2023年04月01日

需要がないのに宅地でも新築の家が作られる矛盾 (新たに仕事を作り出すー家のリホームと庭のリニューアル)


需要がないのに宅地でも新築の家が作られる矛盾

(新たに仕事を作り出すー家のリホームと庭のリニューアル)

人口を減らしたくないという市町村の事情と、常に新築住宅を作り売らなければならないようなビジネスモデルになっている住宅会社の事情、さらには資金の活用先を増やしたい金融機関の事情から、人口減少が明白であるにもかかわらず新築住宅は増えている。
市町村など自治体にとって人口減少は税収減や地域経済減退につながるのでなんとしても避けたいものだ。総人口が減るなかで、自分のところの人口を減らさないためには近隣の他市町村から住民を引き抜いてくることしかない。すなわち自治体間での住民の取り合いとなる。

それも市街地の中心部や周辺ですでに発生している空き地や空き家を埋めるようにすれば良いのだが、実際は前述のような理由からそれがなかなかできず、それらを放置したまま別の場所に住宅を新築させようとする。

銀行など金融機関も、低金利下で稼ぐ手段として前記の住宅会社と組むケースが出てきた。その中でも土地も資金も持たない個人に対し融資をし、住宅会社が進めるオーナー商法に積極的に協力するところも現れた。
「ローンの返済ができない」などの問題も…人口減少の日本で「新築住宅が減らない」4つの理由

その大工さんは家のリフォームの後庭もリニューアルするとして石の配置を変えたり私がいらないという花の木を切ったりした
花でも同じものをいつも見ていると飽きる。
庭でも何か同じだと飽きる。それで自分自身が新しい花を買ってきて植えた。それで足りないので何種類かの花をコメリからかっ咲かせる育てることは野菜を作るように土とかとも関係してめんどうなのである。
だから人間はあらゆることに通じることは不可能である。
私自身は庭に花を自ら植えたりしたがそれ以上変えるつもりはなかった。でも大工兼庭師が勝手に変えたのである。
それは悪いものではなかった。それなりに前とと違ったものとなりリニューアルされたのである。
それならまた金を払ってもいいと納得した。

このように庭のリニューアルでもリフォームでも前よりよくなればそれに金を払う。その人は今度は墓も作っていたので墓石が汚れているとしてそれを落とすということを言った。
確かに石が汚れて赤くなっている。だからそれも必要なのかと思った。
つまりその人は新たな仕事の需要を見つけたのである。
ただ金のない人はそんなことしなくてもいいともなるだろう。
ここで考えたことは今なかなか仕事がない時代になっている。
何か仕事と言うとき老人が増えれば病気とか介護になりその方面の需要は増えてくる。ただ仕事は需要があってこそある。でもまた新たに新た需要を作り出すことによって仕事も生まれる。
私自身庭を変えるということを少しは考えてもそんなに庭を変えようとは思っていなかった。そこに需要を自ら見出していなかったのである。

何か現在の仕事は新しく家を建てたりすることができなくなっている。少子高齢化でもあり若い人が少なければ家を建てる需要も
減少してくる。
この辺で新築の家が増加したのは原発事故の避難者が故郷に進めなくなった人たちが移住してきたからである。
だから新しい町が三つくらいできた感じになる。新興の住宅地ができたのである。
それも一段落したそれでもなぜ新しい住宅造成地ができるのかとか大東建設のアパートがまたできるのかと疑問だった

そんなに需要があるのか?

もうそんなにないのに依然として開発がなされていることがわからなかった。この記事を読んで明確に理解した
需要がないのに無理して作らねばならない理由がわかったのである。人口減少で自治体間で人の奪い合いになっているという説明である。この辺は原発事故で人が流動した。そして避難区域でわ
家は捨てられ田畑も捨てられ荒廃したのである。
でも周りの市や町に移住してそこは帰って人は増えたのである。このことは特殊なことであるが他でも起きていたことなのである。人口減少で人の奪い合いになっているということである。
需要がないのに土地造成をしてアパートを建てている。でもそうせざるを得ない理由が社会にある。
銀行でも貸付先がないから需要がないのにか金を貸して需要を作り出しているのである

現代は供給過剰社会になっている。だから空き家が増えても利用できるとしてもしない、新しい家を作りつづける。
経済理論では江戸時代でも常に大火がありそのために家が新築されるから需要が生まれて景気よくなったとなる。
戦争になれば奇妙だが家でもインフラでも破壊されるからやはり巨大な需要が生まれて景気よくなる会社も生まれる
経済にとって需要は大きな問題である。それであえて需要を作り出すため公共事業を国で作り出したケインズ理論が生まれたのである。ピラミッドの建設も需要を作り出す公共事業だったという新説もこのようにして生まれたのである。
供給と需要は密接な関係がある。供給が先か需要が先かとなると簡単に決められない、供給しても需要がなければ経済はまわらない、 百万都市の江戸は消費地として発展した
何か生産したわけではない、諸国の大名が集まる大消費地だったのである。別に何かを生産することもなかったのである

ともかく現代は供給過剰社会であり何か需要を見出すことがむずかしいにである。戦後の焼け野原だった何もなくなったから膨大な需要が生まれた。小さな店でも物がないから物を置けば売れたのである。需要に供給が追いつかなかったのである。
でも今は供給過剰社会である、これほど空き家があるのに利用されない、新しい家を建てつづけている。そうしなければならない理由がある。それは需要がなくても消費者側とは関係なく生産者側の要求でそうなっているのである。
でも少子高齢化社会では様々な新しい需要が生まれにくい、病気が増えるとか介護が増えるとかの需要が増大する、でもそれが経済成長には結びつかないのである。



posted by 天華 at 21:47| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2023年04月02日

相馬六万石の桜 (みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

相馬六万石の桜

(みちのくの桜の短歌ー城と桜のこと)

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街中に数羽鳴きかい燕来る

満開の桜に夕日映えて暮る六万石の城の跡かな
城跡のお堀にあわれ夕暮れや桜を写して女高生行く
桜色女高生行く城下町辻を曲がりて春の日暮れぬ

城跡に枝垂桜の優艶に小高の暮れぬ我が訪ねて去りぬ
牛越城五年ありしと桜咲き風吹き暮れぬ短き日かな

赤々と椿の映えて安達太良や夕風吹きて花も散りなむ
二本松の城に夕暮れ赤々と椿の咲きて風騒ぐかな
山城に井戸の深きも散る椿赤きや守る侍死にぬ


石垣の反りて高く広瀬川ひびき流れて燕飛び来る
みちのくの仙台の街の夕暮れや遅くも咲きし桜匂いぬ


その場所と歴史とが一体となっている。そういうところが魅力がある。城はそういうことで魅力がある。ただ相馬の城跡があるにしてもそこにどういう歴史があったのかイメージしにくい、
でも六万石というときその規模からイメージするものがある。
それで

城下町六万石や冬椿

私が作ったものであるが何かこれが相馬六万石の城下町をイメージされる

春や昔十五万石の城下かな 子規

ここに6万石と十五万石の差がある。六万石となると規模が小さいからである。だから貧しいともなる。それで冬椿がにあっているとなる。
小高の城は相馬氏が支配した一番古い城である。次に原町の牛越城に移り五年あった、短いにしても小規模でも城があったとなる、城というより館のようなものである。
相馬の女学校ではなぎなたを教えていたのはやはり城があり江戸時代から伝えられたものがあったためおなる
何故なら原町高校とかなると商業高校から始まっているからである。

城というとき二本松の城は魅力がある。山城であり背景に安達太良山が映える、桜がその山城を覆う、椿も赤く咲いていた。
深い井戸もあり城は水を自給するから籠城できたとなる。

城内に120カ所以上も掘られたという井戸で、17カ所が現存しています。深いものは約40mもあるとされ、加藤清正の頃から熊本が豊かな地下水に恵まれていたことを今に伝えています。

これだけの井戸があり政府軍が籠り西郷隆盛の軍が攻略できなかったのである。
つまり籠城しても水がないとできないのである。これは今の戦争でもそうである。食料でも自給できなければ国でも守れないのである。それはウクライナの戦争でロシアが食料を自給できるから戦争できる、ベトナム戦争でも芋を食料としてしのいだ。熱帯だから芋の成長が早かったのである。長期戦でもできるとなったことでもわかる。
日本の危険は外国に食料を頼りすぎて国防からみれば危険なことだったのである。

とにかく城には桜が映える、でも城があるときは桜がさいていなかったのである。
城内に桜が咲き誇るようになったのは明治時代以降のことで、江戸時代までの城には今のように桜の木は生えていなかった。城下町や街道を見張るために城内の木々は基本的には伐採されており、植栽されていたのは食糧にもなる梅や、合戦時に利用できる松・竹などに限られていた。

実用的なものとして井戸があり桜はなかったのである。
城は捨てられてかえりみらなかったのである。
時代劇で浪人が城を嫌っていた、城の侍を妬み恨んでいたからである。私の家を建てた時も家が大きいから妬まれたのである
それは50年前となるとまだみんな裕福になっていなかったからである。その後はみんな豊かになっていたのである。
城でもみんな庶民がいいものとして見ていたとは限らない、庶民は米を侍に収めるのだから支配されるのだからいいものとも見ていなかったのである。元の侍が城が荒廃するの見て桜を植えたからである

ともかく桜は日本を象徴する花である。桜前線は北上して稚内まで咲いていた。すでにその時6月になっていたのである。
このように桜が咲く時期が日本全国で違っているのも魅力なのである。みちのくは西の京都大阪からすれば遅く咲く
西の栄がありその桜が散ってもみちのくでは咲き始めるのである
そのことが地理的にも歴史的にも桜が象徴となっているのである






2023年04月03日

鹿島区桜田山から海を見る (万葉会館の丘も桜満開)


鹿島区桜田山から桜と海を見る

(万葉会館の丘も桜満開)

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山桜万葉園の芽吹きかな
街中の墓地に参りて落椿

太平洋沖に船行き満開の桜の映える丘に上りぬ
満開の桜に赤し椿かな遠くに望む鹿狼山かな
若草の丘に桜や椿咲き遠く望みぬ鹿狼山かな
我が墓の赤錆落とし春の日や供養と勤む人と語りぬ

桜田山の万葉園は荒れていた、震災以後荒れてしまったのである。もともとここを見に来る人もわずかで寂れていたのである。
何か庭でもそうだがリニューアルしないと魅力がなくなる。
ただ山桜が咲き芽吹きがあり美しかった

今は万葉園の方が整備されて散歩する道がありその斜面に桜が咲き満開だった、でもここの桜の木はまだそれほど成長していないのである
ここは新しいから若草が生い茂り蕗の薹もでていた
遠くに鹿狼山がみえた、この山は400メートルくらいでもこの辺では高い山であり遠くからでも見えるのである
自分の家の墓に御影石に赤錆で汚れたので大工兼庭師兼墓作り掃除する人は重宝する、でも庭でも狭いからそんなに変えることはできない、金もかかる、昔の戦前の金持ちは大工でも庭師でも専属として雇っていたのである。だから技をそこで磨けたのである
そういう家とか庭が今は観光として金をとって見せているのである。




2023年04月04日

熟年離婚で意気消沈する男性 (老人が無用化して迷惑老人となる深刻)


熟年離婚で意気消沈する男性

(老人が無用化して迷惑老人となる深刻)

●熟年離婚で失うもの

最初のうちは清々したと思っていても、今まで妻になんでもしてもらってきた男性というのは急に一人になることに対して心細くなり、もっと違う方法があったのではと後悔するということは珍しくありません。

その逆に裏切られたという気持ちを持つ男性も少なくなく、今まで散々家族を守るために身を削って働いてきたのにこの歳になっての離婚はひどすぎると落胆する人も多くいます。


この問題の前にそもそもなぜ離婚が多いのかということである。
そうして長年連れ添った妻と別れることが男性にとってどれだけ衝撃的なことなのかそういう人を見て理解する。
何か60歳以上で離婚した人を男性を見ていると意気消沈した感じになる。 60歳以上といっても65歳でくらいで離婚したのかもしれない。そんな年で長年連れ添った妻と離婚するということが結婚したことのない私には理解できない
ただなぜそもそも離婚がこんなに多いのだろうか

熟年離婚とは長い結婚生活ですでに協調できない何かがあり子どもが育ったとき我慢することがなく離婚に至る。
そういう人も女性の場合多いことがわかる。しかしなぜ長年一緒に暮らしていたのに離婚になるのか。それはかなりの損失である。なぜなら人間の生きる時間は限られている。だから60歳までも一緒に暮らす時間がありそれが失われてしまうことがどういうことなのか
人間にとって大事なことは時間なのである。何をするにしても時間がないとできない。だから何であれ人であれ何か学ぶことであれ体験することであれ時間が必要なのである。

だからその時間を結婚して60歳までも一緒に生活していた人が離婚するというときそのの長い時間を費やしたことが無駄になると思えるのである。
人間はあらゆることに時間を費やすことはできない。だから親子でも子供の時一緒に暮らさなければ親子の情も生まれないのである。成人しても子供が結婚して離れて暮らしたりしていると親子の情も薄れてゆくのである。
去る者は日日に疎しとなる
でも一体それだけの時間を共に暮らしていたのに60歳以上になり離婚になり別々に暮らすということがどういうことなのか理解しにくい。なぜなら人間はそうして長く生活を共にする人は本当に数人くらいしかいない。あとは束の間の出会いで通りすぎるように別れてゆくだけなのである。

●貴重な時間を何に誰と費やすのか

つまり人間は与えられた時間を何に費やすか大事になる。
またその時間を誰と共に過ごすのかそれも大きな問題である。なぜなら人間の与えられた時間は限られているからである。
Aと逢いBと逢いCと逢い、、、、となってもそれは会ったと言えるのだろうか、そもそも人間逢うということはどいうことなのか
あなたと逢いましたねまたすぐに別れましたねそして二度と逢わなくなりました、なぜなら死んだからもう逢えなくなったからです。あの人とあっていればよかった。死んで逢えなくなったからである。人間は逢うとうことは必ず別れることなのである。
どんなに長い時間を過ごしてもいずれは別れるのである。

だから人が会うにしてもそこに時間が費やされる。貴重な時間を会う人に対して使うのである。
結婚するというときそれは男女が出会い長く暮らすもである。。でも恋愛は一時的なものでありそれがいかに熱情的なものでもいずれは冷めるのである。
結婚はそうした一時的な熱情ではない。長い時間を貴重な時間を共に過ごすということである。だから誰とその貴重な時間を過ごすのかそれはこんなに大勢の人がいても一人なのである。
一人が選ばれるのである。たとえ離婚してまた結婚してとなってもその数はせいぜい二人くらいだおなる。。
実際は人間は男女でもある一人を選び結婚する。
また早いうちの離婚なら再婚してもせいぜい二人だと思う

●熟年離婚で男性は意気消沈

ともかく近くで知っている人は妻に死なれてから相当にショックを受けた。死んでも妻のことを思い続け供養を絶やさなかった。そして妻無き家に居ることが寂しくてたまらなかった。それは熟年離婚したわけではない。
でも最愛の妻と別れてその寂しさが耐えられないものであったのだ。男性の方が妻を失うことはか衝撃が大きい
やはり妻に支えられていたということがある。それは経済的なことではなく精神的なものでありそれが離婚したとき自覚され意識されるのである。

熟年離婚した人を見ていると男性の場合は意気消沈している。
おそらく男性は亭主関白だったのかもしれない。自分の言うことをつまり妻に従わせる。そういう結婚生活だったのかもしれない。それが離婚した結果従う相手もなく意気消沈してしまったのかもしれない。
その人は一人で居ることができない。常に誰かがそばにいて仲間がいることは日常的な生活だったからである。
離婚した結果どうしても家でも一人でありその一人に耐えられないのである。ただ仕事はできる人間なので仕事をしているときは生き生きしているのである。ただその仕事をするにしても支える妻がいなくなった時仕事が終えても自分で食事でも用意しなければならない。それはかなりの負担になったのである。
ただ熟年離婚は増えている。だからこうして一人男性が取り残される人も取り残される人も増えているのである

これは高齢化の問題でもある。たとえ60代で離婚してもその先がまだ長いからである。その長い時間を一人で生活しなければならないからである。

●ただ迷惑行為して生きる老女

こうして高齢化の問題はここにも現れている。他にも何かすることもなく生きがいもなくただ迷惑行為をするために生きているばあさんがいる。キラキラした金属のものをぶら下げてふ迷惑をわざわざ作って迷惑行為をするのがその女性はそうして迷惑をかけることが生きがいともなる、それも異常だとなる。
それで市営住宅の知っている老女はそのために目が悪くなるとまで言っている。
その迷惑ばあさんは何の為に生きているのか。ただ人を困らせて生きている迷惑ばあさんになっている。それも無視できない笑い事にできないのは現実にそのキラキラした金属片で目が悪くなると老女がいるからである。
こうして高齢化社会はいろいろな問題が生まれている。それは長生きはいいとしてもその長生きした人生を意味あるものと生きがいあるものとして生きられないことである。

だから高齢化の問題は金がなくて生活もまともにできない食べるものも満足に食べられないという問題も深刻である。
それと同時になんで生きているのかもその意味が見い出せなくなっているのである。それは例えば障害者であれどうして生きているのか生きる意味は何なのかそれもわからない。老人の問題はやはりなんで生きているのか何の意味があって生きているのかそれが見い出すさあれずただ迷惑人間となっていることが問題なのである。
もうし60代くらいで死んでいればこんな問題は起きなかったかもしれない。迷惑人間になる前に死んでいたとなるからである

2023年04月05日

庭作りから自然を農業を知る (農業社会から工業社会の変化)


庭作りから自然を農業を知る

(農業社会から工業社会の変化)

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庭に咲き続けている牡丹が散る

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●庭作りは野菜作りと共通している

庭作りは素人でも結構関われるものかもしれない。
そのの人なりのイメージで庭を設計して花の木や花々植える。でもそこで問題なのは花を植えても必ずしも咲かないことである。それで3500円のボタンを覚えて咲かなかったので損した。
その原因は何か分からない。他でもやはり植えても咲かないとゆうことがある。私の庭は狭い。その一角は比較的広いのでそこに花木を植えた。でもその庭は前は小屋が建っていてその小屋を壊して庭にした。
だから土は良くないのである。そこで肥料を鶏糞をまいたのである。花を育てることは野菜を育てることと似ている。花でもいろいろな条件で花輪が咲く。
日ざしを日の当たりがいい場所とか日陰がいいとか乾燥したところが良いとか水はけが良いところが良いとかいろいろな条件がありそれに適した花が咲く
それは何か野菜の特産物があるがそれはその土地の条件がありそれにマッチして生まれたのである。そこにはいいろいろな条件がありそれはその土地でしか育ちえようがないものがある。

●花を育てるのも風土に影響される農業と同じ

それは果物でもそうである。葡萄ですらいろいろな気候の条件によって独特の葡萄が作られワインが作られていた。
そしてワインの名でもその土地の名がつけられったのである
何か前に川でも湖でもその光の反射が影響しているとかもテレビで見たことがある。風でも光でもその土地の影響を受ける。
その場所場所によって条件が異なりその果実も違ったものとなる。それは例えば工業製品とは違ったものなのである。
米でも水の影響があり私の住んでいる場所では山の方が水がきれいでありその水の影響を受けてその土地の米はうまいとなり買っていたのである。

今はさまざまな種類の米が売られている。その味の違うのはその土地の条件が違ってブランドの米が生まれてその米は価格的にも高く売れるとなったのである。
それは酒の味でも同じなのである。米野種類がいろいろあり米から酒を作るからそうなるのである。
だから農業はその土地土地によって土地の条件によって適したものと適さないものがありそのその条件に見合ったものが実りとなる、味もその土地によって違ったものになるのである

●工業化社会は風土を無視するから危険があった

工業製品だったら部品でも画一的で規格化されて同じものにされる。それで工業化社会というのは同じものを大量生産するということにもなる。そののために工業社会に適応させるために学校が作られたとも言われる。
同じものを規格化して大量に大量生産に適した人として部品化して作られる。そこで個性とかは無視されるのである。
なぜなら規格品を大量生産することが現代工業社会の目的となったからである。
そもそも人間の個性を言う前にその土地土地の個性があり風土がありその風土によって人間も作られる。

でも工業社会になり大量生産になると土地土地の条件がなどは無視される。つまり工業社会とは風土を無視したものなのである
それが極端なものとして原発などもそうである。それはその土地土地の条件などと関係ない技術である。それでその土地土地のこと風土とかを無視したからこそ大事故になったのである。それは津波でもそうである。もともと津波がくる場所だったのである。それは歴史を見れば分かっていたことである。三陸沿岸などは明治時代にも1万人も津波で死ぬ大災害があったのである。
だからこそ女川の原発ではその経験から副社長の人が5m高くして原発を作った。そのことでギリギリで原発のお破壊からまねがれたのである。それもギリギリであり非常に危険だったのである。

自然の歴史は地史となり億年とかのスパンで見ないとわからないのである。
そのために相馬地域では相馬藩政記で記録されていた700人が溺死したという記録が二行だけ残っていたのである。
しかしそれも津波があってから初めて発見されたのである。
それはたった二行でありでもその記録は本当に貴重なものだったのである。そのためにこの辺で津波は来ないという確信にもなっていたのである確信にもなっていたのである。

●20年以上咲きつづける庭の牡丹の不思議

一人の間の生きる時間はきわめて短い。でもこの地球の宇宙の時間はとてつもなく長いのである。だから一人の人間の力ではとても知り得ないものがいくらでもある。謎がいくらでもある。
それが農作物や花にもある。なぜ私の庭の牡丹が20年なのか30年なのか毎年肥料も水もたいしてやらないのに咲き続けているのか不思議である。。もう咲かないと思ったら今年も蕾が二つ出ているのである。
牡丹は水はけが良いところに乾燥したところに咲くのであり確かにそこは日当たりがよく乾燥していたのである。ただそれにしても肥料もやらずに水もたいしてやらずに20年30年と咲き続くものなのか不可解だとなる。
だから身近なところでも常にこうして謎がある。

科学であらゆる謎が解明されたようでもされていないのである。
もし私が理系で科学に詳しかったら多少は分かったかもしれない。でも科学ですべてがわかるということは無い。依然として自然でも宇宙でも解明されないことが無数にある。ただもしこのこの牡丹が咲き続けた土を分析すれば分かるのかもしれない。
とにかく私が興味を持ったものは地理と風土である。
それは私が旅をしたことによりそれは仕事のようになり地理と風土に興味をもったのである。
だから文化とはカルチャーでありそれがcultivateであり耕すから生まれた言葉である。その土地を耕すことが文化に通じていったのである。その土地土地の条件によって違った作物が作られまた芸術でも想像されてきたのである。

●農業社会から工業社会の変化

ただ人間には一方で工業化するということは大量規格品を作るということは必要でもあった。それが現代でわ余りにも大規模化して人間的なものが失われたのである。
それまでは工業化といっても規模が小さい。だから小さな小規模な農村社会でも鍛冶屋がいて農民のためにいろいろな種類の道具を作っていた。それで稲荷神社はあるとしたらそのいなりとは鉄のことであり鉄の道具を崇めていたともなるのである。
今なら電気であり電気社会でありそれが原発は電気をつくるのだから原発が神のようにも崇めていたともなる。。
それは農業社会でも鉄を作り鉄の道具を作りそれを崇められたとも似ている。でもそれはまず農業社会があり農業社会はどうしてもその自然と密接に結びついているから自然を破壊するということは無いのである。

もちろん農業でも自然破壊であった。なぜなら焼畑とは森の木を燃やしてその肥料としたからである。
農業にとって肥料はその基礎となるものであり肥料に苦労してきた歴史でもあったからである。それで花にしてもやはりその土とか自然条件とか肥料でも必要なのである
つまり庭に花を花の木を植えるにしてもそれは農業と似ていたのである。だから庭作りは野菜作りとも似ているのである。
ただ庭作りは何か芸術的要素がある。それで庭作りには興味がある。でも私の庭は狭すぎるから実際は庭作りにしてもかなり限られているものがある
でも自然に興味を持ち花に興味を持ち持つならば庭作りは適している。それでこれは老人にも向いているのである。
なぜならもうやはり75歳くらいになるとどうしても足腰が弱り自転車でも遠くに行くと疲れるようになったからである。
するとどうしても家に居ることが多く家中心の生活になってしまうからである。
それで地震とかで家が歪んだり壊れたりして直すのに金がかかったのである。家も50年過ぎて老いたので必ず家もリフォームが必要になっていたのである

2023年04月06日

あざみの抽象画


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あざみの抽象画

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抽象画でも必ず具象画をイメージしている。不思議なのは具象画から抽象画はイメージできない。
このあざみの抽象画でも別にイメージするものがあるがアザミだとしてイメージすると鑑賞できる。
抽象画が無数に作られるのはインターネットに無数にその素材となるものがあるためである。。
ただそれをソフトで変化させているだけだからである。
それで常に著作権違反になっているかもしれないのである。
特に抽象画家からさらに抽象画に変化させることがしやすい。
それは無限にも変化しやすいのである。
だからいくらでも抽象画は作られるのである。それはパソコンが生まれてできた芸術なのである。

Even abstract paintings are always inspired by figurative paintings. The strange thing is that you cannot imagine an abstract painting from a figurative painting.
In the abstract painting of this thistle, there is another image, but if you imagine it as a thistle, you can appreciate it.
The reason why countless abstract paintings are created is because there are countless materials for them on the Internet.
The reason for this is that there are countless sources on the Internet that can be used to create abstract paintings, only to have them altered by software.
This may always be a violation of copyright.
It is especially easy to transform an abstract painter into an even more abstract painting.
It is easy to change it infinitely.
Therefore, abstract paintings can be created as much as possible. It is an art form created by the birth of the personal computer.

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鹿島駅で運輸省に入った人と話す (国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で運輸省に入った人と話す

(国会議員の斎藤邦彦のコネで入れたという)

鹿島駅で上真野の人がいて話しした。
その人は運輸省に入り仕事していたという。
国鉄のことを盛んに言っていたからその関係の仕事をしていたのだろう。
でもその人は国鉄のことを盛んに言って社会党を支持していた。社会党は国鉄があって政党として成り立っていた時代があった。でも鉄道が衰退して民営化されて国鉄の時代は終わった。国鉄関係で働く人が地方でも多かった。
今の駅の前に国鉄の官舎があり小学校の同級生にそういう人がいたのである。国鉄というのは他にも近くで線路工夫をしていたり勤めている人が多かったのである。国鉄一家ともなっていたのである。
それは鉄道が運輸を担っていたからである。
それも車時代になると輸送でも車に変わってしまって衰退したのである。

その人はなぜ運輸省に入ることができたのかそれはその人が優秀だったからではない。その時斎藤邦吉が国会議員であり大臣にもなったからその人に100万とか裏金を包んで出して入ることができたという。その人を見れば確かにそう思う。
とても運輸省になど入れる人に見えなかったからである。
今77歳にしてもすでに80以上であり85くらいにも見える。もう70歳上くらいになると歳では計れない、見た感じでも十歳くらい違っているからである。
とにかく老人になって故郷に帰る人が結構いる。前にも会ったことがある。それがわかるのはしゃべることが東京弁であり標準語をきれいにしゃべるからである。訛りは確かに国の手形なのである。
前にあった人は埼玉の方にも住んでいて関東地方転々としていたから訛りはいろいろと重なっていたのである。
だから訛りは隠せないのである。訛からその国のことが分かるのである。

駅だと何かこうして前もそうだったが一人二人くらいしかいないので話すことがある。でも高速道路のSAはよそからから来た人と語ることなど無いのである。
だから外の人と話しないからどういう人が来ているのかわからないのである。そしてあまり待つということがないのでしゃべることもないのである。
ただ最近は駅で話すこともなかった。ボランティアで案内していたが警察が来て怪しいとされ職務質問されてからは行かなくなったのである。

今日は久しぶりに人がいたので入ってみたらその人は私に向かって話しかけたので話したのである。
話が通じるのはやはり同世代だからである。でもその人がどうしても運輸省などにはいれる人とは見えなかったのである。
その人自身が運輸省にははいれないと思ったが斎藤邦吉の口ききで入ったと言っていた。そういうことが就職を斡旋することが金としてやる仕事にもなっていたということがわかる。
今でもそういうことがあるかもしれない。政治だとやはり利権の
関わりでそうなりやすいのである。
ともかく国鉄があったとき社会党が力を持ち結果的に国鉄が民営化するときでもかなりのお金を辞めた人にももらえたのである。それはまだ社会党が力を持っていたからである。

今は国鉄はなく農業もう衰退した時農協も力を持っていたが今はない。票田として農家があったが今は農家も少ないから表になり得ない。
それで公明党とか創価の力を借りて自民党は生きながらえているのである。統一教会問題もそこから起きていたのである。
このように政治は利権でありその利権団体でも時代で変わるから支持する組織団体も変わる。いずれは創価も衰退しているから頼りにならなくなる。すると次の頼りになる票になるものを組織団体でも探さねばならなくなる。

いずれにしろ国鉄の時代は社会党が力があり社会党の政治家が国会で常に質問して自民党を攻めていたことを思い出す。
今は野党でも何か能力に欠けている。自民党攻めるにしても何か強力ではないのである。社会党も万年野党だったがそれなりに自民党強く攻撃していたことを思い出すのである。
それは国鉄が鉄道が国の運用にない大きな力を持っていたからなのである

とにかく東京で暮らした人も結構故郷に帰ってきている。でも老人であり働くわけではない、つまり東京から地方に帰るのは老人である。若者は地方に来ないのである。だからこれでは地方の活性化にならない、むしろ病気になり介護になる割合が高くなり地方ではより高齢化社会になる。飯館村にしても一割なのか二割なのか入って来た人たちは年配のひとである。
その人たちは郵便配達とかで働いている。でも50以上とかなりいずれは老いてゆく、するとどうしても介護とかで世話になる方になるから問題なのである。先を長くみれないので困るのである。またその人たちは子供もいないし未来を担うことができないのである。ただそれはここだけの問題ではない、日本全体の問題であるがここでは原発事故で津波の被害でも極端なものとして現実化したのである。

北泉の津波の犠牲者の石碑を見る (金沢の地名の由来ー古代の製鉄に関係していたのか)


北泉の津波の犠牲者の石碑を見る

(金沢の地名の由来ー古代の製鉄に関係していたのか)


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星ヤスという女性の孫が星勝(まさる)である。89歳となるとそうなる
鈴木氏と語ったが親戚がいてここで死んだ言っている

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前田は草分けとなる家でありここでは高台になっているのは下は入江になっていたからである
入江になっていれば海の魚が入ってくるから取りやすかったとなる
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北泉から金沢へ行く。そこで津波の被害にあった人の記念碑を見ている人がいたので花を捧げている人がいたので聞いてみた。
その人はこの地域に住んでいた人である。その親戚の人も津波で死んだという。鈴木という人でありその親戚の人が死んだのである。
ここの悲劇は消防隊の人と区長が死んだことである。その人たちは住民を見守る人でありそのために安否を気遣いそれで逃げ遅れて死んだのかもしれない
その死んだ人の家を家があったところ教えてくれた。
孫が消防隊員でありここに住んでいたので役目柄見守り役となっていたから津波に巻き込まれて死んだとなる。
消防隊員だからそれは殉職になったのである、ただ消防消防署に勤める人ではなかった
地域の消防隊員であり正式の消防隊員を支える人でもあった。

とにかく消防隊員も津波でこうして死んだ人がいた。
それはどうしても自ら逃げるというより人を助けることが優先されたために犠牲になったとなる。
だから殉職になったのである。
それも40歳代だから若かったとなる。津波で死んだ人は老人が多かった。もともと地方は老人が多かったからである。
地方では40歳代は相当に若い。農業でも60代以上であり70歳でもしている。消防は若い人でないとできない。でもその若い人が減少しているからいろいろなもの祭りでも後継者でもいなくなっているのである。

ここで海の魚をとっていたという。でも港はなかった。船を直接海に出していたのかもしれない。火力発電所は無いときは私は金沢によく行っていたのである。その時烏崎から金沢の海岸まで砂浜が続いていたのである。それが火力発電所でなくなったのである。金沢にも松原がありその松は太いものでありキャンプ場にもなっていたのである。
しかしその松原も津波で根こそぎ流され何もなくなったのである
その時金沢の田に海の水が入ってきて大量のボラが泳いでいたのである。それはもともとここは入江のようになっていたからである。その入江になっていれば魚も入ってきて魚もとっていたとなる。
でも金沢は元禄時代頃に入江を田たにしていたのである。だから意外と早く田になっていたとも見る。
その理由は狭いからだったかもしれない、八沢浦のように広いと簡単に埋め立てはできない、そこは明治以降に埋め立てて田にしたのである。

となるとここはなぜそんなに早く田になっていたのかとなる
今ある火力発電所では古代に製鉄が大規模に行われていた。
そのために金沢という地名になったのかもしれない。
金属の滓が流れてくるので金沢となった。
それそれは古代でありたができたのは元禄でも江戸時代なのである。でも地名は古代に名づけられたのが多いからやはり製鉄が行われていてその金屑とかが流れる沢であり金沢となった。

ともかく北泉の低い部分を家がなくなった。二軒残っているがそれは古い家ではない。社のある流された家のあるところが古いのかもしれない。
近くに延命地蔵の社がありそれは江戸時代のものだからここでも古いのである。
そしてここは泉氏が勢力をもっていて相馬氏と対抗したのである。なぜなら古代から泉があり酒になったとかの伝説があり長者伝説があるからである。
なにかしら財を成すものがあり相馬氏に対抗する力を持ったのである。そして西殿の地名がある所は相馬氏が支配した地域であり
そこから牛越城が見えるのである。つまりその位置が重要なのである。なんらかでそこに城を移す理由があったからである。
それは泉氏が強い勢力を持っていたからだともなる。



相馬藩の牛越城移転で泉氏が人夫徴発に不満で火を放つhttp://musubu2.sblo.jp/article/99970929.html


posted by 天華 at 21:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 津波、災難の対処

2023年04月07日

デジタル社会は安全と信用が問題 (不正請求にだまされた損した)

デジタル社会は安全と信用が問題

(不正請求にだまされた損した)

auのスマホが通じなくなった、それを通信障害と思い一週間くらい放置していた。私はスマホほとんど使っていないからである
なぜ通信障害と思ったのか失敗はauに電話で直接聞かなかったことである。何か通信障害とばかり思いこんでいたのである。
そういう発言がネットでもありそれをみて通信障害と思い込んだのである。
でもauの支店で直接聞いたら簡単に回復した

それは設定でon-offがありその設定を変えて一発で回復したのである。
それはwin11に変えたことでも起きた、最初の画面で設定をやはりon-offがありoffにしていなかったのである。
それで文字が打ち込めなくなっていたのである。
つまりパソコンは何でもon-offになっていて成りたっている。
どこかでその設定が間違っていると今回のようなことが起きる
スマホは使わないし慣れていないのでわかりにくいのである。

ともかくパソコンでもスマホでも操作がめんどうであり使いこなすことがむずかしいのである。それで老人はなじめないのである。また電子化できないのも操作がめんどうなためである。
そしてどういうわけかハガキが来ていた、それはauからの請求書だったのである。
私はauで電気料金もはらっているし自転車保険にも入っている。
だからその料金のことかとコンビニで一万支払ったのである
でもauショップではそいうことはしていないと言われたのである
すべてカード支払いにしているからハガキで支払いを要請することはないと言われたのである

このようにデジタル社会はその操作もめんどうだしだまされやすい、いつのまにかネット銀行でも大金が盗まれることありそこが問題である。依然として迷惑メールが大量に来る
そのなかにau関係もあったがメールだと無視する
でも住所知りハガキで要求されると信用したとなる
つまり住所を特定されると危険であるがそれも防ぎようがないのである。

それからコメリでカードを作っていた。それも二種類あった
ただチャージして使うものと一年会員制になっているものである
会員制になるとカード無くしてもそのカードの支払いとめることができて再発行できる。
それでキクチスーパーのカードに一万チャージしたが無くして見つからず損した
それはカードでも支払いでも止めることができないものだったからである。
このようにデジタル社会の問題は安全性にある。そしてこうした手違いで大損失にもなる。一万くらいならいいが額が大きくなると取り返しのつかないことになる。
またパソコンでも記録したものが一瞬にして消えるのも怖い
だからどうして安全性を図るかが問題になる
もうそこには現実の生身の人間がいなくなるともなるからである。日本人がデジタルに弱かったのは契約社会でもなじめないのは村とかの狭い範囲の濃密な人間関係ななかで生活していたからだともなる。日本の文化が影響してデジタル化が進まなかったのかもしれない。

とにかくスマホをはじめたりwin11にしたりして苦労している
OSが変わるとまためんどうなのである。
それにしても設定とか多くてわかりにくい、操作がめんどうなことが改善しないとデジタル化は進まないともなる。
ただこれも慣れだから若い世代はデジタル世代でなじみやすい
でも老人は使いこなせないとなる。
要するに対面的に直接会うことで信用するとなる。デジタル社会は相手のことが見えない世界である
それで不思議なのはauの請求でだまされたことである。それは住所がわかりハガキだったことで信用したのである。
メールだったら信用しない、つまりデジタル空間では信用とか安全が図られていない、そこが大きな問題なのである。

現場の社員の方が案件の中身に精通しており正確な判断が下せる場合でも、上司の意向が優先されるため、「根回し」や「処世術」が必要になります。

結果として一つの判断を下すために多大な労力・時間を必要とするため、日本企業の意思決定スピードは世界最低レベルの状態が続いてます。

オンラインストレージを利用してデータを保存する形へ移行すると、第三者による情報盗取・改ざん・破壊されるリスクが、オンプレミス時よりも高まります。不特定多数の方が利用するサービスを共同で使う形となるからです。

日本のデジタル化はなぜ遅れてる?根本的な原因や今後の課題と対策について



2023年04月08日

故郷の丘の桜の詩ー桜散る (桜平山と万葉会館の丘の桜)


故郷の丘の桜の詩ー桜散る

(桜平山と万葉会館の丘の桜)

二本の朝の小径に花の影
タンポポのたちまち充ちぬ空地かな
六号線タンポポ充ちてどこまでも

花は散り残れる花や雨しとと朝の静かに今日も行く道
ふるさとに散りし桜を惜しむかな遠くへ行かず雨のふるあと
夕べ吹く風の強しも花の散りさらに花散り残す花かな
移り住む人の庭咲く枝垂桜月日の経るや色濃くなりぬ
早く咲き早く散りにし桜かな夕べの風の荒く吹くかな
庭に石枝垂桜や色濃くも月日を経てそ落ち着きにけり
夜の更けて花は見えじも風荒く吹く音ひびき花は散るらむ

故郷の桜

桜平山に太平洋を望み
沖に船行く朝清し
若草のういういしかも
蕗の薹もあまたいでて
植えにし桜も満開
かなた鹿狼山も望み
ここに新たな視界開けぬ
椿も赤く装う道や
畑は耕され実りあるべし
祖の労苦は時を経て叶えられむ
故郷を受け継ぐ者よ
未来は自然と共につちかれるべし
力尽くせ若きも老いも男も女も
災い深く傷ついた故郷
しかし再び蘇るべしかな

今年は桜が咲くのも早かったが散るのも早かった。
今朝桜の咲く土手を歩いていたら桜が夕べの昨夜の雨で濡れた道に散っていた。
そして夕べになる風は強かった。それでまた花が散ってゆく。今年の桜はこのように何か最低さいてもたちまちに散ってしまった感じである。
桜というのはやはり日本を象徴した花である。そこに何か人の命をその儚さを見るのである。
とにかく桜は咲いたらすぐに散ってゆく。そこに返って桜の美がありそれは人間の命も象徴しているのである。
でも枝垂桜となるとそういう感じはない。この辺では他から移ってきた人たちが二つ三つくらい住宅街を作りそこに住んで5年くらいすぎるだろう。その家の庭に枝垂桜は咲いている。そこに石があり月日おいて定着したともなる

桜平山と新しくできた万葉会館に丘からは街がまた海が山脈が鹿狼山が望まれるから気持ちいい、見晴らす場所としていい。
景観でも人間が作りそれで新たな視界を得ることにもなる。
南相馬市でも津波や原発事故で被害があったが改善されたところもあった。ただその傷は未だに残っている。
避難区域になった所がは回復するのが相当に困難である
南相馬市だと小高とかは回復がむずかしい、若人もまれだし子供もいないとなると老人だけで復興することはむずかしい
原町区とか鹿島区などはかえって移り住む人が増えて人口を減ることをまねがれたのである。
だから日本全国でもこうしたことが起きてくるかもしれない、少子高齢化社会で町や村が維持できなくなるからである
相馬地域だと相馬市と原町区を中心にしえ集約化するのである。
現実に小高の人々が原町に移り住んだからである

自然だと少子高齢化はない、今空家や耕作放棄地が膨大になっているが自然だとその空地でもタンポポが咲いてたちまち埋めつくすのである。そこに美があるから空地でも輝いているとはなる。でも空家にはそいうものがない、ただ荒れ果てて荒廃してゆくだけなのである。
だから人間のいなくなった世界がどうなるのか、そこにはやはり美があり美は消えないともなる。
もともと人間がいないとき荘厳な美が自然にはあった。それを破壊したのも人間だったのである。

鹿島区桜田山から海を見る (万葉会館の丘も桜満開)