2023年07月28日

田んぼの畦道でシロチドリを発見! 何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた


田んぼの畦道でシロチドリを発見!

何故絶滅危惧種が多くなったのか―夜に雷鳴がひびき稲妻が見えた

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クチバシは短く、大きな目で餌を探していて、干潟にしばらく留まっては、さっと走り出して餌をつまんで捕らえます。

目のまりが黄色なのも特徴か、南相馬市で発見

真昼にそ海風涼しシロチドリ

真夏の夜稲妻強烈月光る


シロチドリに間違えない、目の回りが黄色の写真もあった
これも絶滅危惧種ともなっている。赤モズもそうだった
田んぼの石ころの乾いた道に発見した
ここは津波以後田の拡大化の工事をしていて石を敷いた
海岸は津波以後砂浜が減少してわずかになった。前からも砂浜は減少していた。
この鳥は砂浜の小石を何個か集めて巣をつくるとある。ということはここが田んぼの中の道でも何かこの鳥が好む場だとはなる


ツバメが1年に2回繁殖し、雛を巣立たせるのを見たことはありませんか? このように、1回目の繁殖を順調に終えた親鳥が、2回目や3回目の繁殖を試みることが、小型の陸鳥を中心に多くの種で知られています。スズメは1年に3回繁殖することがありますが、仮に1回あたり6羽の雛を巣立たせるとすると、一夏で18羽も子孫を残せることになります。

一方、海鳥の繁殖は1年に1回限りです。オオミズナギドリやウトウは、どんなにうまくいっても、1年に1羽ずつしか子孫を残せません。海鳥は、親鳥が卵を産んでから雛が巣立つまでに長い時間を要するのです。
しまぐに日本の海鳥(7)海鳥に絶滅危惧種が多いわけ−海鳥の独特な繁殖生態−

この辺の海は津波以後松原もなくなり防波堤になり風力発電の風車になり木陰がなく休む場所がなくなった。海が近いから風は涼し、でも今年の暑さはきつい、体がぐったりと疲れる。だから外に出にくい、熱中症にもなる、何か異常な暑さである。

夜に急に雷鳴が鳴った、そして稲妻が光った。雨が降ると思ったら降らない、雲ににじんで月が光っている。これも暑いので見慣れない風景にもなる
やはり異常気象なのだろう、赤モズも見つけたがこれも絶滅危惧種とかになっている。やはり生態系に異常がきたしているからだろう。
田舎だとこうして野鳥などを観察するのにいい、今日はうまく写真が撮れた。

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2023年07月29日

北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式 (野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


北郷(鹿島区)での野馬追祭りの儀式


(野馬追は侍の子孫しか出れない歴史の保存の祭り)


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総大将も只野氏である

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蝉鳴いて年に一度の御行列



一際に杉の旗印只野氏や南朝の末北郷の要


一同に会して相馬の殿迎ゆ法螺貝響き勇みけるかな


北郷に集う侍面々に神酒(みき)を賜り出陣かな


法螺貝の鳴り響くかな炎天に浜風にそ旗のなびきぬ


北郷に古式ゆかしく宇多郷と出陣するや儀式変わらず


街中に馬いななきてその声の馬なおを生くと響きけるかな



北郷に(鹿島区)に宇多郷の侍を迎える儀式が行われた。この儀式は変わらないのである。だから野馬追を見に来た人で歴史に興味がありこの儀式は変わらないから見たい来た人がいたのである。やはりそこまで興味を持つ人は歴史に興味を持っているのだろう。時代劇ではこうした儀式は作られる、脚色されて本当の歴史ではないのである。


野馬追の特徴はこうして歴史の保存だから勝手に変えられないのである。だから野馬追に出る家はもともと侍の家であり。甲冑とか旗が旗が伝えられてきた古い家なのでそのほかの人はそういうものは伝わっていないから出れないのであ。そのことで歴史を伝えるということで価値がある。


でも逆に参加できるのはもともと侍の家でありそのほかの人たちは参加できない。ただ見るだけなのである。だから野馬追は全員で盛り上がるということができない。そこに問題があるのだがそういう祭りだということである。別に青森のねぶた祭りなど旅行者でも簡単にハネトになれる。誰でも祭りに気軽に参加できるのである。 


北郷の鹿島区の歴史は南北朝の戦いで霊山から落ち延びた人たちの子孫のが鹿島区を形成している。その旗印は杉の旗印であるから分かりやすい。それもそれもいくつか行列に出ていたからである。 

その基は郡山市の多田野村から発していたのである。 ただ、どうして多田野村なのか?そこから先がわかりにくい。 そもそも野馬追は旗祭りというとき旗の種類が3000あるとか多様なのである。その謂れがわからないのである。いろいろ調べてみても探りようがないのである。

ただ杉の旗印はわかりやすい。


その他はいろいろあって、どういう謂れなのかわからないので。でも確かに一つ一つの旗にそれぞれの謂れがあったのだがそれがわからなくなった。またの由来は鎌倉時代までも遡る。西の方からその旗の由来があるからさらに分からな年に一回しかチャンスがない。旗の種類にしても多いからいい写真が撮れないということもある。でも何か野馬追というのは写真を撮るのにいいのである。だから写真を撮る目的だけで見に来る人がいるのである。ある人は80万のレンズを使っていたのである。カメラと言うのはレンズの方がそういう風に高くなる場合がある。野馬追は被写体としていいのではある。?


でもその機会は年に一度しかないシャッターチャンスは無い。カメラに凝ると性能もあるがいかにシャッターチャンスをとらえるかである。特に動くもの鳥などでもそうである。シロチドリを撮れたやはりここに住んでいて撮りやすいからである。遠くに行き何か珍しいものを撮ろうとするとなかなか出来ない。 また、動画を取るにしても結構疲れ写真を撮るにしろ、動画を撮るにしろ結構な労働になるので。今日は特に熱かったからぐったりとしたのである。とても明日の雲雀が原での神旗争奪戦には行けない。異常なな暑さだからである。こうなると熱中症で倒れる人がいるかもしれない。鎧兜をかぶって重いのだから余計にそうになる。



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2023年07月30日

今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた (野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)


今年は野馬追に380騎しか出なかった ー迫力に欠けた


(野馬追はこれから維持できるのか?−雲雀が原へ)



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相馬の殿様はここではまだとのさまである

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なぜナマズのはたなのじゃわからない

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街中をつつじの赤く御行列



夏の雲湧き上がるかな旗取りて家の誉れと坂駆け上る


雲の峰高くなりけり暑しかな旗取り争う雲雀が原に


雲の峰一つ崩れてまた一つ湧き上がり高く雲雀が原かな


打ち揃う金の団扇に流山真夏の日さし輝きにけり


蝉の声今し鳴くかな旗取りに誉れを得てそ帰りなんかな




●380騎で維持できるのか


今年の野馬追に出たのは380機だった。何かこれは最盛期で500騎出ているから少ないと思った。野馬追は規模が小さくなると迫力がなくなる。380騎と500騎では相当な差がある。こんなに少なくなったのか?それはやはり津波や震災原発事故で小高区とか住めなくなり出る人が少なくなったからかもしれない。だから野馬追でも本当に維持できるのだろうかという疑問がある。少子高齢化でもありなかなか難しいかもしれない。

 

そして野馬追が維持できなくなるというときそれが歴史の保存であり変えることもできないし付け加えることもできない。となるといずれはさらに規模が縮小して見劣りして魅力がなくなる。だから確かに歴史の保存として維持することも必要なのだがもう一つ何かみんなで誰でも参加できるような仕組みを作らないと維持できないようにも思う。歴史の保存ということで、価値があるのは野馬追ではある。でもそれだけで維持できるのだろうか?

 

だから380騎となると何か迫力に欠けていた。そして神旗争奪戦でも出る人は?少なくなっている。なぜなら競馬とか神旗域争奪戦になると相当に馬に乗る訓練をしていないとできないからである。そのためにそういう準備をする人できる人は少なくなる。馬を乗りこなすということは容易でないからである。だから馬に乗り馬を乗りこなすようにしていないとできない。ただ行列ぐらいは参加できる。でも神旗争奪戦とか競馬になると相当に馬を乗りこなすことができないと参加できないそれをできる人は年々減っていくだろう。

 

●野馬追には費用がかかるー馬を飼っているため


馬を一年野馬追のために飼っておくことは相当な手間であり、金もかかる。30万から50万かかるというとこれは結構な負担になる。車一台を持つぐらいの金かも知れぬ。ただ、こうして馬を飼って日常的に馬に乗っていてこそ競馬とか神旗争奪戦には出ることができる。競馬となるとさらに熟練が必要になる

だからの馬を歴史の保存として祭りを伝えていく必要である。でもそれだけでは今や保存もできなくなるかもしれない。

一つは野馬追は馬が主役になる。今馬というのは競馬場でしか見ることもできない。馬のことがわからなくなったのである。だから野馬追というのはもう一つ馬に親しむということがある。また馬は好きな人がいる。ただ、それは。競馬を好きな人が馬を好きなので競馬に親しんでいるとやはり馬を見ているから馬はどういう馬か知っている競争に勝てる馬をみているからである。馬に詳しいのである。でも日頃はほかでは馬というものは見ないし馬に親しむこともないのである。

 

馬はもともと農耕馬としてあり曲屋で一つ屋根の下に飼って家族のようにしていたということもある。それで娘が馬と結婚したとかそういうことにもなる。子供でも馬を飼っていると犬や猫のように。ットのように親しむからである。それは確かに精神的にいい作用はある。今はみんな機械時代であり機械と親しでも生き物と親しむということが少なくなった。生き物と親しむということはやはり情感を育てるのである。だから精神的に子供に影響して情感豊かな人に育つということもありうる。

 

●神社は戦の神にもなる

 

ともかく何か380騎だと迫力に欠けていた。神旗争奪戦はもっと少なくなって迫力に欠けていた。ただ相馬野馬追の太鼓を聞いて盛り上がった。太鼓は外に響く力強いものを感じる。日本は太鼓はもとからあった。何か進軍するとき太鼓をたたいていた鼓舞した。神社は戦勝を祈願するものでもあった。

 

だから武田信玄の映画で巫女や神主の神主などが先頭に立って。戦う。神社はまだ戦いの神でもあったのである。だからこそ太平洋戦争では必ず村の小さな社でも戦の勝利を願うものでもあった。ある。寺は?ない寺にはないでも寺町とかあるとそれは防御のためにあったらしい。つまり戦国時代ともなればやはり寺でも。地域と一体となり守らねばならないから、そうなった。

 

ともかく。相馬野馬追とは300年続いて維持されてきた。相馬藩では殿様は変わっていない。国代えがない、それで相馬藩政記というのが殿様も変わらず300年継続しているのでそほかの人が学者でも参考にしているのである。記録としてやはり優れているからそうなった。

 

●小高の御家の旗は北郷から今年は出なかった


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今日もとにかく暑かった。でも何とか報告するために行った。これが金にならないが仕事になったからである。夏の雲が雲の峰となって高くなっていった。また別な方向に雲の峰は高くなった。野馬追の時はこういう風景が似合っている。広々とした雲雀が原に小高郷、中の郷(原町)、北郷(鹿島区)、宇多郷(相馬市)が主に結集する。それに加えて浪江参加する。ただ大熊や双葉まで相馬藩なのだが主流はそこになる。


それで前は鹿島の北郷から御家の旗印が出ていた。それは今年は小高から出たのだろう。旗取りには出ていた。でもその小高の人が震災後鹿島区に移住して御家の旗でで出ていたのである。でも今回は出ていな。おそらく小高え出たのだろう。歴史の保存というとき本来そこに住んでいた侍が別なところに移住して住むと歴史が別なものになってしまう。

 

だから歴史の野馬追が歴史の保存というとき人の移り変わりが移住などが多いと成立しなくなる。先祖代々のものとして伝えられる。でも相馬藩では天明の飢饉などの時に三分の一も人口が減った。その穴埋めをしたのが越中からの移民なのである。その人たちは別に侍でもない。でも1/3も移住したということは影響が大きいものだった。

 

越中から移民した人たちはわかりやすい、墓地を見れば必ず墓に戒名はなく南無阿弥陀と記されているからである。

でもその人たちは野馬追には出ない、鹿島区から只野氏が菊の紋でで出るのはもともと南朝の侍でありそれで相馬氏に組み入れられた。南北朝の戦いで霊山が炎上して落ち延びた。人たちであり元々武士だったからである。

 

いずれにしろ380騎では規模的に迫力にかけて野馬追も維持できるのかとなる。でも歴史の保存にこだわれば何か変えたり付け加えたりできない。するとどうしても維持できなくなるかもしれない。だから何か工夫としては震災大津波で空き地化したところが多い。そこはもう田畑にはならない。するとそこを何に利用するのかとなる野馬追があるからその広い土地を牧場などに利用すれば適しているとはなる。ただ、牧場にするにしても競馬馬飼うということになるかもしれない。

競馬場で働くようになった野馬追に出ていた家の人がいたからである。

 

●野馬追太鼓が盛り上げた


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今年は野馬追の太鼓がよかった。戦いを鼓舞する太鼓だったのだろう。それが響きわたった時気持ち良いものだった。太鼓の音はまた太鼓を叩く人は何か近づ力強いものを感じたからである。そういうことで何か祭りに新しく付け加えるものが必要なのである。でもそれが歴史の保存にこだわると必ず拒否されているのである。もちろん歴史の保存は必要なのだがそれに付け加えるものがないと維持できなくなるかもしれない。それが380機しか出ないということで今回感じたのである。

 

なにか野馬追には付け加えるものが必要である。相馬流れ山の歌は軍歌である。でも太鼓でも踊りでも何か付け加えないと盛り上がらず維持できなくなる。歴史の保存にばかりこだわるとそうなる

それで遠くからきた人も野馬追は一回見て終わりだなる

 

とにかく暑かったがどうしても取材しなければならないので行った。何かプログでも記者のようになる。だから苦しくても取材に行かないとならなくなった。別に金もらっているわけでも強制されているわけでもない。ボランティアの記者になっているから無理して行ったのである。熱いのは暑かったがそれほどバテなかったので取材できた。 ただ」写真はもうまくとれてはいなかったのは残念だった。



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posted by 天華 at 20:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2023年07月31日

なぜ新聞が読まれなくなったのか? (新聞社に勤めていた人も読んでいない)


なぜ新聞が読まれなくなったのか?

(新聞社に勤めていた人も読んでいない)

●それぞれの住んでいる場からの報道はできる時代

新聞社に勤めていた人さえ新聞を読んでいない。今日はリンクの機能がないから一つの記事について深く知ることができない。いろいろな記事が新聞に出て一覧性があるということがあったが、返ってそれが不便なのである。新聞というのはいろいろ手間とお金でかかりすぎるのである。新聞という紙面の作り方にも問題があった。

それはどうしてなのだろうかと思うと社会は人間は空間軸と時間軸で必ず起きている。そこで何か起きたとしても空間軸と時間軸で必ず見る必要がある。ところが人間は空間軸でも。狭い範囲でいつも生活している。すると例えば福島県でも何が起きているか?自分の住んでいる場所なら。わかるのだが。他だとなかなかわかりづらくなる。それは気候とか違っているからである。福島県だとハマナカアイズに分かれている。そして会津となると山国であり、その風土も浜通り相当に違っているのである。それで会津のことはなかなかわかりにくいのである。福島県といっても知ることが難しいのである。

だからこれが東北地方とかでも広がるとなかなかわかりにくくなる。つまりまず事件でも何か問題が起きた時どこで起きたかということが問題になる。だから何か起きることがTake placeなのである。場所が問題なのである。場所とは空間軸でありでもその空間軸も広いのだから分かりにくいのである。
もう一つは時間軸として事件も起きているのである。なぜなら何か事件が起きるとしてもそこに歴史というのが必ず知る必要がある。歴史という時、大げさなものでなく例えば家族があったとするとその家族も時間の中で形成されている。その時間でも親から祖父母からその前の先祖まで関係していることがある
実際、事件というのは何かそうしてカルマが関係しているのである。その家に積み重ねられたカルマは事件として現れてくるのである。だから事件でも突然起きてきても時間軸で見ないとわからないので。それは世界で起きていることでも同じである。ウクライナでなぜ戦争が起きたのかというときまず空間軸でみる。それは比較的わかりやすい。でも空間軸でもウクライナというと、ロシアというとてつもなく広いのである。延々として森が広がっている。それを日本からすると理解しにくくなるのである。そして時間軸で見るとさらに難しくなる。それはそれぞれの国に歴史がありだから問題がまた起きてくるからである。 

●空間軸と時間軸で理解する

新聞が衰退したのはマス(大衆)を相手にしている。マスコミという。何千部も売るとしたらとにかくそれだけの人数を相手にするとなるととても深く見ることは伝えることは不可能になる。その土地から離れて空間軸から離れて。ただマスコミは大衆を相手にする。それでニュースでも解説でも空間軸と時間軸で理解できない。突然。事件が起きてそれを報道してもすぐには理解できないのである。

でも狭い地域だと自分の住んでいる場所だとある事件が起きればその土地と結びついてまた、時間軸で見るから理解することがある。 ただ、その土地、土地に住んでいても。時間軸で理解することは非常に難しい。その土地に100年前、200年前、300年前にどうだったかなど理解することが難しいからである。ただ、狭い地域に住んでいればその土地のことを肌で知っているから理解しやすいとなる。 

現代の情報環境は前とはあまりにも違ってもうマスコミを相手にしていない。そのツールとしてパソコンやスマホが生まれてさまざまな情報に接する手段を得たからである。マスコミは何千万人も人を相手にしているのだからそれができない。福島県でも広いからその土地、土地のことをすべて報道することはできない。地方新聞にしてもその範囲が広いのである。また、一つの事に関心を持っても新聞だとリンクして深掘りできないから読まないと言う人もいる。それはインターネットとかで一つのことに関して深く知るということができるようになったからである。 

やはり報道するにしても狭い土地ならその土地のことを知っているから知りi抜いているからできる。空間軸でも狭い土地でもその土地全体を知るということもまた難しい。
例えば、相馬地域でも飯館村も相馬藩内であった。でもその土地ときこうでも飯館村だと平地寄り500mも高いとかとなり夏は涼しく冬は寒いとなる。その感覚的なことがわからないのである。特に私は車がないから自転車でゆくから、その感覚を肌で知るっているのである。その土地を知ることはやはり肌で知ることである。そこに車で行き来してもわからないことがある。福島県が暑いとき35度とかになると言う時私の住んでいる相馬地域はそうはならない。なぜなら海から風が吹いてきてそれが涼しいからである。

福島市は盆地でありそこで熱風は吹くとなる。それで自転車で夏に福島市の方から峠を越えて浜通りの方に出たとき涼しい風が吹いてきてほっとしたのである。なぜならそのとき熱風が盆地の方になると吹いててきていたからである。こうして。風土のの違いがありそれを遠くからはなかなか理解できない。そのことがその土地に対して何か起きても分かりにくいことなのである。それで原発事故があったとき丁度、3月11日頃海から東風が吹くのである。その風が山の方に吹いて飯館村とか、福島市まで放射性物質は大量に流れたのである。それは風の影響であり季節的な影響があり、不運だったのである。

このように、その土地のことを理解しないと何か事件が起きても問題が起きても理解しにくいのである。福島県でもハマナカアイズと広いから理解しにくい。浜通りだと福島市とか郡山市がある。中通ですらいつも阿武隈山脈高原にさえぎられていてまったく見えないのである。だから地理的に一体感を感じられないのである。むしろ仙台が交通的にも近いから仙台の方に一体感を感じるのである。まず会津となるとほとんど地理的一体感は感じない。あれほど2000m級の山々がひしめいていることで地形的にも全く別の世界なのである。この辺で高い山は鹿狼やまであり400メートルしかないからである。

地理とか風土とかは、そこに住んでみないとなかなか理解しにくい。冬になると常に雪が積もる。世界と海側のほとんど雪も降らない地域とは相当に違っている。そこに生活する感覚も相当に違っているのである。 

●新聞の構成も時代に合わない

ともかく新聞だとリンクしたり時間軸で深掘りすることがなかなかしづらい。でもプログのようなものでもリンクしたり関連付けたりできる検索できるからである。私の記事は膨大でありそこで調べようとすると難しくなる。でもリンクしたり検索窓から調べるとその一連の記事に関連したものは読める。だから深掘りできるのである。

だから誰でもできるプログのようなものでもその効果は本当に大きいのである。ただ正直私のプログはいまだに。SLL化してないしワードプレスもできないから何かもう一つ宣伝効果もないし問題がある。だから技術的な面でもっと読みやすいものに、作り直すことが必要になる?。ホームページも持っていたがそれも今はしてない活かされていない時間もなくなったせいである。家事に追われているからいろいろなことができないのである。今はコメントすらしてない。一つの記事を書くだけで結構大変なのである。そして写真とることで手間になるる。動画を試してみたが。これも手間でありなかなか出来ない。ここにやはり一人でやる。限界が出てきている。

でも一人だけ金もかからずこれだけできることは?今までにありえないありえなかったことである。毎日新聞を出している感じになるからである。 今やこれが自分の仕事である。金にはならないが仕事なのである。それで苦しいが暑かったが雲雀が原に野馬追のことを報告するために無理して行ったのである。記者でもやはり危険な場合がある。危険な場所にも行くことはある。それで取材で死んだ人もいたのである。ただ、仕事には常に危険がある。工事現場とか大工さんでも危険な仕事にもなる。だからただ、文章を書いて楽机に座っているだけで楽だとみられるが。記者となると、やはりそれなりに危険も出てくる。海外を取材するとなると、さらにそう危険である。

いずれにしろ、私自身がプログに書くだけでジャーナリストとはどういうものなのか、記者とはどういうものなのかそういうことを理解した。 仕事と言うのはなんでも実際に携わって見ないと理解できないのである。それで無人駅のボランテアをして案内をしていて鉄道に詳しくなった。乗客であるだけでわからないことを知った。。鉄道のことは理解できない。駅のことについても理解できない。でも実際駅で案内していただけで駅のことを理解したのである。

それで仙台方面に行くホームと磐城に方面に行くホームが意外と分からない人が多かったのである。そのことをいつも聞かれたので駅長にその事を言って分かりやすいように支持する看板を作ってもらったのである。これはそこに勤めていない限り分からない事だったのである。ただ、サービスを受ける側になっているだけでわわからない。その仕事に実際に携わると肌で理解するのである。でも実際は仕事には簡単につけない。だから多くの仕事があっても実際は理解してないので。仕事の苦労など外から見ていてもわからないからである。

だからその土地に住んでいる人は、その土地のことを報告することは有利である。とてもさまざまな土地のことについて。知りえないからである。またあらゆることについて報道できない。そんな専門的な知識など誰も持ってないからである。でもその土地に住んでいれば。原発事故が起きたとき私自身が理系では無いから放射線のことなどまるでわからなかった。でも事故が起きたとき海から東風が吹いて山の方に流れて飯館村などが大損害になったということは理解したのである。ほかの人はそういう土地のことがなかなかわかりにくいからです。だから地元の人が。報告することは、ほかの人より有利なのである。

●インターネットに変わられるメデアの変化

新聞の問題は配るだけ金かかるし新聞紙にも金がかかる。それは既に前時代的なものになっているのである。でも記者とかはジャーナリストという仕事はなくならない。それは簡単にみんなができるものでもないと思った。あることについて報告するにしてもそのことについて何か深く知っていなければ出来ない。まず相馬地域を報告するにしても、その土地について住んでいて深く知っていなければ。報道できないのである。

いずれにしろ新聞社とかはもうなくなる。テレビでも観なくなった。情報環境があまりにも違う変わってしまったからである。でも、あまりにも情報が溢れると今度はその情報はスモッグのようになってしまう。Facebookなどを試しにやってみたがそれはただ、世界のことは次々に写真とか動画で流れてくるだけであり。その情報の関連性がないのである。ただ、まだそれも使いこなせていない。インターネットでもいろいろなものが出てきてもなかなかわからないし、使いこなせないのである。そして動画を出してみたがそれは簡単にできない。でもその動画を編集することが面倒なのでそれをまだ出来ていない。その辺に一人でやるのは限界がある。でもこれだけの者を一人でしているのだからその。変化が大きいのである。

一人一人が新聞社になり出版社になりテレビ局にもなっているからである。この変化は大きいのである。ただ、そこで膨大な情報がスモッグのようになって肝心なものは読まれないと見れないとなるやはりくだらない刺激的なものが映像でも観て大衆化してくる。どれだけページビューを上げるとか見れるとかで金になるとかなってしまったのである。

だからインターネットの情報でもそれはもう大衆のものであり大衆的なものが受けて数ですべてが図られる。その価値が決められるのである。それが金になるということでその金のためにyoutubeとかを下らないものでも大衆向けに出しているのである。だからなんであれ大衆を相手にすると堕落するのである。カルト宗教もただ大衆を相手にしか数だけを集めているから堕落しているのである。そこに高貴なものは何もない。唯一数を集めて権力化することが目的化してしまったのである。インターネットでも広告を出して金を儲けようとするユーチューバーもいて問題になった。それは常に利益優先となり大衆化して堕落するのである。

大衆的アイディンティティは集団や個人の経験から発展したというよりも、世論を誘導する者によって与えられ、できあいのアイディンティティを人々に与え、商業広告を代表とするマスメデアを通じて広められる
それは最も表層的な場所のアイディンティティであり感情移入的内側性の余地を全く残さず場所との一体化の基礎を破壊することによって実存的内面性をむしばむ
マスメデアはその受けてが直接に経験できない場所に単純化され選択されたアイディンティティを都合よく与えて偽りの場所の偽りの世界を作り上げようとする

読むべき本ー場所の現象学(エドワード・レルフ)
(アイディンティティは場から形成される)

イラク戦争で油にまみれた海鳥を世界に放送してそれが嘘だったのである。回りは別に油に汚されていなかった。世界になるとこうした場のことなどわからないぁら騙されたのである