なぜ危険な原発がやめられないのか
(政治権力利権の判断と科学的合理的判断)
地震があっても岸田は原発マネーがやめられない
科学の判断ではなく政治利権の判断が優先される
青森の核燃料処理施設の危険を指摘するユーチューブを見た
活断層の上に作られていて非常に危険なものだと指摘している。
その影響は北半球に人が住めなくなるほどの悲惨なものとなると指摘している。それは想像を絶する最悪なものとなる。
人類滅亡にまでなるとまで指摘している。
福島原発の大事故の惨事があっても依然として原発をやめない。今回の能登方面の地震でもそこに原発があった志賀原発があった。それも危険があった。
青森の核燃料処理施設でも危険なのは耐震設計がされていない。それが内部に入れないほどの放射線量があり耐震設計をして建物を直すことができないのである
ではなぜそんな危険なものを作り福島県発のような事故があったのに依然として原発を再稼働してやめることがない
このユーチューブでは福島原発の場合津波の結果大事故となったのではなくその前に地震の揺れで原子炉が故障した。また配管などが破損して津波の前にすでに総称した損傷したものがありそのために大事故になった。そのことは専門の科学者も明確に資料が出たので指摘している。
つまり原発は巨大地震が来ればこのように巨大事故になる。津波が来たから巨大事故になったのではない。そうしているのは政府やその命令に従う原子力ムラがあって御用学者がそう言っているのである。
ということはここに科学的合理性から判断しないで政治的思惑や経済的利権から原発は危険を無視して作られたのである。
科学技術というのは必ずしも科学技術を優先して決めるのではない。そこに政治的思惑や経済的利権がかかわり科学の合理的な判断を無視するのである。
それは御用学者は政治家の命令に従い公正な合理的な科学技術の判断を弱めるのである歪めるのである
だから原発は科学技術の問題としてだけ見れない。極めて政治的経済的理由が優先されているともなる。その視点で見ないとなぜこんなに危険なものが再稼働されやめることができないのかが分からないのである。
まず人間の社会は利益が優先される。利権が優先される。それはあらゆるものはそうなのである。カルト宗教になればそこはもう御利益追求であり利権の追求であり本来の宗教などゼロなのである。誰でも金になるとなれば目の色を変える。
原発が建てられたのも地元に金が入るということでそうなった。
事故後でもわかったようにその利権は金はとてつもない巨大なものだったのである。除染だけに6兆円とかもかかるつぎ込んだのにも驚いた。それは庶民に取って想像を絶するものだったのである。
そして原子力村はその利権を握り政治家の命令でその危険性も隠す事ができた。安全神話を作ったのもそうした御用学者が集まり専門家が集まり実ははそれで危険を隠蔽したのである。
だからこれは科学技術の問題だけではなく政治的な問題でありまた経済的な問題であり科学は確かに合理的な公正を追求している。でもその科学の真理も公正さも政治的な問題になり歪められたのである。
必ずしも科学技術社会でも科学が優先されるわけではないのである。政治的思惑経済的利権が関わりそれが優先されるのである。
また科学にしてもそれが全部正しいとはならない。いくら専門家が科学者が言ったとしてもこの地球であれ宇宙であれすべてを知り得る人はいない。それは全能の神しかありえない。
それでいくら科学者が専門家がいても実際はわからないことがある。だからまた科学者を専門家の言うことでもすべて信じられないのである。
地震になるとそれはできないように予知できないように地下のことが地球の地下のことが海の底のことが宇宙のことでもわからない。科学者が専門家がすべてをわかっているわけではない。それはコロナウイルスでもそうだった。
専門家が正しい判断ができるとはならなかったからである。
そこには必ず政治的思惑や経済的利権が絡み科学的合理的公正な判断になるとは限らないのである
政治的判断というとき時の権力を持ったものが判断する、でも権力を付与するものは何なのか、誰なのかとなる、民主主義社会では選挙で勝ったものが権力を得る。
今なら自民党であり公明党ともなる。でも選挙で負ければ別の政党が権力を得るのである。ではその民主主義社会でも何が優先されるかとなれば科学的合理性とかではない。やはり利権であり金になることが優先される。そのために地元には金をばら撒き原発を作ったのである。地元でも金になればいいとなっていたのである。
そこに民主主義がまたすべて正しい判断をするとは限らないのである。数が多ければそれが正しい判断になるかとなればならない。そこに民主主義にしても限界がある。
ではどうして正しい判断をすることができるの?
そこに人間の限界がある。必ずそこに過ちが生まれるのである
人間は地の底のことをまたは海の底のことを
果て無き宇宙のことを知りえるのか
人間は全能の神の知恵には及ばない
人間はいかに科学技術が進歩しても
依然として知りえないことがあまたある
人間はこの世界のことをすべて知り得るとはならない
そこに人間の限界がある。
そしてその人間の技は崩壊して砕かれる
文明もまた砕かれて廃棄されるのである
人間のバベルの塔のように崩壊する
人は終始つかなくなり散りじりになる