小さきものの声(虫の声)
深夜に数匹の虫が
懸命に鳴いている
更けゆく夜の静けさに
その声が響き合う
ここに共に生きるのだ
苦しくもここに生きるのだ
小さなるものの声が
ここに響きあう
その命は短くも
その鳴く声が響きあう
ここに生きるのだ
更けゆく田舎の夜の静けさに
その声に耳を傾ける
小さなるものの声が
ここでは大きく響いている
暦では秋になっているがまだ暑い。雲の峰がまだ高く必ず見える。でも確かにその声を聞けば秋なのである。ふけゆく夜の静けさに虫の声が響いている。田舎の夜にその声だけは大きく響いている。
何かこの辺では原発事故で避難区域などはふるさとにも住めなくなった。帰って住んでいる人はどれくらいいるのだろうか。 1割か2割とか小高では3割くらいしか戻っていないだろう。それもみんな老人なのだからいずれは町や村を維持できるのだろうかとなる。
虫の声というときそれが飯館村だとこのように昼間でも響いていた。そこはまさに街でもないし山の村だからそうなっていた
人間はやはり住む場を持つことが大事である。その場が生き死にの場となる。だからこころとはここにあり場を離れて人もありえないとなる。その場アイデンティティとなり人間を作るのである。ただ現代は移動する時代であり何かみんな遊牧民のようになっている。一つの場所に定着するということは拒否されている。
だからこそそこに生きている場というものに愛着がなく補償金をもらったらバラバラになったのかもしれない。つまり金というのはどこに行っても通じる時代であり外国でも金になれば住むという時代にもなっている。だから一つの場所に固執するのは嫌だとなる。でもやはり人間は一つの場に定着してアイデンティティ化する。
それはその土地に根付いて成長する木とかと似ているのである。人間には確かに移動するという習性もあるが定着するという習性もある。移動するのは動物であり鳥であり定着するのは植物的だともなる。でも最終的には人間はどこかの一定の場所に定着してそこでアイデンティティ化して死ぬ定めだとなる。