ドニエプル川を挟んでウクライナとロシアの攻防戦
(地理が変わらないから同じことをカルマを繰り返す)
●ドイツとのドニエプル川の戦いの再現
Dnieper) とは第二次世界大戦中の1943年に行われた戦いのことである。この4か月の戦いの間、ドニエプル川東岸はソビエト赤軍5個方面軍によってドイツ国防軍から取り戻され、さらに西岸にいくつかの橋頭堡を築くために幾筋かの攻撃渡河の先導となった。その後、キエフは別の攻撃(英語版)により解放された。
戦争の中でも損害の大きな戦いの一つであり、犠牲者は双方で1,700,000名から2,700,000名と推測されている
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ウクライナが5月に大攻勢をかけることを宣言している。その衝突する場所がドニエプル川なのである。
テレビで見たら幅が広い。 3キロくらいあるというから日本にはない大きな川なのである。その川をめぐってウクライナとロシアの攻防戦がある。
それはドイツとロシアですでに第二次世界大戦の時激しい戦いがあった場所なのである。今回もと渡河作戦が実践されようとしている。でもそこでかなりの激戦となり犠牲者が出ることが言われる。
それはまた同じドニエプル川を挟んでウクライナとロシアは対立する。それはまさに歴史の繰り返しである。
なぜそうなるのかというとそれもカルマなのである。それはチリとしてのカルマ宿命としてある。
ドニエプル川が境界線となり争うことになる。だからriverはライバルのことなのである。川を挟んでライバルとなるのはあらそうのが歴史だったからである。
つまり川というものはそもそも川ができてから何千年とも変わらない。川が埋まってしまってなくなることもないからである。
それが宿命を作り出しカルマとなり同じことが繰り返されるのである。地理的宿命から人間は依然として逃れられない。
確かにミサイルなどは自然の地理的障害を超越して飛んでくる。でも実効支配するにはどうしても陸に上陸して支配しなければならない。そうなると地上戦になり犠牲は大きくなるのである。何か今回のウクライナ戦争はこれまでしてきた戦争と変わらないことがありカルマの繰り返しに見えた
●変わらない地理の宿命
つまり地理そのものは変わらない。山が平地になったり平地が山になったりしない。川が埋まったりもなかなかしない。流れが多少変えても川自体は変わらないのである。
その地理が地勢が変わらないということがやはり今回のように戦争でも変わらないものがあったと見えた。
核戦争にのようになる時代でも依然として川が障害となりライバルとなり対立する。それが変わらないということがつくづく実感したのである。(riverはライバルのこと)
何かこれほど科学技術が発展してもこの戦いが古典的なものにも見える。それはドニエプル川を挟んでの攻防戦が最大の山場になっているということでもある。
それだけドニエプル川というのは自然の境界となり互いに二つの国を分ける働きをしている。そのことは変わらないのである。
だから大陸を見るときは川を知らなければ歴史もわからないのである。そもそも四大文明が川から生まれたというのもそのためである。日本にはそういう大きな川がないから大陸の川のことを理解できないのである。
でもドニエプル川を挟んでウクライナ側ウクライナ側ウクライナが大攻勢をかける。それに対抗するロシアがある。それはまさに川を挟んでの攻防戦なのである。
狭い川幅のところがありそれがとか80mとかの幅でありそんな狭いところでも渡ることは危険であり死んだとかなる。
それだけ川を渡るということは危険なのである。
●地形は変わらない障壁となる
ともかく今回のウクライナとロシアの戦争は近代戦争とも思えない。何か古典的なものであり川をめぐっての戦いの再現だったのである。だから人間は基本的に変わらないということもある。それは地理が地形でも変わらないからその宿命から逃れられないのである。
だから世界でも日本でも地歴を知ることが基本にある。ただ日本の弱点は大きな川や平原や砂漠がないので理解しにくいのである。
とても川の大きさとか平原とかとか砂漠とか森でも平地に延々と続く森を理解できないのである。
人間はどうしても地理的宿命から逃れることはできない。身近なところでわ福島県は浜通りがあるが阿武隈山脈に遮られてどうしても一体感が感じられないのである。
むしろ仙台のほうが海岸沿い太平洋岸沿いで連続しているから地理的には宮城県にも入っているのである。福島市は阿武隈山脈または高原によって遮られて一体感が感じられないのである。
ただ不思議なのは南相馬市の鹿島区から蔵王がみえ見える。それで山形県と通じているというふうにも見るのである。
なぜならあっ吾妻山などは見えないからである。もちろん会津の山などは全く見えない。それで福島県は地理的に一体感は感じられないのである。
大陸になると境界になるのは川であり川の役割が大きいのであ場る。その大きな川がが日本にはないからどうしても大陸を理解できなくなる。
ただ今回のウクライナ戦争で実況放送したので川が依然として大きな戦争の勝敗を決する障害となり戦争の勝敗を決する場となっている。それは人間の歴史が始まって以来変わらないと見たのである。