2022年10月08日

汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択) (鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)


汽笛一声!文明開化を決めた資金調達若き大隈・伊藤の挑戦(NHK英雄たちの選択)

(鉄道開設に見る明治維新―鉄道開設百五十年)

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●鉄道開設でも日本は欧米の植民地にならないために苦慮した

当時の国庫には余裕がなく、「植民地主義を推し進める西洋列強に対抗するための軍備増強を最優先すべし」と唱える西郷隆盛らは、鉄道建設に猛反対。さらに、藩邸や兵部(ひょうぶ)省(軍務機関)の海軍操練所などがあった新橋から品川にかけての土地の買収問題も鉄道建設の行く手を阻みました。

日本初となる鉄道の敷設事業は、民部・大蔵両省の大輔(次官職)である大隈重信の主導のもと、民部省鉄道掛(がかり)により進められることとなった。

大隈は佐賀藩の出身で、精煉方が製作した蒸気機関車を見ていただろうし、西洋文明を尊重する土壌に育ったことも大きかった。日本を近代化させ欧米列強と肩を並べるためには早急に国を豊かにしなくてはならない。その一つの手段として、交通制度の整備が急務と考えたのである。そして「鉄道より軍艦を優先すべし」と主張する反対派を押し切って鉄道敷設を実現させたのだ。

実際に工事を指揮したのは、英国人鉄道技術者のエドモンド・モレル。さらにいえば、建設費も主に英国からの外債で調達し、汽車も英国製だった。レール幅は英国の規格に合わせた。ただし英国本国のそれではなく、植民地用の狭いゲージ(軌間)だった。このため、日本の鉄道は欧米よりずっと狭くなり、列車の幅も細くなってしまった。

資金や資材の調達は、パークスから紹介された英国人金融家のホレイショ・ネルソン・

レイに一任していた。ところが彼は、日本政府をだまして利ざやで儲けようとした。これが発覚すると新政府はレイを解雇したが、すでに中古の汽車や狭いゲージのレールが発注されていた。のちに大隈重信は、狭いゲージを採用したことについて「一生一代の不覚」と悔やんでいる。

いずれにせよ、当初の鉄道は、英国頼りでつくられたものだった。


これは興味深かった、明治維新を鉄道開設から見えるものがあった
明治維新はわかりにくい、良く日本だけが欧米列強の植民地にならなかったという
そして太平洋戦争はアジアの植民地解放の戦争だったという
そういうことは実際は明治維新を知らないとわからない
鉄道開設が明治維新の原動力にもなったことを知らないとわからない
なぜなら鉄道開設には巨額の資金が必要だった、その資金をどうするかがまず大きな障壁となっていたのだ

●金をいかに調達するかで苦労

●アメリカの資本家から調達ーでも経営権を渡すことで拒否

●イギリスの資本家からイギリス国家から資金援助を頼む

●国内資金でまかなう

ここに一連の資金調達の経過がでている

資金援助してもらいたいが経営権を渡すとそれは日本が植民地化されることにもつながる国内資金でまかなうべきだとか論議があった、でも急いでいたので資金調達を早くしなければならないのでそれもできなかった
最終的にはイギリスの銀行家が資金を調達できた、それは国家からではなく一銀行家であり経営権は日本にあり利益を出したら配当するということになった
その前にイギリスでも投資家がいて資金調達すると話しがあったがそれは日本が経営するものではなかった、それは契約書を良くみていなかった、まだそうした契約書に慣れていないからそうなった、見落としていたのである
そのことでアメリカではやはりインディアンを契約書でだまして土地を奪ったということがあった、欧米人はこの辺が巧妙であり契約書でもだますために使っていたのである

ではなぜイギリスから資金が調達できたかというとその頃イギリスの植民地化に収奪された国が反乱を起こしたりして政策が変わった、利益を出せばいいとしてイギリスの銀行が資金を出したのである、それは経営権を奪うということではない、日本人が経営して利益を出してその一部の利益を銀行に出すということになったのである

ともかくここで日本人は経営権とか独立して鉄道を運営することにこだわったのである
なぜなら外国資本が入り経営権がないと例えば鉄道を見守るとか保守するとかで軍隊まで駐屯するとかにもなる、実質植民地化されることを危惧したのである
それはイギリスがこれまでしてきたことでありそれを大隈とか伊藤博文はヨ−ロッパとかにも直接行ったので知っていたのである
明治維新の時上海でも高杉晋作が中国人がイギリス人に支配されて苦しんでいるのをじかに見ていた、それで日本は外国に植民地化されてはいけないと肌で感じていたのである
日本はとにかく欧米の植民地化されることを警戒していた
でも鉄道開設に関しては西郷や大久保利通などは薩摩は反対していたのである
軍事を優先するべきとして反対したのである
薩摩屋敷がありそこを鉄道が通ることにも反対したので海の方に鉄道を石積みで敷設したのである

鉄道開設に関してはまた庶民の反対も大きかった、篭屋とか馬車屋とか運送業が反対したりした、何でも鉄道と馬が競争したとかもある、それだけ鉄道というのがどういうものかまだ庶民はわからなかったのである
最初は鉄道の枕木は鉄で作ろうとしたが費用がかかることで木にしたのである
また橋でも鉄橋にしようとしたが費用がかかることで時間もかかることで木で作ったのである
最初はいろいろ苦労があった、その車両でも箱家とか見た人がいたこともわかる
家が移動するように見えたからである

●鉄道事業か明治維新を成功させた

日本は明治維新から鉄道の果たした役割が大きい、その後も日本は鉄道王国にもなった
イギリスがもともと鉄道を蒸気機関車を発明した、それはイギリスには石炭が豊富だったからである、まずエネルギーがないと蒸気機関車も動かない、エネルギーが大事なのである、それで日本の鉄道も常磐炭田があったが石炭を運ぶものとして拡大した
北海道でも石炭の産地でありその石炭を運ぶものとして鉄道は日本中にめぐらされたのである、つまり鉄道は石炭と一体となり発展したのである
鉄道は国家的事業だった、そしてそれは百年以上も国鉄であったことでもわかる
この国家的事業は世界にも拡大したのである、韓国に鉄道を敷設したのもそうである韓国の鉄道は日本が最初に作ったのである、そして朝鮮半島から満州鉄道が伸びて行ったのである、満鉄が日本の満州支配の原動力となっていたのである

ハリマンは、日本の財界の大物や元老たち、桂首相らと面会した際、日本はロシア帝国から譲渡された南満洲鉄道の権利を、アメリカ資本を導入して経営すべきだと主張し、アメリカが満洲で発言権を持てば、仮にロシアが復讐戦を企ててもこれを制止できると説いた[24]。9月12日、彼は日本政府に対し、1億円の資金提供と引きかえに韓国の鉄道と南満洲鉄道を連結させ、そこでの鉄道・炭坑などに対する共同出資・経営参加を提案した


「ひかり」の歴史は、日韓併合(1910年)までさかのぼります。日韓併合に合せて朝鮮鉄道局(以下「鮮鉄」)が設立、翌年の1911年に新義州と安東1を結ぶ鉄橋が完成、長春まで直通する「鮮満直通急行」が運転されました
明治45(1912)年6月、新橋〜下関間に特急(列車番号1/2)が運転されます。それに合わせて関釜連絡線の運行時刻も改正され、さらに鮮満直通急行が釜山にまで延長されました。さらに翌年、運転区間を釜山より釜山桟橋に変更、関釜連絡船との接続が重視されたダイヤとなりました。
船が釜山港へ到着後、目の前に停車している「ひかり」「のぞみ」に乗れば、朝鮮半島経由で大陸(満州)へ。そこからシベリア鉄道に乗ればヨーロッパへ。このルートが、当時の欧州への最短ルートでした。

ロシアから譲渡された鉄道が満州鉄道であった、アメリカを味方にしてロシアが満鉄を奪い返すことを防ごうとした、こういう時代もあった
金のない時代は飛行機が高いので鉄道を利用した、ウラジオストックからシベリア鉄道でヨ−ロッパへ向かった、日本からヨ−ロッパに行くには鉄道を利用したのである
私はウラジオストックからシベリア鉄道に乗り満州を回り日本に帰ってきた
外の景色はとうもろこし畑ばかりで飽きた、変化がないから飽きた
ただ満州となると相当に寒い場所だったのだろう、春だったのか大地が凍てついていたのである、日本人だったら満州の広さに驚いたろう、農業が主な時代だとどうしても土地が必要であり満州のような広大な土地があるということは驚きだったとなる

●明治は植民地化されなかった偉大な英雄の時代

明治を知ることは今の日本を知ることである、でもいろいろと錯綜していて明治維新はわかりにくいのである、確かなことは欧米列強の植民地化することに抵抗して自立するという意志が日本人にあったということである
これは日本だけがアジアでできたことでありそれは誇りとすべきものだった
でも太平洋戦争は確かにアジアの植民地支配からの解放というけどまた違っていた
とにかく明治は偉人が様々な分野で輩出した、それはなぜだったのか?
その偉人とはたいがい侍が多かったのである、だから明治維新は侍が成したものであり庶民ではないのである、侍が優秀だったから成したともなる
例えば宗教の分野だと内村鑑三がいる、彼も独立信仰を唱えた、外国人の宣教師を嫌ったのである、これも明治になかなかできないことである

カトリックとなるとそうしてヨ−ロッパ人に支配されたともなるからだ
内村鑑三が武士道とキリスト教を一体化したのである、ただ彼はヨ−ロッパの文明をキリスト教文明と見ていた、鉄道とかではない機械とかではないものとして見ていた
でも日本は鉄道とか機械とか便利なもの実用的なものを西洋文明として見ていたのである常にモラルを重んじていた、それも先見の明があったとなる
なぜなら今や日本人にはモラルすら消失したともなるからだ
ただそうして便利なもの機械とか道具が文明として追及してきたからである
不思議なのは仏教を取り入れた時はそこに確かに大仏とか仏像を作るとか寺院を作るのは技術力である、そういうものを取り入れたとしても本質的には精神的な仏教を取り入れたのである、でも西欧文明を取り入れる時日本は物質的なもの機械とか道具をその文明とみて取り入れたのである、その最大の象徴が鉄道だったのである

そういうことがあってもなぜ明治が偉大だったのか、その理由はやはり侍がいてその侍が日本人として独立心があり優れていたからだとなる
ただ現代をみれば侍などいない、太平洋戦争で戦った人たちはもう江戸時代の侍とはかけはなれていた、そもそも世界的にも戦争は貴族がしていたものだから外国でも何か違っていた、でも国民戦争になるとき戦争の形態が変わったのである
大衆戦争ともなったのである、機械戦争ともなったのである
だからそこに英雄がいないということでもそうである、英雄というときそれは極めて人間的な人だからである、でも現代の戦争には英雄は生まれない、ただ機械と物量の戦争であり人間的なものがなくなる、人間はただ機械より劣るものであり英雄は生まれないのである、ただ何か物のように人間が消耗されるのである
それは戦争でなくても文明は人間を物のように消費しているからだともなる
現代の戦争からは英雄が生まれないのである、ただ命が物のように消耗されるだけだとなる、そして死ぬ数が莫大なのである、何千万人も死んでもそこに一人の英雄も生れないのである

ともかく何か明治維新とかは人間的なのである、人間のドラマがある、だからこそドラマにもなる、太平洋戦争とかではドラマになりにくい、もちろんナチスとかでもそうであるただ大衆戦争であり人間の莫大な命が消費されるだけだともなったのである
核戦争になればもうそこには人間はいない、もう戦争することは人類滅亡にもなる
そういう危機がウクライナ戦争で迫っている、時代によって戦争の意味も変わった
もう戦争自体が核戦争となると人類滅亡の戦争となるだけなのである




posted by 天華 at 18:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層