2023年09月27日

一軒の家がまだ壊される (増える空き家の問題)


一軒の家がまだ壊される (増える空き家の問題)

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すぐ近くに何軒か新しい家が建つ



近くの大きま一軒の家が壊された。最近私のすぐ隣で5軒ほどは壊された。それは空き地になってしまった。ちょっと離れたところでその家も壊された。その家をいつでも見ていた。 大きな二階建ての家であり誰も住まないのはもったいないと見ていた。
でもこの家はもうすでに20年くらい住んでいなかったかもしれない。別にそれほど傷んででいないのである。去年の大地震で屋根瓦などが壊れた。でも瓦も直しているから壊されるとは見ていなかった。
そしてこの家にわ誰が住んで何をしていたのかそれも全くわからない。何かこうして家があってもそこに何か物語があったとしてもそれもわからない。すると何も残すものもないとなってしまう。やはり何か語るものがありこの地域でもそこで何か残すものがあってもいいとなる。

だから人間というのは建物だけを見ていてもわからない。そこでどういう暮らしがあったのかどういう人が住んでいたのか地域でどういう役割があったのかそれがまったくわからないのである。ただいつでも見ていたのは大きな家でありここに住まないということがもったいないと見ていたのである。

この辺では去年の大地震で取り壊された家も多い。ただもう跡継ぎがいないとか何かあって直すのも金がかかるとかで解体されたのかもしれない。ともかく津波でも海岸地帯は家がなくなり家がなくなり空き家化して更地にもなってしまった。
それより原発事故で避難区域になったところははゴーストタウンになり空き家の町とも化した。それは今も回復していないのである。
おそらく原発避難区域は残されたのは老人であり回復するのは難しいと思う。つまり少子高齢化で跡継ぎがいなくなっているからである。街中でも壊されて空き地化したところが結構ある。 農村地帯でも空家が目に付くのである。それは農業というのが衰退して跡継ぎも居なくなっているからである。

全国的に限界集落がありそこでは近くにスーパーが無いとか介護でもそうした村落を回るだけで2時間もかかるとか不便になる。車で回ってもそれだけの時間がかかるのである。だからどうしても現代ではスーパーが近くに病院とかあり最低限のものはないと不便になる。私は一万の町でも一応病院がありスーパー二軒あるからなんとか車もないのに自転車で買い物にもいける。
でもどうしても買い物でも足りないものがあるから隣の町まで自転車で行かざるを得ないのである。 7キロくらいだからなんとかいける。だから山の中の限界集落のようにはならないのである。

ただもともと限界集落でもそこで暮らしてきた人がいたのである。ただ病気になったら医者にかかれないとか介護でも大したことができずに死んでいたとなる。それより長生きもしないから病気になったら大した手当をせず早めに死んでいたのだろう。
現実にそういう限界集落では子供が病気になってそれをその子供を町の病院に見せるために運んでいるうちに死んだとかも聞く。救急車すら来ないからそうなったのである。でもそういう場所でも人間は継続して生き続けてきたのである。でも便利な生活が普通になるともうもう住めないとなったのである。

今日テレビで老人が部屋を借りられないという問題を議論していた。その人たちを空き家に住めるようにしたらいいとかいっていた。田舎でもいくらでも空き家があるのだからそこに住まわせればいい。で
も地方でそうした老人を受け入れるのは問題がある。なぜなら老人は労働力にもならないしすぐに介護とか病気とか介護になりその自治体で世話する他なくなる。すると財政的負担が増えるだけだとなる。。たしかに年金をもらっているからそれで暮らせることがあっても何か生産的ではないので受け入れにくい。若い人ならやはりこれから生産的なことをする時間があるから体力もあるから歓迎されるとなる。

例えば戦後戦争からの引き揚げ者がわずかの耕作放棄地でも土地があればそこに開拓に入り貧しくてもそこでなんとか食料を得てくらしていた。では今の時代にそんな人がいるのかといえばいない。耕作放棄地はいくらでもある。でもそこで農業するかといえばしない。そんな苦労はしたくないとなるからである。
ただ田舎で年金があり空き家で暮らすというのはあまり歓迎されないだろう。老人が増えているのにさらに老人を増やしてどうなるのだとなってしまう。そこに少子高齢化社会の深刻な問題がある。

この辺で救われているのは実はその大きな家が壊されてもすぐ近くに新しい家が何軒も建った。それはおそらく原発避難区域から移住した人たちである。その人たちは補償金が結構大きいから新しく土地を買い家を建てたとなる。
でもその人たちは何をして働いているのかはわからない。でもそのために原町区とか鹿島区とか他でも相馬市でも新地でも移住した移住した人たちがいて人口は減っていないのである。

だからもう原発避難区域は復興すること自体が難しいとも見る。復興してもらいたくても現実は厳しい。残されたのは老人が多いからである。そしたら後を継ぐ人もいない。そういう場所で町でも町でも村でも維持できるのかとなる。それで官僚の人が津波で被害を受けたに三陸などにジジババしかいないところに金をつぎ込んでも無駄だという本音をいったことも分かる。現実を見ればそうなってしまうからである。

そして現在の便利な生活をしようとすれば限界集落には住めない。そこで別に介護とか医療とかのサービスを受けずに昔のようにただあきらめて死んで行くならいいがそうともならない、でも現代のサービスを受けるとしたらどうするのかとなる。だからコンパクトシティとかが勧められる。それがこの辺では原発事故で小高や浪江双葉大熊とか空き家化してゴーストタウンにもなった。
そしてその回復が望まれるがそれもうまくいかない。それはやはり少子高齢化が影響しているのである。だから原町とか5万くらいの年に移住した人が多いのである。それだけの家を建てる保証金をもらっているからである。

つまりもしかしたらもともと大熊辺りは広野とか大野とかなって地名のようにそこは原野だったのである。また夜ノ森とあればy夜は余のことであり相馬の殿様の森として名づけられたのである。だから元の森に戻ってしまうのかともなる。復興を望むにしても現実問題としてやはり少子高齢化とか現在の問題現在の問題が難しくなっている。
そもそもが少子高齢化というのは全国的問題でありどうしても現代のサービスを受けるにわ最低限の人口が必要でありインフラも必要である。スーパーとか病院とか無い所で住むことはいやだとなる。
だからコンパクトシテイとか人々を集めてそこでそのサービスを受けさせる。介護にしても2時間もかけて限界集落を点々と点在する限界集落を一軒一軒回ることは手間になるからである。

そして小さい町でもスーパーがあり車がなくても歩いてでも買い物に行ける。だから現在のサービスを受けたいならコンパクトシティというかにして人口を集中させる以外ないかもしれない。
ただ自分としては生活の多様性があって海でも山でも村でも暮らしがあるのがいいと思っている。でもそれはただ外部から見てそう見るのであり現実問題としてそこで暮らす人にとっては暮らせないとなるのである。だから人口集中させてコンパクトシティにするというのが効率的になるのである。
posted by 天華 at 14:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層