若者は病み老人は心身を病む爛熟文明
(一連の若い人の凶悪事件は何を意味しているのか)
●カルト宗教も現代の文明の病理現象として生まれた
犯罪が時代を象徴することがある、ただ人間の業としてカルマとして変わらないものがある
男女関係とか基本的に変わらないものがありそのために同じような事件が起き続けているのである。
ただ犯罪も時代に影響される。現代だと複雑な社会であり昔の江戸時代のような村社会とは違って犯罪もまた複雑化する
なかなか簡単に理解できない事件や犯罪が起きてくる。
統一教会のカルト宗教に歪められた家族の一人が安倍首相を恨んで殺害したのもカルト宗教が増えたために起きた事件である。それも時代を象徴している。
カルト宗教もまた現代の文明の負の部分として生まれたものであり本来の宗教とは何の関係もない。創価などでもその発祥を見れば団地の宗教と言われ地方から出てきた人は仲間意識を持つために生まれた宗教であり組織である。
宗教だとそもそもが自然と一体化して心を清めるとかがあった。
天台宗というのは先にあり天の台というごとく山岳宗教だったのである。。だから山にこもり修業したのが始まりである。
山伏などもその系譜にあるのである。
だから大都会の団地から生まれたような宗教はま全く宗教的要素を欠いているのである。
●一連の若者が起した事件の原因は何なのか?
何か最近の一連の若者の起こした事件は政治的要素より経済的要素より現代文明社会のなかから起きた事件かもしれない。
個々人の問題もあるがやはり時代の社会の歪みとして犯罪が生まれる。統一教会のカルト問題から発したのも阿部前首相の事件もそうである。
その次に岸田首相を狙ったてテロも何か明確な政治的意図があったとも見えない。むしろ個人的なものとして個人的な不満が岸田首相に向けられたのかもしれない。何か公憤ではなく私憤だったとなる。自分の鬱憤をはらすために
起こした事件であり政治的意図があったとも見えないのである。
猟銃で警官を二人も殺した事件も驚いたがこの人は恵まれた家族に育ったのにこんな恐ろしい事件を起こしたことが理解できない、別に引きこもりでも百万人いる時代であり家族にめぐまれたのだからそこで生活できていたからである。ただ何か認められないということで回りに対して敵対的感情をもったらしい
でも高校時代野球部で活躍したとか問題児はなかった。
でももともと社交性が無いとかで陰の性格だったのかもしれない
この性格の人は人付き合いが苦手なのである。それは私自身がそうだからわかる
回りとうまくコミニケションできなかった。陰の性格の人は社会で生きることが困難になる。引きこもりになりやすいのである。
もう一つは大学を中退したということは挫折したということである。必ず何らかで人間は挫折を経験する。若いときは挫折を経験する。私自身もそうだった。まず学校とか集団生活には馴染めなかった。そして大学出ても就職もせず家族に恵まれて引きこもってしまったのである。
でも人間は挫折する経験は必要だった。何か打ちのめされるそして返ってそこで謙虚になるのである。だから挫折することは若いときは返って必要なのである。もし若い時から成功したりしたら高い地位についたりしたらその人は高慢な人となってしまうのである。だから挫折は悪いことではない。
そして別に家族に恵まれているのだから生活にも困らないのだから引きこもりでも良かったのかもしれない。どうしても陰の性格だと社交性がなく周りからよく見られないからである。
今日のニュースでは家に来る女性から話もしないで一人でいると言われたことに気にしていた、母親がフラワーアレンジメントの先生をしていて女性が来ていたからそうなった
そいうことは何か社会で言われる。何でも付き合いがありしゃべらないとか酒を飲まないとかになると変わった奴だとされるのである。無口でもそうである。自分自身が引きこもりだからほとんど付き合ないし沈黙していた。そのために山とか石とかと一体化したのである。何故なら自然は沈黙しているから自然に通じるには沈黙の修行が必要なのである。それが寺とかで座禅すらならいい、社会ではそれができないのである。
でももし花に興味があったらなんらか話はできたとなう。そもそも猟銃を持つような人が引きこもりなのかという疑問もある
でも社会性がないことも問題なのである。
●小人閑居して不善を成す―引きこもりの危険
これが一連の若い人の事件に通じているし引きこもりもそうなるから危険なのである。つまりこれからもこうした事件は起きやすいのである。
ともかく若いときは本当に危機の時代である。何かしら必ず問題を起こす犯罪でも起こしやすいのである。この場合大学を中退としたとしたとしても家で暮らすことができたのだからどういうことなのかなかなか理解できない。
ただ全般的に現代文明の社会の影響はありまた若い時に挫折がありそれが社会にむかって犯罪を起こすということはあった。
でも一方で引きこもりがこれだけ多いということはすでにこれは個々人の問題ではなく社会どう大きく言えば文明の問題だともなるのである。
それで天才的な人は文明批判になったのであるニーチェとかヘンリーミラーとか上野霄里(うえのしょうり )とが強烈に文明を糾弾したのである
ただ引きこもりはそうした特別優れた人ではない。普通の人でありそれが事件を起こしているのである。でも何か共通性はあるとなる。私自身は天才でもなんでもないむしろ劣っている人間だからである。でも引きこもって自然と一体化することから俳句や短歌や詩歌を追求してきたのである。これも異常だったが家族に恵まれてそうなったのであるそれが出来たのである。だから私は家族に感謝しているのである死んでも感謝し続けているのである。
●精神病の医者が語る本に賛同
本を整理していてこの一連の事件でそれにふさわしい本があった。
精神に病理性が発現しやすくなるのは十代中頃からである
この辺りから生命的エネルギーがやあ低く何らかの不器用さをあわせもった少年が次第に競争社会の中で追い詰められてゆく
たいていはひきこもることで当面の困難を回避する。
そもそも殺意とは誰でも少年の中で日常的に懐いているのである
かつて精神病者や病的な心理に基づく犯罪は多く家庭の中にとどまっていた。それが世に向かうようになったのである。
その理由の一つとして家族の力が弱くなったことである。例えば弱々しい母は一人息子に振り回され外への攻撃が向かうの阻止できなくなったおそうしできなくなったようなことが起こる
文明はたいてい外敵の侵入を持って最終的崩壊に至るものであるが。その前におーいなる爛熟がありそれにより弱体化が進む。
爛熟こそが人間を弱くするのである。特に若者に強い依存心をもたらすか無力化させられるのではなかろうか。世紀の節目、文明のの爛熟の中にこの国の衰退を予感するのは私だけではあるまい
素朴に生きる人が残る―遠山高史
いずれにしろ現代社会は文明は病んでいる。それは若い人でもそうだし高齢化社会になり老人も肉体を病んでいるだけではない精神も病んでいる。そしてそうした病んだ人がこれだけ多いとなるともう健全な社会が維持できるのかとなる。確かに若い人はエネルギーがあるから凶悪事件でも起こす。でもこれだけ老人が多いというとき社会自体が老人病人社会にもなってしまう。そんな社会がもう維持できるのだろうか。つまりもう文明社会は病的な社会であり素朴に生きる人が生き残るというものではない。もう老いも若きも病んでいるのである
もう内部から文明社会は疲弊して滅んでゆくのかとも思う。それは世界的に共通しているのである。文明の進歩が果たして人間を幸福にしたかというとそうともならなかったのである。いくら技術が進歩してもプラスの面はあってもまたマイナスの面も大きくなったのである。人間は得るものがあれば失うものが必ずあるということである