代の我々からすれば驚きなのは、戦前は都道府県知事の選挙が存在せず、知事は内務省の官僚が務めていた点です。東京都知事も大阪府知事も内務官僚でした。

 ちなみに、内務官僚のなかでもエリート中のエリートだけが到達できる「内務省三役」といえば「内務次官」「警保局長(警察庁長官に相当)」「警視総監(首都警察トップ、今もありますね)」であり、圧倒的に警保(警察)畑が強かったそうです。警察国家です

●総務省の権限の大きさ

総務省のことなど普通わからない。ただジャニーズ事件でクローズアップされた。桜井翔のパパが総務省の有力な地位についていた。だから原発と同じくアンタッチャブルになり隠蔽された
総務省で怖いと思ったのは戦前は内務省でありそれが警察を動かせる警察に命令して取り締まる権力を持っていたことである。
知事でも選挙なしで知事になっていたのである。知事の権限は相当に大きい、知事と原発を建てる土地所有者の許可があって原発が建てられことできたとなる。原発とは事故の被害にあった周辺地域を問題にしているが実際は福島県の知事とか福島県の県庁の行政が深くかかわるものだったのである。

そもそも県庁の仕事は何をしているのかわかりにくい、日常的には市町村と関係していることは直接的に関わるから分かりやすい。でも県庁となると県議会とかにはまるで関心がない。ただ福島県の道路を作り整備管理するのは県庁である。すると建築土木関係の仕事をしている人は県とかかわっている。なぜなら公共事業になると県で予算を決めて地元の会社に仕事を頼む。そこで必ず賄賂問題で逮捕される人が役所の人がいる。やはりそこに利権が一番生まれるからである。
だから公明党が国土交通大臣の役職を手放さないのである。その権力で票を得ようとするからである。

総務省の力はマスコミを牛耳っているということである。だからこそジャニーズ問題でもそこに桜井パパがいて総務省の実権を持っていたから握っていたから何も言わなかったのだという。
マスコミとは政府の官報と似ている。肝心の政府の悪を追求しない。その象徴はジャニーズ事件だとしている。そして福島県の県庁にTOKIO課があったのはその象徴だったのである

それで福島県知事の内堀は総務省の工作員だったということが加治氏の説明でわかった。そして県知事となって総務省の指示に従うことになる。前は内堀氏はの各県庁に入り財政担当の中にはいりそこで工作していたという。やはり県庁でも財政を担当していればそこが一番力を持つからだともなる。
政治とはどうしても利権が変わるからそこでゆがめられる。
この辺で政府の官庁に入ったという人がいた。それも斎藤邦吉氏が国会議員でありそのコネで入ったという。その時結構な金を払ったという。つまり政治とは常に利権とかかわりそうなりやすいのである。

●総務省は戦前の内務省で警察を動かす権限を持っていた

ともかく役所のことなど県庁でも国政に関わる国の官庁でもどういう働きをしているのかどういう仕組みになっているのかわからないのである。特に総務省と言うと名前からして何をしているのかよくわからない。
でもジャニーズ事件で総務省が関わっていたということで明らかにされたのである。そんなところまで関わっていたのかということを知り総務省というのは注目されたのである。
総務省は意外と大きな権限を持つ省だった。その全身が戦前は警察の管理する警察を動かす力を持った省だった。
ということは警察をも動かすこともできる権力かもしれない。なぜならあらゆる人が警察だけは恐れている。庶民も警察は恐れている。なぜなら脛に傷を持たない人などいないからである。警察はそれで人を恐れさせ従わせることができる。

要するに最も権力が露骨に現れるているのは警察である。それは日常的に庶民とかかわりその権力を行使できる強制できるのである。だからその警察を動かすものが総務省の前進の内務省だったということはそれが戦争に通じていたのかもしれない。
なぜなら戦争に反対する人は特高が来て警察に連行されたからである。なぜ警察は一番の権力かというと暴力でもって強制的に従わせることが出来るからである。それは軍隊でもそうである。軍隊を命令して動かせるものは一番の権力者である。

だから軍隊が政権を握るということはミャンマーとか遅れた国で必ず起きてくる。。そもそも権力とは武力から生まれる。戦国時代のように武力によって支配される人間の歴史でもあった。でもそうなる地で血を争う悲惨な結果になったので犠牲があったので民主主義によって平和的に権力を移行させるとかになったのである。

でもこの民主主義をアメリカで発展したとしても最近対立が激しくなり選挙に不正があるとか議会に暴力でふるった人たちがいて世界を驚かした。だからいくら民主主義でもそこに公平はありえない。不満な人たちが必ずありまた社会が既得権化すると得する人はいつまでも得して損する人はいつまでも損する。それが今の日本である。

その原因として県政でも国政でも関心が持てないのは当事者意識がもてない、一票入れても何の変化もないとなり無力感があり投票率が上がらない、自分もそうだったけどプログで時事問題で発言するようになると相当に調べなければならないとか多少責任が生まれた。だからプログでもyoutubeでも発現することは民主主義の促進になる。

●政権交代がない日本は根本的に変わらない

いくら不満があっても自民党政権というのは一回しか政権交代をしていないのである。だから根本的に日本の政治は変わらないのである。既得権者はいつまでも得する場にあって変わらないのである。
でも韓国だと大統領が変わると必ず前の大統領の不正が暴かれ逮捕までされるのである。それを日本では韓国の政治を批判するが日本ではいつまでたってもどんなに不満があっても自民党が政権を担当する。
だからアメリカでも必ず共和党と民主党があり大統領が変わると権力も移譲されて根本的に変るのである。今のウクライナ戦争でもトランプに変われば戦争はやめるという。そこで大きな政治の変化は起きる。日本では政権交代がないから民主主義が機能してないのである。

いずれにしろこの辺で起きた原発事故がなぜ起きたのかということを追求してきたがそれはやはりこうした国とか県とか大きな権力がかかわり起きた。その権力は何か危険があっても隠蔽することができた。
原発にもいろいろな不備があり実際は危険なものだった。でもやはり国とかの大きな権力が関わりまたその背後にアメリカがいて危険は隠蔽されたのである
つまり権力の問題はこうして隠蔽できるということである。そこから危険が生まれ取り返しのつかないものともなる。戦前の戦争でも300万人も死んだということでもやはり国の権力がかかわりそうなった。そこに総務省の前進の内務省がありそれは警察を指揮する権力をもっていたことは怖いことである。
だからジャニーズ事件でも警察がなぜ一切かかわらなかったのか?
総務省も今も戦前の警察を牛耳る内務省と通じるものがあったからなのかとなる。そうなると総務省とは怖いものだと知る
ただ権力構造は複雑でありわかりにくいことで騙される

悪があっても可視化されにくく見えないからである。だからどうしても闇に隠される。するとそこから原発事故でも庶民は大被害になりジャニーズ事件でもそうであり戦前の戦争の犠牲者が3百人死んだとか空恐ろしものとなる。原発の処理水問題でも今や世界から批判される。なぜ批判されるのにあえて処理水を流したのか実際は流さなくてもいいものだったとしている。
ともかくこれほどに世界的問題となるものを原発自体を作ったことが問題だったのである。



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秋時雨(急速に秋になってゆく (自転車の修理と買い物に原町まで)


秋時雨(急速に秋になってゆく

(自転車の修理と買い物に原町まで)


買い物に急ぎ走るや秋時雨

秋時雨時の移りの早きかな

北風の向かい風や季の変わる


午後から自転車の修理にイオンまで行った。ここのには一軒の自転車屋は主が死んでなくなった。原町までは近いので行った。イオンの中に自転車の修理などをする場所はあり意外と簡単に直してもらった。自分で直そうとしたができなかった。道具が必要だったからである。前にも治すことができずヤマハから直接道具を送ってもらって直したことがあった。やはり道具をそろえていないと修理できないのである。

その自転車でゆくと風が吹いていた。それは西風か北風であり自転車だとその風をまともに受ける。そして今日はパラパラと時雨が降った。それは秋時雨だった。夏から急速に秋になり冬になってしまうのかもしれない。もう暑くなることはない。

秋の末から冬の初めにかけてぱらぱらと通り雨のように降る雨

秋:8〜10月(厳密には、11月6日頃までが冬)
冬:11〜1月(厳密には、2月3日頃までが冬)

秋時雨にしてはまだ早い、でも何か季節が順序良く進んでいない、ただもしかしたら秋がなくなるというとき早めに冬が来る
温暖化で日本は夏と冬しかなくなるという人もいる
だから何か季節感がなくなる。秋時雨でも十月の末になるからだ。

今年はともかく遠くに行くことができなかった。暑いと自転車はまともに陽射しを受けるから熱中症にもなる。自転車は天候の影響を受けやすいのである。
だからこそ季節を感じるから俳句などを作ったりする。でも車だったら風でも時雨でも感じない。風流とはまさに風の流れを感じることだからである。

だから車というのは人間の五感を衰退させたともなる。ただ原町まで行くと遠くなる。田舎だと買い物でも車が必要になるのである。この買物というのは結構な仕事なのである。
どうしても原町まで行かないと足りないものがある。イオンではみかんが20個くらいで500円とかあった。鹿島区では十個くらい同じ値段だったので花でも安い物も売っている。そういうことで買い物では不便になるのである。

2023年10月06日

自転車でも個人の経営が難しくなっている (商売も人を助けることだがまず利益が優先される問題)


自転車でも個人の経営が難しくなっている

(商売も人を助けることだがまず利益が優先される問題)

●商店街が廃れた原因

地方の商店街何かで出店するとしたら 
飲食店以外でどんな業種があるんだろうなぁ 
理髪店位しか思い付かんな

なぜ商店街とかがだめになったのか。その一つが車社会になり商店街には駐車場などがないとか買い物に不便になった。
そして商品の種類とかあ増えすぎたのである。私の家は店屋だった。その頃商品の量は種類は少なかった。物がない時代であり物を置けば売れたということがあった。また繁盛した原因が角にあったということである。ただそれだけのことで繁盛したのである。
というのはその頃車など持ってる人いないし歩く範囲で生活していた。だから近隣の人が買い物に来てそれで繁盛していたのである。ただ場所が良かったというだけだったのである。何か私の家の人は商才などなかったからである。
だから必ずしも商売上手だからといって繁盛するということでもない。その時代時代に適応して繁盛する。

なぜその頃袋に入ってるものを売っていない。ばら売りであり袋は母親が新聞紙で一つ一つ作っていたのである。そのことをインドに行ったときバラックのような店でやはり新聞紙のようなもので袋に品物を入れていた。また量り売りでもあり飴玉一つでも売っていた。
とにかく物がないから物を置けば売れたのでそこに何か設備としてかかるものもほとんどなかったのである。その頃子供相手にもものを売っていて子供が多いからまた子供は欲しいものが売れたのである。だからそんな商売は何か特別な商才など必要なかったのである。
何か今になると病気になってやっと歩いている人が近くに店がなくて困っているという。店と言う時はもはや1万の街で二軒のスーパーがあるだけである。そこまでゆくのには歩いてゆくのは病気になって辛いのである。何かその頃は近くに魚屋とか豆腐屋とかあってそれで間に合わせていたのである

●個人商店は成り立たなくなっている

今になると車社会になったり商品の量が増えてとても小売店などは個人の小売店などは成り立たない。だから商店街はすたれてしまった。自転車屋でも町に一軒あった自転車の人が最近死んでなくなった。それで修理してもらうためにイオンに行った。何か個人の自転車屋だと原町で常連客ではないので断られる事があったからだ。それは昔は個人商店ではお得意さんいた。それと同じである。

スーパーになればお得意さんなどはいないのである。コンビニでもそうである。そこでただ人は物を買うというだけになってしまったのである。そしてなぜチェーン店などが増えたかというとたとえば自転車でもチェーン店が増えた。ただこの辺にはそういうものはない。自転車屋のチェーン店だとさまざまな種類の自転車を置いてある。私が買いたい折りたたみの電動自転車も置いてある。自転車の場合どうしても後から修理を頼むことがありか通信販売でわ外国製などいろいろあるのだが買えないのである。なぜなら現実にエンジンになる部分が壊れていたとかありそっくり交換したことがあるからである。それが出来ないから怖くて買えないのである

でもなんとか買おうとしても防犯登録をしなければならないとか面倒なのである。それで近くの自転車屋でもその防犯登録はしてくれなかった。というのはそこで買ったものはサービスするな防犯登録だけはしてくれない。金にならないからである。でもその人はその自転車屋は最近死んでしまったのである。

何かこれ商売というのはただ売って儲けるというだけではない。何か人を助ける人のために働くということが必ずある。だから本当は他で買ったものでも防犯登録でもしてくれるべきだったのである。でも経営が苦しければそうなってしまうのである。
だから一概に責めるわけにはいかない。そして思うに今は小さな個人商店というのが商売できなくなっている。それは自転車屋でも同じなのかもしれない。あまりにも自転車の種類が増えすぎたのである。イオンには自転車の数が少なすぎる。電動自転車も置いてない。扱っていない。電動自転車になると後の修理とかが面倒になる。普通の自転車だったら修理はできるのである。

イオンで自転車が部門があり人が居るのは別にそこで商売にならなくてもイオン全体で商売になればその一部分でも給料を同じように払うことができる。だからどうしても今の時代はそうして大きな会社でないと成り立たなくなっている。そのことは利用する人にとっても困る。サービスを受けられなくなるからである。だから個人商店が自転車屋でも成り立たなくなっているのかもしれない。ただ自転車屋の問題は必ず後で修理することがありそれが最大の問題なのである。
でもこれだけ商品の種類が増えるとき店に飾ってあるのはほんのわずかであり折りたたみ自転車や電動自転車は置いていない。だから現代では個人商店が成り立ちにくいのである。でもイオンでは修理だけでも受け付けている。それができるのはやはりイオンという大きい会社で給料を払っているからできるとなる。

●商売も人を助けるということが基本にある

いずれにしろ何か商売というのは人のためにすることでありやはりサービスを心がける。でもその前に利益を上げなければならないから無料で奉仕するわけにはいかない。そこにジレンマがある。
でも基本的には人を助けるということが商売の根底にもあるということである。ただそれを無料ではできない。それは医者だとか看護師だとかは常に人を直接に助けるという意識を持たないとできない。

でも医者や看護師でも必ずしもやはり商売にならないと金にならないとできない。だから近くの医者でもあなたはいつも来ていないから緊急の時見てもらえず断られたのである。自転車屋でもあなたはいつも来てていないからと修理を断られた人がいるのである、自分も断られたのである。

人を助けるにしてもどうしてもそこに個人商店だと経営が成り立たなくなるからそうなる。でも基本的には人を助けるということが商売の根底にありまたほかの職業でもそういうことがある。
もうし人を助けるということがなければあらゆる職業でも成り立たなくなるかもしれない。無料でしてくれとは言わない。実際防犯登録してくれたらそれなりのお金は払うと言っていた。
だから無料では頼んでいないのである。いずれにしろほとんどの職業でまず利益を上げなければやっていけない。それでこうした問題が起きるのである。でも基本的に根底に人を助けるということがなければ職業も成り立たないかもしれない。でも医者だったら金を払えなかったら医者にもかかることはできないし医者も相手にはしない。それで貧乏な人は金がかかるから医者に行けないとかなっているのである

●イオンとは商売が成り立たないと撤退する

ともかく確かなことは個人商店が成り立ちにくくなっていることなのである。例えば医者でもなぜ目の病気になったとき仙台まで行ているのか。その仙台の眼科は2人の医者がいて専門病院である。だから設備も整っていてそこで手術も前からわざわざ仙台市まで行くのである。
つまり医者でも今は日進月歩であり技術が進んでいるからそういう場に行かないそういう病院に行かないと損だとなってしまうのである。
だから小規模の個人の医院とか商売としては成り立ちにくくなっている。ただ理髪店や美容店などは個人経営で成り立っているのかもしれない。

とにかく商店街が廃れのはやはり時代に合わなくなった。だからどうしてもスーパーとか大きな会社に従属して商売する他なくなる。でも相馬市でイオンが撤退したように商売にならないなるとそうした大きな会社が撤退して街全体が廃れてしまうことにもなる。そうした大きな会社は街のことなどあまり関心がない。だから商売にならなければ簡単に撤退してしまうということである。でもその地域に生きる人は他に移ることもできない。それでその影響が大きいので。相馬市ではいつもイオンに寄っていたから相当に影響したのである


posted by 天華 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年10月07日

歴史は失敗の記録 【個々人の人生も失敗の記録カルマは繰り返す】


歴史は失敗の記録

【個々人の人生も失敗の記録カルマは繰り返す】

●聖書も神話も今も通用するのはなぜなのか

人間の歴史を振り返れば失敗の記録である。聖書でもそもそもが神が食べるなと言った知恵の実を食べた結果として人間は神から離れたものとなってしまった。そのことが最大の失敗でありその失敗したアダムの子孫が人間でありそれが変わることないからやはり同じ失敗を繰り返す。人間の失敗というときそれは神話の時代から続いている。

プロメテウスはゼウスから火を盗んだという時もそうである。その罰は過酷だった。その神話は現代にも通じていた。その火とは原子爆弾ともなり原発事故にもなったのである。
人間の失敗の淵源はそこにありそれは消えることなくカルマとなり継続されているのである。だから人間の科学技術でもそれは必ずしも成功するものではなく失敗することもある。
原発原子爆弾でもそうであり原発でもそうである。それはどれだけの災いをもたらしたかだからこそ火を盗んだプロメテウスの罰は過酷だったのである。科学技術でも遺伝子組み換えなども相当に危険なものかもしれない。何か神の領域に人が勝手にはいり操作する。そこで大きな禍が起きてくるかもしれない。
それは人間の知恵は万能ではないからである。核のことでも全部わかっていなかったからである。処理水にしてもそれを海に大量に流してどうなるのかわからないと言う。安全だと言っても結果をみないとわからないとなる。

失敗というときなぜ繰り返すのか。それは人間に欲がありその欲が消えないからそれがカルマとなって同じことが繰り返されるのである。人間から様々な欲が消えることは無い。だから具体的にわかりやすいのは女性に対する欲でありそれでも失敗する。その誘惑に負けて失敗するのである。
聖書では女性に誑かされて怪力のサムスンが力を失ってしまった。ダビデは王となり部下の妻を魅力に負けてその夫を戦場に出して死なせてその妻を自分のものにした。聖書でもやはり失敗の記録なのである。日本でわ久米仙人が女性の脛を見て天から落下したというのもそうである。つまりそこで神通力を失ったのである

まず世界史でも日本史でも人間の失敗の記録は歴史である。その失敗を繰り返すのはなぜかとなれば追求していけばそれが常に教訓となる。つまり歴史とは人生でも失敗の記録でありその失敗から教訓が生まれ庶民でも諺は生まれたのである。
そしてなぜそれが今でも通用しているのかとなれば人間自体の欲は消えないし人間はやはり神が食べるなと言った知恵の実を食べたということで原罪になっている。そのとき人間は神から離れてしまったのである。そして人間の力で神のようになる事を望んだのである。そのことからして必ず人間は失敗するようになる。もし神の御意にかなうように生きれば失敗は無いのである。

●人間の欲は消えずカルマとなり失敗を繰り返す

歴史とは人間の失敗の記録とすれば個々のの人生もまたほとんど例外がなく失敗の記録である。それはなぜなのか。そもそも人間の欲は消えないしいくら科学技術が発達しても人間自体は知恵の実を食べて自らが神のようになったというときそのことからして常に人間は失敗するようにできているのである。

そして人間社会というのはいくら科学技術が進んでもまた社会が変わってもなぜ理想社会ができないのか。それは人間自体が変わることがないからである。共産主義がで理想の社会ができるとか熱狂したがその結果は独裁者が生まれ何千万人なのか粛清されて殺されたとか言われる。カンボジアでは200万人が粛清されて骸骨の山の博物館となっている。つまり人間は社会自体を変えることは永遠にできない。そもそもは人間自体が変わらないからである。その欲は消えることはないし共産主義でも内部で権力争いがありそこで粛清されて殺される人が必ず出てくる。

それは何かカルト宗教団体とも似ている。共通しているのは人間の組織化でありその組織で序列化をする。幹部でもその組織は軍隊組織であり一人の独裁者が教祖でもナチスのようになり命令する。それが殺人でも組織化されて正当化される。それがオウムでもあった。そこには優秀な理系の大学を出た人たちがいて高校しか出てない人が上に上がりたくて積極的にサリンを撒いたと言っていた。その内部でも地位を上げるための権力闘争が行われていたのである。それは宗教団体でも宗教だから関係ないとみているが集団化組織化した宗教は共通しているのである。
一人の教祖が神のように崇められ偶像化してその大多数の人が組織化して序列化して軍隊組織になる。それは創価でも参謀とか隊長とか完全な軍隊組織なのである。だから教祖が神のようになり偶像となり絶対化してナチスのように他者を簡単に殺せと言えばその命令に従うのである。そこにカルト宗教でも共産主義者でも恐ろしいものがある。

また個々人でもなぜ人生が失敗であり後悔に終わるのか。例えば若気の至りとか必ずある。若い時のエネルギーが爆発してそれが過ちとなる。そういうこともカルマとして繰り返されているのである。そして人生を振り返り後悔することになる。
そして私も失敗した。私自身もは天才でもない、だから自由に生きたのはいいとしても社会から外れて生きることは難易度が高いのである。なにかおかしな方向に行ってしまいやすいのである。そして小人閑居して不善を成すと必ずなる。やはり一方で社会性を身に着けないと失敗する。それで親の介護で死ぬほどの苦しみを経験したのである。
とにかく人生で失敗したり後悔しない人は居ない。ダビデのような優れた人でも失敗してその失敗が教訓となっているのは人間の世界である。それは人間が滅亡するまでそのカルマは消えることなく続くのである。戦争でももう戦争など無いと思ったがやはり人間のカルマはおわらない。ウクライナ戦争がありやはり人間の業が戦争を作り出すのである。

●事業に失敗した人ーその動機が優秀であること示すため

なぜその人は事業に失敗したのか。特別誰も取れない資格を持っていた。だから会社でも収入が高く別に事業などしなくてもよかったのである。でもその人は常に優秀だと言われたから事業しても成功すると思っていたのであ。事業を起こした動機が私は優秀だから成功すると信じていたのである。でも会社で技術者として働くのと事業を起こして経営するのとは相当に違っていたのである。

でも動機からして自分の優秀さを示したいからしているというのも問題だった。そんな動機で事業をして失敗したら周りの影響も大きいのである。そして借金して苦しんでいる。そんな人が私が苦しんでいる時来たから最悪であった。頭の中が借金で一杯の人が人を助けることなどできない。だから事業でも簡単に起こすものではない。自分が優秀だとかみんなに見せてやるのだとかで事業を起こしたらそれがどうなるのかそれを考えるべきだった
ただ人間というのは常に他者より比べて優秀だということを争っている。その人は大工さんとして他にも庭仕事とかで優秀なのにそれではそれで満足はしない。だからまた別の事業をしてそれも原発事故などがあり無駄になった。
その人の事業を起こす動機もまたやはり自分が優秀だということ示したいためにそうしたのである。何か学校では優秀だとならず劣等感を持っていた。そのために大工でで優秀なことに満足せずやらなくてもいい事業をしてそれも無駄になったのである。

とにかく人間は自分は他人他者より優秀だということに非常にこだわっているのである。それで私の家族の一人は優秀だったにしても死ぬ間際に俺は優秀だったと言って息を引き取ったのである。それほどまでに優勝だということに拘っていたのである。
それで悲惨だったのはおそらく認知症になってそのことでなんとなく馬鹿になったことを気づいていた。だからこそそういったので俺はバカではないということでそう言って死んだのかもしれない。
ともかくこのように人間は異常に他者と比べて優秀だということを示したいのである。またなぜ組織を作り集団を作り集団になるとき必ず会社でもそうだが上下関係ができて序列化されそれは人間の業でもある。だからこそ人間はカルマ人を繰り返すから同じようなことを歴史の中でも繰り返すことになる。

●出世の意味

だからこそ聖書でもギリシャ神話でもほかの神話であれそれが現代まで通用しているのはまさに人間の原罪でありそれが消すことができないから継続しているのである。このカルマから脱することは不可能にもなっている。宗教の本来の意味は全く無視されて世間から脱して出世なのに栄誉栄華の地位を得る為に出世するということになったことでもわかるある
カルト宗教などはまさにこの世で出世して栄誉栄華の生活を送りたいというだけである。本来の宗教とは何の関係もない。だからそうした正反対になっている場で組織集団化している中でいられる人はすでに何か全く偽善の中にある。普通のまともな人ならとてもそんな中にいることできないはずである。

でもそれが多数となっているのはやはり繰り返される人間の業がカルマだともなる。
ただ理解しているのは御利益であり得するということでありそれはそれだけは常に誰でも理解する。発達障害の人でも理解している。利に敏いのである。それは直感的に日々の生活の中で計算もできないのに理解しているのである。だからそこでは実際考えることは必要ない。ただ御利益になること得することだを説けば誰でも即座に理解する。考えることもないからあれだけ人が集まるのである。





認知症の介護の問題 【脳の障害で心と関係しているから難しいーでも人間として通じ合える】

認知症の介護の問題

【脳の障害で心と関係しているから難しいーでも人間として通じ合える】

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現役医師ですがハッキリ言わせて頂きます。認知症の介護は危険です。理由を説明します。
ドクターハッシー/内科医 橋本将吉


●認知症の人の脳を解剖してわかるのか

認知症の謎は脳が関係していることでそれが心とも関係してくる。心の関係はどうなっているのかとなる。つまり脳はは医学的に物体として見る。でも心はそうして物体として細胞の塊として解明できるのかとなる。でも説明を聞けばやはり脳は細胞からとか神経とか血流とか目に見えるものの中に働き医学としてはそこで解剖する。
でも脳というのはそうして医学的にとか物理的にとか科学的にとか理系として分析する。でも一方で心を問題にすればそれは文系的なものになる。だからこの認知症というのは脳の物質的というか機能的というか細胞というかそういう目に見えるものを解剖して解明しようとしている。

そしてここで説明しているのは感情というのも目に見えるものとして細胞の働きで感情が出てくる。感情が解剖的に説明できるのかとなるとなかなかわかりにくい。でもそれも神経細胞と関係して感情が生まれてくると説明している。
認知症はさまざまな障害が出てくる。一番の障害は記憶障害である。記憶できなくなることで忘れることでそれが単にここにあったものがなくなったとか忘れるというだけで終わらない。
忘れることが感情を司る場所に影響して怒りやすくなる。極端になると怒るだけだけでなく暴力になるのである。それが認知症を介護するときに怖いのである。何か日頃から感情的にでもよく思ってない人は特に攻撃されやすい。それで私の家族でも一緒にいられなくなったのである

●好意を持つ人は介護できる

だから感情的には好意を持っていた私が介護したのである。私には常に良い感情を持っていたから私を攻撃することはなかったからである。
だから他人が介護するときその介護する人に好感を持って居ないと攻撃されやすいのである。それで認知症の介護は難しいものとなる。そもそも好感を持つにしてもやはりそこに長い付き合いがないと簡単にはいい関係は生まれない。
私は60年間とか子供の時から生まれた時から一緒に暮らしていたからそこで親密になっていて攻撃されることはなかったのである。私のことは特別かわいがりそれは60歳までもそうだったからである。そういう関係であればいくら認知症が重いとしても暴力は振るわれない。
だから認知症と介護はこうして好感を持った人がすればその認知症の人は症状が穏やかになるのである。でも普通の人はそうした親密な好感を持ってる人ではないから介護することが難しくなるのである。

●脳と心は関係していて解明することがむずかしい

そもそも認知症の難しいのは脳と心の関係はどうなっているのか。それが解明できないし不可解になるのである。ただ確かに記憶障害ということが脳全体に影響して認知症になることは確かである。記憶する場の海馬は損傷してそれが脳全体に影響して脳の機能が正常に働く働かなくなるのである。
そもそも精神障害者というのは何なのかわかりにくい。発達障害の人とちょっと話してみたが確かに計算とかできない漢字も苦手である。ということは漢字でも数字の計算でも抽象的なことでありそれは高度な脳の働きが必要だからである。それができなくなるということはやはりかなりの知性の障害だとなる。でも認知症というのはこうして人格障害者となり精神障害者となりまったくの別人になってしまったのかというとそうでもない。

これまで60年も一緒に暮らしていて人間として通じるものは。相手を親切にしてよくすればそれは通じるのである。動物ですら犬猫でも親切にして可愛がればそれがわかるのである。ただいま外で飼っている猫はいくら餌をやってもなつかない。ちょっと近くに寄ったりするが警戒したままであり懐くことはない。
だから私は餌をやるのは嫌になってしまっている。かわいいところもないからである。なぜその猫はなつかなくなったのか。それはおそらく人間にいじめられて人間を極度に警戒するようになったからかもしれない。ただその理由はよくわからない。その猫は人になつくということはないだろう。そういう機会をなくしてしまったのかもしれない

●愛情は動物にも通じるから認知症の人にも通じる

とにかく認知症というのは記憶障害から波及してさまざまな障害が出てくる。でも動物と比べるのは変だけども親切にしたり愛情をかけたりしたりする人のことはよく思っている。そして実際に愛情を持って接していることは分かっている。
その愛情というのは動物でも通じるのだから別に認知症になっても通じるのである。ただいくら長く一緒に住んでいてもその人を嫌いだとか不快な感情を持っていると60年一緒にいた人でも一緒にいられなくなったのである。嫁と姑の関係と似ていたからである。夫婦でも離婚する人は1/3とか多い。子供を育て子供を成長させるまでは我慢するとかして一緒に居る。

でも子供が成長すると本音が出てきて一緒にいたくないとなり熟年離婚にもなる。その数も多い。また死後離婚にもなり一緒に同じ墓に入りたくないともなっている。そういう人だととても認知症の介護はできないかもしれない。つまり感情的に好き嫌いがはっきりあらわれるから極端になると感情が抑えていたのが抑えられなくなり暴力となってしまう。私はそれを見てきたから夫婦でもやはりそれまでの関係はどうであったかとかで認知症の介護になると難しいとなる。

認知症の謎は時々正気になることである。特に死ぬときは正気になる。だから冷たく扱うと恨んでで死ぬことになる。そのことが怖いことになる。私の場合は特別よくされたからそうなったら後悔したことになる。最後は自分のことを介護したことを分かっていて感謝して死んでいったので救われたのである。それは死後も影響してくる。供養するにしてももし恨んで死んで行ったら死んだ人はその人をどう思うかとなる。

別にそれは認知症の介護だけではなく介護そのものでもっ死んでからも影響するから介護というのは難しいのである。
ただ正直私の場合は認知症の介護でも二年半で終わったから助かったのである。介護というのは認知症でも十年とかでも続くことがある。そうなるとどんなに愛していても限界がくることは確かである。私は別におしめなどはしていないし二年間は一緒にいても身体的介護は何もしていない。近くで母親のおしめをするとき暴れられて殺した息子がいたからである。

●認知症は感情が抑えられない、本心があからさまに現れる

でもこの病気について不可解なことが多くて何かわからなかった。特に脳の病気でありそれが心とも関係しているから複雑であり不可解になったのである。
でも認知症は生まれつきの精神障害者とは違っている。人間として普通に生きてきたのだからやはりいろいろなことを分かっているのである。ただ記憶障害とかからいろいろな障害は出てくる。でも人間として全くわからなくなったというのでもないのである。それが誤解しやすいのである。だから認知症というのは直接解介護してみないと理解できない。それは医者にしてもわからないからである。

確かに脳の細胞とか神経とかアミロイドが溜まっているとかなんとかいろいろある。でも介護するときはそれを説明されても役に立たないと思う。それは脳と関係して心とも関係してくるからそうな。そもそも人間の心と何なのかなのかとなってしまう。いくら脳の機能を見ても細胞を見てもで人間の心はどうして作られるのかそれも脳をいくら見てもわからないとなる。でも神は人間の心を見ることができる。

なぜなら神は人間の心を見て判断きるとなっているからである。それは脳の細胞とか神経とか血流とかを見るのではない。では一体どうして人間の心を見ることができるのかとなる。人間の心にはさまざまな要素がありあの人は性格的に悪いとかあの人の心は歪んでるとか人を妬んだり人を憎んだりそういう感情的なものはある。だから人間は必ずしも外見だけでもわからない。でも神は人の心を見るというとき心の清い者は神を見るだろうという時確かに神は心が見えるのである。心の清い人は神をみるだろうというときそうである。だから人間は脳というのはどうして心を作っているのか不可解なのである。

認知症の人でも確かに記憶障害がありさまざまな障害があってもやはり人間としての心を持っていてそれが相手にも通じる。優しく愛情を持って接する人は好感を持ちそうでない人は好感を持たないから介護できないともなる。夫婦でも好感を持てなくても愛していなくてもいやでも我慢して一緒に居ることができる。
でも必ず本音が出てきて我慢できなくなって熟年離婚にもなるのである。つまり本心というのは本音というのは隠すことはできない。いつか必ずその本音をあらわれあれる。だから地獄というとき人間の本音が隠せなく露わになった場所である。憎んで我慢したりしていたがそれがあからさまに地獄で現れて暴力となり殺し合いにまでにもなる。つまりそうした感情でも抑えることができなくてそうなってくる。それが地獄だとなる。

例えば社会でも権力を持っている人にわ嫌でも従う。でも地獄では従うことなくその権力者に従わない。そして襲うことにもなる。なぜそうしなかったかというと相手が権力を持っているから従っただけでありいつかはその権力はなくなったりすれば相手を責めてくるのである。だから地獄とは人間の本心が現れている場所であれ憎しみでも露わになり隠すこともなく現れて殺し合いにまでもなってそれが地獄である。
だからこの世で権力を持って支配して従わせていた人復讐されるかもしれない。つまり立場が逆転するのである。

ともかく認知症の介護は至難である。それはただ人間の臓器の病気ではなく脳の病気である心の病気でもあるからだ。でも心は何かとなると人間には解明できない。それは神のみぞ知るとなってしまう。だから医学だけでは科学だけでも解明できないのである。そこに理系と文系の問題があるともなる。
心理学なども関係してくる。それは臓器だけの問題ではないし脳と心が関係しているから難しくなるのである
だから認知症の薬ができたというはそれで認知症が治るのかどうかはわからない。ただ認知症についても研究されてやはり薬はできてくる。でも問題はそれだけで認知症が治るのかどうかはわからないのである。それがそもそも脳というのは心と関係していて解明されていないからである






2023年10月09日

津波原発事故の前と以後で時代の雰囲気が変わった 【浜街道の小高の古い道標−プログの記録より】


津波原発事故の前と以後で時代の雰囲気が変わった

【浜街道の小高の古い道標−プログの記録より】

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2010年03月21日
浜街道を行くー小高ー浪江の高瀬川-春の俳句十句


人間は時間軸で見るのは本当に難しい。それがわかったのはこの辺では津波原発事故以後法域が雰囲気はまるで変わってしまったからである。これほどまで変わってしまうのかということが人間社会にあるのかと驚くばかりだった。
それは自分のプログを読んでそう思った。浜街道春に旅した。それは2011年が津波と原発事故が起きた一年前の春のことをここに書いていた。そのときは普通の状態でありそこには変わりない風景があり穏やかな春だった。
その小高の風景でありそこには江戸時代から続いたものがあり変わることのない風景だった。だから特別取り立てて何か感想を書くというものでもなかった。でも津波原発事故以後はありふれた風景でも違ったものになってしまったのである。

空間軸では別に空間が変質したということはないのである。でもその雰囲気は違ったものになってしまったのである。小高は原発の避難区域になり町自体がが寂れてしまった。そこは空家だらけであり住んでいるのは老人がほとんどである。
だから原発避難区域になった小高から浪江双葉大熊とかは全く違った雰囲気になってしまったのである。それはもはや元に戻らない前の雰囲気には戻らないとなってしまった。だからその変化はあまりにも大きなものだったのである。他でも津波の被害を直接受けた漁村も消失した。村ごと消失してそこに住んでいる人はいないのである。

南相馬市でも鹿島区となるとからす烏崎村と海老村とか湊村とかは消失してしまった。
だからそこで昔をしのぶということすらできなくなった。その変化辺かもあまりにも大きいものだったのである。
だから津波原発事故以後はその被害を受けた場所はその前と後でわまるで別な世界になってしまったのである。つまり歴史でも時代を見るとき明治以降と戦争に負けた戦後でではまるで違った世界となったと同じである。

要するに人間社会というのは空間軸と時間軸で生きている。でも空間軸というのは地史的なものになれば実際は何億年の単位でみれば空間軸でも変わっている。大陸が移動したとか海が陸地になったとか山になったとかある。なぜヒマラヤにアンモナイトの化石が発見されるのか。それはそもそもヒマラヤですら海だったからそうなのである。だから空間軸でも地史的に見れば何十億とかの間で見れば変わってしまうのである。

ここにヒマラヤのことを解説

●戦後の変化も大きかった

とにかく戦後の時代を見ても時代の雰囲気というのは変わる。戦後の焼け野原から団塊の世代が始まった。その子供の時を経験したの燃料は炭であり街の中で堀で洗濯していたとかまるで原始的な生活だった。街中では私の家には井戸もないから近くの人の井戸の水をくんで利用させてもらっていたのである。
ただその時子供だからその時代全体の雰囲気というのが大人は感じるものとは違っていた。要するに戦後十数年は極端な貧乏でありそれから高度成長時代がありその時代の雰囲気が変わってきたのである。東京オリンピックはあったとき原町の高校まで通うのが蒸気機関車だったということが今でも信じられないのである。その時すでにかなり鉄道でも変化して電気の時代になっていたと思っていたのである。だからその頃の時代の雰囲気というのは年齢でも感じることが違っていた。

高度成長時代の雰囲気というのは東京オリンピックで象徴されているように日本が急速に経済成長してジャパンアズナンバーワンとか世界を席巻する時代であった。その時代の雰囲気も失われた30年でガラッと変わってしまったのである。何かただそれからは日本の悪いことしか言われない。その変化もまた激しかったのである。そしてすでにまた高度成長時代の雰囲気というのも30年も過ぎれば分からなくなってしまうのである。

●時代の雰囲気とかはわからなくなる

だから時間軸で見る時人間社会は時代時代の雰囲気というのはわからなくなる。ましてや江戸時代でも300年続いたとしても例えば元禄時代がありそれは新田開発が各地で行われ経済発展して華やかな時代であった。でもそれをイメージすることはなかなか難しい。元禄時代に文化が花開いたというとき場所はみちのくの旅に出た。それで不朽のの奥の細道を残したのである。

そして芸術というのも必ずその時代を反映したものでありその時代を見ないと芸術も分からないという。でもその時代を見るというのは本当に難しいのであ。それはこの辺で起きた津波原発事故でわかる。この時代に生きたものでそれを経験した人と経験してない人の差はまた大きくなる。その時代の雰囲気というのはわからなくなる。
だからプログを記録するとき後で役に立つことがある。それは時間軸で見れるからである。だから私自身のブログを自分で読み振り返るときそんな感覚で見ていたのかということがわかる。

津波原発事故の前の一年前のことをここに書いていたがやはりそのときは平和な時だった。その感覚も春の日のことでありこの辺は江戸時代からでもその前からでも変わらない風景であった。それが津波原発事故以後避難区域になったところは小高でもまるで違った雰囲気になっている。これほどに変わるものかと驚くばかりである。何か日常的当たり前の風景が消失してしまったのである。だから時代の時代が変わるというときこの辺でわ津波原発事故の前とそれ以後とわでわ全く違ったものとなってしまった。

確かに空間軸で見れば浜街道でも残ってるしそれは変わらないとしても雰囲気というのはまるで変わってしまった。どうしても寂れた淋しいものとなってその雰囲気がまるで違ったものとなったのである。なぜならここで道標のことを書いているがそういうものでもその先に行けば人も住まない空家が残りもともとあった家もなくなっている。だから原発避難区域でわどうしてもそこが雰囲気が変わってしまったのである。

●戻らなくなった津波原発事故前の雰囲気

それはもう取り戻せないものとなっている。町自体が一時は空き家化して廃墟化したからである。ただその隣の原町とかでは別に変わらないのである。その差もまた大きかったのである。別に南相馬の原町とか鹿島とか相馬市か昔の街道を行けば変わらないものがある。でも津波の被害を受けた所はは村自体が消失してしまったからその変化は大きかった。
でも田んぼは元のように回復したでが津波の被害があった所では農家でも村でも消失したのである。その変化の大きかったのは津波だけだったらそれほど出なかった。原発事故があり避難区域となったことが大きく影響したのである。

津波原発事故前の一年前のようにここ書いた昔の街道を浜街を旅してもこんな感覚にはならないからである。
ということでこの時春の日に旅したことの記録が貴重なものとなったのである。今同じ碑がは小高にある。でもその同じ碑を見て旅しても感覚的には全く違ったものになったのである。
何か荒涼とした感じでありその雰囲気はまるで変わってしまったのである。だから時代が変わるということはこういうことである。何かありふれた風景でも全然違った。風景となってしまったのである。そして深刻なのは決して元の風景に戻らないということである。もちろんこれから時代がまた変わりその雰囲気も違ってくるかもしれない。でも今のところそういう感じはないのである。だから時代を分ける時この辺でわ津波原発事故とその前とその以後では変化が激しく別の世界になってしまったのである
posted by 天華 at 11:31| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連