2023年07月31日

なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)


なぜ新聞が読まれなくなったのか?

(新聞社に勤めていた人も読んでいない)

●それぞれの住んでいる場からの報道はできる時代

新聞社に勤めていた人さえ新聞を読んでいない。今日はリンクの機能がないから一つの記事について深く知ることができない。いろいろな記事が新聞に出て一覧性があるということがあったが、返ってそれが不便なのである。新聞というのはいろいろ手間とお金でかかりすぎるのである。新聞という紙面の作り方にも問題があった。

それはどうしてなのだろうかと思うと社会は人間は空間軸と時間軸で必ず起きている。そこで何か起きたとしても空間軸と時間軸で必ず見る必要がある。ところが人間は空間軸でも。狭い範囲でいつも生活している。すると例えば福島県でも何が起きているか?自分の住んでいる場所なら。わかるのだが。他だとなかなかわかりづらくなる。それは気候とか違っているからである。福島県だとハマナカアイズに分かれている。そして会津となると山国であり、その風土も浜通り相当に違っているのである。それで会津のことはなかなかわかりにくいのである。福島県といっても知ることが難しいのである。

だからこれが東北地方とかでも広がるとなかなかわかりにくくなる。つまりまず事件でも何か問題が起きた時どこで起きたかということが問題になる。だから何か起きることがTake placeなのである。場所が問題なのである。場所とは空間軸でありでもその空間軸も広いのだから分かりにくいのである。
もう一つは時間軸として事件も起きているのである。なぜなら何か事件が起きるとしてもそこに歴史というのが必ず知る必要がある。歴史という時、大げさなものでなく例えば家族があったとするとその家族も時間の中で形成されている。その時間でも親から祖父母からその前の先祖まで関係していることがある
実際、事件というのは何かそうしてカルマが関係しているのである。その家に積み重ねられたカルマは事件として現れてくるのである。だから事件でも突然起きてきても時間軸で見ないとわからないので。それは世界で起きていることでも同じである。ウクライナでなぜ戦争が起きたのかというときまず空間軸でみる。それは比較的わかりやすい。でも空間軸でもウクライナというと、ロシアというとてつもなく広いのである。延々として森が広がっている。それを日本からすると理解しにくくなるのである。そして時間軸で見るとさらに難しくなる。それはそれぞれの国に歴史がありだから問題がまた起きてくるからである。 

●空間軸と時間軸で理解する

新聞が衰退したのはマス(大衆)を相手にしている。マスコミという。何千部も売るとしたらとにかくそれだけの人数を相手にするとなるととても深く見ることは伝えることは不可能になる。その土地から離れて空間軸から離れて。ただマスコミは大衆を相手にする。それでニュースでも解説でも空間軸と時間軸で理解できない。突然。事件が起きてそれを報道してもすぐには理解できないのである。

でも狭い地域だと自分の住んでいる場所だとある事件が起きればその土地と結びついてまた、時間軸で見るから理解することがある。 ただ、その土地、土地に住んでいても。時間軸で理解することは非常に難しい。その土地に100年前、200年前、300年前にどうだったかなど理解することが難しいからである。ただ、狭い地域に住んでいればその土地のことを肌で知っているから理解しやすいとなる。 

現代の情報環境は前とはあまりにも違ってもうマスコミを相手にしていない。そのツールとしてパソコンやスマホが生まれてさまざまな情報に接する手段を得たからである。マスコミは何千万人も人を相手にしているのだからそれができない。福島県でも広いからその土地、土地のことをすべて報道することはできない。地方新聞にしてもその範囲が広いのである。また、一つの事に関心を持っても新聞だとリンクして深掘りできないから読まないと言う人もいる。それはインターネットとかで一つのことに関して深く知るということができるようになったからである。 

やはり報道するにしても狭い土地ならその土地のことを知っているから知りi抜いているからできる。空間軸でも狭い土地でもその土地全体を知るということもまた難しい。
例えば、相馬地域でも飯館村も相馬藩内であった。でもその土地ときこうでも飯館村だと平地寄り500mも高いとかとなり夏は涼しく冬は寒いとなる。その感覚的なことがわからないのである。特に私は車がないから自転車でゆくから、その感覚を肌で知るっているのである。その土地を知ることはやはり肌で知ることである。そこに車で行き来してもわからないことがある。福島県が暑いとき35度とかになると言う時私の住んでいる相馬地域はそうはならない。なぜなら海から風が吹いてきてそれが涼しいからである。

福島市は盆地でありそこで熱風は吹くとなる。それで自転車で夏に福島市の方から峠を越えて浜通りの方に出たとき涼しい風が吹いてきてほっとしたのである。なぜならそのとき熱風が盆地の方になると吹いててきていたからである。こうして。風土のの違いがありそれを遠くからはなかなか理解できない。そのことがその土地に対して何か起きても分かりにくいことなのである。それで原発事故があったとき丁度、3月11日頃海から東風が吹くのである。その風が山の方に吹いて飯館村とか、福島市まで放射性物質は大量に流れたのである。それは風の影響であり季節的な影響があり、不運だったのである。

このように、その土地のことを理解しないと何か事件が起きても問題が起きても理解しにくいのである。福島県でもハマナカアイズと広いから理解しにくい。浜通りだと福島市とか郡山市がある。中通ですらいつも阿武隈山脈高原にさえぎられていてまったく見えないのである。だから地理的に一体感を感じられないのである。むしろ仙台が交通的にも近いから仙台の方に一体感を感じるのである。まず会津となるとほとんど地理的一体感は感じない。あれほど2000m級の山々がひしめいていることで地形的にも全く別の世界なのである。この辺で高い山は鹿狼やまであり400メートルしかないからである。

地理とか風土とかは、そこに住んでみないとなかなか理解しにくい。冬になると常に雪が積もる。世界と海側のほとんど雪も降らない地域とは相当に違っている。そこに生活する感覚も相当に違っているのである。 

●新聞の構成も時代に合わない

ともかく新聞だとリンクしたり時間軸で深掘りすることがなかなかしづらい。でもプログのようなものでもリンクしたり関連付けたりできる検索できるからである。私の記事は膨大でありそこで調べようとすると難しくなる。でもリンクしたり検索窓から調べるとその一連の記事に関連したものは読める。だから深掘りできるのである。

だから誰でもできるプログのようなものでもその効果は本当に大きいのである。ただ正直私のプログはいまだに。SLL化してないしワードプレスもできないから何かもう一つ宣伝効果もないし問題がある。だから技術的な面でもっと読みやすいものに、作り直すことが必要になる?。ホームページも持っていたがそれも今はしてない活かされていない時間もなくなったせいである。家事に追われているからいろいろなことができないのである。今はコメントすらしてない。一つの記事を書くだけで結構大変なのである。そして写真とることで手間になるる。動画を試してみたが。これも手間でありなかなか出来ない。ここにやはり一人でやる。限界が出てきている。

でも一人だけ金もかからずこれだけできることは?今までにありえないありえなかったことである。毎日新聞を出している感じになるからである。 今やこれが自分の仕事である。金にはならないが仕事なのである。それで苦しいが暑かったが雲雀が原に野馬追のことを報告するために無理して行ったのである。記者でもやはり危険な場合がある。危険な場所にも行くことはある。それで取材で死んだ人もいたのである。ただ、仕事には常に危険がある。工事現場とか大工さんでも危険な仕事にもなる。だからただ、文章を書いて楽机に座っているだけで楽だとみられるが。記者となると、やはりそれなりに危険も出てくる。海外を取材するとなると、さらにそう危険である。

いずれにしろ、私自身がプログに書くだけでジャーナリストとはどういうものなのか、記者とはどういうものなのかそういうことを理解した。 仕事と言うのはなんでも実際に携わって見ないと理解できないのである。それで無人駅のボランテアをして案内をしていて鉄道に詳しくなった。乗客であるだけでわからないことを知った。。鉄道のことは理解できない。駅のことについても理解できない。でも実際駅で案内していただけで駅のことを理解したのである。

それで仙台方面に行くホームと磐城に方面に行くホームが意外と分からない人が多かったのである。そのことをいつも聞かれたので駅長にその事を言って分かりやすいように支持する看板を作ってもらったのである。これはそこに勤めていない限り分からない事だったのである。ただ、サービスを受ける側になっているだけでわわからない。その仕事に実際に携わると肌で理解するのである。でも実際は仕事には簡単につけない。だから多くの仕事があっても実際は理解してないので。仕事の苦労など外から見ていてもわからないからである。

だからその土地に住んでいる人は、その土地のことを報告することは有利である。とてもさまざまな土地のことについて。知りえないからである。またあらゆることについて報道できない。そんな専門的な知識など誰も持ってないからである。でもその土地に住んでいれば。原発事故が起きたとき私自身が理系では無いから放射線のことなどまるでわからなかった。でも事故が起きたとき海から東風が吹いて山の方に流れて飯館村などが大損害になったということは理解したのである。ほかの人はそういう土地のことがなかなかわかりにくいからです。だから地元の人が。報告することは、ほかの人より有利なのである。

●インターネットに変わられるメデアの変化

新聞の問題は配るだけ金かかるし新聞紙にも金がかかる。それは既に前時代的なものになっているのである。でも記者とかはジャーナリストという仕事はなくならない。それは簡単にみんなができるものでもないと思った。あることについて報告するにしてもそのことについて何か深く知っていなければ出来ない。まず相馬地域を報告するにしても、その土地について住んでいて深く知っていなければ。報道できないのである。

いずれにしろ新聞社とかはもうなくなる。テレビでも観なくなった。情報環境があまりにも違う変わってしまったからである。でも、あまりにも情報が溢れると今度はその情報はスモッグのようになってしまう。Facebookなどを試しにやってみたがそれはただ、世界のことは次々に写真とか動画で流れてくるだけであり。その情報の関連性がないのである。ただ、まだそれも使いこなせていない。インターネットでもいろいろなものが出てきてもなかなかわからないし、使いこなせないのである。そして動画を出してみたがそれは簡単にできない。でもその動画を編集することが面倒なのでそれをまだ出来ていない。その辺に一人でやるのは限界がある。でもこれだけの者を一人でしているのだからその。変化が大きいのである。

一人一人が新聞社になり出版社になりテレビ局にもなっているからである。この変化は大きいのである。ただ、そこで膨大な情報がスモッグのようになって肝心なものは読まれないと見れないとなるやはりくだらない刺激的なものが映像でも観て大衆化してくる。どれだけページビューを上げるとか見れるとかで金になるとかなってしまったのである。

だからインターネットの情報でもそれはもう大衆のものであり大衆的なものが受けて数ですべてが図られる。その価値が決められるのである。それが金になるということでその金のためにyoutubeとかを下らないものでも大衆向けに出しているのである。だからなんであれ大衆を相手にすると堕落するのである。カルト宗教もただ大衆を相手にしか数だけを集めているから堕落しているのである。そこに高貴なものは何もない。唯一数を集めて権力化することが目的化してしまったのである。インターネットでも広告を出して金を儲けようとするユーチューバーもいて問題になった。それは常に利益優先となり大衆化して堕落するのである。

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ)
(アイディンティティは場から形成される)

イラク戦争で油にまみれた海鳥を世界に放送してそれが嘘だったのである。回りは別に油に汚されていなかった。世界になるとこうした場のことなどわからないぁら騙されたのである