2023年07月18日

使いこなせない道具に機械。 (情報社会でパソコンを使えないのは致命的)

使いこなせない道具に機械。


(情報社会でパソコンを使えないのは致命的)


●機械道具を使いこなせない問題


機械道具が増えて使いこなせない。使いこなせないのがパソコンを買ったとしても使いこなすのは容易じゃない。そしてWindows 11になったらまた。使いこなせなくなった。私は親指シフトの富士通のキーボードを使っていた。でもwindows 11時になったらそれもできなくなった。それが一番の問題だった。なぜならやはり基本は文章を書くことだからである。スムーズにできないとなかなかパソコンに馴染めないのである。音声入力ではスムーズに文章を書けない。ただ、かなり進歩したことは確かである。ただ一番パソコンは使いこなすことが大変なのである。だからいくら買ったとしても使いこなすことに大変な労力が必要になる。


 もちろん車でも使いこなすことは容易ではない。その点、自転車なら誰でものれるということはある。でもマウンテンバイク型の電動自転車を買ったがそれに荷物を乗せられないことで困った。また。バッテリー一つでは乗れる距離が短い。それで二つ乗せると倍の距離を行ける。それで安心だとはなる。でもその二つを自転車に乗せることが難しかった。それをなんとか工夫して二つを自転車に取り付けることができた。こうして便利な道具や機械があっても、それを自分なりに使いこなすことが容易ではないのである。


ちょっとした道具でも機械でも意外と難しい。今度買った。自転車用のドラコレ動画を記録するものがマイクロsdカードであり小さすぎて無くしてしまったのである。そこでこんな小さなものに動画という記憶量が多いものが記憶されることは驚きになった。そこでわかったことがこうした半導体が現代の最先端であり知能社会を作っていることを認識した。半導体とは正に人間の脳でありそれも人間の脳より恐るべき記憶量があり知能を作り出すのである。半導体がなければ、もはや今の現代社会は機能しなくなっている。日本は最初半導体で。世界のシェアの多くwを占めていたがそれも失われた。 それで日本が半導体で経済を復活させようと世界的な工場を作った事も分かった。


こうしてともかく現代は道具に機械に追われる、その操作にも追われる。

それで頭脳がついていけないのである。要するに現代とは?知能社会であり。その象徴がパソコンになっていたのである。その。中枢にあるのは半導体だったのである。


●情報社会に適応できないと劣等者になる 


ともかく情報社会であり知能社会であり機械社会でありそれに適合することは容易ではない。もはや老人は適応できない。家族が認知症になったがテレビのボタンのボタンを押す事さえ分からなかった。認知症になってそうなったのである。老人は認知症でなくても機械に疎くなる。だから今の社会は老人にとっては相当に生ききづらい社会である。スマホ自体使いこなせない。すると社会に適応できなくもなっているのである。老人はやはり対面的に。人と接して何かを知る得ることが向いている


パソコンはその全体を使いこなすことはもはや不可能である。その都度一つでも二つでも使いかたを覚えるほかない。全部はもう覚えられない。それにしても理解するにしても。手間なのである、だからフェイスブックをしようとしたら実験してみたらそれも簡単にわからなかった。でもこうしたものを使いこなせないと時代から取り残されてしまうのである。私はパソコンはwindows 95から始めているから長くしている。でも常にこれも変化してWindows 11になったらまた。その操作も複雑になり使いこなせなくなったのである。 


ただfacebookにしても動画が簡単にアップできたことは驚きだった。でもその他は未だ分からない。何かFacebookにしてもその機能を理解することがすぐにはできないのである。それが問題なので。別に老人でも人と話すならできる?でもそこに機械がパソコンが介入すると簡単に使いこなすことができなくなるのである。ただ使いこなせれば便利なものなのである。 


●マスコミは新聞でもテレビでも旧メデアとなり終わる


情報社会という時、知能社会というときまずパソコンを使いこなせなければその社会に適応できない。すると現代のことが分からなくなる。現代社会から取り残されてしまうのである。それが老人に起きている。70以上の人はパソコンを使いこなせない。だから未だに新聞を読みテレビを見ているのである。もう60代でも今はテレビも新聞も見ない人が多い。今は個人が新聞を出しテレビ局にもなり雑誌でも出せる本でも出せる。そういう時代になったのである。個人が一つのチャンネルを持つ。マスコミの時代は終わったのである。個人でも写真でも動画でも出せる。それも金もかからない。そうなると莫大な金がかかる新聞とかテレビとかはもう終わりになったのである。


 マスコミの放送は全国放送であり、偏るのである。例えば福島県でも広いハマ,ナカ、アイズありそこは違った風土があり歴史も違う。福島県を放送する時。福島県全体ではなく。その土地、土地に住んでいる人がベースとなり放送すれば生々しいものとなる。。ただそれが別に機械がするわけではないやはり人間がするのだからそこに報道できる人間が必要なのである。それを自分はしてきた。相馬地域をベースとしその歴史でもさまざまなことを報道のしてきたからである。一つのミクロコスモスとして相馬地域をテーマにして書いて来たからである。

ただスキルがたりなかった。それでhttpsに未だにしていないとか遅れてしまったのである。


報道の問題としてフェイスブックをしてみたらそこにはあまりにもさまざまなものが混交してつながりが見い出せないのである。あらゆるものがそこにブチ込まれている。エロでもなんでもとにかく刺激ときは映像がアクセスされやすい。だからこれも問題だ問題があると思った。でもそうなるのはすべてが大衆を基準として大衆に受けるものが求められるからである。そうすればアクセスする人も増えてそれを主催する人も金にならなければ維持できないのだから、そうなるのと情報を扱うのは民間だけでやるのは難しいと思った。

その安全性であり情報の今こうした状態は人々を混乱させることになる。だからこそフェイクニュースとかいろいろ問題が起きてくるわけである。


●侍は馬を持つ人で足軽はその人に仕える人


でも今や情報社会を拒否して生きることはできなくなったのである。車社会になったら車を持たないものは劣等者となったと似ている

戦国時代でも鉄砲を利用して馬を利用した人が優位になった。例えば足軽とは馬を持たない人である。サムライとは馬を持っている人だったのである。そして徒歩(かち町)とある時そこは馬を持たない歩くことしかできない人たちが集団で住んでいたのである。だから馬を持つ持たないで身分差が生まれたのである。それは今でも通用している。クルマを持たない者は劣等者であり。自転車とか徒歩の人は劣等者のである。だから常に人間社会ではその道具であれ機械であれそれを使いこなせるかこなせないかによって身分まで違ったものとなったのである。


でももう老人は適合することはできない。認知症になれば。テレビのボタンを一つさえ押せなくなっているからである。 

いずれにしろ格差というとき、金だけではない。情報格差が生まれるのはパソコンを利用できないからである。それが致命的になっているのである。パソコンなどは今は安い。このノートパソコンは6万くらいしかしてない。だから誰でも買えるである。それよりそれを使いこなすことが。ハードルが高すぎるのである。 ただ、今の情報社会に適応出来ないものはまともな収入すらいられなくなる。現実に今は優秀な学生は医者を目指すのではなくIT関係を目指していることでもわかる。それが現代ではそういう社会になっているのだから。それで最先端を行く者はアイティーなのだからそうなったのである。日本は?世界から遅れたのitが。遅れたためだったのである。 



2023年07月19日

川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ (大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)


川を挟んで戦争が継続した歴史-ウクライナ戦争も同じ


(大陸の熾烈な戦争のカルマー地歴を知れ)


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https://onl.la/bxEkEkj



●今も運輸の大動脈のライン川


ドイツでは物流の大動脈であるライン川の水位が記録的な水準にまで低下していて、水位の低下で石炭や石油製品などを運ぶ船の航行が困難になり、エネルギー価格の高騰に拍車をかける懸念が生じている。

2022.08.23


プーチンの「呪い」だ…! ドイツの「ライン川」でいま起きている「ヤバすぎる

https://gendai.media/articles/-/98726


内陸水運貨物の上位2〜4位であるコークスや石油製品、石炭・褐炭と原油や天然ガス、化学製品は、それぞれ全輸送量の20.8%、27.0%、10.8%が内陸水路経由での輸送だ(添付資料表参照)。また、ロシア産天然ガス供給量の減少により、石炭・褐炭を発電燃料の代替とする予定だが、船舶の航行困難で輸送に影響を受けている。なお、ライン川は欧州域内で最も重要かつ最も交通の多い内陸水路で、ドイツの内陸水運貨物の約80%がライン川上を通る

ジェトロ


民族大移動期にローマ帝国はフランク人のサリ族を傭兵として利用するためにフォエデラティの資格でネーデルラント南部のトクサンドリアに入植させたが、西ローマ帝国の衰退にともない、サリ族入植地から発展して成立したフランク王国に、ネーデルラント全体が取り込まれていった。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%

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日本で理解しにくいのは川のことである。 川のスケールが日本とまるで違っているからである。1200キロもライン川があるとすると想像を絶するものなのである。だから、その川は運河のようになっていて。荷物を運べるのである。それは大きな交通路に今もなっているのであ。ただ流れているだけではない。交通路として生きているのである。支流でも大きく 船でものを運べるのである。四大文明が川のそばに生まれたということはそれを?それを知るにはわ川を知らなければならない。


なぜriverをライバルというのか川を挟んで川が障壁となっていたからである。それはウクライナ戦争でもそうだった。ドニエプル川というのはウクライナの中央を横切り流れている。そのドニエプル川を挟んでウクライナとロシアが戦っているのである。その川が障壁となりなかなかその川を渡ることができない。川を挟んで勝敗が決まるとまでなる。ミサイルがが飛んでくる戦争でも依然として陸上戦になると川が障壁となり。そこで戦いが勝敗が決まるとまでなる。だから地理というのは変わらないからやはり人間もその地理に左右されているので。


そしてなぜオランダがライン川の先の海に出るところにあるのか?オランダはどうして作られたのか?それは今のフランスのフランクがありその一部であったドイツではなかった。でも言葉としてはオランダとドイツ語は似ている。ゲルマン系の言葉である。だから。方言の相違くらいのかもしれない。でもフランクに属していればフランス語が使われたから違ったものになっていた。このようにヨーロッパの歴史は複雑でありわかりにくいのである? 


●川が運河となっている大陸やヨーロッパ


でも世界史でもわかりにくいが地理から見るとわかりやすいことがある。その一つが川を見ることである。川が交通路であり大陸の川は運河と同じである。水路のようになっているからである。日本の川は滝だというとき外国の川とあまりにも違っているからそうなった日本の川は山から激しく流れて陸地を長く流れるということが少ないからである。だから運河のようになっていないから。荷物を運ぶのにむいていないのである。最上川は米などを運んだりしたから大陸の川とと多少似ている?でもそういう川はまれなのである。


とにかくヨーロッパの歴史は分かりにくい。それだけではない世界の歴史を知ることは日本人にとっては海に囲まれた島国であり。そこで地理を具体的に感じることができないからそうなっている。一つの世界から孤立した島にもなっているからである。で大陸のような激しい民族や国の興亡を経験してないから大陸の歴史を理解しにくいのである。今のウクライナ戦争でもそうである。陸続きで国境があるというときいつ国境を越えて他国が攻めてくるかもしれない。そういう恐怖がいつもあるのでいつもある。逆に攻められると思う国でも隣り合っているのだから国境を越えて攻められると言う恐怖がある。互いにそうして恐怖の中にある。そういう歴史が継続していたのである。


それからプリゴジンという傭兵隊長がロシアの軍事顧問に大統領まで二不満を言いモスクワまで攻めていくとかいうのやはりその傭兵というのがヨーロッパでは戦争の時必ず出てきていたのである。なぜならオランダでも傭兵が一つの国を作ると言うことをしていた。そんなこと普通日本だったらあり得ないからである。そもそも日本には傭兵というのはなかったからである。そこにやはりヨーロッパでも歴史の継続があるということである。


●戦争に負けると奴隷にされる歴史のカルマ


そして信じられないことはヨーロッパの白人の男女でも奴隷としてイスラムにモロッコとかに売られていたのである。女性は?奴隷市場で裸にされて売られていたのである。今になると信じられないことである。黒人が奴隷にされるということはわかる。でもヨーロッパの白人がイスラムの国の奴隷となっていたのである。つまり奴隷というのは、常にローマ帝国時代からありそれはアメリカでも黒人奴隷として働かせたように継続していたのである。


ヨーロッパでも大陸でも絶えず戦争があり戦争に負ければ奴隷にされその厳しい歴史があった。日本でも戦争に負ければそういうことがあったらしい。ただそれは戦国時代のことだけだった。大陸では絶えず戦争があり奴隷化されることが継続していたのである。だからスラブ民族というときスラブはスレーブであり奴隷のことだったのである。そこで今もヨーロッパとスラブ民族系のロシアが戦っているということにもなる。つまり、民族抗争は世界か絶えたことはないのである。ロシアはモンゴル系統が混血している、大陸では人種が混血するのである。


何か歴史というのは東西でも一つのカルマを繰り返すということで共通している。国が弱体化されればそのそこに住む住民も奴隷化され経済でも競争に敗れれば日本が貧乏になって外国人にアジアでも裕福になった中国人に買われるとなる。それは日本は裕福な時東南アジアとかでしてきたことだからである。つまり他国にしたことが、今度は自国にされる。それがカルマなのである。そんな日本人がカンボジアにたむろしていた。今になれば、日本などは東南アジアと同じようにそれ以下にもなっているのである。だからつくづく人間には必ず国でも個人でもカルマとなりそのために苦しむのである。


●ウクライナ戦争もドニエプル川を挟んだ戦い


ともかくウクライナ戦争もドニエプル川をを挟んで戦いがありそこで勝敗が決まる。それは歴史の継続であり。いくらミサイルが飛んでくるとしても陸上戦になるとそうなるのである。やはり陸上戦で住民を支配しないと自国の領土となりにくいからである。


ロシアでも、ドイツでもフランスでも大国である陸の大国である。ランドパワーである。でもスペインとかポルトガルとかは海洋進出した。シーパワーの国であるオランダもそうであり。イギリスは七つの海を支配したのである。シーパワーが世界を支配したのである。ただ、それまではランドパワーの戦いであった。 そこで川を挟んでライバルとなり社会が現代でも継続されていたのである。だから歴史というとき。必ずやはり地歴なのである。地理をを知らないと世界のこともわからないのである。ただあまりに広すぎて、日本では。実感として分かりにくいのである。 


地理とか風土は宿命でありカルマとなる。それは変えられないのである。それを実感しているのは福島県では浜通りが阿武隈高原で遮られて。福島市とか中通りが見えない見ることができない。すると地理的一体感を感じない。ただ飯館の佐須から峠を越えると吾妻山が見える。でもそこまで行かないと見ることはできない。ところが蔵王というのは南相馬市の鹿島区からも見えるのである。結構明確に大きく見えるのである。すると山形県でも地理的一体感を感じるのである。


それから牡鹿鹿半島は思った以上大きく見えるのである。だから海をとうして地理的一体感を浜通りは感じるのである。会津となると別の世界であり山国であり福島県でも東北でも一つの別の世界なのである。雪国でもあり浜通りとはまるで違った風土なのである。だから福島県は地理的一体化を感じない。むしろ海を通じて宮城県の方に地理的一体感を感じる。山が邪魔だからと取り除くことはできない、山が多い日本ではトンネルの技術力が高いといううのも

地理に風土に影響されていたのである。


いずれにしろ。人間に起きてくることは空間軸と時間軸で起きてくる。そこに地理的宿命があり、カルマがある。今のウクライナ戦争でも起きているのでそれは地理からすでに予測していた人が結構いる。それは地理の宿命として戦争が起きていたのである。 平坦な土地だと森が川が障壁となっていた。依然と決せられる。陸上戦ではどうしてもその川を超えなければ戦いに勝つことはできないからである。地理的宿命から逃れることはできないのである。


また時間的宿命カルマとしてアフリカのモロッコとかイスラム国がヨーロッパの白人を女性まで奴隷にしていたということであろう。それが今度は逆にイスラム系とか黒人が。奴隷にされたという歴史がある。それもカルマの繰り返しなのである。人がこのカルマから国であれ個人でも逃れることができないのである。だから人間の社会はカルマの繰り返しであ。それは終わることなくある。個人でもそうだし。国単位でもそうなのである。



ロシアは森林を除けば、侵略から身を守る自然の障壁を何ら持たない。最後の陸上帝国であるため残虐に征服されることの意味を深く身に刻み、領土を拡大維持するか少なくとも隣接する影のゾーンを支配しなければならないという強迫観念に囚われるようになった。


地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン


この本を読むとウクライナがロシアに侵略されたのは必然だとなる。地政学的に避けられない運命だったともなる。地理はそれだけ人間に影響してその歴史まで作っているのである


posted by 天華 at 17:01| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月20日

金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真


金閣寺と平泉の金色堂(光堂)の相違の評論鑑賞(続編)ーイメージクリエーターの写真




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五月雨の降り残してや光堂

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イマージクリエーターでは金閣寺が出てくる、平泉の金色堂ではない、平泉の金色堂は鎌倉時代に作られていたのである。

金閣寺より古いのである。それができたのは奈良時代に涌谷の黄金山で金がすでにとれていた。他でも陸奥では金がとれていたからである。

ともかくこの絵を見ると不思議になる、椿が散ってはいないが金閣に向いて真っ赤に咲いている、そんな絵がつくられたことに驚くのである







松に寄り椿散り赤し金閣寺

苔に散る椿や赤く金閣寺

夏日射し金閣映えて京都かな

春光やみちのくの栄金色堂

風騒ぎ花も散りなん義経堂

平泉旅人去るや秋の蝉

秋深む弁慶松に金色堂

みちのくの枯野のかなた金色堂

雪の野に金色堂映え夢の跡




義満の贅を尽くして金閣寺民は苦しみ恨みも残る

金閣寺池に写りつまばゆしや千年の都に訪ふ人絶えじ

金閣寺池に写りつまばゆしもその後映る月の涼しも




平泉訪ねてあわれ春の日や虹の切れ端消えにけるかな

五月雨に朽ちず残れる金色堂みちのく遠く旅人去りぬ

金色堂心に写し帰るかなみちのくの空秋の夕映え

氷張る池に雪降り金色堂眩く映え雪踏み帰る

雪の野に幻ならじ金色堂みちのくにさらに雪は積もりぬ




1394

足利義満太政大臣となる

1397

足利義満が北山に金閣寺(鹿苑寺 - ろくおんじ)を建立

1401

明(中国)と国交の開始。明からの国書では足利義満が日本国王

1404

勘合貿易(かんごうぼうえき)の開始。

との貿易で倭寇対策に勘合(かんごう)を使用した。輸入品は銅銭(永楽通宝)・織物・書物など。輸出品は硫黄・銅・刀剣など。治安対策として倭寇の取締りを強化。


京都の金閣寺と平泉の金色堂の相違は何なのか?京都の金閣寺は足利義満が建てた別荘だという。とういうことを権勢を誇るものとして建てた。それで一階は公家式であり二階は武家であり三階は禅宗の御堂でありそこに義満は皇位継承を巡り分裂していた天皇家を統一した。南北朝の統一である。更には有力守護大名の勢力を抑止し不安定だった幕府権力を確たるものとした。

圧倒的な権力を手に入れた義満はさらなる高みを目指す。

長男・義持(よしもち)に将軍の座を渡し、次男・義嗣(よしつぐ)を天皇の子と同じ形式をもって宮中で元服させた。このことは義嗣が次期天皇になる事を示唆している。

義満は何を狙ったのか?

そう、将軍と天皇の上に立つことつまり日本に存在する権力の頂点に君臨しようとしたのである。そしてこの構図が金閣寺の建築様式に表現されているのだ。


このように金閣寺はとても仏教に帰依するとかではない。権勢を誇るものとして見せるものとして作られた。その時代は京都の中にも。応仁の乱とか争いがあり権力闘争がありその争いの後は寺に残ったりしている。柱に刀傷があったりする。京都はどうしても政治の中心でもあったからそこで権力争いの場となり明治維新でも薩長と幕府側と戦ったのである。その幕府側だった新撰組や会津を恨んで会津が悲惨な結果になったのである。




大風洪水万民憂  

歌舞管弦誰夜遊  

法有興衰劫増減  

任他明月下西楼  


暴風に 洪水に民衆は苦しんでいる

歌舞かぶ 管弦 誰か夜 遊ぶ  

こんな時に歌舞音曲 いったい誰が 今宵遊んでいるのか

仏法に盛衰があり 天変地異もそれに応じて増減する

明月が西の高楼に沈むなど どうでもいいことだ 


「大風洪水万民憂 歌舞管弦誰夜遊 法有興衰劫増減 任他明月下西楼」は、唐代の詩人白居易の詩「赋得古原草送别」の一節ですね。この詩は、白居易が長安を去る際に、友人の元凶となった罪を償うために、草原に向かって詠んだものです。この一節は、人生の無常さを表現しています。



ただ京都はそういう権力闘争の場であってもまた文化発祥の場でもある。だから中国の明からいろいろなものを取り入れたのである。この時期に日本文化と言われる猿楽・狂言・連歌などは都市・農村問わず愛好され、喫茶の風習も茶の湯として広がった

だから禅宗は文化もたらしたのである。金閣寺にもそれがとりいれられていたのである。 ただ金ぴか文化は常に権力者が作り出す秀吉の黄金の茶室でもそうである。ヨーロッパでもスペインなどは南米のインカとかから黄金を略奪して持ち帰り黄金の教会を作っているからである。信仰というより権力者の権勢を誇るものとして作られたとなる。 

一方で平泉の金色堂は民の平安とか戦乱の無き平和な社会を願い建てられ権勢を誇るものはあった。でも金閣寺と違って 仏教により平和もたらされることを願ったのである。

中尊寺の建立にあたり、「中尊寺建立供養願文」で争いのない平和な世の中にすることを誓いました。平和な世の中を目指した国造りをすること自体は、歴史の中でも極めて珍しいことです

命あるものたちの御霊は、今、あの世に消え去り、骨も朽ち、奥州の土塊となり果てたが、中尊寺のこの鐘を打ち鳴らすたびに、罪なく命を奪われた者たちの御霊を慰め、極楽浄土に導きたいと願う

それで漢詩にあるように民は苦しんでいた。 それでその頃から一揆が起きていたのである。楼閣など必要ないとその時代の権力者を批判する人なっていたのである。

金閣寺もまたそういう面があった。でもその美には魅せられる。現代で欠けているのは美なのである。東京にいた1000万人住んでいてもそこに美がないのである。だからこそ殺伐としているのである。 

なぜ金閣寺が魅力あるのか?それはお堂の中でなく寺の中でなく外に作られたからである。だから自然の風光の中で映える輝くのである。その美に魅せられるのである。だから私が訪ねたとき苔庭に真っ赤な椿が一輪散っていた。それが金閣寺にもあっていたのである。

だから不思議なのはイメージクリエーターなのである。椿は散っていないが鮮やかに金閣寺に映えている写真になっている。もう一つは五月雨の降り残してや光堂であるがそれは金閣寺をみちのくに移した感覚になる、あきらかにこれは金閣寺である。でも五月雨が降りそれが金色堂にもなる不思議がある。このAIの技術は驚くべきものがある。


ともかく、私は東北に住んでいるから平泉は近い?だから春夏秋冬と行っている。そこで違った趣がある。ただ、それは京都の金閣寺とは違う。金閣寺は豪華に潤沢に輝いている。ただ、そこには他人の平安を願うというより。権勢をを誇るものとして建てられたし義満の別荘でもあったからみちのくの平泉の金色堂とはまた違ったものである。

金色鐘声寺門開、 花香滿路春將來。 雲山四面皆明月、 水田十方是秋雷。

一休の漢詩でもあるが水田とあり秋雷は秋である。ともかく金閣寺の辺りは水田だったとなる

鎌倉時代だったらみちのくといえば奥の細道でさみしいがそれ以上に寂しい場所だったのである。平泉とは小さなみちのくの都であり京都は比べようがない。だからそれは枯野の中にあり。雪にも埋もれていたのであ。そして旅というとき目的地に真っ直ぐ行くより遠回りがいいのである。方向を定めない旅が発見の旅となる。

だから分か道がありどっちに行こうかとかなるのが旅である、そこが分かれ去りになる。それは歩く旅だからそうななった。車だったらそうはならないのである。だから現代は旅がなくなったのである。

芭蕉は石巻からどういう風にして平泉まで来たのか?それは今の石巻線を行けば分かる。その石巻線は人もわずかしか乗らない線である。その時枯野が広がっていたのである。

涌谷とは黄金が取れたとして奈良の都にも知られて万葉集に乗っているのである。だから東北というのはもともと金が多くとれていた。それで金売り吉次の伝説が生まれた。ここに金が取られると知られたのはそれは天平時代であった。黄金山があったところに御堂があり天平の字が記された瓦が発見されて話題になった。涌谷から発見されているからである。それだけみちのくというのはそれなりに古い歴史がある。奈良時代から既に奈良の都と行き来があったからである。


石巻から石巻線に乗るとみちのくでも東北でも広いと感じる。でも東北線とか新幹線で行くとそんなに感じないかもしれない。だから旅というのは途中が問題であり。その目的地になるべく早く着くということではないのである。かえってと遠回りした方がその土地のことがわかり旅になるので。そしてそういう旅のほうが記憶されているのである。本当の旅は歩く度が一番いい。そしてそこに分かれ道がありどっちに行こうかなと思案する行き先もわからないた旅が未知なる道への旅となる。だからこそ分かれ去りとかと言う地名が残っているのである。

道分かれどちに行こうか日永かな

これも時間の余裕がないとこうはならない、まず急ぐ旅は旅にならないのである。車で飛ばしても後で振り返ると記憶から消えているのである。

こうして近くだと四季折々の風情を楽しむことができる。でも。京都となると今遠い。もう介護になってから15年位旅していないのである。そして旅するにも何か外国人が多くなって混雑してそういう人混みがいやになった。もともと自分は都会の人込みなどが嫌だった。若い時はよかったとしても老人になるともうそういう人混みがいやなのである。だから早い時期に関西の方に何回も旅したのはよかった。やはりいくら時間が与えられていても金が与えられて与えられていても何かするということは限られている。時間がその前になくなってしまうのである。

そしてまた状況も変わってきてコロナウイルスとか様々なことで変化して行きづらくなったのである。やはり人が多いということは古都の京都の風情が失われるのである。それは修学旅行生が来て騒いでいた時も感じた。そこで京都の風情が失われる。京都ではしずしずと着物姿の女性がが歩いている時あっているのである。それが派手な若い女性がギラギラの服を着て肌丸出しで歩いていると何か幻滅するのである。だからインバウンドで外国人がまた増えたが京都の風情は失われる。すると日本人は京都に行かないとかなる。そこに現代のグローバル化の問題がまたあるある。金になるからと受け入れるとそこにまた問題が起きるのである。












2023年07月22日

合歓の花と待宵草


合歓の花と待宵草

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単線の線路に雨や月見草
雨しとと窓に紫陽花厨かな
夕蝉や今日も忙し買い物に

合歓の木のさゆれて川岸の道に朝涼し海よりの風
川岸に合歓の花咲き草深く待宵草も咲きにけるかな
我が庭にジャコウアゲハや朝静か大き羽根広げ休みぬ

真野川の土手どサイクリングロードは気持ちがいい合歓の花が咲いている。 そこにまた待宵草が咲く、今の時期は次々に花が咲く、合歓の花と。待宵草はあっている。朝はこの辺は海から風が吹くので涼しい、今日は朝は晴れていたが午後から曇った、まだ梅雨は明けてはいない、でももはや明ける、ジャコウアゲハが今年も庭に飛んできて来て羽根を休める、その羽根は大きい

待宵草と月見草は違ったものだった。同じだと思っていた、どっちでも詩的なのである。常磐線はここは単線でありそれも原発事故があった原町からいわき市までは便数もすくないし乗る人も前から少なかった
この辺は仙台市の方が繋がりが深い、知っている人は東北福祉大学を出た。同級生で東北学院を出ている人もいる。東北福祉大学は山寺へ行く仙山線でも東北福祉大という駅がある。また仙台駅前にも東北福祉大にビルがあるから便利である、地方に大学が増えたのは地方の活性化のためでもあった。

蝉も結構鳴きだした、夕方に買い物に行くと蝉が鳴いている。とにかく家事を全部していると忙しいの、その合間にプログを書く
写真を撮ったりしている。写真を撮るということは、結構手間になると思った。ただ不思議なのはイメージクリエーターである。これで写真でも絵でもが作れるから本当に驚きである。
というのはインターネット上にいくらでも写真や絵があっても糧に使いないからである。素材でも許可がないと使いない、金もとられる。だから有料のイラストとか素材を商売にしている人は困るだろう。なにかもともとインターネットは無料から始まっている。だからなんでも有料になって歪められることもある

要するにインターネットでも金をとることだけに注目されるとやはり歪められる。現実にyoutubeでも低俗となり商売にもなったからである。何でも大衆化するとこうなてしまうのである。



2023年07月23日

今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている


今の社会は年齢ではなく価値を評価される時代になっている



●年をとっても価値を認められない


これは言えるだろう。第一もう歳を取っているからといって老人になったからといってその人が価値ある人にはなれない。これだけ老人がいればただ年が上と言うだけで誰も尊敬などしない。価値も認めないのである。
老人が老人というだけであるというだけで尊敬される時代は終わった。そういう時代は第一長生きする人が少ない。すると長生きする人は何か生き字引のようになり貴重になった。それは老人が長生きすることが極めて少ないということからそうなったのである。もうこれだけ老人が多いとなると。老人というだけで歳だけでその人の価値は何も認められない。

ただ、老人はいろいろ経験してきて積み重ねたものが必ずある。それが老人になると生きてくるのである。だから何か語るとき老人の語ることが価値あるものとな。若い人は経験してないから語ることがないのである。 だから若い人の話を聞いても、そこに価値を見出せない。

例えば。ユーチューブでおばあちゃんが料理の話をしている。それができたのは料理の経験を積んできたからできたのである。、近くで梅を漬ける人がうまい人がいるそれも経験であった。経験という時、特別なことでなすそうした日常のことでも料理のことでもやはり経験がないと教えることもできない。それが今ではユーチューブで教えてそれが人気となって収入さえあるとなる。経験は多様であり知識も多様だからである。だから今の時代、通信が発達してさまざまな情報が得られる。でもこうして情報が入らない時代は、その土地で長く生きた人が。その土地について知り抜いて教えることが必ずあったのである。

とにかく俺はお前より年が上だというだけで何か価値を認めてもらうことはない。そういう時代は終わったのである。 では何かその人の持っている価値とは何なのか?それがなければ老人で年取っているだけで何も認められないし尊敬もされない。 その人がどういう価値を作ってきたのか?それが問題になる、価値もいろいろ多様でありいろいろな分野がありそこで培ってきたものを教えることができる。農業でもそうだし大工などでも職人でもそうである。でもそこでスキルを磨き技を持たないものは尊敬されない価値が認められないのである。それで会社員になると退職するともしその価値が 会社にある時、組織にある時。その価値は消失する。そこで何か培うものがあれば。その個人の価値も認められでもそれがなければ退職すると用無しになってしまうのである。 

●会社や組織集団の価値は退職や集団の消滅でなくなる

つまり集団的価値というのはその集団を組織に従属するとき価値がある。でもそこから離れると個人となり集団組織としての価値がなくなる。企業に勤めていればその名前でその人が価値あるとまでなる。部長とか課長とかの位でも会社であは価値がある
その時、その人の個人が何をしてきたかは分からないのである。でも会社を退職するとき。その組織会社組織で培ったものがスキルが生きることもある。でもただその会社組織で地位があったからといってそれが今度は退職したら通用しなくなるのである。俺は会社で偉かったと言っても嫌がられるだけになる。

カルト教団などもその教団に組織に従属しているときはそこで価値がある。でもそういう団体組織もいずれは。消失してしまうのである。 極端な話がある国家があり民族がありその一員と言うだけで価値あるとはならない。これだけグローバル化すればただ日本人というだけで誰も価値などを認めないのである。だからあなたのプロフェッショナルは何ですかと問われた。その職業からその人をグローバル化するとみるのである。

例えば写真を追求している人は多い。でもこれもしてみると面倒なものだと思った。レンズの種類と数が多すぎるのである。それで何を買っていいかも分からない。そのレンズも。10万円以上とか高いので。80万ものレンズを使っていた人もいた。そんな高いのかと驚いた。でも写真を追求すると、そうしたレンズが必要になってくるので。そこで写真の技術も磨かれてプロoにもなりうる。それはかなり積み重ねが必要でありレンズを買ったり、いいカメラを買ったりと投資が必要になってくる。それが老人になってやはりそのスキルとか積み重ねたものが習得した技術は生きてくる。

そういうものは価値としてわかりやすい。それは芸術だとその作品からその人の価値をみたりするからである。また学者だったら論文を出したりしてその人を見て価値を判断する。そういうのは分かり易いのであ。でも人間の価値は多様であり。別にそうした特別な芸術でなくても、やはりいろいろな価値があり。それがやはり積み重ねていくと老人になって教えるものがあるとなる。とにかく人間というのは成長に時間がかかるのである。それは知識の習得でもそうだった。やっぱこれも外国を知るには。本を読んでいただけでわ分からないからである。すると実地に外国わ見聞してそれでを理解を深める。それでも外国となると理解するとき、相当に時間がかかるのである。

●その人なりの価値を作り出すのには長寿は有利

何かを会得するとか、深く理解するのは自然でもなんでも相当な時間がかかる。それで私は何か理解することが遅く60過ぎとか70過ぎになってやっと本に書いてあるものを理解しているのである。だから高齢化社会というのは、そういう点では有利である。たいして才能はなくても時間があれば積み重ねがあれば天才でなくても一芸に秀でることができるのである。そういう高齢化社会はそうして個人の価値を長い時間かけて作っていくということはできる。それは別に天才でなくても対して才能がなくてもやはり時間があると積み重ねがあると理解できるようになってくるのであ。 

だから高齢化社会は退職してからも30年とか生きるとなれば今までのような考え方では通用しない。個性をいかす見出すか表現できるかが大事になる。その人なりの価値を長い時間かけて作り出すということである。それは別に天才でなくても長い時間をかけるとできることがあるからだ。もちろん絵の才能わなければできないところがイメージクリエーターで全く絵の才能がない自分が絵を作ってるというのも不思議のである。それもやはり時代の進歩でできるようになったのである。 

これからは年をとっただけでわ何の価値も認められない。
これだけは確かである。その人なりの価値をつくっていく
それが大事になってくるそれでみんなが一様に学び行動する組織的な学校という場は時代にそぐわなくなっているかもしれない。そこでは創造性が育たないからである。学校という形式はおそらく明治になって大量の人間を組織的集団的に教育するために作られた。だから一律的であり軍隊的でありそこで何か創造性が身につくことはなかったのである。それもまた時代が変わり、価値観が変わり変革が求められているのである。

ともかく年が取ったからといって歳の差でその人を見る時代は終わった。その人がどんな経験をしてきて、どんな価値を創り出してきたかがその。人を図るものとなる。年齢を見ても分からないのである。ただ価値というのはあまりにも多様であり その価値を測ることが難しいのである。
最近。世界史に関する本を一冊買った。これも色々と難しい。でもその本の価値がどこにあるのかを知ることはかなりの洞察がないと識見がないとできない。芸術となると鑑賞すること自体が難しいのである。

でも本当の芸術作品となると芭蕉の俳句のようにそれは時間を超えて時代を超えて依然として生きている。価値が減っていかないのである。それは今ではそういう俳句でも作れなくなっているからである。時代の雰囲気から作られたものであり。今のような喧騒の時代はとても作れないのであ。だから芸術というのはその時代でしか作れないものはあり。そこに価値が。その価値は減ることがないのである。だから。芸術は長いが人生は短いとなる。なしとなるのである。他の物の価値は常に変わるからである。

人間というのは何かというと常に誰でも価値を求めている。その人なりの価値を評価されたいのである。俺は何何が出来る俺は何何が知っているとか人よりなにか優れていることを常に自慢したいマウントしてくるのである。それが人間の一番の特徴かもしれない。でもその価値は多様であり簡単には。その人が価値がないとは言えないのでは?だからこそ。平等に見るということがある。この老人は価値がないとして生きる価値がないとして捨てた方がいいとはならないのである。それはなぜかというと価値が多様化だからである。
社会的に価値がなくても家族の中では価値があり功績があった人もあるからである。それで病院だと家とか家族で作られた価値が見えない、ただのやっかいな老人の病人に過ぎないとなる。だから家で死にたいとなる。

●個々人の価値を作る時代に

とにかく個々人の価値を見るということは難しいのである。だからこそ病院だったら病気だったら誰であれ治療する他はないのである。もうこの人は何の価値もないから死んだ方が良いと言うと言えないのである。でもこんなに老人が多くなると。早く死んでくれとか集団自殺しろとかなってしまうのである。 その大きなな問題は老人でもプラスの面があるが病気になったり介護になったり、そして金がかかったりとマイナスの面が大きいからである。そして個人を見ても本当に価値ある老人価値を作り出した老人がいるのかとなるとそれはまれになるかもしれない。老人が少ない時代は少ないということでまれだということでそれだけで価値があったからである。現代の老人は老人というだけではだれも尊敬しないし、価値も認めない。あまりにも数が多すぎるからである。

 だからこれから生きる人はなにか老人になっても価値が見出される人にならないともう死んでくれとなってしまうのである。こういう時代になったことを意識して、若い時から勤める必要がある。でも若い時から老人は老人になるまでは。そこに継続したものがあり突然老人になるわけではない。若い時からしてきたことを経験してきたことを積み重ねてきたものが老人になって生きてくるのである。だから高齢化社会長生きすることはそうして個々人の価値を見出すということ、作り出すということでは有利な社会なのである。

サーバントリーダーシップとは、アメリカのロバート・グリーンリーフ博士が提唱したリーダーシップ哲学であり、
『リーダーはまず相手に奉仕してその後相手を導くものである』という考えに基づくものです。
サーバントは『使用人』や『召使い』という意味です

これは興味深いことである。 老人だから偉いとか価値あるとはならない、そういう人はただ威張るだけではない。何かを与えるものがありそれでかえって相手に与えることによって仕えることによってその価値を認めてもらう。でもそれで威張るということではない。でもそうするにしても何か与えるものがない限りできない。仕えることもできない。梅を作るにしてもその経験がないとできない。梅の漬け方もいろいろあるからである。

だから昔はお袋の味とかその家独自のものが何か伝えられたものがあり家風などがありそれぞれの家に価値があった。家にも個性があったとなる。つまり、家にもそれぞれの価値があったともなるのである。そう。でも今になると家というのは何か?みんな同じようになって、型にはまって核家族になってそして家自体に価値ある家というのは京都のような伝統を伝える職業。茶道とか花道とか何か習い事などの伝える家くらいになったのである。

もろもろの価値の根源は人間である。人間は己を維持するために。それらの価値を諸事物にに付与したのである。
人間が元で、それが諸事物に意義を人間的意義を創り与えたのだ。それゆえに彼自らを人間すなわち評価する者と呼ぶのである。(ツアストラーニーチェ)


2023年07月25日

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも (人間は先を見ることができないから失敗する)

氷河期世代を見放したことが少子高齢化の原因にも

(人間は先を見ることができないから失敗する)

●団塊世代の学生時代

なぜ今になって氷河期世代が問題になるのか?その時就職難でありまともに就職できない人が多かった。高校生ですら16%ぐらいしか就職できなかった。大学生は就職できなくても高校生は大概これまで就職できていたからである。だからよほど就職難であり就職ができないということだったのである。何かその時フリーターとかはモテもてはやされ、自由な仕事の仕方として奨励されたようなことがあった。でも実際は正社員として就職できない人がしかなくてフリーターとかなったのである。そのフリーターとかを新しい仕事の仕方として見ていた人もいたのであ。 

ただ世代が違うとその世代のことが理解できなくなる。そこで戦争を経験した世代としない。戦後の世代とでは、大きな差がある。まず戦争と言うのは経験できないことであり。だから戦争を経験した人の話を聞いてもなかなかわかりにくい。その中には実際に人を殺した人もいる。だから、戦争で人を殺した経験をした人はどういうことかということを理解することが不可能になる。
だから戦前世代と戦後世代は大きなギャップがあるのである。

そして団塊世代というのは、戦争が終わって生まれた人たちである。その数は多かった。都会で一クラス70人ということもあったと聞いた。それも驚きである。私の田舎では50人くらいだったの、今クラスは30人くらいなので。でも同じ年代で8教室とかあった。どれだけ数が多かったということである。だから高校に入れないと騒いでいたのである。その時集団就職があり人手不足で東京の中小の工場に働いたのである。だから中卒で。親をもとを離れて働くということはきびしいことだった。

私は三流でも東京の私立大学に入った。だからそういう厳しさはなかった。第一文系の私立などは遊びの場だったのである。変なのはゼミの教授など一回ぐらいしか見たことがない。大学の先生とは何かを教えるということがないのである。講義でも自由に休むのである。もうそれがどういうことなのか分からなかった。高校とはあまりにも違っていたのである。大学の先生というのは別にを生徒に教えることが仕事ではない。自分の研究をすることが仕事なのである。だから勉強もせずにただ遊んでるだけの人がいたり学生運動がありそこで青春のエネルギーを発散させていたのである。

というのは文系などはそもそもはまともに先生がいても教えないのである。また授業に出るのも自由であり、でなくてもいいのである。そして一年に一回試験があるが。それも形式的なものであり別にそれで落第するなど無いのである。ただ千人が入るくらいの講堂に人を詰め込んで教授がマイクで講義している。そういうことに興味もない人が多いから。一日麻雀をしていたり。遊んだりあとは学生運動にエネルギーを費やしている。

だから大学というところは一体何なんだろうと不思議に思うのである。それは高校とあまりにも違っていたからである。そのギャップが大きく。一体そこはどういう場だったのかとなる。文系の場合は特に何か実験などもしないし、レポートを出すこともないし。ただ時間潰しの場所なのかとまで思った。それで変な方向に行ってしまう人がいたのも当然である。今それが今女子大学生でおきている。
だから手に職をもつこと職人でもなった方がいいとなる。職業訓練校にでも入った方がいいとなる。文系は何も身に着かないからである。これは中国でも起きている。大学生が多すぎて就職先がないそれが大問題になっているからである。

●エリートではなくなっていた大学

今貧困化しても大学に行く。奨学金をもらっても大学に行く。でも金が足りないからと風俗の方に行って稼いでいる。そしてい一体その女子女子学生は風俗が仕事なの勉学なのかわからなくなる。そういうことはすでに団塊の世代でも起きていたのである。現実にバーテンとかして働いてアルバイトしていた学生もいたのであ。すると一体何が本業なのか?学生なのか、それともそうした飲み屋とかで働くことが本業なのかとなってしまう。毎日ギャンブルやパチンコしていた人もいる。だから、一体大学とは何の何なんだろうとなる。それは特に文系の場合はそうなることが多かったのである。

その頃から大学生等も別にエリートでもなんでもない。新宿で石を投げると学生に当たると言われていたほど多くなっていたのである。戦前の大学生とは雲泥の差がある。その人たちは将来を約束された人たちであり特別視されていた。 だから周りでも何か自由にしていても許容していたのである。それは将来日本を担う人たちだったからである。それで寮歌があり選ばれた人として見られていたのである。その人たちはエリートであり将来を約束された上に立つ人だったのである。でも戦後の大学生はそういうものでわなかったなくなった。ただ、田舎では一クラス50人居ても5人くらいしか大学にも行ってないのである。後の1/3は集団就職とかにもなっていた。高卒が三1/3くらいだったともなる。高校すらまともにいかない時代だったのである。

●氷河期世代の問題の顕在化

とにかくこうして世代ごとにその時代があり、状況は違っている。それが歳をとって振り返るとそれが何だったのかとなる。明らかになる。だから氷河期世代というのもその時何があったのかわからなくなる。でもこの氷河期世代は大きな問題と今なっている。それは無視された見逃された世代だったのである。まともに正社員になれない。就職できないそのことが今になって大きな問題となったのである。

なぜなら少子高齢化というときこの氷河期世代が結婚しないということで子どもを産まない育てないということで今深刻な問題となっているからである。団塊の世代ではほとんど結婚している。結婚してない人は例外的存在である。氷河期世代というと40から50の初めまでの人口ボリュームは多いのである。特に団塊の世代の子どもになる。氷河期世代は数がやはり多い。でも結婚していない人が多い。それが田舎でも目に付くのである。

例えばコンビニで二人人働いているその人は40代くらいである。それも結構長く働いているのである。おそらくコンビニくらいしか就職先がないからそこで長く働いている。でもコンビニで働いて結婚するとなるとなかなか難しいだろう。収入もそれほどないからである。そしてそういう場所で働いて何か身につくのだろうか?そしてその人たちを見ているともう結婚もしないし将来も独身であり仕事としたら覚えるのはコンビの仕事だったとなる。
そこでその人独得のスキルが身に着くのだろうかとなる。

そして収入も少ないから年金などどれだけもらえるのがどれだけもらえるのかわからない。他にも結婚してない40代から50の初めとかの人が結構いるなと最近気づいたのである。私自身交際範囲が狭いから昼間買い物の後に行くと目に付くのはニートとかあとはこうして40代50初めでコンビニとか働いてる人なのである。

でも田舎でも現代を反映している。氷河期世代の人口が多くその人たちが結婚しないで子供を産まないから少子高齢化は深刻になったのである。でもその時将来のことを見えなかった考えなかったそれはその人達の責任ではなく上に立つ人たちの責任でもあった。政治の責任でもあった。人間の弱点は一年先でも見えないのである。日々今に追われるだけなのである。

●人間は先がみることができないので失敗する

来年のことを言えば鬼が笑うということになる。先がわからないのが人間なのである。なぜなら津波でもそうだし原発事故でもそうである。そんな大きな事故が災害のくるなど予想もしなかった。だからたとえそういう大災害がないとしても氷河期世代というのは将来どうなるのか?それをある程度見れたから対策するべきだったのだがしなかった。それが今になっても取り返しつかないものとなってしまったのである。もう正規社員にはなれない。

そしてその後日本経済も衰退して立ち直れなくなっているのである。ただ、氷河期世代の上の50代から60代の人はバブル世代であり景気が良かったのである。ただ、氷河期世代だけが割を食ったということになる。それは戦争で死んだ人たちと同じである。その人たちは不運だったのである。この日本の将来が暗いと言う時でもこうして団塊の世代とか数が多くその人たちが75すぎると病気になったり介護になったりする。その子供たちが氷河期世代なのである。だから親を介護するにしても金かねにしてもない。それで負担がかかってくるからどうなるのかとなる。

現実にそういう人を知っている。その人も50歳くらいでで独身であり働いているのは工事現場である。でも母親が脳梗塞になったのである。母親はまだ73歳くらいなのである。そして2025年問題になる。団塊の世代の子供が親の介護に入る世代なのである。その負担を追いきれないとな。そこで悲惨な悲劇が起きてくる負担し切れないからである。

またどうしても病気になるから医療費がば増大する。その負担も大きすぎてもう金も出せないのである。
国で金をも出せないのでそのためにまた増税となり若い世代が苦しむのである。 何かもう家族でも社会自体が破綻して行く。そんなことを私は2人の親がいて介護して苦しんだからわかる。私の場合は金に余裕あったが。氷河期世代には金はない貯金すらない。そしたらどうして介護できるのか?氷河期世代の親の人は脳梗塞になった。その後遺症もあり何とか直そうとしているが。金も無いのである。つまり医療費が増大する。そのために。国は潰れるとまでなるかもしれない。それだけ医療にも金がかかるからである。 

ともかく世代の問題として氷河期世代と。団塊の世代が数が多いから社会を圧迫して大問題となっているのである。
だから日本はこの世代と団塊の世代が消えるまでは苦しむ。そこに悲惨なことが悲劇が起きてくる。それはもしかしたら戦争で死んでいくような世代と似ているかもしれない。もう介護に金を回すとか医療にお金を回すことさえできなくなる。数が多くまた医療も手厚くしていればもう限界になる。 東京では生活保護を金を出して出したくないとして、ほかの市町村に移ってもらう。そこで世話してもらうとかもなった。金を払いたくないからほかの市町村で面倒みてくれとなった。そして家族でも面倒見きれないから家族遺棄社会にもなる。

でも誰かが面倒見させられるということもある。捨てるわけにもいかないからである。いくら愛が大事だからといってそういう。老人とか病人とかあまりにも多くなると社会自体が維持できなくなる。 つまり、老人と病人によって。社会が圧迫されて社会自体が破産してしまうのではないかとも思う。でもやはり人間というのは命が一番大事でありみんな死にたくはないのである。老人もだから簡単に死ねない。そしてやはり手厚い治療もするから今は簡単には死ねないのである

するとまたそこに金がかかり、手間がかかり介護する人の負担となり恐ろしいのは共倒れになってしまうということである。私も自ら病気になり2人の親を必死に介護した。それは60代過ぎてからである。私は特別に親にはよくされて自由に生きたから親には感謝している。でも。今度は団塊の世代でも介護される側になるともうそれは出来ないかもしれない。氷河期氷河期世代とかは金もないしただ不運な世代であり割を食った世代であり親にも感謝しないだろう。だから家族遺棄社会になる。 

●先が見えずITでも遅れ失敗

いずれにしろ人間の問題は一年先すらわからない見えない。だから十年先になるとさらに見えなくなる。でも氷河期世代は何らか対策しなかったのは大問題だったのである。だからなぜ今になって少子高齢化を騒いでるかということである。その原因は氷河期世代が結婚してみんな子供を産めばそうはならなかったのである。だけど氷河期世代は政府からも社会からも放置されたのである。今になって問題にしてももう遅かったということになる。

こうして人間は先が見えないことで手を打たない。そしてその現実は目に見えて来た時やっと反省している。それで氷河期世代とは何であったのかとなるのである。でも既に時遅しになっている。それは例えばITでも日本は遅れた。それも先が見えなかったからである。私はワープロで通信をしていた。それがまさかこんなに通信が世界的になるとは思いもよらなかった。その時も先が見えなかったのである。先を見て手を打てばこうはならなかったのである。

日本人はそれだけの技術がないというわけではなかったのである。ただITというのは通信がこのように。グローバル化してその中心となる技術になることが見えなかったのである。
車などは製造業は見えるでもこのITは何か見えにくかったのである。今までの製造業と違っていたからである。だから人間というのはとにかく未来を見る先を見ることが重要になる。株でも先が見えれば大儲けになる訳である。でもその先を見るということは一番難しいのである。一年先すら何を起きるかわからない。だから来年のことを言えば鬼が笑うとなる。それだけ何が起きるかわからないからそうなる。氷河期世代も当時はどういう影響を将来もたらすのかを見なかったから今日がある。でも今になるともう遅い。それで氷河期世代が60才とかなるとさらなる地獄がまっているとなる。。

2023年07月26日

芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など (空家の庭の不思議)


芙蓉、、鬼百合、カンナ、老鶯など


(空家の庭の不思議)



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これは赤モズだった


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空家の庭




大石に鬼百合芙蓉映える庭


家数軒大石一つ芙蓉かな


夏菊のカンナに映える六号線


隠れ見ゆ木陰に涼し小鳥かな


空家にそ老鶯鳴くや残る庭


立話海風涼し夕べかな





芙蓉と大石


どっしりと大石は黙し動かない

その前に広々とした野が開けている

すずしい風か海から吹いて来る

一本の木陰があり

ゆったりと芙蓉が咲いている

こういう風景の中で人は安らぐ

そこに人影も見えず

一本の木は静かに深く根ずき

その木は静かに大地に根ずく

白鷺は夏の日にまぶしく映えている

今日も楚々としてその細い脚で餌を漁り

この地を乱すことはない

こうしてのどかな田舎に平和がある

車もたまにしか通らない

夏の雲が白く湧きあがり

鬼百合も熱く咲く

真夏の灼熱の太陽が燃えつようやく沈む






Fuyo and one big stone


The big stone is silent and stillnes

A spacious field opens up in front of it.

A cool breeze is blowing from the sea.

There is the shade of a tree

and a big hibiscus rose is blooming.

In this kind of scenery, people feel at ease.

No manl to be seen there

one tree is quiet and deeply rooted.

Here, one tree and one big stone have taken

your own place and are at ease

The egrets are dazzling in the summer sun

Today, still neatly scavenging for food with its slender legs

And never disturb this land

There is peace in this tranquil countryside

Cars pass by only once in a while

Summer clouds rise  up white

The  wild tiger lilies bloom  with strong passion

The scorching sun of midsummer burns and finally sets




Translated with DeepL


今日も暑かった、鬼百合がが咲く時、真夏になってくる。花も季節を告げるのである。ただ、なぜ芙蓉がが初秋になっているのか?

何かそこには理由がある。 この季語は日本独特のものであり長い年月の間で作られてきた日本の文化なのである。だから季語に通じなければ俳句は作れない。すると四季が明確でない外国ではなかなか俳句というのは作れないし、理解できないのである。


鬼百合はは英語ではtiger lilieになっている。日本語の方がふさわしい。英語の機械翻訳は本当に優れている。う英語の先生はいらなくなるとまでなる。それでも多少直したのである。だからまだまだ機械翻訳だけで人間のようにはは作れないともなる。でも9割ぐらいは機械翻訳で充分なのである。韻を踏むとんればとても機械翻訳では無理になる。


ともかく近くを自転車で回る。そして何気ないところに詩的なものを発見する。 その田舎の風景があって心やすらぐのである。ただ正直、今の時代スーパーとかない所に住むのはたいへんである。買い物すらまともにできない。一人暮らしでみんな買って暮らしているからとてもスーパーのないところになど住めない。 だから田舎といっても最低で、スーパーがないところにはもはや住めない。ここは隣の市まで8キロぐらいで行ける。5万の都市があるからそれなりの用は足せる。自転車でも行けるからいいただ、暑くなったら熱中症になるから行けない夕方涼しくなるから原町まで行った。 


ともかく近くの空き家の庭はは不思議である。その庭の石造りが良くできているのである。でもその家は住みたくない。民家でも古民家でもないし何か貧弱なのである。その庭は立派だから利用できればいいと思うがまだ近くに住んでいる人が持ち主であり勝手にはできないのである。でも今の問題はこの空き家空き家が多くなりすぎたことなのである。その利用をどうするかということが課題になっている。あの庭に気づいたのはその家が空き家となったからである。空き家となるとかってに入ることが出来るからである。

そこに老鶯が鳴いて響ているのも不思議となる、この老鶯と夏鶯は同じでも相当に違った感じになる。



ともかくくまなく田舎を自転車で回っている。でも未だに発見されていない道があり場所がある。それは意外と近くの場合がある。

だから人間っていうのは本当に灯台下暗しなのである。遠くへ遠くへと出て行くのだが、近くでもいい場所があり見逃している。単純な毎日見ている風景でもそれを感じれば深く感じれば得難い物なので。

なぜなら、都会にはそういう風景が無いからである。都会で心が和むということは難しい。その田舎でも。風景画いいとしてもそこに住む人が良いとはならない。


私の場合はそこに人がいないという時、いいのである。だから神はその暮らしを隠したというときまさにそうなのである。大都会のようにビルがむき出しになる人が混雑してぎゅうぎゅうづめの電車で通うことなど地獄にもなってしまう。だから、なぜそんなところに人間が住めるのかという疑問がある。若い時はいいとして年取ってからはとてもそういうところに住めなくなる。


精神というものは、場に影響しあいます。その人の精神が場に顕現するともいっていいものです。その人物がその場をどのように清め調えているのか、あるいは荒廃したものをまたどのように甦生し以前よりも善いものへと磨き上げていくのか。これは伝承や文化の話でもあり、生き物たちはそうやって常に自然といのちと向き合いながら豊かに仕合せに生きているともいえます。

7月 | 2023 | かんながらの道 (caguya.com)


このプログに共感する、そもそも神道などなにかわからなくなっている。宗教もカルト化すると政治と経済が中心であり御利益しか求めない、それが怖いのは権力を得ることが目的化していることである

ここにはそいうことは全くない清浄な自然と合一する。そこでは全く権力とか御利益を求めていない

だから山伏とか胡散臭いとかなるが山で身を清めるということで宗教の基本を実行していたのである

現代の宗教は都会化した創価でも団地の宗教となりやがて国家権力を得るためのものとなった

心の清浄など全く求めていない、ただ神道でも国家権力と一体化したときおかしくなった

だから政教一致は危険なのである。


2023年07月27日

相馬市立谷家の歴史 (廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊


相馬市立谷家の歴史


(廻船問屋問屋で財を成したー原釜ー八沢浦ー小高ー請戸も商売のの湊

)


江戸時代、立谷家のご先祖様は、廻船問屋を営んでいました。

立谷するが分業して、「材木」「米」「雑貨」「海産物」および

その他の物資を江戸時代初期から、立谷一族が結束して商いをしていました。

天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。


原釜は東廻航路の湊と名を高めていた。

 立屋の資産は五十万両とも六十万両ともいわれ現代(平成)に積算しました金額にして、三十〜三十五百億位ともいわれております。江戸時代前、中期の金銭価値、物価高にすると?世人之人は立谷長者と言って

西の紀国屋文エ門・・材木商(江戸時代中期の享保六年(1721年の江戸の大火で材木を買占めて江戸に材木を高値で販売して一代にして大富豪に豪遊の末に財産を失ってしまい没落してしまいました。)     

東の立谷 立屋・・・材木商、廻船物問屋

https://blog.goo.ne.jp/akatsukida/e/4a34e7eb1383aac75754bcf22fbaef6d


天明・天保の大飢饉・明治10年の宇多川大洪水で、立谷家の商いは

大きい打撃を受けてしまいました。

立谷家一族中には商いを廃業する家も出て、結束の固い立谷一族が、

残念ながら、バラバラになってしまいました。




このブログは?何かよくわからない。でも相馬市に住んでる人なのだろう。 立谷の姓の人らしい。立谷一族の一員なのだろう。今の相馬市長は立谷である。立谷の歴史がここに書いてある。でも何かその裏を追求していてこの人は恨みを持っているようだ。


ともかくここで注目したのがこの立谷家が没落したのは飢饉があったためでありまた明治十年の宇多川大洪水があったためであった。それを生々しく感じたのは天明の飢饉で相馬藩は1/3に人口が減ったからである

その穴埋めをしたのが越中からなどの移民だったのである。

それから、明治十年に宇多川大洪水があったということは宇多川の岸にそれを記した石碑があったようだ。また土手もも作ったようである。それは大洪水があったためにその土手を作ったのである。二年前とかでも

宇多川は決壊して街中が洪水になった、その記憶も生々しい


鹿島区でも自分の家でも二回床上浸水なっている。街で一番低い場所にあるからだ。他でも梁川でも水害の被害があったし丸森でもあった

だから日本は災害の国なのである。去年の大地震では相馬市と鹿島区は大被害だった。そのために家を再建することをあきらめ家を壊したい家もいくつかみかけた。


歴史を見るとき、やはり栄えた家がありその没落もありそれが歴史となっている。国自体も栄えてまた衰退して終わる。それが歴史の繰り返しである。ただ、確かにそうして一つの家から歴史を探るということはより具体的であり、身近だから歴史に興味をもつのである。



聖書でも家の物語だったからである。神に選ばれたものの人の家の物語だったのである。そして人間っていうのは自分の生まれた家に一番関心を持っているのである。特に長男は家を継ぐから家に一番興味をもつのである。


ここで興味を持ったのは家が栄えるというとき一見農家が栄えるように見えるが海に面していて意外と海を通じて商売をして栄えたのである。ただ、太平洋というのは荒いからなかなか船で航行することが難しかった。でも相馬市でも原釜が港となり商売が商売のために船で品物を運んでいたのである。その品物は主に米と材木だった。 

紀国屋文エ門みかんを運んで財を成したのではなく、材木商として財を成したのである。


だから浪江の請戸の湊からは岩手県の宮古から鉄の素材を運びそれを葛尾村(かつろう)村でで製鉄して葛尾(かつろう)

労大臣が生まれた。その財を成したのは製鉄であり米ではない。また小高には港があり蔵院があった。そこで船で運ぶものを貯蔵したり運ばれたものを貯蔵していたのである。また北海道の松前まで米を運んだりして肥料としてのニシンを船で買いつけに行っていたのである。そのとき北海道ではニシンが大量に取れたからである。それを食べるというわけでなく肥料にしたのである。肥料をなくして農業はありえないのである

それで相馬藩からは米を運んだとなる。なぜなら北海道では米はとれていなかったからである。アイヌは狩猟採集民族であり漁猟民族ったからである。


ともかく意外と忘れているのが忘れられたのは海を通じて八沢浦でもそういう記録がある。かなりの品物は船で運ばれていたのである。だから小高の塚原というところに何か商売で仕事をしていた人がいたという。その人は商人だったというのもわかる。おそらく米を売買していたみたいである。だから遠くへ米を運び仕事にする人がいたのである塚原はそういう場所だからである。津波で小高駅前まで水が押し寄せていたからである。するとそこを入江であり湾のようになった。湊には適地だたのである。


ただ、津波でそうした塚原とか小高の海の方は壊滅的打撃を受けた。その人は原町市に移り住んだのである。もう一人あった女性は越中から来た移民の人だった移民の家だった。それは海岸沿いに住んでやはり家が流された。そのために相馬藩ではう1/3が越中などから来た人たちである。相馬藩の歴史では天明の飢饉で欠け地が増えてそこに移民が入植したのである。その苦労は並大抵のものでなかった。


やはりここでも宇多川の洪水とか自然災害が契機となって立谷家は衰退してしまったのである。全部ではないにしろやはり災害というのはその家でも衰退させてしまう。津波原発事故ではこの辺では街自体が衰退してしまったからである。またこうした盛衰は交通と深く関係している。北前船が盛んなときはその寄港地となったところは繁栄した。でも来た前船が終わり運送が鉄道になった時その繁盛終わって寂れてしまったので。こういうことはどこでも起きている。交通と商売は深い関係があるからである。 


とにかく交通というのはどれだけ大きな役割を果たすか知るべきである。世界史を見てもそうである。大航海時代があったがそれによってヨーロッパに莫大な富が持たされもたらされたのである。それは海が交通路となって船で物が運ばれたからである。 米というのは江戸時代でも商品となっていたのである。そのために仙台藩では石巻から米が江戸に運ばれた。そのために仙台藩ではその米を売るために米を作る。土地を開拓しその米を江戸に売ったのである。それで飢饉の時米がとれなくなった時飢饉の原因になったのである。なぜなら米が取れなかったら他の畑でとれるものが少ないからどうしても食料を供給できなくなったからである。


米というのは商品であったのである。それは世界的グローバル化経済になるとコーヒーばかり作って商品にしているとコーヒーの値段が安くなると。そのコーヒーを作っている人は苦しくなる。そして生活も成り立たなくなる。でもその時その土地の周りをみんなコーヒーにしてしまえば食料がその土地でまかない無いから飢饉にもなるのである。そこにグローバル化経済の問題がそれは既に江戸時代でも起きていたのである。


文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人) http://musubu2.sblo.jp/article/189786921.html



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