使いこなせない道具に機械。
(情報社会でパソコンを使えないのは致命的)
●機械道具を使いこなせない問題
機械道具が増えて使いこなせない。使いこなせないのがパソコンを買ったとしても使いこなすのは容易じゃない。そしてWindows 11になったらまた。使いこなせなくなった。私は親指シフトの富士通のキーボードを使っていた。でもwindows 11時になったらそれもできなくなった。それが一番の問題だった。なぜならやはり基本は文章を書くことだからである。スムーズにできないとなかなかパソコンに馴染めないのである。音声入力ではスムーズに文章を書けない。ただ、かなり進歩したことは確かである。ただ一番パソコンは使いこなすことが大変なのである。だからいくら買ったとしても使いこなすことに大変な労力が必要になる。
もちろん車でも使いこなすことは容易ではない。その点、自転車なら誰でものれるということはある。でもマウンテンバイク型の電動自転車を買ったがそれに荷物を乗せられないことで困った。また。バッテリー一つでは乗れる距離が短い。それで二つ乗せると倍の距離を行ける。それで安心だとはなる。でもその二つを自転車に乗せることが難しかった。それをなんとか工夫して二つを自転車に取り付けることができた。こうして便利な道具や機械があっても、それを自分なりに使いこなすことが容易ではないのである。
ちょっとした道具でも機械でも意外と難しい。今度買った。自転車用のドラコレ動画を記録するものがマイクロsdカードであり小さすぎて無くしてしまったのである。そこでこんな小さなものに動画という記憶量が多いものが記憶されることは驚きになった。そこでわかったことがこうした半導体が現代の最先端であり知能社会を作っていることを認識した。半導体とは正に人間の脳でありそれも人間の脳より恐るべき記憶量があり知能を作り出すのである。半導体がなければ、もはや今の現代社会は機能しなくなっている。日本は最初半導体で。世界のシェアの多くwを占めていたがそれも失われた。 それで日本が半導体で経済を復活させようと世界的な工場を作った事も分かった。
こうしてともかく現代は道具に機械に追われる、その操作にも追われる。
それで頭脳がついていけないのである。要するに現代とは?知能社会であり。その象徴がパソコンになっていたのである。その。中枢にあるのは半導体だったのである。
●情報社会に適応できないと劣等者になる
ともかく情報社会であり知能社会であり機械社会でありそれに適合することは容易ではない。もはや老人は適応できない。家族が認知症になったがテレビのボタンのボタンを押す事さえ分からなかった。認知症になってそうなったのである。老人は認知症でなくても機械に疎くなる。だから今の社会は老人にとっては相当に生ききづらい社会である。スマホ自体使いこなせない。すると社会に適応できなくもなっているのである。老人はやはり対面的に。人と接して何かを知る得ることが向いている
パソコンはその全体を使いこなすことはもはや不可能である。その都度一つでも二つでも使いかたを覚えるほかない。全部はもう覚えられない。それにしても理解するにしても。手間なのである、だからフェイスブックをしようとしたら実験してみたらそれも簡単にわからなかった。でもこうしたものを使いこなせないと時代から取り残されてしまうのである。私はパソコンはwindows 95から始めているから長くしている。でも常にこれも変化してWindows 11になったらまた。その操作も複雑になり使いこなせなくなったのである。
ただfacebookにしても動画が簡単にアップできたことは驚きだった。でもその他は未だ分からない。何かFacebookにしてもその機能を理解することがすぐにはできないのである。それが問題なので。別に老人でも人と話すならできる?でもそこに機械がパソコンが介入すると簡単に使いこなすことができなくなるのである。ただ使いこなせれば便利なものなのである。
●マスコミは新聞でもテレビでも旧メデアとなり終わる
情報社会という時、知能社会というときまずパソコンを使いこなせなければその社会に適応できない。すると現代のことが分からなくなる。現代社会から取り残されてしまうのである。それが老人に起きている。70以上の人はパソコンを使いこなせない。だから未だに新聞を読みテレビを見ているのである。もう60代でも今はテレビも新聞も見ない人が多い。今は個人が新聞を出しテレビ局にもなり雑誌でも出せる本でも出せる。そういう時代になったのである。個人が一つのチャンネルを持つ。マスコミの時代は終わったのである。個人でも写真でも動画でも出せる。それも金もかからない。そうなると莫大な金がかかる新聞とかテレビとかはもう終わりになったのである。
マスコミの放送は全国放送であり、偏るのである。例えば福島県でも広いハマ,ナカ、アイズありそこは違った風土があり歴史も違う。福島県を放送する時。福島県全体ではなく。その土地、土地に住んでいる人がベースとなり放送すれば生々しいものとなる。。ただそれが別に機械がするわけではないやはり人間がするのだからそこに報道できる人間が必要なのである。それを自分はしてきた。相馬地域をベースとしその歴史でもさまざまなことを報道のしてきたからである。一つのミクロコスモスとして相馬地域をテーマにして書いて来たからである。
ただスキルがたりなかった。それでhttpsに未だにしていないとか遅れてしまったのである。
報道の問題としてフェイスブックをしてみたらそこにはあまりにもさまざまなものが混交してつながりが見い出せないのである。あらゆるものがそこにブチ込まれている。エロでもなんでもとにかく刺激ときは映像がアクセスされやすい。だからこれも問題だ問題があると思った。でもそうなるのはすべてが大衆を基準として大衆に受けるものが求められるからである。そうすればアクセスする人も増えてそれを主催する人も金にならなければ維持できないのだから、そうなるのと情報を扱うのは民間だけでやるのは難しいと思った。
その安全性であり情報の今こうした状態は人々を混乱させることになる。だからこそフェイクニュースとかいろいろ問題が起きてくるわけである。
●侍は馬を持つ人で足軽はその人に仕える人
でも今や情報社会を拒否して生きることはできなくなったのである。車社会になったら車を持たないものは劣等者となったと似ている
戦国時代でも鉄砲を利用して馬を利用した人が優位になった。例えば足軽とは馬を持たない人である。サムライとは馬を持っている人だったのである。そして徒歩(かち町)とある時そこは馬を持たない歩くことしかできない人たちが集団で住んでいたのである。だから馬を持つ持たないで身分差が生まれたのである。それは今でも通用している。クルマを持たない者は劣等者であり。自転車とか徒歩の人は劣等者のである。だから常に人間社会ではその道具であれ機械であれそれを使いこなせるかこなせないかによって身分まで違ったものとなったのである。
でももう老人は適合することはできない。認知症になれば。テレビのボタンを一つさえ押せなくなっているからである。
いずれにしろ格差というとき、金だけではない。情報格差が生まれるのはパソコンを利用できないからである。それが致命的になっているのである。パソコンなどは今は安い。このノートパソコンは6万くらいしかしてない。だから誰でも買えるである。それよりそれを使いこなすことが。ハードルが高すぎるのである。 ただ、今の情報社会に適応出来ないものはまともな収入すらいられなくなる。現実に今は優秀な学生は医者を目指すのではなくIT関係を目指していることでもわかる。それが現代ではそういう社会になっているのだから。それで最先端を行く者はアイティーなのだからそうなったのである。日本は?世界から遅れたのitが。遅れたためだったのである。