2022年12月17日

意外と元気で退院した脳卒中の女性 (人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?-余裕がないと援助もできない)


意外と元気で退院した脳卒中の女性

(人間を左右するのは運、めぐり合わせも運?余裕がないと援助もできない)


昨日退院して今日自分の家に息子の車に乗って来た
あれ意外と元気だと見た、普通にしゃべれる、今日の朝住宅の前で洗濯物を干していた
立ってあんなことできるのかと見た
というのはもう一人の障害者の息子がひどい顔しているから逢わない方がいいと言っていたからである、でも今日見た限りそう見えなかった
ともかく発達障害者の言うことは何かわかりにくいから困る、そのまま信用できないのである
別にひどい顔もしていない、マスクしているにしてもそう見えなかった
それで結構回復すると見た
かなり軽くてすんだのかもしれない、脳卒中というのは人によってかなり違っている
なぜなら脳のどの部分が損傷したかで不具合が生まれるからである
だから人によって違うのである
ある人は脚がだめになったとかある人はしゃべれなくなったとかある人は・・になったとか違っている
その女性は手がきかなくなった、でも今日の朝みたとき立って洗濯物を干していた
あんなことができるのかと見たのである、退院したばかりでそんなことができるのかと見た

でも二カ月入院していた、それは脳卒中では短い方だったのかもしれない
何か軽いとみたのである、しゃべることは普通である、その人はとにかくしゃべる人であり話がうまい人だったからである、そうなるとしゃべることが普通にできることは自分なり生活ができるかもしれないとなる
ただ親しく毎日通っていたやはり病気の老人の所には行かなくなる
何かやはりうまくいかないことがあった、病気になって入院しても連絡もなかったとかなる
その女性は毎日苦しくても行っていたのである、でも何かその娘でも気遣いがなかった
一週間に一回隣の市から来るだけだった
そして他人が入るのを嫌がっていたのである、でも最近は話もして納得していたのであるでもこれからは行かなくなるのかもしれない、すぐ近くなのだけどあの調子では行けるようになるにしても行かなくなるのかもしれない、ちょっと対応がまずかったともなる
いつも娘のことを悪く言っていたからである、こうして介護とかなる人間関係でもめるのである
自分自身でも前の親戚とはいろいろあって切れた、自分が病気であり介護しているのに
事業で失敗したから借金しているから余裕がないからそうなったのである

つくづく余裕がないということは他人のめんどうなとそもそも見れないのである
何か自分自身がその女性のこと特別に親切にしているとかではない
たまたまそうなったのでありもし自分に余裕がなかったそんなことしていないのである
それはたまたま前の猫が死んで餌をやる時、餌を奪いにきていた黒い猫がいた
それを追い出していたが飼っていた猫が死んだのでその黒い猫に餌をやるようになった
でもこの猫は慣れないしかわいいともならないのである
でもなぜか餌をやっているのである
それとにていて人間の運命とは何かこうして出合いでもたまたま事情が生まれてその時々の状態の変化とかでそうなる
知っている女性が結婚したのはその家の両親が死んだためらしい、そして残された息子がいてその人と結婚したからである
好き嫌いはあるにしても何か人間には事情があって親しくなることがある

このめぐり合わせも縁も不思議なのである、もしかしたら神が出合わせているのかともなる、でも婚活とか演出しても意外とうまくいかないこともある
それはめぐりあわせが人工的に演出しているからかもしれない、そもそも人のめぐり合わせも不可解であり不思議なのである
そういうことはみんな身近に見ているだろう、なぜそういう関係になったのかとんうのも不思議だからである、だから人工的に作為的に人を出合わせようとしてもかえってうまくいかないことがある

ただ確かなことは別に自分はその女性に援助したいからしているのでばない
たまたまめぐりわあせでそうなったのと自分に金の余裕が今はあるからだとなる
こういうことで人間は意外と余裕がないと人を助けることなどできないのである
それでけ経済的に余裕がなくなる社会は危険なのである
みんな食べるものがないとか餓えていればもしそこに食べ物があるとき襲うようになる
米騒動などがそうだった、他にも中国では必ず食料不足になり暴動が起きて政権が倒れたからである、つまり人間が余裕がなくなることは内外でも危険なのである
中国でも食料不足になったら他国に侵入して奪いとなるからである

いづれにしろ意外と軽かったのか、脳卒中になった人は多い、それで夫を十年妻が介護していたという人を何人か知っている、それも長いのである、十年とか普通なのである
そのために脳卒中では簡単には死なないことは知っていたのである
そのためにかえって介護が長くなるから参ってしまうのである
その人を今日見た限り軽かったのかとみる、まずしゃべることは正常だということは脳損傷が軽かったのかとなる
ともかく脳卒中ではすぐには死なない、ただ私の姉は認知症になりすぐに脳卒中になり二年くらいで死んだのである、これは認知症があって脳卒中があったからそうなったのか?その辺が理解しにくい、認知症⇒脳卒中 脳卒中⇒認知症とかにもなる
これがどう関係あるのかわかりにくいのである

とにかくあの調子だとかなり回復する、だから意外だった、もっと悪いと見ていたからである、なぜそうなったのかというと発達障害者が仲介者となって伝えたからである
それで誤解したのかとなる、これも問題だった、やはりちょんとした人がいて伝えないと誤解するようになる、発達障碍者であり障害者と付き合うのはめんどうになる
何を言っているのか理解しにくいことがある、でもその障害者も軽いから普通の人と同じように見てしまうのである、でもその人を信用はできないともなる

いづれにしろ介護はこれから8050 問題で深刻になる、その息子もやはり50代だからである
そして氷河期世代とかなり金銭的余裕もないからである、この問題はこれから数が増えるから深刻である
近くで認知症の母親を介護しておむつとりかえるとき騒いで困り殺したという事件があった
これも悲惨だった、認知症は一番介護しにくい、またオムツをとりかえるとなると男性は苦しくなる
男性はもともと介護はしにくいから殺人になっているのは男性なのである
こういう事件はこれから頻繁に起きるかもしれないねなにしろ団塊の世代が数が多いからそうなる
その中には悲惨な状態になる人が多いとなる
私自身書いてきたようにもう死ぬ思いであり地獄だったからである
その時ただ責められるだけだったのである、多少は援助があっても周りにそうした余裕がある人がいなかったとなる
こういうとき相談できる人がいると助かる、でも金銭的なこととか簡単にはできないし相談にのるとして
負担が大きいから関係したくないとなる
そこで重要なのは援助するにしても余裕がないとできないのである

無人駅で事故で死んだ盲人 (只見線開通ーその思い出など)


無人駅で事故で死んだ盲人

(只見線開通ーその思い出など)



大分県津久見市のJR津久見駅構内の線路上で15日、高齢女性が特急列車にはねられ、死亡する事故があり、女性は片方の目が不自由な視覚障害者だったことが17日、捜査関係者への取材で分かった。当時は駅員不在の時間帯で、県警は状況を調べている。

 県警によると、亡くなったのは市内に住む無職小島得江さん(82)。15日午後5時50分ごろ、線路上で大分発宮崎空港行き特急にちりん13号にはねられた。運転士は「線路からホームにはい上がろうとしていた」と話しており、県警は誤ってホームから転落した可能性もあるとみている。
 
  津久見駅では午後3時以降、駅員を置いていなかった。

続きは↓
https://news.yahoo.co.jp/articles/04be5c1d6166d3e56e94ffd29944ac42b988857a



市となっているけど人口17000くらいみたいだよ
夜の田舎駅のホームは薄暗いんだよ

めくらで田舎に住んだらアカン
都会に住んで助けてもらわな
田舎じゃ人がおらんからサポートしたくてもできん

親族が付き添えよ
駅員のせいにすんな

原発より危険なのにまったく安全性を考慮されない
電車は人殺しし放題なのにおとがめも裁判もなし
駅に入る前、踏切手前で徐行すれば全て解決するのに

健常者以外は付き添い必須でいいよ
全責任は本人と付添が負うべき
駅員さんに余計な手間を掛けさせるな


駅員がいれば助かった、でも夜になるとここでは高校生の見守り役もいない
誰もいないとなると危険である、そもそも夜に盲人が出歩くのは危険である
それは自己責任になるかもしれない、82歳で片目が見えないとかで夜に出かけると自己責任になる、でも確かなことは駅員がいればこうはならなかったのである
でもコストがかかるから無人駅になったのである
どうしても安全はなくなる、駅員が人間が見守らないと安全は確保しにくい
監視カメラがあってもそれで安全をすべては計れないのである





私は無人駅で案内していた時、盲人の人が必ず通っていた、そこで案内した
でもその人は慣れている、だからかえって干渉されるのを嫌がったいた
ただ無人駅では盲人とかは危険である、だからこうした事故が起きた
年も年だったということもある、私が案内した人は中年だったからである
老人が無人駅に乗ることは危険になるかもしれない、片目が見えないというがやはり
敏感に反応できないことはある

でも無人駅はいろいろ問題がある、そのことを書いてきた、駅というのでもこれも自ら
駅員とかなり体験しないとわからないものだと思った
なぜならいつでもただ乗る方からしか見ないからである
それはなんでもそうである、客となるのと接待する方とか物を売る方とかなるのは全然違ったものとなる、だから客にばかりなっていたら社会のことはわからないとなる
客になることは経験できてもサービスする方とか何か提供する方になることはできない
だから無数の職業があっても理解できないのである

私の無人駅の案内の経験でもこんなに駅には仕事がありまた駅にはいろんな人が来る場所だと思わなかった、結局それはそこは少数しかこないのと待っているから声をかけて話を聞くことができたのである
そこでいつも聞かれたのは上りと下りの行き先だったのである、これが意外とわからないものだったのである、それは他の無人駅で同じ経験をしたからである
都会だと行き先案内とかあったが田舎だとない場合がある
それで駅長にそのことを言ったら跨線橋の階段の前に行き先を提示するようになったのである

とにかく別に今の駅は鹿島駅は無人駅ではない、高校生の見守り役として常時市から派遣された人がいる、だから無人駅ではないが昼間はいない、何か昼間でも駅に一人二人としか見えないのである
にぎわうのは高校生の通学する人である、あとは閑散としているだけである
将来的には駅は駅でくなる、別な用途として活用されるとか言う人もいる
つまり駅だけの機能としてだけではない、何か別な物としても活用される
確かに今の状態ではもう鉄道自体が一部をのぞいて活用されなくなるからそういうのもわかる
観光列車になっている所もある、水害の被害から回復して10年ぶりとか開通した只見線がそうである、そこは観光路線にはいいが日常的にはあまり活用されない
第一日三回くらいしか時刻表で見て乗れないとなると不便すぎるのである
本当に観光路線として残すほかないともなる
それにしても百億以上もの金が復興にはかかったのである、その後の経営もむずかしいのである、福島県で金を出すということで再開したのである

結局只見線は鉄道マニアが写真をとるためにあるのかとまでなる
鉄道マニアにとってのみ必要なのかとまでなる、

雪深く只見の駅や我が泊まる一夜の宿や思い出すかな

一回雪まつりがあったとき泊まったことがある、また只見線は新潟県の小出が終点であるそこに魚野川がありその岸の食堂で鮎の塩焼きを食べたことを覚えている
魚野川というごとくいい川であり鮎がとれていたのである

魚野川流れの早く鮎を釣る一両の電車橋わたり来ぬ

小出とかは大きな川がありいい場所である、でも一日三回しかの便がないことは淋しいとなる



2022年12月18日

発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない (でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)


発達障害者の謎ー読み書きソロバンができない

(でも他は普通に話せるしわかっている―学習障害者ともなる)

●読み書きソロバンができない発達障害

その人は明らかに発達障害者だとわかった、その原因が何かあって父親から殴られたりしてそうなったと本人は言っている
適切な指導がなくてそうなった、確かなことは読み書きソロバンができないことである
漢字が読めない、書けない、文章が読めない、あと計算ができない、だから金の管理ができないから役所の人に管理してもらっているのである
このことで気づいたのが認知症と似ていると思った
認知症になると漢字が書けない、読めない、計算ができなくなるからである
それで銀行から金を下ろすことができなくなる、これせ驚きだった
でもその発達障害者は銀行から金を下ろすことわかっているのである
まずしゃべることは普通にできる、結構むずかしいことでもしゃべるしわかっているとなる、これも不思議なのである

ここでわかることは漢字とか数字とかは抽象的なものであり抽象的思考ができないということである、その原因がどこにあるのか?それは認知症でも起きてくるからである
人間の特徴は漢字でも文字でも数字でも抽象化する能力がある、それが動物とかとの大きな相違なのである、まず単純なことでも数を数えること自体相当な高度な知的な作用なのである、動物はそれができないからである
また漢字でも文字でも抽象化したものでありこれも相当に高度なものである
だから文明というとき文字があるかないかで見分ける、エジプト文明でも神聖文字がありあとは最古のオリエント地域の文明でも楔型文字があり文字があったことである
ただマヤ文明とかには文字のようなものがあったにしろ数を現していたにしろそれがなかったみたいだ
でもその文明も高度なものでもあったのだ

人間の能力というとき江戸時代までは基本的には読み書きソロバンができれば良かったのである、それができれば別に社会で生活できた、だから戦後に生まれた自分は親からソロバンを習いと言われ習った、その時ソロバンが得意で自慢していた
でもそれは何の役にたたなかったのである、でも明らか地に読み書きソロバンができないことはもう社会でまともに生活できない、障害者として生きるほかなくなる
江戸時代までは寺子屋で読み書きソソロバンを習えば良かったのである
でも現代ではそれだけでは役にたたない、高度な知的社会になったからである
それでも基本的に読み書きソロバンができれば一応社会で生活はできるのである

●話すことでぱ言語能力は普通であるが漢字が読めない書けない

ではその発達障害者の人が能力がないかとなるとそうでもない、しゃべることでは普通なのである、高度なことも理解している話すことができるし通じるのである
だから言語能力とは話すことが基本にある、文字がなくても漢字がなくても縄文時代でも人は話ししていたのである、文字の前に話すことがあり人は話すことで伝達していた
漢字とか文字の前に音で理解していたのである、だから地名は古い原住民の言葉の音が基となっている、ヨ−ロッパではケルト民族が原住民でありその発音した音が地名ともなっている、アメリカの地名もインディアンが発音していた音が基になっている
インディアンでも文字がなかったが話ししていたのである
また日本だったらアイヌがいて文字がなかった、でも北海道はアイヌの人が発音していた言葉が基となりそこに漢字をあてたのである、だから何かわかりにくいものとなっているつまり人間でも音を通して会話していたのである、動物でもそうなのである
鳥でも動物でもなんらか音を発して鳥なら鳴くことによって仲間に伝えるものがある
でも文字はないから文字こそが人間が高度な知的文明を作ったものだとなる
文明とは文で明らかにするということでもあるからだ

youtubeで発達障害者が自分のことを語っているのも不思議である、もう普通の人と変わりないのである、どこが障害なのかもわからないのである
話すことだってスムーズに話してうまいからである、一体どこに障害があるとなるのかわからない、ただ直接接してわかったのは読み書きソロバンができないことである
でも他に発達障害がありみんなそうではないだろう
発達障害とは学習障害なのかもしれない、学習障害というときそれは普通の人でも相当数いる、学校で学習できない、理解できないのである
それは自分自身にもあった、私が学習障害になったのは数字が苦手なのである
理系的なものが苦手なのである、でもソロバンができたのはただ暗記することであり
それは数字が何か理解しているわけではなかった
数字とは意外と抽象的なものであり数字を知ることは人間が文明化したことなのである

数字は漢字とか文字より抽象化する能力である、例えばイチニイサンと数えることは高度なことである、なぜなら動物にはできないからである
第一イチとは何なのか、1個と数えることは何なのか意外と理解できないものである
それで1+1=2とはならない、1個にして円いとか四角と長いとか短いとか赤いと黒いとか重いとかいろいろな属性がある、石でもなんでもそうである
ではなぜそれを1個と数えることができるのか?その属性が違ったものを1個と数えるのかまたプラスして2となるのかとなると明確にできないのである

●学習とは抽象化能力である

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1とは何なのか?これも実際はわからないのである

○を1とするでも□でも1でありそれをたすと2になるのか?
奇妙なのは○と四角を合体すれば図のようになり一つになる、1になる
短いのと長いものでもTでありたすと2になる
でもそれが正しいかそれですべて計れるのかとなると計れないのである
だから1個2個と数えること自体が何なのか明確ではない
でも数字化するということはこのように世界を抽象化したものである
だから世界が数であるという学者もいたとなる
こうして何でも考えるということが興味を持つことになる
それを自分自身がしたこともないのである、数とはただ暗記することとして覚えたからである、結局そこで自分自身が数学に関して発達障害者になっていた
ほとんど数というものでも何か理解できなかったのである
だから1とはなになのかoneとは何なのか本当のところを理解していないのである
つまり算数でも数学でも暗記ではなく思考の訓練するものとして教えられれば興味をもったとなる、自分の場合はそれを知るのが遅かったとなる、なぜならあとは死ぬだけだとなったからである

私は数字というときソロバンができたとしてもただ暗記していて数字というのはどういうものか考えたこともないのである、だから何らかで数字がかかわる数学とかに学習障害になったのだと見る、理系的なものが理解できないのである、それが暗記脳になって考えるということをしなかったからである
数学が嫌いというときただ暗記脳ではできない、数字とは何かをまず基本としてしらなければできない、でも読み書きソロバンの時代は暗記脳で良かったしそれで社会生活するには十分だったのである
でも現代はもうそんなレベルではとても上のレベルには行けないしロボットとして働かされるようになる
ただ自分の場合は文章能力はあった、国語力があった、理解していた
ただ数字に関して数学に関しては学習障害者になっていたのである
その他理系的な理解に欠けていたのである、でも数学は思考の訓練として学んでいれば興味をもったともなる
ただ試験のために暗記ばかりしていると興味がなくなる、勉強ふる気もなくなる
何か学校では一様にしか教えないし考えることがさせない、一律でありその人なりペースも無視される、だから学校ではもともとそれなりに能力があっても発達させられない
発達障害になっているのが多いようにみえる
人間の能力開発がうまくなされていないのである

●陰の性格と同じように発達障害者は社会にとけこめない

そして発達障害者とは陰の性格の人が多いのかもしれない、陰の性格の人のことを書いてきた、集団にとけこみにくい、社交的になれないとかいろいろある
それは発達障害者と似ているのである、何かはきはきしない、うじうじしている、シャイであるとかになり好かれないのである
そういう人は内面的なものの追求には向いているのである、芸術家になるのには向いている、また研究者とかも向いている、でも集団で組織的に何かをすることに向いていないのである、人とうまくコミニュケーションもとれないのである
ただ発達障害者は何か一つのことをつづけられないから会社をやめるとかなる
忍耐力をもってつづけられないとしている、でも私の場合は忍耐力があり陰の性格の人は忍耐力がある、目立たないにしろ石のように忍耐力がある
だから物事を持続的に追求してゆく、ただそのために時間がかかるスローにしか理解しえないことがある、でも時間をかけてじっくり探求するからそのうちそれが開花してくる
それで70過ぎてもやって自分なりのものが開花してきたともなる
正直遅すぎたとはなる、なぜなら早い時期かからそうて理解力があれば違ったものになったと思うからである、そこで時間が浪費されたのである

人間とは生まれつきもあるが学習するのが動物との大きな相違である、動物は本能的に生まれた時から備わったものがありそれで生きることができる
トロピズムがある、渡り鳥がどうして方向を知るのか本能的なものでわかる
何か学習するということはあまりないのである、人間は学習しないかぎり身につかないのである、でも学習でも必ず学習障害となる人が多いのである
それは考えるということがないし学校では暗記脳だけになってしまうからである
江戸時代辺りならそれで良かったが高度な文明社会になるともうそんなもので成立たなくなったのである

いづれにしろ現代は発達障害とか学習障害とか精神疾患とかそういうものになりやすいのである、何か一つの具体的なもので村とかで理解するものがない、一挙にグロ−バル化して世界を理解しろとなるとできない、そして世界が無数のパーツとなりどういうふうにつながっているのかもわからない、そのためにアトム化した社会でナチスが生まれたと分析する人もいる、それは今ならカルト教団である、あういう場所は全く思考脳がない人が集まる、体育系が集まる、うじうじ考えているな、すぐ行動に移せとかなる
それはカルト教団で同類なのである、統一教会でもそうだったし創価とか幸福の科学でもオウムでもそうだった、そんなところで考えることは禁止すらされている
同一行動をとることしかない、だから一番上の教祖が殺せとかなれば本当にナチスのように見境いなく大量殺戮になったのである、それは社会主義でも全体主義だから同じだったのである、個々に考えることは禁止される、それは同一行動をとるためにそうなる
つまり教祖がいたとしてもそのロボットとして動くなのである
オウムでは本当にコンピュターに体でもつながれてロボット人間にされていたのである
これが現代文明の怖さである、そうなりやすい社会なのである
江戸時代辺りだったらあんなことになりえないからである

発達障害学習障害とかはうつ病とから現代的社会から起きたのかもしれない、そうなりやすい社会からかもしれない、余りにも過剰な知識を学ばねばならないというときパニックになる人もいる、私は文系だから理系的なものでは学習障害となり発達障害となっていたからである、うつ病もそうだけど社会に適合できないという人は増えるのは当然だと思う引きこもりニートが増えたのもそうである、社会に適合できない、それが極端化するとニーチェのようになるしアウトサイダーになる、その人達は天才でもあり今のパーツ化した部品化した数字化した社会に耐えられないからそうなったのである
人間は数ではないとなるのも当然だとなる
文明の病理的現象としてナチスがあり現代ではカルト宗教団体がある
それは個々人の問題ではなく社会全体が必然的に生みだしたものでありだからこそ扱いにくいのである、文明そのものにあるとしてたら文明を否定する他正常化しないともなるからである、そこに病根の深さがある、批判しても簡単に変えられないものがある
とういうのはやはり文明という母胎からそういう病理的疾患が別なものとして社会に現れる、そしてナチスのように悪夢が再現される恐怖なのである

posted by 天華 at 14:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など

2022年12月19日

南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡 (後継者がいないことが全国でも問題になっている)


南相馬市鹿島区の星自転車の主の星淳氏死亡

(後継者がいないことが全国でも問題になっている)

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これも驚いた、何日か前にタイヤを交換してもらった
ヤマハの直販店なのでヤマハの自転車を特に電動自転車を何回も買っていた
それは十年前より前でもあった
なぜならその前はすぐじき前の自転車屋で買っていたからである
その人も急に死んだのである
今回も急なことなので驚いた、とても死ぬとは見えなかった
でも癌になっていたということはみんな知っていた

でも仕事は普通にしていたから死ぬとは思えなかった
それも十年くらい癌になってからでも仕事していたのである
だから癌でそんなに仕事ができるのかという不思議があった
ただ点滴した痕は首のところありいたいたしく見た
でもその他は普通に仕事していて話ししていて死ぬとはとても見えなかった
「いつまでつづけられるのか」と私に何日か前にタイヤ交換に行った時言っていた
それが私との最後の会話であった

その人は駅前にいて駅前で無人化したことで案内したとき駅前の活性化とかで話し合ったことがあった、それが死ぬとは信じられないともなる
いくら病気でも実際昨日普通に話ししていて死ぬものなのか?
心筋梗塞だとそういうことがある、でも癌だと死ぬまで入院してとか療養して死ぬとかになるだろう、それが普通に仕事のことで話しして死んだとなる
それは前の自転車屋でもそうだった、やはり仕事していたのだが調子が悪いと言って入院したらまもなく死んだのである
その人もあっけなく死んだのである、そこに何か苦しんだようなものが見えないのであるだからそういう死に方はいいのかもしれない、認知症になったり七転八倒して死ぬよりはいいのかもしれない、でも一概には言えない、残された人はそうは思わないだろう

鹿島区で困るのは自転車屋が一軒もなくなることである
自転車は通販で買っても後で修理とかあるので困るのである
現実ヤマハの電動自転車のエンジン部分が故障して全部交換したことが最近あったからである、こういうことがあるので通販ではいいものがあってもなかなか買えないのである
またパンクの修理とかその他故障がありアフターサービスが必要なので困るのである
原町に行ったら一回自転車を買ったことがある所に行ったら自転車のことを相談もできなかった、自転車屋でも商売だから常に買ったり修理したりとお得意さんにならないと断られたりするのである、相手も商売だからそうなる
その星自転車屋でも折り畳みの電動自転車のことでナンバーをつけてくれとか頼んだができないと言っていた、金にならないのだからできないのである
でも死んだということは驚きである

その自転車屋では娘がいる、その娘が父親が死んだので来た、でも東京とかに住んでいてここには戻ってこない、そして跡継ぎがいないのである
ただバンクを修理するくらいの人はいるらしい、自転車は結構乗る人が増えている
なぜなら老人が増えて車に乗らなくなった人は自転車に乗るようになるからである
だから需要がないというのではない、またこの辺で原発事故で避難区域から移住してきた人も多い、それで知らない人が来ると自転車屋の人は言っていた
ということは自転車を経営するのがむずかしいというのでもなっかたろう
問題は病気でありそのことで継続できなくなったのである

そのこは前に書いたけど畑を借りてしていた人がその人も体が弱りできなくなった
その前の畑をしていた人も70前で腎臓が悪く透析になり死んだ、その隣の人は80過ぎて娘に車に乗せられて畑にきて這って働いていたが力尽きて放棄された
そして知っている女性も力尽きて放棄した
今度はその女性が脳梗塞になり病院に二カ月入院して昨日とか退院したのである
見た限りでは思った以上元気に見えた、これならまだまだ生きると見えた

ともかくショックである、人間は死ぬ時はあっけないというか簡単に死ぬものだと思ったそれはこれまでも経験してきた、でもまさか今度は昨日まで普通に仕事していた人が死んだので驚いたのである
そして問題なのは後継者がいないことである、これは農業でもそうである、65才以上が農業をしていていづれは継続できない、また中小企業でも後継者がいなとしている
それも全国的な深刻な問題になる、空家の増加と後継者不足とか社会が衰退してゆく
前は自転車屋など小さな町でも四五軒あった、それが一軒もなくなった
自転車は通販ではだめである、修理とかアフターサービスが必ず必要だからである

とにかく鹿島区だと不便になる、弁当屋もないから一人暮らしには困る
前にしていた人を知っていたがその人もやめたからである
百円ショップなどでもダイユーエイト内にあっても品物の数が少ない、これも今の社会では必要だから困る、私の場合車がないので困るのである
その自転車の死を知らせてくれた人も自転車で配達の仕事とかしているから困るのである私は何か自転車に乗る人とは親しくなるのである、車の人とは親しくなれないのである
自転車仲間になるのである

それにしても駅にクリスマスのイルミネーションが点滅していた、でも前の自転車は閉じてなくなる
いつも駅前で駅を見ていた人がいなくなった、これも淋しいとなる
駅前通りでは一軒の家が壊れて空地にもなった、駅前通りは活気がなくなっていたしこれからもなるのか
鹿島区にとっては大きな死だったともなる

年の暮親しき人のまた死にぬ

その人と自転車につき語りしを今はなしかも年も暮れゆく

葬式の日取りとかは出ていた

心からお悔やみ申しげます、お仕事ご苦労様でした、お世話になりました


死んだ後の処理で困ること

自転車は何かあったとき困る、ナンバーを取得していないと困る、なぜなら警察に職務質問されたりするからである
盗品とか疑われたりする、その時買った自転車屋に連絡することもある
それが死んだできないとなる、これも大きな問題かもしれない、死んだ保証もしてくれないとなる
だから自転車は通販で買いにくいのである

何かいろいろなことで駅でもそうだが無人化すると困ることを書いてきた
自転車でもそうなのである、町で一軒もなくなればみんなが困る
だから商売が成り立つようにしないとみんなが困る、でも商売にならなければ誰もやらない
ボランティアではやれない、何か公共的な役割がある時それがなくなるとみんなが困る
でも市とかで援助したりしないのである、それより自転車屋は技術的な面で簡単にできない
そのことでこれからいろんな場面で困ることが全国で起きて来る
少子高齢化で縮小社会になるときいろいろものが維持すらできなくなるからである
posted by 天華 at 18:18| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2022年12月20日

街一軒の自転車屋の死について (星淳氏に献げる詩)


街一軒の自転車屋の死について

(星淳氏に献げる詩)

その人は癌でありながら懸命に仕事した
死ぬ直前まで仕事していた
苦しくも仕事していた
点滴する所がなく首にしていた
その痕が痛々しかった
でも何か弱音を吐かなかった
ただ死ぬ数日前に
「いつまでつづけられるのかわからな」と言った
それが私と最後に語った言葉だった
その時死ぬということを全く思わなかった
だから突然の死に驚いた
その人は死んでも心残りがあるだろう
駅前が寂れてゆくことや
ここで暮らしたことをあの世で想うだろう
なつかしく回想するだろう
そこで長い町の人とともに長い歳月を過ごしたから
何か悲しい次々に知っている人が死んでゆく
人間の命ははかない
人は短い人生で何を残してゆくのか
つくづくそれを知らねばならない
その人は懸命に働き続けて死んだ
治療代も払わねばならない
自ら生きるためにも働いた
それが貴重だったのは一軒しか自転車屋がなかったから
年の暮にその人は死んだ
その人は死んでもここで暮らした日々をなつかしむだろう
私はここで働いた、懸命に働いた
それが私の人生だったと・・・・
(一人また町に働く人死にぬそを偲びつつ年も暮れなむ)

一隅の死

街の一隅に
名もなく
ひたすらに
そは働けり
あわれかな
駅に咲きにし
冬の薔薇
駅に人はまれなり
その駅を共に見守りぬ
そは死すも
その駅を見て
そこに立っている
いつまでも立っている
何か悲しき街一軒の自転車屋
消えて語りぬこの町の歴史
一人の庶民の人生なれ
歴史はここに刻まれぬ
年の暮雪降り冷えにけるかな
惜しまれて死ぬ人の良しや
人の心に残りけらしも
人は働く者なれ
その果はいつか実らむ
死して後実ることあるべし
仕事なき者こそ虚し
人は天職持ちて勤め死なむ
それが幸いなるべし

なぜ自転車屋に思いがあるのかとなると自転車が自分自身好きであり足が自転車になっていたからである、それで自転車屋とも深くかかわったとはなる
ただ深いといってもその人特別親しいというわけでもない、ただ自転車を通じて親しくなったのである

何か車がないと自転車に乗る人と仲間意識が生まれるのである
車に乗っている人はそうはならないのである、そして車がないとその人は一段劣った人に見なされることもある、なぜなら田舎だとみんな車を持っているから持っていないのは変な眼で見られる、変わり者ともなり警官からは怪しいとも見られるのである
ただ最近は老人が車の免許を返上して自転車に乗っている人をみかける
だから自転車の需要は結構ある、自転車は健康には運動にはいいのである

またなぜここの一軒の自転車屋に思いがあるとなるとやはり一軒しかなくなっていたことである、後は隣の市に行くほかない、それが不便なのである
やはり近くにないと困るものが結構ある
弁当屋もないのも困る、百円ショップもないのも困る、医者でも困る
やはり平均的現代の生活になると一万の町ではそろえしられないのである
原町と比べるとその差が大きいのである

とにかく人間の価値は働くことにある、天職を持ちて働くことにある
だから自転車屋でも働きながら死んだようになったから死に方としては良かったのかもしない、向かいの自転車屋でもそうして死んだのである
仕事して体の調子が悪いと言って病院に行きまもなく死んだのである
だからこの人も仕事しながら死んだとも言える
こういう死に方は長く十年とかでも介護されて死ぬの比べるといい死に方だったなとも見る、ほとんど迷惑かけず死んだからである

ともかく郷土史も探求しているが郷土の歴史を刻んだ人でもあった
それは特別な人でないにしろ郷土史としてはやはり一つの歴史を刻んだのである
その価値はやはり狭い町だからあったとなる
もし仙台市とか東京のような所に住んだらこうはならない、いくらでも自転車屋とかあるからである
ここでは一軒しかないから価値あるものとなっていたのである
だからこれから修理とか何か自転車に関して困ることがでてくる
後継者もいないからである、中小企業でも農業でも後継者がいないことで困る時代になっている、空家をどうするのかもそうである
これは全国的な課題である、それが実際は深刻なのだけど今の社会は別にここになくても車があれば買い物でもなんでもできるということで深刻にならない
でも車がない人は深刻なのである

ともあれご冥福をお祈りします、この町を死んでも見守って下さい・・・

66歳ではまだ今では若いとなる、でも技術的な面で追いつけないハンディはでてくる
そこではロードとかは詳しくないからあまり買う人がいなかったろう
相馬市と原町にはあった、でも必ず自転車屋は必要なのである、そういうものが他にあるので困るのである

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2022年12月21日

冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)


冬紅葉、冬樹、寒椿、寒鳥(冬の日の俳句短歌―桜井古墳から新田川を回る)

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真野川の朝

一羽はノスリでありもう一羽は何なのか、写真に写っていたが肉眼では見えなかった
こういうことがある、肉眼で見えないものがカメラで見えることがある



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新田川

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津波の跡がここには生々しくここには残っている

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石置きて曇り硝子に冬紅葉

山は雪ノスリ止まりて冷える朝

雪の山寒鳥二羽や朝に映ゆ

我が街の仕事場なれや冬の菊


十本ほど根付き変わらじ冬樹立つ

寒椿昨日の雪残り明けりけり

閉ざされぬ十一面観音寒椿

死神に追わるる齢や師走かな


朝の空は白鳥一羽鳴きにつつ仲間を探し翔けりゆくかな

新田川山は雪かな瀬のひびき桜井古墳のここに鎮まる

冬の日に桜井古墳に我が上る土地の歴史のここに始まる

津波に流さる家のその跡に石の離れず冬のくれかな

主なし家の跡かな石のみそ残りてあわれ冬の日暮れぬ


玄関の曇りガラスに冬紅葉が映る、母は12月12日死んだ、今年も死んだ人がいる
12月に死んだ人がこの町で二人くらいいる、自転車屋の死はショックだった
師走とは師のために走るとなるが死神に追われるという感じにもなる
どうしてもこの年になると近くでも知人でも死ぬ人が増えてくるからである
母は目だたない陰の人だった、性格的にそうだった、それで私も性格が似てそうなのである、それで冬紅葉忌としたのである
一昨日は雪が残っていた、この紅葉の木はいつも12月頃に紅葉になる
なんか母にふさわしいともなる

原町の新田川の岸辺の公園に十本くらいの木がある、そして椿に昨日の雪が残っていた
一昨日のことである、桜井古墳は大きい、その上に上った、見晴しがいい
山の方は飯館村の方は雪になっている、飯館村は標高が高いから早めに雪がふる
新田川は浅い川でありそれが飯館村の草野から流れている
浅い川だから瀬音がするのである

津波の跡が残っているのは桜井古墳からすぐ近くである
ここに津波に襲われて家が流された、でも林の樹々が枯れても残っている、厥か痛々しいのである、11年過ぎてもここではまだ津波の跡がまだ生々しく残っている
家の跡に石がありそれが離れずに残っているのもあわれだとなる
石がここを離れたくないと残っている、この辺の被害は大きかった

泉の十一面観音は中が見えない、また見たことがない、でも史跡とはなっている
師走はいろいろとやはり忙しいとなる、仕事しなくても忙しさを感じる
知っている人が退院したり自転車屋が死んだことなど近辺で変化があったのもそうである家事も忙しい、暇なく何かをしていなければならない、それでコメントをしていない
何か追われているのである、いろいろなこれまで書いたものの整理にも追われている

そして今やいつ私自身が死ぬかもしれない、これも恐怖である

だから「死神に追われる齢や師走かな」となる、死神に追われて逃れられないとなる










土地土地のものが活きていた江戸時代 (人間の豊かさは風土と歴史から作られたものにある-旅の思い出) 真壁仁の詩より


土地土地のものが活きていた江戸時代

(人間の豊かさは風土と歴史から作られたものにある-旅の思い出)

●旅の思い出と料理の話

私が興味持ったのは地理と風土である、それはなぜかとなれば大学卒業してから底辺労働者となりその後は30歳以降は仕事にもつかず旅ばかりしていたからである
何もすることがないのでそうなったのである
仕事は底辺労働だから何かそれは日銭稼ぎでありつまらないとなった
流れ作業していたのが辛かった、これはロボットになることでありこんなことが仕事なのかとなり仕事をしたくなくなった
私の場合は何度も言うように家族に特別恵まれた結果としてそうなった
職につけとか言われなかった、むしろ旅でも何でも自由にしていなさいと言われていたのである、何かそうしてもとがめられることもなかった
ただ金はなかっけど自由時間があったからホテル代を最低にして旅していたのである
ただ旅館とホテル代は節約できなかった、食事は千円以上となると食べていない

何か食事で贅沢をしたことはない、だから旅の思い出としてこれがうまかったなという思いではない、ただ一回只見線で新潟県の小出の魚野川の流れている岸辺の食堂で鮎の塩焼きを食べた、それは安いものだったのである、その川でとれたものだからうまかったのである、それくらいしかこれはうまかったとかの記憶がないのである
鮎は私の住んでいる川でも父親が釣りとかか趣味でありその釣ったものが御馳走だった
その時鮎は大きなものがとれていたのである、今小さくなり食べてもおいしくないのである、そして原発事故で放射線に汚染されたので食べることはできなくなった
その前から鮎は食べるものではなくなっていた
鮎はまた意外と大きな川を船で昇った所で鮎を焼いて売っていた
観光客はみんなそれを買って食べていたがおいしくなかった
なぜならそれは養殖の鮎だったからである、天然の鮎は意外と少ないのである
それは岩魚でも養殖が多いとなる、なぜなら天然ものは量がとれないからである

私にとって旅とはうまいものを食べることではなかった、今は車で旅館にホテルにつき何かうまいものを食べることが旅になっている、だから料理が大事になりその土地の物を食べたいとなる、でも実際はその土地の料理は特別な所ではないと出ない、なぜならその料理になる素材は外国からでも外から運ばれてきて買ったものだからである
江戸時代の旅をしたらそんな遠くから素材は入ってこない、だから土地にあるものの料理になる、でもそれが粗末なものとしてもその土地でとれたもので工夫したものでありそれが郷土料理になっていた、だから土地土地で味の違うものを食べたとなる
だから江戸時代の方がかえって貧しくてもその土地のものが食べられたとなる
そして鮎でも岩魚でも鰻でも天然のものなのである、だからうまいのである
私の父親は鰻をとることもしていた、それが田圃の畔の穴にミミズをつけた棒を入れてとっていたのである、これも不思議に見えた、そんなふうにして鰻がとれるのかと思ったからである、その鰻を家族みんなで料理した、その鰻はうまいものだった
それは天然ものだからであり中国産の養殖とは違っていたからである
今になるとそうした純粋に天然の物は食べられないのである、それは高価なものとなっている、今は豊かでも昔は昔なりに豊かなものはあったとなる

現代とはそうしてその土地土地にとれるものが実際はスーパーで買うことができる
味噌でも醤油でも米でもそうである、でも江戸時代ならその土地に行かないと食べれないのである、だからこそ旅することに意義があった、そこでその土地の味を実感できるからである
今は遠くに行かなくてもいくらでもその土地のものが入ってくる、でも実際はその土地でとれものがあって人間は豊かになる、外からばかり仕入れてその土地土地に住んでいてとれるものがなかったら貧しいとなる、いくら金があってもそれが富にはならないのである確かに外国から何でも入ってくるからバナナでもパイナップルでもオレンジでも食べられる、でもやはり日本には日本のミカンがあっているし土地でとれたものがいいとなる
東北でぱ気候的にミカンはとれないにしろ国内産であるからいい、日本では今では葡萄でもとれるしいろいろとれる、リンゴだと種類が多く日本産でありうまいとなる
相馬地域でも結構リンゴはとれている、結構うまいのである、梨は前からもとれていた
リンゴはこの辺でもとれる、新地のリンゴなどはうまいのである
農家で成立つのは梨農家とかリンゴ農家とか花卉栽培、花農家である、これは現金収入としてそれなりに収入が大きいからである、米でもブランド米となれば売れるが競争が激しいからなかなか売れにくいだろう

●グロ−バル経済の終わり

いづれにしろグロ−バル経済で外国から輸入してその土地土地でとれるものは利用されなくなった、これはかえって日本として貧しくしていたのである
木材でも外材だけになり森は放置されて無用化した結果としてそこがソーラーパネルになった、丸森は森が深く木材資源の宝庫だった、だから米沢藩と伊達藩と相馬藩でその木材資源の取り合いになり争ったのである
今は山ごとそーらーパネル化しているのである、そこで景観は壊される、景観というのも自然だけで作るものではない、人間の暮らしがあって生業があって作られる
里というときそうである、それは全く自然だけの世界ではない、自然が人間化したのが里なのである、奥深い原自然がありそして人間が住む里がある、里とはそこにある者か石でも木でも人間化する庭のような場所なのである
里というときそこに人間的なあたたかみのある場所なのである
里の小径で一匹の赤とんぼが死んでいるのを見る、その時その赤とんぼは人間に看取られて死んでゆくとなる、全く荒寥とした自然ではなく人間がかかわり人間の情が通っているのが里なのである
女性でも古代に里刀自とかなるとその里を知り抜いた家事をとりしきる女性だともなる

私がなぜこうして地理とか風土を基本にしてみるのかとなるとやはりグロ−バル経済とか広域経済とかが交通の発達で極端化したからであろう
そこに土地土地の個性が喪失した、それだけではないそもそもその土地から成り立っていたものが歴史でも伝統でも失われた、そしてグロ−バル化することは一様化することなのである、土地にはいろいろな個性があってもグロ−バル化することはそうした土地土地の風土とかを歴史を無視して単一化する、多様な色があっても一つの色にしてしまう
料理でも日本料理があり中国料理がありフランス料理がある、それは風土と歴史から作られてきたのである、だから料理は多様なのである、また言葉でも方言なとるなと地域性があり標準語と違ってあたたかみを感じるのである
方言は国の訛りとなるからである、標準語と英語が共通語になったときそうした文化は失われるのである、確かに標準となるものは世界で共通なものは必要である
でも同時に世界は多様であることが豊かなことなのである
どこに行っても料理でも同じだ変わりないとなるときつまらないとなる

そして食べ物だとその土地土地の風土の影響が大きいのである、米でも野菜でも果物でもその土地の影響が大きい、それはどうしてもその土地と風土から作られるからである
それは土だけではない、天候もあり寒暖もあり雨と風とか様々な影響を受けて農作物は育つからである、特産物があるときそれはその土地に根付いてその土地にあったものとして開発されたものであり外の土地で作れないものとなる
そこに価値がある、なぜならその土地でしか作れない味になるからである
ワインにしてもその土地土地で味が違っている
葡萄でも微妙に光の影響を受ける、湖があるとするとその光の反射をうけていい葡萄ができるとかなり土地土地の名がついた葡萄がとれる、そこに他ではまねのできない価値が生まれる
それこそが文化なのである、cultureはその土地土地でcultivate(耕す)されたものだからである

つまり料理もそれぞれの土地から歴史から伝統から生まれたものでありそこに価値がある郷土料理とかなるとそうである、でも今は料理としても一様化されている
その土地独特の料理を味わうことはかえって至難である、旅行してその土地の郷土料理など食べられない、みんな定食にしてもトンカツ定食とかハンバーグとか同じものである
外国で私が食べたのは金がないからまたレストランなど入りにくいからハンバーグだけだったのである、これは簡単に食べられるからである
だから何かその土地のものを食べていない、ということはその土地の文化でも知ることができなかったとなる、それは私はバックパッカーでありしょうがいなとなる
意外と土地の料理を食べるということはと相当に贅沢になっている
みんなハンバーグとかなる、それは安いし入り安いからである
でもそこで土地の文化を知ることはできないとなる

●大量規格製品の生産から土地土地の風土に根ざした物の生産に

これからの世界はグロ−バル経済でありそれは量の世界でもあった、大量生産して外国に売る経済だった、でもこれからは質の経済になる、それぞれの土地土地の味を追求したものが価値があり世界に売れるとなる
テレビドラマで温泉宿の女将とか放送していたが酒でもいろいろ味があり違っている
ただこの酒の味をわかるのは本当に通である、その酒の味はその土地土地の土から水から天候から関係して生まれている、米でもそうである、スーパーで売っている米の味が違っているからである

だから今なら土地土地の味をいながらにしてどこでも味わえるとういことはある
でももともとその味はその土地土地でじかに行って味わっていたのである
それが江戸時代の旅だったら歩いて旅するのだから一挙に新幹線で東京とか青森とかに行かない、順々に土地土地を歩いてゆくのだから自ずとその土地土地のことが記憶として刻まれていたのである
人間はだからかえって便利になりすぎるとまたそこで失うものがある、現代文明は土地から遊離しているのである
だからこそ生態系を無視しして原発を作り生態系を破壊して住めなくなったとかある
生態系とは土地土地の文化を育んだ基だからである

またウィルスというのも何か不明にしてもやはり土地土地から生まれた風土病だった
それは不可侵の領域にありそこに人間がづかづかと侵入した結果としてウィルスに感染したとなる、それがグロ−バル化した交通が発達した世界ではたちまちに拡散されたとなる
これからの経済がどうあるべきかなとなるともう規格化された大量生産の時代と終わった日本が経済成長を遂げたのはこの規格化された大量生産の結果だった、一見電器製品は日本で発明したものであり独自のものと見ていたがそれはどこの国でも作れるものであり
ただ先んじて規格化したものが大量生産できたことで売れたのである
それも韓国であれ中国であれまねて今度は中国が安価な規格化したこものを大量生産できるようになった、そして日本は衰退したのである
日本は世界と比べると知的好奇心が希薄だとか世界と比べても学生が本を読まないとか
何か今までも日本礼賛とはまるで違った評価になっている
今まで評価されていたものがジャパンアズナンバーワンとは何だったのかとなる
科学論文でも日本はもうアメリカにも韓国にも抜かれているとかいう
でもノーベル賞をとっているではないかとなるがそれは今のことではない、それはずっと前の業績が評価されたのでありこれからは日本ではノーベル賞はとれない、つまり日本ではあるゆる面で衰退しているのである

ただそうはいっても食糧とかなると料理とかなるとその土地土地からとれるものであり独特の味はその風土と地理から作られるから日本酒が人気になったり日本の米でも果物でも高価なものとして売れるとなったのである、それは他の国では作れないからそうなったのである
私の父はもともと酒屋で働いたから酒屋と縁がある、でも私はずんと酒は飲んでいない
だから酒については語れないし酒はいいものではないと思っている
でも時代によって価値が違う、酒を日本人が飲んでいたのは栄養が足りなかったからかもしれない、とういうのは戦国時代のスペインとかの宣教師が日本に来て布教したがその時食料がなく酒を飲んでいたという、つまり酒は米からできているから栄養があったとなるビールでも麦なのだから栄養になる、そういうことがあり酒を飲んでいたともなったのかともみる、今はいくらでも他のものでも栄養がとれるからいいとなる
そして酒でも料理に合う酒があるという、北陸の酒とかは京都に近く京料理にあった酒が造られたはいうのも地理が関係していたのである
酒と料理は密接に関係していたのである、それぞれの料理に合う酒があったとなる
東北の方が淡麗な味でありかえって西の方が濃い味だという、でも味噌汁などでも西は淡泊であり東北は濃いから塩分が多いから脳卒中が多いともなっていた
その辺がなぜそうなったのかとかなるがやはり風土と歴史で作られた料理がありそれに合ったものが作られてきたとなる

ともかく大量規格製品の経済は終わった、それぞれの土地に根ざした風土に根ざしたもの文化を伝統を歴史を再構築することである、それは国風文化の再興にもなる
原発事故はそうした文化を育む生態系と伝統とか歴史を破壊したので罪が重いのである
それはもういくら金をつぎ込んでも復興できなくなった
自然の中から生まれた生業は喪失した、この損失は金で代えられない、文化とは精神を形成するものである、アイディンティティを形成するものであるとするときその影響は余りにも大きすぎたのである、人間はただがつがつ食べるだけのものではない、文化を精神世界を生きるからである、それができなくなったときその損失は金で補いないのである
ただそのことを土地の人達も意識していない、金だを得ればいいとかしかないのが現代なのである、それは田舎でも同じなのである、何か文化を育むのだということなど意識しない、金になればいいとういだけである、だからこそ原発が金になるということで積極的に誘致されたのである、人間はなんらか矛盾してくる、だから一概には責められない
でも何が大事なものを見失っていた、それが自覚できなかったことは確かである

●心を買いに・・・(農民真壁仁の詩から)

小さな町に実直な菓子屋さんがいる
そこで作る栗羊羹、塩小倉
その味を買いに行く
道具が人の手のあたたかみを伝えるように
手漉きの紙に楮{こうぞ)漉いたかあちゃんの
心が宿るように
菓子にも作りての心がこもる
その心を買いにゆく
日のあたる庭先で莢(さや)はたいたばあさんの
丹精の小豆(あずき)
・・・
土と太陽の光で育ったもの
野の香りをとじこめた菓子
それよりも何よりも
店の主の竹の割ったような
きれいさっぱりとした性格
それに惚れずにいられようか
昔は栗や胡桃や干し柿が菓子だった
その始原につながってる心
心を買いにゆく・・・・

真壁仁はやはり生粋農民だったから菓子でも作るものの心がわかる
それは理論ではなく実際の生活に養われた感性なのである

手漉きの紙に楮{こうぞ)漉いたかあちゃんの
心が宿るように
菓子にも作りての心がこもる
その心を買いにゆく
日のあたる庭先で莢(さや)はたいたばあさんの
丹精の小豆(あずき)

昭和でも原町区の石神辺りで紙漉きをしていた農家の女性を知っている
その紙漉きを教えたのは越中の移民だった、なぜなら越中とかなると越前紙とか有名であり越前からでも相馬藩が飢饉で三分の一に人口が減った時移住してきたからである

そして庭先でないが私が会津を旅した時、道で豆の莢をたたいていた老人がいた
むしろをしいて豆の莢をたたいていた、豆を莢からとりだすためである、これも結構めんどうになる、それは秋の日であり秋の日がさしていた
塔寺駅をおりて立木観音のことを聞いたのである

会津なれ立木観音の古りにしや秋日さし莢をたたく老人

会津には寺院が多い、それはどうしてかとなると病気治癒のために僧が8世紀とか古い時代に来ていたのである

徳一は会津での布教の拠点となる慧日寺(えにちじ)を 磐梯山(ばんだいさん)の麓に開きました。磐梯明神を守護神とし、古来の磐梯山信仰と仏教が深く融合した独自の信仰を築き、会津仏教文化発祥の地とされます。

仏教がこんなに広まったのは病気治癒のためだった、山伏が法印が小さな村でも一地域でも必ずいたのは病気治癒の加持祈祷のためだったのである
医者代わりだったからいたのである
だから医療が科学の分野になるとどうしても宗教は衰退するとなる、ただ宗教は病を治すだけのものではないがそれを志すのは少数者しかないてのである

とにかくこの詩では物と心は分離していない、だからこそお菓子でも物を作った人の性格まで言っている、どんな人が作ったことまで言っている
それがもし外国から入ったものなら誰が作ったとかわからないのである
どういう土地で作ったというのもわかりにくいのである
ただ土地と物が人と物が分離した商品として入ってくるし食べているとなる
心を買いに行く・・・・まさに物には人の造った心がこもっている

物と心は一体なのである、ものはもの憑くとか物には何らか人間であれば心がこもっている、それを生みだして作ったものの心がこもっている、それが地元であれば土地の物であれば磯部の梨とか新地のリンゴでも味が良かったからこんなものがとれているのかとなり味わうとなる、そのとれた場所も知ることができるからその土地の味を味わうともなる
地元だと土地と物と心は一体化して分離していないのである、だから地元でとれたものは価値があるとなる、ただ米等でも味噌でも選んで買っている、地元のものを買うとういことでもない時代である、でも遠くからになると輸送代とかかかり高くつく場合が起きる

第一地元で何かとれないとしたらどうしても豊かになれないのである
外からばかり買っていては豊かになれないことが問題なのである
外国からでも何でも買えるとしても円安とかなったら高くて買えなくなるとか戦争で食料で入ってこないとかなる、そこに安心感もないことが問題なのである
鉄道でも戦争の時とかの安全のため輸送として線路でも残すべきだというもある
だから経済をただ市場原理とか安いからとかだけで決められないのである
また物と心を分離すればそこに何か人間として豊かな生活にはならないのである


途中下車の旅、会津の塔寺


2022年12月23日

介護は遠くになるとうまくいかない (近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)


介護は遠くになるとうまくいかない

(近くだとやりやすい―現代は広域化分散化でやりにくい)

なぜかその人は父親の介護で青森の施設に行かされた、この辺で介護士とかたりなくて人手不足でそうなった、青森には仕事がないので介護などの仕事が多いからそうなった
地方の仕事が今や介護になっているのも多いだろう
でも遠いことでいろいろ不便があったみたいだ
何かたりないものがありその後も仕送りしていた、その人の収入は少ないからその不満を語った、兄弟三人いても一人は障害者だとかなりその人だけにまかせられたためである
介護は何か誰かにまかせられるのが多いみたいだ

兄弟がいても協力するということもない、というのは誰も介護をしたくないからである
でも親の遺産は欲しいとなりもめているのが多い
それで兄弟でも一番親に良くされた人が介護しろとなるのも当然だとなる
私のように一人だとそんなことを考えることもない、一人しかないのだから否応なしに面倒みるほかないのである、それで自分の場合一人孤軍奮闘する他なかったのである
でも他にいないし相談する人もいない、だから一人っ子は育つ時は恵まれていても親の介護では一人だけになり苦しむ
でもまた兄弟がいてもうまくいかない、娘がいると助かるから娘を持てというのもわかる男は介護が向いていないからである

なんでもその人は青森から地元の施設に移るために介護タクシーを頼んで9万とかかかったと言っていた、それもわかる、青森は遠いからである、でも青森の施設にあづけてもあずけたままにはできない、何かと連絡があり金を送っていた
書類のこともありいろいろ書いたりするから離れていてわからないので青森まで行くことがあった、これも大変だと思った、ここに大きな問題があった
いくら施設にあづけて何でもしてもらえるかとなるとそうではない、何かと後で必ず連絡がありそして直接書類を書いたり離れていてはできないことがある
だから青森とか遠くなっていたことが問題だった、福島県内とか宮城県辺りだとめんどうにはならなかったのである
だからどうしても余りにも遠いとなると問題になる

私の兄は静岡に集団就職してその後連絡があったとしても夫婦が離婚して児童相談所から子供についての連絡が児童相談所からあった、離婚したとき中学生だった
でも私の家で一回しか会っていないのである、結婚した妻の実家が近くにあり行き来していた、だから妻の実家に引き取られた、その後はその実家を出て東京に出た
そうして兄が交通事故で死んだ、でも何が起きたのか、何があったのか理解できなかった消息が途絶えたわけでもない、死ぬ前に自分の家にきた、それが最後だった
こうして遠く離れて暮らすと何かあったとき何が起ったのか、事情がくみとれないのである、だから遠くなることは介護とかなると向いていない、介護とはたまに合ってできるものではない、近くにいて毎日のように様子を見るとか介護するとかなるからである
それで隣近所とかが向いている、家の延長のようにしてあるからである
でも今は隣近所も何の仕事をしているのかわからない、疎遠になっている
時代的に孤独死が増えてくるのも身近でつながりが希薄化しているからである

それで意外と原町だと8キロしかないとしても毎日のように往き来していたらめんどうなのである、相馬市でも倍の距離があるからめんどうになる
週に一回娘が相馬市から来ている人がいる、近いようで遠い、車かあったとしても手間なのである、それで遠いと介護は向いていない、隣近所だったらすぐに行けるから楽なのである、そして今は兄弟でも娘でも遠くに仕事をもち女性でも遠くに嫁ぐ人が多い
すると遠いということは介護しにくいのである
介護に関しては今の時代はかえっていろいろそろっていても不利である
近くに住んでいないと役にたたないのである

自分の場合車がないので原町に大きな病院が相馬市にもあるとしても通うようになるとめんどうだった、車がないことは田舎ではこういうとき不便になる
でも介護というとき車があっても近くでないと不便であり手間になる
それで介護する人でも田舎だと車で離れた地域を一軒一軒回るのも手間なのである
何か厳罰避難区域の人が離れて住んでいて仮設で一緒に住んだら女の人は話し相手とか仲間できていつでも話せるから良かったとなっている
何かその時は互いに助け合うとか助けられる関係になっていたのだろう
でも市営住宅とかに住んでいる人達は別に助け合わない、それで隣に住んでいた人が半年くらい死んだのがわからなかったのである,電灯がついていたのでいると思っていたという、近くに兄弟も住んでいたがかかわらなかった
田舎でもこういう時代である、その住宅で親密に付き合うとういこともない
江戸時代なら人情長屋とかなっていたが今はそんなことないのである
都会のように無関心になっている、だからこそ田舎でも孤独死はある

その人は本当に8050問題の人だった、親が80歳になり介護する人が50歳になっていたからである、ちょうどそういう年齢になっていたのである
団塊の世代が75才以上になり子供50歳とかなる、母親は72歳で脳梗塞になった
でも軽かったからしゃべれるし歩くこともできたから軽かったなと不思議だった
その息子が一人介護をたくされた、でも朝5時に出て建築工事現場で働きにでている
別に家で介護しているわけではないから苦しいにしてもまだ仕事はできる
でも仕事ができなくり会社を辞めて収入がなくなり困窮している人も多い
金もかかるから働かないと収入がなくなりこまる、でも自宅で介護するとなると会社をやめざるをえなくなるのである
これも大きな問題でありそこで悲劇も起きて来る、原町で認知症の母親を介護している息子が殺した事件がそうだった、オムツとりかえるとき母親が騒いで殺したという
それもわかる、認知症の介護は一番過酷だからである、それは自分自身も経験しているからわかる

とにかく8050問題は深刻である、団塊の世代は数が多いからである、その数の故に負担が増大するからである、そこで悲劇が起きてくるのは目に見えている
家族遺棄社会にもなる、なぜなら自分も経験したように家族だけでめんどうみるのは限界があるからだ、それでもう家族でも捨てた方がいいとなる
息子娘でも今は日本が貧困化して金銭的にも余裕がないからである
そして金だけでも解決しない、人間の手間がかかる、誰かがつききりでめんどうみないといけない、それで会社を辞める人がいる、でもそうなると収入がなくなり追い詰められるとなる、そういうふうに追い詰められる人が膨大に増えて来る
その人はまだ母親が軽い脳梗塞ですんだ、在宅で介護するにしても楽である
でも金には余裕がないから不満を延々と言っていた

私の場合は不満など言う相手もいなかった、でも終わってみれば人間は辛かったことも忘れるものだと思った
でも病院で虐待されたとか何かとひどい目にあったことは忘れられない、でも人間は時間が浄化する、どんな苦しいことでも終わってみれば忘れるものだと思った
すでに姉は死んで十年すぎたし母もすでに死んで5年もすぎた
とにかく時間が過ぎるのは早い、次々に今や知っている人が近くでも死んでゆく
そういう年になった、だから死神に追われる師走かなともなったのである



2022年12月24日

今年の私の重大ニュース―災難は続いている


今年の私の重大ニュース―災難は続いている


●大地震の被害

●知人が脳梗塞

●盗難

●自転車屋の死

●win8・1のサービス終わる

今年の最大のニュースは事件は地震だった、また本でも片づけていないし障子も直していない、散乱したままなのである、本が多いからそもそも整理してきれないでいた
それからここではまだ屋根を直していない家もあるて地震で壊れたのを直していない
今年最大の災難は地震だった
東日本大震災以後またそれ以上に強い地震がきたのである
今回の地震も東日本大震災の余震だったのである、まだ余震がつづいてる
その大きなものが来たのであく

知人の脳梗塞には驚いた、日ごろから手が悪いとか目が悪いとかめまいがしたとか訴えていた、それは明らかに脳梗塞の前兆でありそれが事前に医者でも見抜けなかったのはなぜなのか、そのことを書いた
でも実際は二週間くらいで退院できるのをコロナウィルスを警戒して入院をしていたという、軽い脳梗塞だったのである、それでしゃべることは普通であり脳も正常であり
ある程度歩けていたのである、だからこれは回復すると見た

どういうわけか姉が死に母が死に一人になってから盗難が増えた
大盗難の被害もあった、それは近くの人である、今回もジャンパーがなくなった
でも置き忘れたのかと見た、中に財布がありカードなどがなくなったのでめんどうだったでも盗まれたように見えないのである
今度も100円ショップで買ったソーラー発電の人に感知して光るものが張り付けていたのがなくなっていた、これはそれなりに大きいものであり風で落ちたとも思えないのである、落ちていたらわかるだろう、遠くに飛ばされるとも思えないのである
どうも私の家に出入りしている人がいるという不気味である
そういうことを言う人が他にもいたからである

この問題は軽いようで軽くない、なぜなら通りすがりの人だったら後は来ない
それは金庫を開けられたプロの泥棒が入ってきたがその人は通りすがりでは一回だけであり来ないと見た、でも近くでねらって来ているとしたらまた来るから怖いのである
それも近くだから怖いとなる、いつも狙っているとしたら怖いのである
それも誰なのかと不安になるからである

街に一軒しかない自転車屋の突然の死にも驚いた
3日前くらいにタイヤ交換してもらったときいつまでつづくかわからないと言っていたがそれが最後だった
最後まで仕事をしつづけて仕事しながら死んだともなる
ここが貴重だったのは一軒しかないからである
それは無医村と似ていた、そういう場所では価値が高くなり貴重になる
原町まで行くにも大変だからである、そしていつも買ったり利用していないと自転車屋というのは受け付けないことがある、それで断られたことがあるからだ
通信販売ではいろいろあってもアフターサービスがないので利用できないのである

win8.1のパソコンのサービスが終わる、これもめんどうになる
でも危険になるから対処せざるをえない、これの問題は手間が相当にかかりめんどうになることである、新しいパソコンに移るのに時間がかかる
これもやっかいである、何かめんどうなことをしたくなくなったからである

ともかく今年も波乱の年だった、地震が一番怖かった、またこの歳になると知っている人が同世代の人が死んでゆく、自転車屋の人は66歳だからまだ若かったとなる
その後を継ぐ人もいないのである、それでみんな困っている
なくてならていものがありそれが無くなることは不便になる
無医村のようになってしまうのである、ただ救われているのはこの辺は近くにまだ5万とかであれ都市がある、でも自転車の場合は近くにないと困るのである
本当に一回は電動自転車のエンジン部分が買ったばかりで交換したのである
それからもう一台の高価な電動自転車もチェーンがはずれて直せなかった
それを直すのにヤマハの本店に直接聞いてそれに対応する道具を送ってもらって直してもらった、こういうことがあるから自転車屋がないと修理するできなくなり使えなくもなるのである、これも大きな問題だった

いづれにしろ今年も終わるがやはり様々な災難の厄払いをしたいとなる
でも簡単には行かない、来年もいい予想はないのである
何かいいことがあるようには思えないのである、でも知人の脳梗塞が軽くすんだということはいいことになる、でももう一人の親しい男性の家には行かないとなり切れてしまったこれも問題である、近くの人間は老後は大事になる、近くだと常に近くにいるのだから
遠くの親戚より近くの他人となるからである、現実に相馬市から娘が週に一回しかこない意外と近いようで車でも手間なのである、介護になったら毎日とか来ざるをえなくなる
となると会社勤めしているとできないとかなる
遠いというとき8キロでもその倍でも遠いとなる、これも問題なのである

とにかく人間は生きている限り災難から逃れられない、その人によってどこでもそれぞれに災難がある
病気であれ自然災害であれ盗難であれ様々な難がありそれから逃れられないのである
他人の災いを笑っている人や楽しんでいる人もいる、でも必ず他人に起ることはそうして関係ないとみていても必ず災いは
誰にでも起きて来る、順々にカルマは回ってくるのである
この世は地獄であり逃れられないともなる、死んではじめて災いが終わるのかとなる

posted by 天華 at 17:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層