2023年07月12日

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 


ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現


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●日本でも外国が入り二分して争う


今回のウクライナ戦争は遠いところだから日本と関係無いと見ていた。でもすでに歴史的に見れば日本も明治維新で世界の政治に巻き込まれていたのである。世界の歴史を見ないと。明治維新もわからない。何か明治維新というのは日本独自の力で成し遂げたと右寄りの人がしきりに言う。でも日本を舞台にして、すでに世界列強が深く関わっていたのである。その。世界列強の関わり方で維新の勝敗も決まったとなる。そこで見逃されているのが?ロシアが関わっていたということである。それとプロイセンが今のドイツが関わっていたのである。


 北海道の半分くらいを会津藩と庄内藩が管轄していた。幕府の命令で北方の防備にあたっていたのである。そのときロシアがヨーロッパに領地を拡大していたのである。その中にウクライナもあった。ウクライナの今の紛争はすでに江戸時代から始まっていたのである。それからも継続してヨーロッパとロシアは対立していた。その延長として今ウクライナ戦争がある。 だから今そのウクライナ戦争は日本から遠いとしも関係ないというものでもなかった。歴史は継続だから遠い国でも関係していたのである。 


戊辰戦争は薩長と幕府軍との戦いというだけでなく。実は外国が関わり特にイギリスが関わっていたのである。そのとき、イギリスは世界の七つの海を支配するとか覇権国だったからである。 ロシアと日本が戦った戦争でも日本を支援して勝ったともなる。その後に日英同盟が結ばれたのである。 その時から日本は国際政治に巻き込まれていたのである。ただ、日本からだけ明治維新を見てもわからないのである。 武器からして鉄砲でも外国から大量に入ってきたのである。アメリカの南北戦争ので使われた鉄砲が大量に入ってきたのである。またイギリス海軍が榎本武揚率いる幕府軍と戦い負けた。それで榎本武揚はイギリスに負けたと言っていたのである。このことでもわかるようにその敵はイギリスであり外国がかかわり日本は二分されて戦っていたのである。



●ウクライナ戦争と会津戦争の似ている点


だから今のウクライナ戦争を見るとやはり同じようなことが起きているのである。ただ、アメリカが。大きな国となってイギリスの代わりをしている。でも依然として、イギリスはロシアに対して敵対してウクライナでも工作員がスパイが入っていたりしているのである。ウクライナ戦争というのはの欧米側とロシアの戦争であり。今はその背後に巨大化した中国がいるのである。

そして日本は欧米側に組み入れられてウクライナを支援しているのである。 


つまり戊辰戦争は会津戦争でも世界情勢を反映してその中で会津軍が悲劇となったのである。それは今のウクライナと似ているのである。ウクライナで二つの覇権国勢力勢力が衝突してウクライナが犠牲になっている。ウクライナの独立を維持するのだというのもわかるが。その中でやはり大国が関わり。ウクライナは戦い自国の国民が多数死んで犠牲になっているのである。独立を守るということで戦っているというが日本の明治維新とも同じように実は外国勢力によって戦わされているということもある。 


とてもウクライナだけではロシアに対抗できないからである。だから常に武器を提供してくれと頼んでいるのである。

会津の戦争では新潟港が貿易港になり。そこに外国の武器が入ってきた。それは会津戦争にも使われたとなる。会津は山国でも新潟は日本海に面して交通路なり古代からすでにこうして流通があった


ともかく戦争になると人間の残忍性があらわになる。それで明治維新でもヤクザが戦争に参加したとか残虐なプリゴジン隊とか犯罪者が受刑者はが最前線で戦うというのと似ている。また会津戦争で女性がレイプされ残忍なことが行われた。今もロシアでウクライナ人をそうしているということでもわかる。戦争というものはそういうものでありそれが繰り返されているのである。日本の戦国時代も乱取りがあり同じだった、だからカルマなのであるかつてしてきたことがまた繰り返される。戦争もやはり終わることなくあり残忍なことがくりされる継続される。まさに人間の業でありカルマなのである。つまり人間からこうして。カルマは消えることなく継続されるのである。そして最後にハルマゲドンなのか、人間は滅亡するのである。


 ●榎本武揚の蝦夷共和国とは


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(3) 天皇率いる新政府軍に戦いを挑んだ旧幕府軍がつくった国【蝦夷共和国】 - YouTube


会津戦争はすでに百年以上過ぎているがそれでもなお長州藩の萩市と友好関係が結べないのである。それだけ恨みが残ったとなる

その傷痕は深く消えないのである。その悲劇が会津を象徴するものとなったのである。この武家の婦女子までが残忍にま殺されてしまったからである。

いずれにしろ明治維新から日本は国際政治に巻き込まれ否応なく戦わざるを得なくなったのである。だから300年の鎖国の時代は終わりついには第二次世界大戦に巻き込まれ3百万人も死んだとなる。必ずしもグローバル化とかはいいものでもなかったのである。貿易だけならいいのだが実際はそこで対立して戦争になり大きな犠牲を払ったのである。

江戸時代、300年はアジアでは戦争もなかったでもヨーロッパと大陸では絶えず戦争が行われてきたのである。ヨーロッパとロシアの戦いは江戸時代でも行われていた。それが今もうウクライナで継続されているのである。


奥羽道中 榎本武揚


鮮血留痕舊戦袍 壯圖一躓氣何豪

松陰凉動羽州道 白雪天懸鳥海高


鮮血(せんけつ)(あと)を(とど)む(きゅう)戦袍(せんぽう)

壮図(そうと)一躓(いっち)して(き)(なん)ぞ(ごう)なる

松陰(しょういん)(りょう)は(うご)く羽州(うしゅう)の(みち)

白雪(はくせつ)(てん)に(かか)って鳥海(ちょうかい)(たか)し


囚われの身となった今、私のこの軍服は過去のものとなってしまった。

この軍服にはあの戦いのときの血の痕が生々しい。

私は蝦夷(北海道)共和国の独立を内外に宣言した。

しかしその建国の壮大な企図は躓(つまず)いてしまった。

しかし私の心は少しもくじけてはいず、ますます意気盛んである。

私は今囚われの身として奥羽の道を歩いている。

その道に松の木陰から涼しい風が吹きぬける。

ふと見ると鳥海山には白雪がかかっていて、山は高く聳えている。



榎本武揚の蝦夷共和国は夢と消えた。この蝦夷共和国とは。実際は、東北列藩同盟と一体化するものとしてあった。現実に会津戦では新撰組も戦ったいたのである。旧幕府軍が会津藩を中心に薩長軍に官軍に抵抗したのである。この連合が強固なものとならず敗退したのである。 ただ東北という地域はもともと蝦夷であり化外の地として古代からあった。だからその延長として蝦夷共和あった。北海道新天地として新しい国を作ろうとしたということは理解できるのである。何か北海道には何回も言ったから親しみがある。北海道は東北と違ってその地を踏んだときから何か空気まで違っているのである。


だから意外と外国でも北海道は相当に人気がある。これもやはり北海道は日本的でなくその風土も違っているからである。田んぼがないということがそうである。清新の気がある大陸的である。だからこそそこでクラークとかが指導して内村鑑三とかが生まれたのである。北海道には確かにアイヌはいたが恐らくアメリカのような手つかずの大地が広がっていたという感覚であった。そこにも確かにインディアンがいたが土地は広大であり、未開だったのである。東北は会津でも古代からの歴史があり北海道とは違っていた。でも明治維新の時。東北、北海道が一体化した蝦夷共和国という発想は理解できるのである。


またプロイセンとかドイツとなるとロシアでも北方の風土であり。でありそれは北海道に似ているのである。北方的な気候であり森林でもエゾ松トド松とか北方的なものがあり寒いから高山植物でも平地に咲いているのである。それで本州とは違っていて魅力がある。田んぼでなく牧場の風景だということもそうである。だからドイツ的なものロシア的なものマッチしてくるのである。日本は沖縄から北海道と南国から北国の植生がありそこに変化がある。だから旅してても飽きないのである。中国などは満州でも果てしなくとうもろこし畑であり変化がないからである。日本は狭い国だけども。その風土でも地形でも変化がある国である。


posted by 天華 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層