2023年07月09日

情報戦争時代で判断できない (情報は権力を持つ者によって操作される)

情報戦争時代で判断できない


(情報は権力を持つ者によって操作される)


●情報過多で判断できない 


現代はグローバル化して情報も膨大になっている。するとその情報が何なのか知る事自体が難しくなる。そんな能力が人間にはないからである。 一個人では判断できなくなる。

そのことは原発事故でも起きたし。ウィルスでも起きた。また、今はウクライナ戦争でおきている。原発事故放射線のことなど素人には分からない。ウイルスもわからない。ウクライナ戦争でもこれも理解するのは難しい。なぜなら必ず原発事故でも安全だという御用学者がいてマスコミでも宣伝費をもらっているから、それに与する。だから専門家が正しい情報を与えるかというとそうでもない。ではどうして判断するのだろうか?


専門家すらわからないことを素人がどうして判断できるのか? ただ、正しい判断をしないと原発事故となり自分たちの住んでいる所にも住めなくなる。実際に住めめなくなった。だから判断できないからといって誰かに判断してもらい任せるということは危険になる。

貯金には利子もつかないし株をしなさいと言う物価も上がり貯金しただけでは目減りするから。でもこれもまた難易度が高いのである。奨める銀行員すら全くの素人だったからである。。証券会社の人が来ても同じである。


要するに銀行でもまず銀行の利益を考える証券会社でも同じである。まず手数料を取ることを考える、私が経験した事では別にインデックス株というのはわかりやすい?安い時買って高い時売ればいいだけである。それを長期的に見れば儲かる割合が大きくなる。だからリーマンショックの時、半分になった株でも元に戻りそれから倍以上になったのに驚いた。

でも銀行では勝手に元に戻った時売ったのである。それは銀行では転売して手数料を稼ぐことで儲けるからである。頭の中にはその手数料を稼ぐことしかないからそうなる。つまり人間はみんな自分の利益だけを考える。それは会社でも同じである。会社の利益になることが自分の利益になることだからである。 そこに必ず問題が起きてくる。


また。カルト教団でも教団の利益になることが自分の利益になるから奨めるのである。人を救うとか関係ない自分たちが儲けることである。


●人間はすべて利益を求めている―公平を求めていない


教団の利益になり会員が増えて権力化してそれでさらに利益を得ることしかない自分の利益となるから運動しているだけである。


人間はそもそもみんなそうして利益を上げることを日々の活動にしている。それをみんな咎めることはできない。それがまた全部悪いということでもないからである。誰も利益にならないことはしない。それでただより高いものはないというのはそのことである。これは本当に?そうである。人間は無料でただでやるとき何かをしてやるときでも高いものになる。 誰も見返りが無く、無料では何もしてくれない。それをするとなる時、暗黙のうち返って見返りを要求しているのである。 だから人間社会は何々してもらったらいくらいくらと金で明確に決めてそれであとは払わなくてもよいとしているのである。でも無料でするときいくらでもいいですよというときそれは最も高いものとなるから、そういうことわざが生まれたのである。


ともかく人間社会はこうして。毎日自分の利益を求めて働いている。そしてそれ相応の利益を得なければ働かない。それは別に悪いことでもない。働いた分の金を利益をもらえるのは当然だとなる。

だから個人でも会社でも自分たちの利益を優先するしそうしなければ何もしない情報も教えないのである。 でも本当に真実を見極めるとしたらその利害にかかわらないことかもしれない。2人が争っている時一人から金をもらったりしていたら利害関係があったら公平には見られなくなる。でも原発事故でも安全神話が作られたのはそこに政治家マスコミでも巨大な利権となり利益が得られるからそうなったのである。危険を言う人もいたがそれは無視されたのである。 


情報というものも必ず操作されているのである。原発で安全神話が作られたのも政府であれマスコミであれ御用学者であれそれらが一体となって操作されたからである。つまり何らかで利益と結びつかないことは、この世にはないとなる。だからこそ無料になる時。それはかえって高くつくのである。誰も無料では何もしないからである。それは当然だとなる。でもなぜ判断が誤るのかとなると必ずこうして利益と結びつき利権となりそこで判断を誤る。 神が偏りみないと言う時公平になるのは利益とか利権にと関わらないからである。だからこそ公平になれるので、人間社会では利益にかかわるから公平になりいないのである。 だからこそ情報自体が真実でもなく科学的に正しいとか正しくないとかでもなく利益利権によって左右されるから学者でも原発は安全だと宣伝していたのである。


●ウクライナ戦争の情報も欧米側に偏っている


それはあらゆることに当てはまる。コロナウイルスにしても医療関係者や医者の利権となるとかで正しい情報が出ないということもあった。本当に何が危険なのかもよくわからなかった。そこで儲けたのはワクチンを売った外国の薬剤会社でありまたコロナウイルスで巨額の金が医療関係者に病院に医者に出たのである。コロナウイルスでも収まるより収まらない方が金になるとなり。コロナウイルスの危険を大きく言うともなる


ウクライナ戦争でも9割ぐらいは欧米の情報でありロシアが悪いとなりロシアが不利となりロシアは滅亡するとか言われ。でもごくわずかであるが1割ぐらいはむしろウクライナが悪いのでありウクライナはもう戦争続けられない。それは欧米からの情報だけに頼っているとそうなる。ウクライナが勝っている欧米側の情報に接することが多いからである。 


要するに公平に判断するのはとにかく利益と利権と関わらないことである。となれば公平に見られる見れるということになる。アメリカは戦争国家でありアメリカはウクライナに入って戦争をするようにしかけた。そういう見方もある。これも全て否定できない。だからこそ。ロシアのプーチンは反発したのである。 アメリカが全て正しいとはならない。それは日本との戦争でも同じであり。アメリカは正しいから戦争に勝ったということではない。アメリカは戦争国家であり何か言い掛かりをつけて巨大な力で圧倒してし敵を潰してきたことは確かなのである。ただ、日本では負けたから。アメリカに逆らえないというだけである。


だからアメリカが欧米が全て正しいとはならないのである。戦争にしても別に正義のために戦うというわけではないからである。自分たちの権益を権力を拡大したいということがありそれが戦争の原因だったからである。だからそこに戦争に正義を持ち出すことは危険なのである。アメリカは何も正義の味方でもなんでもない。軍産共同体があり戦争はないと失業するとか何か利益と関係してるからそうなる。ただ、ロシアはまた正しいということにもならない。 情報とは必ず一方的になりやすい。客観的公平に判断できないものとして情報がある。 


●情報は権力を持つものによって操作される


結局情報を操作できる者が判断をするのでありそれは権力と関わっているのである。NℍKでもその判断は幹部がしているのである。だから、重要なことでもその報道されないこともありその判断は幹部がしているのである。つまり情報自体に公平がないのである。権力が権力を持つものは情報を操作できるようになっている。第一テレビなどは一個人が出て報道させてくれたといってもできない。新聞でも。雑誌でも。本でもそういうことがある。

ただインターネットだとプログとかいろいろ簡単に個人でも発表できる。そこで公平にはなっているが。ただあまりにも数が多いからそこで目立つことは至難である。だから数の中に埋もれて。重要なこともまたわからなくなるのである。これまではマスコミに出ればその内容はともかく。それで有名になりことが出来たのである。 


どうして公平に判断できるのか?これが情報社会の大きな問題である。情報が莫大に増えてもそれでさらに混乱して判断しにくくなる。

 でもどうしても大きな権力を持つ者によって組織に団体によって情報は一方的になりその見方は偏ってしまう。だからアメリカは欧米がウクライナ戦争でもウクライナが有利であり勝っていたという情報が多く欧米側の見方になる。でもロシアの方が実際は勝っていてウクライナは窮地に立たされているという人もいる。それもまた判断しにくいのである。


グローバル化はさらに情報は膨大になり判断しにくくなる。それでフエクニュースにだまされる。アメリカとイラクの戦争でも一羽の海鳥が油まみれになっていたがそれは一羽だけであり周りは油にまみれになっていなかったのである。それはアメリカによって作られた映像でありそれが世界中に放送されて世界の人が起こりをおぼえたのである。それはアメリカによって操作された情報だったのである。だからアメリカも信用できないのである。 


●人間は公平に見れない偏る


いずれにしろ、どうしたら公平に判断できるのか?


それが大問題である。 何故ならその情報によって人は行動に移す。それが戦争にもなり何千万人と死んだということもある?戦争も情報戦争になるからである。でもその正しい情報を。知り見抜けることは非常に難しいのである。ここに現代のグローバル化情報社会の問題がある。 

人間はこれだけ広い世界を知り得ようがない。そこで必ず判断が誤る謝るのである。 そもそもグローバル経済の株式などは?上がる下がるとか景気がよくなってるとか悪くなってるとか常に両方の見方がある。それを判断できない。あまりにも巨大な世界になっているからである。そんなものを。知り得るものはないと思う。だから人間は今日膨大な情報に接して接することができてもどれが正しいかなど判断できない。つまり無力感に苛まれているのである。 


人間が五感で感覚的でしり得る範囲は狭いので、この狭い範囲なら実感として判断できる。でもグローバル化となると、あまりにも広すぎて判断などできないのである。それ人間にはやはり知り得る範囲は狭いものでありその中アイデンティティ化して一つのミクロコスモスの中に生きる。そこではつながりが明確であり。判断もしやすいとなる。それで民主主義でもギリシャだったら1万くらいのポリスで直接投票で決めていたからである。それが百万も票を取らなければ当選できないとなれば


もうただ頭数を集めるにはどうするかとなる。創価でもカルト宗教団体でもただ頭数を会員を集めるのことが日々の活動になる。個々人がどんな人間なのかなどは関係無い。罪とかなんとかそんなものは全く関係ない。その人がどんなあくどい人でも別に構わないのである。一票になればいいだけである。そこに民主主義も限界生きているのである。限界にきているのである。一票など投票しても。社会は何の変化もない。


ただ、そこには。無力感だけがある。それで投票などしたくないのである。すでに組織団体表で決まっているからである。一票など何の価値もないのですべてが。頭数をそろえる。あらゆる場面で数で決まるのが今の政治である。田中首相が言ったように金と数字がすべてなのである。そして規模がグローバル化して誰もそれを見通すことができない。株でも突然暴落したり。天災のように突然破たんしたりする。


●独裁者に従いファシズムになりやすい現代


それはもうその前に経済など見通すことができないからである。 そして最悪はナチスのようにファシズムとなる。ヒットラーは選挙で選ばれたのであり合法的に選ばれたからである。それでもナチスとなり。ファシズムとなり、全体主義となったのである。それはもうとても判断できないということから起きてきたのである。その規模も巨大化して。判断できない。すると誰かが。ヒットラーでも独裁者が。生まれてその独裁者によって人々は導かれ地獄へ堕ちてゆく。


カルト教団の教祖が神のように祭り上げるその人は偉大だからではない。人々はそういう偶像作り上げているのである。その偶像があって何百万人の人間が?一人の。教祖にひざまずき集団として組織としてまとまるのである。カルト教団に共通していることは?軍隊組織なことでもわかる。いちいち個人には対応できない。だから権力を得るには数を集めることだから、一人一人のことなどどうでもいいのである。所詮一票にすぎないからである。

そして数を集めれば権力化して政治化して支配できるということになる。


そこでマスコミでもその巨大な権力にさかろうことはできなくなる。 裸の王様を指摘したのは子どもであった。子供はただありのままを言っただけである。でも王様は権力をもっているからそれにへつらいみんな何も言えなかったのでこのように何か権力を持てばそれが嘘でも人は従うのである。つまりこの世は権力によって情報でも必ずゆがめられるのである。すると正しい判断はできなくなる。これが原発事故で安全神話が作られたりいろいろと情報でも判断できずにそれが大きな災いとなるのである。


神が偏りみないと言う時いかなる利害と利益ともかだか関わらないからできるのである。公平に見ると言うことは?それが条件となる。でも人間は何らか?必ず利害関係があり。それで?情報でも。公正なものもなく一方的になるのである。そして判断を必ず誤るのである。


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2023年07月10日

加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る (団塊の世代を語る―加治氏も同世代)

加治将一氏から戦後の歴史を振り返る―経験が人間を作る


(団塊の世代を語る―加治氏も同世代)





●戦後の世代の特徴


最盛期には、不動産にも何十億と投資していました。

そんな時、バブルがはじけて不動産価格が急落。

資産が吹き飛んで、倒産しました。

今思うと、あの頃は何でも思い通りになるとどこか傲慢になって自分を過信してしまっていたのですね。

日本に帰国後、アメリカと比較して日本の不動産市場のおかしなところを纏めた書籍を出すことになりました。

これが、メディアにうけてテレビ番組に出るようになったのです。

これが、今の作家の活動に繋がっているのです。


一人の人間を見ることは難しい。その人がどういう人なのか知ることは簡単にできない。でもその人と何か共通点があるとわかりやすいのである。例えば世代が同じだとか産まれた地域が同じだとか同じ興味があるとか同じ専門だとか何か共通点があるとそこからその人間を推し量る。私の場合団塊の世代であり加治氏と同じ歳なのである。だから言ってることに理解できるし共感をもつのである。 





【団塊の世代】1947〜49年生まれ

戦後のベビーブーム世代。大学進学した人は、学生運動が最も盛んな時期に相当する。高度経済成長の真っただ中に社会人となり、バブル経済期の頃は40歳前後の働き盛りで、日本の「右肩上がり」を実感した。

【バブル世代】1965〜69年頃生まれ 50−60代

日本がバブル景気に沸いた企業の大量採用期に社会人となる。「24時間戦えますか?」と高らかに歌う栄養ドリンク剤のテレビコマーシャルが大ヒット。長時間労働に疑問を持たず、接待会食、接待ゴルフ、接待麻雀など、勤務時間外も仕事の付き合いで縛られるのが当たり前のこととして受け入れられて

【就職氷河期世代】1971〜82年頃生まれ 40−50才


バブル経済がはじけ、長期の景気後退局面へ突入。企業が求人を絞ったために正規社員として就職できず、契約や派遣などの非正規の仕事しか得られなかった人も多かった。運よく正社員として就職できた人も、入社早々から業績悪化、経費削減、リストラの波にもまれたために、危機意識が強い。

いた。




戦後では、この三つの世代が目立っている。その数も多いからである。団塊の世代だった私たちの世代は共通したものを持っている。それはあまりにも数が多くて教室すら確保できない状態だった。加治氏も一クラス70人だったというからそういう時代だったのである。

それで高校でも数が多くて入れないとかになり受験競争になったのである。その時私は勉強に興味もないのにしていたのでいやだった。また必ず試験が何度もありその成績が順位でもって学校に張り出されていたのである。その経験は全国的に同じだったのである。そういうことをすると同じクラス、学校でもクラスでも他者に対して何とか抜きん出ようとして競争しよう煽ることになる。でも数が多いから椅子取りゲームになっていたのである。 この競争は数が多いから氷河期世代まで続いていたのである。だから、これらの世代の人は何かと他者に対して競争心が強く自分が上だと言うことを示そうとする。

ただ、加治氏が意外だったのはアメリカに渡って不動産業で成功したもの人だと思っていた。でも実際は失敗していたのである。帰国してから作家となり、ある程度成功したとなる。


●団塊の世代の子供時代、数が多く熾烈な競争を強いられた


人間を見る場合。学歴から見る人が多いが実は人間は経験によって作られるのである。だからその人を見る時、どんな経験したかをみることが大事なのである。何々大学卒とかみてもその人をわからない。ただ外国に留学して外国で学んだ人は価値があると見る。で採用するときもその職歴を見るとわかるし何も職業を経験していない人は採用などされない。自分等は職歴が何もないから会社に勤められないのである。まず採用などされないからである。

学校にも適応できなかったしもちろん会社にも適応できない。だからただ自由に旅して学び終わったのである。そこに大きく欠けたものがあったのである。ただ自分ひとりで個性を伸ばし個性に合ったことをしてきたからよかったのである。それは家族に恵まれた結果だったのである。


とにかく加治氏の場合アメリカで実際に仕事をしてきたということはその経験が大きい。日本で仕事をすることは相当に差があるからである。ただその時代不動産業には適していたのである。高度成長時代に。アメリカの土地がニューヨークでも買い占められると当時アメリカが騒ぎ日本を敵視したからである。今になると日本が中国に土地が買われるということと似ている。 それが今の日本になると信じられないともなる。あまりにも日本が失われた30年があり落ちぶれてしまったからである。

そして目立つのは氷河期世代でこれも人数が多いから大きな問題となったのである。でも当時は自由な働き方であり非正規は時代の働き方として推奨されていたということもあった。ただ、私は社会から離れて暮らしていたからそのことはよくわからなかった。何か時代というのは人生というのはあとから振り返ると見えてくるのである。だから老人になると過去を振り返り明確に見えてくるものがある。それで老人は昔を語るのに向いているのである。


ただ加治氏の育った環境と私の育った環境は似ているが家庭環境は違っていた。これは8人兄弟なのか?末っ子であり粗末に扱われたのである。父親には何かというと殴られたという。そういう時代だったのである。それは学校でもそうだったのである。学校でも先生が平気で殴ったり廊下に立たせたのである。平気でそういうことをしていたのである。それができたのは実際は家庭でもそういうことをしている。子供は厳しくしつけたほうがいいということで容認されていたのである。それで殴られたとか近くの先生だった人を恨んでいた人がいたのである。

だから別に親は何も言わなかったのである。今でも同世代の母親は厳しくした方がいいと言っているの。何故ならその時女性は親に殴られたり、先生に殴られたりされないからそうなっていたのである。こうして同じ世代だと共感することがあり話が分かるのである。


●教育環境が悪かった時代


そして何度も言っているけどその人も勉強する個人の部屋などなかった。だから子供部屋おじさんなども団塊の世代にはなかったのである。何か家で勉強できるようなものは何もなかった。私の家は店屋であり子供の時から絶えず配達をさせられていたので。私の父親は明治生まれで酒屋の丁稚であり。だから私も丁稚のようにされていたのである。

でも戦前でも戦後まもなくは子供はそうして働いて親に尽くすものとしてあったのである。戦前になるとそれはもっと厳しいものとなっていた。今外国から働きに来る人は貧乏であり親に仕送りするために親のために働いているのである。そういう時代があったということである。 

その様子が変わったのは、高度成長時代に入ってからである。それでもわからないのは高校まで東京オリンピックの時蒸気機関車に乗って原町の高校まで通っていたことである。これがどうしても信じられないとなるのでは?

とにかく時代というのはは急速に変わる。昔からも三日見ぬまの桜かなとなる。3日であっという間に桜が咲いたということである。3日も見ないうちに満開になってしまった。それが中国である。十数年前いやもう20年まえのか中国に行ったときは物価は、日本の1/10であり貧乏な国だったのである。それが新幹線のようなものまでが走り、日本より豊かな人が1億人でも増えればそれはもう全く違った国になってしまったのである。このように時代の変化は大きく忽ちまた過去がわかりにくくなるのである

私は加治氏の著作物には関心が無かった。一冊も読んでなかったのである。でもユーチューブで話すことを聞いて、興味を持ったのであるだから人間は本だけがその人を知ることでない。その人全体を語るのは本だけではないユーチューブとかブログでも語れるようになったことを知った。これらのメディアは個人が制限なくいくらでも語れるということである。テレビとかに出てもほんのちょっとコメントするだけだからである。その人の全体像というのは見えないのである。テレビでは主役は司会者なのである。そしてコメンテーターは司会者であり喋れるということもある。あくまでも主役は司会者なのである。でもユーチューブは主役はその本人なのでその差が大きいのである。


ただ加治氏についても分からないことはなぜアンティークコインが投資にいいのかとかは理解できない。そもそもアンティークコインことなどあることすら知らなかった。 加治氏は北海道の札幌出身である。だから、海道のことは詳しいはずだがあまり語られていない。その辺に不満はある。つまり、その人がどこに生まれてどのような家庭環境で育ちその後どういう経験をしてきたか?それはやはりその人物形成に大きく影響しているからである。、私は常に自分の出身地のことを東北地域と福島県と相馬地域のことを語り続けているからである。


とにかく人間はその人の経験したことがその人を作る語るにしてもその人が実際に経験したことが訴えるのであるそこに経験の重みがある

ただその経験はグローバルでありそれは本を読んでしたものではない。経験で知ったものだからである。経験が人間をつくるのでありいくら本を読んだとしても外国のことなどわからないからである。私も50歳からバックパッカーとして外国を回ったことが経験として生きてくるのである。それまでは全く外国に行ってないから恥ずかしいことを言っていたのである。それで加治氏の経歴はやはりほかの人は違ってそこに語るべきものを持っているということである。 


しきりにいう思考脳とかっていうのも理解する。それで暗記教育の学校教育を批判していることも共感する。加治氏の場合は既に小学校からそういう態度であり思考を持っていたことに驚く。私はただ言うなりになっていたし、自分で考えることなどしたことなかったからである。でも何か疑問にもつことがありなぜ人間は死ぬのだろうとか追求し考えてその解答を求めて求道していたのである。


いずれにしろ一人物を知ることは難しい。ただ、同世代であり時代を振り返ると見えてくるものがある。でも戦前の戦争を経験した人を理解することは非常に難しくなっているのである。頭の中で戦争というのは考えてもわからない。だから私の母親は学もなかったが軍人は威張っていたというとき戦争の時代はそうなると言うことをその一言でもわかる。それは実際に経験した人が言ってからであり、本で読んだ人が言ったって実感わかないのである。だから実感というのは大事であり。実際にこの目で見たもの経験したものがその人を作るのである。


そういう事が今ユーチューブとかで語られているから今までの一方的なテレビとは違っている。青山繁晴のフランスの暴動がなぜ起きたか?アフリカの植民地だったアルジェリアとかその人たちがフランス語を喋るのでフランスに来ている。その経済格差が大きいからフランスに移民するのである。そこで差別があり暴動になったのである。その生々しい肌感覚でそこに行った人が語るときなるほどと思うのである。それがただ本などで実際に行ってもいない人が語るとき訴えないのである。だからいかに外国で生活した経験が有益かわかる

生活したとか仕事までしたということがその経験がその人を作るということである。 

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(2) 【ぼくらの国会・第554回】ニュースの尻尾「仏暴動 明日の日本」 - YouTube


●日本の歴史伝統を否定するのは問題


加治氏はにキリスト教徒でもない。でも愛を語る最も大事だとして語っている。 愛がなければ思考のも育たないとしている。実はこの愛というのは愛される愛ではないのである。キリストが教えたのは愛する愛であり、愛される愛ではないのである。それが誤解しているので大方の人はただ愛されたい。そしてなんでもいいからものでも何でももらいたい。そういうのが愛であり、宗教だと見ているのである。そこに大きな誤解があるのである。なぜなら人は何も与えたくない。ただ与えられたい、もらいたい、愛されたいしかないからである。そこに宗教に対する大きな誤解がある。もしそうだとしたらみんな宗教を避けることになる。何ももらえないとしたら与えるだけだとしたらいやだとなるからである。


また加治氏は日本の伝統のことを否定するのがすべてアメリカから入って来たものはいいものではなかった。キリスト教でもその国に入ったとき必ずその国の伝統とマッチして発展したのである。だから仏教でも中国に入ったとき中国的な仏教徒なり。韓国には入いった時、韓国的な仏教となり、日本に入った時、日本的な仏教となったのである。その国の歴史伝統がありそれにマッチしたものとして受け入れたのである。もしそれがなければその宗教も生きてこないのである。それを証明しているのはカトリックはフィリピンとか南米とかに入ったキリスト教はただ押し付けられたものとなり。その国自体の歴史、伝統ととマッチしたものとならなかったのでそこから日本のように仏教文化とか生まれなかったのである。そのときあった伝統的なものは根こそぎ破壊されたからである。

日本だったらキリスト教でも内村鑑三などは士サムライであり武士道に基づいてキリスト教を受け入れたのである。また神道を尊んだ手島郁郎でもそうである。 そこにもやはり見習うものがある。でもその国の歴史と伝統にに基づいてキリスト教も受け入れられたのである。


でも日本の戦後というのはそういう歴史と伝統を根こそぎ失われたということもある。その結果として、日本というのはもはや日本ではない。日本というのは、日本人はすでにアメリカ人になっている。加治氏は日本人ではなくアメリカ人なのでそれを今の日本人はみんなアメリカ人になってしまったのである。なぜなら日本の歴史伝統というものは否定されたり理解できないものとなっていたからである。

そこに良い物があってもアメリカのものはいいものとされたこともある。だからこそ日本というのは本当にアメリカと似ている似てくる。アメリカで起きてくることは日本でも起きてくる。なぜなら日本というのはアメリカのコピーだからそうなるとアメリカの悪い点もまた見習うことになりそれが現実化しているのである。ただ金だけを求める日本人になったからである。すべての価値は金に換算される。金にならないものは何の価値もないとなってしまったのである。それはアメリカ人に習ったからそうなったのである。アメリカに留学した内村鑑三はそう言っていたからである。でもそのときはまだ日本人的なものを伝統歴史が生きていたのからそうなったのである。だから日本の歴史伝統を否定することは問題なのである。


もちろんアメリカにならうことはありそれは否定できない。結局、アメリカの悪いとこも真似て日本も全てがアメリカ化して今日があるとなる。そもそも今?日本人が何なのかということすらわからない。なぜならみんなアメリカ人になってしまったからである。


この人はまさに日本人だなという人は見ないだろう。依然として明治時代の時は内村鑑三のよう侍の伝統は生きていたのであろう。だから明治は偉大な時代だったのである。それは日本的歴史的伝統が継続されて血肉となったものがありそこにキリスト教を受け入れたから日本的キリスト教となり活きたのである。南米ではそこには歴史伝統となるものはなく根こそぎ破壊されたりしてキリスト教は接ぎ木されなかったのである。そこに戦争に負けたということで歴史伝統も破壊されるということがいかに影響が大きかったかということである。 










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2023年07月11日

会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ (姓が語る福島県の歴史ー新妻、松本、只野)


会津紀行ー昭和村から矢の原湿原へ

(姓が語る福島県の歴史ー新妻、松本、只野)

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男のみ城を守るやさにあらじ手弱女なれど抗い果てぬ

雨しとと桐の花咲く会津なる菩提参りて相馬に帰りぬ

桐多く嫁入り道具に桐箪笥会津の暮らし偲びけるかな

激しくも流れ岩打ち奥会津草深くも鬼百合咲きぬ

会津なる伊佐須美神社に我がよるも雨降りとどまる秋のくれかな

雨降りてテントに一夜泊まりしは木地小屋なりし秋の夜ふけぬ

木地小屋は磐梯山を上る中腹にある

会津藩士 野村 新平
       朱雀3番寄合組隊鈴木隊半隊頭
       町奉行、200石、25歳
       明治元年旧9月24日大芦村矢ノ原にて戦死

会津の山々深く矢の原に死すも若きや秋のくれかな

新津駅線路交差しかなたにそ雪に真白く会津の山かな




伊佐須美神社から昭和村を通り矢の原湿原に来た、この湿原は日本で二番目に古いとありその雰囲気がそうだった。湿原としては広くないにしろ直観で古層の湿原と見た。

ここに咲く花こそひそか誰が見む今は花なき秋のくれかな

何か荒涼として原始の沼であり湿原だった、そんな所でもぼっしん戦争の血なまぐさい戦があり若くして死んだ会津藩士がいたのである
自転車で伊佐須美神社から昭和村から矢の原湿原に行った。ただその記憶があいまいとなった。

一面の萱の原の山を行ったことを覚えている。伊佐須美神社で雨がふりとどまったことを覚えている。伊佐須美神社は相当に古い
ここで佐須となっているのは飯館村の佐須と同類なのか、というのは飯館村の佐須には山津見神社がありそれは安曇氏系統のものである、

ここで佐須となっているのは飯館村の佐須と同類なのか、というのは飯館村の佐須には山津見神社がありそれは安曇氏系統のものである、会津にも大山祇神(おおやまつみのかみの神社がありこれは海洋民の安曇氏系統だからである。会津は山国だから焼畑がやはり行われた。佐須とは焼畑のことだからである。それは安曇氏系統が入り始めたとなる。

おおやまつみのかみ)とはやまつみであり飯館村の山津見神社と同じなのである。つまりいかに日本というのは海洋民の安曇氏が広範囲に入り拓いた地かを証明しているのである。


会津の系統が武田氏にあるというのも意外である。武田というと遠いようだが信州は遠いという感覚ではないかもしれない、また葛尾村(かつろう)は信州から移動したものであり

治承四年、宇治川の戦に敗れ命からくも逃れた高倉宮以仁王は越後に落ち延びることになり、中仙道から上州沼田を経て尾瀬から下郷・大内宿に入った

山を伝う道があり逃れたのである。戦乱がありそこから逃れた武士が先祖になている所がある。平家の落武者伝説が多いのはそのためである。南相馬市の鹿島区の只野氏も南北朝の戦いで霊山城が炎上して落城して逃れた一族だったのである

この地が「葛尾」と名付けられたのは、信州・長野県が発祥です。長野県の坂城町にある山の上にある城跡の名前が「葛尾城」といって、戦国時代の武将、村上義清の居城でした。この城をめぐって武田信玄と激闘が繰り広げられ、義清は2度勝利しましたが、3度目に敗れました。その際、家来だった松本勘解由介が相馬に落ち延び、相馬当主から三春領と相馬領の国境警備を頼まれて住み着いたこの地を「葛尾」と名付けたといわれています

ここでは松本の姓が三分の一いる、こういう山の村だと外部からの人の出入りが少ないから松本という一族が継続して住んだとなる。常磐線の末次駅をおりて墓地を見たら八割くらい新妻の姓だった、また南相馬市の鹿島区は南北朝の争いで北畠氏が守っていたが霊山城が炎上して落ち伸びた武者の一族の町である
だから只野の姓の家が50軒くらいある。戦乱があり勝者と敗者がありその歴史が姓に残されていたとなる。

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末次駅降り墓地たずぬ大方は新妻の姓や畑に菖蒲咲く

昭和村となると歴史が感じられない、長い歴史から見れば昭和は新しいからである。
ともかく、福島県といっても広いのでは?会津というときそこが東北ではないという作家もいたし。会津は一つの大きな国であり別の国なのである。その成り立ちは古く日本海から阿賀野川を通じて四道将軍が会ったいうことになる。そこに東北で一番古い古墳大塚山古墳があり三角縁神獣鏡が埋もれてあった
それは東北ではここにしか発見されなかったのである。だからすでに早い時期から日本海を通じて交流があり吉備氏と結びついていたのである。。

三角縁神獣鏡は岡山県備前市の鶴山丸山古墳のものと同じ鋳型である
副葬品の多くは優品で、畿内から移入されたもの、畿内文化の強い影響を受けたものが多いことから被葬者と大和朝廷との関係が注目される。
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だからなぜ会津が信州とかと結びついていたのかというと 山伝いに来たのかとなる。吉備と関係したということは?どういう経路でそうなったのか?吉備はは瀬戸内海であり、瀬戸を根拠としており。そこからどういう経路で会津まで達したのか?日本海から阿賀野川を使って会津に入ったということもある。 



  • 毛野氏族の分布 毛野は吉備の分流であることが分かってきている。毛野氏族の姓氏・分布など・・・

  1. 茅渟(ちぬ)地方・・・起源地である。和泉(いずみ)国の沿岸の古称。現在の大阪湾の東部、堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る一帯。

  2. 摂津・河内 (磯城・葛城)→近江→北陸道(能登)→信濃→毛野地方(上野・下野)に到る経路をとって、畿内から東国へ勢力広げた。

https://minowa1059.wiki.fc2.com/wiki/%E7%BE%A4%E9%A6%AC%E3%81%AE%

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南相馬市鹿島区の浮田国造があり。それは毛野氏系統なのである。原町の泉かんが跡は海側にある。最初は山側が古くそれで毛野氏の勢力が伸びてきた、真野という地名は浮田より新しい。浮田神社が常磐高速の鹿島のSAに祀られた

だから浮田の範囲は山側に広いのである。また縄文中期の遺跡が飯館村に発見されたから山の方が古いのである

海側はあとから発展した、それは太平洋は波も荒く交通路になりにくかったからである。



とにかく会津でもわかりにくいのは山が多いからである。山がひしめている。それも2000メートル級の山なのである。この辺で一番高いのは鹿狼山であり400メートルなのである。だからこの辺で物足りないのは高い山がないことなのである。
高い山があると引き締まるからである、それが心にも影響するのである


 昭和村の地名

昭和村は会津でもかなり奥深い処だった。昭和村への道を入ると温泉が旅館がありそこで温泉にひたり疲れをいやした。それから村の食堂で食事をしてそれからかなりうねうねと山を上っていった。そこは一面の芒、萱原であった。その山の上に矢の原湿原があった。この湿原は日本でも二番目に古いとか道の脇にあるにしては古い沼だったのだ。ここで会津藩士が討ち死にししている。壮烈な戦いがこんな奥まで持ち込まれたのだ。こんな静謐な沼のそばにそんな案内板があるのもにあわない、反面そのことはあの会津の落城は壮烈なものだった。戦いは熾烈だったことを示している。なぜこんなところまで来て戦っているのかわからないからだ。確かにそこまでは覚えているのだがそこからはどこに出たのか覚えていない、自転車で行ってもこのように地理とかがわからなくなったり忘れるのだ。だから記録が大事になる。一面になびいていた萱原と沼とは覚えていたので思い出して詩も書けた。

それで昭和村の地図を見たら面白い地名を発見した。昭和村は大芦村と野尻村が昭和に合併してできたのだ。合併してできた名前はその村の歴史を消す場合がある。この合併地名はかなり多いのだ。大芦村の処は確かに芦が繁る処であり野尻というのも野の尻という意味でそれなりに地形として合っている。ここでは野は山間の平らな所でその尻となる。その他に日落沢とか転石峠とか木地小屋とかあった。これも山深い処の地名に合っている。日影山とか日落沢というのは山で日が落ちて陰るのが早いのだ。そういう地形が多い。転石峠というのは石が転げてくる危ない峠のことだしそういう処も多い。今でも落石注意とか案内板がある。それから駒止峠とは駒が止めるほどの峠道のことでこれは檜枝岐につづいていた。針生部落から檜枝岐は駒止峠でありこの峠は私は20年前くらいにバスで行ったがくねくねくねくねと曲がってやっと越えられる舗装もされていない、埃がたつ凄い峠だったのだ。ここを越えて檜枝岐まで行くのだから檜枝岐は秘境だった。今は観光化されて秘境というのはないのだ。

つまり秘境とは交通でも閉ざされていて外界との交流が少ない処である。交通が発達しない戦後まもなくや戦前はこうした地域は非常に多かった。そこでは自給自足の生活をしていたのだ。だから秘境は多かったのだ。まるでみんな仙人のような生活をしていたのだ。ソバが常食となるのは米がとれないためだし米を食えないという僻地でもあった。旅するならいくらでもその頃秘境があったのだ。今は秘境はない、自動車や交通の発達でどんな奥地にも気軽に行けるから秘境はないのだ。

ただ昭和村というと今では観光化した檜枝岐より秘境の感じがある。あまりに観光化するとかえって魅力を失う、昭和村はその点まだそういう秘境的なものがある。インターネットで探したらそこにキャンプ場があり木のバンガロ−があり4000円で泊まれるとあった。ここに行きたいなと電話したら今年は終わったらしい。雪はふらないが紅葉も終わった。パスの便も終わり自動車がないと行きにくい、でもあんな所で3日くらいのんびりすごしたら気持ちいいだろう。この昭和村についてはからむし織りとかで良く宣伝しているがそれよりも何もなくてもわずかに残された秘境として価値あるんじゃないか、つまり秘境とはとにかく鉄道が通らず街からず−と離れた孤立したような山の中であればいいのだ。檜枝岐のように頻繁に人が入るようになると秘境ではもはやないのだ。伝説として次のようなものがあった。

治承四年、宇治川の戦に敗れ命からくも逃れた高倉宮以仁王は越後に落ち延びることになり、中仙道から上州沼田を経て尾瀬から下郷・大内宿に入った。橘諸安公の娘・桜木姫と高野大納言俊成公の娘・紅梅御前は数少ない家来を共に京から王を迫ってこの地に辿りついたものの、恋しい人はすでに越後へと向かってしまったあとだった。身のおきどころなく畑小屋集落にしばし滞在したがどちらも間もなく亡くなり、御前は下郷町戸赤の渓流沿いにまつられ、桜木姫の墓は大内集落のはずれに今もひつそりと残っている。そこから畑小屋の山は御前ヶ岳と呼ばれるようになったが、畑小屋の鎮守は以仁王の父・後白河法王を祀ったものという。

大内部落には都落ちした高倉宮以仁王の一行に同行したある従者の君「桜木姫」長旅の疲れから18歳の若さで亡くなり、この地に眠っているといわれています。このお墓の周辺を御側原(おそばはら)といいます。源氏と平家の争いがこんな僻地まで尾をひいたのか祭りがあるからこれは本当なのだろう。ただ平家落人部落というのはかなり嘘が多い。義経伝説も北海道まであるのだからこれもどこまで本当なのかわからない、それでも奥地まで戦いがあり落人狩りなどが戦争では行われたのかもしれない、執拗な追手というものがあって身を隠さざるをえないこともあった。

会津というと何回も行っているがやはりあそこが良かったなとかもう一回行く処はまた調べ直してその土地に詳しくなり今度は別な処を探査してしみようとかするのがいい、あそこはただ通りすぎただけだったから今度はまわりをよく見ようとなる。でも何日か滞在しないとやはり自然はわからないのである。だから旅は小臆する旅をしろとなるのである。











2023年07月12日

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現

東北列藩同盟(会津)をプロイセンが支援 


ヨーロッパとロシアの領地拡大の戦いウクライナで再現


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●日本でも外国が入り二分して争う


今回のウクライナ戦争は遠いところだから日本と関係無いと見ていた。でもすでに歴史的に見れば日本も明治維新で世界の政治に巻き込まれていたのである。世界の歴史を見ないと。明治維新もわからない。何か明治維新というのは日本独自の力で成し遂げたと右寄りの人がしきりに言う。でも日本を舞台にして、すでに世界列強が深く関わっていたのである。その。世界列強の関わり方で維新の勝敗も決まったとなる。そこで見逃されているのが?ロシアが関わっていたということである。それとプロイセンが今のドイツが関わっていたのである。


 北海道の半分くらいを会津藩と庄内藩が管轄していた。幕府の命令で北方の防備にあたっていたのである。そのときロシアがヨーロッパに領地を拡大していたのである。その中にウクライナもあった。ウクライナの今の紛争はすでに江戸時代から始まっていたのである。それからも継続してヨーロッパとロシアは対立していた。その延長として今ウクライナ戦争がある。 だから今そのウクライナ戦争は日本から遠いとしも関係ないというものでもなかった。歴史は継続だから遠い国でも関係していたのである。 


戊辰戦争は薩長と幕府軍との戦いというだけでなく。実は外国が関わり特にイギリスが関わっていたのである。そのとき、イギリスは世界の七つの海を支配するとか覇権国だったからである。 ロシアと日本が戦った戦争でも日本を支援して勝ったともなる。その後に日英同盟が結ばれたのである。 その時から日本は国際政治に巻き込まれていたのである。ただ、日本からだけ明治維新を見てもわからないのである。 武器からして鉄砲でも外国から大量に入ってきたのである。アメリカの南北戦争ので使われた鉄砲が大量に入ってきたのである。またイギリス海軍が榎本武揚率いる幕府軍と戦い負けた。それで榎本武揚はイギリスに負けたと言っていたのである。このことでもわかるようにその敵はイギリスであり外国がかかわり日本は二分されて戦っていたのである。



●ウクライナ戦争と会津戦争の似ている点


だから今のウクライナ戦争を見るとやはり同じようなことが起きているのである。ただ、アメリカが。大きな国となってイギリスの代わりをしている。でも依然として、イギリスはロシアに対して敵対してウクライナでも工作員がスパイが入っていたりしているのである。ウクライナ戦争というのはの欧米側とロシアの戦争であり。今はその背後に巨大化した中国がいるのである。

そして日本は欧米側に組み入れられてウクライナを支援しているのである。 


つまり戊辰戦争は会津戦争でも世界情勢を反映してその中で会津軍が悲劇となったのである。それは今のウクライナと似ているのである。ウクライナで二つの覇権国勢力勢力が衝突してウクライナが犠牲になっている。ウクライナの独立を維持するのだというのもわかるが。その中でやはり大国が関わり。ウクライナは戦い自国の国民が多数死んで犠牲になっているのである。独立を守るということで戦っているというが日本の明治維新とも同じように実は外国勢力によって戦わされているということもある。 


とてもウクライナだけではロシアに対抗できないからである。だから常に武器を提供してくれと頼んでいるのである。

会津の戦争では新潟港が貿易港になり。そこに外国の武器が入ってきた。それは会津戦争にも使われたとなる。会津は山国でも新潟は日本海に面して交通路なり古代からすでにこうして流通があった


ともかく戦争になると人間の残忍性があらわになる。それで明治維新でもヤクザが戦争に参加したとか残虐なプリゴジン隊とか犯罪者が受刑者はが最前線で戦うというのと似ている。また会津戦争で女性がレイプされ残忍なことが行われた。今もロシアでウクライナ人をそうしているということでもわかる。戦争というものはそういうものでありそれが繰り返されているのである。日本の戦国時代も乱取りがあり同じだった、だからカルマなのであるかつてしてきたことがまた繰り返される。戦争もやはり終わることなくあり残忍なことがくりされる継続される。まさに人間の業でありカルマなのである。つまり人間からこうして。カルマは消えることなく継続されるのである。そして最後にハルマゲドンなのか、人間は滅亡するのである。


 ●榎本武揚の蝦夷共和国とは


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(3) 天皇率いる新政府軍に戦いを挑んだ旧幕府軍がつくった国【蝦夷共和国】 - YouTube


会津戦争はすでに百年以上過ぎているがそれでもなお長州藩の萩市と友好関係が結べないのである。それだけ恨みが残ったとなる

その傷痕は深く消えないのである。その悲劇が会津を象徴するものとなったのである。この武家の婦女子までが残忍にま殺されてしまったからである。

いずれにしろ明治維新から日本は国際政治に巻き込まれ否応なく戦わざるを得なくなったのである。だから300年の鎖国の時代は終わりついには第二次世界大戦に巻き込まれ3百万人も死んだとなる。必ずしもグローバル化とかはいいものでもなかったのである。貿易だけならいいのだが実際はそこで対立して戦争になり大きな犠牲を払ったのである。

江戸時代、300年はアジアでは戦争もなかったでもヨーロッパと大陸では絶えず戦争が行われてきたのである。ヨーロッパとロシアの戦いは江戸時代でも行われていた。それが今もうウクライナで継続されているのである。


奥羽道中 榎本武揚


鮮血留痕舊戦袍 壯圖一躓氣何豪

松陰凉動羽州道 白雪天懸鳥海高


鮮血(せんけつ)(あと)を(とど)む(きゅう)戦袍(せんぽう)

壮図(そうと)一躓(いっち)して(き)(なん)ぞ(ごう)なる

松陰(しょういん)(りょう)は(うご)く羽州(うしゅう)の(みち)

白雪(はくせつ)(てん)に(かか)って鳥海(ちょうかい)(たか)し


囚われの身となった今、私のこの軍服は過去のものとなってしまった。

この軍服にはあの戦いのときの血の痕が生々しい。

私は蝦夷(北海道)共和国の独立を内外に宣言した。

しかしその建国の壮大な企図は躓(つまず)いてしまった。

しかし私の心は少しもくじけてはいず、ますます意気盛んである。

私は今囚われの身として奥羽の道を歩いている。

その道に松の木陰から涼しい風が吹きぬける。

ふと見ると鳥海山には白雪がかかっていて、山は高く聳えている。



榎本武揚の蝦夷共和国は夢と消えた。この蝦夷共和国とは。実際は、東北列藩同盟と一体化するものとしてあった。現実に会津戦では新撰組も戦ったいたのである。旧幕府軍が会津藩を中心に薩長軍に官軍に抵抗したのである。この連合が強固なものとならず敗退したのである。 ただ東北という地域はもともと蝦夷であり化外の地として古代からあった。だからその延長として蝦夷共和あった。北海道新天地として新しい国を作ろうとしたということは理解できるのである。何か北海道には何回も言ったから親しみがある。北海道は東北と違ってその地を踏んだときから何か空気まで違っているのである。


だから意外と外国でも北海道は相当に人気がある。これもやはり北海道は日本的でなくその風土も違っているからである。田んぼがないということがそうである。清新の気がある大陸的である。だからこそそこでクラークとかが指導して内村鑑三とかが生まれたのである。北海道には確かにアイヌはいたが恐らくアメリカのような手つかずの大地が広がっていたという感覚であった。そこにも確かにインディアンがいたが土地は広大であり、未開だったのである。東北は会津でも古代からの歴史があり北海道とは違っていた。でも明治維新の時。東北、北海道が一体化した蝦夷共和国という発想は理解できるのである。


またプロイセンとかドイツとなるとロシアでも北方の風土であり。でありそれは北海道に似ているのである。北方的な気候であり森林でもエゾ松トド松とか北方的なものがあり寒いから高山植物でも平地に咲いているのである。それで本州とは違っていて魅力がある。田んぼでなく牧場の風景だということもそうである。だからドイツ的なものロシア的なものマッチしてくるのである。日本は沖縄から北海道と南国から北国の植生がありそこに変化がある。だから旅してても飽きないのである。中国などは満州でも果てしなくとうもろこし畑であり変化がないからである。日本は狭い国だけども。その風土でも地形でも変化がある国である。


posted by 天華 at 19:10| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年07月13日

golden temples made by image creator


golden temples made  by  image creator



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五月雨の降り残してや光堂―芭蕉

確かに雨が降っている、でもこれは京都の金閣寺である
でも何か森に隠されているようで神秘的である。そういう点ではみちのくという感じにもなる
いずれにしろこの風景は作られたものであり不思議である

言葉を入れてどうして?このように絵ができるのか?この仕組みがわからない。文章なら分かる?でもどうしてこういう絵が言葉の検索で出てくるのだろうか?それをどうして作っているのか?それがわからない。


ただ、これには著作権があるのだろうか?それもわからない。でもこれは確かに新しい芸術である。それを私は他人の写真とか絵で抽象画を作って来た。。著作権がどうなるのかわからない。オリジナルの絵とはは全く違ったようにもなっているからである。


ただ、これは抽象画ではなく明らかに具象画である。写真でもある。こんなこと絵の才能が全くない私など描けるはずはないのである。だからこのパソコンと言うのは芸術に関しても大きな影響をもたらしたのである。


それが今までの技術とは何か違っている。だから、これは頭脳と深く関係しているのである。パソコンとはAIは第二の頭脳などである。



Why with words? Can you make a picture like this? I don't understand how this works. If it were a sentence, would you understand it? But why do these pictures come up in a word search? How do they make it? I don't understand that.


But is there a copyright on this? We don't know that either. But this is certainly new art. I've been making abstract paintings out of other people's photographs and drawings of it. I don't know what the copyright will be. I don't know what the copyrights will be, because it looks completely different from the original picture.


But this is clearly a figurative painting, not an abstract painting. It is also a photograph. There is no way that I, who have no talent at all for drawing, could draw such a thing. So this computer has had a huge impact on art.


It is something different from the technology we have had until now. So this is deeply related to the brain. The computer is AI is the second brain, etc.

2023年07月14日

原発事故の原因の真相 青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る

原発事故の原因の真相


青山繫晴氏が国会で語るーyoutubeはマスコミより真実を語る



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(4) 【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました【虎ノ門ニュース,高橋洋一,原子力発電所】 - YouTube


【電力産業の真実】あの国が原因で起こった福島第一原発事故。青山繁晴さんが全てを話してくれました



●原発事故の原因が明らかになる


原発事故の原因のことを追求してきた。それが単に地震と津波で不可避的に事故が起きたのであり。それはやむをえないことだった。そういう風にに見る人も多かった。でも今になるといろいろ。別な見方が出ている。それは私自身が追求したことでもある。このユーチューブで追求していることも共感した。 


津波と地震が原因ではない。

国の行政の対処は悪かった。

行政で癒着が生まれていた

保安院は何の役にも立たなかった

アメリカのお古の原子炉を買わされた 

東電内で若い人の意見を聞かなかった

科学者集団の十数メートル津波がくるということを無視した。

その無視した無視できた人は東電の幹部であった。

・・・・・・・・・・・


何か私自身が言っていたこと共通したことがかなりあった。それは事故後に言われたことでもある。ただこの人は危機管理の専門家である。 東電とかでも何か対策をしない。地震津波であれ事故に対して対策をしないということではなかった。

ただそれが実行されなかったので。だから若い人の意見をきいて防潮堤を高くして作りとか他でも対策は検討されていたのである。

専門家の科学者一団が津波が十数メートルの津波が来るとして警告もしていた。しかし、それも無視された。だからその責任がすべて地震と津波であり不可避的なものとして起きた起きたのでありその責任はないとなった。でもいろいろ検討すれば明らかにそれだけではない。責任があったのである。 

つまり危険なことが内部からも。外部からもすでに指摘されていたのである。

ただ、それが上層部や政府や関係者が無視したのである。


●権力によって必ず歪められる社会


そしてそこには必ず権力が持っている者がいてそれによって歪められる。


その権力をもっているものが。アメリカでもあった。


社会というのは必ず権力によってゆがめられるのである。権力を持てば得をする。悪い事しても咎められることもない。そして誰でも権力を持ちたいとなるなる。その権力にもいろいろあるが。金も最大の権力である。巨額のお金を使用できることが権力になる。それは原発でもそうだった。その巨額の金は想像もできないものだった。それは事故前でもそうであり事故後もそうだった。国の予算の何兆円という金が湯水のように使われていたのである。そのお金を使えば危険も無視される。誰でも金を欲しいから危険に眼をつぶる。地元の人でもお金をもらえば何も言わないとなる。こうして危険は無視されたのである。


その権力を持つものの最たるものがアメリカという巨大な権力である。これこそもう逆らうことはできない。だからアメリカでいらなくなったお古いのマークワンという古い原子炉に日本に売ったのである。それを買った日本にも問題はあった。でも相手がアメリカだとなると従わざるを得ないのである。このように原発は国際問題でもあった。原発は外国でも事故にあれば周りに影響するから周りでも監視しなければならないものであった。その国は勝手にできるというものでもなかったのである。そして今になってトリチウムの海への放水が世界で問題になっているのである。魚が汚染されるとかで問題になっているのである。


ともかくこの世で問題になるのはこの原発問題でもその事故の原因はなんであったかというと必ずしも地震津波ではない。人間側の問題としてあった。そこに人間側の不用意が問われたのである。

その人間側でも誰が責任があるかというと権力を持ったものなのである。若い人たちが防潮堤を作れとか高くしろとか東電内でも提言していたのである。また、科学者集団が十数メートルの津波がくると提言していたのである。

でも東電の幹部はそれを受け入れなかった。だから東電の幹部には重い責任があった。でも何ら責任をとっていないのである。財産没収くらいしてもいいのだが、それもされていない。つまり権力を持つものは責任をもつのである。実際に若い人たちが提言していたのに無視した。その無視する能力を持った者は権力を持つものだからである。だから、実際は権力を持つということは非常に責任があり怖いことなのである。


●報道も権力によって歪められる


でも誰も権力を持ちたいというのはそこで金になり得するからだ。結局全ては権力によって歪められる。そして人は権力に従うのである。マスコミでも実際は福島県の福島民報などは県の出資が半分であり創価の聖教新聞を刷っている。または宣伝で成り立っている。ほかの新聞も原発組合の電事連から800億円もの宣伝費が出ていたのである。

だから何も言えないのである。事故が起きていた時そのマスコミの幹部が中国に招待されていたのである。朝日新聞社でも招待されていたそのことでもわかる。いかに権力によって歪められるかである。というのは新聞を作り発行することは莫大な金がかかるからである。


するとその金をどうするのかとなる。 新聞を読む人から金を取るだけでは足りないからである。そこで宣伝費をもらい成立する。それで双相リテックとかを宣伝していたのは東北政経だったのである。双相リテックことは除染で大儲けした会社であり。大した技術がなくても幹部でその金を何10億のお金を山分けした。銀座で遊んでたりしていたのである。それもやはり雑誌を出すにしても金がかかるからである。つまり報道するにしても権力が必要なのである。金もない権力もない人は。何も言えないのである。ただインターネットができて発言できるようになったときある程度は報道の自由が生まれた。プログなど手間がかかっても金はかからないからである。でも別に写真とか動画でも出せるのである。そこが大きく変わったことである。


本にしても雑誌にしても私自身図書館にお前は個人というだけで本すら置けなかった、権力のないものは簡単に無視されるのである。

何か発言するにしても本を出すにしても、必ずその背後に組織団体があって発言できているのである。純粋な個人が発言すると言うことが殆どできないのである。一見個人が発言するように見えてもその背後には大きな組織団体があって発言できているのである。だから背後に組織団体の権力をもたないのは何も発言できない。ボランテアでも20人が集まらないとできないのである。現実に駅でボランテアしたら警察に公然と職務質問されてできなくなったからである。公務員とは、そういう権力を持った人であり図書館に本を置かせないということもできるのである。また出版もさせないということも簡単にできるのである。そこには警察もかかわてくるのである。東電には自衛隊でも幹部が天下りしていたからである、だから民主主義でも表現の自由などないのである。 

マスコミはたとえ発言ができても司会者が中心でありその脇役として多少コメントさせてもらう。


だから最近ユーチューブを見ているとテレビには出ていたがその本人がユーチューブに出て話しているのを聞くと何か違っているのである。今回でも青山氏はテレビにも出ていた。でもその人の言ってることはつけたしのようなものであり、その人の全体像はわからない。今回でもこの人は何の活動をしているのか?危機管理の活動をしている。そしてフランスにも実際に行ってその暴動のことを語っていた。そんな活動をしているのかとわかったのである。その個人のことは今まで報道されていない。だから分かりにくいのである。マスコミをとうして語るとき必ずマスコミの意向が反映するから。その個人のいうことが必ずゆがめられるそこで誤解をするのである。こうして個人自体がユーチューブで話す事は違っているのである。その辺が報道でも変わったことである。





posted by 天華 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2023年07月15日

蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中 (合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


蜉蝣は初秋の季語なのか?ー無常迅速の世の中

(合歓の花、ノウゼン、藪甘草)


鷺眠る地を汚さずに合歓の花

身に着きぬ蜻蛉手に我が老いぬ

はかなさや蜉蝣いとしむ一時を

ノウゼンに夕日の射して散り落ちぬ我が家の前街の中かな

藪甘草十輪ほどや集まりて咲くや草深き里我が住みしかも

蜉蝣(かげろう)この弱々しい虫は、成虫になって1日で死んでしまうことから、「はかなく短い命」の象徴として、「かげろうの命」という言葉が作られた。
日本以外でもこのイメージは同じだったようだ。
カゲロウの仲間を意味する学名「Ephemeroptera」は、「1日」という意味と「翅(はね)」という意味のラテン語から作られた造語である。

蜉蝣は初秋の季語となている。でも6月でも出始めて九月ころまででる。私がいつも見た記憶があるのは6月とか7月である。だからどうして初秋の季語になているのか解せない、ただそれなりの理由はあるのだろう。季語にしても一人では決められないだろう。

その蜉蝣が外に出て身に着いたので手にとった。それはなんでもないことだけど何か人間は老人になるとこんなことでも感じ方が違ってくる。何故そうなるのか?それは死がまじかでありこの世とも人とも別れるからである。実際自分の家族は全部死んだ。60年も一緒にくらしても死ぬと呆気ないとつくづく思う。
だから人間でもかげろうのようなものだともなる。でもこいうことは若い人は感じないのである。

しかし人間んはたちまち老いる。だから人の出会いでも本当にはかない、50年前でも会った人をふりかえるとそんな人いたのかとまでなる、現実に5年間子供の時一つ屋根の下で暮らした女性はその人はいなかった言っている。その人は普通の人でないからともなるがでもそんなふうになてしまう。人と出会ってもどれだけの人が記憶しているだろうか?

ほとんど記憶から消えてゆくのである。でも若い時はそう思わない、いつまでも青春がつづくと思ているし老人になるとも思っていないないのである、これが人間の一番の盲点だったともなる
そして30過ぎて40頃になるとすでに白髪が生えてたりする
40過ぎるともう老人に向かっている、これほど時間が過ぎるのが早いのである。無常迅速なのである。

そして時代もめまぐるしく変わる。この辺での変わりように驚いた。津波原発事故で村ごと消失したり町や村が廃墟のようになった。それも信じられない変化だった。これを予想はできなかった。このように世の中の変化は激しいのである
ともかく老人になると深い見方ができる。それは別に優れた人だけではない、老人が何か悟ったような賢い人に見えるのはやはり人生の現実を死がまじかだということを否応なしに突き付けられからである。あと何年生きるのかとなればそうなる。末期の目でみることになるからである。

合歓の花は終った、これも咲く期間が意外と短い、いつも田舎で鷺を見ている、鷺は自然と融合して自然を乱さない、そして眠りにつく、合歓の花のように眠りにつく、安らかであり地を乱さないのである。
なんかこのところ暑く夏バテになった。不思議なのは蛙がなかない、これは原発事故の影響かと思ったが田んぼが復興したとき蛙が鳴いていた。蛙がいないのはなぜだろうとなる。まだ蝉も一羽くらいは鳴き始めた、蝶もあまり飛ばない
この辺は雨がすくなくそれが蛙が鳴かないのか?他でも蛙がなかないと報告がある。その理由がわからないのである

2023年07月16日

日本が衰退するのはなぜか? (将来の見込みが約束がない)

日本が衰退するのはなぜか?


(将来の見込みが約束がない)



なぜ将来の約束が大事なのか?ある人がお金を貸してくれと言う。金はは返すという。ではそのあてがあるのか?それはこの辺で原発事故の補償金が入ることである。私の地域は少ないにしても、やはり15万くらい入る。そのお金が入るからと貸してくれと言う。それは確かに入る金だから返せるとなる。

でもおかしなことはその15万入る金以上のものをすでに貸しているのである。でも確かに15万入るということはその金は返せるということである。不思議なのはそうして将来に確約されるものがあれば人は安心して金を貸したりできる。 


金も何も確保できない人には誰も金でも与えない。ただ、将来にそうして得るものがあり、確約されていれば金でも与えたりする。

なぜ大学に入るのに奨学金を借りてまで入るのか?またなぜその奨学金を貸すのか?それは働くようになってから返せると見込みがあるから貸すかすのでる。つまり若い人の有利なのはこれから働く力があり、稼ぐ力があるということである。その将来を見込んで金を貸すのである。老人に金を貸しても将来が見込めないから投資しても無駄だとなる。せいぜいいくらか寿命を延ばすだけだともなる。



そうしてなぜ今日本は不景気であり経済も30年も停滞しているのか?その原因は何なのか?将来が見込めないそのことにつきている。例えば高度成長時代だったら利子が3%とか7%とかあり貯金していれば利子がついて安泰だったのである。

今やそういうことはないむしろ貯金していても預金封鎖があるとか利子もつかない手数料が取られるだけだとかなってしまう。そうなると将来に対して見込みがなく不安だけになり消費意欲もうなくなってしまう。景気は気だというとき気力までなくなってしまうのである。

それが社会全体を覆って社会全体が何か気力がなくなってしまう。それで投資とか株は心理学の問題だと言っている人の言うことも分かる。それは気だからである。その気がただ衰える方向にしかない。それでますます全体が落ち込んでゆくのである。 


だから意外と将来が約束される収入の見込みがある。成長する見込みがある。お金が入る見込みがある。そのことが安心となり金を貸すこともできる。でも変なのは15万入るとしてもすでに30万以上とか払うことにもなっていた。それが何かおかしいのである。でもそのことはやはり将来に15万でも入ると言うことが約束されているから。安心して貸しているのである。実際に将来入る金より多くの金を払っているのである。だからこれは何なのかとなる 

人間にとって将来の見込みが将来に得るものがあるとき確約されている時人間はそのために今金が無い人でも金を払うとなる。


今、日本が30年も衰退しているのは?将来に対して何か成長でも利益でも見込めるものがないからである。技術的にも何か日本は遅れた。そして全般的にも日本はit化できないとか色々な面で遅れてしまったのである。そこで日本は将来の見込みがない。投資家でも投資しないのである。将来の見込みがあるとき日本も外国から投資される。でもそういうものがない時。日本は外国から見放されるのである。


だからキリスト教で神の国を最初に求めなさい。そして神の国に入る約束を得る。そのことが大事なのである。神の国に行けるということは約束されれば将来に対して安心なのである。 

なぜなら、人間は必ず死ぬ。巨万の富を蓄えても死んだらそのお金も使えないのである。 この世は何をするにしろ一時的に生きる場所でありいずれは死んでしまう。そして結局空しくされるということである。文明でも実際は大したもののように見えてもそれが最後は墓場になっているのである。


エジプト文明でもそうだしマヤ文明でもそうである。巨大なピラミッドでも建造物でもそれははかないということである。ピラミッドなどはその時間に抵抗して残り続けようとする意志の象徴である。そのピラミッドすら砂に埋もれて消えるかもしれない。いくら時間に抵抗しても最後は消えてしまうともなる。 そこに確かにヒエログリフで石に記してその功績を後世に残そうとしてもそれもはかないものとなる。


大都会もいずれは巨大な墓場となってしまうのである。永遠の都は天にしかないのである。この世の都はすべてそうして廃墟となり、墓場となってしまうのである。だからこれでいくら努力しても無駄だとはなる。最後は空の空になってしま。だからと言って、人間の努力を全て無駄にとは言えない。でもこの世で何か本当に価値あることを達成するということが出来ない。本当の価値は神の国でしか実現しないのである。


そもそも正義とか公平な裁きなどは実現しないのである。いくら法律を作ってもその法律もまた悪用される。だからこの世で正義であれ公正であれ実現しないのである。その努力は続けられるとしても現実は実現しない? 実現できないのである。つまりこの世はそういう場所であり人間の力では変えることはできないのである。だからこの世から悪はなくならないのである。だからこの世はいずれ神によって滅ぼされるのである。神の意にかなうことは絶対にないからである。確かに改良は続けられる。それがすべて無駄だとは言えない。 でも根本的には変えることができない。


それはなぜなのか?例えば社会体制が変えたとしても共産主義にしてもそれも結局独裁制とかなり全体主義となり何千万人の人間も殺されたのである。また資本主義でも限界にきている。民主主義でもそうである。何か制度をつくってもシステムを作っても人間自体が変わることがないからそうなる。だから、そもそも全体を変える事は不可能なのである。そしてまたこの世を理想郷にする事も不可能なのである。 

一つの問題を解決しても、また新たな問題が生まれ永遠にこの世から問題を解決することができないのである。 人間にはそれだけの知恵が持てない。それはできるのは全能の神しかないとなるのである。


エジプトの神像の永遠にあれと

そも儚く時に抗うも虚し

その偶像は地に倒れ砂に埋もれぬ

ナイルの岸辺月影に照らされて

ヒエログリフは浮かびぬ

その日は遠く神秘なるかな

謎は深まりその解明はつづく

ただそこに今聞こえるは一なる神

アッラーの声にして神像は虚し

巨大にして威を保つも

そに祈る者はなしも

そは神にはあらじ巨大な石塊となりぬ

畏れる者もなしも儚し


posted by 天華 at 11:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年07月17日

戦後70年を振り返る (縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)


戦後70年を振り返る


(縮小化する日本の衝撃ーインフラも維持できない)



●戦後世代の主なもの


団塊の世代。


バブル世代が4年制大学を卒業して就職するのは1987年〜1992年頃で、1986年〜1991年のバブル景気の頃とほぼ重なります。幼少期も日本の高度経済成長期と重なっていて、日本の景気がいい時代の影響をうけて育った世代です。


氷河期世代。


就職氷河期世代とは、1993年〜2005年度に卒業した人たちということができます。


平成15年の就職率は55.1%であり、かなりの就職難であったことがわかります。


また高校卒業者に関しては、たったの16.0%しか就職できていないのです


就職氷河期に入ってからは初任給は20万円を下回るようになりました。


また、どんなに頑張っても初任給から給料が上がらない、ということも珍しくなくなりました。

フリーターやニートが急増している今の時代、正社員として就職することが難しかったり、諦めざるを得ない現状があります。


現代の社会構成は主なものとして戦後の焼け野原から始まった。団塊の世代と高度成長を経験した続きとしてバブル世代の人たちがいる。そのあとにバブルが終わり氷河期世代が始まり失われた30年があった。バブル世代までは今の50代ぐらいまでは高度成長の恩恵を受けたのである。でも氷河期世代からは失われた30年となりそうした恩恵を受けていない。就職すらまともに出来ない時代になったのである。


だから氷河期世代は一番損しているとなる。 何かフリーターとかの自由な働き方を自ら選んだ人たちだというふうにも見られていた。。実際は違っていた。非正規の働き方はむしろ就職できないので正社員になれないのでそうなったのである。だからこの世代は結婚してない人が多い。何か田舎でも私が合うのはニートとかことおじとかである。氷河期世代の人たちでその人たちはどうも結婚してない?40代なのか?50代でもいる。そういう人が近くにいた。


とにかく40代50でも結婚して居ない人が多いことがわかる。団塊の世代はほとんど結婚している。結婚してない人は変わり者であり。例外的存在であった。それは自分自身に言えた。でも今は違うそういう人が相当数いって別に変わり者でもないのである。

でもその人たちを見ると長男の人もいたりいずれは家の跡も継がず家自体が空き家化してくれる?氷河期世代は団塊の世代の子供達であり数が多いからその影響もまた大きいのである。

これは田舎とか都会とかと関係ない。一定数の人が何割かが確実にどこにでもそういう人たちがいる。だから、これは田舎と都会の問題でもないし全国的な問題なのである。この問題はだから団塊の世代のの中で私のように変わり者はならない社会全体の問題となっているのである。それは数が多いからそうなっているのである。 


●温泉ホテルの廃墟化


バブルの世代団塊の世代も数が多くその人たちは高度成長時代を築いた。その後の時代のことがよく理解できないことがある。ただ、バブルがはじけて会社の経営が苦しくなり団体旅行もなくなった。そのために団体旅行の慰安のの場となっていた温泉旅館がホテルが全国的に廃墟化したのである。そこで金を使った人たちがもう使わないからである。 それは一時期の繁栄の跡として廃墟化している。福島県だと東山温泉とか 飯坂温泉である。飯坂温泉は奥の細道の行程の中にある。そしてイ一本の電車が通っていることで魅力もある。


 そこは歴史の道であり。医王寺は義経の家来の佐藤氏の墓所でもあり。芭蕉も寄ったところである。 そういう歴史的場所はやはり価値がある。古い白河街道は街道は猪苗代湖の湖南町の福良の方にある。鉄道の通っているところではないのである。そこを私はそこで私は蔵の宿に泊ったのである。だから昔を偲ぶならその街道をゆくべきなのである。


とにかく70年生きればその人生を振り返る。この戦後から70年は一時代だったと思う。それは明治から太平洋戦争までが70年だから一つの時代だったのである。ただその中でも団塊の世代バブル世代氷河期世代世代が大きな塊としての特徴ある世代だったのである。 


●バブル時代の夢の跡と化した温泉街の廃墟化


その時代の中で温泉旅館やホテルが廃墟化したのである。ただ、私はそうした団体旅行用のホテルとかは苦手でありほとんど泊まっていない。第一温泉ホテルは高いからである。また自転車旅行だと泊まりにくいからである。また断られたこともあるからである。


私はその頃、時間はいくらでもあっても金はなかったからである。最低の旅行しかしてないのである。私はただ泊まればいいと言うだけだったのである。 だから私が思い出に残ってる宿というのはほとんどない。福島県だと福良の蔵の宿が思い出となっている。 現代はそもそも旅はなくなり旅の宿はなくなっている。江戸時代ならどうしても歩く旅たびだから必ず宿で休まない限り旅はできない。というのは相当に疲れるからである。だからこそ旅籠に着いたとき足を洗うのである。それがもてなしである。なぜなら歩くのだから足が汚れるからである。それも草履で歩いてくるから足が汚れるから足を洗うのである。旅籠は相宿であり一つの部屋で一緒に過ごしたのである。ただ殿様だけは陣屋に泊まり特別だったのである。 


温泉旅館はホテルはそうして旅人をもてなす場所ではない。会社の団体旅行をもてなす場である。団体旅行の慰安の場所である。農民の湯治場として温泉があった。それが会社の慰安の場所となったのである。その会社がバブルがはじけて温泉のホテルの団体旅行は衰退した。そして廃墟化したのである。それもバブルの夢の跡だったとなる。


それにしても。温泉旅館ホテルだけではない。駅前通りさびれてシャッター通りになった。それは車社会の影響でそうなった。それは北海道でもそうであり。北海道はやはり温泉ホテルが廃墟化しているところはかなりある。ま駅前通りにも廃れたそれは全国的なことである。今賑わっているのは車が休むSaであり道の駅なのである。


 相馬市のイオンも撤退した。その影響も大きかった。そこが。街の中心の様にもなっていたからである。そういう大きなビルが廃墟化すると街全体にの影響が大きい。だから街づくりというのは、そうした大資本とかその他チェーン店でも経営できなくなる?経営できなくなるとどうしても。撤退する。でも前のように小規模だったら、商店でも食堂でも地元に根付いて経営で来ていたかもしれない。 だから街作りも見直す時期に来ているのかもしれない。


ただそれは車社会とか他にも社会自体の変化にあり簡単には変えられないだろう。でも戦後70年過ぎて色々変化があったが。また変化が起きてくる。もう日本全体がそうなっているのである。なぜなら。ゆうちょう。農協とか地銀でも信用組合でも何かもともとあった、そういう金融機関でも役割がなくなってきているからである。

だからそこに就職すれば、田舎だったら安定したものとなったがそれもなくなるとなる。何かもう安定し就職する場というのもなくなってきている。


これからどうなるのかということが見えない。ただ戦後70年過ぎて、また大きな変化があり変革が要求されていることは確かである。その極端なものとして津波原発事故があり温泉旅館ホテルの廃墟化があり駅前通りシャッター通り化がある

クルマ社会というものは?相当に影響していてもし車社会が多少変われば街の通りでも歩く人が出てきたり街に。にぎわいを戻すかも知れない。つまり常に社会は変化する。その大きな変化が70年ごとにやってくるのである。それが今なのである。だから、こういうときは大きな天変地異も起きてくる。この辺で起きた津波原発事故はそうだったのである。その後遺症は大きく。いまだに回復していないのである。 


●縮小化する日本の社会の衝撃


この20年で廃校になった公立小中学校は、実に8500校を超えています。


全国「3万の橋」がいつ崩壊してもおかしくない「日本の現状」がヤバすぎる…「都市部への引っ越し」を考えたほうが良い理由(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース




廃校になった学校も本当に多い、テレビで廃校になった前の店で学校からただ何か鐘の音が音楽が聞こえてくる、それも淋しいと思った、それだけもう村には跡を継ぐ子供がいないのである

それで長野県の廃校が宿舎になているところに泊ったのが思い出となっている。


このように戦後70年でインフラすら維持できなくなっているのである。その金ももまたマンパワーも不足しているのである。そうなると放置されて危険になる事故にもなる。空き家にしても膨大なのである。それを放っておくと危険にもなる。でもそれを利用する人がいないのである。

少子高齢化であれ、縮小化してゆく社会の衝撃が大きいのである。だからこそ社会自体を見直し対処しなければならない。そこでこれまであったものが維持できなくなる。また切り捨てる事もしなければならない。そこに相当な痛みが生じる。でも何もしなければますます社会が衰退して温泉街でもそうだが廃墟化してくる。この辺では津波と原発事故で村自体がいくつもなくなり町自体も廃墟化。だからこの辺はこれから日本社会が直面することを先取りしたものとなっていたのである。

すでに原発事故の周辺は住むことが難しくなっているからだ。極端なものとして人口減少が起きてそれを維持することができなくなっている。


だからこそ人口が移動して南相馬市なら原町とか鹿島区にまた相馬市に移住した人が多い。都市部に移住しろというとき創もなっている。そのことは確かに日本の未来になるのかもしれない。小さい町とか村が維持できなくなる。そうあってほしくないとしてもそういう社会になっているから人はもう限界集落とかインフラのないところには住みたくないとなってしまったからである。それがいいものではないとしてもどうにもならないということがある。多様な場所に多様に生きるのがいいと思う。それが昔の自給自足的生活だったらできたのである。でも電気がないとか病院がないとかスーパーがないとかそんなところに暮らしたくないとなれば、そうなってしまうのである。 




八坂村の廃校の宿

犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り 
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり

posted by 天華 at 12:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

facebookを始めたーでもまだ使いこなせない


facebookを始めたーでもまだ使いこなせない

南相馬市の鹿島区の真野川の土手のサイクリングロード

鹿島区の夜の駅前通りの動画を出した


facebookで動画を出せる、簡単にアップできるのがいい、今は実験中である、何かまだわかりにくい、でも動画を出せることはいい、他にも写真とか出している、プログと連携する。やはり動画が簡単に出せることで使えるとなるのか、ここは映像が中心である。
問題はここもいろいなものが出すぎるのである。エロ動画も必ずスクロールするとでてくる。それで混乱してくる、ただうまく使えば内輪のコミュニケーションにも使える。ただそれもめんどうである。そういう機能があることはわかった。