2023年03月01日
abstract rivers and train go
posted by 天華 at 20:18| Comment(0)
| TrackBack(0)
| 抽象画の部−AI画像生成(abstract paintingーby being image creator)
2023年03月02日
リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない (老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)
リホームは難易度が高い、簡単に大工でもできない
(老人は安住する場が家になる―成長するにも家の影響は大きい)
キッチンが50年くらいすぎてぼろぼろになっていた。それを取り替えるにしたが簡単にできないものだった。
まず寸法を合わせるのがむずかしい、私の家のキッチンは何か高さを調節するために
直して造った、それで新しいものをとりつけるのに高さを調節するのがむずかしいものだった、ここに合ったものを作ると結構手のこんだことをしなければないので大工さんいろいろ思案していた、それから排水の管が複雑になっていたのである
前もつまって私がブラシを入れて直していた、それはもともと複雑な管の配置になっていたためである、それを見てまた大工さんどうしていいのか苦労していた
だからリホームするには相当な腕がないとできないと見た
窓も高さの調節で直さなければならないとかなり複雑化したのである
でもここでわかることは最初からハウス会社が作る家は楽にも見える
今でもこの辺では大東建築がアパートを建てつづけている、それは最初から規格化されてその部品を組み立てるだけなのである、だから楽にも見える、他の家でもそうして組み立てるだけだから早くできる、50年前の家とかなると私の家でも三カ月くらいかかった。
普請は大事業だったのである。その苦労があって親は常に家を建てたことを自慢していたのである
今のように簡単に家が作れないということでそうなっていたのである。
その家にしても地元の大工さんが作ったのでありハウス会社はその頃家作りしていなかったのである、地方では地元の大工さんが家を作っていた、三カ月もかかるとなるとやはり
家を作ることは大事業であり地元の人とのかかわりも深くなるのである
茅葺屋根の家に住んだ人を知っているがそういう家は村の人総出で作ったとういことで
また価値が違っていた、つまり村の人たちの協力があっ作れたとなっていたからである
ハウス会社になると地元の大工さんはかかわらないからである
そのために地元の人とのつながりも希薄化したとはなる
また家も様々なものから成り立っている、それで震災以後は瓦はいわき市の会社の人が来て直した、ユニットバスは創優建という仙台市の会社が百万で作った
それは常磐高速道路ができたために仕事を求めて来たからである
またトイレの配管が去年の地震で壊れた、それでトイレも古くなり直した
つまり仕事が広域化している、この辺だといわき市とか郡山市とか仙台市でも交通的に便利だから仕事を求めて来るようになったので
建築土木関係の仕事している人は青森に行ったとか郡山市に行くのに三時に起きて行ったとか佐世保に足場を作る人が行ったとかなる
もともとも建築土木関係は遠くに仕事があれば行っていた、飯館村の木戸木(ことぎ)の大工さんも東京に仕事があり働いて稼いだと言っていた
またレンガの風呂を作る人は室蘭まで行ったと聞いた
だから職人は遠くに仕事があれば行くということがあった。
ただそういうことで何かハウス会社で簡単に部品を組み立てて作る家は重みがないとも感じる、昔は家を作ることが大事業だったから家に重みがあった、茅葺の家とかなるとその手間も労力も大きくなったから重みがあったとなる
ただ家というのは建物だけではない、そこに営まれたものがありそれで家も活きてくる
だから代々つづいた家は歴史的にも重みがあるとなる
いづれにしろ家にこだわるのはやはり人間は家で暮らすということが基本にある
遊牧民のようにテントを持って移動する生活とは違いて一定の場所に根付くということがありそれが家を持った時そうなる、マンションとかアパートとかなると借りの住まいともなり重みが感じられないのである
どうしてもこの辺だと市営住宅などに住んでいる人はそうなる、何か借りの宿という感じになる、家の重みがないのである。
近くの人は20代で一軒の家を建て立派な石組の庭を造った、それは人一倍働いて20代で作ったのである。そういう時代があった、働けば働くほど収入を得れる時代だったのである、今20代で家を建てることをできる人はまれだろう、親の遺産でもなければできない、その人は別にローンもなしで二十代で家を作り立派な庭を造ったのである
今は何かそうしたみんなが働けば豊かになれるということがない、だから若い人は苦しいとなる、なんとか日々生活すればいいとかしかない、それでこの辺でなぜ東京辺りから学生なのに強盗に来たのかとなる、若い人達が何か昇り調子の時代を経験できない、30年間賃金が上がらないとか日本は停滞したままなのである
そして今度こうして高度成長時代に建てた家が空家化しているのである、また後継者もいなくなっているのである。
近くに本当に立派な庭がある家でも空家になっていた、その庭の価値は相当にある
でも誰も住んでいないのである、それは原発事故で避難区域になったところでも立派な家があり庭があっても住んでいないからもったいないとなる
でも少子高齢化で全国的にそうなっているのである、日本は縮小してゆくのである
ともかく私の家でも家には金をかけた、部屋でも四っつくらい新しく継ぎたしたのであるでも私自身は狭い部屋で寝起きしていた、でも八畳の広間がありそこに寝ていると何か安らぐ、そこで寝起きしていた親が死んで自分が寝起きするようになった
その空間がなんとも安らぐのである、そこで夜に寝るとき本を読んだりイメージすることがある、イメージが不思議と湧きやすいのである、だからそこで必ず詩作しているのである
だから家というのは知的な仕事をするには相当関係している
50年前まで子供の時は子供部屋などなかった、本も一冊も置いていなかった
漫画本すら貸本屋で借りて読んでいたのである。これでは知的に刺激されることもない
家に蔵書があることが大事である、子供でも子供の興味をひきつける本を並べているだけで相当に効果がある、それも子供部屋があれ自主的勉強することもある
それが全くなかったことがやはり環境的に恵まれていなかったのである
何か店をしていたから子供の時は配達などばかりさせられていたのである
だから自分で知的探求というものをしたことがない、勉強は学校でしかできなかったのである、それも暗記の勉強でありまたソロバンとかを習ったが得意だったが何の役にもたたなかったのである
とにかく家は知的空間であることがわかった、蔵書があり寝る時でも広い部屋で本を読み想像力を働かせて思索する詩作する、それは広い家があると効果的なとを知った
狭い部屋だと何か圧迫されるてそうはなりにくいことを発見した
おそらく知的探求には家というのが相当深く関係している、日本の家は狭すぎる
だからそこで何か余裕ある人を育てにくいのかともみる
そもそも茶室が生まれたのは日本の家は狭いから自ずとそういう文化になったのである
でも実際は広い家の方がいい、八畳間で寝ていると気分がいいとなる
でも大きな家に住んでいても自分の部屋は狭い部屋だったのである
それは親が死んでわかったことなのである
そして老人になると家が大事になる、なぜならその生活が家中心にもなる、余りに遠くにも出なくなるからである、実際これだけ旅しても親の介護とかなり十数年旅していないのからである、ほとんど近辺を回り家にいる生活になったからである
すると家が何か安住する場所にならないと豊かな老後の生活ができないとなる
それで数カ月なのか糖尿病で入院していた人がかえって病状が悪くなったが家に帰って療養したら回復した、それもやはり家の効果である、その人は若い時人一倍働いて造った家にいてこそ何か存在感がある、妻は早く死んでもやはりそこに妻がいるという感じにもなる
そうして家で死にたいという人か多いのは誰も病院のような無機質な空間で死にたくないということである、人間は家とも一体化してゆく、だから人は死んでも家に憑りついているとまでなる、確かに家には死んでも人はいるという感覚になる
でも病院で死んでも何か幽霊となって現れるとしても病院では成仏しないのである
何か物体のように邪魔なものが片づけられるという感覚になる
だから病院で死にたくないという気持ちがわかるのである
天皇の御製歌(おほみうた)一首
あをによし奈良の山なる黒木もち造れる室(やど)は座(ま)せども飽かぬかも
橲原(じさばら)のキコリの人が同級生が切り出した木を柱にしたと親がいつも自慢していた
それはこの歌のように地元の材料で地元の人たちが作ったということで価値があったとなる
ただこういう家に住む人はまれだった
でも農家のかやぶきの家はそれなりに大きいし意外とあたたかいとなっていた。
土間でも土でありあたたかだった。実際に住んだ人も悪いことはいわないのである。
だからそれなりに住まいとしてわるいものではなかったのである。
むしろ子供の時の家は隙間風が入り寒いしトタン屋根で雨漏りして洗面器を並べてしのいでいたのである。戦後まもなくは農家では食料も自給していたからかえって街のせいかつよりゆたかだったのである
2023年03月03日
大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに (権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)
大川隆法死亡の謎ー2000億の財産争いに
(権力を持つ宗教は教祖が死ぬと権力争いになる)
私の知る限りでは、直ぐに死んだ人は一人もいません。
心筋梗塞は脳梗塞と違い、一瞬で意識を失う場合が多いです。
死亡率も高いですが、助かれば脳梗塞のような大きな後遺症に
苦しむ事はありません。
私も脳梗塞を起こしましたが、その部位により後の障害や死亡も変わるようです。
検索したところ、脳梗塞での死亡は10万人当たり57.1人とあります。
脳梗塞で死んだと明らかにされた、でも脳梗塞で死ぬ確立は相当に低い、体が麻痺しても長く生きている、それで妻で十年も介護したという人を二人くらい身近で知っている
だからもし生きていたら体も脳も麻痺して生き続けなければならいなとしたらそういう姿を見ているとしたら地獄になる、池田大作は生きているのか死んでいるのかわからない
とても表に出せないということで出さないともされる。
死んでも武田信玄のように秘密にして教団の維持を計っているとかなる
大川隆法氏が死んで問題になるのは何かとなるとどうも子供が五人いて後妻になった女性には子供がいない、そして跡目争いが前からありそのことを語っていた
この跡目争いというとき教祖の教えを受けづくとか発展させるとかではない、権力がありその巨額の金でも遺産争いになることである。
つまり宗教は権力を持つと必ずその権力に目をつける、もともと権力を求めていることがあり権力を得るためのものが多いから当然そうなる。
だから宗教というのは権力を持つと危険になる、なぜならみんなその教祖の教えより金になるとか権力を得られるとかで入る人が多いからである
大多数は宗教の教えなど関心がない、会員が増えてそこで一定の勢力を権力を持つ、するとそこに入って利益を権力を得ようとする人達が入ってくるのである
幸福の科学の場合はもともと子供たちで跡目争いがあり権力争いがすでにあったようである、だからその死が不自然だとしている、ただ突然死はあるからわからない
でも66歳では早いともなる、もともと病気があってそうなったらわかるがそれが不明なので理解しにくいとはなる
ただ巨額の遺産があり必ず権力争いになる、だから宗教というのは権力自体を持つとこうして歪められる、でもそもそもが政治にかかわり権力を持つことを目的にもしている
現実社会で権力を持つことを目的にしている、そして教祖が死んでまた権力争いになるのは必然だとなる
創価などももう権力しか御利益しか眼中にない人達が集まっている、そのために日々祈り選挙に勝ち権力を得ることが日々の活動である、だからここでもすでに池田大作は死んだのかわからないが何らか権力争いがあり分裂するかもしれない、そして全国にある会館なども会員が減っているから維持できなくなる、だからそうした巨大宗教団体が崩壊するとき権力争いになる、遺産相続で血で血を争うことにもなる、幸福の科学ではそうなっていたしそのために生きている宗祖の大川隆法が殺されたのかとまで疑う人がいるのもわかる
大川隆法でも池田大作でも世俗で宗教を教え大成功した人なのである。そして偶像化されたのである。何百万人の会員に崇められて莫大な金を集めた、大川隆法氏の家が宮殿のようになっていたことに驚いた。池田大作だと庶民を相手だから普通の家にそれもかえって貧しさを感じる家に住んでいるとか言われた、それは庶民向けにそういう演出をしたということである
貧しい会員が多いければ豪邸に住んで贅沢の限りを尽くしているとか言えないからである
そもも宗教が権力を持った時から堕落して世俗化したのである
それはカトリックが政治化して権力を持ったことから始まっていた、カトリックとは土地を持っていたり権力を持っていて庶民を支配していたのである
それで免罪符などを売りつけてもうけていた。それに反発したのがルターでありプロテスタントになったのである。
宗教が権力を持つことは危険である、その動機が不純なものになる、宮殿のようにな豪邸に住んでいれば誰でも信仰すればそうなれるという見本を示すからである
それは本来の宗教の教えとは正反対のものでも世俗的には欲を充たせることを説くことで人が集まる、つまりカルト教団の人達は欲を実現するものとして入ってくる
その中に貧困とか様々な悩みや問題をかかえて解決したくて入る者もいる
そういう人達を集めて会員を増やす、だから創価と共産党は本当に似ている、いろいろ苦しみ困っている、貧困な家庭も多い、他にもいろいろ悩みがあり解決したくて入る
そして共通しているのは社会に対して根強い恨みを持っていることである
自分が不遇なのは苦しいのは社会のせいであり今の上に立つ人達のせいだとしている
そういう点で共通しているのである。
社会に対して深い恨みを持っているのである。でも全部が社会のせいなのか政治のせいなかなのかというとそうでもないのである
生まれつき障害者を持ったのは社会のせいなのかまた政治のせいなのかというとそうでもない、美人に生まれなかったなど恨んでもそれは社会のせいではないのである
それは親を恨めともなる、ただ根強い憎しみを持っている人達だとなる
そういう人達を組織化して政治化して権力を持ちその権力を持った時不満が解消できるとなる、つまり権力も持ったらその権力で得られたものを配分することになる
その分け前は主に幹部が得るのでありその他に富は必ずしも回ってくるとはならないのである
そもそもカルト宗教はこの世で権力を持ち栄誉栄華の生活を送りたいという人達が集まるいろいろいてもその目的はこの世で権力を得て欲望を実現することである
それは幸福の科学でもオウムでも同じだった、創価は最もこの世で権力を持ち支配者になるところだった、そこで権力しか関心がない、その権力を得るとういことは選挙で勝つことでありいかに票を集めるかが日々の活動なのである
そのことが池田大作教祖のためにそうするのである、座談会では選挙の時こうして集まり祈り権力奪取のために日々奔走しているだけである
人間はみんな血眼になって日々金を稼ぎ金を得る為に生活している、だからカルト宗教も血眼になって権力を得る為に金を得るために祈り運動しているのである
だからオウムでもオウム王国を実現すると堂々と主張していたし幸福の科学でもそうである、幸福の科学の王国を目指しているのである。
それは神の国でも仏の国でもない、ただひたすらこの世で欲望を実現するものとしてあるこの世の王となりこの世を支配することなのである。そしてその王が教祖になる
それは偶像なのである、サタンにもなる、でもそのサタンを作りだすのは人間の欲がなくならないからこそこうしてその欲を実現させるとして偶像がサタンが支配することになる幼児のようにみどり子のようであればもともと欲がないのだから欲望を実現するなどと説かないのである、そもそも欲がないのだから説く必要もないのである
だからこそみどり子に治めさせよと言ったのである
でも現実は権力を求めて権力を得ることに世俗社会がありそれを否定はできない、もし欲を抑制して否定しろとなるとついてくる人は極ずかになる、そして世俗の誰にでも欲を肯定してもっと欲望をもてとなっているのがカルト教団なのだからそれがこの世にまかり通っていること自体信じられないとなる
もしあばら家とか粗末な家に貧しくして住んでいたら誰もそんなふうになりたくないとなる、でもキリストは家もなく枕する所なしだったのである。シャカでも王宮に住んでいても出家して洞窟で家もなく修行して悟りを開いたのである
もし宗祖がただ残したのがあばら家とかだったらそこに権力争いなど起きようがないのである、そこに会員でもわずかだったりしたら権力争いは起きない
莫大な富があり権力を持つとその富と権力を目当てに争いが起きる
遺産相続争いが起きる、それがすでに大川隆法の死で家族でも起きているし教団でも起きている、そこに人間の醜さが露骨に現れるのである
だから本来の宗教はせいぜいあばら家でも残すだけとなれば誰も振り返らない、遺産を残さないとしたら血で血を争う兄弟姉妹い争いも起きないのである
だから宗祖でありそうして死んでから会員の争そいの種を残すことが罪なこととなもなるそのために欲が刺激されて争いになるからである
いづれにしろカルト教団が崩壊してゆく、それは幸福の科学だけではない、創価でももう会員が増えないから全国にある会館でも維持できなくなる
金が入ってこないから財政的に維持できなくなる、そもそもそんな会館などなくても良かったのである、そんな所に金をつぎ込む必要もなかった、宗教とはそもそも金をかけるものではない、金を集めれば金だけが目的となる、そして莫大な金が集まりその金を残して遺産争いになり組織自体が分裂してゆく、醜い遺産争いが兄弟で起きるのと同じであるもともと世俗の権力を求めた宗教なのだからそれも当然の結果だとなる
ただ宗教も利益だというときその宗教でも利益になれば利用するものがある
創価の会館を請け負ったのが大成建設とか言われる、富士山の正本堂を建てたのは大成建設だった、大成建設とは密接な関係がある、それが巨大な利権となっているから結びついているとされる、本来の宗教とは関係なく利権があり結びついているとなる
なぜならあばら家に住むだけだとしたらそこに何の利権も生れないからである
宗教が巨大な利権を産むとういことで問題なのである
ただ大川隆法が急激に死んだということは何なのか脳梗塞にしても普通急激に死んだりするのはまれである。そして必ず脳梗塞には前兆が出てくる知ってる人でもそうだった大川隆法だったら家族でもみんなが注目しているのだから何か分かったに違いない
そもそも大川隆法自身がそのことに気づかないということが盲点だった
なぜなら常に会員の心配をし会員のために生きているそういう人が自分自身を顧みないそのために病気に気づかなかったとなる知っている人も他人の心配をしていたが自分自身が病気になって脳梗塞になってかえって迷惑をかけたのであるだから自分自身のことをないがしろにするのも問題なのである
でも大川隆法の死は何か不自然であり不可解である
脳梗塞となればそんなに急激に死ぬとも思えないからである
結局いろいろ預言の言葉を言ったが自分自身についての死については本人も予言できなかったということであるただ突然の死に驚いたのである
人間はつくづく自分の死がいつ来るのかわからない近くの自転車屋にしても3日前まで普通に仕事していたのであるいつまで続くのかということをいっていた
それはすでに10年間くらいガンであり仕事を続けてきたのであるだからいつか死ぬということは予想されていたでもそれは突然だったのである大川隆法については何か前兆があったのかどうかわからないそれで殺されたとかいうことまで言われたのである
ともかく何かこの年になると死ぬ人が増えてくるあっあの人も死んだのかこの人も死んだのかとなってしまうそれより自分自身の死もそんなに遠くないのである
2023年03月04日
紅梅が香り気持ちがいい (無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)
紅梅が香り気持ちがいい
(無垢な幼児や犬猫に癒されるのはなぜか)
月光り紅梅匂い夜の更けぬ
紅梅の匂うや何か若返る
平安や紅梅匂い月光る
広き家紅梅の匂い充ちにけり
新築の家や紅梅匂けり
紅梅の匂い今宵も我が来る月も光りて美しきかな
近くに紅梅と白梅が咲いて匂っている、そこを毎日通ると気持ちがいい、特に紅梅の匂いは特に気持ちがいい。新築の家がまた建った、その人はこの辺の人ではない、原発事故の避難区域から移り住んだ人だろう。
この辺はまだこうして人が増えている。でも避難区域は空き家だらけなのである。その差が大きいのである。そこには春がこないともなる。活気が戻らないとなる。
夜になると紅梅匂いが充ちて夜が更けてくるそこに月が輝いている
いかにも春らしいその紅梅の枝を折って広い家の間に挿す
その匂いがいっぱいに満ちてゆく。それが何とも言えず気持ちがいい
何が梅は近くでその香りを楽しむ。でも桜となると何か遠くで見るのがいいともなる。
そのために桜前線がある。その桜前線は実は韓国まで咲いていた。韓国の古都の慶州にも咲いていた
その桜を東北から韓国まで旅したことがあった。日本の場合日本は電車で行き韓国までは船で行った。こういう旅も面白い。連続して日本列島と韓国まで見たからである。
そういう旅ができたのも私は特別恵まれていたからである。その介護で10年とか震災でもありもう十何年も旅はしていないただ旅の回想をしているのである
また春になって近くの公園に行ったら幼児が笑っていた。
それで心が和んだ。なぜ人はペットとかに惹かれるのか
それは無垢だからである。
そしてなぜかその無垢な表情は飽きないのである。それが不思議である。なぜ大人は生活に疲れるのか。それはみんな無垢というものを失っているからである。日々利益を求めてガツガツして心が休まることもない。
そういう中で無垢な幼児の笑顔でも動物の無垢な表情でも見ていると和むのであるそれが飽きないのである
今ネコに私が餌をやっているのはそのためである。
別に飼っているわけではないが何か心が和むのである。それは花を見てもそうだし自然に触れるとそこに向くがあるために自然は飽きないしなおものである和むのである
そこにこの世のこの世が汚れていても人間が汚れていても無垢なるものに接するとき和むのである。
ただそうした無垢も何か接する機会が少なくなっている。近くで子供が遊んでいるのを見ない,一人いても一人遊んでいるだけだとなるから淋しいとなる。
人間には常に争いがある、そもそもなぜ離婚している人が多いのか、何かそういう人と接する、それだけではない、自分の家族も常に争っていた。でも最後まで家族として維持できたのは私が要として家が守れたとなる。子はカスガイとなったのである。
そうでなければとても維持できなかったのである。
徳川家も維持できたのは長男を後継ぎとして継承して維持できたのである。侍の家が御家大事で維持したのも同じである。
長男ができが悪くても家臣が支えて維持できたのである。
人間はとにかく争いが多すぎるのである。そのために苦しむ人が膨大なのである。この世が地獄になってるのはそのためである。
ともかく春が来た。でも今日は寒かった。でも今年の春は桜の咲く時期が早い。
やはり暖冬気味なのかもしれない。白鳥は見かけないからシベリアに帰ったのかもしれない。そういう時期になったのである
桜前線を旅する短歌
2023年03月05日
南相馬市原町区の大原の強盗事件 (なぜ狙われたのかー人が希薄な所が狙われる)
南相馬市原町区の大原の強盗事件
(なぜ狙われたのかー人が希薄な所が狙われる)
敷地内にプレハブの宿舎をつくっていた、前にも作っていた、するとかなりの人が利用したとなる
今は利用している人は相当に減った
長い塀があり寺みたいだ、敷地が広い、家の裏にもプレハブの宿舎がある、これを見れば金持ちの家と見て侵入したこともわかる
パトカーが止まっていた
確かに家の前にプレハブの宿舎がある、この辺では原発事故で外部から人が入り一時は利用する人が多かった
今はかなり少なくなった、これでもうけたということはある。
今回の事件で謎なのはなぜ南相馬市の市街から離れた大原で起きたのか。
またなぜ東京から専門学生の人が20歳くらいで強盗までしたのか
そのことが理解しにくい。その家は金を持ってるということをどうして知ったのか。
確かにその家の前に原発事故以後増えたプレハブの宿舎が建っていた。そこを経営していたとなると金がはいったのかもしれない。
ということは原発事故以後それで収入があり資産家になったのだろうか?大原あたりでそんなに金が入るということはない。知っている人は農業をしていたが死んでやめた。
そこは空き家になっている。息子はいたが市街に移り働いている
だから後を継ぐことはなかった。そして一人で住んでいたのである。私は南相馬市の市立病院に入院していたときその人と同じ部屋だったのである。
ただ大原地区は放射線の被害が結構大きかった。だから補償金もかなり高かった。。
そんなことで星さん家で金が入ったのだろうか?
この辺でわ原発事故で補償金でかなり金が入った人がいた
プレハブの宿舎を作ったということはまた土地を貸したということはそれでかなりの収入が入ったかも知れない
でも謎はなぜ東京あたりからレンタカーを借りてここまで来たのか何かここに来る理由があったのかそれが分かりにくい
もしかしたら原発事故で何か関わりがあったのかそれもわかりにくい。でも一時外部からいろんな人が入ってきたからそれもあり得る。いわき市でも資産家の高齢女性が強盗に狙われて殺された。それもなぜなのかやはり資産家で高齢ということが狙われやすい
原因として今の若者は貧困である
そのためにこうして金も持っている高齢者が狙われやすいということはある。日本全体が貧困化してくるとき凶悪な犯罪も増えてくる。
そして狙われやすいのは何かあって急に金が入ってきた人である
この辺だと原発の補償金で成金になった人がいる
いわき市の高齢女性はゴルフ場になった土地成金だった
それは私自身も経験している。たいした金ではなくても遺産が入った。遺産成り金のようになった。そのために犯罪にあったのである。それは内部の人でありまた内部からもあった。
つまり犯罪というのはその狙われる人も何か問題がある。ただの偶然なのか。そうでもない場合があるのだ。
つまりそうした土地成金とか遺産が入ってくるとかそういうのは何か問題がある。なぜなら別に苦労したわけでもないのに金が入ってくるからである。それで他者からも妬まれるのであるそこに成金の危険が生まれている。
そしてそうした金は何か身につかないのである。金の重みがないのである。だから失いやすいのである。それが苦労して得た金ならばそうはならないのである。
とにかく身近に起きたから話題になり怖くなる。
私自身の家でも外部からの侵入者が現実にあったからである
でも金は置いていなかった。でもその泥棒が入ってきたことはわかっていたのである。でも私は顔を合わせないようにしたのである。それが良かったのである顔を合わせたら危険だったからである。いろいろ防犯のことを言うがこれは防ぎようがないとも見る
どこかに穴がありそこから入ってくる。
防犯には周りの目が必要である。田舎だと町から離れていると人の目がなくなるからかえって狙われやすい。
防犯とは地区ごとに村全体とかでも街でも周りの人が見ていると強盗でも入りにくい。でも今隣近所でも疎遠であり難しい。都会だと帰ってまた人が多くてその人に紛れて泥棒も入りやすい。ただ入りやすい家というのはある。
そして日本全体が貧困化してゆくと本当に犯罪が増えてくる
そのことが貧困化の怖さなのである
余談ではあるが星という姓は気になる。なぜなら近くの自転車屋の人も死んだが星だったからである
下総国相馬郡星村がルーツの族もいる
星村があったのは意外だった。保守性は結構多い星は結構多い。系統も色々ある。ここの星姓ははやはり千葉県の方だろう。相馬藩の旗印が北斗七星だからである。大原はもともと相馬氏が後から進出して住んだ場所である
隣の深野という地名が二つありこれは中世の地名であり古いのである。でも大原は新しい場所にもなる
資産家というとき農業で資産家になる人はこの辺ではまれである。ただ津波や原発事故で補償金で成金になった人はいた
除染で億の金を山分けしたぬ双相リテックなどがそうである。
2023年03月06日
原町区上高平の春 (相馬藩の越中などからの移民などの歴史)
原町区上高平の春
(相馬藩の越中などからの移民などの歴史)
上高平の春
梢の高く風にそよぎ揺れ
芽吹く木々かな
鳥飛び移り若草の緑うるわし
野馬追の馬飼う牧や
越中などの移民のここを拓くかな
南無阿弥陀仏の墓ありて
その苦労を偲びぬ
上高平も元は森だった。でもいつそこが開かれたかそれが問題である。必ず越中からなどの移民が入ってきた。
その前に相馬市が入ってきて支配した。なぜなら高平にも野馬追に出ている家があるからだ。野馬追に出る家は相馬市につながる人たちである
でもの移民など相馬氏系統ではない
越中からの移民は相馬藩内のいろいろな地域に入り込んだ。それは南無阿弥陀仏の墓があるからわかるのである
三分の一は浄土真宗の墓であり戒名は無いからである
相馬藩内でもいろいろな地域があり多様である
本来はそうして多様な地域がありそこに暮らしがあることが良い
農業中心の世界だったら社会だったらそうなっていた
なぜなら土地がなければ農業はできないからである
そもそも越中などの移民が入ってきたのは天明の飢饉があり三分の一が荒地となったためである
そのために相馬藩内では人を呼ぶことに励んだのある
相馬相馬と草木もなびく
この民謡はそのために作られたコマーシャルソングでもあった
この民謡は人を呼ぶために作られた。その時農業社会だったから土地を得られるということで移民が入ってきたのである
その移民たちは土地としては悪い土地にはいり開墾したのである
だから苦労したのである。加賀泣きとか言葉として残っているのはそれだけこの土地に来て苦労したからである
でも今になると荒地が一杯あるけどそれは放置されたままである
それは今は農業社会ではないからである。
この辺の経済は原発でも成り立っていた。農民は一割にも満たないのである。それは全国的にそうであり膨大な耕作放棄地が日本にはある。でもその土地を耕作しようとする人はいなくなったのである。
戦後でも焼け野原になった日本で引揚者は戦地から帰ってきた会議その人たちも仕事がなく土地を見つけて開墾したのである
でも厳しくて半分くらいは撤退した
その後高度成長があったのは工業化したからである
電気製品を海外に売って高度成長したのである
戦前は農業が中心であり生糸産業は中心でありそれは農業でもあった。それが時代が変わると産業も変わり仕事も変わる
それが人間の歴史でもあった。
相馬藩の歴史として越中などからの移民の歴史は大きなものになる。その人たちの姓の一群があり子孫が生きているののである。
相馬藩内の人の移動について
2023年03月07日
東日本大震災から12年 (避難区域は復興していない、避難した新潟県は親切だった)
東日本大震災から12年
(避難区域は復興していない、避難した新潟県は親切だった)
今日聞いた話では鹿島区で新潟に避難した人はしきりに新潟の人は優しかった、食べ物でもあんこう鍋とか出してくれたとか土地の物をたべさせてくれたとか言っていた、日本海で魚がとれるからそうなる
そもそも旅行しても土地の料理を食べることはむずかしい、食堂とかレストランでは決まりきったものしか出さないかである。
郷土料理となると特別高くなるのである。だからこれだけ旅してうまい料理だったなど記憶にないのである
ただ腹を満たせばいいとしかなかった。旅館にしても土地の料理を出すことはなかなかない、ただ今は食べることが楽しみだから料理に力を入れていることはある
だから「温泉
大作戦」という推理ドラマでは温泉を立て直す仕事しているが必ず料理を改善する、その土地でとれた魚を利用して独特の料理を作ることに力を入れる

でも旅館でもホテルでも郷土料理を食べることはなかなかできないし私は食べたことなどないのである
貧乏旅行者だったんからでもあるがそうでなくても郷土料理など食べることはなかなかできないだろう
前にも書いたが料理で思い出すのは只見線で小出の食堂で鮎の塩焼きを食べたことである。前の魚野川で大きな鮎が泳いでいたし釣りもししていたのである
食べたものでそのくらいしか記憶に残っていないのである
だからあんこう鍋は食べられたとことは贅沢である。
他にも土地の魚の料理を食べた、そしてしきりに新潟県は良かったと言っていた、そのことは前も新潟に避難した人が言っていた、それで世話になったのでその人たちを招待するとか言っていた。
なぜ親切だったのか?
前に新潟県で大きな地震がありその時応援したからだとも言っていた、ただ県民性とかその土地によって人も違っているのである
新潟県には情の篤い人が多いかもしれない、今の時代は何か情というのも薄れている、金しか見ない社会である
なんでも道案内するにもわざわざその場所まで連れて行ってくれたとかも言っていた
道案内でも今はしない、適当に方向を指さすくらいである、だからみんなスマホを見ているのである
何か情は薄れている、ただ人も土地によって違っている
だから新潟県がまだ情が篤いのかともなる
やはりその土地柄があり新潟県は全国的にみてもめずらしいとなるのかもしれない、そういう場所に避難したは良かったとなる
でも一方で障害者が避難した山形県では断られたという
それは山形県全部が薄情というのではなく一部だとなる
たまたまそういう場所に行ったともなる
今の時代は総じて薄情になっている、情は薄れている
原発事故の時、避難した人は様ざまな経験をした、親戚に逃れてそこになじめなかったとかもある。
私は避難しなかった、30キロ離れていて避難は強制的ではなかった、でも30キロ内は補償金が三倍になっていた
ただ鹿島区は一人70万もらったが原町区は三倍もらっている、さらに相馬市は一人六万しかもらっていない
それでもめたし今回も裁判に勝利して補償金が追加でもらえる、今回は30キロ内は優遇されるのである
その人は原発で働いていた、試験もされて受からないと仕事ができないと、入念に放射線量の検査をするとかその厳しさを語っていた、でもそれは地元の人達だったからかもしれない、どこからかわからない人たちも働いていた、その人たちはそんな厳しい検査をしていただろうか?
いろいろな人が来ていたが事業に失敗したような人達が結構来ていた、何か借金とかで追い詰められた人達も来ていただろう
なぜなら暴力団の人達が目立ったからである、体が入れ墨だらけの若い人が郵便局に来たときは驚いた
他にも暴力団の人がおいしい仕事だと言っていた
その暴力団がどこからかわからない人たちを身元もはっきりしないまた何かいかがわしい人達も連れて来ていた
その人達は放射線のことを気にしていられない、金になるとなれば来たとなる、だからそんなに厳しく放射線量を計っていたか疑問である
そういうことをしていると仕事がはかどらないからである。
ともかく原発で働いていた人は多いと思った、飯館村の人も働いていたという、でも長くは働かない、被爆するから長くは働かない、短期間のアルバイト仕事である
でも賃金は普通の三倍くらいになるからみんな原発の仕事を経験していたのである
いづれにしろ放射線で被爆して重症化したとか死んだ人がいるとか言われた。それも表には出なかった
厳重に管理して出さなかった、何か福島医大でそういう人の死体がホルマリン漬けにして保存されて研究の対象にもされているということも聞いた
それはやはり原発で働いた人がそう言っていたのである
原発事故から12年になる、もう今の十二歳はただ親から津浪の話を聞くだけになっている。
時間が過ぎるのは早い、でも12年過ぎても避難区域になった所は回復していない、双葉では学校も再開されていない、残った人達でも老人が多い、若い人とか子供はまれでありもともと少子高齢化で若い人と子供は少なくなっていた。
ここでは特に極端なものとして日本の未来が現実化した地域なのかとも見た。
ある人は小高に5000万かけて二所帯の立派な家を建てた
でもその子供たちは仙台市の方に移り住みその人は離婚した、今は原町区に家を買って住んでいる
原町は便利であり一人暮らしでも楽である、だから小高の人でも原町に移り住んだ人が多く小高でも避難区域は回復していないのである
なんか淋しいとなる、その原因はすべて津波や原発事故になるとは限らない、何かその人なりの問題もありそうなった。だからすべて津波や原発のせいだとはならないのである
少子高齢化も影響してただ空家の街のようになった
ただ空家はどこでも増えている、自分の家の回りは最近数軒家が壊され空地化した、街の通でも家が壊されて空地化している
ただ原町とか鹿島とかだと移り住む人がまだいる、その人たちは新しい家を建てているのが違っている
そういう人達はもう故郷には帰らなのである
だから復興はしていないし将来も復興はむずかしいともみる、そもそも日本自体が少子高齢化で人口は減り縮小してゆくからである。それがこの辺では極端なものとして現象化したようにも見える
とにかく震災から十二年は変遷した、風景も変わった
海側はもう前の面影がない、村自体が消失した、この辺だと八沢浦の湊村とか海老村とか烏崎村とから消失したとなる、それはもう回復しないとなる
確かに漁業をしているが何か真野川の放射線を依然として計測している、その仕事を県から請け負っているとかなる
原発事故の後始末処理の仕事はつづいているのである、廃炉事業でもそうである、これは長くつづくなのである
だからそこに仕事があり残っている人達もいるとなる
でもこの被害は余りにも大きく回復できない、復興できない、放射性物質は依然として残っている、これはなかなか消えないプルトニウムだと二万年消えないとういから空恐ろしいとなる。
これほどやっかいなものであり原発事故の後遺症は末代までつづく空恐ろしいものだったのである。
2023年03月09日
里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)
里に老ゆ(春霞、春満月、梅香る)
芬々と梅の香るや里めぐる
春霞長生きの世や里に老ゆ
春満月輝きまして移るかな
同じ年老人と話す春の里
人ならじ満月のぞく我が部屋や書き物しつつ春となるかな
紅梅の匂やかにして満月の今日も輝き災いなかれ
病より回復せしや春となり歩く喜び買い物に行く
昨日は春霞だった。その前は満月が輝き紅梅が匂っていたんとも春らしい。
長生きの時代も問題は多い。でもこの長寿というのは人類の願いだったのである。なぜならこれまでは早死にだったからである。
とにかくみんな長生きする。苦労して死にたいという言っていた人が脳梗塞になりそこから回復した。その人もやはりいきたいのである。いくら死にたいと云ってもやはり人間はいきたいのである。特に病気から回復したときはそうなるのである解除
一昨日も昨日も満月が輝いていた。その満月が私の部屋を覗いていた。それはいいことである。でも人間が覗くとそこに嫌なものが出てくる。田舎の人間が素朴だとかいいものではない。
ただ四六時中監視してるということがある。そして必ずしも助け合うということは今はない。。かえって人の不幸が楽しみになるのである。ただ田舎の場合自然がありそこで和むのである。
この辺で節水を南相馬市で呼びかけた。確かに雨が今年になっても降らない。雪も一二回降ったがそれはそれでも足りない
乾燥している。だから朧月というのを観ていない。
これから田植えとかあるので水不足になると困る
でも水不足というのはほとんど経験していない
しかし水不足というのも起きうる。山に行くといくら水不足でも水が流れていることに感心した。それはかなりの山の奥だった。
山には水が蓄えられている。だからソーラーパネルなど山に作ると何か影響する。水が蓄えられないとか水は流れだすとか何か自然に悪い影響がある。景観も悪くなるしそれが問題なのである
ともかく里に生きるということそれは幸福なことである
都会にはそういうものは無い。ただ田舎がいいものにはならない。ただ自然がありその美になごむのである。
そして同じ年の老人と話す、その人は農家の人であり農業の話を聞く、それがいいのである。
やはり家で納豆を作っていた。買った納豆は食えなかったとか言っていた
そうなのかと思ったが自家製でもうまっかったということである。
そういう話がおもしろいのである。
原発事故はその里を奪ったのである。ただそれも電気の時代となり農業の時代でないからそうなったともなる
でも里に生きるということそれが幸せだった。でも近くに移住すればやはり里はある。都会に移住すれば里はなくなる。里を失うということは何なのかそれが自覚できなかった。でも時代がそうしたともなる。すでに里というのは失われていたともなるからだ。
abstract golden rivers
posted by 天華 at 19:00| Comment(0)
| TrackBack(0)
| 抽象画の部−AI画像生成(abstract paintingーby being image creator)
2023年03月10日
リホームはいろいろむずかしい (老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)
リホームはいろいろむずかしい
(老後は家が大事になるー家が人生も語るものになる)
私の家は50年過ぎてかなり痛んできた。タイル張りの古い風呂はは壊した。そしてユニットバスにした。それは仙台市から来た
創優建という会社で100万でできた
これは本当に得だった。イワタニのガス会社でわ200万かかると言っていたからだ。地元の人に頼めば300万人もなったかもしれない。仙台市の会社は新しく始めたので安くして客を得ようとしていた。だから遠くまで来て客を確保しようとしたのである。
常磐高速ができて早く来れるようになったというのもあった。
なぜ安いのかと聞いたら仙台市では競争が激しいから安くしないと客を取れないということを言っていた。
ただリフォームとなるとかなり難しい。全部を壊すわけではないからかえって難しくなる。それで地元の大工さんが悪戦苦闘したのである
一番の問題は水道の蛇口が流しと合わないことだった
これには苦労した。その人は一人でやっていてそのために専門ではないので分からなかったのである。でも水道屋に頼んだら意外と簡単にできたのである。そのことで相当に不安だったがさすがに水道専門だから簡単にできたのである。
やはり餅屋は餅屋である。リフォームはいろいろなものが関わるからとても一人ではできないものだった。その大工さんは庭作りもできる、いろいろ一人でできるのだが今回は水道のことは分からなかった。
こうしてリフォームというのは何もないところに作るわけではない。前に作られたものがありそれが問題なのである。
そのことで返って難しくなるのである。新しい家はそういうことがないから組み立てるだけであり簡単だとも言える。
だからリフォームは簡単にはできない。それで業者を選ぶにしてもいろいろ問題がある。新しい家ならただ作られたものを売るというだけでそれほど密なコミュニケーションをとる必要もないかもしれない
リフォームは何かそれ密接のコミュニケーションは必要になる
でもなかなかそれは難しいとなる。
なぜならリフォームでだまされることや依頼主が思ったようにはできないという苦情が多い。。それだけリフォームは一から作る家とは違ったものになる。
私が依頼した大工さんは地元の知っている人でありコミュニケーションも取れている。でも相当に大工さんも思案して苦しんだ。
やはり一人でやれる仕事ではなかった。水道のことはわからなかったからである。そして家が古くなり今回の地震でも家は歪んでしまったのである。それでまた直しにくくなったのである。
流しと元の水道の蛇口があわなくなった。それが一番の問題だった。その他何かあわしにくいものがあった。
だから一から作り直すより面倒だったのである
ただ隣の部屋のも直してもらったが窓を取り替えるだけでありそれは意外と楽にできたのである。だから今回もできると思った。
それは大工さんが思ったのであり私も簡単にできると思ったのである。でも実際はかなり違っていた。
今は大手のハウス会社でもリホームをしているがこれもかなり問題が多い、自前で職人を用意していないとかかえって地元の職人に依頼しているとかあり新築の建売住宅を売るのとは違う。
なかなか密なコミュニケーションがとらない、となるとリホームは地元の職人に頼んだほうがいいかもしれない、なぜなら地元に住んでいるか事情もわかる。地元だから同じ市にも住んでいるからいろいろなことも共有している。遠くからくる会社の人だとそいうことがない、それで困ることがある。気楽に相談もできない、また一回限りの仕事にもなり後で修理の時に困る。
だから地元の職人に頼むということも必要だとなる
なんでも広域化して仕事も広域化しているがどうしても近くでないとうまくいかないことがある。
ただ逆に地元だけではできないことも多くなりすぎたのである。
それだけ複雑な社会になり地元のつながりも希薄化したのである。
どうも年になって70近いから何か分からないこともできてきた。窓についても窓枠のことにわからないことがあったようである。やはりどうしても何でも歳になると新しいことがわからなくなる。技術的には常に進歩しているからそうなる。
ただ年配の人でも老人でも経験を積み重ねているからその経験は生きる。かんなで削ったり細かい作業がある。それは手作業であり機械でできないのである。
最近3Dープリンターで家を作るということが報道された。その家を変えることもできないし直すこともできない。やはり何か人間の手作業が必要になる。
だから人間の仕事がなくなることはないのである。
その古い家に組み合わせをしているのを見てるとそう見る。
とにかく人間は家とも一体化する。家が人生ともなるのである。
家が老朽化して直さなければならないというとき人間もまた老いてゆくのである。でも家は直して新しくして長持ちできる。
人間は老いればやはり体も弱りいたんでくる。でも人間はなかなか家のように報酬はできない補修はできない。その大工さんも70近いし私自身も75であり体が弱っている。それで互いに老人は相憐れむともなる。
老人にとって家は意外と大事になる。なぜなら家とともに過ごす時間が長くなるからである。私は旅ばかりしていたが親の介護になり十数年遠くへの旅はしていない。近場を自転車で行っているだけである。
すると家に居る時間が長い。家が住み心地良くないと問題になる。終の棲家としての家になるからである。
それで必ずリフォームが必要になる。その金も大きいのが問題である。屋根瓦もなおしユニットバスにして去年の大地震でトイレの配管が壊れ新しくした
何やかやでもう200万近くになっている。このように家はそもそも前から金がかかっていたのである。家は買ってもその後はならず修理したり建て増したりして金がかかるものなのである。
でもこのの本で読んだようにリフォームは必ず必要なのである。
そうしないと老後は安心で快適な生活は送れない。だからリフォームはすべきであるというのは分かる。
古い家に傷んだ家に住んでいればそこには孫も来たくないのもう分かる。それだけ家はやはり人間が第一といっても人間の心に影響するものなのである。
そして家は自分だけのものでもない。その周りにも影響する。
空き家にしておくと周りの影響が大きい。景観的にもよくない。
ともかくともかくそれぞれの家は人生を語り歴史を語っているのである。
家という物があってそれに物が憑くというように単なる物だけではないものになる。