茅葺屋根の家は冬はあたたかく夏は涼しい
(コンクリートの家の問題ー自然に反するものの問題)
かやぶきのメリットはたくさんありますが、その中でも利点を実感しやすいのが「断熱性に優れている」ということ。多くの茅を使用するかやぶきの屋根は、分厚い空気の層ができるため、一般的な屋根に比べて外部からの熱を遮る能力が高いという特徴があります。そのため、冬は室内の温度を保って暖か。反対に、夏は屋根からくる太陽熱を遮って涼しいというメリットがあるのです。
人間は誤解が多い。茅葺屋根の家など旧式の住みにくい前時代的なものと見ていた。でもそうでもなかった。冬は暖かく夏は涼しい。雨漏りするかとみたらしない。私の家は子供の時はトタン屋根の家であり常に雨漏りしていたのである。
だから洗面器を並べていたのである、それは江戸時代でもあったことである。トタン屋根とか簡単な屋根だと雨漏りしていた。
茅葺屋根の家は意外といいものだったのである。実際に茅葺屋根に住んだ農家の人の話を聞くとわかる。
今になるとどうしても茅葺屋根の家はとても住みよい家だとは思えなかったのである。そこに昔に対して必ず誤解が生まれていたことがわかる。
もう茅葺屋根の家というのはほとんどない。だからそういう家があったとしてもその住み心地がわからなくなったのである。
私の家は前は店屋であり父親がコンクリートにしてそこに簡単な物を置くものを品物をおくものを用意してただ並べただけだった。そんな簡単なことで店を開くことが出来たのである。
そのコンクリートのは残っている。でも今になると冬になるとそのコンクリートが寒さをもたらしている。すきま風が入りコンクリートが寒くしているのである。
でも昔の農家の家の土間だと土だから夏は涼しく冬は暖かいのである。それは土の作用でそうなっているのである。
だからコンクリートの家になると熱がこもったり夏は暑く涼しくならないということがある。木は湿気を帯び乾いたりしてあたかも木が呼吸しているようになっている。コンクリートではそういうことはない。
それで気密性が高いからエアコンなどで調節するのには向いている。でもそれは自然の作用ではないのである。そこにコンクリートの問題がある。
都会だとコンクリートジャングルになっている。それが相当に影響して夏は異常に熱くなっている。エアコンで調節するにしてもエアコン自体が熱を出して熱くしているのである。
ここでわかることは人間の技術とか文明には必ず自然に反するものはある。自然に逆らうものが人間の技術であり文明なのである。
だから必ずその反作用があり問題が起きる。
自然の中に生きるものは動物でもそれは自然に適合して生きている。でも人間は文明はそもそも自然に逆らうものとして作られたのである。だからその反作用として必ず環境汚染したりして問題が起きるのである。原発事故でもそうだった。それは人間の力では操作し得ないものでもあったからである
そして原発事故以後自然再生エネルギーとしてソーラーパネルとか風力発電を増やしたがそれも実際は自然に適合したものではないのである。ソーラーパネルは山をおおってしまった。そこには木もなくなり雨が降って貯水能力もなくなり洪水になりやすくなったともなる。
つまり人間の作り出すものは文明は必ず自然を破壊し反作用があり自然を汚染して問題が起きるのである。
茅という自然素材を大量に使うため、かやぶき屋根はこまめなメンテナンスが欠かせません。江戸時代は、このメンテナンスを村に住む人たちが持ち回りで担当していました。しかし、明治時代以降はコミュニティの変化により、次第にこうした習慣がなくなり、メンテナンスができなくなってしまった
この指摘も興味深い。茅葺の屋根の家は村の人たちが総出で集まり協力して作られたものである。そこに村という共同体があっ茅葺の家を作られていたのである。そこにも大きな意味があったのである。
材料でも外材になっている。家を建てるにしてもハウス会社がまるでプラモデルのように二週間くらいでたててしまうのである。そこには地元の人も大工さんも関わらないということがある。
だからなぜか最近普請しても建前があり餅ををばらまいたり小銭をばらまいたりもしないのである。
そういう風習も消失したのである。つまり家は個人的なものであり周りの人でも隣近所でもかかわらないともなったのである。
だから茅葺の屋根というのは後のメンテナンスも必要であり常にそこに村の共同体がないと維持できないものだったのである。そういう共同体が崩壊してきた歴史が明治以降の歴史でもあったのである。それがさらに戦前から戦後でも全く変わったものとなってしまったのである。
だから原発事故でも簡単に町や村が破壊されてバラバラになり回復しない復興しないともなった。それは放射線の被害もあるがコミュニティーが共同体がすでに失われていたということもあった。それでこんな簡単に江戸時代からさらにその前からも続いていた継続されていた村や町が簡単に崩壊してしまったのかとも見た。
いずれにしろ家というのは物理的なものとして地震によって全体がゆがんでしまった。これはなかなか修復することが難しい
基礎から作り直すことができないからである。
耐震設計のにするために市の方でで資金援助するはというが全体が歪んでしまったので修復することは難しいと見た。もう50年もすぎると新しい家にした方がいいとなってしまう。
他でも50年過ぎた家はかなり傷んでいる。病気で入院した人の家も庭も荒れている。その家を孫に譲ると決めているがその孫がその家に住むとも思えない。古くなっているから問題が起きるからである。こうして空き家が多くなっているが活かすことも難しいのである。直すにしてもかえって金がかかってしまうからである。
リフォームは返って金がかかることがある。
私の家も継ぎ足したり修復したりもうかなりのお金がかかっている。だからこれ以上金をかけて直したくないとはなる。
でも年をとると古い家は断熱もないし冬は寒い、耐震設計もしていないから怖いともなる。
でも古くてももう死ぬまでこの家に住み続けるほかないと思っている。