2022年11月04日

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

冬に入る故郷(秋薔薇、時雨、短日、冬日没る、冬薊、冬籠り)

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庭に石長くもあれや秋薔薇

頬濡らす一滴の時雨老い深む

短日や老人生きる日数かな

故郷の小径を行くや冬に入る

故郷の病院に入り冬日没る

この道に今年も咲きぬ冬薊

老一人木戸木に残り冬籠る


我が庭に一輪秋の薔薇咲きてしみじみと今日も一人見ゆかな

姉と母遺影に花を我が献げ訪ぬ人もなし冬に入るかな

知る人の病院に入り逢わざりき治れと祈り冬に入るかな

野は枯れて陽の没り早し夕雲に月の光りて老いし我かな

空家なる庭の紅葉の赤く映ゆ人住まずば誰に映ゆらむ


文化の日すぎて今日は明らかに冬だった、冬日が山脈に没するのが早かった
短日にもなった、一昨日なのか確かに時雨もあった、時雨というと山頭火である
後姿も時雨れてゆくか・・・となる

老人になると短日が似合っている、時間がすぐ過ぎてゆくからである、老人は冬に合っている、ただ今老人といっても70以上になる、60代は初老であっても老人とも言えなくなったのである、高齢化で老人という感覚が相当に変わったのである
長生きでないとき老人は何か貴重に見えたかもしれない、それは長生きする老人が少なかったから希少価値があった、それで姥捨て山伝説とかあるがこれでも本当のところはわからない、子捨てとか間引きとかは食い扶持を減らすために現実にあった
でも老人は長生きしないから江戸時代辺りだとあまり迷惑をかけずに早めに死んでいたともなる

知っている人は近くの病院に入院した、逢ってもいない、病院はウィルスが怖いのであるうようよしている場合がある、それで私自身が風ひいて40度の熱が出たのである
病院というときやはり地元の病院だと何か安らぐとなるかもしれない、近いと看病にも行きやすいとなる
ただ病院でも人による、医者でも看護師でも人がよければ場所は関係ないともなる
そもそも昔だったら村で病気になったりしたら薬師堂で祈るくらいしか方法がない

でもスリランカの村のように村人全員で祈っていたりしたかもしれない
高度な治療などできないから祈るほかなかったからである
でもそういうことでやはり精神的影響はある、そういう思いが伝わるからである
私が入院したときは相馬総合病院では看護師に虐待のようなことをされたからいいものではなかった
ただ今は看護師でも老人とか病人を嫌っている、それは数が多いからである
病院でも老人病院になっているからである、だから病院でも番号で呼ばれるとか無機質な空間なのである、そしてかえって病気を悪化した人がいたのであ
確かなことは老人の病気の対処は違ったものになる、老人医療を言う医者がいるがそうなく

私が毎日語りかけているのは姉と母の遺影である、私は姉と母のことを一番今でも大事にしている、それだけ良くされたのでそうなったのである
ただ本当に死者を愛すということはなかなか継続しにくい、全く返事がないからである
だから日々に去る者は疎しとなりやすいのである
ともかく今日は本当に冬になった、秋は終わった、ただ秋は短すぎた
紅葉はこれからであり晩秋が冬になった

奇妙なのは隣の空家に紅葉が赤く映える、でも見る人はいない
私がその紅葉を見て私に映えていることの不思議である
時々に庭に入っているからである、つまり空家の庭になったのだが半分自分の庭のようになっているのである
その家とは自分の家でいさかいがあった、でもその人達はみんな死んだのである
隣同士では何かもめることがある、でも今はみんなそうした人達も死んだのである
つくづく人間はこうして何か争うものであり醜いずるい人がいる
でもいづれはみんないなくなるのである、でも何か後味が悪いものを残すとなる
ただその家にもともと住んだ人はずっと前から住んでいない、別な所に住んでいたから
それも変わってしまったのである
そこに二十年以上住んでいた人は借りて住んでいたのである

飯館村の木戸木(ことぎ)に一人80以上の人が住んでいる、そのことを書いた
あそこに一人住んで冬ごもりとなるのかと思う、あそこは大倉でもあり意外と近いと思った、草野の方に行くと遠い感覚になる、もともと大倉は近かったのである
ただ坂があるので苦しいのである、車だったら近いとなる
自転車だとどうしても近くでも遠くなるのである
ただ一つの空間を共有する地域だと思った、川俣になると飯館村から十キロとなるから遠い、別な世界にもなる、飯館村まではもともと相馬藩内だから地理的にもそういう範囲にあった、でも葛尾村となると三春に近く遠く感じるのである




日本の貧困化格差社会化の危険 (世界でも信用できず信頼できず社会は分断される) (信用できず信頼できず社会は分断される)


日本の貧困化格差社会化の危険

世界でも信用できず信頼できず社会は分断される)


●階級社会の欧米

日本はあまりヨ−ロッパとかアメリカのように極端な格差社会、貴族社会とか階級社会はなかった、それは日本はもともと貧乏であり侍だからといって食べ物でもたいして庶民と変わりなかった、殿様くらいはいいものを食べていたとしても後はたいして変わりないのである
だから士農工商がそれは職業の分類であり階級の分類ではない
外国ではヨ−ロッパとかでその差が激しい、貴族の下で働く召使いたちは貴族の食べた余りものを食べてそれが庶民の料理として発展した
人間は食べ物に一番シビアなのである
そこに差が一番現れて貧乏を感じるのである、だから今私は果物が高くて買えないというときそうである、やはり貧困化して格差社会になると食べ物に影響する
それで栄養がとれないとかなる、それで病気になったのかもしれない

ヨ−ロッパとかに奴隷がいたのは民族と民族の争いが陸つづきでありまた多様な民族が混交しているから激しい争いがあり負けた民族が全部奴隷になることもある
それでスラブ民族はスレーブであり奴隷から来ているとなる
その民族の争そいが熾烈であり民族絶滅(ジェノサイド)も起きて来る
日本だと争ったとしてもそこまで熾烈にならない、歯止がある
それは同じ民族だということがある、日本は早い時期に一つの民族に島国の中で成った
からである
だから敵味方塚とかがある、ぼっしん戦争で東北で戦った九州とかの人でも戦死した人たちが手厚く葬られているのである、日本では戦争でも歯止がありジェノサイドにはならない、また奴隷化もしないのである

大陸だとその争いに容赦がない、異民族同士の争そいになり容赦がなくなる
そもそも階級社会はそこから生まれてきた、貴族がいて奴隷がいるというときその奴隷とは戦争で敗れた民族である、戦争に負けたら奴隷になるからだ
この奴隷にすることはアメリカに受け継がれて黒人は奴隷としてアフリカから連れてこられたのである
そしてなぜアメリカがまとまらないかというと人種差別があるのかとなると黒人はもともと奴隷とかありそういう歴史をひきづっているからである
それはヨ−ロッパの歴史から継続しているのである

ヨ−ロッパでも中国でも中東でも豪華な宮殿がある、中国でも始皇帝なら地下まで宮殿を作っていた、その富が支配者に集積されるのである、それが国が巨大だからそれだけの富みを持つことができる、今でも共産党の幹部が兆の金を持つとか妾を何十人持つとか継続されているのである、つまり支配者になると莫大な富が集中する
でもあれだけ中国が発展成長しても農民は依然として貧しいのである、とても14億の人間が豊になれないのである

●格差社会は国でも分断させる

どうして格差社会が問題になるのか、それは国がまとまらない、一体感を持てなくなる
そのことが具体的にわかるのは金持ちの家で働く召使とかに現れる
その生活の差が具体的に現れて感じるからである、それは食べ物に一番現れる
日本が貧困化するとき果物が高いから食べられないというときそうである
でも別にその人が働けば稼げればいいのだが高齢化して働けないということもある
そして必ず家に入って働く人は金持ちの家にきてその暮らしぶりを見てその格差を具体的に感じる、それは食べ物の差なのである、つまり貴族の余り物を食べるということに現れている、ただそれすらましな方だという時代でもあった
まともな食事にありつけない時代があったからである

そういう格差社会の何が問題かというと互いに信頼しあえない、共同できないことにもなる、それは金持ちにしても手伝ってもらうにしても必ず盗むことが起きる
とても信用できないのである、盗みはどこでも起きるが金持ちの家に働く人に起きやすいそれで雇う人を裸にして雇ったとかアメリカである、それだけ盗みが多いということである
つまりそうしたところで金持ちが働かせようとしても働く気になれない不満がある
すると盗んだ方がいいとなる、そういう格差があると互いに信用できないとなる
この信用があらゆるところで問題になる、別に手伝いさんでも十年とか働いていると
格差があるとしてもそれなりに納得して勤めるようになる、でも時間が必要になる
私もそれを実感した、別にその人は何もしないけどやはり最初は盗みがあった
でも五年間くらい家に来て互いに何か理解しあうものがありその人は盗むことはなくなった、つまり信用できる人となったのである
でもその期間は最低でも五年くらいかかるのである、人間が信用するということは最低でも五年くらいかかる、それでお手伝いさんを雇う時、ある家で十年勤めて問題なく信用されていれば信用できるとしているのもわかる
でも十年間の時間を見なければならないとなる

●どうして人間は信頼信用するのか

人間はそもそもこの信用が人間関係で一番問題なのである
第一初対面の人をまず信用できないだろう、それでこれまでは農家だったら三代同じ場所で働いていないと信用できないとなっていた、農家として認められないとかあった
つまりそれだけもう三代でも同じ地域で共に働くということで信頼を培ったのである
だから昔の農家とかなると簡単に新入りは仲間になれないとなる
それは時代遅れとなっている、だから農業はかえって会社組織にしてそこで信頼してやると楽だとなる、昔の村社会のような所で農家になることはむずかしいとなる
ただここで言えるのはいかに人が信頼して信用して共同することがむずかしいかということである
それには時間がかかる、昔なら三代同じ地域に生きて信頼ができるとなっていた
江戸時代はこうして村社会を基本としていたから強固な信頼関係があり共に生活していたとなる、江戸時代は農民社会であり変化があまりないからできたとなる

ともかく人間がどうして信用しあうか、信頼しあうかが大きな問題である
それが格差社会とか広域社会とかグロ−バル社会になると村社会とかとはまるで違った世界に生きるようになった、その時どうして信頼し合うのかとなる
だから契約が生まれたのは大陸だと異民族同士が信頼しあうことは非常にむずかしい
それで契約をしてその損失をまねがれるために細かいところまで契約書に書いて保証したとなる、それは遊牧民社会から生まれた、遊牧民は移動するから商業民にもなるからである、するとどうして信頼するかとなると商売してどうして損しないようにするかとなり契約したとなる、ただその契約でも破られることがある、それを守るのは軍事力だとなる
今なら警察力だとなる、強制する力がないと守れないとなるからだ
つまり商業でもどうしたら信用しあえるのかということがまずある
だからこの信用というのはどこでも問題になるのである

そして格差社会が悪いのは上と下で格差が激しいと金持ちの家に来て働く人が盗むように信頼し合えないのである、それを国単位になると国自体がまとまらない、離反して暮らすようになる、金持ちは盗まれるからと鉄条網を作り家を囲む、また外国の金持ちは私兵を雇うともなる、財産を守るためにそうなる
そうなると国自体がまとまらない、共同できなくなる、それがアメリカでも起きている
極端な格差社会であり数パーセントの人達がアメリカの富の半分をもっているとかなっているからである
そういう国はもう国自体がまとまらない、そこで対立も激しくなり内戦状態になっているというのもわかる、そこに格差社会の恐ろしさがある
金持でも安閑としていられないのである、絶えず盗まれるとか襲われるとか恐怖の中で生きていかねばならないのである、それが格差社会の問題であり世界的にもグロ−バル化するとアメリカのほんの一部の人達に世界の富が収奪される、金融とかでももうける人達がそうである、それは公平な市場ではない、操作された市場である
そこに信じられない格差が生まれている、そういうシステムが資本主義でもやはり破綻してゆくだろう、それは金持ちの家で働いて具体的に感じることができないから維持できるのかもしれない、外国のこととなると見えないしわかりにくいからである
でもこうした極端な格差社会はやがて信頼しえない信用しえないとなり破綻する
公平な富の分配がなく搾取されだけだとなるからである

つまり格差社会は互いに信頼信用しえない

このことが致命的になり破綻する、それは金持ちの家で働く人が常に盗むということでもわかる、食べ物でも差がありそこで互いに信用できないのである
つまりその格差でも大きくなければいいが大きくなると社会自体が分裂する
そういうことが世界で起きて来る、アメリカが内戦状態だというときそれが原因にもなっている,ヒスパニックなど移民が増えてその人達は英語もしりべられないとかなり意思疎通が難しくなっているからである、そして貧富の差も大きいからである
とにかく人間が互いにどうしたら信頼して信用するかが大きな問題なのである
広域化グロ−バル化するとそのどうして信用するのかとなる
村社会とはまるで違った社会になっているからである
大勢の見知らぬ人達が交わる社会でどうして信用する信頼することができるのかとなる
グロ−バル社会ではそれができないから破綻するとなる
株でも誰かがうまいこと操作して楽して大儲けしているとかなる
つまり株でも実際は信頼していない、それは八百長の博打と同じのようにも見ているのである、公平だと見ていない、だからもう株など信用できないともなる
そうして資本主義でも社会主義でも国自体が破綻してゆく、それが格差社会の深刻な問題なのである
posted by 天華 at 09:14| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題