(自然災害から逃れられない日本)
トイレが故障したのは配管が割れていたという、これは去年の地震のためでありまた家自体が古くなったためである、築50年とかなるとやはり痛んでくる
そのために大工さんにも壊れた部分を直してもらった、トイレを直すのは配管が関係しているからめんどうでる
TOTOの販売店でも配管までの工事はしない、トイレの製品売るだけである
それで床をはがして配管を見たりトイレ自体を新しいものにするのに10万かかり床をはがして工事するにのに十万とかかかり消費税で22万もかかる
大工さんには3月頃にキッチンを直す、これも地元だとかえって高くなる
でも地元の大工さんとかだと細かいところまでしてくれる、注文もできる
アフターサービスもいいとかなる、だから地元できいなものがある
なんでも大手だけではたりないのである、クラシアンとか郡山の会社は一日で来た
トイレは早く直さないと困るのである,トイレが使えないことは困るからである
とにかく去年の地震の被害は大きかった、まだ瓦とか直している、この修理代でも相当金がかかったろう、そもそも家を持つと修理代とかが大きいので金がかかる
私の家は築50年で古くなって傷んでいたから配管でも壊れたのである
去年の地震では古い家は相当に破壊された、だから全体を修理する家がまだある
家一軒持つことは金がかかる、私の家は1960年代の後半に建てた、その時は400万で二階建ての家が建てられた、大工の賃金が安かったからできた、その後大工の賃金は急に高くなったのである、あの頃は依然として高度成長時代であり今とは違っている
そもそも全国相手にするハウス会社はなく地元の大工さんが全部作った
その材料も橲原の同級生がキコリだったとか太い柱を地元の木を買い作ったのである
だからいつも姉は自慢していたのである
いづれにしろこの家そのものもが歴史であり郷土史になっている
それぞれの家を見ればそうなる、私の家はなぜ大きな二階建てにしたのか?
それはその前の家が粗末なものであり真野川が氾濫して水害で天井に水がつくくらいの被害だった、その原因は私の家の土地が街で一番低い土地にあったからである
そのために今でも雨がふると水がたまり三回くらい水があふれて道に流れ私の家に入ってきたのである、だから土地は良くない、でも私の家は乳が酒屋の丁稚してここに移り苦労して手に入れたものなのである
ただここの土地は低くて良くない土地だったのである
家というのはどういう場所にあるか問題なのである、だからテレビで常に放送されるように土砂崩れがあり家が埋まって死んだとか常にある、そういう場所は危険な場所である
でもなぜそういう場所に家を建てたのかそれも事情がある
それは外から見てわかりにくいのである、危険な場所でもそこに建てざるをえない事情があったともなる、また山の方だと家を建てるのにも平な場所がなく危険な所に家を建てたのかとなる
この家では水害を二回経験している、それも床上であったから被害が大きかった
それは真野川が二回氾濫したからである、それは40年前頃だったかもしれない
でも川幅を広げて堤防を頑丈にしてから氾濫しなくなった、水害はなくなったのである
日本は自然災害が本当に多いことを実感した、津波から去年の大地震からとつくづく何でこんなに災難がつづくのかと思った、他では津波では家族でも死んでいるからもっと過酷だった、しかしそうは言っても水害の被害がない場所も多い、高台にある家がある
そういう家は被害がないのである、だから日本だと本当にどこに住むかが大事になる
常に危険な場所がある、まず海岸地帯が港ととかがぎれだけ危険な場所だったか津波で
痛感した、とてもあんな所は住め場所でなかった、でも利便性があり三陸でも死者が多くてもやはり海の近くが便利なのでもどり住んだのである
なんか今年は幸先が悪い、トイレとか使えないと困る、電気水道ガスでもそうである
だから金がなくてもなんとか払うほかないとなる,ライフラインだからそうなっている
とにかく家というのは金がかかる、それが借りている市営住宅でもそうである
それを市の方で出してくれるとしても全部がそうはいかない、それよりか電気水道ガスが高くなると貧困者はその取り立てで苦しむ、そしてなぜ金がかかるのか、それは一人一人別々に部屋を借りて住んでいるからである
そこで一緒に住めといっても住まない、息子がいたとしても喧嘩になるからと住まない
また福祉関係だと一緒に住めないとかある、でも現代ではここが贅沢なのである
昔は大家族で住んでいたし江戸時代なら長屋であり狭い部屋で何人も一緒に住んでいたからである、いくら貧困化してもここは贅沢だとみる、でもそういうことが続けられるのか誰がその金を負担するのか、そこまで負担させられるとなると負担しきれないとなる
一軒一軒の家は郷土史である、でも近く家が何軒か壊されて空地になった、家がまるで歯がぬけたようになくなるのも現代である、空家が膨大に増えてゆくのである
駅前の活性化を語っても一見の歯医者がいななり空地になったままでありすぐ近くの自転車屋も去年で死んでしまった、その人はいつも駅を見ていて街の活性化を語っていたのである、その本人が死んでしまったのである
畑でも前の人は病気になり死に隣の畑は車で老人が来て這って作業していたがやめた
知っている人も体がつづかなくてやめた、そして最近脳梗塞になって入院した
軽かったがこうしてその後継ぎになる人もいないのである、耕作放棄地も膨大なのである少子高齢化であり日本が衰退してゆく、縮小してゆくのである
その衝撃は大きなものとなる、どこでも後継者がいないということも大問題なのである
一軒でも自転車屋があったときは貴重だった、でもその一軒の自転車屋も消えた
無医村のようにもなったのである
新年早々暗い話になるがこれが現実なのである、ともかく郷土史というとき一軒一軒の家が郷土史なのである、ただ家がない人もいる、市営住宅を借りて家がない人もいる
そうなると家の歴史はないとなる、ただ借りる家だとなるからである
でも家は本当に金がかかる、建て増ししたりもしたから家は新しく建ててからより建て増しとか修理とかで金がかかっている、これも問題である
でも家族全部死んでも不思議なのは家には依然として家族がいる感覚にもなる
家というのはこうして単なる人を入れる箱ではない、ごから家族が死んでも依然としているように思えるのである
まず狭い家では何か知的作業をするのは向いていない、また余りに家族が多いと煩いので知的作業には向いていない、気が散るからである、それで個室がない時代は勉強する環境としてはいいものではなかった、でも子供の時個室を持っているのは相当な金持ちだったろう、みんな小さな飯台一つを囲んで食事して個室というのはなかったのである
個室を持つことは贅沢だったのである、それで貧乏人でも別々の部屋を借りて住んでいることは金がかかる、それをしているのは贅沢だとみる
でも人間は個室があればそこで思索したり知的作業するのにはいいのである
私の家は部屋が七つもあり一人で使っているから贅沢だとなる、でも部屋を変えると気分転換になるのである
家でいいのは部屋によって見える景色が違うと相当に気分転換になりいいものになる
そこで違った景色を見るからである、だから今は知的環境としては最高の環境に自分は住んでいる
ただ家事に追われる、掃除するだけで家が広いとめんどうになる、だから家一軒を維持することが結構な労働になっている、それで暇なく家事やら掃除やらなにやらと家で働いているともなる
クラシアンでは正月でも電話一本で即座に来るのには驚いた
トイレの修理は早くないと困るからそういうサービスになった、そのついでにトイレを売ることもできる、こうしてこの会社は全国でしている、地元は意外とこうしたサービスをしない、屋根を直したのはいわきの会社でありユニットバスは仙台市の会社であり
安くていいものだった、百万は安い、工事が結構大変だったからである
地元だと二百万から三百万になると言っていた
でも今度は春にキッチンを直す、これでまた金がかかる、地元の大工さんであり細かいことまでしてくれるが金は高くなるのである
こうして去年の地震の被害は今年もつづいていたのである、まだ瓦でも直していない家がある、
今年はどういう年になるのか、去年は寅年であり本当に大きな災難の年だった
今年は兎年であり跳ねる年になるのか、家族が認知症とかなり地震津波がありここ十数年はもう災難つづきだった、日本とは本当に自然災害が多いのである
でも災害は忘れる頃にやってくるというように警戒が十分でなかった
災難というとき病気も大きな災難である、知っている人は脳梗塞になったが普通にしゃべれる、軽くてすんだのが幸いだった、でも病気も大きな災難である
結局人間はどんなことしても災難から逃れられない、それは必ず来るということである