2023年01月01日

2023−新春東海道俳句十句


2023−新春東海道俳句十句

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広重画 冨士三十六景駿河三保之松原


ハ百八町大江戸の春明けにけり

めでたしや江戸前の魚味の良し

新春や大橋三つ舟百艘

初春や鴎百羽や隅田川

山登る箱根の道や春の夕

花満開小田原城や海望む

街中の道真すぐに燕来る

春光の電車の行き東海道

波ひびき魚躍りて望む富士

駿河湾魚打ち上げ東海道

海に映ゆ桜満開東海道

沖に船東海道や春の風

東海道でも旅した時とぎれとぎれになる、京都まで歩む旅でないからそうなる
東海道はやはり海に面して京都大阪まで伸びている、駿河湾がありそこで波がうちよけ魚が躍りうちあげられたのである、そして富士山が見えたのである

今東海道となると車が多いから偲ぶことがむずかしい、とぎれとぎれにたどるから旅ともならない、今はいくら歩いても当時の旅を再現はもうできない、車や電車の旅になるからである

新年早々申しわけないがトイレが詰まった、今回は簡単に直せなかった
何かついていない、なぜこうして自分には災いがつづくのか?
大晦日につまったのだが今年もまた災いが来るのか?
ともかく幸先が悪かった、去年の内に修理できれば良かった、それが大晦日だったのが不運だったとなる、前は自分で直したが今回は直せなかったらである

ともかく今年も去年の地震で散乱した本とかかたづけていない、障子も直していない
何かいろいろと追われてできないのである
今年の最大の問題はWIN8.1のサービスが終わりWIN11になるのがめんどうなのである
プログに書くことで時間がとられるからいろいろ手が回らないのである
今まで書いたものを整理することは続く、その量も多いので整理するだけで大変である

今年も書きつづけますのでよろしくお願いします


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海老の宝蔵寺であったミャンマー人 (日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)


海老の宝蔵寺であったミャンマー人

(日本語がうまいのに驚いた―日本にはもう最貧国の人しか来ない)

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インド、ネパール、タイ、カンボジア、ベトナムは行った


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スカートの丈が長い女性が来ていた、でもベトナムとも似ている


特徴A:言語能力が高い

「言語能力が高い」こともミャンマー人の特徴です。

ミャンマーでは元々イギリス領だったいうこともあり、幼稚園から英語を学習するという風習があるのです。

これまで鎖国状態だったことから、授業や試験では英語が使われており、日本人に比べるとはるかに高いレベルにあります。

最近では日本への移住を考える人も増えたことから、日本語を学習する人も多くでてきています。
https://one-team-project.jp/burmese-person-japan/


何か日本人だと思い海老の宝蔵寺で冬桜を見ていたので話しかけた、そしたらその人はミャンマーから来た人だった、女性一人と男性三人だった、原町で働いているという
その人は日本語がうまい、かなり高度な日本語を話せる、どうしてなのか?
日本語をミャンマーで相当学んだらしい、そしてその人は大学を出ている
ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
でも不思議だったのは二年間いるとしてそんなに日本語がうまくなるのか?
ミャンマー人は言語能力が高いということをネットに出ていた
なるほどそういうことか?日本語を何年間もいてかたことしかしゃべれない人がいる
スリランカの人はそうだった、でも英語で多少通じた、スリランカでも英語をしゃべる、ミャンマーでも英語をしゃべるというときイギリスに支配されたからである

その若い人は漢字がむずかしいと言っていた、でも東南アジア系の文字もわかりにくい
確かに漢字は全く慣れていない人にはむずかしいだろう、発達障害の人は普通の人と同じように話す、だからどこが悪いのか話しただけでは分りにくいのである
でも漢字が書けない読めないと言っていた、だから漢字を読んだり書くことは相当に高度なものだとある、なぜならアメリカ人でも新聞を読めないという人が結構いるというときでもそうである、日本人はみんな新聞を読めると感心しているからである
でも言葉だとまず音から話せるようにはなる、その音にしてもわかりにくいのである
だから中国語は何を言っているのかわからない、古代でも外国語を話す人を鳥のさえづりに例えたのもわかる、さっぱり音からわからないからそうなった
むしろ漢字が中国の多様な民族の共通なものとして中国統一の大きな力になった
今でも中国人とは筆談で漢字を書いて多少は通じるのである
上海と北京では音では話しが通じないという、それだけ中国では多様な民族がいて通じないのである
だからこそ漢字が文で明らかにするが文明を作ったともなる

ミャンマー人は宝蔵寺に来たのは同じ仏教国だから寺に来てみたとなる
でもこの仏教でもミャンマーであれタイであれ中国であれ韓国であれ国によって違っている、それは国にはもともと培った文化がありそれに適合させるからそうなる
中国でも仏教が盛んになったときがある、それは唐の時代である、その時日本から遣唐使が渡って学び日本に漢字を取り入れたのである、ミャンマーとかタイでも漢字を取り入れていない、ベトナムは一時取り入れている、だから中国から入った言葉がある
多少日本と似ているとなる、それにしても今日本に来ているのはベトナム人が多く私の住んでいる町にもいるようだ、原町だと働く場所があるから多い、そこでネパール人にもあっている、これらはもう最貧国なのである、もう最貧国しか日本には来ないし円安とかなり日本には外国人の労働者は来なくなると言われる
そして冗談で次はアフリカの黒人が来る、そして黒人との混血が生まれる、極一部では現実化ししているからだ

それにしても太平洋戦争で日本軍がビルマまで侵攻した、その時戦った相手がイギリスだったのである、七つの海を支配したイギリスを知る時、いかにイギリスの力か大きいものだったかを知る、シンガポールも英領でありマレーシアでも英語が通じるというときそうである
そして私の姉は従軍看護婦としてシンガポールの向かいのマレーシアのジョホールバルで四年間辛酸をなめた、そこに赤十字の病院がありそこで傷病兵を看護したのである
それは地獄にいるような経験したとなる
そして遂に死ぬときまでそのことを語りながら死んだ、それは24歳くらいであり青春時代であり忘れることのできない経験だったからである
そして世界帝国を築いたイギリス軍と戦い勝ったということが世界の驚きとなった
日本がその時世界史の大きな担い手として出て来た時だったのである
イギリスとは当時最強国だったからである、だからイギリスにとってはショックだったのである
今でも日本人に捕虜にされて虐待されたとか恨んでいるからである

不思議なのはミャンマー人は日本人に似ているというときも親近感を持つともなる
タイ人とかとも違う、ベトナム人とも違うのである、ただ様々な民族が混交している
目鼻立ちがくっきりしているのはインド人でありアーリア人系統と原住民が混血したからだとなる,インド、パキスタンとかイランの系統はアーリア人系統が混血した
そして印欧語系統として共通性がある、それは遊牧民の言葉なのである
ドラビダ族がインドの原住民でもアーリア人との混血があり宗教もイスラム教が入ったのである
いづれにしろ言語は余りにも多様である、なぜそうなったのか?その理由はバベルの塔の崩壊からきている、神に逆らってバベルの塔を作り神が崩壊させた、そして民は言葉が通じなくなったのである、その理由が的を得ている
それは単なる神話ではない、今もそれを現実として人類がある、人間は言葉の面でも一つにはなれないのである

その人は大学もでている、ミャンマーで大学を出ているとしたら相当なエリートである
だから大学でも日本語を学んだ、日本語相当に学んだから日本に来てしゃべるようになったとなる、ただ漢字はむずかしいというのは何でも文字を理解することはむずかいしということである、英語だってアメリカ人でも別に知識人でなくてもしゃべるからである、発達障害の人もしゃべることは普通にできる、結構高度なこともしゃべっているのである、でも漢字が書けない読めないとなる、しゃべることより書いたり読んだりすることが知的に高度だということになる

世界史で共通しているのは隣国とは必ず争っている、それも熾烈な争いになっている
タイ人とは今でもミャンマー人が争っているのもそうである
タイでは仏像とか壊された戦争の跡が残っている
タイ人とは人種も違っているのも不思議である、仏教でも同じようで違っている
そして争っている、ミュンマーの問題は軍部が既得権者となり経済的にも利権を握っている、その利権を手放したくないから権力を持ちつづけたいからそうなっいるという
軍部に金が入る仕組みを作っている、それは中国でも同じである、アメリカでもそうだし日本でもそうだとしている、既得権者は権力を利権を手放したくないというので共通しているのである
カルト教団でも宗教でも歴史をみてもカトリックが権力を持ち権力を手放したくないなったのと同じである
人間は一旦権力をもったら手放したくない、権力がなければ相手にされなくなる

権力を持っいることで利権がありそのためにカルト宗教もその利権と権力を得るために運動している、それが一連の統一教会のことなどで明らかにされたのである
創価とかなどはそうした権力奪取とか利権を得るためであり御利益しか眼中にないのである、だから宗教と何の関係あるのかさっぱりわからないのである
単純に考えてもお釈迦さまがなぜ仏さまになっているのか、そうしたこの世の欲を求めて達成するためにではない、だからこそ王宮から乞食にもなったからである
カルト宗教とはだから宗教ではない、では何なのかとなればナチスのような現代文明から生まれた病的なものであり異様な集団である、でも明確なのは御利益を得ることであり
権力が御利益と利権と結びつくから運動しているとなる
それは人間なら理解できるのてある、それがどうして宗教と結びつくのかそれがどうしても理論的に理解できない、でも人間は利権や利益があれば何でもいい喰らいついてくる
だからあれだけ会員が増えたとなる、山で修行して欲をなくせと言ったら誰もついてことないからである

いづれにしろミャンマー人はめずらしい、でも今や最貧国の人たちしか日本に来ないしやがて日本には来なくなる、それより日本人が海外に出て働くようにもなる
まだわずかでありそういう報告が円安で起きているのである
外国人を安い労働力として使うことはもうできなくなる、次はアフリカの黒人だとなるがこれも抵抗があるだろう、それらり日本人自体が外国に出稼ぎに行く時代になる
日本はそういう最貧国にならないにしろそういう人達とも同等になる恐怖でありそうなりつつある、なぜ日本がそんなに落ちぶれたのかということである
イギリス帝国は長かったが日本は高度成長時代は20年ー30年くらいしかなかった
余りにも短い繁栄で終わったとなる、その理由が何なのか問われているとなる



元日にベトナム人が大仏に大集結する理由、福岡の南蔵院・茨城の牛久大仏


「数年前からベトナム人が来ている。元日は多い」「ミャンマー人も来ている。伝統衣装で大仏の前で手を合わせている」(東京・多摩大仏のある寶光寺)、「それほどではないが、たまにベトナム人やミャンマー人が来る。ミャンマー人は10〜20人くらいの団体で年に2〜3回来る」(岐阜大仏のある正法寺)、「5年ほど前からミャンマー人が来るようになった」(愛知県の聚楽園大仏)、「ミャンマーの人は多いです。寄付する人も中にはいる」(千葉県の日本寺大仏)などの声があった。

仏教国だから日本に来ても大仏があれば母国のものと同じともみる、でも日本の寺と東南アジアの寺は違っている
妻帯しないとかあり日本は妻帯して普通の人と同じ生活している、そもそも日本では寺は宗教の場なのかとなる
葬式とか死者とか墓がある場所であり信仰の場所なのかとなる
だから外国人が同じ仏教徒でも受け入れないとしている、観光に来るのはいいとして共通の信仰の場にはならないのである
キリスト教だと日本でも外国人を教会で受け入れることがある、共通の信仰者として受け入れる
それよりカトリックだったら同じ信徒としてあるからグロ−バルだから受け入れるとなる
イスラム教徒でもそうである、でもまたイスラム教でもセクトがあり戦争までしている
宗教でもこうして派閥争いがある、大仏とかに外国人が集合するのは観光の要素が大きいだろう、なじみの仏像があるからなごむとなるのかもしれない、日本人でも京都辺りだと庭を見たり美術鑑賞したりする場にもなっている
別に信仰の場としてあるわけではないからである

インタ−ネットの強みはこうして情報を連結させることである、この記事でも他の場所でも東南アジア系統の仏教国の外国人が寺に集まっているのかと言っていたからである
確かにここでも寺に集まっていたのである、なも礼拝する場とういのではなく庭を見たり宝蔵寺だと紅葉がきれいだから来ていたりりしていたとなる、そもそも仏教というのはイスラム教徒とかキリスト教のようにグロ−バルな連帯がない
ただベトナムでもミャンマ-でも日々の生活の中で活きている、でも日本のような葬式宗教だけではないだろう
ただ大仏があるとなれば同じとみているのかもしれない、元旦に観光に来ているともなる
posted by 天華 at 16:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月03日

2023年新年短歌30首ー 本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること


2023年新年短歌30首

(本当の栄とは何なのかー自然とともに天地とともに栄えること)

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我が家や遺影に花を飾りつつ新年迎え共にあるべし

我になお学ぶべきことあり尽きじかも今年も励み齢知らじも

新年に花を飾り松が枝をさして調和し末永くあれ

新年に病も癒えむ我が家に来たりし女やなお生きむかな

赤々と椿百輪公園に原町の道新年に来ぬ

枝張りて木は真すぐに大地にそ根の深く張り椿は映えなむ

それぞれの地に住み人は日本にそ年も新たに力を得なむ

去年(こぞ)に死ぬ人の悲しもその遺志の継ぐ人あらむ年改まる

良きものや電熱ベスト我がまとい技も進みて老いを生きなむ

美しき日本にあれや富士の山新年に映え栄もあらむ

初春の東海道や富士に松波音ひびき今宵の宿かな

富士の嶺映えて旅人東海道五十三次行く春の風吹く

日本にそ生きにしものや大海の波の轟き初日昇りぬ

新しき世の拓けむや老いてなお力尽くさむ日本なるべし

新年を言祝ぐものや大地より山より海より力を得なむ

そが力何に尽くさむ真なれ徒に生きざれ時の貴重なるべし

北風の音のみひびき我が一人巌のごとく打ち籠もるかな

新年に希望はいかに生まるるや偽りに生くば力を得じも

新年や直き赤き心にそ再び日本に栄のあらむ

東西の要とあれや日本なり対立の世にそ和をもたらすべし

神の意志日本に働き新たなる世の拓けるや祈るべしかな

芽吹く木の若き力の育ちなむ様々な花の色にそ調和し映えむ

深々と根を張る樹々やその根こそ見えずも木を支えぬ

騒々しき世を離れてそ黙す石北風鳴りて地も休むかな

争いの時に聞こえず北風の鳴りて休みぬ石一つかな

石一つ何も成さざるも春来れば花も咲きなむ誰か休まむ

復興は人智を越えし神の業働きてこそ成るべきものなり

日本にも衰えざるや天地の力の充ちむ年改まる

大洋に旭の映えて船はいず海の命の尽きざりしかかな

大海に波うち寄せて新年や魚躍りて旭日照らしぬ

海囲み日本育む山々を仰ぎ祭りて初日のさしぬ


今年はどういう年になるのか、いい予想はない、それはみんな経済的な面でそうなのである、日本は後進国になりもう先進国ではないというときも経済的なもの、科学技術的な面で言われる、でも自然からみれば自然はどこの国でも美しいものがある
それは神が地球を作ってから変わりないのである
その美は衰えることがないしまだ発見されない自然の美がある
日本には日本の自然の美がある、それは他の国と違った美なのである
その作られた風土と地勢とから見れば日本は魅力的だとなる
実際世界の大都会をニューヨークでも上海でも東京でもそこに魅力が感じないのは自然の美が映えないからである

都市でもルネサンスが生まれたのはフィレンツにしても5万くらいだったのである
つまり5万くらいであのような魅力的な美の都市が生まれていたのである
それは何のだろうとなる、経済力からしたら雲泥の差がある
一千万都市と5万の都市の差は余りにも大きいのである
だから経済力があり美を産みだすことはない、むしろ経済力だけだとそこは殺伐とした
金だけの世界になる、金融市場の世界の中心のニューヨークなどでもそうである
そこに世界の金が集められ収奪されているともなる

宗教でも大都会から東京から生まれた宗教はカルトでありそこに本来の宗教は何一つないのである、ただ人を集めて大衆化してごたごたと人を選ばずあらゆる人を集めて数で勢力化して権力化利権化するだけである
だからそこから何一つ良きものは生まれない、美も生れない、ただ醜悪な物が生まれるだけである
江戸が美しかったというとき百万くらいであり回りは田園だったのである
そして水路がめぐらされてベネチアのようになっていたのである
もちろん過去を美化することはあるが一千万の大都会を見てもそこには群衆と車と高層ビルなどを見るだけであり人間はただ蟻のようになっているだけである
わからないのはそうして醜悪なものとなるのは何故かとなる
人間のエネルギーがなぜこうして一千万の人間が集まってエネルギーとなってもそこに何か美でも良き物が生まれないのかわからないのである

それより富士山は常に優美に映えている、自然は太古から原始から変わらず美しく映えている、それは人間が作ったものではない、神が創ったものである
だから何が繁栄なのかわからないのである、もちろん日本が貧乏になるのがいとかではない、大都会のような東京のようなものが繁栄にはならない、だから繁栄とは何かとなると

御民我れ生ける験あり天地の栄ゆる時にあへらく思へば
                       海犬養岡麻呂
                       
これなのである、天地(あめつち)が栄えるということは天地は常に栄えていたのである天地の美は常にあり変わることがないのである
神は実りを与えていたのである、それは経済的な面からみれば繁栄の時とそうでないときはある、でも天地の栄とは必ずしも経済的な面だけではない、栄えるとは天地の美があって栄えるともなる、天地の美を失う時、そこに栄があるとはならないのである
現実にこの辺では原発事故で住めなくなった、それは何なのか追求してきた
天地とともに栄えることが基本であり科学技術によって人間は栄えるとはならないのである、もちろん科学技術とか否定するのではない、優先すべきは神が創った業でありそれとともに栄がある、それを失った時、真の栄はないのである

だから東京であれ経済的には巨大化して栄えていてもそこに神の業(わざ)なる自然が映えないから殺伐としているだけなのである
江戸には美があったというとき百万都市でも自然が回りにあり水路が縦横にめぐらされてそれが美を作っていたのである
だから何が栄なのか、常に経済的な面から科学技術的な面からしか見ない
なぜかえって自然を破壊して美を消失させたのが大都会だったとなる
すると何のためにそこで生きているのか労働したのかともなる
むしろ極端になるがそんなものはない方が良かったとまでなってしまうのである

いづれにしろ正月でも正月気分などない、ただ年が変わるというだけである
正月とは祭りでも農業から農民生れたものだから現代では農民は全体の一割もいない
田舎でも農民はそんなものである、だから田舎でも農業のことを知らないのである
私自身も知らなかったのである、つまり現代人は田舎に住んでいても都会人になっているのてある、会社員なのである、それで浪江町で電気工が回りが田圃でも草ぼうぼうになっても何の関心もなかった、悲しいとか嫌だとかもない、全く無関心だったとのである
かえって補償金もらって良かったと言っていたのである
それだけもう農業を知らない人が多いのである、そのことは農業が自然と密接につながっているから自然のこともわからないとなる

むしろ田舎の方にこれから栄があるともなる、その栄は物質的なものではなく自然に映えるものとしての精神的なものである、それは文明ではなく文化だともなる
文明という時大きなものであり文化となると地域地域に根ざして生まれるものだからである、巨大文明都市から小規模地域都市こそ繁栄があるとなる
それを具現したのがフィレンツとかのルネサンスの都市なのである
それは5万くらいの小都市だったのである、それでもあのように荘厳華麗なルネサンスが生まれたのである
おそらく日本もこれから地方の小都市からルネサンスが生まれる、今の機が熟しているのである、高度成長時代は経済成長のみでありそれは物質的なものであり真の繁栄はそれではない、荘厳な美の創造なのである、それは飯館村などでも原発事故があり廃村みたいになったがそこには森に囲まれた美は残っている、だから美の創造はまたそこからもありうる、もちろん物質的なもの食料でも必要だから美だけでは成り立たない、でも大都会とは違って依然として森が消失したわけでもないからそこから再生しうるものがある

東京などでも大都会は何か戦後の焼け野原のようになるのではないかとも危惧する
そこに美がなく精神文化はない、巨大なあくことなく食い続ける胃袋しかない恐怖であるがつがつと食う怪物でも住んでいるのかとなる
だからなぜ東京に人が集まるのか理解できないのである、もちろん田舎がいいわけではない、人間は劣悪だともなる、でも自然に隠されたようになっているとき自然の美が映えるという逆説がある、醜い人間が隠れてあるとき自然の美が映えるのである
だからそもそも人間はなぜあくせく働き消耗されてゆくのか?もし何か意味ある美のあるものに費やされるならいいが実際は醜悪なものに労働を強いられる消耗されるだけだとなる、カルト教団のようなものに消耗され費やされているだけだとなる
ともかく何でもそうだが人間は末永くあることを願う、あまりにもあらゆるものが泡のように一時のものとして消えてゆく
人間の交わりでもふりえれば瞬間であり後は永遠に逢わないとなりはかないとなる
長くつづくものには価値がある、あらゆるものがただたちまち消えてゆくだけである、百年二百年でも継続されるのに価値がある
それでSDGs(持続可能社会)が言われるようになったのである、経済的繁栄は一時的なものである
でも天地の繁栄は太古から古代から変わらずつづいている、その美も一部損なわれてもつづいている
はかなくうたかたのように泡沫のように消えてゆくものに価値はないのである

今年も俳句短歌や詩など創作に励みますのでよろしくお願いします


天地の栄の歌を作った人のこと

犬養部は犬を用いて宮門、大和朝廷の直轄領である屯倉などの守衛に当たる品部であり、海犬養は、県犬養、稚犬養、阿曇犬養、辛犬養連、阿多御手犬養とともにこれを統率した伴造6氏族の一つである。
海犬養氏(海犬甘氏)は、海神綿積命の後裔を称した海神族に属する地祇系氏族で、安曇氏と同族とされる
これは私が古代の部で相馬地域に特に南相馬市の原町区に綿津見神社と山津見神社が多い、原町区には綿津見神社が
やたら多いのである、その関連した地名も多いのである、安曇族の後継者の名前が地名化しているのである、海犬養とあるように海に生きる海人族だったのである
その人が天地の栄の歌を残していた、とういうことは相馬地域にも深い因縁があるともなる
天とあるときこれは天はアマとかともなり海のことだとも解釈している
海人族からすれば天ではなく海なのである、海の魚などをとって生活していたから海の恵みで生活していたからそうなる













2023年01月04日

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる (自然災害から逃れられない日本)

去年の地震の被害がつづいているートイレが壊れる

(自然災害から逃れられない日本)

トイレが故障したのは配管が割れていたという、これは去年の地震のためでありまた家自体が古くなったためである、築50年とかなるとやはり痛んでくる
そのために大工さんにも壊れた部分を直してもらった、トイレを直すのは配管が関係しているからめんどうでる
TOTOの販売店でも配管までの工事はしない、トイレの製品売るだけである
それで床をはがして配管を見たりトイレ自体を新しいものにするのに10万かかり床をはがして工事するにのに十万とかかかり消費税で22万もかかる
大工さんには3月頃にキッチンを直す、これも地元だとかえって高くなる
でも地元の大工さんとかだと細かいところまでしてくれる、注文もできる
アフターサービスもいいとかなる、だから地元できいなものがある
なんでも大手だけではたりないのである、クラシアンとか郡山の会社は一日で来た
トイレは早く直さないと困るのである,トイレが使えないことは困るからである

とにかく去年の地震の被害は大きかった、まだ瓦とか直している、この修理代でも相当金がかかったろう、そもそも家を持つと修理代とかが大きいので金がかかる
私の家は築50年で古くなって傷んでいたから配管でも壊れたのである
去年の地震では古い家は相当に破壊された、だから全体を修理する家がまだある
家一軒持つことは金がかかる、私の家は1960年代の後半に建てた、その時は400万で二階建ての家が建てられた、大工の賃金が安かったからできた、その後大工の賃金は急に高くなったのである、あの頃は依然として高度成長時代であり今とは違っている
そもそも全国相手にするハウス会社はなく地元の大工さんが全部作った
その材料も橲原の同級生がキコリだったとか太い柱を地元の木を買い作ったのである
だからいつも姉は自慢していたのである

いづれにしろこの家そのものもが歴史であり郷土史になっている
それぞれの家を見ればそうなる、私の家はなぜ大きな二階建てにしたのか?
それはその前の家が粗末なものであり真野川が氾濫して水害で天井に水がつくくらいの被害だった、その原因は私の家の土地が街で一番低い土地にあったからである
そのために今でも雨がふると水がたまり三回くらい水があふれて道に流れ私の家に入ってきたのである、だから土地は良くない、でも私の家は乳が酒屋の丁稚してここに移り苦労して手に入れたものなのである
ただここの土地は低くて良くない土地だったのである
家というのはどういう場所にあるか問題なのである、だからテレビで常に放送されるように土砂崩れがあり家が埋まって死んだとか常にある、そういう場所は危険な場所である
でもなぜそういう場所に家を建てたのかそれも事情がある
それは外から見てわかりにくいのである、危険な場所でもそこに建てざるをえない事情があったともなる、また山の方だと家を建てるのにも平な場所がなく危険な所に家を建てたのかとなる

この家では水害を二回経験している、それも床上であったから被害が大きかった
それは真野川が二回氾濫したからである、それは40年前頃だったかもしれない
でも川幅を広げて堤防を頑丈にしてから氾濫しなくなった、水害はなくなったのである
日本は自然災害が本当に多いことを実感した、津波から去年の大地震からとつくづく何でこんなに災難がつづくのかと思った、他では津波では家族でも死んでいるからもっと過酷だった、しかしそうは言っても水害の被害がない場所も多い、高台にある家がある
そういう家は被害がないのである、だから日本だと本当にどこに住むかが大事になる
常に危険な場所がある、まず海岸地帯が港ととかがぎれだけ危険な場所だったか津波で
痛感した、とてもあんな所は住め場所でなかった、でも利便性があり三陸でも死者が多くてもやはり海の近くが便利なのでもどり住んだのである

なんか今年は幸先が悪い、トイレとか使えないと困る、電気水道ガスでもそうである
だから金がなくてもなんとか払うほかないとなる,ライフラインだからそうなっている
とにかく家というのは金がかかる、それが借りている市営住宅でもそうである
それを市の方で出してくれるとしても全部がそうはいかない、それよりか電気水道ガスが高くなると貧困者はその取り立てで苦しむ、そしてなぜ金がかかるのか、それは一人一人別々に部屋を借りて住んでいるからである
そこで一緒に住めといっても住まない、息子がいたとしても喧嘩になるからと住まない
また福祉関係だと一緒に住めないとかある、でも現代ではここが贅沢なのである
昔は大家族で住んでいたし江戸時代なら長屋であり狭い部屋で何人も一緒に住んでいたからである、いくら貧困化してもここは贅沢だとみる、でもそういうことが続けられるのか誰がその金を負担するのか、そこまで負担させられるとなると負担しきれないとなる

一軒一軒の家は郷土史である、でも近く家が何軒か壊されて空地になった、家がまるで歯がぬけたようになくなるのも現代である、空家が膨大に増えてゆくのである
駅前の活性化を語っても一見の歯医者がいななり空地になったままでありすぐ近くの自転車屋も去年で死んでしまった、その人はいつも駅を見ていて街の活性化を語っていたのである、その本人が死んでしまったのである
畑でも前の人は病気になり死に隣の畑は車で老人が来て這って作業していたがやめた
知っている人も体がつづかなくてやめた、そして最近脳梗塞になって入院した
軽かったがこうしてその後継ぎになる人もいないのである、耕作放棄地も膨大なのである少子高齢化であり日本が衰退してゆく、縮小してゆくのである
その衝撃は大きなものとなる、どこでも後継者がいないということも大問題なのである
一軒でも自転車屋があったときは貴重だった、でもその一軒の自転車屋も消えた
無医村のようにもなったのである

新年早々暗い話になるがこれが現実なのである、ともかく郷土史というとき一軒一軒の家が郷土史なのである、ただ家がない人もいる、市営住宅を借りて家がない人もいる
そうなると家の歴史はないとなる、ただ借りる家だとなるからである
でも家は本当に金がかかる、建て増ししたりもしたから家は新しく建ててからより建て増しとか修理とかで金がかかっている、これも問題である
でも家族全部死んでも不思議なのは家には依然として家族がいる感覚にもなる
家というのはこうして単なる人を入れる箱ではない、ごから家族が死んでも依然としているように思えるのである


まず狭い家では何か知的作業をするのは向いていない、また余りに家族が多いと煩いので知的作業には向いていない、気が散るからである、それで個室がない時代は勉強する環境としてはいいものではなかった、でも子供の時個室を持っているのは相当な金持ちだったろう、みんな小さな飯台一つを囲んで食事して個室というのはなかったのである
個室を持つことは贅沢だったのである、それで貧乏人でも別々の部屋を借りて住んでいることは金がかかる、それをしているのは贅沢だとみる
でも人間は個室があればそこで思索したり知的作業するのにはいいのである
私の家は部屋が七つもあり一人で使っているから贅沢だとなる、でも部屋を変えると気分転換になるのである
家でいいのは部屋によって見える景色が違うと相当に気分転換になりいいものになる
そこで違った景色を見るからである、だから今は知的環境としては最高の環境に自分は住んでいる
ただ家事に追われる、掃除するだけで家が広いとめんどうになる、だから家一軒を維持することが結構な労働になっている、それで暇なく家事やら掃除やらなにやらと家で働いているともなる

クラシアンでは正月でも電話一本で即座に来るのには驚いた
トイレの修理は早くないと困るからそういうサービスになった、そのついでにトイレを売ることもできる、こうしてこの会社は全国でしている、地元は意外とこうしたサービスをしない、屋根を直したのはいわきの会社でありユニットバスは仙台市の会社であり
安くていいものだった、百万は安い、工事が結構大変だったからである
地元だと二百万から三百万になると言っていた
でも今度は春にキッチンを直す、これでまた金がかかる、地元の大工さんであり細かいことまでしてくれるが金は高くなるのである
こうして去年の地震の被害は今年もつづいていたのである、まだ瓦でも直していない家がある、

今年はどういう年になるのか、去年は寅年であり本当に大きな災難の年だった
今年は兎年であり跳ねる年になるのか、家族が認知症とかなり地震津波がありここ十数年はもう災難つづきだった、日本とは本当に自然災害が多いのである
でも災害は忘れる頃にやってくるというように警戒が十分でなかった
災難というとき病気も大きな災難である、知っている人は脳梗塞になったが普通にしゃべれる、軽くてすんだのが幸いだった、でも病気も大きな災難である
結局人間はどんなことしても災難から逃れられない、それは必ず来るということである

posted by 天華 at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月05日

元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ (冬桜、寺の鐘、冬の星)


元旦の海辺で見つけたイソヒヨドリ

(冬桜、寺の鐘、冬の星)



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これはで雄である、背中が青く腹が赤いのである

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これはメスである

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これは雄か雌がわからない、腹が赤いのは朝日がさして赤くなった
でも背中が青でもなく雄なのかどうかわからない

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新春に見つけし雄雌のイソヒヨドリ

めでたしやイソヒヨドリの雌と雄

新年や波打ち寄せてイソヒヨドリ

(冬桜)

石重くすえてここに冬桜

冬桜石にひびきぬ寺の鐘

冬桜石に寄り暮れ一人かな

土着して蔵ある家や冬桜


石寺の鐘重くひびくや冬の暮

石一つ千歳動かず冬の星

大石に清流のひびき冬の星


海岸の堤防の上に見つけたのはイソヒヨドリであり前にも見かけたからである
雄は青色に赤い腹していてきれいである、でも今回見つけたのメスだった
これは見映えしない色である、地味である、メスがたいがい地味である
雄は雌の気をひくために自然界では目立つ色をしている
ジョウビタキとかでもそうだった、メスはきれいではないのである
鳥をとるのはむずかしい、すぐ飛んで消えるからである
だから狙い定めて写真をとらないととれない、つまり定点観測が必要になる
あそこは毎日自転車で行っている、そしてイソヒヨドリがいたからわかった
ただ雄は見ても雌が見たことがなかったのである
ともかく雄雌の番いを見たということは縁起がいいとはなる

去年になるが宝蔵寺に冬桜が咲いていた、どっしりと石がありそれに似合っていた
寺でいいのは鐘の音である、山とか大地に厳かに響くのがいいのである
教会の鐘だと甲高いし重みを感じないのである
冬桜は年が明けて少し咲いていたけど散った、秋桜があり冬桜があるとしてそれも12月までなのかとなる



2023年01月06日

近くの家が何軒か解体される (縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)


近くの家が何軒か解体される

(縮小する日本がここに見えるー未来の年表の恐怖)

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すぐ隣の家が一軒空地化した、その隣が今日壊されていた、去年の地震で壊れていたが取り壊れた、その家は理髪店であり40くらいだったのか息子が死んで次に母親が死んだのである
そして後ろの家の人は最近死んだ、そこは農家だったので広い空地になり不動産屋が買った、そしてその隣は空家になった、でもそこを借りていた人は近くに新しい家を建てて
住んでいる、道路を挟んで医者をしていた人の家も地震で壊れても屋根を直していない
それももったいないのだけどその一人息子も東京で医者をしていたが最近死んだ
78歳だった、去年だったか78才で三人くらい知っている人が死んだ
隣の女性も癌で78歳で死んだ、これも元気であり話したことがあり死ぬとは思わなかった、最もショックだったのは街一軒の自転車屋が去年死んだことである
この町ではもう自転車屋はないから困ったことになる

この状況はまさに日本が縮小してゆく象徴にも見える、子供もいない、遊んでいるのは幼稚園なのか保育所でしか見ない、ただ病気になった、50歳の息子が親を介護する人とか増えてゆくだけである、ただその親は軽い脳梗塞ですんだのである
ただそれでも金がもともとないのでいつも電気水道ガス代が払えないと嘆いていた
依然として退院したとしても金がない問題は解決しないのである
こういう状態はここだけではない全国で起きている現象である
この辺は津波や原発事故で廃村になったり街でもゴーストタウンのようになった
そこは空家だらけなのである、帰ったとしても老人が多いのである
もうそうなるととても復興できないとみる、また街一軒の自転車屋が死んで跡継ぎがいない、全国的にも後継者がいないとなっている
そして高度技術者のITかの人材不足が言われる、つまり人材不足が深刻になってくる

原発事故で街自体が廃墟のようになったのは極端にしろ私の回りをみても歯がぬけたように人がいなくなる、空家があったが解体される、ただ私の町は原発事故で住めなくなった避難区域から浪江とか双葉とかから移住してきた人達が新しい家を建てている
それで人口自体は減っていないみたいだ、一番移住したのは原町である、ここは住むのには便利だからである、相馬市より便利である、いろいろなものがそろっているし新しい店もできている、店員がいない餃子の自動販売店ができたりもしている
原町には新しいものができているから活気がある、相馬市はイオンが閉店したことが衝撃だった、あそこは街の中心のようにもなっていたからである
いつもあそこで休んで食事などもしていたからである
原町は離れているから郊外にあるから閉店しても街自体が寂れた感じにはならないかもしれない、相馬市の場合は街中にあったから寂れた感じになったのである

新年早々暗い話になるけどこれが現実である、日本が縮小してゆく、自治体でも生き残れない所が相当数出て来ると試算している、財政的に苦しくなってそうなる
税金にしても人口が関係しているし少子高齢化では働く人達がかなり減るのだから福祉関係でも年金でも維持するのがむずかしくなる
そして8050問題が深刻になる、50才くらいの人が80代とかの親を介護することになる、それは現実に見ている、その人は50代であり施設に父親を入れた
でも日給の建築土木関係で働いていて金がない、それで今度は母親が入院したとかで苦しむ、何かこの50代に親の介護の負担がかかり仕事もできなくなるとか問題になっているこの世代はまた氷河期世帯とか言われ経済的に苦しいのである
そして全体的にも日本は賃金が物価が上がっても上がらないのである
こうして日本自体が貧困化している、中産階級で下の方に落ちてゆく、みんなぎりぎりになる、、最下層もまた一千万人とか多いのである
それで日本では稼げないとして外国に働き稼いだ金が大きいとなり自慢する人がでてきている、日本ではもう稼げないのである、日本に来る外国人労働者はベトナムとかネパールとかミャンマーとか最低の生活をしている人しかこない、ネパールの山で生活している人はボールペンすらない、だからくれとなる
日本はもうそうして最下層の人しかこないしいづれはその人達も来なくなる

未来の年表が話題なになったようにこうして日本の未来は本当に深刻なものとなる
人口6千万人くらいになるとかそうなると空家化して耕作放棄地がさらに増えて今度は空家が隣のように解体されてゆく、その衝撃は相当に大きなものとなる
そして少子高齢化では全体の雰囲気がどうなるのかというと若者すら何か新しいことに
チャレンジすることもない、それは老人が上にいて頭を抑えられてあきらめているからだという、上にいる人達がこれは世界でもアメリカでも70代で80にもなっても大統領なのかとなる、ロシアですらプーチンがそうである、これも問題だろう
世界全体が老化してゆくのか?中国でも人口が減ってゆく、現代はもう人口はピークになり減少してゆく、これ以上人口を養うことが地球でできなくなっている

もう他の惑星にでも移住しないかぎり限界なのである、でも他の惑星に移住はできない
つまり世界自体が縮小化してゆく、人口も減少してゆく、でも高齢化はどこでも進んで行くのである、別に長生きが悪いわけではない、なぜなら人類の願いは長生きすることだった、それだけ若くて死ぬ人が多すぎたらそうなった
幼児の死亡でも多かったのである、だから大正生れとかなると家族でも兄弟でも必ず幼児が死んでいるのである、それだけ出産も危険であり死んでいる
また病気でも肺病とかでも若死にする人が多かったのである
延命地蔵とかあるのは長生きできる人は限られていたからである

ともかく新年になり明るい未来があるのか?この縮小化社会は相当な衝撃になる
徐々に百年とかそれ以上の時間をかけてなればいいが急激になると衝撃が大きい
辺りを見たら子供いない老人だらでけであり自転車屋が死んで一軒も街になくなったとか賃金は上がらない、物価だけが上がって苦しいばかりだとなる
そして電気水道ガス代が払えないという人が増える

そして貯金しても利子は一切つかない、だから銀行の役割は貸金庫なのか、何の役割があるのだろうかとなる、ただ投資信託とかは売りつける、でも銀行は証券のことはわからない素人と同じなのである、ただ借りてくれる会社とかがないので投資信託で手数料を稼ぐ商売になったのである、そもそも地銀でもつぶれてゆくとか言われる
何か社会での役割がなくなった、前なら銀行に金をあづけていれば7パーセントとかの利子をがついていたし銀行では金を集めるだけで良かったからである
今になると預金した金でも預金封鎖がありとりあげられるとか恐怖になる
何か安心がない社会なのである

そしてもう一つの問題は私の家も築50年で家がいたんできた、だから地震でトイレの配管なども壊れた、それを直すのに20万もかかる、トイレ自体を変えないと工事できないとしているからだ、それは郡山から来た会社の人だった、元旦でも仕事していたから頼んだ、他にキッチンも壊れてこれも直さなければならない、去年はいろいろ地震で壊れた所を直して金がかかった、こうして古くなると傷んできて直すの金がかかる
それは自分の家だけではない、水道管とか道路とか橋とかでも古くなって直す必要がでてきているのである、それでトンネル事故とかあったのも古くなってそうなったのである
これを直すのにもかなりの金がかかってくるのである
そして今日はビデオレコダーが壊れたので見てもらったらもう直せないとういう、それは10年前に買ったものだったのである、だから直しようがないと言われたのである
でもビデオレコダーだと安くていいものがでている、これはそれほどの金ではない
そしてWIN8.1のサービスが終わる、これでWIN11のパソコンを買わねばならない
これも出費になるし何かいろいろなものが変わり操作が変わることがめんどうなのであるでもウィルスの危険があるから変えざるをえないのである
老人は機械でも変わるとめんどうになる、慣れたものの方がいいのである

こういうことはあるにしろ夕べ帰りに見たら満月だった、それだけは心なごんだ

新年に満月にこやかなごむかな災いなかれ兎の年かな

月には兎がいるとかなっていた、兎年である、兎は飛び跳ねるから飛躍する年なのか
何かわからない、去年は怖い地震があったりウィルスが収まらず本当に激動の寅年だった月に兎がいるというときもしかしたら今年は悪い事ばかりではない状況が変わる年かもしれない、今日満月を見てそう思った、これもわからないがそう願うほかない
でも兎年はそんなに波乱はないかもしれない、でも人間は短い期間でも一年でも未来はわからないのである、今日も地震警報が出てびっくりしたからである
地震でも予測できない、ただこれだけ災難があると平穏であれ平和であさと願うほかないウクライナの戦争でも終わってほしいとなる、ただ和平が今年にあるかもしれない
私の姉は兎年みたいだった、私自身は猪年である、何かこの十二支は年に関係あるのか
今日の満月にはなごんだ、それが吉兆なのかどうか?ただそう願うほかないのである


ともかく無病息災を自分にも皆さまにもお祈りします






posted by 天華 at 20:35| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2023年01月07日


南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか

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乳の木があった場所

クリック拡大



「乳神神社とは? 乳神様とは?」
浦幌神社の境内には、「乳神神社」(ちちがみじんじゃ)、
通称「おっぱい神社」と呼ばれている神社があります。
そこには、乳神様(ちちがみさま)と呼ばれている神様がおります。
正式な御神名は、乳授媛大神(ちちさずけひめのおおかみ)といいます。

なぜ、おっぱいの神様が浦幌神社に?
と不思議に思われる方も多いと思います。
この乳神様の正体とは、女性の乳房に似たコブをもつナラの大木のご神木で、
乳神様と呼ばれるようになりました。

岡山県総社市の軽部神社で崇拝されている「乳神様」もそのお一人。その名のとおり、お乳に関する神さまであり、拝殿にはオッパイをかたどった絵馬がたくさん奉納されています。

「垂乳根の桜」(たらちねのさくら)と呼ばれる枝垂桜にあります。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年、春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜はそれ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう

オッパイいっぱい!乳神様として崇拝される岡山県の軽部神社
https://www.travel.co.jp/guide/article/8165/

『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。
明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、
又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、
同の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。

乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、
たちどころに効能があったと伝えられている。
大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、
その子供が小学校に入学したのは57人だけであった。
この碑は宮城県では珍しい

秩父、仙台まほろばの道
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/1af84c192b6a71792b03778e4abba6d1

ひとつ気がかりなのは…
おっぱいが張りにくくなってきたことだ…
このままおっぱいが出にくくなって
断乳、になるのだろうか。
不本意な断乳、悔しい。
昨晩は一応マグマグに母乳をしぼって置いてきたが
娘は飲んでくれたんだろうか。
よく寝ただろうか。

飯館村佐須の乳神の碑から現代を考える (牛乳がない時代は乳が頼り)
http://musubu.sblo.jp/article/79186515.html

乳神の木が海老村にあった、それが本当に乳房とそっくりなのである
乳神の木である、なぜそうしたことが語られるようになったのか?
それは子供を育てるのに乳が出ないと困るからである
乳が授かるように出るように祈ったとなる、それが乳神の木となったのである


飯館村の佐須にも乳神の碑があった、畑の中にあった、相当不便な所だから乳が出ないと困る、牛乳とかも余りない時代だと江戸時代とかなると乳がでるかでないかは切実な問題になっていた

大正12年丸森耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、その子供が小学校に入学したのは57人だけであった

私の母は大正4年生まれである、尋常小学校卒であった、小学校には行っていたのである丸森では耕野村でその時半分も小学校に行っていない
ということは読み書きをどこで習ったのかとなる、聞いた話では子守りとかで学校に行けなくて小説読んで字を覚えたという大正生れの女性がいた、つまりその時代必ずしも学校に行っていなかった、私の母は原町に住んでいたから小学校に入り字は覚えたとなる
大正でもその後でもまともに学校に行っていない人がいたとなる
その頃は本当に読み書きソロバンができれば良かったのである、それすらできない時代だったのである、ネパールとかになるとまた遅れた国だと学校に行けるだけでいいとなる
鉛筆とかすらない、書くものがない、それでボールペンをくれとなっていたのである

切実に乳をでるのを祈りけり乳神の木や年は明けにき

乳出ぬと女の悩み乳の木にさわり祈るも切実なりし

木は意外と男性的なものではなく女性的なものとしてもある、植物は女性的である
動物は男性的だとなる、女性は大地を根を張り定着して大きくなる
そして定着しないとなかなか子供を育てにくい、確かに遊牧民でも子供を育てたとしても本来は一か所に安定して子育てするのが向いている
世界を男性と女性に分けて言葉も作られた、男性名詞と女性名詞である、でもそれがどうしてそうなったのかわからないという、木にしても男性的に見る人もいるし女性的に見る人もいる、ただ植物はどうしても女性的なのかとなる



インタ−ネットの情報は地域の詳しい情報を出すのに向いている
おおきなニュースは全国版であり世界版になるからである
地域の情報はそれぞれの地域に住んでいる人が詳しい、それは大きな新聞とかテレビ放送でも出さない、出せない
福島県にしても福島県は大きい、でも市町村単位でもいろいろ違っていてそこに住んでいる人が一番知っている
でもそういうものはと全国版とか福島県全体にしても見ないのである
でも別にプログなど一人でも見ていてもいい、金にらなくてもいい、視聴率も関係ないからである
それは金がかからないからできることである
人間に起きることは場所と深く関係している、だからそれぞれの場所を知っている人が伝えるのがいいのである
take placeであり場所が起ることに関係しているからである

posted by 天華 at 11:04| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか


南相馬市鹿島区海老村に乳の木を発見ー乳神信仰はなぜ起きたのか

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乳の木があった場所

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「乳神神社とは? 乳神様とは?」
浦幌神社の境内には、「乳神神社」(ちちがみじんじゃ)、
通称「おっぱい神社」と呼ばれている神社があります。
そこには、乳神様(ちちがみさま)と呼ばれている神様がおります。
正式な御神名は、乳授媛大神(ちちさずけひめのおおかみ)といいます。

なぜ、おっぱいの神様が浦幌神社に?
と不思議に思われる方も多いと思います。
この乳神様の正体とは、女性の乳房に似たコブをもつナラの大木のご神木で、
乳神様と呼ばれるようになりました。

岡山県総社市の軽部神社で崇拝されている「乳神様」もそのお一人。その名のとおり、お乳に関する神さまであり、拝殿にはオッパイをかたどった絵馬がたくさん奉納されています。

「垂乳根の桜」(たらちねのさくら)と呼ばれる枝垂桜にあります。「垂乳根の」は古代より「母」「親」にかかる枕詞。毎年、春になると美しい花を咲かせた垂乳根の桜はそれ自体が崇拝の対象となるとともに、枕詞としての「母」「親」という意味が加わり、いつしか当社全体が乳神様として崇敬されることとなったのでしょう

オッパイいっぱい!乳神様として崇拝される岡山県の軽部神社
https://www.travel.co.jp/guide/article/8165/

『大正年間に建立、県道角田線字羽抜の八雲社内にある。
明治大正年間のころ、子供を産んでも乳が不足だったり、出なかったり、
又乳房の病気にもなり困っているお母さんたちがいたので、
同の一條利吉という人が、妻の胸を見ながら刻み乳神を祀った。

乳の出難い人や、病気の人は、甘酒を入れた2本の竹筒を供えて祈願すれば、
たちどころに効能があったと伝えられている。
大正12年耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、
その子供が小学校に入学したのは57人だけであった。
この碑は宮城県では珍しい

秩父、仙台まほろばの道
https://blog.goo.ne.jp/inehapo/e/1af84c192b6a71792b03778e4abba6d1

ひとつ気がかりなのは…
おっぱいが張りにくくなってきたことだ…
このままおっぱいが出にくくなって
断乳、になるのだろうか。
不本意な断乳、悔しい。
昨晩は一応マグマグに母乳をしぼって置いてきたが
娘は飲んでくれたんだろうか。
よく寝ただろうか。

飯館村佐須の乳神の碑から現代を考える (牛乳がない時代は乳が頼り)
http://musubu.sblo.jp/article/79186515.html

乳神の木が海老村にあった、それが本当に乳房とそっくりなのである
乳神の木である、なぜそうしたことが語られるようになったのか?
それは子供を育てるのに乳が出ないと困るからである
乳が授かるように出るように祈ったとなる、それが乳神の木となったのである


飯館村の佐須にも乳神の碑があった、畑の中にあった、相当不便な所だから乳が出ないと困る、牛乳とかも余りない時代だと江戸時代とかなると乳がでるかでないかは切実な問題になっていた

大正12年丸森耕野村で生まれた子供は、244世帯中、121人であったのが最高で、その子供が小学校に入学したのは57人だけであった

私の母は大正4年生まれである、尋常小学校卒であった、小学校には行っていたのである丸森では耕野村でその時半分も小学校に行っていない
ということは読み書きをどこで習ったのかとなる、聞いた話では子守りとかで学校に行けなくて小説読んで字を覚えたという大正生れの女性がいた、つまりその時代必ずしも学校に行っていなかった、私の母は原町に住んでいたから小学校に入り字は覚えたとなる
大正でもその後でもまともに学校に行っていない人がいたとなる
その頃は本当に読み書きソロバンができれば良かったのである、それすらできない時代だったのである、ネパールとかになるとまた遅れた国だと学校に行けるだけでいいとなる
鉛筆とかすらない、書くものがない、それでボールペンをくれとなっていたのである

切実に乳をでるのを祈りけり乳神の木や年は明けにき

乳出ぬと女の悩み乳の木にさわり祈るも切実なりし

木は意外と男性的なものではなく女性的なものとしてもある、植物は女性的である
動物は男性的だとなる、女性は大地を根を張り定着して大きくなる
そして定着しないとなかなか子供を育てにくい、確かに遊牧民でも子供を育てたとしても本来は一か所に安定して子育てするのが向いている
世界を男性と女性に分けて言葉も作られた、男性名詞と女性名詞である、でもそれがどうしてそうなったのかわからないという、木にしても男性的に見る人もいるし女性的に見る人もいる、ただ植物はどうしても女性的なのかとなる



インタ−ネットの情報は地域の詳しい情報を出すのに向いている
おおきなニュースは全国版であり世界版になるからである
地域の情報はそれぞれの地域に住んでいる人が詳しい、それは大きな新聞とかテレビ放送でも出さない、出せない
福島県にしても福島県は大きい、でも市町村単位でもいろいろ違っていてそこに住んでいる人が一番知っている
でもそういうものはと全国版とか福島県全体にしても見ないのである
でも別にプログなど一人でも見ていてもいい、金にらなくてもいい、視聴率も関係ないからである
それは金がかからないからできることである
人間に起きることは場所と深く関係している、だからそれぞれの場所を知っている人が伝えるのがいいのである
take placeであり場所が起ることに関係しているからである

posted by 天華 at 16:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)