2023年06月01日

栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家 (牡鹿半島が見えたー青葉風、夏つばめ、夏鶯、、、)


栃窪の塩の道から八木沢峠の麓の家

(牡鹿半島が見えたー青葉風、夏つばめ、夏鶯、、、)

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牡鹿半島と松川浦が見える、大きく見えたのは驚き

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AIで作った画像

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八木沢峠の麓の家ーここから山に登る道がある

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五六羽の夏鶯の競う声
大原や黒揚羽三羽夏あざみ
青葉風軽快に走るサイクル車
駐車場車あまたや夏つばめ
喫茶店夏の空にや昼の月
つつじ赤く車の絶えじ六号線

登り来て青葉の山の間海見えて牡鹿半島連なり見ゆる
山囲み家の見えじも誰が住むやここに暮らして何思ふらむ

栃窪から塩の道を登ってゆくと道は崩壊していた。でもそこから男鹿牡鹿半島がはっきり見えた。こんなところから見えるのかと発見だった、意外と浜通りは海を通じて地理的に一体感がある
まず見えなとしたら地理的一体感が感じないからである。
浜通りは阿武隈山脈にさえぎられて吾妻山でも見えないからである、ましてや会津の山は全く見えないからそこは同じ福島県でも別世界なのである。
ただ蔵王は南相馬市でも鹿島区からでもはっきり見えるから山形県と一体感が感じるともなる

塩の道を上って行って助の観音からさらに登ると崖崩れがあり飯館村には行けなかった。それで引き返して上萱(うえがや)を通り八木沢峠の下の道に出た。そこで一軒の家がありそこには人は住んでいない、でも車があったから全く放置はされていない、そこは小高い山に囲まれていて不思議な空間だった。家が見えない、ただ山に閉ざされた空間だった。
その前は湿地帯になり黄菖蒲があまた咲いていた。もともと日本はこうして湿地帯だったところが多い。だから菖蒲田とかの地名がある。
そもそもこうした辺鄙な所に人が住んだのか、そこでも暮らしがなりったったからだろう。その一軒の家から山の中への道があり結構長い道を上ると行きずまりになっていた。

その道にも人の手で作られた石垣があり人がこの道を利用していた。何か木材とかを利用していて道を作っていた。
炭焼きなどでもしていたとなる。なにかしら生業がないと暮らせないからである。
ともかく人間は住む場所によって気持ちでも変わる、家も見えない山に囲まれたところで住んでいたらどんな気持ちになるのだろうかと思う。街が全く見えないからである,隠棲の場所としてはいいとなる。でも不便になるから車がないと生活できない、その家には車があるから人が住んでいるようにみえる。全くの空家とは違う、ただ空家化した所も多い、とにかくあんな不便な場所でも人は住んでいtえ暮らしていけたのである
そういう場所は日本でもいたるところにある、やはり炭焼きとかがあり暮らしがなり立っていたことが大きい、その時山は活きていたのである。

そこから下って来て大原にでてイオンに出て休んだ
昨日は陽射しも強くなく快適だった。五月の気候は気持ちいい時であったが最近暑くなりすぎたのである。陽射しが強いと熱中症になるので出れなくなった

2023年06月02日

長野県中野市の警官銃殺事件の深層 (銃を持つこと警察で許可したのは親が市議会議長だったから?)

長野県中野市の警官銃殺事件の深層

(銃を持つこと警察で許可したのは親が市議会議長だったから?)


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長野立てこもり事件】精神科医:和田秀樹としての見解


ここの解説が興味深かった。なぜ銃を持つ許可が降りたのか。その理由が父親が市会議員の議長であり土地の有力者だった。それで父親の威光で許可されたと言っている
それも確かにありうると思った。警察とかは弱い者には厳しいのである。でも権力も持つ者には忖度する。地域でも田舎でも有力者がいればその有力者に媚びる。
警察自体があるある意味で銃なのである。暴力装置であり強制力を持つ最大の権力なのである。それは自衛隊とは違って常に日常生活で庶民にその暴力をもっと暴力装置で強制する力を持っているのである。

でも警察の問題は大きな権力には弱い従うとなる。三権分立でも警察の力はやはり時の権力者に弱いのである。
そのことは庶民も衆知している。庶民でも警察を一番恐れているからである。身近に警官には直接触れるからである。交通事故でもそうだし日常的に警官に関わるからである。そして脛に傷を持たない人間はいない。そのために江戸時代の目明しのように警官は嫌われる存在なのである。

でもその土地の有力者とか権力者となると警察自体が媚びて大目に見ることがある。それで今回でもなぜ銃を持たせたのかをここで指摘している。それはやはり父親が市議会の議長であり有力者でありそのためだったのかということで納得する。
警察は巨大な権力には弱いし忖度してそこに犯罪があっても見逃すともなる。それがカルト教団とか分からないにしても創価などでも常に警察が強制的権力を持っているので何か犯罪があっても表沙汰にしないようにしているともされる。
つまりこうした大きい権力には警察でも弱いとなる。
だからこそ逆に人は権力を利権を得たいとなる。

そもそも人間の問題として権力というのはそれ自体が大きい問題を抱えている。権力というとき暴力装置としての機関だけではなく金も権力を持つ最大のものである。
これによって金によって人を支配することは容易だからである。
だから貨幣には時の土地の支配者たる王の像が刻まれている、貨幣でも紙幣でもそれを発行する力を持っているのはその土地の国家の支配者だからである。
ドルが世界基軸通貨となっているときアメリカが世界を支配していたとなるからである。
だから三権分立として暴力装置である警察とかでも行政から独立した権力を持たせるようにした。
つまりいかに権力を操作する権力を制御する権力を暴走させないそのために三権分立が生まれたのである。

権力は暴走する

銃は暴発する

それは歴史が証明している。ナチスであれ日本の戦争であれ権力が暴走することを止めることができなかったからである。
だから権力をどうしたら制御して大きな災いを産まないようにするのかが大問題なのである。
そして警察を利用する操作する背後の大きな権力が問題になる。だからこそ警察でも地域で働くにしても土地の有力者の方が権力者であり忖度し銃でも許可したとなる。だから警察にも許可を与えたものにも責任があったともされる。
つまり市議会の議長が父親でありその父親がいてその子も大目にみられたのである。ともかく人間は利益を得たい必死になっている。得する地位や職に就きたいとなる。それで公務員は得する立場にあり羨ましがられるということがある。それは親は公務員だったので分かるのである。

権力というのは銃とも似ているのである。銃を持つことは権力を持つことである。武器を持つことになるからである。
だから革命というとき共産主義でも武力革命であり暴力が肯定されていたのである。創価学会などでもそこで言われるのは指示されるのはいかに権力を取ることかである。
それしか頭には無い。その権力を奪うためには民主主義社会では選挙になるから日日選挙活動でありそのために毎日祈っているのである。すべては数であり一票を得るために日々祈り活動しているのである。これも政教分離にが違反しているのだが自民党が公明党と一体化しているとき法律も無効になるのである。

要するに権力を持てば法律など関係なく思いのままにできるということである。日々の生活でも人々は権力を得たいと思うのは権力を得れば思いのままにできるということを知っているからである。それは頭では無い日々の生活の中で具体的に知っているからである。権力を得れば利権を得ていい暮らしができるとなっているからそれは法律に違反してようが権力をもっているものには逆らえないからそこで大きい災いがナチスのように生まれてくる。
権力が巨大化すればもう誰も止めることはできない。戦争にもなり何百万人も死ぬことにもなるのである。
カルト教団は創価などでも頭にあるのは権力を得たいということしかない。それでなぜ創価が東京の選挙区にこだわり自民党ともめるのか、それは東京都が認可権をもっているからだともなる。

原則として、宗教法人の認可は、自治体によります。つまり、その宗教の本拠地がある自治体です。
東京にあるなら、東京都です。

ここで警察の予算にも口だしているというのもそうなる。でもそれを制御しないとナチスのよなり大きな災いとなるのである
いずれにしろここでは銃の問題を指摘したがそれは大きくは武器の問題であり権力の問題でもあった。だから父親が市議会の議長であり土地の有力者であったことが警察でも忖度して危険な人物に銃を与えたということである
結果的に警察で土地の有力者に忖度してその災いが警察自体に及んだともなる。これもカルマだったとなる。権力者でもその上の権力者には媚びるとなった。
・・・に刃物だったのである。それは核兵器とか原発にもいえたのである。ヒットラーでもプーチンでも独裁者にそれを許可して使わせたらどうなるのか、その恐怖が具体的にウクライナ戦争で今でもありうること知ったからである。
この事件で背景がいろいろあるにしても銃の問題があったということこの観点から指摘したことは大事である

posted by 天華 at 11:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年06月03日

相馬藩内の市町村の特徴−花から見る (地理と風土が基本にあり飯館村も一体であった)


相馬藩内の市町村の特徴−花から見る

(地理と風土が基本にあり飯館村も一体であった)

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市町村の特徴はどうして作られるのか。それはまず地理とか地勢とか風土を基本にして形成される。それを基にして歴史が形成され個性が作られる。相馬藩というとき規模が小さい、六万石だから小さい、でも地形的には変化に富んでいる。
海があり山がありと地形的に変化がある。海の民山の民の国だとなる。それは日本が海彦山彦の神話があるごとくそういう国柄だからである。だから飯館村が相馬藩だったの一見離れてみえるが地理的に一体なのである。なぜなら南相馬に主な川が三つあるとして真野川は飯館村の大倉の真野ダムに通じている、その川は佐須を源流としている新田川は草野の飯館村の中心地を源流としている。

こうして飯館村地理的に離れて別世界になっているようで海側の南相馬市と一体なのである。だから放射性物質でもフレコンバッグが破れて流れ出しいたというときそれが川を通じて流れてくるから騒いだのである。真野ダム蓄積した放射性物質も真野川を通じて流れ出してくる。だから飯館村と南相馬市は一体なのである。それはすでに鎌倉時代でも鹿島区の鎌倉から来た岩松氏の領地になっていたことでも歴史的にも一体化していたのである
相馬藩になっても山中郷としてあり野馬追にも出ていたのである

ただ飯館村が海側と違った高地にあり温度でも5度も違うということはそこは亜寒帯であり植生も違っている。
なぜなら海側は浜通りは温暖だからである。それで照葉樹林帯の南限の地としてマルハシャリンバイが海老地区に指定されていた
また多珂神社の近くにスダシイ神社があるのも南国的な照葉樹林帯に属するか自生したとなる
そして大和王権が鹿島区辺りまで支配地とした。それで万葉集の真野の草原の歌は気候の境界線であり草原でない、かやはらを萱を歌ったものではない、大和王権の支配地として認定された歌でもあった。そこに大きな歴史的意味があったのである。

ともかくその土地のことを肌で知ることはむずかしい、その土地を知ることはまず地理と風土を知る。そこから始まる。
ところがそれは地図を見てもわからないのである。なぜなら地図を見てもなかなか土地の高低がわからない、モンゴルでは海抜が1000メートルある。飯館村の海抜が平均500メートルくらいだから倍の標高さがある。飯館村で平地の海側より温度が5度も違っている
そのために飯館村では冷害があり飢饉となり苦しんだ歴史がある。米がとれなかったからである。
ただ夏は高原地帯となり涼しいのである。

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このようにモンゴルは冬は非常に寒く厳しい地帯なのである。
日本人が北海道の人がテントで一年間暮らして一回り痩せたと言っていた。ということは栄養がとれずにやせたとなる
服でも分厚い服を着ているのは冬が寒いからである。
マイナス30度くらいになるから厳しい風土なのである。

世界になると地理でも風土でも知ることは簡単にできない、地図を見ただけではわからない、それが近くでもそうなのである。
海側と山側では特に飯館村は相当に風土が違っているのである

そして最近飯館村の森に銀蘭が咲いていることを教えられた。
その花は森の中に入らないと見れないしあいの沢の管理人は教えないと言っていた。採ってゆく人がいるからだと言っていた
確かにこの花は森の中でしか見れないとしたらめずらしいとなる
白色の花が暗い林内では銀色に見えるというときこの花の神秘は森の中で見るとき感じるものなのである。
それで飯館村の花は銀蘭にした。でも一回も見ていないのだからこの花が適当なのか問題になる。でも森の中に咲いているということで飯館村にふさわしいとなる。
それから原町の花をヒマワリにしていたがこれは外国産であり自生したものではない、それで小川町の川の土手に咲いている夏菊がふさわしいとみて原町の花は夏菊にした
相馬市は城下町であり藤の花があっていた。鹿島区は草深いとなり藪甘草が合っていると見た。小高区は最初に相馬氏が城を築いた所であり枝垂桜がさいていたのでふさわしと見た

ただ南相馬市というとき範囲が広くなったので町とか村の特徴を消したことはある、つまり南相馬市より原町市に方がふさわしかったからである。原町というのは長い間なじんだものであり南相馬市というのはただ相馬市の南としかならなかったからである。
それが無味乾燥にしたとはなる。相馬市は江戸時代の城下町でも原町市は常磐線の機関区となり別な発展をして作られた市だったからである。

確かに県の花とかある、でもさらに市町村ごとの花もある、しかしそれもふさわしいかどうか風土性と地理と歴史から感じるものだからである。それは地元の人でもなかなか気づかないとなる
つまり文化的なものはこうして風土とか地理とか歴史が複合的に関係していて気づきにくいし地元の人でも発見できないことがある。それだけ相馬藩であれ一地域のことでも知るのはむずかしいのである。それでもアイデンティティ化することはその土地と一体化することでありそこから文化が産まれるのである
そして豊かになれば時間にも余裕が生まれると文化が産まれる。
私が指摘したもの新たに地元で発見したものである。
その土地の魅力は実際はまだ発見されていない、未だに知らないことがあり感じないことがあるからである。
地元の人でもそうなのだから外から来る人が余計にわからないのである。相馬市と原町の相違がわからなとなる。これは旅してもそうなのである。表面的にしか理解できない感じないのである。
それで芭蕉がみちのくを旅してその風土性と歴史性を実感したことに感嘆するのである。

五月雨の降り残してや金色堂

五月雨とは自然の変わらぬ気候の巡りである。その大自然の五月雨にも朽ちず残された金色堂を歴史と自然の中で見事にとらえたのである。そこに悠久の歴史を感じまた自然の猛威ともなる五月雨を感じるのである
自然と風土と歴史性がこの短い句に凝縮されたのである
そのようにみちくの自然と風土と歴史性が一体化したことで
不朽のものともなったのである。
それはそれぞれの地域で風土と歴史性が一体化することアイデンティティ化すうることが文化なのである
だからcaltureとはcultivate(耕す)なのである。その土地のことはそこに長年住んでいる人でも発見されないことがある。
それだけ時間がかかるということである。
この歴史性というときそれを活かす時文化になる。飯館村までの塩の道が落葉に埋もれ忘れられている、でもそこをたどれば昔の人の苦労を偲ぶことができる。

それで栃窪にまんじゅうだけを売っている店がある。するとそれを助のまんじゅうとかすれば歴史を感じることになる
助の観音とは栃窪から山の道を行き休んだ場所だからである
白石に足軽饅頭というのを売っているからである。その饅頭を食べて力をつけたということである。その謂れを知り昔を偲ぶとなる、ただ腹を満たすだけではないものとなるのである
ただこの風土性とか歴史性とかを感じるのはむづかしいのである
地理でも車で一気に飯館村に行くと何かその高さとか塩の道でも苦労して塩を運んだことを偲べないのである。そこに返って便利になっていろいろなことを人間は感じなくなったともなる

とても奥の細道の芭蕉が感じたようなことは感じない、時代のせいもあるにしても余りにも便利になりすぎて感じなくなったのである。新幹線で二時間ちょっとくらいで来たら感じないのである。だから意外と今は旅でも浅薄な旅となり印象でも深いものを感じずに通り過ぎてゆくだけだともなっているのである。





posted by 天華 at 19:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 飯館村

2023年06月04日

現代文明はもはや一個の人間が認識する範囲を越えている (狭い範囲で自然の中で認識しアイデンティティ化することが文化をうむ)


現代文明はもはや一個の人間が認識する範囲を越えている

(狭い範囲で自然の中で認識しアイデンティティ化することが文化をうむ)

●テレビでは世界を認識できない

現代の問題とは何か。それは人間の認識の限界を超えて世界が拡大したことである。人間の認識は肌感覚で知る世界である。
人間形成にしてもとても現代のような世界では広すぎて世界を認識できない。人間は今や無数の部品とかしてそこにつながりを見出せない。グローバル化したからといって人間の認識が拡大して進化したとも言えない。肌感覚で知りえたものではないからそこに錯覚が生じているのである。

それでイラク戦争の時油まみれの海鳥がテレビい映されたその周りは別に油がで汚されていたわけでなかったのである。
その海鳥だけを取り出して作られた映像でありそれで世界中の人がイラクはフセインはひどいやつだとされたのである。それはアメリカの一方的な横暴だったのである。
つまりテレビと言う小さな箱からの映像では本当のこと真実は映し出されないし知り得ないのである。それで映像によるやらせがテレビを通じて行われてきたのである。
だからマスコミをとうして世界を見る日本でもそこで本当の真実を認識できるかとなればできないのである。

●人間の認識する範囲は狭い

そもそも人間の認識は限られたものでありそこに必ず人間の認識を超えたものがあり問題が起きる。 孫悟空のように地球の果てまで言ったと思ったらそこはお釈迦様の手のひらのうちだったのである。つまり人間は地球とか宇宙とかとても肌感覚で認識できない。その広さとか認識できない。

世界のことでも地理でもあまりにも広大で理解できない。日本では砂漠もないし草原もないするとそもそもがとても大陸を理解できないとなるのである。
そこにどうしても肌感覚で理解できないものがあり誤解が生まれるのである。世界地図をいくら見ても世界がわかることなどありえないのである。

人間は認識できる世界は実は狭い。そのその範囲は私の住んでいる相馬藩くらいなのかもしれない。でもそこにも海があり山があり全体を把握することは認識することは難しいのである。それで福島県となるとその地理を認識することが難しい。なぜなら浜通りだと阿武隈高原み遮られて中通りとか会津の方は全く高い山でも見えないからである

地理の一体感は常に見えることによって認識する。
常に見えなければそれを認識することは難しいのである。
福島県は広いからそれで一体感を感じないのである。
むしろ山からでも牡鹿半島が身近に大きく見えたことに驚いた。
すると宮城県の方が地理的一体感があり身近なものとしてある
交通でも仙台市が鉄道で通じているから宮城県の方が生活でも関わりが深くなっている。

●なぜに日本では小国という地名が多いのか

とにかく人間の認識は日々の生活で見える範囲が認識する
見えなければその存在すらなく一体感もないのである。
日本は山が多いから山に遮られて分断されている。
だから地理的には日本は統一することが難しいようにも見えた。
外国だと大陸だと広大な土地があり山もない平原が森林でも続く。そういう世界では大帝国が生まれやすい。遮る物は無いから平面を平原を遊牧民が移動すればそれによって既にジンギスカンのような大帝国はおのずと生まれたのである。

日本の場合なぜ無数に小国という地名が多いのか。それは山に遮られて人間の行き来が少なく小さな世界に閉ざされて自給自足していたからだともなる。だからその小さな国が一つの独立した国のようになっていて小国という地名が多いと思うなる。
とにかく人間の認識には限界がある。アメリカのグランドキャニオンやモンゴルの遮ることのない広大な平原は砂漠など日本ではとても肌感覚で実感できない世界なのである。

ただ人間はその精神を育むとしたら基本的にはやはり小さな世界でも村のような社会でも何かそこに共同性がありアイデンティティ化するものがありそこで認識を深め社会でも世界を知るということになる。
基本的にそういう場がない時人間はアイデンティティ化できず不安定なものになる。それで現代文明はグローバル化しても世界を認識できたとはならなかったのである。
むしろ人間はもともとは狭い範囲で認識して外界でも自然でも社会でも一体化していた。それができなくなったとき人間の精神でも心でも分裂状態になってしまったのである。なぜなら東京のようなところでどうしてそこで世界を認識し一体化できるのか。その東京を見れば何か既に核分裂状態にあるのではないかとぴカートが言ったがそれも説明しなくても東京のような大都会を見れば一目瞭然だとなる。

●言葉で表現できな世界の異常性

そこではもう言葉も通じない。言葉でそもそも表現できないので摩天楼のようなビルを見上げて人間は粒のようになってただその巨大なものを見上げている蟻のようになっているのである。
そこに人間がどのように繋がっているかもわからない。核分裂状態になっているから核兵器も生まれたと言っても言っているのも分かる。
つまりもう人間の認識を遥かに超えた社会になっていて精神がそこで作用することができなくなっている。
それはすでに言葉で表現できないということで分かるのである。何かすでに言葉で表現できないものが無制限に拡張して隙間もなく埋め尽くされている。そこはカオスとなりその大都会時代がすでに核分裂状態にある。
だからその異常なカオスから分裂状態からヒットラーがナチスがまだオームのようなカルト教団や団地から生まれた選挙宗教となった創価などが生まれた。それは現代文明の病理的現象として生まれたものであれ本来の宗教とは何の関係もないのである。
でも怖いのはその病理的現象が大衆ファシズムとなりナチスとなってゆく怖さがある。だから今や人間は人間として存在しえない。そのために天才とか特別優れた人間はアウトサイダーとなり文明を拒否するようになったのである。

●動物とも一体化したアイデンティティ化したエジプト文明

文明というときエジプト文明だとあらゆる動物が神聖化して人間と一体化した。それはアニミズムになるがそれでもなぜそうなったかというと動物が自然の中で生きている姿を見てそれが神のように見えたのである。鳥でも牛でも神格化されたのは自然の中でそれを常に見ていた結果自然に調和しているから神格化されたのである。
それは確かにアニミズムなのだが偶像崇拝にもなるが現代人ではそういうことはありえないということ自体また人間がいかに自然から遊離したものになったかであるお示しているのである。

大都会に居ればまずそうして自然の中に調和している動物であれ植物であれ見ることがないからである。そして機械化してロボットを作り自然に生きる動物は駆逐されたのである。
動物が生きているということはやはり自然があるからであり日本に熊がなお生きているということは山に熊を生かす自然がなおあるということである。だから動物が絶滅することは自然も消えてしまうということにもなる。
だから依然として日本に山に熊が生息していることは自然がまだ残っているからだともなる。ヨーロッパあたりでは熊がいたとしても居なくなったからである。それだけ自然が破壊されたことをそれは物語っているのである

●教育する場の共同体の喪失

そしてなぜ今現代文明の中で人間形成することが難しいのか。
それはそういう場が消失したからである。学校があるとしてもそこは何か人間を教育するというよりは膨大な知識をつめこめさせて競争させて選別する。そこには何か人間を作るとかはない。
ただ膨大な知識を詰め込む場所でありそれもそこで何か連関的に知識を習得する場ではない。それがないのはそもそもは教育の基盤である村のような共同社会がなくなったからである。
子供はそうした狭い世界で世界を認識し育つからである。その狭い世界でもグローバル化したり広域化したりすると相互のつながりを認識できなくなる。そこでどうしても分裂状態になるのである。

それでなぜ江戸時代に明治維新でも多くの偉人を産んだのかというとそれはそれぞれの地域の藩内で藩校とかで教育されたからかもしれない。それは狭い範囲でも具体的にその土地とかその人間とか社会とか歴史でも共同性があり認識されていた。おのずとその社会自体が教育の場であり誰か立派な先生がいなくても教育されていたと思う
そういう場が明治以降はなくなり学校中心の教育になり人間形成がうまくできなくなったともなる。ただ明治以降でもやはり農業中心の世界だから地方でも田舎でも江戸時代からの連続性があり共同性があり人間はそういう場があり教育されていたともなる。

ただ戦争の時は村の中心の神社は戦争の勝利を祈るものとなった。テレビドラマでで八幡神社の誓いで8人くらいの同士となり特攻隊になったのである。
だから太平洋戦争でも村々の小さな神社がもともと共同隊として継続していたからそうなったともなる。
ただそれは国家によって悪しく利用されたのである。もともとは村々の神社は五穀豊穣を祈るものでありそういう戦争のために祈る場所でわなかったからである。
ただ神社とはやはり日本の共同社会のなかから生まれたものであった。それは農業社会だからありえたのである。今大都会で小さないやしろなどがあっても存在感が亡くなったのは農業社会でわなくなったからである

●拡張、拡散。拡大の世界の終焉ーclose,deep,rootがキーワードに
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今必要なのはグローバル化のように拡張拡大拡散することではない。そこで確かに外国の物産は入ってきても物と心は分離している。貿易は必要でもそれで人間は一体化して協力するとはならないのである。
むしろ物と物だけの関係だったら何かあれば対立して戦争にもなるのである。人間の認識できる範囲はまた相互に繋がれる範囲は狭いのである。認識できる範囲が人間には限界があるからである。人間の正常な精神の育成できるのは狭い場所でなのである。
そこで精神のアイデンティティ化できて自然と調和した精神が育成されるのである。そこでは物と心も一体となるのであるもちろん貿易は必要である。でも今のようなグローバル化経済は金融経済などは人間の精神からはかけ離れたものとなりもう制御もできない頃突然天災のように恐慌になっ崩壊するクラッシュするのである

そもそもグローバル化したからといって人間が教育され育成されることはなかった。むしろ逆に狭い範囲でこそ人間は正常に認識して人間も形成され精神も形成されたのである。
いくらグローバル化したとしても物質的には交流しても人間の精神は認識は限界があり形成されない。
だからこれからの世界は逆に江戸時代とか中世の閉ざされた世界へ回帰する伴う。文化にしてもフレンツェルのような5万くらいの都市でもあれだけの芸術と文化創造はあった。そこにはそれだけのものを作り出す基盤があったとなる。
でもグローバル化したからといってそうした文化は生まれていないのである。返って食べ物でも飲み物でもコカコーラとかマグドナルドとかその国独自の料理が生まれなかったのである。ただ寿司などは世界的になり日本の文化が広まった永遠なる。
とにかくこれからの世界は拡大拡張拡散することではない

キーワードとしてはclose.deep.rootになる

close identified place
deep identified place
steady rooted place

こういう志向になる。精神の充実が形成が優先される世界になる。これは木のようそれぞれの土地に根を張る植物的志向だとなる。
大航海時代から世界は拡張拡散拡大になったがそれも限界にきてもう投資でも開拓する場所もなくなったのである。これ以上増産拡張拡大していけば世界の自然環境も破壊されるからである。
それは世界の人も気づき始めたのである。それで持続可能社会(SDGs)を志向するようになったのである。

2023年06月05日

昭和30年頃の暮らし (テレビの影響と蒸気機関車から新幹線の変化)


昭和30年頃の暮らし

(テレビの影響と蒸気機関車から新幹線の変化)

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月給が5000円くらいだと店を開く金を5万を得るのに相当に苦労した。それで借りたことを公務員だった姉は常に語っていた
つまりその時5万は大金だったのである、銀行でも貸してくれなかったのである


●昭和30年の公務員の月給が5000円−馬鹿高いテレビの値段

昭和30年で国家公務員の月給が5000円くらいなのには驚いた。そしてテレビの値段が12万なのである。それも信じられないとなる。ただテレビは出たときは個々人の家庭でわ買っていない
理髪店とか電器店とか人の集まるところでテレビを置いていた。
だからそこに人が集まったのである。個々人の家ではテレビが買えなかったことはこの値段でわかる。
それにしても月給が5000円ぐらいでテレビが12万とかするのは驚きである。役30倍の値段になる。他にも冷蔵庫でも高い。それらは簡単に買えるものではなかった。

なぜならその頃冷蔵庫も洗濯機も無い。テレビももちろんない。
裏に小川が堀がありそこで洗濯板で洗濯していた。燃料は炭でありトイレは外にあり新聞紙がトイレットペーパーだった。電機は裸電球一つだった。
認知症になった家族の一人が洗濯機が使いなくなり洗濯板でごしごし洗っていた。機械の操作ができなくても昔していたことはできるからしていたとなる。
何かその生活は江戸時代とたいして変わらなかったのである。だから江戸時代のことはリアルにイメージできたともなる。
この値段表を見ればテレビはバカ高いものだった。だから個々人では買えないものだった。テレビに映ることが大きな驚きであった

●テレビの影響は甚大だった

だからテレビの影響はどれだけ大きいものだったかわかる。テレビに出ただけでその人がどんな人であれ名前が売れて国会議員にも東京都知事すらなれたのである。青島とかいう人はそうだった。俺は選挙運動なっかしないと宣言して当選していたのである。その人の中身などどうでも良かったのである。テレビに出ただけで名前が売れて選挙運動しなくても芸能人が当選した時代だったのである。それだけテレビの影響力は大きい物だったのである。テレビによって相撲中継がありプロ野球の放送はありスポーツが娯楽となったのである
それをテレビがないときどこ比べればわかる。江戸時代だったら相撲でも演劇でもドサ回りとか地方回って金を稼ぐ他なかったからである。テレビは家にいながらにして楽しめるからそれだけ普及したのである。

ニュースにしても蒸気機関車の時代がありフイルムを鉄道で運んでいたのである。映画館がありそのニュースを映していたのである。だから一日とか2日とかさらに遅れたものとして映していた。それも本番の映画のドラマの前にニュースを放映していたのである。だからその時動画によってニュースを知るということは難しかった。それで毎日配られる新聞がニュースのニュースを伝えていたのである。新聞の時代でもあった。。その紙も貴重だからトイレットペーパーとしても他にもいろいろ包装などに使われていたのである。
私の家では店を始めてその包装に商品を入れる袋に新聞紙を使っていたのである。その時バラ売りとか量り売りがでありそのために袋を必要としていた。それで母が新聞紙でその袋を作っていたのである。そののりはご飯をつぶして作っていたかもしれない。あらゆるモノが無い時代だったからである。

●繁盛した小さな小売店

でも店は繁盛した。私の子供の時はまるで丁稚だった。常に配達をさせられていたからである。私の父が第一双葉の酒店で丁稚をしていたのである。だから私にそろばんを習わせたのである。その頃みんなそろばんを習っていたのである。
でも今になればコンピューターでありそろばんは何の役にも立たなかった。それは常に時代の変化としてあるある。将来の変化時代の変化があり社会のどうなってゆくかわからないのである。だから先を見るということが大事になる。
日本では30年失われた時代がありITなど先を見ることができなかったので今日の停滞と衰退がある
今ならコンピューターのプログラムを学ぶことは必須となりそれはできないものは給料も安くなるのである。
つまり親の言いなりになることは危険なのである。なぜなら親の時代と全く違った時代を生きるようにもなるからである。
江戸時代なら変化が少ない。だからそろばんでも通用していた
今はめまぐるしく技術でもなんでも変わるから親の言うとうりにしていると時代遅れになってしまうのである。
親の奨めるものは時代遅れにとってなって役に立たなくなるということがある。

●蒸気機関車から一気に新幹線の時代に

ただ私の家はでは昭和33年ごろテレビを買った。それは当時ではかなり贅沢だった。それは父親は病気になって家族が買ってやったのである。そのテレビでも病気になりまともに見ずに楽しめずに死んだのである。
また刺身が食えるようになったが食いたくないと言って死んだのである。病気でそうなったのである。だから高度成長時代の華やかな時を経験せずに死んだのである。
要するに戦後は今より活気があり希望に満ちていてみんな懸命に働き高度成長を迎えたのである。その時東京オリンピックがあった。日本が戦争の敗北から立ち直った象徴として世界に示すためにあった。。その時まだ蒸気機関車であり原町の高校に通っていたのである。だからそれも信じられないとなる。このように時代は常に変化しているのである。

1964−昭和39年ー東海道新幹線開業

これがわからないのは確かに高校の時蒸気機関車で通っていた
それが新幹線開業の時だったとなる。そんなに早く開業したのかと驚く、常磐線では蒸気機関車だったからである。
鉄道も急速に電化して新幹線が走ることになったことに驚くのである。

●毎年一万賃金が上がていた

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今や昭和すら昔として語られるようになった。昭和時代を懐かしく思う人が50代とかでいる。ただ昭和時代でも高度成長時代を経験した人としない人は違っている。
平成時代が30年ありそれが高度成長時代が終わり失われた30年となったからである。それで今30歳あたりの人は高度成長時代とかバブルの時代を経験していない。するとただ日本が低迷して貧困化した時代しか知らないとなるのである。
だから公務員の月給でも毎年1万ずつ上がっていたし労働組合でも賃上げ要求毎年のようにして必ず賃金が上がっていたのである。日本だけが世界で30年とかも賃金が上がっていないのである。その失われた30年の歳月は取り戻せない。 30年は相当に長い年月だったのである。

それだけ長いのに政府でも何もできず手を打たず国民でも何か惰性のようにして過ごして30年のたちまちすぎてしまったのである。ただ私の場合は高度成長とかバブルとか関係していない
会社にも勤めていないしただ自分の家にこもり好きなことをして旅をしていただけだとなる。だからその時代を生きたともならない。ただそれでも高度成長時代があり経済的に余裕ができてそういうこともできたとなるのである。

●少子高齢化衰退縮小する日本

こうして過去を振り返ると何か不思議になる。その生きていた時代のことも子供の時でありいろいろわからないことがあった。
でも今になるとその時代が今と相当に違っている。その雰囲気も違っている。近くの神社に子供はワンサと集まって遊んでいた。今は一人二人の兄弟がちょっと遊んでいるの見かけるだけである。何か全体的に停滞している活気のない世界に見えるのである。増えるのは老人と病人だけだとなる。。そして空き家が増大してゆく。もぬけの殻のよう空き家は点在しているのである。

時代の雰囲気としては少子高齢化でありどうしても活気がないのである。またその頃田植えとかの時期になれば村総出で田植えしたり稲刈りしたりしていたのである。小学校でも農休みとかあり農業が中心だからそうなったのである。その時機械を使っていないから人力でみんな働いていたから活気があったとなる。それは山村でもやはり子供や若い人でも多かったから活気があったのである。確かに貧乏ではあったがは活気はあったのである。

ここのyoutubeでその頃病気している人が少なかったと言っている。医者は往診していた。それも車がなく自転車とかで往診していた。大きな病院は少なかった。でも病気になる人はいたけど元気な人が多かったというとき病気になって早く死んでいたからそう感じたのかもしれない。
でも若者も子供も多く老人とか病人は少なかったとなる。だからこそ全体的に活気があったとなる。医療費とか福祉にかかる負担も少なかったとなる。やはり子供や若者や健康な人が多ければ当然社会に活気が出る。福祉でも医療費でもそんなに負担がなかったということである。

でも今はこれから少子高齢化というのは長く続く。それで日本の社会全体が停滞してさらに衰退してゆく。社会自体も空き家が増大して縮小してゆく。そういう下り坂の社会になってゆく
社会的には成熟した落ち着いた社会になってゆくかもしれない。どうしても高度成長のような時代は来ない。それは一時の幸運であり栄華だっともなる。
posted by 天華 at 20:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2023年06月06日

誰も予測できない景気とか株 (なぜ日本の株が上がっているのか?)


誰も予測できない景気とか株

(なぜ日本の株が上がっているのか?)


経済学者の予測が驚くほどハズレる根本理由

●金融資本主義は実体経済と乖離している

地銀とか銀行でも株のことなどまったくの素人である。
証券取引所で働いていたと言うがその人は何も知らない
ではどうし奨めたかというと分散投資しろということであった。だからカナダの国債とかリードとかアメリカの株とかに投資したのである。しかしその理由も適当なものだったのである。ただ分散投資が安全だということでそうしただけである。
つまりABCDとあればそれぞれにランダムに理由もなく投資したのである。そのうちの一つくらい当たるだろうということであった。実際に一つは当たったのである。
それも円安になってそうなったのである。その円安にしてもドルが110円から120円になったくらいだった。今の円安には本当に驚く。こんなに安くなったらアメリカに投資していたらその利益は相当なものになっていた。だから投資して大儲けした人がいることは確かである
なぜ今これほど株が日本で上がっているのだろうか。その理由もわからないのである。日本の景気がとても良くなったとは誰も思わないからである。ただインバウンドで海外からの旅行者が戻ってきたということで観光面では景気が良いとなることはわかる
でも経済の基本となる輸出するものが日本にあるかとなるとトヨタの車くらいだろう。だから今なぜこんなに株が上がる上がるのだろうか。
その理由がわからない。アメリカだって景気が良いようには見えない中国だって行き詰まっている。そしてウクライナ戦争は終わりすそれも世界経済に影響しているからとても景気がいいとこ見えないのである。

ただファンドが日本の予算の規模の2倍の金を持っていて投資している。その莫大な金が日本に投資されているのかもしれない。つまり金融資本主義になれば実体経済から離れてファンドのようなものが右から左に金を動かして巨額のもうけを出す。
それは実体経済とは関係ないのである。だから今日本の株が上がっているのは日本の経済の実体を反映していないのである。もし高度成長時代のような時だったら実体経済が良いからみんな金回りがよくなっていた。その裏付けは日本の電気製品とかが外国で売れたからである。だがそれは理由が明確なのである。

でも今回の日本の株の上がっているのはなぜなのかその理由がわからない。ただ金融資本主義によるファンドなどの莫大な金が日本に流入して株が上がった。そうとしか見えないのである。
だからこれで日本語景気が良くなり経済が回復するとは誰も観ていない。みんな物価が上がり窮して生活しているからである。
実体経済が反映してないからこそまた急激に株でも暴落する。それはまるで天災のようにやってくる。その時日本の予算の2倍もあるファンドのお金が動き日本からそのお金が入ってこない時別な国に行く時日本株はまた急落するのである。

●資本主義はグローバル化は限界

つまり金融資本主義になれば巨額の金が右から左にAからBへCからDへそしてまたDからえAと移動して株の上り下がりがあるだけになる。。実体経済は何にも変わっていないのである。
それでもう資本主義経済は行き詰まっている。金余りになってその金を投資するばかなくなっているからである。一時は中国が投資する場となりアメリカでも日本でもその恩恵はあった。
とてもそれが一段落するともう中国が発展せず成長せず行き詰まる。そして今や世界的に経済も行き詰まり成長は止まっている。
インドが中国のようになるとは限らないみたいである。
いずれにしろ資本主義が金融資本主義になり投資する先がなくなる時行き詰まり終わりとなる。銀行でも金を集めてもそれを投資して利益を上げることができない。投資する先が無いのである。

だからなぜ銀行に利子もつかないのに貯金しているかわからないのである。
銀行でも金を集めても投資して儲けることができない。だから利子もつけることができない。
それなら銀行は貸金庫なのかとも見る。安全に金を守る金庫なのかともみる。
つまり投資先がなくなるとき資本主義も終わりとなるのかもしれない。それでただ銀行の役割もなくなる。それでも何か最近ステイブルコインとかが世界の通貨となるという人もいる。その時そのコインを管理するのは大銀行でありそれも日本だったら三つくらいあればいいとしている。後の地銀などはいらないとしている。
それは銀行が融資して儲ける先が無くなっているからである。
銀行の役割はただそうしてコインを管理するものであり投資して融資して儲けて預金者に利子お与えるものではなくなったのである。
そもそも学者でも銀行員でも証券会社員でも株の予測などできないのである

なぜ経済予測でも良くなるという人と悪くなるという人はいるのか。いったいどちらが正しいのか予測として当たるのかというと当たるも八卦当たらぬも八卦なのである。
だからグローバル経済というのは誰も予測できないし規模が大きすぎて何かようとしてもごく一部分のお見て言っているだけなのである。規模が巨大過ぎて誰もわからないのである。

ただわかったようなことを言っているだけなのである。学者ですらそうなのだから誰も予測できない。それでグローバル経済は爆博打場になりギャンブル場なのである。
ただその胴元がいて影の支配者でありそれがファンドなどになるのかもしれない。それがわからないから常に陰謀論になって終わっているのである。いかさまだとしても規模が大きすぎて実態が見えないからである。そして突然株でも急激に上がったり下がったり最悪は暴落するのである。
それももしかしたら日本の予算の2倍ものお金を持っているファンドが操作しているのであり実体経済とは関係ないともなる。
だからそもそも今や資本主義というのは限界にきている。投資先がなくなるということは資本主義にとっては致命的になるからである。いくら金を銀行に集めても投資先がないのである。

●ドルではない通貨が模索されている

だからもう銀行はいらないとなる。そして銀行員は失業するとなる。ただスティーブルコインとかでは大銀行が役割があり維持されるという
そもそも世界基軸通貨とかは覇権国が支配されるための支配世界を支配するためのものだったのである。イギリスが七つの海を支配していたときはポンドは世界基軸通貨だった。それで今でもエジプトポンドは使われているのである。介護
次にドルが世界基軸通貨となったのである。そこにアメリカのファンドが金を動く巨額のお金を動かして巨利を得ているそれは実体経済とは関係ない金融資本主義でありある意味でギャンブルで儲けているとなる。
だから今やドルでもロシアが使わないとか中国が人民元を基軸通貨にするとかサウジアラビアでも石油の代金をドル以外で取引しようとしている。アメリカではサウジアラビアにドルで石油を買わせるために軍事的にサウジアラビアを守るとしてドルで支払うことを守ったのである。

つまりアメリカの強さは軍事力があってドルを世界の基軸通貨として守ったということである。
でもそもそもそういうことに反発する人が国があって当然だとなる。アメリカだけが世界の富をドルを投資して得るということは不公平だからである。
そのためにもう世界通貨をどうしたらいいのかということでステーブルコインとかが使われるようになるとか模索する時代になったのである。
とにかくグローバル経済資本主義が金融資本主義とかなり実体経済から離れてただ右から左に巨額の金を移動させて暴利を得ていることはギャンブルで設けていると同じなのである。
それに反発するロシアでも中国でもサウジアラビアでもブラジルでも当然だとなる。別にその国々がいいとか味方して言っているのではない。公平なグローバル経済だったら貿易だったら世界中の人が認めるのである。そうでないからこそドルにドルが世界基軸通貨になっていることに反発することは当然なのである。

●突然暴落する株−そのからくり

そしてもうグローバル経済は規模が大きすぎて制御できないから突然天災のように暴落したり恐慌に陥る。それを避けることができないのである。だからこそスティーブルコインとか別なシステムが必要になってきたのである。ただそれも途上でありどうなるかわ予測できないとなる。

とにかく誰も株でも経済予測はできないこれだけは知っておくべきである。それは株の専門家でもできない。ウクライナ戦争のようなことは突然起こったりそれよりも金融資本主義になると実体経済から離れて金が右から左へAからBからCからDへまたDからAへ移動して株も上がったり下がったりしているからである。
だからなぜ日本の株がこんなに今上がっているのかその理由は何なのかそれはとても日本は景気がよくなったからだとは思えないのである。

とするとまた株は暴落する。それを見込んでいないと大損するとなる。それよりそんなギャンブル場にエネルギーを貴重な時間を費やすのは無駄だとなる。ただそこでは金を動かし金を得たいいうだけでありそれで何かを作り達成するということもないのである。要するに金融資本主義になればそこは博打場でありギャンブル場なのである。だからそもそも世界的投資家とかは詐欺師なのかともみる。
そこで巨利を得るのはファンドとかまたは陰謀論になればディープステートとかになるのである。だからこういう経済はむしろ破綻するのは当然だとなる。そんなギャンブル場に参加すること自体ただ金を奪われるだけだと思うからである。だからこそもう資本主義は限界であり終わりになると言われるのである
posted by 天華 at 22:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年06月07日

死とは何なのかー生物的死と社会的死 (記憶され生き続ける死者−村のご先祖様になるとは)


死とは何なのかー生物的死と社会的死

(記憶され生き続ける死者−村のご先祖様になるとは)

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村だったらこのように形が違っても一つに結ばれていた

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現代は無数に分割されて一つのマス目が消えても気づかない

●人間の死を考える

◎生物としての死
〇家族内の死
○社会的な死

死を考えるときこの三つがある。生物としての死は社会とか家族とかも関係ない。人間が個人でも死と共にすべて消滅してゆく。
すべてが無となる恐怖である。
今日の宗教の最大の問題はこの死の問題でありそれは社会とも関係ないし家族とも関係ない。個々人が生物として死んでゆくことだからである。それは社会的にも家族的にも解決不可能である。社会でも家族でも個々人の死ねないようにはできない
いくら医療が発達しても人間は百才以上生きてもいずれは死ぬのである。それは社会問題として解決不可能である。
ただ人間が死んだら葬儀をしたり墓を作り埋めたりとともらうことはする。でも死に関してはそもそもは社会的に解決不可能なのである。それは科学技術でも医療でもいくら発達しても解決不可能である。
だからそもそも宗教は社会的政治的経済的問題ではなく死その物の解決が最大のテーマとなったのである。

でも現実は宗教も社会的政治的経済的問題として追及されるようになったのである。でも本質的にそれは社会でも政治でも経済でも解決しないのである。それは死の問題はそもそもなぜ人間が死ぬようになったのかそこから死の問題を考えねばならない
人間はエデンの園にいたとき死はなかったのである。
それが食べるなと言われた知恵の実を食べて死ぬようになったのである。ということは神が禁止したことを破ったことによって死が生まれたからである。
だから死の問題は神と人間の関係でありその関係の中でしか解決しないのである。人と人の関係が社会であり家族でもある。でも死の問題は神と人との関係でありそこに社会とか家族は関係しないのである。
だから社会では解決しない。科学技術でも解決しない。カルト教団のように何百万人を集め信者を集めて神に祈っても解決しない。選挙のように投票して死の問題など解決しないのである。それは神と個々人の問題であり集団的に社会的に解決できないのである。

永遠の命を与えられるのは神しかいないし集団的に社会的に解決できないのである。
こうして一番重要なことは人間だけでは解決しない。社会的政治的経済的に科学技術でも解決しない。そこに人間の限界がある。その努力は無駄だとは言えないにしても人間の力では死の問題は解決しないのである
ただ人間の死には家族内の死とか社会的死がある。それは死その物の問題ではなく社会的問題として国家的問題として家族の問題としてもある。死別はそれだけ深刻な物だからである。永遠に合わなくなるということは耐えられないとなるからである。
ただ社会的死というときまたは家族内の死というときそれはまた別物でありその死は社会的に家族内の人が考える物となる
戦死者は国家的問題であり国家として考える物となる。

●街の一軒の自転車屋が死んで意識されたのはなぜなのか

最近死んだわが町の自転車屋の星淳一氏は我が小さな町での一人の死だったけどもなぜか死んでからその人を思うようになった。
それは私自身が自転車のことでいろいろと世話になったからである。その人が死んで一軒もに町に自転車屋がなくなったことで余計に意識するようになったのである。
何か依然として駅前に自転車屋の星さんがいるように思えるのである。つまり星さんは死んでもやはり何か駅と共にありそこで自転車屋を継続している感じになったのである。
だから社会的には死んでも依然として生き続けている感じになる。それは別に偉人でもないし歴史的人物でもない。でも死んだ結果としてその人はなお依然として街に生き続けている感じになる。そのことは社会的にまたは歴史的にも継続して生きているという感じにもなる。
偉人の場合は歴史に生き続けるから必ずしも死んで全く消えてしまうということはない。でもそうゆう人はごくわずかでありほとんどの人は名前すらきを記憶されないのである。
でも何か自転車屋の星さんは街に生き続けている感覚になる。

人間はありふれた物とか当たり前のことが意識できない。
自転車屋などどこにでもあるとかなる。他でもいろいろ職業があってもその人が社会の中で記憶されるということはなかなかない。特に現代は無数の職業があり人はただ巨大な社会の部品とかして歯車とかして記憶されない。
一つの部品がかける死んで消えたとしても巨大な社会はやはり何もなかったように継続してゆく。一人の人間の死など歯車が一つ消えたとしかならない。でももしその歯車が一つ壊れて消えたとき社会自体に影響したらその歯車のことでも考える。
それは小さな町で一軒しか自転車屋がなかったからである。もし医者でも一軒しかなかったらその医者が死んだりいなくなったらみんな困るから記憶される。
だから人間の価値はその場所や時代によって常にかわっているのである。

●村社会では死者が御先祖様となった理由

いずれにしろ社会的には人間は死んでもう社会は維持される。でも今あらゆるところで後継者不足となっている。社会的に必要な物でも欠損してもそれを埋める人がいないのである。だから一見自転車屋などなくてもいいともなっていたが今やそれが小さな町から一軒もなくなった時その存在価値が大きくなったのである。
そして駅前にあったことで駅のことをいつも見ていた。街を活性化するためにわどうしたらいいかと駅のことで語り合った事があった。だから不思議に駅に帰ってくると星さんはそこにいる感じになるのも
今になると私の家族は全部死んだので誰も待つ人もいない。それは悲しくさみしい。家族の死もやはり大きな物としてあり死んでも依然として生きているような感覚にもなる

だから日本では村がその生活の基盤としてアイデンティティとしてあった時死んだらご先祖様になるということはその村では死者でも生き続けているのである。
盆踊りとは死者の供養のために村の人は死者とともに踊ることで始まった。それは村という中で親密な人間関係があり死んでも依然として生き続けている感覚がありそうなった
だから田植えの時は死んだご先祖様が山から降りてきて手伝うという時もそうである。つまり仕事をし続けるということである。
もしその人は何も仕事もしないなら村の中でも町の中でも死んでも生き続けるということはない。だから人間にとって仕事をして村の中でも役割があって生きていることが大事だとなる。
でも今はあまりにも社会が巨大化して複雑化して職業にしても一つの巨大な機械の歯車のようになって死はただ一つの歯車が消失したというだけになる。でももしその一つの歯車でも消えたとき全体が動かなくなったとき意識するのである。
小さな町では自転車屋一軒でもその役割が大きな物だったのである。だから死んでからその人を意識するようになったのである。

ただグローバル化広域化社会になると物はいくらでも入ってくるが人は意識されない。もし近くでしか食糧でも手に入らなかったら別に農民でもなくても農民の価値は高くなる。
米でも野菜でも近隣からしか手に入らなかったからである。もし近くの農民から食料得ることができなくなったら死ぬことにもなったのだから深刻だったのである。今は何かあれば外国から輸入すればいいとなり近くの人の価値が相当に低下したのである。
いずれにしろ死んだらその土地のご先祖様になるなどということはもうない。農民の間でもないだろう。社会的に人間の死は価値が低くなったのである。何か村の中で死んでもご先祖様として生き続けることもなくなったのである。
社会的な死として重く意識されなくなったのである。

つまり村であれ社会であれ仕事を何か役割を持たない限りご先祖様とか社会的的意義ある死になることはありえないのである
そもそもニートとか引きこもりとか百万人以上いるとかの時代である。働かなくてもいいとなっていてもではその人にどんな価値があるのかとなる。そこにベーシックインカムとかの大きな問題がある。人間の代わりに機械が何でもする時代になったとき人間の存在価値はなくなりチャットgptで人間は用ありませんといわれたらどうなるのか、この社会に存在する価値がないから死んでくださいとも命令れされかねないのである。

コンピューターであれ機械であれロボットであれ人間は無用だとされたらどうなるのか、これも恐ろしいことになる
そして現代はグローバル化経済であり物は世界のからいくらでも入ってくる。でもその物が作られた土地とか風土とか人間の労働とかそれを作る人の苦労とか気持ちとかはわからない。ただ物だけが心と分離して入ってくるのである。だから物とは心でもあり物が憑くとなっていた。その物と心は分離して物だけが入ってくるのである。
それで地産地消がやはり体にいいとなる。貿易は必要でも限度を越えているのが現代だからである。
どうしても物から心の方へシフトされてゆく望まれている。
現実に物と物とはやり取りされても人間の心はそれで結ばれたとはならなかったのである。

苗族民話集で歌垣の場で結婚の約束をするやりとりがある

それはまことか口先だけか
よりあう心がまことなら
手に手に近いの品をさしだして
二人の真心とりかわそう

つまり最初にまことの心があって物がその心に従うものとしてあった。心がさきであり物は心に従うものとしてあったとなる
今は物が心と分離している。それで人間疎外が起きて物神化したとマルクスが分析したのである。それは経済の規模が世界的になりあまりにも巨大化してもう人間的なものから離れて心も何もない。ただものだけがやり取りされる世界市場になったのである
そこで失われたのは心だったとなる。だから今はその心の回復をしなければならない。そういう時代になったのである。

2023年06月08日

原発事故危害地域の予算は国がなお援助している (故郷を失うことの精神的影響)

原発事故危害地域の予算は国がなお援助している

(故郷を失うことの精神的影響)

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●依然として復興予算の割合が多い

福島県の予算を見ると南相馬市は復興予算が20%である
浪江町は80%である。双葉町は74%である。大熊は60%である。
相馬市は1%にもならない。いかに原発事故から12年過ぎても依然として復興予算が大きいと思った。
ただ南相馬市は20%になったから減少した。それでもそれなりに予算の2割となれば大きい。
飯館村は70パーセント とかでありそもそもそも放射線の被害が大きかったから補償金も多かったからである。でもやがては復興予算は消失する。すると南相馬市でも苦しくなる。

いつまでも復興予算を要求してそれでやっていくことはできなくなる。でも依然として裁判で補償金の増額がありそれで潤った人も多い。でももう復興予算とか国からは援助はなくなる。飯館村でもほとんどが残った人でも老人であり何か生産するということもない。補償金だよ頼りでありそれがなくなれば住んでいられるのかとなる。
南相馬市にしても2割が復興予算だとするときもしそれがなくなると福祉の面やその他教育にしても予算を回すことができなくなる。一時的に原発バブルでもあった。でもそれも終わりつつある。そして復興予算は国から入ってこない時もはや町や村でも成り立つのかという心配がある。なぜなら残ったのはほとんど老人であり若い人は極端に少ないからである。
だからそもそも浪江とか大熊とか双葉とか南相馬市の小高とかは維持できるのかという問題がある。
なぜなら現実として小高の人は原町に移住した人が多いからである。原町の方が何かと便利だから小高を復興させようとするのではなく移住した方がいいとなったからである。

いずれにしろ予算から見ればいずれは復興予算頼りだと立ち行かなくなる。
そうなるとむしろ小高だったら維持するにも返って無駄な金を使い南相馬市全体から見ればただお荷物になってしまう。すると現実として原町に移り住んだ人が多いように切り捨てた方がいいとまでなってしまう。もちろん小高でも浪江でもでも復興してもらいたい。でも現実は厳しいとなる。
ただ原町区は一人50万の補償金が加増されたので得したとはなる。鹿島区は一人16万だから不満がまた多いのである。それより相馬市などは復興予算もゼロであり今回の裁判の補償金は8万くらいなのである。
そのためなのかイオンなどが廃業して寂れたようになったのである。

●人が住まなくなるとどうなるのか、死者も幽鬼となり彷徨う

ともかく日本全国でもそうだが少子高齢化でこれから人口が減り日本は縮小してゆく。そして周りを見ると鹿島区とか相馬市では去年の地震の被害で家自体が壊されたのは目につく。
それも近いうちに空き家化する家だったかもしれない。跡継ぎがいな家だったかもしれない。それで自身で地震で破壊されて住むことを諦めたのかもしれない。
ただ村とか町とか人が住まなくなり消滅してゆくということはどういうことかまだよくわかっていない。
日本の村は日本人のアイディンティティの基盤としてあり何代も続いて住んでいた人たちがいる。そこに長い歴史があり重みがある。それが消失するということは何を意味しているのかまだそこに住んでいる人もよくわからないし自覚していないともなる。
なぜなら村で死んだ人はご先祖様となり日本ではその村に生き続けていたからである。それも消滅する時ご先祖様もそこには存在しなくなりその場を失い神社でも捨てられるのである。
そしてそこには死者も幽霊となって幽鬼となり行き場がなくさまようともなるのである。

それは農民社会でなくなったときそういうことがすでに起きていた。農村共同体は縮小して維持できないようにもなっていたからである。それに拍車をかけて原発事故で人が住めないようになり廃墟ともなったのである。
だから原発事故で故郷から移住した人たちはそのアイデンティティの場のルーツとなる場を失った。それが何を意味しているのかまだ自覚されていないのかもしれない。
ただ現代は広域化してどこにでも住んでいいという時代だから故郷にこだわる時代ではなくなっていた。
金さえあれば返って都会に住みたい。東北だったら仙台市に住みたいという人が多かったからである。それで津波もあり仙台に移住して人が増えて仙台はまた人口が増えたのである。
でもそうして移住した人たちは何かを失った。ただそのことを自覚されないかもしれない。特に若い人たちは移住した場が故郷になるので特にそうなのである。
都会とはみんなよそ者の集まりだから別にそれでふるさととか村にこだわる必要はないのである。でも確かに故郷を失うということが何なのか気づきその失ったものの大きさを知るようになるかもしれない。

●人間は歴史を生きる存在でもある―故郷を失うことの影響

なぜなら人間は継続するということは歴史に生きることは価値あるものとなってきたからである。それで近くの自転車屋は死んだときその自転車屋は町に一軒しかないなくなっていたから貴重な物となっていた。
そして死んでも駅前と結びついていて街全体とも一体化してあったことを意識するようになったのである。
だから原発事故で町や村は消滅して行くようなものになった時一体そこで人間の存在感を持つことができるのかとなる。
人間は依然として家族のために働くということは続いている。でも市町村はあってその全体のために働くとか存在するということは希薄化していた。でも人間は死んだら終わりとなるのではなく継続されることを願う。だからこそ村があったときは農業者会であった時は死者は山に葬られて眠り田植えの時期などに山に降りてきて手伝ったとかいうことになる。それは依然としてその村に死者も生き続けられているということなのである。

それが動物の生と違って人間は一代で終わるものではなく継続されたものとして生きる歴史的存在だということなのである。その歴史が消失することは人間の存在の意味の否定にもなる。ただ少子高齢化で限界集落は廃村になったり消失してゆく危機である。それが何を失うものとなるのかまだそこに住んでいる人も周りの人も自覚されていないのである。
それは経済的な面だけではない精神的な問題なのである。そのよって立つ基盤が消失するということである。それはかなり深刻なことなのかもしれない。でもそれほど深刻に思う人はいないともなるのか。ただ老人はそこに長く住んでいたのだからやはり自分のよって立つ基盤が失うということはショックになっていることは確かなのである。
posted by 天華 at 17:44| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

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水中花

ふわふわとぽわぽわと
ゆったりと水の中に
争うこともなく
みんな仲良く
ふわふわとぽわぽわと
集まり咲いている

Underwater Flowers

Fluffy and Fluffy
Leisurely in the water
There is no conflict
Everyone gets along
Fluffy and fluffy
Gathering and blooming


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chinese canal

desert city.jpg

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Japanese spring