2022年11月14日

デジタル社会の落とし穴 (キャッシュレスの危険を経験した)


デジタル社会の落とし穴

(キャッシュレスの危険を経験した)

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日本政府はキャッシュレス化を推進!でも国民にはリスク高い!】なぜカードにするのか、考えたことある?-masakazu kaji-
https://www.youtube.com/watch?v=KgwNBDywyxw&ab_channel=%E3%81%8B%E3%81%982%E
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デジタル社会も確かに便利だし悪いとはならない、でもやはり何でも人間社会はメリットとデメリットがある
キクチスーパーのカードでなくしてチャージした一万が損した、それはカードをなくすと損する仕組みになっているからだ
他のカードだと使いなくするから損することはない
でもやはり銀行のカードでもおそらく盗まれたとなったが即座に連絡して金を落とせないようにした、でもこれも危険があると思った
またカードはなくしやすいしスマホだって一回忘れたのである

大阪、京都で4店舗を運営していたスーパーチェーンが10月、予告なく閉店し、店が独自に導入していた電子マネーの残高が使えない事態となっている。会社は破産手続きを進めており、残高が返還されるめどは立っていない。「買い物難民」も発生し、地域に混乱が広がっている。

これもひどいと思う、詐欺にもなる
確かに金額としては少ないが一年でカードで買い物して見返りにもらえる金はとても一万にもならない、たまに300円もらえるだけである
だから計算すると本当に損だった、カードがなくしやすいのはいちいち財布から出して使うし小さいから忘れるとかなくしやすいのである
そうして一回忘れるとチャージする金額が一万でも損になる
そんなことしているのならもうカードで買い物しない方が安全で得になる

結局デジタル社会化IT化でも危険がある、だから安全をどうして保つかが問題になる
そういう安全策はスーパーでもとっていない、あなたが無くしたからあなたの責任ですで終わりなのである、一万返してくれといってもあなたの責任ですとなって終わりなのである
こうなると現金の方が安全である
なぜなら見返りの金は一年でも一万には全体にならないからである

デジタル社会は安全安心が計られていない!

これが問題なのである、なぜならその損が大きくなる場合があるからだ
そうなると多少不便でも現金の方がいいとなる
確かに現金だと金が可視化されて計算して節約したりする、また店員とお釣りをもらうとか話ししたりする、それも手間なのだけどなんらか会話があるのがいいというのもそうかもしれない、何もかも人間は便利を追及するとまた失われるものがある
それは何度も車社会が失われたことを書いてきた、電車でも駅で待つ時間が人間的になるとか歩く旅なら旅は道連れ世は情けになると書いてきた
便利を極限まで追求しゆくとかえって人間的なものが失われてゆく、会話もないから情も失われてゆく、そのことは書いてきた

マイナンバーカードでもなくしたらどうするのかが問題になる、どうしてもカードは小さいからなくしやすいのである、その安全策がとられていないのである
そして紙幣のように数字だけになり金をというものが実感できなくなる
カードだといくら使ったとか感覚がなくなるのである
確かにそれは問題である、それに反対する人は若い人には多い、だから日本は遅れているのだとなる
でも加治兄とかの同年代の人はカードにデジタル社会に反対しているのは意外だった
老人ならみんなそうなりやすい、デジタル社会についていけないとなる
私はたまたまワープロをしてパソコンを出始めた時からしていたから慣れてはいる
でもデジタル社会にもメリットとデメリットがある

世界がそうなったとき日本だけが遅れているというのもわかる
問題は安全をどう図るかである、安全を計る時そこに金がかかる、だから安全はないがしろになる、原発事故が起きたのも安全をないがしろにしたからである
その安全というのはどこでも問題になるがそれ自体は金にならないのでコストから金をかけないのである
それで東電の社長がコストカッターとして社長になったと言われる
その時安全に対して金を払わなかったとなる

何か本当にデジタル社会になると売買することでも便利でもそこに物でもやりとりする実感がなくなるのである
それよりそもそも貨幣が生まれた時すでに物々交換でないから弊害が生まれたのである
貨幣の発明は必然的に起きたとしてもそのために社会を歪めるものにもなったのである
つまり科学技術でも何でも便利なものは必ずメリットとデメリットがある
だから科学技術がなんでもいいとして取り入れて失敗することがある
実際の価値は金を媒介するとその価値は歪められる、本当は物々交換がいいのである
リンゴが欲しい人とミカンを欲しい人が持ち寄って交換するのが実感があっていいのである、でもそれができないから貨幣が生まれたのである
貨幣とはやはりメデアであり媒介するものであり真実の価値を歪めるのである
だから覇権国が金融を支配して莫大な富を得ているのである
ドルが世界基軸通貨ということはそうなる、ドルでしか石油も買えないからである
そのために陰謀論が生まれるのである

ただ加治将一(加治兄}氏にしてもハンコはいらない、日本だけがハンコを使っていると批判する時、ITもデジタル社会を推進する方だと思っていたのである
そのハンコだけど中国で買った高いハンコの一部分がはがれてしまった

だからこれも困ったとなる、ハンコなどいらない効率的でないというときそう思う
ハンコはもう前時代的なものであり現代の社会に合わないのである
めう言っている人がカード社会に反対しているのは解せないということはある
ただ彼の言っていることは共感することがある
同世代ということもあり共感する、要するにハンコにしてもそれは本人を証明する安全のために使われたのである、もし安全が別なもので計られるならば別な物でもいいのであるでもこの安全を計ることがむずかしいのである
必ずどんなことしうても悪い人がいて安全は壊されるのである、それは別にデジタル社会だからではない、悪い人がいるからどんなシステムを使っても悪いことはなくならない
ただデジタル社会になるとIT化社会になるとその被害が大きすぎるのである
全社会が世界的にでも機能しなくなるとういこともあるからだ
それはウィルスなのである、

ただどんなことをしても完全な安全安心社会は作れない!

これだけは確かである、それが人間社会なのである、悪人自体が絶対にこの世からなくならない、だから技術をどんなに改良しても完全な安全などないのである
新しい技術が生まれれば生まれるで新種の犯罪が生まれのである
これはいちごっこなのである、核が発明されれば核戦争が起る危険になる
現実にヒロシマがそうであり日本がその被害者になったからである
ただデジタル社会の危険もありこれも怖い、一番怖いのは一瞬にしてデーターが消えることである、となるともう千年前とかの記録として残らない
するとどうなるのか?歴史がわからなくなるとまでなる

それより記録を残したかったら石にでも刻んでおけとまでなる、アナログ的なものが消されず残るとなる、紙でも本でも50年過ぎるとぼろぼろになったりするからである
でもデジタル社会は止めることはできない、だからITの会社でも実は公共的役割があり
突然やめたりされると困るとなる、でもいくら公共的役割インフラとなっても利益がなければ会社は倒産したりする、だからこれも安全は計れない、スーパーのカードが倒産して使えなくなったというのがそうである
そこで会社自体が信用できないし一つの民間会社を信用できないとなる
だから記録の安全策は個々人でするほかないとなるがこれもめんどうなのである

ただ通信でも故障するとかはなくなっている、機能一瞬通信できなくなったから故障したのかとショックだった、でも簡単に回復したから安心した
何かこうして突然通信できなくなることもあるから怖いのである
インタ−ネットとかパソコンに詳しい人が今はしているとはなっていない
みんながするものだから何かしら安全を計ることが必要なのである
それは民間だけではできない、利益を上げなければできないからである
ただ人間は安全に投資したくないのである、それは原発でもそうだったし知床の観光船の事故でもそうだった、だからこの安全を計ることは国ですることが必要にもなる
でも原発では国の保安院が不安員と言われ飾りにすぎなっかたのである
何もしないで金をもらっていたのである
とにかくどうして安全を維持するのかこれが社会の大きな問題なのである
ただ完全な安全はありえないとなる、必ず人間にはミスがあり事故になったりする
そもそも地球自体に安全がない、絶えず自然災害があり安全安心は得られないのである
完全な安全は神の国でしかありえないのである、そこに人間の限界がある


深刻な8050問題ー貧困化福祉の崩壊の恐怖 (家族崩壊を経験したのでわかる)


深刻な8050問題ー貧困化福祉の崩壊の恐怖

(家族崩壊を経験したのでわかる)

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医療崩壊のしわ寄せ】「財政面で壊れるのか、人材面で壊れるのか」 多額の損失で追い込まれる障害者事業所【大阪】
https://www.youtube.com/watch?v=vl93SJ4hW6Y&ab_channel=ABC%E3%83%86%E3%83%AC%E3%83%93%E3%
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コロナウィルスが影響してこうなった、中村喫茶店などもコロナウィルスの影響があり閉店にもなった、それだけではないにしろ原因としてはあった




72歳で脳梗塞になった女性はまだ年齢的には若いと見た
ただ脳出血とか脳梗塞は若い時でもなる、そして脳梗塞でも症状がいろいろである
つまりその脳のどの場所かで後遺症が出る
でも脳梗塞や脳出血ですぐに死ぬことない、身近で聞いた話でも十年くらい夫を介護していたという人が普通にいるし介護というとき十年くらいかかる場合がある
だから長いと思った、この長さでまいってしまうのである
私自身も介護していていつ終わるのかと恐怖だったからたいがい早く死んでくれないかなと思うようになるのである、それは冷たいことでもないのである
それだけ介護の負担が大きいからそうなる、でも死んでしまうともっと良くしてやれば良かったとまた後悔する人も多いのである

これは人間としてやむをえないということである
なぜかというとこの介護のむずかしさは死んだ後まで影響していることである
介護が苦しくても冷たく扱われたとかなるとか恨んで死なれると困るのである
実際親戚にそういう人がいたのである、全く病気になっても放置して何もしない非情な娘がいた
その親は相当に悔しかったのか恨んだのかもともと自分の家とはうまくいっていなかったし自分とは余り関係がないのに「ひどい娘だわ」と言って死んだのである
それで救われたのは介護もされずにすぐに白血病で死んだことである
そもそも介護する人もいないのだからそういう死に方は良かったのである
そしてその娘は葬式では世話したとか言っていたそうである
そんなこと全くなかったのである

これは極端な例にしても恨まれて死ぬことは怖いと思った、介護は苦しいとしても恨まれて死ぬのは後味が悪いし成仏しないとかなる
私は認知症の姉とあとで母を介護したがわかってくれて死んだから良かった
私はその後でも毎日遺影に向かい供養している、それは私は特別良くされたからできたことである、他の人はこんなに良くされないから介護したくないとなる
それはそれぞれの家族が違っているからなかなかわかりにくいのである

確かなことは8050問題は始まっている、50歳の人が80歳の人を介護することである、団塊の世代が80歳になるときその数が多いからその子供が50歳になっているからである、これは非常に深刻である
72歳であれ早めにしてもその子供は50歳である、でも障害者なのである
ただ軽いから会話できるし意思疎通はできる、だから誰かが側にいて援助すれば介護ができる、でも一人だと負担になる、でも介護度からするとどれくらいになるのか?
それを見て判断するのは福祉関係である
寝た切りとかではないしリハビリすると回復もするからその先が長いのである
そして金もない、でも福祉では金は本当に出さないのである

福祉関係のyoutubeで介護士などがボーナスを出してくれとか要求している、コロナウィルスで経営が苦しくなったからである、重度の障害者を世話することは見ているだけで苦しくなる、そこで思うのは障害者が生きる価値があるのかとまでなる
世話する方からするとそうなってしまう、愛がどうのうこうのという前にその介護が過酷だからである、障害者でもいろいろある、でも私が接した障害者は会話もできるしどこが障害者が見分けがつとにくいのである、その人はただうまく会話ができないようである
でも別に話してみると会話ができる、ただ口籠るとかスムーズに会話できないようである何か子供のころに父親に殴られたとか言っていた
だから重度の障害者とは別物である、重度の障害者となったら過酷である
そうしたら介護する方でもボーナスを出してくれというのは当然だとなる
ただ引きこもりが多いからそれは障害者問題とも共通している

ともかく8050問題はすでに始まっている、そこで家族崩壊と福祉崩壊が起きて来る
自分自身でも家族崩壊が起きた、認知症になったとき起きた、家族が別々に住むようになり起きた、助ける人はなく一人孤軍奮闘しなければならなかった
その時自分自身も病気だったのである、手術もしたのである、それを一人で切り抜けるほかなかったのである、ただこれも特別親に良くされたから私自身のカルマとして起きたのである、何か必ず悪いことが起きるのはカルマが関係しているのである

おそらくこれから8050問題では悲惨なことが起きて来る、今でも起きて来るが日常的になる、すでに貧困化して困窮化もするし介護の人出もないとなる
そこでは二人正常な息子がいるとして働くことをやめるわけにはいかない、収入がなくなるからである、だから会社をやめて介護した人は後で苦しみやめなければ良かったとかなる、それだけ介護の負担は大きいのである

そして介護となると意外と遠くの親戚とか遠くがあてにならないのである、例えばこの辺だと相馬市とか原町市だと近いとしても車で10分くらいにしてもいちいち来るのが手間なのである、だから相馬市から娘が一週間に一回くるがそれも手間なのである
介護なるとき日常的に接する必要があり近くがいいのである
その人は歩いて5分もかからない距離にあり介護するというのではなく話し相手として毎日のようにもともと親しい人の家に行っていた、その人は糖尿病なのである
ただ自分のことができる、でも一人だから淋しいので話し相手として毎日呼ばれて行っていたのである、でもその人が脳梗塞で倒れたからもう行けないのである
とにかく何か人間は突然人間関係でも変化する
その人は私の家に五年間くらい来ていたけどもう来ることもできないと言っている
これも驚くともなる、先日まで来た人が逢いに来ることもできないともなったのである

金がない、人手がない、・・・・・

それで追い詰められてゆき家族崩壊福祉崩壊医療崩壊とかになってゆく
福祉だってそんなに金を出せない、日本自体が貧困化しているからである
予算を削られるからである、だから南相馬市長選挙などあるが議員など減らせば良いとなる、もうそれだけの予算が金がないのである
すると優先して金を使うのは何になるのかとなる、どうしてもまず命が大事だとなるとなかなか医療福祉は削りにくい、だから議員はせいぜい5人くらいでいいとなる
無駄な金はもう使いない時代になっている


いづれにしろ何か市町村でもこうして苦しむ人がいると誰かに負担がカルマが回ってくるのである、それが自分にも回ってきたとなる、ただ人間は障害者は無駄だとなるが老人になるとどうしても病気になるし体が弱ってくるから障害者になるのである
だから驚いたことは看護婦としてばりばりに活躍していた姉が認知症になり馬鹿になったということには驚いた、つまり知的障害者になってしまったのである
つまり障害者の問題は老人になると身近なものとなる、認知症も知的障害者だからであるただ生まれつきではなから社会でも親としてもありそれで対処の仕方が違ってくる
親であり功績ある人だから馬鹿にはできないのである
そして馬鹿にすると怒るのである、だから依然として生前のように扱うようにしないといけない、でも人間は結局弱者化するのだとつくづく思った

どんな強い優秀な人でも最後は弱者化する、だから障害者というのが全く関係ない存在だとはならないのである、ただ正直重度となるとその負担は重すぎるのである
そして障害者とは何のために生きているのか?ただ一生世話されるために生きているのかとなる、だから親にもう50歳まで尽くされた人は親に恩返ししろとなるがそれもできないとなると悲劇だとなる、ただその人は軽度だから別に親の世話はある程度はできるのであるそれは救いであるがやはりもう介護問題はこれからますます深刻化する
日本でも貧困化しているしその余裕がない人が多いからである
そして介護というのは何か不毛なのである、生産的なことがないのである
ただ私のように特別親に良くされたとなるとそれは不毛でなはない、親孝行できて良かったとなるからである、それで親もある程度は報われたとなるからである
ただヤングケアラーとか自分の人生を犠牲にされたら親を恨むとまでなる
私の場合は60歳から介護だったから良かったとはなる、それまで何でもしたいことをさせてくれたから特別だったから介護でもできたとなる
他の人はそうはいかないからそこで悲劇が生まれる、家族崩壊が生まれるし社会全体でも福祉崩壊医療崩壊とかになるから地獄だともなる