2023年07月04日

記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)


記憶をたどる旅(東菊(あずまぎく)の由来ー失われた人間の五感)


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岩と霧その名の良しや東菊


忠実な臣下や妻や東菊


霧晴れて様々の花現れぬ一時見しも霧また覆いぬ


●東菊(あずま菊)の由来


アポイ岳は花の山として有名である。様々な花が咲いている。高山植物を低山で見れるから貴重である。そこに登ったのだがその記憶も曖昧となってしまった。それでいかに記憶というものが大事なのか、これでもわかる。何を見て何が印象に残ったのかを記憶されていなければそこに行ったともならなくなる。なぜかアズマギクというのを見たのを覚えている。それがそれを覚えていたのは実は実物からだけではなく後から調べて東菊(アズマギク)というのはあるのを知ったからである。それは霧の中に紫色に咲いていた、小さな菊である。図鑑で調べてみてもそのアズマギクは色がもっと紫色で濃いものとして見ていた。


だから必ずしも写真で撮ったものと記憶が一致するということでもない。なぜならそれは名前から記憶されていたからである。だから意外と名前というのは大事なのである。名前から人でも植物でもいろいろなものが想起されるからである。エデンの園では人の仕事は様々な植物でも花でも名前を付ける事だったのである。他にも地名に興味を持ったがこれも地名という名前からその土地の状態を想起する。 そこに地名の効果がある。地名一つから様々なことが想起される場合があるからである。電車の旅だと駅名が記憶されるのである。 


最初、私は電車の旅をして地名に興味を持ってそこから地理とか地形とかに興味を持つようになったのである。 もし地名とかがなければ、その土地のことを記憶する手がかりがなくなる。 それで人間にとって名前が大事な物となる。人の名前でも名前からその人を記憶するからである。名は体を現わすなのである

それでアズマギクというときやはり東というのが印象的に残る。あずまというときそこから吾妻と言う地域を連想するからである。それは歴史的にも東というのは関ヶ原を境にして東になるからである。そこはまた古代では蝦夷の地域だったともなる。


あずまの語源は? 



この「あずま」という言葉は碓氷峠から東、群馬・関東の方を見て日本武尊が「吾嬬(あずま)はや……」と言ったのが語源だそうです。 「わが妻はもういないのか」と言う意味 日本武尊が関東を平定し、信濃に入ろうとしたとき、碓氷峠から関東平野をかえりみて愛する妻を偲んで言ったのだそうです。


東は我が妻のことなのか?それが地名化したのか?でも何か不自然なものにも思う。別な説として安曇族が東になったという説もある。あずみがあずまになった。なぜなら思った以上に安曇族の痕跡が多いからである自分の住んでいる場所にも綿津見神社と山津見神社が多い。それは安曇族の痕跡なのである。 最初、安曇族は東北地方に入り開拓したのである。それで吾妻山と言うのが福島県にあるともなる。ただここに妻をあてているからヤマトタケルの神話が影響している


とにかく、日本の歴史は西が最初に繁栄して次に東が繁栄したのである。 鎌倉時代に関東武者が鎌倉に幕府を置いた。その時から東が日本の中心になってきたのである。東を治めなければ。日本は治められなかったのである。 征夷大将軍の名は東を征服することだからである。その名は東を制服するということで家康の時代までそれは継続されていたのである。このように花の名一つでも地名でもその土地の歴史とか地形とか様々なものが想起されるのである。



●秀吉の一夜城に行った記憶



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走り来て三日月光る一夜城




長良川西岸の洲股(墨俣)[2]の地は交通上・戦略上の要地で、戦国時代以前からしばしば合戦の舞台となっていた(墨俣川の戦い)。斎藤氏側で築いた城は斎藤利為らが城主を務めた。また、1561年永禄4年)ないし1566年(永禄9年)の織田信長による美濃侵攻にあたって、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)がわずかな期間でこの地に城を築いたと伝えられている。これがいわゆる墨俣一夜城である



旅の経験として秀吉の木下藤吉郎時代の美濃との戦い一夜城を築いたことは有名である。私はその一夜城に向かって自転車で走ったのである。実際に夕暮れになっていて一夜城に着いたときは三日月が光っていたのである。

一夜城とは夜をとうして城を作ったからそう名付けられた。まさに私自身がそこまで自転車で走ったということで一夜城と一体化したのである。それが車で行ったらそうともならないのである。藤吉郎もその時走っていたからである。

ただそこが流れ河の洲の俣ー墨俣にあるとわ思わなかった。細い小川のような水路に沿って走っていたからであるでる。長良川の岸辺の水路だったのである。このように地理というのも実際に行っても一回ぐらいでわわからないのである。でもそこを走ったということが体で記憶されていたからこうして思い出しているのである。


まずここを車で行ったりしたら、このように記憶されないのである。だから車は便利でも意外と記憶されない。旅の記憶とならないのである。要するに鉄道であれ車であれバイクであれ便利なものは旅をしても記憶されない。一番記憶されるのは歩いた旅なのである。私自身がこれほど旅をしても歩いた旅はしていないのである。つまり歩いて大地を踏みしめて人間の五感で感じる旅を今している人はいないのである。例えば西行小夜の中山の歌は歩いたからこそできた迫力ある歌だったのである。


年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり小夜の中山


この小夜の中山は万人に強い印象となって記憶されたのである。もう今になればそんなところ車で通り過ぎれば感じもしないのである。このように記憶されるということが大事なのか分かる。記憶されなければ後で振り返ることもないし印象に残ることもないし。何も残らないとなるからである。車のない時に歩いて。作られた歌でも俳句でも今になると作れないのである。今は車の騒音にかき消されて実際は旅しても何も残らないとなるのである。残ったのは騒音だけだったとなってしまう。つまり人間の五感が。活かされない時代になったなったのである。