2023年09月01日

私の花紀行(ハクサンチドリ、タカネツリガネニンジン、シャリンバイ、ノボタン)


私の花紀行(ハクサンチドリ、タカネツリガネニンジン、シャリンバイ、ノボタン)

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宗谷岬のハクサンチドリ

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岩手山で見たタカネツリガネニンジン

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カンボジアで見たノボタン




ハクサンシャジン (キキョウ科ツリガネニンジン属)【白山沙参】
(学名:Adenophora triphylla var. hakusanensis)
別名:タカネツリガネニンジン

「ツリガネニンジン」の高山型とされ、ツリガネニンジンよりも丈が低く、花が密につきます。

この仲間は個体ごとの変異が多く、地域変種も多いので、厳密には分類の判りにくい花です。

本州中部地方以北の高山や北海道には高山植物的になったものがあり、ハクサンシャジン、あるいはタカネツリガネニンジン(var. hakusanensis Kitam.)という。花茎の高さ30-60cm、花冠は広鐘状で花序の小枝が短く、密集した総状花序になる。
四国の一部の蛇紋岩地帯には背丈が低く、葉が線形で花冠の長さが1cmたらずと小柄なものがあり、オトメシャジン(var. puellaris Hara)と呼ばれる。


ツリガネニンジンは平地でも咲いている。私の岩手山の高い所で見たのは高嶺釣鐘人参だと思う。それは岩場に咲いていた。その時霧がおおっていた。だから神秘的だった。それは平地のツリガネニンジンより大きなものだった。その時写真を撮っていなかったのは失敗である。なぜなら今になるとそれが貴重なチャンスだったのである。つまり写真というのは写真を撮る技術もあるかもあるがどういう場面に出会うかが大事になる。そのシャッターチャンスというのは一度しかない場合がある。

なぜなら高山植物になるとそこには簡単に行けないからである。だから記録さするだけでも大事になる。旅を振り返るときでもそうである。人間ほど忘れやすいものはない。そして回想する旅を今しているが何か全く忘れてしまっているのである。特に外国旅行はそうだった。写真を見てそれを現実に見たという記憶もなくなっていたのである。だから外国の写真というのは貴重だった。でもその頃デジタルカメラがないからあまり記録できなかったのである。

いずれにしろ花の思い出として尾瀬があったがそこもよく記憶されていない。ただ異常なほどに疲れたという記憶がある。あそこは歩いてゆくだけで相当な距離があり疲れるのである。でも30代の頃3回ぐらい行ったがその後は行ったいないのである
一番行ってっているのは北海道でありそこで花を見た。
北海道には寒いから平地に高山植物が咲いているのである。

白山千鳥(ハクサンチドリ)は、北海道〜中部地方以北の高山帯の湿り気のある場所に自生する高山植物で、赤紫色の小さな花を10輪以上咲かせます。 白山で発見され、鳥の飛ぶ姿に似ていることから白山千鳥(ハクサンチドリ)と名づけられました。

雨しとと宗谷岬や旅路来てハクサンチドリを咲くを知りにき

あれは不思議だった。北海道には高山植物がが咲く、北海道は花を見るにはいい場所なのである。大雪山の残雪の踏みしめてハクサンコザクラを見た時は感動した。
何しろ私は北海道に10回ぐらい言っている。そうなったのは梅雨の時期に必ず北海道に行っていたからである。いかに自分が贅沢な暮らしをしていたかわかる。それができたのも家族に恵まれていたからである。何もすることもなくただ自分のしたいことをしていただけなのである。別に私は旅をするとか花に興味あるなどなかった。ただ若い時底辺で流れ作業などばかりさせられて仕事自体が嫌になる結果的に引きこもりになり家族に恵まれて自分のしたいことをしてきたのである。

別にそれまでは花など興味持たなかったのでそれが旅しているうちに花に興味を持つようになったのである。北海道には原生花園などがあり一面に花が覆われたところがありそれでは何興味を持ったということはただ振り返れば花の世界植物の世界もいかに多様多種でありその世界を極めることは至難である。別に私は植物学者ではない。私はただ花の美に触れるというだけであった。それにしても花の種類も多いということをつくづく感じた。

花というのは本当は原生種はありそれがどこに咲いていたのかな大事になる。白い夾竹桃が沖縄の西表島のジャングルに咲いていた。それはもともと南国性であり南国産でありジャングルに咲いていたのである。どちらかというと花は南国産が多いのである。南相馬市区の鹿島区の海老浜に咲いていたマルハシャリンバイは奄美大島の方から種が流れてきてここに根付いて自生した。ここはその南限の地ととなっていることでも有名である。

でも津波で海老村は消失した。結果的に今その説明板もなくなっている。笠女郎の残した万葉集の有名な歌は実はそうした気候と関係していたのである。つまりこの歌は気候の境目でありまた結果的に早めに早い時期から大和朝廷に服属するようになった蝦夷の地域だったのである。そのことは私のプログで追求してきた。

みちのくの真野の草原遠けれど面影にして見ゆというものを

真野の草原(かやはら)は萱のことではない、地名だと考察した。

花どうしても南国系統が多い、花はもともと咲いていた場所で見れば感動する。
例えばカンボジアで見たノボタンがそうである。それはの道に咲いていた。なぜボタンなのかと見たがやはボタンの原種なのだろう。チューリップの原種はトルコである。だからその花がもともとどういう気候と場所に適して咲いたかということを知るべきである。なぜならそれを育てるとなるとそういうそれに適した風土がありそれに合わせないと育てられないからである。

カンボジアの暑さ残れる夕暮れの道に野牡丹見ゆや遠く来りぬ

花と言う時飯館村の森にギンランが咲いているという。それを教えたのはあいの沢の飯館村の案内人である。でもその銀蘭は実際には見ることは出来ない。森にしても相当に深く広いしどこに咲いているか分からないからです。でもそういう花が咲いているということが飯館村がいかに深く広く神秘的な場所か分かるのである。

ともかく花についてはあまりにも種類が多く語り尽くせないものは私は植物学者でもなんでもない。でも花を探求してきたことは確かです。ただそれは花の美を見てきたのであり植物学者とは違う。花に興味を持てばやはり花の名前を覚えることが第一になそれは私が旅をして駅の名など地名に興味を持ったことでもわかる。
そしてエデンの園では人間の仕事がそうした花でも名をつけることであったという。その名前というのは大事なことになるかわかる。だからツリガネニンジンと言う時長すぎるし人参となっているのは何か美的に鑑賞するより薬草とか食料として見ていたからだとなる。。

若苗、若葉、花を食用にできる[4]。春の若い芽は、山菜のトトキとして食用にされ、あくやクセがない淡泊な味わいで素朴な風味で人気がある[トトキとは、ツリガネニンジンのことを指し、「山でうまいはオケラにトトキ…嫁に食わすは惜しうござる」と長野県の俚謡で歌われるほど、庶民のあいだで美味しいものの一つに例えられている[

根は沙参(しゃじん)または南沙参(なんしゃじん)と称し、生薬として利用される。秋(11月ごろ)の地上部が枯れたときに根を掘り出し、細根を取り除いたものを天日乾燥させたものが使われ、
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花でもまず最初は食料としてありまた薬として注目された。美としてだけ見るのはその後なのである。
ともかく意外と人生において盲点になっているのは。人間は忘れやすいということである。だから何度も言っているように旅するにも記憶に残るような旅をしろと書いた。それは人間というのは忘れやすいからである。
それで車の旅は便利なのだがその途中のことは何も記憶されないのである。また電車の旅でもそうなりやすい。ほう新幹線になったら途中は何もないのでだから飛行機の旅というのは何にも見えないからつまらないのでは何か記憶にとどめるにはやはりその場のその場に立ち歩き五感で感じる必要があるからである。
だから現代人というのはかえって五感が衰え自然でもなんでも感じ方が希薄になり自然でも深く見ることができなくなった。旅するにしても車が行き交うだけであり旅人はいなくなったのである。そこにやはり失うものはあったのである。

私は時間はいくらでもあった。金はなくても時間があった
だから最低限のもので間に合わせて旅をしたのである。だから時間というのがいかに貴重なものであったか最後に振り返れば分かるのである。あなたが何を見て何を経験したのかそれが人生の終わりに老人になって問われるのでは。
そしてその時間は戻ってこないし再び体験することもできなくなった。まず山に登るということは相当な体力が必要であり若いうちにしてないとなかなかできなくなる。ただ自転車の旅だったらもしかしたら老人でもできるかもしれないそれでもつらいものとなることは確かである。なぜなら介護になってから既に十数年もは旅していないからである。だから旅する時間というのも限られているし何でも限られている。時間は限られたものでありその中で体験したものが習得してきたものはあなたの人生だったとなるのである。

2023年09月02日

老人の健康格差が大きい (73才でも90才にも見え九三才でも70才に見える)


老人の健康格差が大きい

(73才でも90才にも見え九三才でも70才に見える)

老人の一番大きな格差は健康である。病院に行ったら隣にいた人が93歳の女性だったということに驚いた。とてもそんな風には見えない。まず70代にしか見えないホテル病院に来たのはただ血圧が上がっているからそれで来ただけである。他は健康なのである。顔を見てもつやがよくとても93歳には見えないのである。

私の知っている73歳の女性は病気になりボロボロになっているのである。脳梗塞になりそこから糖尿病も併発している。見た感じでもその人は93歳でもうおかしくない。となると20歳の差があっても実年齢は違っている。つまり同じ老人でも20歳の年の差があっても20歳の上の人が73歳の人より健康に見えるし歳でもそうです。これだけ老人にとって病気の影響が大きく健康でなくなるとそれだけの差が出てくるのである。

だから60以上70以上になると健康が一番大事になるので健康を失うといくら金を持っていてももうそれでいいことはなくなる。その人は自転車に乗っていたが自転車にも乗れない。また車を持っていた人でも車に戻れなくなっている。歩くことすらままならないのである。こうなるといくら金を持っていてもどうにもならないのである。だから健康格差がありその差も老人になると大きいのである。今の老人はどうしても長生きはする。でも健康でないと長生きしても幸福にはなれない。歩くこともままならないもちろん車にも乗れないそうなると生きがいもなくなってしまう。

いくら90歳まで生きるとしてもその間に病気になってただ病気と戦うことが生きることになったらつまらないとなる。一番いい死に方は近くの自転車屋のことを語ったが3日前まで普通に仕事していたのである。その後にすぐ死んでしまったのである。ただ十年位ガンであり病気を持っていても普通に仕事していたのだからその人は死ぬまで生きがいを持って働いていたのである。

こういう死に方が理想的だと思う。 90歳まで医者をしていてその人も1週間くらいなのかパタパタと死んでしまった人もいる。つまり90歳までも一緒に医者の仕事をして仕事しながら死んだという感覚になる。だから老人にとって意外と仕事するということが生きがいになり大事なのである。ただ肉体労働になると老人にとってはきついとなる。自転車屋の仕事も肉体労働にもなるわ比較的軽いから病気でも継続できたのである。

ともかく長生きの時代である。でもそこで健康格差がある。その差があまりにも大きすぎるのである。もちろん金をってるか持ってないかの差もある。それも大きいとしても一番の老人の格差は健康格差なのである。 93歳でも70くらいにしか見えない人もいる。でも70歳くらいでもすでに見た感じから90歳のようにもなっている人までいる。だから60過ぎたりするともう年齢ではない。年齢で判断できないのではい。どうみても70代の人でもその人はすでに80代以上でありもう90にもみえる。。それだけの差があり健康が大事になるかわかる。

だからどうして60以上になったら健康であるかどうかが大きな問題になるのである。健康は人によって違うし生来の素質もあるがやはり健康でも積み重ねた生活がその人に影響しているかもしれない。どんなに体力があっても若い時から不摂生しているとそれが老人になってから影響する。私は早い時期に酒とかタバコとかはやめた。その70歳でも90歳にもなったように見える人はタバコを続けていたのである。それはタバコは血管に良いものではなかったのである。だから脳梗塞になったのである。ただ糖尿病とかはやはり遺伝的なものはありそれはどうにもならないものかもしれない。でも積み重ねた生活が必ずやはり老人になると体にあらわれるのかもしれない。

老人になるとやはり人生の結果が否応なく現れるのである。それぞれに何か積み重ねたものがありそれはいい面と悪い面にもあり悪い面になると必ず老人になるとその結果が表れる。若いときはその怖さがわからないのである。からないからこそ無鉄砲になり不摂生にもなりやりたい放題にもなる。それは青春の特権だともなるから余計にそうなる。でもあまりにもやりたい放題になり欲の赴くままに節制しないとそこで失うものがある。たいがい若い時の不摂生がのちのち後悔の種となるのもそうである

とにかく人間は一朝一夕にはならない普通の人であれば積み重ねが大事なのである。それは知的な面でもそうだしも体の面にもある。何か自分は自転車に乗って運動していたのは良かったのかもしれない。やはり運動も大事だったのである。運動も習慣的にしていれば血流も良くなり頭も働くからである。
だから車というのは便利でも体にはあまり良くないかもしれない。とにかく人間は何か良いことでも悪いことでもそれまでの積み重ねの結果が出てくる。若い時でもただ放埓に過ごしていればその青春時代でもあっという間に過ぎてしまう。ただ過ぎてしまうならいいな必ず後で後悔するのである。

また習慣が人間を作るという時もそうである。やはりなんでも勉強でも習慣的にする。運動でも習慣的にする。するとそれが頭にも身体にも影響するのである。だからなんでも人間は一朝一夕になるということはないのである。
ただ人間には一発勝負というものはありそこで運命を決することもある。でも一般的には人間は積み重ねの結果として何をかになるのである。だから習慣的に怠らず努めるということが大事になってくるのである。

2023年09月03日

原発事故の失敗の原因 (急ぎすぎたことや目前の利を優先した―人間は核を操作できない)

原発事故の失敗の原因

(急ぎすぎたことや目前の利を優先した―人間は核を操作できない)

論語に、「速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 

●原発は作るのに急ぎすぎたー小利を求め大利を失う

何か事業を始めようとするときすぐに成功する。そしてみんなから成功者として讃えられる。でもそう簡単には何でも事業でも成功はしない。正直自分自身でもそうだった。何かしようとしてもすぐには達成できない。でもみんな自分自身もそうだったが常に目の前の小利を追求する。儲からなければそもそも事業は継続できないからである。人間は大概毎日毎日目の前の小利を追求して生きている。毎日買い物するにしても安い物をいかにして買うとか計算している。そういうことから人間は逃れられないのである

そしてそうした日々の生活の金の計算はしている。それは発達障害の人でも数の計算ができない人まで金の事は知っている。それは日々買い物して数の計算ができなくても金のことはわかっている。だから金にさとい。数の計算ができなくても利益の事は分かり計算している。

でもこのお金の計算で盲点になっていたのはスーパーのカードで買い物していた。そこに1万円をチャージしていたでもそのカードをなくした結果1万円は戻ってこなかった。だから日々それをカードを出して多少の見返りはあるのだが1万円をもらうのにはもうどれだけの時間がかかるかとても一年二年で1万円を回収することはできなくなっていたのである。つまり時々300円かもらうにしてもそれが1万になるまではどれだけの期間が必要なのかとなる。ここで問題になったのは万が一なくした時それがチャージした分が丸損になってしまうということである
つまり安全策が取られていないからそうなったのである。

●安全はコストがかかるから無視した

だから安全というのは意外と大きな問題なのである。人は安全にはあまり金を払いたくない。ただ保険金かあり保険をかける人がいる。それは安全のためにためである。何か大きな災害はあったりするとそれを補うことができなくなる。何か原発事故などはそうであった。安全に金を掛けたくなかったのである。原発というのは相当に安全を図らないと運転できないものだったのである。
だから安全に金を使わなかったのである。科学者集団が十数メートルの津波が来ると警告していたのに東電ではれも聞かなかった。防潮堤を作るようになったのは事故以後であり津波に備えることしなかった。つまりここでもコストを考えて小利を考えて求めて大利を失ったとなるかもしれない。その損失は国家予算並みだったからである。私がカードをなくしても1万の損であった。でも原発はその被害は20兆円もかかるとか国家予算の雨なので。だからいかに原発は安全対策が必要なものだったかわかる。
そこに金を惜しんだ結果その損が莫大なものになったのである。

速(すみ)やかなるを欲するなかれ。 小利を見るなかれ、速やかならんと欲すれば、則(すなわ)ち達せず。 小利を見れば、則ち大事成らず。 

原発はそもそも日本では操作する技術がまだ未熟でありでも早めに原発を作った。湯川秀樹博士は日本ではまだ原発を作るのが早い戒めていたのである。
確かに日本では原発を操作する技術がもっていなかったし技術者もまだ成熟したものとなっていなかった。
そしてアメリカからマークワンという古い原子炉買わされたのである。そこにやはりアメリカがかかわって原発事故の一因になっていた。アメリカだったらそんな古い原子炉は危険だから使わないからである。ただ外国だからそういうことができる。明治維新のときも薩長とかの薩長と幕府との戦いがありその武器がアメリカの南北戦争で使われた古い銃が大量に入って来たからである。
何か後進国はそうして先進国から古いものは在庫整理のように買わされるのである。特に日本はアメリカに負けたからどうしてもアメリカには逆らえない。

だから原発事故の一端もアメリカにもあったかもしれない。でもその責任も絶対に問われないのである。アメリカには誰もが日本は敗戦国で支配されているのだから逆らうことができないからである。
そもそも原発は日本人の日本人の技術でわ操作できないものだったのだから作るのが早すぎたのである。
でも原発は利益が大きいから国でも早く作りたかった。地元でもやはり金になるから積極的に誘致したという経緯がある。つまり人間はその目の前の利を優先して追っている。そこで安全をないがしろにして大事故となり大損となったのである。

●人間は長い先を見て事業でもできない

これは大きなことではあるが個々人でもいろいろそういうことがある。人間は先を長く見れない。目の前の小利に目を奪われて安全をないがしろにして大事もならなかったのである。ただ民間になるとどうしても長い先を見て事業もできない。でも原発は国家が優先して作ったものでありだからそんなに急いだりする必要もなかった。そして安全を図るより安全神話作り安全だということをにして肝心の津波対策しないし安全を図ることをしなかったのである。

それは国家とか強大な権力がそうさせたとも言える。安全神話を作ったのはそうした政府とか官僚とかマスコミとか司法関係でも警察でもかかわり鉄壁の権力で安全神話を作ったのである。それが地震と津波で砕かれてしまったので。つまりそこに奢りがあり急ぎすぎたこともありただ目の前の利に心を奪われたということもありそれで取り返しのつかない事故になってしまったのである。
ともかくこの格言は人間に関してあらゆるところで適応される。
人間は目の前の事に奪われ目の前の利益に追われ長い先のことが見れない。そんなことをしていれば収入がなければ会社も経営できないとなる。
ただやはり国家となると国家百年の計とかはどうしても必要になる。原発はそういうものだったのである。危険なのだから急いで作るものでもないし目の前の利を求めて作るものでもなかった。

ただそういうことは人間には必ず団体でも個々人でももある。人間は常に利に追われそんな先のことを見ることができない。だから備えることもできない。安全を図ることは大事でもそれがすぐ利益にはならない。ただ三陸では何度も津波の被害があったから強固な高い防潮堤を作って被害を免れた町があった。やはりそれだけ津波の被害を経験していたからそうなったのである。
その費用は無駄なようで無駄でわなかったのである。

だからこそ安全を図るのは国家の仕事であり国家百年の計でもって土木工事でもしなければならない。日本は自然災害が多い所だからそれをするのは国家の役割なのである。中国でも常に大きな水害があり治水が国家百年の計となっている。水を治める者は国を治めるとなっていたのである。

●安全を図る国家の責任―国家百年の計

今回の中国の大水害の被害もそうだったからである。ただ中国のように巨大な国家になると先をを長く見る。それがやはり中国という巨大な国家のだからこそ長く見れるともなる。第一万里の長城などを造る計画をすること自体それを作ること自体途方もない時間をかけている。
そういう長い時間で見れるのは中国でもあったとなる。日本はやはり小さな国だから何かそうした長い先を見て計画して作るということがなかなかしにくい国でもある。
いずれにしろしろ原発は一民間会社が運営できるようなものではなかった。それは国家的事業であり国家百年の計のようなものがなければできないものだったのである。でも急ぎすぎたとか安全を図らずに安全神話を作ったりして国民を騙したのである。

その結果として20兆円もの国家予算並みのものを事故の後始末に使わざるを得なくなったのである。それは海も汚染されて処理水でも海に流すから中国からも韓国からも批判される。それほどの事故の影響が巨大だったし時間的にも長期間その後始末にかかる。だからこそ原発はどれだけ安全を図ることが必要だったか今になるとわかる。でもその安全を図ることにコストがかかるとか怠りそれが大事故となってしまってのである。

ただ人間は何か何でも余裕を持って行いない。絶えず何かに急かされる利に追われる。それも老人になればわかるが時間がたちまち飛んで消えてしまうからである。何か事業でも何でもチャンスを逃せば二度とそのチャンスはあるとは限らない。人間のチャンスは一度か二度でありあとは無い。何かゆっくりと構えてもいられないのであ。だから勉強でも絶えず自ら求めてするのではなく受験勉強とかで点数を取るために追われているのである。

会社を起こしてもまず利益だとなりそのためにどうしても不正なこともしたり弱められるのである。とても悠長に構えて事業もできないからである。だから高齢化の悪い面も多いのだが長い目で見て生きるという事にはいいともなる。もう60くらいで死ぬとなればやはり時間がないのだから何もできずに終わってしまうともなるからである。 60から90までも生きるとしたらまた30年もあれば先が長いとなり人間のなすことはそれで急ぐ必要もないとなってるのである。

●原発は核は人間の能力で操作できないから廃止するべき

事実私は60過ぎてからでも自分のしてきたことを旅にしてもその経験を書いていることでもわかる。何かを理解すること自体人間は時間がかかりすぎるのである。世界を理解するにしても実際に旅をしたりその後にいろいろ学ばないと世界など理解しようがないからである。でも人生200年になったらどうなるのか。世界をくまなく旅をしたりさまざまな経験をして知識を広めて理解が深ま。だから人生百年でも200年にでもなったら先を急ぐことはないとなる。だから長生きは必ずしもみんな悪いとはならないのである。人間はそれだけ成長するにも何か一つのことを理解するにも時間がかかるのである。

それより何かしようとしたら時間がなく人生が終わっていた

中小企業白書によると、 起業後の生存率は1年後で95.3%、3年後には88.1%、5年後には81.7% という結果が出ています

なぜそうなるのか、それだけ時間が限られていて事業でも簡単に成功しないのである。そして失敗したらまたやりなおす時間もないのである。ただ知的な研究などは積み重ねれば実りがある。でもそれでもそのことで収入があるうとはならないのである。
結局人間の成すことは時間が限られているためにやれることはわずかだとなる。要するに人間は時間切れで終わりになるということである。

だから原発にしても作るのは急ぎすぎた。それだけの日本には原発を作る技術もなかった。何か日本は特別技術にすぐれているということで安全神話が作られた。それは技術の未熟さを隠すためのものであり実質は簡単なことでも安全策とっていなかったのである。その理由は金がかかるからそうして頂けなのである。
何か安全神話というのは宗教のようになっていてただ唱えていれば安全だとなっていたのである。宗教の問題はただ仏に神に祈りは何でも叶えてやれる。そこであらゆる欲望が欲望を叶えてくれる。それが今のカルト宗教である。

だから東電が原発事故を起こした時あれはオウムだと言ったのも分かる。まさに安全神話では神話は宗教化していたからである。つまりオウムとわかると宗教であり今の宗教団体というのはほとんどカルトである。そこではあらゆる欲望が叶えられるとしてあれだけの人数が集まっているのである。
だからオームは科学を重視して科学者となる卵がそこに集まったのである。幸福の科学というのもまさに科学を重視しているからそうなる。創価でもやはりそこに医者などがいるとかえって信用される。
つまり現代とは科学が宗教となっているのである。そしてこの科学というのは人間の欲望なんでもかなえてくれるという幻想に陥っている。つまり科学は万能だという幻想に陥っているのである。だからあらゆる病気が治り人間は死ななくなるというまで言う人がいる。それはまさに人間が神の代わりに万能の力を持つということになる。でも人間には限界がありその限界があらわれたのは原発事故でもあった。

そもそも原発というのは人間の能力を超えたものとしてありまた原発は核のごみというか放射性物質というのは自然界にないものを作り出す。そのことは以下に危険なことだったか科学者はもっと考えるべきだった。それを考えていた科学者はいた。でもなぜか原発というのはそうして危険なのにやめられないのか。それは核兵器を持つために必要だからやめられないという人もいる。
でも原発というのは自然界にない物をプルトニウムのように2万年も消えないとかそういう危険なものでありそれを消す技術もなかったのである。処理水を海に放出したがそれは安全だと言っても信じられないのである。
だからそもそも世界でも原発を作るということは禁止すべきだともなる。それを操作する能力が人間には無いからである。そして放射性物質を自然界にはない物質を出すという毒を出すということが解決していないからである。そこに人間の能力の限界がある。それが大きな災いとなって人類が滅びるということもあり。つまり核というのは廃棄しなければならないものであり人間の能力でわ操作できないものだからである。



posted by 天華 at 10:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年09月05日

なぜ日本は貧困になり衰退したのか? 盛者必衰が歴史の法則ー新しい歌が起こると復興にもなる


なぜ日本は貧困になり衰退したのか?

盛者必衰が歴史の法則ー新しい歌が起こると復興にもなる


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加治将一

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●明治維新はなぜ讃えられるのか?

なぜ歴史というとき人によって見方が違ってくる。歴史をどう解釈するかとなるとそこにさまざまな事実があり様々な人間が関わっていた。でも今になればそうゆうことを人たちを簡単には理解できない。直接会ったわけでもないし何がその人のその人物を見るのかわからなくなる。だから司馬遼太郎の小説に現実のように思えるのである。何か歴史を調べるとき実際は資料でも無味乾燥なのである。でもそこに事実があり真実がある。何か歴史はドラマのように劇的でもない。でもドラマだと劇的に誇張して事実でなくてもそれがあたかも事実のように見てしまうのである。

小説は確かに事実をもとにして書いていることもあるが想像でも書いている。それが見分けがつかなくなる。ただ歴史的真実の考察をすると面倒になる。普通の人は歴史でも何か劇的で刺激的で面白ければ良いとなる。そこで真実や事実は歪められてドラマが小説が真実だとして通るのである。
要するに一般の人にとってそれが真実かどうかなどそれほど重要ではない。何か劇的で刺激的で面白ければいいとなるから小説家はそのためにそれにふさわしいものを提供する。

ではなぜ明治時代時代が特別美化されたのだろうか。日本人だけが植民地化されなかったとか特別明治時代は美化されているのである。実はイギリスであれ外国人が深くかかわって明治維新がなったというのも見逃されていたとなる。つまり明治維新は日本人の力だけで成し遂げたものとなりそれが誇大な誇りとなり日本は凄いとなった。

ただどうしても明治維新がなったのか成功したのはやはり侍がいて侍というのはやはり江戸時代にその前からエリートとして貴族のように社会の中で模範となる人として育てられていた。
明治維新というのはそもそもそうした侍たちがいて成し遂げることができた。その侍たちでも上級の侍ではなく貧乏なの下級武士だったのである。それで下級武士から上に上がろうとして幕藩体制を崩す役割を担った。高杉晋作の奇兵隊は庶民でも参加していた。そこで成り上がろうとする人たちだった。そこに上級侍は主役ではなく下級侍が成り上がるための戦いにもなっていたのである。革命というとき何か必ず上を目指す支配階級に成ろうとする。そのために権力争いになる。そこには何か美名の下に革命を志向しても人間の欲望実現のために革命で既得権者を倒すことを目的にもなる。
ただ侍はやはり何か上に立つ者としてのモラルがありその人たちが明治維新を成し遂げてのである。なぜなら明治時代にあらゆるところで指導者となっていたからである。大学などでもその創始者は侍の出身が多い。侍は読み書きも当然できたし教養もあった。だから明治時代に一番漢詩が興隆したというのも江戸時代にすでに培われていたものが花開いたとなる

●明治時代の指導者は侍がなっていた

確かに江戸時代はすべていいものでもないし貧乏でもあった。ただ江戸時代300年に培われたものは明治維新で生きたということもある。その一つの例が武士道とキリスト教を一体化させた内村鑑三などである。ただ内村鑑三にしてもアメリカのクラークに北海道で教えられた結果である。でも元々いくら教えるにしてもそれを吸収できるものがなければそういう優秀な人は育つことはなかった。いくら弟子でもやはりそれなりのものを持っていて情熱を持っていて教えられて身についたとなる。

つまりそれは個々人でなくても江戸時代という300年の歴史が培ったものはやはり日本にはあったから明治維新が成功したともなる。それを全部否定することはできないと思う。ただやはり問題だったのは実際は民主主義を取り入れても議会制を取り入れても天皇一番上のものとして神のごとくして政治でも行った。それは時代錯誤ともなっていたかもしれない。
それで内村鑑三は天皇方を礼拝すること拒否して不敬罪になったということもあった。そして内村鑑三は日露戦争を批判した。その時日本はロシアに勝利したとか驕りともなった。そのロシアに勝利したということはののちの太平洋戦争にも通じていたのである。
つまり日本はすごい日本は優れている。日本は強いとなり強大なアメリカに挑んで戦争をして300人万人も死んだとなったのである。だから確かにそこに日本人のおごりが出てそれが悲惨な結果になったともなる。やはり日本は島国でありアメリカはどういう国だとかどれだけ大きな国なのかもほんの一部の人しか理解していなかったからである。

それは中国の漢の国に夜郎自大国が戦争しても負けないとなって結果的には負けた。その原因が夜郎自大国は銅の武器しか持っていなかった。漢の国は鉄器でありその武器の差が勝敗を決したのである。
アメリカと日本の戦争でもそうである。最後は核兵器によって日本は完全に敗北した。つまり日本はアメリカのことなど分からなかったのである。だからアメリカなど大したことはないとかその見方が誤って最悪の結果になったのである。人間はおごる時時危険なのである。

●高度成長時代で日本は謙虚に学ぶ姿勢を失った

なぜ日本が高度成長時代には世界でもアメリカでも日本に習いとこ言われていたのである。それが一転して失われた30年代わり日本は貧困の国となったのである。そして日本の悪いことばかり言われるようになったのである。日本は中国よりも遅れた国となりさらに東南アジアとも同等になり今や韓国より貧乏だともされるのである。 30年間給料も全く上がっていないからである。
そして貧困にあえいでいるというのも高度成長時代を経験した者にとっては信じられないともなる。確かに日本人は高度成長によって謙虚さを失った。それは日露戦争によってロシアに勝ったとかなって高慢となりそれが太平洋戦争となりアメリカによって打ちのめされたので。だから常に歴史は奢れる者久しからずで盛者必衰の歴史を繰り返している。

それは別に日本だけではないどこの国でも盛者必衰の歴史を繰り返している。だからアメリカすら衰退してゆくことは確実なのである。いつまでも栄える国はこの世には無いからである。永遠の都は天にありそこで神が治めてその繁栄は尽きることはない。この世の繁栄は常に変化して強いものでも弱くなり弱い者でも強くなり変化してゆくのである。驕れる者久しからず歴史の法則でもあった。日本もまた同じだったのである。それはほかの国でも同じである。

●日本の地政学ー日本の使命ー東西の融合

現在の世界を作ったのはカトリックではなくプロテスタントであり宗教でもプロテスタントがプロテスタンティズムは世界を作った。プロテスタントから科学も発展したという時もそうである。資本主義もまたプロテスタンティズムからも生まれている。社会共産主義というのは何か平等を目指す時それも資本主義を否定するものとしてあったがやはりその資本主義が何かということを解明したのは。社会主義とは平等をめざすからカトリック的なものかもしれない。つまり欧米でもカトリックとプロテスタントは二分されて別のものとして発展したのである。

一方で日本というのは地政学的に東西の分岐点にあり東西を結ぶものとして日本があった。ただアジアとはと中東もアジアでありイスラエルでもアジアである。だからヨーロッパとは違うのである。それはアジアはオリエントでありすべての起源になった場所である。だから宗教というとき仏教でもキリスト教でもイスラム教でもアジアから起こったものでありヨーロッパから起こったのではない。だからキリスト教でもヨーロッパ化したキリスト教でありそれは本来のキリスト教徒も違うと言う人もいる。

つまりあらゆるものの基は実はアジアにありヨーロッパ的なものは新しく別なものなのである。だから真に宗教を理解するのはアジアでありヨーロッパではない。それでキリストが生まれた時東方の三博士が祝福したというのはそもそもはキリストもアジアから生まれたものだからである。イスラエルもアジアなのである。
だからすべての源はアジアにありアジアに帰るのである。ただ現代のカルト宗教などは宗教ではない。それは現代文明に共通した大衆化した宗教であり俗化した宗教でありただあらゆる欲望を叶える資本主義的宗教ともなっていたのである。それはまた大都会から生まれたということでもそうである。自然とかけ離れた大都会で大衆化したナチス的なものとなってそれは現代文明の病理的現象なのである。

いずれにしろ日本の使命は欧米であれアジアであれ東西の文明を融合させる地理に配置させていたのである。なぜ日本が衰退したのかというときやはり明治維新の成功とか日露戦争の勝利とかまた戦後も高度成長時代がありそのために外国から学ばなくなったとか奢りおごり生まれて失われた30年がありそこから回復していないのである。
それはやはり日本という国が新たな文明を創造するという力もない。そこには創造力が必要になる。それが日本はただ真似ることは上手でも改善することは上手でも創造するということにおいてかけているのである。欧米には創造力があり新たなものを生み出す力がある。日本にはそれが欠けている。そのためにやはり失われた30年があり旧来のままの日本がありit革命に遅れてしまったのである。

だから変わり目の早い日本人がなぜそうなったのか理由がわからないともなるやはり日本が奢りが生まれてそうなった。つまり今日本人が必要としてるのはもはや欧米から真似ることではない新しいものを創造することことである。しかしそれは容易ではない一人の天才が出たからといってできるものでもない。でも日本は再び興隆するには今までにないもの新しいものを生みだし創造することが回復することにつながる。だからただ暗記教育とかものまね教育でわそうした新しいものを作り出すことはできないのである。それはあらゆる面でそうでありそれなくして日本の再生は無いのである

●新しい歌が起こる時新しい時代が開かれる

主をほめたたえよ。主にむかって新しい歌をうたえ

今を生きるための神への「新しい歌」を必要としているのです。なぜなら、「新しく造られる民が主を賛美しますように。」(詩篇102:18)とあるように、生きた賛美は主によって刷新された民によって、新しい心をもって歌われるべきだからです。

今どこに新しい歌が起こっているのか。新しい歌が起きたときはどういう時だったのか。それはホイットマンが生まれた時代にアメリカを歌う新しい歌が起きた。それはアメリカという国が新しく生まれた時でありその時賛美されていたのは貴族ではない。ヨーロッパだと貴族になるのアメリカにはそもそも貴族が居ないからである。だからアメリカというのはアメリカ人はすべての人と対等になる。普通に働く職人であり商人であれ農民であれ船乗りであれカーボイであり別に特別な人たちではなかったのである。

アメリカには天皇や王様はいない。最初代大統領のリンカーンでも丸太小屋から始まったからである。アメリカの一開拓者に過ぎなかったのである。だからアメリカ人はフラットなので何か気さくに対等に付き合えるとなる。
でもアメリカでも人種差別がありそうともならない。私も博物館に入ろうとして日本人だと言ったら何か入れないとか差別があったのである。それは厳しい顔をして拒否されたのである。つまりアメリカの人種差別はそれだけ厳しいということである。それはみんな経験していることである。

だからアメリカ人はみんなフラットに対等に付き合うわけではない。アメリカはまたほんの一部の人はその金を集めて莫大な富を少数者が独占している国である。だから確かに貴族というのはいなかったがその莫大な金を独占している人が支配するとなっている。だから今アメリカは全ての人にフラットに付き合えるとなっていないのである。莫大な富を持っていて豪邸の住んでいる人がいるが路上で車で家もなく生活している人もまた多いのである。
アメリカは様々な人種が混交してまた人種差別がある。
ただ確かにアメリカというのは基本的に貴族がいないからフラットな関係になる。だからホイットマンが生まれたのはアメリカの草創期にそういう感覚を共有していた。そのとき西部開拓がありフロンティアスピリットがありそれが北海道に内村鑑三などがクラークに学んだ時代と一致していたのである。

でも時代はちょっとでもずれるとまたそういうフロンティアスピリットの時代も終わっていたとなる。だから時代というのは常に変化しているのである。高度成長日本でも高度成長時代があってそれが失われた30年となったのでもわかる。今やや高度成長時代というのはなんだったのか。そんなに早く時代というのは変化するのである。そのとき盛んに世界は日本に習うべきだと言われていたのである、ジャパンアズナンバーワンとしてその成長ぶりに驚いていたのである。

すべては衣のように朽ち果てます。
着る物のようにあなたが取り替えられると
すべては替えられてしまいます
詩編 102

1【祈り。心挫けて、主の御前に思いを注ぎ出す貧しい人の詩。】

このように時代が変わるのが早いのである。高度成長時代から失われた30年がありふりかえると30年ともなれば一時代にもなっていたのである。

とにかく新しい歌が生まれるとき新しい時代が始まることはある。その歌というとき詩だけでない、音楽でもあり絵画でもありり文学でもあり科学的なものでも新しいものが生まれる時神は喜ばれるとなる。それがあって日本もまた再生するとなる。それは歌だけではない社会全体がそういう気分になることである。それはもはや大都会からは生まれない。それは自然がある地方から地方都市からルネッサンスが生まれるのである。

ルネサンスとはフィレンツなどの小都市国家から天才が綺羅星のごとく生まれてその相乗効果がありルネサンスが生まれた、ただ一人の天才のことではないのである。一つの新しい時代がうまれたのである。それは大都会からは生まれないものだった。小都市国家から生まれたのである。一千万の大都会とかなるとそこには巨大な経済力となっても文化が産まれないのである。
文化cultureはcultivate(耕す)からきているからである。
福島県でも会津と海側は風土が違っている。すると文化も違ってくる。土地土地で違った風土があり文化は違ってくるのである。
身近なものでは食文化も違ってくるのである。その土地土地の味が生まれる。だからどこにいってもハンバーグを食べるのは文化がないからつまらないとなる。
つまりこれからはそれぞれの土地土地の文化を掘り起こす文化の時代になる。大量に同じものを作り売るという時代は終ったのである。

posted by 天華 at 20:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年09月06日

失われたファミリー大家族 2025年:単身世帯が1996万世帯 加速する「ソロ社会」化


失われたファミリー大家族

2025年:単身世帯が1996万世帯 加速する「ソロ社会」化

非人口要因のひとつとして考えられるのは、老親とその子どもとの同居率の低下である。すでにこの傾向は進んでおり、妻と死別した80歳以上の男性とその子どもとの同居率は、1995年の67%が2015年には43%まで低下した


●ファミリーは大きな範囲の人の結合体

現代の社会状況を見ると例えばニートとかことおじとか40くらいでも働かない人が普通に居る。確かにそういう人はいた。でもごく少数でありそれは特殊な人として別に社会の話題になるということもなかった。でもその数が百万とかなればそれは特殊な人の問題として片付けられない。それはさまざまな社会問題を引き起こす。
また単身所帯が増えるというのもそうである。ただ明治以降に家族という言葉が生まれた。また家族の墓が生まれた。それは江戸時代にはなかったのである。何かこれが理解しにくいのである。

江戸時代の墓はホトケッポとか村のの人たちが一か所に葬られた。そこは村の共同墓地であり個々のの家族の墓というのはなかったのである。だから家族という言葉は明治以降生まれた言葉でありその前に家族というのはなかった。家族でも家族が無いにしろそれより大きな家族のようなものが大家族はありたとえ結婚しなくてもそういう大家族の中に所属して共に生活していたのかもしれない。一族郎党とかにもなる。
外国でもファミリートはその範囲が広いからやはり日本と同じように大きな範囲がファミリーなのである。ファミリーというとき親しいという意味があり日々生活する中で顔を合わせて生活する人たちがファミリーだったかもしれない。サクラダファミリーという時やはり教会を中心にしてファミリーが形成されだということでもある。その中心に教会があったとなる。

家族の変化で変化となるとそうした大家族よりもまた大きいファミリーというのは喪失して個々のの家族になった。だから家族の単位は狭い範囲になった。でもやはり今の核家族化したものよりは大きなものだったのである。だから農家は大家族で経営していて東京に働きに出て帰ってきてもそこに長男がいて家を継いでいるから養うということもできた。何か大家族ファミリーにはそうしてを広い範囲の人たちを糾合するものを持っていた。
核家族になると家族よりさらに狭い範囲のものとなりそれは家族としてすら維持できないものとなったのである。だから何かあると介護でも病気でも核家族だけではとても維持できなくなる。今人々が拠り所となるものを失い単身化して孤立化して孤独死に至るということが増える。

●所帯人数が少ないので介護とかで担いない

今所帯というのは構成人数が少ない。本当に一人だけの人とか夫婦とか子供がいても一緒に子供所帯と住む親は少ない。結果的に夫婦の所帯とか単身所帯が増えたのである。夫婦の所帯でも一人がどちらかが死ねば一人になってしまうのである。それよりもまた熟年離婚も増えていて一人暮らしの人は増えたのである。
その人はこの辺の原発事故とか特殊な事情で一人になってしまった。原発避難区域に住んでいて息子夫婦は仙台に住むようになったからである。そしてまた65歳なのか離婚熟年離婚して一人になってしまったのである。その事情は原発事故だけではない。そもそも熟年離婚もどこでも増えているからである。

そして一緒に墓に入りたくないという人も死後離婚も増えている。そういう社会的事情があり単身所帯が増えたのである。それは若い人でも結婚しない人が多いから単身所帯が増えたのである。ある意味でソロ社会になっているというのも分かる。ただ熟年離婚は男の方が衝撃がある。特に妻に支えられてきた人は熟年離婚すると精神的にもショックが大きい。でもそういう人も増えているのである。その人でも男性でも家族に尽くしてきたのだがいろいろな事情もあり本人の性格とか色々あって離婚になった。それで孤立化して不安定になり困っている。そういう人も増えたのである。
やはり人間は拠り所となるものは必要でありそれがないと不安定になるのである。ただ別に単身所帯でも特殊な人がいてそういう人はそういう人生を選びそれでその人生を全うしていた。それはアウトサイダーとか極めて特殊な人だったのである。現在の問題はそういう特殊な人ではなくどこにでもいる一般化した問題なのである。だから社会問題になるのである。

現代というのは村のような狭いところでより合い助け合い生活しているのではない。別に金さえあれば身近でもよりあい助け合うということをしなくてもなんでも物は買えるし何か近くの人と協力して生活するということもないのである。だから近くでも何をしている人なのかもその仕事も分からない人も結構いるのである。
それだけ人間は今互いに知り合うと言うこともないのである。だからこそ逆に家族が拠り所となる。夫婦でも拠り所となる。でもその範囲が狭いし家族といっても少人数であり夫婦だけとかになってしまうのである。そうなると何かある時支えられなくなるのである。ヨーロッパあたりでは介護とかは国ですることになる。そのために多くの税金を払っているからである。

日本にはそれがないから家族に負担がかかるがその家族が少ないから介護とかなると苦しくなる。ともかく70くらいになる職人の人でも家族に尽くしてきても単身所帯となって不安定となってしまったのである。何か息子娘もいても近くに居ないので頼りにならないと言っていた。なにか老人になると体も弱るので近くは見る人はいるといいのである。でも近くに住んでいないと隣の市まで15キロもあるから車で来るのも結構手間になる。それで病気になった人は一人で住んでいるが苦しいとな。いずれはとても一人では生活できなくなる。

いずれにしろ何か家族というのは夫婦とか子供とは別になり一人が倒れるとその負担が大きくなるし家族でも崩壊するのである。
それは介護で一人で悪戦苦闘して家族自体が崩壊したことを自分自身が経験している。そして私自身も単身所帯になったということである。でもそれは私の場合は特殊であったがほかの人は別に結婚して子供を持って仕事して家族に尽くしてきたという人が普通である。それでもやはり単身所帯化しているのである。それはその人自身にも問題があるにしてもやはり社会的な問題として現象化したのであり社会の問題なのである。
なぜならやはりファミリーというとき今の家族をイメージするがもともとはそういうものではなかった。その数でも今よりずっと多い人の集まりがファミリーだったのである。

それが喪失した時拠り所を失い不安定となり孤立化してまた孤独死が増えたのである。何か巨視的に見るとき社会自体が個々バラバラのアトム化社会だとかも言われる。それは経済が広域化グローバル化したということも関係している。金さえあれば別に物は買えるし一人でも生活できるからである。
おそらく江戸時代あたりだったらとてもその後でもファミリーに属していなければ生活できなかったろう。もうそこに縛られるにしてもやはり拠り所となる所がありそこでともに生活して仲間として死んでいったともなる。とにかく何らかの共同性があって暮らしていたなる。共同しなければ基本的に農民社会であれば生きていけなかったからである。
それでなぜ現代でカルト教団が増えたのか?それも大きな家族であるファミリーを喪失した。結果として疑似ファミリーに吸収され所属することで安定化を図る。ただそれはナチス的な組織になるから怖いものがあり危険なものなのである。

●人間社会は得るものがあれば必ず失うものがある

何か無縁化社会とか言われる時それは金だけが支えるものとなり金さえあれば別に孤立してても一応生活はできる。でも問題はなにか事故であり病気であり介護とかなると一人でわ支えることができなくなるから問題なのである。もちろん夫婦がいれば一人が支えることができるがそれでも負担が大きいのである。
そして介護でも家族だけが任されることが負担が大きすぎるのである。だから人間社会の不思議は江戸時代など貧乏であり食うことすらまともにできないし飢饉もあったとか現在ど比べれば地獄だとも言われる。それも事実であり現実であった。
では今の社会がまた江戸時代とか戦前とかと比べていいものなのかとなればそうともならない。それが人間社会の不思議なところである。というのは昔の江戸時代の医者などはそもそもが病気を直すということができないのでそれでもともと治せないということがわかっていて医者を責めたりしないのである。そして医は仁術とかなっていたのであるつまり今風に言えば愛を持って患者に接する同情する。でもとても現実に直す術はなかったのである。

逆に現代では病気は直されるべきものであり治せない医者は責められる。
でも医者は患者に同情を持って接するということも無くただ医は算術となったのである。まず金の計算をするからである。だから人間の社会というのは確かに医学でも進歩してそれは悪いものではない。治らない病気が治るのだからそれは江戸時代などよりずっといいものなのである。
でも何かを得ることが何かを失うということが人間にはある。そのことは人間である限り人間社会であるために変わらないとなる。何かを得ることはとにかく何かを失うことなのである。だから今いろいろ文句をいう不満をいうが過去に比べれば今の社会はいいものだとなってしまうのである。
何か家族というのでも江戸時代から考えるとそもそもは家族という言葉自体明治になって生まれた言葉のようにそれは江戸時代の大きな家族とは違ったものである。小さい単位のの少人数のことであり江戸時代にはなかった言葉なのである。だから言葉というのはそういう社会背景があって理解できるのである

とにかく人間社会は確かにいろいろと科学でも技術でも進歩する。でも必ずそこに失うものがある。家族でもやはりさまざまに変化して作られてきた。何か家族というとき人間社会から始まる出た時からあったように見られる。でもそれは狭い範囲の今の家族からイメージしているから過去の昔の家族のことが理解できなくなったのである。いずれにしろ単身所帯が増えるというときそれはやはり社会が変化してそうなった。だから個々の家族の問題ではなく社会自体の問題であり簡単に解決はできないともなる。
だからとにかく人間社会というのはいくら進歩しても何か必ず問題が起きてきて理想社会など作れないのである。そこに人間の限界があ。それを解決することが人間の力ではやはりできないとなるからである。何か一つ問題を解決してもま新たに一つ問題が生まれるのである。つまり一つの地獄が消えてもまた新たな地獄が生まれる、親鸞の言うように(地獄は一定の住みかなり)なのである。時代が変わっても地獄社会なのである。


家族とは明治以降に作られた言葉
(江戸時代の家は一族郎党の広い範囲の共同体ーファミリーの語源)

2023年09月07日

coffee shops in the forest by image creator (森の喫茶店)


coffee shops in the forest by image creator 

Bing Image Creatorの著作権
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商業利用はできないのか? 何か著作権は商業利用する時問題になる。
何かこれは創作物とはならないように思える、なぜならただ言葉を入れて創作するのであり実際に創作しているのはコンピューターでプログラムを開発した人たちであり会社である。
私自身でもこれを使って絵を作り出してもそこに私自身が創作したという感覚がないからである。第一簡単な短文を書くことなど誰にでもできるからアである。
だから不思議であり一体創作しているのは誰なのかとなってしまうのである。

これまでの私の抽象画は誰かの作品を変化させて作っていた、それでも原画とかけ離れて見分けがつかなくなる。それも創作なのかとなる。でも原画から変化させたことがわかるとやはり著作権が問題になる。ただ私の場合商業利用はしていない、
一切プログを書いても金はもらっていないからである。広告もないからである。
いずれにしとchat gptでも著作権などどうなるのかわからなくなる。
創作しているのが誰なのかわからなくなる。人間なのかロッボトなのかわからなくなる。だからコンピューターは人間の頭脳と深く関係している。それが今までの道具と違ているのである。

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Can't I use it commercially? Copyright is an issue when you use something commercially.
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Even if I create a picture myself using this program, I do not feel that I created it myself. First of all, anyone can write a simple short sentence.
Therefore, it is a mystery to me, and I wonder who is the creator of the work.

My abstract paintings were created by changing someone else's work, but still they are so far from the original that they are indistinguishable from the original. I wonder if it is also a creation. However, if it is known that the work has been altered from the original, then copyright becomes an issue. In my case, however, I am not using them for commercial purposes,
I do not get paid for writing a blog. I don't even have ads.
In any case, I don't know what happens with copyrights in chat gpt.
I don't know who the author is. We will no longer know if it is a human or a robot. That is why computers are deeply related to the human brain. This is what makes them different from conventional tools.

2023年09月08日

利から離れた場が教育には必要 (宗教も学問も学校も利と結びつき堕落した)


利から離れた場が教育には必要

(宗教も学問も学校も利と結びつき堕落した)

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青年の特権

青年は利を語るなかれ
これをやれば儲かる金になる得する
青年は利得を語るなかれ
青年は純粋たるべし
世俗の欲にまみれざるべし
青年は大いなる未来を語るべし
それは成らずとも語るべし
青臭くとも大言壮語でもよし
喧々諤々議論するもよし
とにかく利欲より離れてあるべし
純粋にその理想を語り目指すべし
それは別に成らずともよし
それが青年の特権なり
大げさなことと批判されても良し
確かに現実がすぐに突きつけられる
でも青年は未来を語るべし
なぜなら未来は青年によって作られるから
老人はただ過去を回想するだけになる
青年には大いなる未来がある
未来を創るのは青年であり老人ではない
だから青年の特権は未来を語ることにある
それが大げさでも非現実的でもいい
とにかく青年は未来を語り利得を求めない
ともかく青年は大望を抱くべし
それがならずとも抱くべし
それは青年の特権なり
いずれはその大望も挫折するとしても
青年は大いなる大望を抱き未来を語るべし
利得を離れてただ純粋に大いなる未来を目指すべし
それが青年の特権であり
神は青年に永遠の命の霊を与える
その時青年は神を知り神の子となる
その先の人生も挫けることはない
神は汝を導き天の国に引き上げる
神の懐は深く大きい過ちも赦す
紆余曲折があっても神は汝を神の国に導く
神に敗北はなく勝利のみがある
汝を再び神の天地創造の技を見る
全能の神の技は尽きることはない
その大自然が神殿でありさらに天にに真の神殿がある
そこに聖徒たちが集い天使が神を賛美する
さらに神は驚くべき技を行うだろう
新しい天と地を見る
人はかくて神を讃え神と共にあり永遠の都に住む
朽ちざる都がありその成すことは虚しくはならない
そこに誠の実りがありその実りを刈り取る
そして神にその実りはは奉げられる
神と結ばれて栄があり神を離れて栄はない
永遠に讃えられべきは一なる神なり
その光は闇を払い消えることはない
永遠の光明のなかにあり悪は見ない
神を見たものはその神々しさに倒れる
全知全能の神を畏るべし



●明治から立身出世も学問となった

教育でもなぜ歪められたのか。それはすでに明治時代から始まっていたのである福沢諭吉が学問のすすめを書いたけどもそれは学問でもって立身出世をする。それが学問の目的と化した。
そこからして学問というのが利益と結びつき一体化した。
学問とは立身出世のためであり何か真理とかを追求するとかではない。社会に出て立身出世するための学問である。
つまり学問と勉強とは社会で得する有利な地位に就く。そのための学問であり勉強である。だから慶応大学とかは学閥が強力であり社会を牛耳っている。それは利権団体として強固なのでそれで慶応大学に入ると就職するにも社会に出ても学閥が強力であり得するとなる。
こうしてその出発点からして歪められていたのである。ただ戦前の大学は全く今の大学とは違って本当に選ばれたエリートでありそれでそこに自由があり青春が謳歌できたのである。だから利だけではないデカンショデカンショとか世の中に出ても役に立たない哲学でも追求していたのである。つまり社会の利から離れた場として大学がありそこでエリートとして育てられていたのである

でも戦後は大学はそういうエリートではない。大衆化したとしたものとなっていた。講義をするにしても千人も入る講堂でするとか高校とはあまりにも違っていたので特に文系は暇つぶしの場であり遊びの場になっていたのである。
だからゼミに入っても教授とあったのは一二回しかなかったのである。教授とかでも何か教えないのである。だから大学というのは何だったのかと何かを教えられる場として入ってきたのだが教えることもないしただそこに自由な時間が与えられていただけなのである。
でももともと何かを追求するために大学に入ってはいない。大学に入れば何か得する社会に出ていいポジションを得る地位を得る。ただそういう利得を得るものとして大学にも入り受験戦争もあり本来の学問の目的など関係なくりの教育であり純粋に何か興味を持って追求するということもなかったであろう。
学生運動というのも戦前の特別なエリートは違った大学になった時起きた。大学は大衆化して起きた現象だったのである。つまり戦後はあらゆるものは大衆化してゆく。そこに今までの選ばれたエリートとか特権階級というものはなくなったからである。だから戦前の大学と戦後の大学はまるで変わったものとなったのである。

●戦後の民主主義は利を求めるだけ

そして戦後は民主主義となりその民主主義でもただ権利を主張して利を得ることが目的化したのである。そこに責任は無い。ただ利を追求することでありそのために教育もあり学校もあり大学もあるとなった。
とにかく人間というのは利と結びつくと歪められ金と結びつくと歪められる。でも子供の時は純粋に遊ぶということが仕事にもなる。それは利と結びつかないのである。だから遊ぶということはもともとは神聖なことであり神は遊ばされるとなる。つまり神は利から離れて遊ばせられる聖なる存在なのである。

神社でもそこは賽銭箱があって利を得る場所になった。そもそも宗教はこの世の利から離れる場所としてあった。でもこの世にある限りそれも不可能であり利と結びつきついにはただ御利益を追求するような場となったのである。
カルト宗教団体となるとむしろ信者を集めて組織団体化して利権団体となり政治団体となり権力を得るためのものとなり完全に利益を追求する団体となったのである。カルト宗教団体は共通しているのはその内部でも出世争いがあり権力争いがありしのぎを削っている。そこは世俗的な場よりさらに世俗的な場所になってしまったのである。ただ共通しているのは利求めることなのである。

大衆化した宗教であり大衆化するということは利益を第一にすることである。利益というのは誰でもすぐに理解する。発達障害の人が簡単な計算すらできないのに利に聡いのである。それは日々の生活の中でいかに金が大事なものか身をもって知っているから金のことを第一にして理解しているのである。
つまり面倒な理屈などなくても知らなくてもいい。どんな人で学がなくてもこの利益だけは理解する。得することは何かを理解する。だから今の宗教はすべて御利益宗教なので利益になる得すると吹き込む金になるとそういうことばかり指導しているのである。だからこそあれだけ人数が増えてくるのである。難しい理論は一切必要ない。ただ利を説くだけなのである。

●教育する場の喪失

要するに大衆化した社会ではもう教育する場というのはなくなった確かに学校はある。それも必ず利益と結びつき利益を得るための学問であり勉強なのである。学校では常に試験がある。その点数を上げるための勉強なのだがそれもただ利になるからそうしているのである。それから逃れられないのはその学生が悪いというのではなく第一親がそう強いてるからである。親もまた常に利を求めているから得したいから子供をそうした得する場に楽に稼げる場に地位を得ること望むからである。だからいくら利から離れた教育をしようとしてもできないのである。

ただ教育というときそうした一部のエリートがしているものではなかった。教育というのはそもそも実用的なものであり何か高等な哲学などは普通の人にとって関係ないものだったのである。職人だったらその技を身に付けるものでありそれはあくまでも社会に出て稼げる力をつけるためにそうしていたのである。だから私の父親は明治生まれであり酒屋で丁稚奉公していた。
それで私も家で店を始めたとき絶えず配達とかさせられていたのである。つまり父親は私を丁稚として見ていたのである。そしてそろばんを習っていたのもそのためである。それは丁稚には必ずそろばんが必要だったからである。でもそういう経験をしているから上の学校に上げたら楽だとして上の学校に上げてくれと言って中学のとき死んだのでは。だから教育ということ自体何か利益を得る社会でも有利な立場に立つそういう観点からしか観ていない。親も子供にそうした立場に立つことを望んでいるからである。

結局なぜ人間は教育でもなんでもゆがめられるのか。それは常に利がが優先され本来の目的がそれによってゆがめられるのである。子供の時に純粋に遊ぶという時そこにには関わっていない。でも大人になればそうして純粋に遊ぶということもない。遊ぶこと自体にも利が関わってくる。そこで本来の目的とは違ったものとなり弱められるのである。

カルト教団などは創価でもひたすら御利益であり後は社会的地位を上げることであり得することであり利益を得ることでありただそのために毎日祈っている。ほかの宗教でもやはり利と結びつき本来の宗教性は何もないのである。そこで語られるのはただ得することであり御利益を求めることだけなのである。だからそこで何か利を離れて未来を語ることなど何もないのである。

●子供と青年の特権は利を離れて未来を望むこと

子供の特権は青春の特権は利から離れて遊ぶことにあり青春の特権は利から離れて未来を語ることである。その未来を語るのは青年の特権なのである。もしかしたら荒唐無稽なことでもいいとても実現しない未来でもいいそのことを語ることが青年の特権なのである。
何か青臭くても良いし大言壮語でもいい。とても実現しない未来を語ってもそれが青春の青年の特権だとなる。そういう場があってもいいのだが今は必ず利と結びつきそういう場が失われたのである。なぜ青春は大事な時かというとそこが人生の出発点となり後々まで影響するからである。その出発点が間違うと人生そのものは間違ったものともなり得る。ただ青春の時はさまざまなことが一気におしいよせる。その性の欲望であれなんであれ一番膨れ上がりその欲望に圧倒されて肝心なものも見えなくなる。

でもなぜ若き時神を知れということが大事なのかそれは若い時しか聖霊を受けることはできないからである。なにか老人になれば悟りが得られる。れは確かである。理解できなかったこと何か自ずとと不思議に理解できるようになるのである。
でも青春の時最も血気盛んな時その時神を知らなければもはや神を知ることはできなくなる。神を知るということはやはり青年の時しかできない。だから青春時代に何か放蕩三昧にして節制しないと神を求めないとその後は得られなくなるし真善美の世界も見えなくなるのである。だからやはり人生の出発点が後々まで影響するのである。そしてあっという間に青年時代も過ぎてしまい老人になってしまうのである。

もう35になったら人生はあとは余禄だというのも分かる。40歳で白髪が生えてきたりするからである。それだけ人生は過ぎ去るのが早いのである。そして人生は夢のようになって終わる。「人間50年 下天の内をくらぶれば 夢幻のごとくなり」人生となってしまう。ただ今人生百年時代だから違っている。それでも人生は短いのである。それで職人であれ普通に働いている庶民であれなんで働いてきたかわからないという人が多いのである。何のために金をためたのかもわからないと言っているのである。別に知識人でなくても普通に現場で働いている人もそうなっているのである。空の空になてしまうのである。だからこそ若き時神を知れいうことが重要な教えとなるのである。出発点を間違うと一生も間違うとなるかっらである。

詭弁学者は自分の知識を営利の目的をもって諸都市を巡回し謝礼を得るためにさまざまな科学や芸術中でも雄弁修辞のの学問を売りさばいていた。彼らの学問の目的は純粋な真理追求ではなく実利を目的としていたそれは宗教にも言える宗教団体の勢力を伸ばそうとして政治的に経済的に実利を目指す芸術の分野でも思想書くというよりは本を書く制作するというよりは絵を描いて実利をものにする方に進む
離脱の思考ー上野霄里

つまり学問でも芸術でも宗教でもすべて利を求めるものとなった。そのことを厳しく批判している。それは批判とより激しい糾弾になっているのは上野氏の特徴である。それは原野に咆哮する野生の動物とも似ている。
とにかく社会は利によって歪められ本来の素心はなくなったのである。素朴なる心を失ってしまったのである。ただどこに行っても複雑に利益がー絡みあって利から離れられないのである。あらゆるものは利益を目的として社会は機能する。それは宗教でも同じである。宗教はすべてご利益宗教になっているのを見ればわかる。だからこそ宗教はカルト宗教になり大衆宗教になり堕落したのである。でも世俗で認めるのは本来の宗教などではないそうして堕落した利権化した利を求める宗教こそ大衆でもわかるからそれは巨大化してナチスのようにもなる。

つまり大衆がそうしたカルト宗教を作り出し利権化してただただ利益を得るためのものとなってしまったのである。だからそこに本来の宗教を目指すものは何もない。ただ利益を得ることであり権力や地位をあくことなく求めているのである。そして政治化した利権団体となれば批判もできなくなるのである。
現代は個人など認めない。それは拒否するべきものでありそもそもこの世に存在させられないのである。この世で大きな声になるのは必ず背後に利権団体があり宗教でも必ず組織団体がありその団体よ社会は認めたとえそうかのように完全な政教一致でも数が多ければ世間はそれに従う。なぜなら選挙はすべて数で決まるからである。そこに法律も何もないのである。そこから全体主義ファシズムとなったのはナチスだったのである。

●老人でも最後は神の国に向かって前進する

いずれにしろ人間の一生は不連続なものではなく連続している。だからすでに老人になったとしても老人の中に青春があり青年がある。それで青春でも老人の中によみがえる。青春の冒険精神お忘れるなという時人間の一生は連続しているからである。
ただどうしても若いときは無謀であり欲望が溢れて何か理解することにかけている。理解する悟るというのは老人になってからで。ただ私の場合は遅すぎたということである。 70以上になってからようやく理解するようになっているからである。すでに天才ならば若い時に芸術でも何でも理解しているからである。

自分の耳に目に芸術的なものまた美術的なものを触れ示いまだ多くの人が思いもかけない未発なもの蓄える力を養うということが大事です
老いゆけよ、我と共に  手島郁朗

そうして日々蓄えたものが老年になって実りとなる。とにかく人生は連続していてその出発点が青年でありだからこそ若き日に神を知れとなることが大事なのである。出発点を間違うと一生間違った方向に行ってしまうからである。
そういう人たちは集団組織の中に取り込まれて自らの個を失い硫一生ただ集団組織のために生きるロボットとなるのである。そして教祖を偶像化して教祖のコピー人間となり終わる。
ただそういう集団組織の中で利を追求するから利益にはなる。

でも最後にわ普通の人でもただがむしゃらに利益のために働き金を残しても何のために残したのかもわからないと言っている。それは別に集団組織のために尽くした人だけではない。それは最初の出発点が間違っていたからそうなったともなる。ただ利益しか求めていない。そして他者より優れているものとして這い上がろうとして必死になる。集団組織の中でも地位を求め激しく争うのそれはオウムでもそうだった。そこには理系の優秀な人たちがいてその人たちに負けたくないとして高卒の人がサリンを撒いたと言っていた。その内部でも熾烈な競争があり地位を得るために争っているのである。

とにかく人生は連続したものであり若き日のことは老人になっても連続している。別なものではないのである。人生はやはり日々生きたものはその人のものとなる。日日蓄えたものはやがて老年になって実りとなる。ただそれは天才の場合は別なので天才は別であり努力しなくても会得するものはあるからである。
私が参考にしたものは内村鑑三でありキリストの幕屋の手島郁郎であり直接学んだ上野 霄里氏となる。ただ上野 霄里氏は信仰者とは違う。天才思想家行動者哲学者でありキリストの信仰者ではないのである。だからそれのその思想を理解できるのはやはり天才だとなる。でも普通の人は天才でないのだから偶像崇拝化する危険がある。
そもそも師というのは問題がある。なぜならどうしても天才だともともと優れているものを持っていて努力しなくても備わっているからである。だからそれを真似ることは出来ないのである。でも普通の人でも神から聖霊を受けてそれによって神を知り神の国に入ることができる。主と共にそのその生は終わらないのである。その生はさらに天の国に向かって神の国に向かって進んでいるのである。だから真の成果は神の国にありこの世では成就しないのである。

離脱の思考 ー原生人間復権のための試論ー (現代神話シリーズ第4輯) 単行本(ソフトカバー) 上野霄里 (著),

老いゆけよ,我と共に: 手島郁郎英詩講話R.ブラウニング「ラビ・ベン・エズラ」に寄せて 文庫 – 手島 郁郎 (著)
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2023年09月10日

日本語の謎ーわかる分け合う分かち合うの意味 (日本に小国の地名が多いのはなぜか)


日本語の謎ーわかる分け合う分かち合うの意味

(日本に小国の地名が多いのはなぜか)

●日本語はなぜ孤立語なのか

日本人の起源をいろいろ言われるが一番の謎は日本語なのである。日本語はどこの言葉とも共通性がない孤立語なのである。だからそもそも日本語というのは縄文時代からのものもあり古い起源のものでありそれがどこの国とも共通性がないということは日本語こそが日本人の独自性を語るものともなる。
なぜなら言語からその人種の国の起源を明らかにすれば印欧語とかはアーリア人の言葉であり共通しているからである。英語は明らかにドイツ語を起源にしている。だから習得しやすいのである。でも日本語はアジアでも共通性がないのである。
ただ漢字とかは中国から入って来たものでありその前に日本語があった。文字がなかったとしても日本語があった。つまり文字は文明が起きたところに必ずある。文で明らかにするということでそれが文明にもなっているからである。だから文字がないところは文明なのかとなる。ただマヤとか文明には文字はなかったが文字に類するものはあった。だからそこも文明があったとなる。

いずれにしろ日本は日本の文明は歴史は海に囲まれて大陸から切り離されて独自の世界を作ったということである。でもイギリスも島国であるがドーバー海峡は比較的大陸に近い。泳いで渡ったりした人もいた。今になると海底トンネルもできている。だからヨーロッパ大陸と海で隔てられても一つのように繋がっている。そしてヨーロッパの王様でもイギリスの王女と結婚したりしている。日本の天皇は韓半島であれ中国であれそこから女性を結婚させるということがなかった。

●韓国語と共通性がない日本語

そして言葉にしても韓半島の言葉との共通性がない。確かにオモニとなると母だから韓国と共通性がある。でもそれはほんの一部であり発音でもなんでも違っているのでは。だから韓国と共通性が言葉の面でもないのである。だから一体日本語というのはどこを起源しているのかわからない。それはその言葉が古く海に閉ざされた中で独自に発展したのかとなる。でもその手がかりとして日本語の意味を解読することになる。

ちはやふる神のみ坂に幣奉り斎ふ命はオモチチがため

このオモが韓国語のオモニと共通性がある。ただ韓半島でも南と北では相当に違っている。日本に影響したのは伽耶国があった南である。
オモから主なものとか面になり重いとなり共通性がある

●分ける分かち合うわかるの語源

例えば分けるということがある。分かつとなり分かち合うとなる。わかるということは分かち合うことでありそれで互いの人が理解し合い結びあうということにもなる。恵みというのもめぐるであり恵みはめぐるのである。
例えばインドネシアの方で鯨を捕る海の民がいてその鯨を山の民に持って行ってわかちあいお互いに結びあうということがあった。それがもともと商業の始まりであり山の幸と海の幸を互いに分かち合うということで一体化したのである。
それが儀礼となり祭りともなったのである。だから商売とは先に人間が友好を示す贈り物から始まったという説がある。
今のように利益だけを求めることではなかった
言葉はそもそも孤立してありいない、人間が共同するために生まれた。英語でも前に接頭語にcoとつけば共同することだからである。

そもそも縄文時代とかは狩猟採集であり生活している範囲が狭いから互いに獲ったものでも分かち合うことでわかり合うことだった。それは稲作社会でも弥生時代になっても生活する範囲が狭いので共に働き分かちあい暮らすほかないからそこに村の共同性が生まれたのである。
このように一つの言葉をとってその意味を読み解くとやはりそこに当時の暮らしがあってその言葉が生まれている。言葉もやはりその暮らした環境とかその風土とかと切り離してはありえない。だからその取れたものでも獲物でもともに分け合いわかちあい分かり合うということが生まれたのである。
逆に世界が拡大して行くと確かに外国から地球の裏側からも物が入ってくる。それは悪いこととは言えない。でもそこに共同性が生まれるからとなると生まれない。何か分かち合うという感覚もないからである。金があってただ買うという感覚しかない。そこで協同性は生まれにくく何か関係が悪くなると争いになり戦争になるのである。

さあ獲物がとれた
鹿が猪が取れた
魚がとれた
みんなで分かち合い食べよう
平等に分かち合い食べよう
ここに平和がある
人々は分かちあい分かりあう
そこがそれぞれの国となる

●小国という地名が多いのはなぜか

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なぜ日本に小国という地名が多いのか。それはやはりせまい地域で自給自足してわかちあい分け合い割合生きて生活していたかもだからだろう。

隠口の長谷小国に夜延ひせす吾が天皇よ・・・

この万葉集の歌でも隠口(こもりく)というとき入野でもそうだが山間の分け入る奥に長谷がありそこに小国がある。

とにかくなぜ日本に小国という言葉地名が多いのだろうか。それはやはり狭い地域が一つの国と待っていたからだろう。そのせまい地域で他とあまり交流がなく地球自足的生活をしていたからだろう。この辺でも霊山を越えたところに福島市の方に行くところに小国がとありそこのバス停で降りたことがあった。

バス降りて小国やあわれすみれかな

こんな風にもなる。やはり旅する時でもその地理でも地名というものからイメージするとわかりやすくなるのである。

雪閉ざすトンネルぬけて小国かな

青森県の黒石市から温川温泉(ぬるかわ)の宿に泊まった。トンネルをぬけて小国があった。それは相当に山の奥である。まさにこうして雪に閉ざされたところにも小国がある。隔絶した地域にも小国がある。
そこにどういう暮らしがあったのかやはり交通がなければ狭い地域で閉ざされて自給自足するほかなかったのである。

●グローバル経済では分かち合う分かり合う世界にならない

ただグローバル世界になるととてもそんな感覚は消失した。分かち合うというより奪いあうとなるそれは力づくでも奪い合う戦争となったのである。
なぜなら大航海時代というのがありそれで世界にヨーロッパが進出した時それは奪うということである支配するということでもある。世界中は植民地化されアフリカでは奴隷として売られたからである。
だからグローバル化というのは戦争の時代でもあった。それは基本的に他国を支配し奪うということがあったからである。確かに貿易はないものを補う会うということが基本にある。

でもその反面どうしても奪うということがあり支配するものと支配される。だから縄文時代が理想化すればそうゆう奪い合いというのが少ないから平和であったと理想化されるのである。そもそも縄文時代が1万年も続いたというのはやはり狭い世界でも争いがなかったからだともなる。その平和な時代に育まれたのが日本語かもしれない。だから日本語の意味を解読して行くとそこにその生活が反映されているから分け合うとか分かち合うとか分かり合うとかど言葉がそういう生活から生まれたということにもなる。

●印欧語にはもともと秋がなかった

ただ別に日本語だけでなく外国語でもやはり言葉の基になる生活があり例えばドイツ語に秋という言葉がないのは狩猟民族だからとしている。農耕民族だったら秋は収穫の季節であり秋がないということはありえないからである。狩猟民族だったら別にそういうのは関係ないのかもしれない。ただ主語が先にあり次に動詞があるのはやはり狩猟民族系統でありその生活が反映されてそういう文法になったともなる。
なぜなら常に主語があり動詞があるということは獲物を捕らえることが生活の基本としてあったからである。I catch a deerとなればそうである。どちらかというと言葉は狩猟民族由来のが多いことはは確かである。ただ日本は狩猟民族系統の言葉でもない。だから日本語自体がその起源が分かりにくいのである

1. Farmers usually harvest wheat in the summer.(農家は通常、夏に小麦を収穫する。)

(冬と春と夏は理解されていて、彼らはそれらの名称を持っている。秋の名称は、その実りと同様知られていない。)

ゲルマン語の四季の名称(文:下嵜正利)

harvestとはもともと収穫するであり秋という意味はなかった。なぜなら夏に小麦を収穫するとなれば秋ではないからである。ただドイツでは秋が短くすぐ冬に入るからだともしている。でもドイツに秋に行ったらやはり秋があり晩秋だった。そのとき赤いバラが散っていてなんとも言えない赤味を帯びていて心に沁みた

ドイツなれ色合い深く秋薔薇

別にドイツにも秋はありでもすぐに冬になる秋だとなる。国によって季節は違っている。最近日本でも暑くて秋がなくなったとかなるからである。





秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい、秋の蝉)


秋になっても暑い(ノウゼン、白菊、涼しい、秋の蝉)

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ノウゼンのここにも一軒なお咲きぬ

民宿にキュウリの花や今日も見る

竹一本白菊添えて主かな

川の音夜風涼しくひびきけり

蝉一つ屋形に鳴きてその声を聴きつつ暮れぬ秋となるらむ

灯ともらぬ家の淋しやその人のまた入院や秋となりしも


まだ暑くて秋がなくなったとかなる。昨日も暑かったのでぐったりした。今日もやはり蒸し暑くとても秋とはは思えない。ただ虫は鳴いている。だから虫が結構鳴いていることは虫はやはり秋を告げている。
でも実際はまだ夏である。だからノウゼンの花が依然として咲いている。ほかの家にも咲いていた。それが依然として夏だと感じる。やはりそれなりの家があって人々が住んでその花も映える。避難区域になったところでは空き家が増えたから花でも映えない。やはり人が住まないと花も映えないことがある。

暑いからすぐ近くの川の岸辺を散歩した。すると川の音が響き夜風が涼しい。それは依然として暑いからである。何か蒸し暑いのである。この暑さはいつまで続くのか。ただセミの声も少なくなっている。だから虫とか蝉はやはり秋をよ感じているのかもしれない。 屋形というときそこに生まれて今も同じ街に住んでいる女性を知っている。

暑いので自転車だと陽射しをまともに受けると熱中症にもなる。
だから今年は本当に原町でも相馬市にも行っていないのである。それだけ今年は暑かった。そしてまだ暑さは続いている。

ただ最近周りを歩くと本当に家は壊されたり空家が多い。遊ぶ子供の声も聞こえず跡継ぐ人もいなくなっている。それはどこでも同じである。八沢小学校廃校になった。そこに体育館もあり運動場もある。そこを何に使うのかとなる。廃校はすでに全国に増えて問題になっている。ただ矢沢小学校は廃校になってもすぐ近くに小学校があるから大して困らないのである。

近くの知っている人の家は灯が灯っていなかった。その人は糖尿病で病院に入ったり出たりしているからまた入院したのかと思う。何か老人は病気の話でありそれで盛り上がる。とにかくこうして老人と病気の人が増えてくるだけなのである。それと空き家も増えてくるだけなのである。それが日本の今の現状なのである

生け花というとき何かやはり工夫が必要である。それで竹一本を切ってきて花瓶に挿した。そして白菊挿した。それは秋にふさわしい。今家を守っているのは自分一人だけである。




2023年09月11日

福島県の地理(会津)から韓半島の地理 (地理は現実にその場に立たない限り実感できない)


福島県の地理(会津)から韓半島の地理

(地理は現実にその場に立たない限り実感できない)

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●地理は基本的に変えられない

地理を分かるにはその場に立たない限り分からない。地理は地図をいくら見てもわからない。つまり地理はその場に一度でも立つとき実感する。ただ世界はあまりに広すぎるからとてもその場に立ったとしても実感することは本当に難しい。
例えば私の住んでいる福島県の浜通りは阿武隈山脈というか高原に遮られて福島市の方はまったく見えないのである。だから地理的一体感を持てないのである。むしろ男鹿半島とか金華山とか原町市からも鹿島区からも山に登ると見えるのである。
そして鹿島区の山に登ってみたとき近くに大きく男鹿半島は迫って見えたのである。すると男鹿半島とか金華山は身近なものと感じるのである。でも阿武隈山脈と高原に遮られてて福島市は見えない。だから吾妻山も見えないのである。するとどうなるかというと何か常に阿武隈高原に遮られて一体感が感じないのである一体感がもてないのである。
でも阿武隈山脈を取り除くことはできない。結果的に人間はいくら文明が発達しても地理は変えることができないのである。

地理的制約を克服できないのである。ただ山があればトンネルを掘り川があれば橋を渡しどこその地理的制約を克服することはできる。でも基本的に阿武隈山脈取り除くことはできないのでどうしても福島県とあっても地理的一体感を感じないのである。人間はやはり基本的にその土地と一体感を持つのはやはり狭い範囲なのである。だからこそ日本に小国という地名が多いのである。その狭い範囲が一つの国と認識していたのである。

どうしても範囲が広くなると地理的一体感は持てない。だから人間は基本的に地理的一体感を持つところが国となっていたことは確かである。だから福島県はハマナカアイズと三つ分かれている。でもそれが地理的一体感を持てないのである。そこで福島県は何か地理的に分断されて意識的にも一体感が持てない。それは明治維新で無理やりに行政区域として人工的に県を作ったからそうなったのである。

●会津は地理的歴史的にも別な国

だから会津はもともと一つの別な大きな国だった。だから会津県がありまた二本松県がありまた浜通りの磐城県があったということになる。それそれを無理やりに福島県にしたのである。だから福島県は広すぎて一体感を持てないのである。
福島県だけでなく明治維新後は県にしたがそれが地理的一体感など関係なく区切ったからそこに問題が起きた。ただ山形県とかなると面白山でトンネルをくぐると山形県に出る。山寺に出るがそこは山形県なのである。また山形市から峠駅ありりそこを下ると福島市福島盆地に出る。それは境としてわかりやすいのである。でも宮城県と岩手県の境はわかりにくくなる。平泉が岩手県になっても宮城県から平地になっているから境を感じないのであ
る。
地理で大事なのは境界である。なぜなら境界があって地理を認識するからである。それで大陸でわは川が境界となる。ローマ帝国はゲルマン民族の住んでいるドイツ侵攻したがそこにドイツの父なる川としてのライン川がありそこが境界となり遮られて侵略できなかった。そのことが現代のにも通じていた。クライナ戦争で理解した。
ドニエプル川を挟んで攻防があったからである。その川を渡り進行すれば支配地を拡大できる。でもその川を渡るのは難儀でありさえぎられるのである。それは現代の科学技術が発達しても同じだったのである。ドニエプル川を挟んでとロシアは対立してその川を越えて支配地をを広げる。川は境界となっていたのである

このように地理は戦争でもそうだが日々の生活でも地理から離れて人間の生活はないのである。例えば峠という漢字は日本の国字であり中国などにはないのである。というのは日本というのは山が多く当然そのために峠が多いからそれが国字となったのである。

●海がない山国の会津の地理の不利

例えば会津になるとなぜあそこに東北で最大の大塚山古墳があり三角縁神獣鏡金が唯一出土したとしたのかとなるとやはり日本海と関係ありまた山伝いで信州からの影響はあった。また毛野氏が大きな勢力を持ったのか。その毛野氏が私の住んでいる南相馬市の鹿島区浮田国造が置かれた場だったらである。だから常磐高速道の道路のSAにその神社はが祀られている。
でもなぜ毛野氏がこの地に関係したのか。なぜ毛野氏が大きな勢力を持ったのか。それは縄文時代は山の方が生活の根拠でありそれで勢力を持っていたとなる。飯館村に縄文中期の古い遺跡があるという時もそうである。山側のほうは日本では古い。
関東平野があっても湿地帯になっていてそこで米を作ることが最初できなかった。大概日本では平地は湿地帯になっていたからであうる。それで米作りでも山の斜面の県(あがた)で作っていたのである。
例えば会津と言う時山国であり明治維新になぜ薩摩長州に攻められて苦しめられたのか。それはやはり地理的要因が大きかったので。なぜなら明治維新は実際は七つの海を支配した大英帝国は深く関わっていてその後押しがあって明治維新がなされた加治将一氏は書いている。

明治維新はアメリカの黒船が来てイギリスは薩摩と海戦を行ないイギリスの船が日本列島回遊して行っていた。そして太平洋を回り函館に来てそれから新潟の方に回った。新潟も函館と同じく外国船が入る港になる予定だったのである。

1867年まず倒幕工作はし上がってゆく。起動させたのはやはり軍艦だった。イギリスの二隻の軍艦が宮城沖を北上しそこから東北の沿岸を丹念に睥睨しながら秋田沖を南下新潟港に入港した海洋新潟あたりをうろついたのは東北北陸諸藩に対するプレッシャーもさることながら新潟の背後に居る幕府の番犬会津藩をにらんでにことである。地方に軍艦お見せの庶民に衝撃が与えるのは一つだ(加治将一あやつられた龍馬)


会津は海に面していないからそのイギリスの船も観ていない。そのために時勢を知ることができなかったとなる。ただプロイセンと一体化して北海道で会津藩が防備することはあった。だから外国と関係しないということでわなかった。プロイセンはドイツであり陸の国ランドパワーの国だった。でも地理的要因で時勢を見ることは誤ったともなる。それは二本松藩とかでもそうだった。だから明治維新でも地理的要因が大きく作用したのである。だから歴史を見るとき地理を知らないと具体的に実感できないのである。

明治維新は最初に黒船が来たように海をめぐってのめぐって外国と戦い外国人を入れてそれで明治維新がなったのである。それを象徴しているのは船中八策とか船の中で坂本龍馬が考えた新しい日本の羅針盤となるものであった。つまり何か常に明治になっ海に囲まれた日本がその海は江戸時代は鎖国で閉ざされていたがその海を通じてまた外国開け外国人受け入れて明治維新がなったのである。

つまり大航海時代から既にシーパワーは世界を導くものとなりそのシーパワーの先導役の船だったのでだから薩摩でもイギリスの海軍と軍艦と戦ってイギリスの力を身をもって知ったのである。でも会津となると海もないし新潟までイギリスの船が来てもそれを見ることもできなかったのである。そして山に閉ざされた世界で日本から日本も外国も見ていたから遅れたとなる。だから地理的要因がそうさせたと思う。ただこれまで明治維新というのは日本人の力だけで成し遂げたとかして日本人はすごいということがここから始まっていた。でも実際はイギリスとかは深くかかわって成し遂げられたものだったのである。でもほかの国はみんな植民地化されたのだからやはり日本は外国の影響があっても独立していた唯一のアジアの国だったともなる

●済州島の漢拏山の位置

ともかく地理を実感として知るにはその場に立つことである。一回でもその場に立てば地理をある程度実感できる。そして地理を実感するというときその範囲は限られている。
旅してわかったことは日本だといかに韓半島があたかも日本国の延長のようにも感じた。例えば済州島の漢拏山は2000mもの高さがありそこには登れなかったがもしそこに登れば中国を望み韓半島を望み日本を望むことになる。その時意外と韓半島は日本の延長のように思うしまた韓半島から見れば日本は海に遮られても陸続きのようにも感じるのである。そこに韓半島の不思議があった。

済州島漢拏山より

済州島の漢拏山に春風吹き
その高き山を仰ぎ見る
中国を望み韓半島を望み
日本を望み一体となる
地理は神が創り歴史を作る
地理を知らずして世界を知り得ない
汝は今春風を受け海を望み
済州島に立ちアジア創世の地理を体得す
視界を広げよ世界に東西南北に
太陽は未だ知らざる所より昇り沈む

A spring breeze blows over Jeju's Hallasan
I look up at that lofty mountain
Looking toward China and the Korean peninsula
I look to Japan and become one with it
Geography is God's creation and history's making
You cannot know the world without knowing geography
You now catch the spring breeze and see the sea
Stand on Jeju Island and learn the geography of Asia's creation
Expand your vision to the world, east, west, south, north and south
The sun rises and sets from places yet unknown


●百済武寧王陵を訪ねる

「寧東大将軍百済斯麻王、年六十二歳、 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩到」

と記され、王の生没年が判明する貴重な史料となっている。古墳は王妃を合葬した磚室墳で、棺材が日本にしか自生しないコウヤマキ(高野槙)と判明したことも大きな話題となった。このほか、金環の耳飾り、金箔を施した枕・足乗せ、冠飾などの金細工製品、中国南朝から舶載した銅鏡、陶磁器など約3000点近い華麗な遺物が出土し
武寧王は第25代の百済の王(在位501〜523年)。名前は斯麻、又は隆。
『三国史記』によると百済第24代東城王(479−501)の二男。
『日本書紀』によると、倭の加唐島生まれで東城王の異母兄。
異説では第21代蓋鹵(こうろ)王(455−475)の息子。
殺害された東城王の後を継ぎ40歳で即位。
高句麗に攻められて滅亡寸前の百済を建て直し、
民生安定、国力伸長の成果を挙げた百済中興の王です。

武寧王の出生の話として雄略天皇紀5年(461年)条に、百済の加須利君(蓋鹵王)が弟の昆支王を倭国に貢る際、自身のすでに妊娠した婦を与えて、途中で子が生まれれば送り返せと命じた。一行が筑紫の各羅嶋(かからのしま・加唐島)まで来たところ、一児が生まれたので嶋君と名付けて百済に送り返した。これが武寧王であるとしている[2]。また、即位については武烈天皇紀4年(502年)是歳条には百済の末多王(牟大、東城王)が暴虐であったので、百済の国人は王を殺し、嶋王を立てて武寧王としたとしている

春武寧王陵

日本征人来
武寧王陵立
大河岸春草
銀匙使優雅
煉瓦精緻組
中国南朝産
百済栄交流

武寧王陵は大きな河の岸辺にあった。その煉瓦造りであり銀製の匙とかが残っていた。武寧王と日本の関係は伝説化しているが事実である。その大河のの岸辺に立ったとき中国の方を望み地理的に通じ合っていること実感したのである。
それは中国が南朝の時であり中国の文化が入ってきて煉瓦造りの墓がここに作られていたのである。つまり韓半島というのは地理的にも日本と一体感を感じてそれが中国への通じている。だからいかに韓半島が日本にとっても中国にとってもそれが一つの橋のようになっていたのである。そこで日本と唐が争ったというのも理解できるしその後もなぜ韓半島が日本であれアメリカであり対立の場になったか地理的要因が大きいものだったのである。

地理というのはあくまでもその場に立ち実感することが大事なのである。ただ世界になるとあまりにも広すぎて実感することは不可能である。それゆえに地理に関しては常に誤解は生まれるのである。