2022年09月20日

昭和33年の新聞記事(3) (ラジオからテレビへの過渡期だったー女中も募集されていた)


昭和33年の新聞記事(3)

(ラジオからテレビへの過渡期だったー女中も募集されていた)

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68500円は当時では相当に高い
女中の手取りが8000円とか5000円とかなっている
そしたらいかに高いかわかる
でも私の家は中学頃にテレビを買っていたのである
父親が病気になり買ったのである

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昭和33年は何か高度成長が始まる時だった、なぜならテレビが出たからである
そのテレビの前に人がわんさと集まった、その頃テレビはみんなない、だからテレビがある所に人が集まった、その熱気はすごかったのである

ただその時代の面白いのはラジオが依然として使われていた
テレビが出る前はラジオが主役だった、ラジオだと声だけでりその声に耳を澄ます
何か恐怖小説がありその犯人の足音がラジオから聞いた時怖かった
そしてラジオというメデアは音だけであり姿が見えない
それでラジオで人気だったアナウンサーがテレビがでた時用なしになったのである
なぜそうなったかというと姿とか顔が写ると見映えが悪いと拒否される
なぜなら映像だとまず姿とか顔を見るからである
youtubeでも顔が問題になる、顔をまずみる、その人の発言することの前に顔を見る
こんな顔なのかと拒否する人もいるだろう
プログでも文章だけだったら顔が見えないししゃべることが下手でもいいとなる
でもyoutubeはしゃべゃ方を相当に影響している、声でも姿でも顔でも影響しているのである

ただyoutubeはわかりやすい、図で説明もできるしいろいろテレビのように映像を出せるからである、この写真とか図を出せることはプログでもできるのである
だから誰でもできるプログで写真と図でも動画でも一部出せるとなるとその表現力は意外と大きいのである
それでこんなものでも表現力があるなと感心するのである
これは誰でも簡単にできるものだからである
そうなると一人一人がメデアを持ったともなる、だから私は膨大なものを書いている
それはいくらでも書けるし誰も止めるものもいない、自分なり自由に書けるのである
発言できるのである、youtubeでもそうである

テレビ局と同等にもなることでテレビは衰退したのである
今までは動画となるとテレビからしか知り得ようがなかったからである
今や個々人は新聞社に出版社に雑誌社にもなれる、それがプログのようなものでもできるこの変化は大きいものである
ただyoutubeでもプログでも見られること読まれることは至難である
結局大衆受けするものは視聴率を稼ぐのはテレビと同じだった
でも別に金もかからないのだから少数者でも成り立つのである
テレビは金がかかる少数者では成り立たなくなる、宣伝費も入らなくなっている

昭和33年の新聞記事ではマスコミのことを書いているが膨大な本や雑誌が出されていた活字メデアが全盛期に入りつつあった、そしてまだ戦前からのメデアであるラジオが結構聞いていた、天皇陛下の玉音放送がラジオで成されたようにラジオが戦前のメデアであり映像に触れることはまれだった、ラジオでも大きな力を持っていた
ラジオだと手作りした人もいたようである、それほどむずかいものではないからできたらしい、昭和33年は古いものもがまだ残り新しいものが出て来る時期だった

それで不思議なのは職業の募集欄に女中と結構ある
まだ女中を東京で募集していたのか、戦前は女中が多かった、火事が電化されていないのだから頼んでいた、普通の家でも女中を二人雇っていたとかある
それだけ家事が負担だったからである、別に金持ちでなくても雇っていたのである
今なら大金持ちしか手伝いさんは雇いない、専用だと雇いない
家政婦も募集していたがこれも女中が家政婦になる変わり目だったのか?
女中に興味があるのは私の母親は大正生まれで東京に女中で働いていたからである
それは戦前のことである、でも集団就職とかあり東京に女中ではないにしろ手伝いとして働いた中卒の人がいる、だから依然として女中は東京で必要なものとしてあった
だからこの昭和33年はこうした古いものと新しいものがまじりあった社会だったともなる

親の介護でもめる兄弟ーそして一人っ子の介護 (介護は死んで終わりにならない-恨まれて死んでゆくことの怖さ)


親の介護でもめる兄弟ーそして一人っ子の介護

(介護は死んで終わりにならない-恨まれて死んでゆくことの怖さ)


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一人っ子という時点であきらめがつくし、覚悟は決められるし、意見を求められることも求めることもなし、、、兄弟いる人はもうこの際一人っ子と思ってしまえばどうでしょう。いくら言っても何もやらない人はやってくれませんし、、、。介護のヘルプを頼むのも身内よりも他人(介護サービス)に頼む方がずっと気が楽ということが多いです。

脳梗塞で倒れた母。きょうだいが分担して母を支えたいけど、次女は母に兄と姉と比較され「お前はダメだ」といわれ続けてきたため、「私は手伝いたくない!」と介護を断固拒否。

介護から逃げる他の兄弟に親が金を使うからムカツク。

介護から逃げた他の兄弟が、下宿までさせてもらって、大学院まで行かせてもらったから、ムカツク。

介護から逃げた他の兄弟が、家を買うとき、大金をもらっていたから、ムカツク。

人間はとにかく必ずいい面と悪い面がある、一人ッ子は親になんでもしてもらえるからいいとかなるしでも兄弟がいないと人間関係がうまく築けないとか介護でも一人になって困るとかなる、でもここでも兄弟が協力してやることはなかなかない

その原因が

脳梗塞で倒れた母。きょうだいが分担して母を支えたいけど、次女は母に兄と姉と比較され「お前はダメだ」といわれ続けてきたため、「私は手伝いたくない!」と介護を断固拒否。

兄弟でも良くされた人とされない人がいてそれが後々まで尾を引いている
その確執が意外と大きいのである、また遺産分配でも必ず兄弟でもめる
だから一人ッ子も問題だが兄弟がいても人間にはもめごとがある

その人は一人ッ子の娘がいるが親ともめて親にもう来るなと言ったという
糖尿病でその治療にも金がかかる一人で暮らしている、でも今家事でも一人でしている
確かに娘は隣の市にいて一週間に一回くらい来ているようだ
でも金は娘が管理している、それで毎日親しい女性が行っていてその女性も金に困っているので金を工面してやりたいができないという
その娘は一人ッ子でありなんでも与えられたとかかわいがられたという
一人娘だったら余計にそうなっていたかもしれない
でも介護になったら親を嫌がり金を出すのも嫌がっている
そして世話する女性への配慮もないのである

一人っ子だと何でも親に良くされたのだからそうならないはずだがこの場合はそうではない、私の場合は親二人を必死になって介護した、それは特別良くされたからである
それは60才までもそうである、だから必死になって力足らずでも介護した
自分が病気になっても必死になって一人悪戦苦闘したのである
それは特別良くされたことによる、今でも二人の親のことは供養しつづけている
親のことが忘れられないのである
ということは親が死んでも自分の心の中に生き続けているとなる
それは特殊な事情でそうなったのである

介護で90パーセント以上も介護で兄弟でも親子でも仲が悪くなる、それは介護をしたくないからである、それが相当な負担になる、金銭的にもなる
その一人っ子の娘はケチなのである、親のために金を払いたくないのである
だから世話している女性がいたとしてもかえって必要ないともしている
何か財産をとられるのではないかと警戒しているみたいだ
こうなるといくら一人っ子でも親が来るなともなる、これは娘が悪いとなる
でも介護ではなにかしらもめる、その負担が負いたくないからそうなる
だから兄弟でも一人ッ子になった気分で介護しろというのもそうなのかと意外である

ともかく介護時代でもある、だからこれからますます介護でいろいろな問題が起きる
それで事件が起きるのも日常的になる、負担になり自殺者まででる
つまり介護はもう家族だけでは担いないものにもなる
でも逆に今だと核家族化して家族だけでは介護が負担しきれないことにもなっている
それで家族遺棄社会にもなる、親が子供に捨てられるとなる
でも捨てられるにしても誰かがめんどうみなければならないということにもなる
二カ月間も死んだのがわからなかった人がいたがそういう人は死んだ時迷惑をかけても
介護などしてもらわないで死んだから迷惑はかけていないからいいのかとまでなる
そもそも誰も介護してくれる人がいないからである

介護の問題で大きいのは意外と介護は死後まで継続されていることである
死んだら介護の負担は終わる、でも実際終わっていないのである
なぜならその後に供養の問題があり死者と向き合うことになるからだ
それで非情化した娘は育ての親を見捨てた
その人は「ひどい娘だわ」と自分に言い残して死んだ、病気になってすぐに死んだからいい、その娘は介護などできないからである
でもそうして死んだ親を供養できるのか?とてもできないと思う
別に死んだら墓参りとか供養などしなくてもいい、誰もとがめられない、でも何か良心がとがめられるかもしれない、誰も見ていないとしても死者が見ているからまともに墓参りとか供養ができないとなる
ただその娘は三人親が変わった、でもその人には親はいなかったとなる
父親は別として母親はいなかったとなる
ただそういうことはどうなるかというと必ずカルマとなって苦しみとなって現れる
つまり今度はまた子に捨てられるともなる、それはわからないにしてもカルマの法則がありそうなる

なんらか人間は必ずカルマを背負っている、その総決算が60以後に起きる
例えば若い時の不品業とかも若気の至りでもそれが悔いるものとなりカルマとなり苦しみとなって現れる、そしてカルマをもたいない人は一人もいないと思う
別に金持ちの家でも恵まれた家でも何らかカルマを持つのである
つまり恵まれたことがカルマともなるのである
兄弟でもお前は親に一番良くされたのだからお前が親の介護をしろとされるのそうである兄弟でもそうして親に持つ感情は違っているからである

結局人間は必ずいい面と悪い面がでてくる、一人っ子はいいと見られても介護で他より苦しむ、では兄弟がいればいいかなとなるとそれも必ずもめる、だからすべていいとはならない、自分の場合は本当に死ぬほどの苦しみを介護でしたからである
それもそれだけ良くされたから自分はその苦しみを甘受できた、気持として介護することは苦しくてもできたとなる、そういう気持ちがあったからである
でもみんなそんなふうにならないのである、だからもめるのである

でも介護の問題のむずかしいのは介護終わった後も終わらない!

これが意外と深刻なのかもしれない、別にもう介護もふる必要もないし迷惑もかけいなのだからいいじゃないかとなるがそうでもない
死者を供養するということがその後にある、その死者とまともに向き合えるかである
「あなたは私に冷たくしましたね、それを私は覚えていますよ」とかなると供養もできないとなる、良心がとがめられるとなる
死者は必ずしも完全にいなくなったわけでもない、死者は冷徹に生者を見ているのであるだから死者の前には偽ることができないのである
それで介護で苦しんでも早く死んでくれとなるのが普通だが死んでしまうとみんなもっと良くしてやればよかったと反省している
それはなぜなのか?死者とはもう二度と逢えなくなるからである、だから後悔するのである、今度は何かしてやりたくてもできなくなるからである、死んだ人には供物をささげるくらいしかなくるならからである、死者はもう答えないからである

でもは死者というのは依然として生者の中に生き続けている
もちろん全く忘却される人もいる、それは生前のことが関係している
生前死者とどういう関係にあったとか、愛されたのかとそれ以外にも様々な家庭の事情があり死者との関係があり他者からわかりにくい、でも死者は生者の中に生き続ける
もしそうして生きつづけるなら死者は死んでいないのである
でもそうなるかどうかは生前の死者との関係によるのである
死んだからとして急に死者を思ったりしないのである、生前から互いに愛し合うとかあればやはり死者は生者の中に生き続けるのである
ただそれぞれの家族は複雑であり他者からわかりにくいのである
それで簡単に家族のことを批判はできないとはなる


威厳ある死者

死者は石のように硬い
雨風に打たれて死者は耐えた
死者は苦しくも生き抜いた
死者は堅く口を閉ざす
その前に生者は偽ることができない
死者は冷徹に生者を見つめている
生者は常に卑しめられる
しかし死者は今威厳あるもの
それは宝石のように硬い
その前に偽ることはできない
死者は生者に金を求めない
何も求めない
死者はもう餓えることはない
ただ真の心を求めている
死者と向き合うことは
自らを正さねばできない
死者に偽ることはできない
その前に人は厳粛であらばならない
死者はすべて消えるにはあらじ
依然としてその生を継続している