2022年12月08日

人生には確実に運が作用している (運も不運もカルマもめぐってゆく・・・)


人生には確実に運が作用している

(運も不運もカルマもめぐってゆく・・・)

人生は運だ ということは古今東西て言われてきた、それはなぜなのか、やはり人生を生きてみてそう感じたからだろう、それで財産でも運が作用してるとなった
fortuneは運の意味もあるからである、つまり人間は何でも努力だと思ってる、でも実際は 運の作用が大きい
私の家は小さな店を始めた、それで繁盛したのは別に商才とかあるわけでなかった
ただ場所が角にありその時戦後間もなくであり物が無くただ物が置けば売れたのであるその時車などない、だからみんな近くで買い物してたのである
だからその時代は何かを始めるには良い時代だったのある、簡単なことで店を始めることができたからである、本当に立派な店から始める必要もなかった、間に合わせもので始まったのである、それはどこでも同じだった、小さな工場でも大した機械も備えなくても注文があり人手が足りないから中卒の人たちを地方から呼んで雇ったのである
その時代はそうして 大した技術がなくても成功したとなる
それは時代の影響だったのである、今になればそういうことはもう簡単にはできない、大規模になり町の小さな商店消失したからである 
こうして時代時代によって運が作用しているのである

必ずしもその人は優れているとか優秀だとかで成功するわけでもないのである
いくら優秀でもその人が時代によって活かされるとは限らないのである
例えば江戸時代なら力があるものが優れた人となる、それで村では一人前に認められるのはくらべ石がありその石を持ち上げることができると一人前にされたのである
その時は機械もないのだから人間の力に頼っていたからである
今になれば力仕事は必要でもむしろ知能の方が大事になっている、建築でも設計する人が上になるのである
それで人間社会では必ずしも有能であっても有能にされない、そこに運の作用がある
いくら優秀であっても活かされず埋もれる人が多いのである

運と言う時私自身の家族でもそうだった、なぜかわからないがある人が死ぬと何か返って別な人が運が良くなるということもある、私の母は前の夫は事故で死んだ、それは不運だったのである、でも母は後妻に来て私を産んだのである
そして前の夫の子供 連れてきたが私の父親はよくしなかったのである
そのことで私は悪いなと思っていたのである、その兄も40歳で交通事故で死んだのであるだからこの不運は何なのだろうと思う、その理由がわからないのである
たしかなことは誰かが死ぬと誰かが良くなることがある

その女性は苦労した人である、貧乏が続いたのである、でも親しい人の妻が死んで今度はそこに言って話し相手とかになった、妻が死んだ結果そういうことができたのである
その女性は2回離婚してるのである
またその女性が私の家に来たのは私の家族がみんな死んだからである
それで私はその人に良くしているのである
別にその人が特別自分に必要だからというものでもない、たまたま家族が死んだのでそうなったのである

そのことで猫を一匹飼っていた、その時もう一匹の黒い猫が餌をやるとき 餌を奪いに来たのである、私はその猫を追い出していたのである
でも飼っていた猫は死んだ、結果的にその黒い猫 に餌をやっている
その猫はなれない、だから可愛くもないのである
それでも餌をやっている、それは一つの運命であり運だとなってしまう
つまり何らかの運が作用してそうなっている、その猫は不運だったが私が飼っていた猫が死んでいい運が回ってきたのである 
だから何か人間でも不可抗力な力が働いていてそうなるのかとなる
それが運なのである、それで金運もあり財産運もあり必ずしもその人の才能や努力だけで全てが決まらないのである、そこには運の作用があ、ただ運も不運もめぐってくるしいつまでも不運にはらない、またいつまでも運がいいともならない、それは巡って行くのである

その運は個々に時間をかけて巡って行くのであり一挙に全体に巡ることはない
一地域でもある人が金持ちになるとやはりその周りに金が巡って行く、だから その金持ちを悪いものとして拒否するとかえって金が巡ってこないということはある
金は天下の回りものなのである、金も運も一箇所にとどまらない、めぐみは巡りであり巡って行くのである、でも一挙に全体に巡っては行かない、ここに徐々に巡って行くのである
ただ逆に悪いことも巡って行く、それがカルマである、悪いこともだいだいに受け継がれることがある、親の因果が子に報いということである
ともかく優秀であっても努力しても必要でもそれで全てが人間の場合決まることはないのである、そこに運の作業があるからそうなるのである 

カルト宗教だと福運とかしきりに言うが返って実際は運が悪くなっている人達が多いのである、そういう事例を集めているのは創価に会員をとられた本山とか同じ日蓮宗でも対立している寺とか団体である、数が多ければどうしても不幸な人も多いのである
そういう団体に入るとかえって運がなくなることは確かである
人の不幸につけこんで会員を増やして団体の勢力を増大させる目的でそうしているからである、つまり人の不幸を種にして幹部達が福運を奪うことにもなるからである
なぜあれほど会員を増やすことに熱中しているかとなればそこから収入も得られからそうなる、でもそういう団体に入ると実際は不幸になる人が多いのである
ただ利権を得る、それで福運を得るのは幹部だけだともなる
寺でも宗教となるとお布施がもらえるのは福運がありますよ御利益がありますよ祈りなさい、そして献金しないさい、その福運はお金はもらいすまとなっているのである
かえって福運が御利益が奪われているのであ

それは共産主義でも同じなのである、権力を得て莫大な金を得ることになったからである運はあってもその運は作為的に人工的に作りだした運であり不公平になるのである
何か運には神の采配があるかもしれない、ただ不可解なのである
確かなことは運も不運もカルマもめぐってゆくのである、これだけは確かである
世界史で見てもある国が栄いても別な国が栄える、日本が栄えて今度は中国が栄えたとなるからである、富は金は一か所にとどまらないのである
だからどんな人でも一生のうちに運不運がありカルマでもめぐってゆく、そういうことがあるから今不運でもやがて運がめぐってくるということがある
するとそういう運がめぐってくるのを待つことが必要だとなる、ただなかなかなか待ちにくいとなる、でも何か富でも一代たげでは築けないし何事即製するものがない
一代では成果ができないが何代かで成果が出るということはある
そこで本当の成功は長い時間をかけないとありえないともなる、棚からぼた餅のようにはならないともなる

私の場合でも何か今になると自分のために家族があったともなる、父親は酒屋の丁稚であり苦労したし兄は不慮の事故で死んだとか不幸があった、また母の実家でも不幸に死んだ人がいる、母自体が不幸だった、でも私のためにそういう不幸があり私が活かされたともなる
それで私は家族に感謝しいいるのである

時代の運
家族の運
地域の運
・・・・

などがあり逆に時代の不運、家族の不運(親ガチャ)、地域の不運(原発事故)・・・
とかにもなる、人間を決めるのはいくら努力してもどうにもならないことがある
運の作用が大きいからそうなる、だから努力しても無駄だということではない
努力の上に運が加わらないとうまくいかないということである
女運が悪いとか男運が悪いとかもある、人間には様々な運が作用しているのである