2022年09月01日

隠された村ー山の抽象画 a hidden village and abstract mountains


隠された村ー山の抽象画

a hidden village and abstract mountains


hiddenvilliage.jpg

hiddenswamp2.jpg

forestwaydark33.jpg

forestmountain4.jpg



darkmmm3.jpg

clifmmmmm4.jpg

summermountain5.jpg
summer mountains

forestriver111.jpg



隠された村があり
神秘の沼がある
沼には何がひそんでいるのか
深い霧におおわれる
その村への道は消える
村は山に閉ざされ隠される

There is a hidden village
And a mysterious swamp
What lurks in the swamp
Covered by a deep mist
The road to the village disappears
The village is hidden by the mountains

文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む (船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人)


文久元年ある城下町の一年(鈴木清著)を読む

(船でニシンを買いに行っていた相馬藩の商人)

gengou11.jpg

shipkitamae11.jpg
matumaeship111.jpg

●ニシンは稲作の肥料に利用された

nishin111.jpg

nishinhiryo1.jpg
北海道におけるニシン漁業と資源研究
https://www.hro.or.jp/list/fisheries/marine/att/o7u1kr0000000phw.pdf


ニシンの干物はかつて、『言海』に「貧人の食とす」と記されているように、下魚であった。『守貞漫稿』には、「鯡を江戸で食する者は稀で、もっぱら猫の餌である。京阪では煮たり昆布巻にする。かつぎ売りの品は昆布まきにする」

、北海道の日本海沿岸で生産された鰊粕が北前舟で本州へ移出され、菜種、藍、綿花などの商品作物の栽培に欠かせない高窒素肥料の金肥のひとつとして販売され、農村への貨幣経済の浸透を促した。しかし生産時には大量の薪を必要とするため、生産地では森林破壊が進んだ

乾物の身欠きニシン40貫(約150キロ)を1石と計測していた。生魚の場合には、身欠きニシン40貫に必要な200貫を1石と換算している。この石高換算は、松前藩の石高には反映されていないが、各地に千石場所といったニシン漁の盛んであったことを示す呼び名として残った

江戸前期の廻船は順風帆走や沿岸航法しかできず、大坂から江戸までは平均で32.8日、最短でも10日も要していた。しかし上記の弁才船の改良や航海技術の発展により、江戸後期の天保年間には同じ航路を平均で12日、最短では6日と大幅に短縮されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%82%B7%E3%83%B3

海の恵みを大地に返す。北海道西北部の港町、留萌市から産出される年間約3千トンのニシンの加工残さからアミノ酸を豊富に含む天然有機肥料「スーパーアミノ10」が誕生した。その肥料を与えられて育った道産米はふっくらと大きく実り、旨味も豊か。
https://www.hint-sapporo.jp/features/pickup/7

ニシンと主に稲作の肥料として利用された、農業というのは肥料が最大の問題なのである農業の始まりは焼畑農業であったことでもわかる、森の木を灰にしてそれを肥料としたのである、また害虫も死ぬからそれも効果的だった
ただ人間の職業がなんでも業(カルマ)となるように焼畑農業でも森を破壊するから自然破壊になっていたのである、
ニシン粕(かす)生産でも大量の薪を使うということで森林破壊していたというのも意外なのである、何か人間のすることは必ず自然破壊に通じているのである

草木灰の主な成分は、石灰、リン酸、ケイ酸、カリウムです。石灰分が多いことから、苦土石灰のように土をアルカリ性に傾ける効果があり、草木灰が白いほどアルカリ性が強くなります。また、カリウムは水に溶けやすいことから、速効性がある肥料の1つとして利用します

そもそもなぜ相馬藩が松前までニシンを得るために船で行ったのか?

松前となれば遠いのである、また船だと危険なのである、そんな遠くまで行くメリットがあったのかとなる、現実に破船したとかあり遭難があった、船に遭難がつきものなのである
だからそれほどまでして松前に行く理由がわからないのである、言えることはそれだけ農業というのは肥料が生命線なのである、今回のロシアとウクライナの戦争でもわかったことはロシアから輸入していた肥料が入らないことで高くなることで苦しくなったことでもわかる、また糞尿でも肥料にしてきたのはなぜか、窒素とかリンがありそうなった
肥料なくして農業はないのである
ただ相馬藩内でも漁業をしていた、でも肥料にするほどの魚はとれなかったとなる
それで相馬藩の他藩へ売るものは米だったのである
米を積んで松前まで運びニシン粕を運んだのである
何かこの辺で小さな畑をしていた人は角田にいい肥料があるとして鶏糞があるとしてわざわざ買いに行ったことがある、いい肥料があるとなるとこうしうて遠くまで買ういに行くとなる、現代ではいい肥料はロシアとかにあるとなっていたのである

●相馬藩の小さな湊でも船が入り荷を運んでいた―塚原の人は新潟から来た米商人か?

中湊の近藤長四郎(茨城県ひたちなか市の商人)千代久吉殿が仙台荒浜への下りだと立ちよった
米を売ってほしいとのことで十両で米を25俵沖渡しの相場を申してきた
相談に応じるべきかどうか御上に伺いを立てなければならないというととけば引き合いにならないと早速出立してしまった

永昇丸 公用船、松前で購入

吉田屋源兵衛手船、乾々丸破船、弁財五人乗り、船頭弥七(中津大津屋治兵衛の子)
9月4日松前城下湊で破船

又吉殿が寒風沢へ永昇丸を廻すように申し渡した

福島、二本松、梁川、へ申しだしおいた秋味(鮭)の売さばき方で海産物商人が出張した
永昇丸(公用船、吉田屋源兵衛手船)が中湊より原釜へ廻るとのことで明後日まで当方を出帆して松前へニシン買い入れ下る手はずになっている

塚原(小高)で千七百俵、小浜(原町小浜)で千俵、受戸(請戸)で瀬戸三百俵積受するように仰せつけられた

聖天丸―松前通之船も今暮れ(原釜に下船した

亘理の永田屋万七殿が江戸仕入れの登りかけに吉田屋にたちよった、仕入れの品々を原釜に積下したいと申し入れがあったがもはや当夏は下り船がなくもし船あれば末永く取引できそうな人なので手厚い取り扱いをして御積み入れ御頼みしたいの文通で丸屋清七殿への添書を同人へ渡した

西街道御上がりの折、川又の湯屋弥七という者が止宿へ罷り出て,砂糖、琉球類を一ケ年
百駄ずつ受戸浜に陸揚げして川又へ通り荷したん嘆願のところ、願いの通り御聞済になりこの度弥七が江戸表仕入れで受戸浜市十郎船得運丸へ積下った由

平潟の相馬屋万平殿(茨城県茨城市平潟町の商人)より来る状があった
亀友丸(吉田屋源兵衛船)が岩城の板類積下りのところ去月二十五日積仕舞い、同二十九日に同処を出帆のこと

永昇丸が原釜へ出帆して無事に松前城下に着いてそれよりニシン売りを積むつもりであったが節遅れで昆布を積んで運賃取などして利潤を得た

松前城下より積み荷して予定のところ三日の夜大時化で同湊で50余艘の破船があった

塚原よりの飛脚の者へも書状を出したが、小浜廻米奉行がかれこれと申し、御積立てが延引になった、船のためにもならないので、今朝志賀様より小浜廻米奉行高野への御用状を貰い、また追飛脚を差し立てた

今朝御用状持参で熊人を以って塚原へ差し立てたがとても五七日では積み立てはむずかしいので原釜へ廻すことのこと

松前箱館に御出張の佐々木と大友氏の御両人への書状
内容は永昇丸羽破船について、弥七、久蔵の到着以来、この代船、この度御制立なされること御治定になり、金三百両を渡し、越後新潟に出張申しつけられたのでニシンを買い付けの御手当てを下され・・・・

先月二十日に小高郷村上浜へ乗り上げた寛勢丸(石ノ巻の高橋屋の手船)
1700石積、塚原村村上村堺の川場で破船

塚原より熊人が来た、己百丸がしばらく昨日から今日まで先に九百俵積み、残りの二千俵余も積み切った、船頭は原釜より浜回りして塚原へ参った
塚原よりの人を召し入れて夕七つ半出立した
松前通船の永昇丸の代船を御上にて再興したいとの思し召しがあった
伊勢で御造船の予定である

船代金でこの度越後新潟で二三才くらいの船を旧冬中に買い取り中荷は御上がり
・・・・
元船頭、永昇丸久蔵へ迎町の平井氏に大工を付き添わせこれに買い船代金の二百両を渡し予定である、出張先で万一買い船がないときは同所で新規の造立の予定
六百石積・・・なり

一昨日までにしばらく己百丸(去月五日原釜へ下帆した船)が塚原での積み立てが出来、今暮、御帰りとのことである、古穀二千七百五十俵、早速出帆した

小浜とか塚原とかには湊があった、でもそこから江戸までは行かない、大きな港は原釜と受戸(請戸)である、そこに米を集めて江戸まで運んだ
また寒風沢(さぶさわ)は塩釜でも必ず船が立ち寄る場所になっていた
石巻から仙台藩の米が大量に江戸に船で送られた、では相馬藩から江戸へ送られたのか?その辺がはっきりしない、阿武隈川の船運があり荒浜から江戸へ船を運んだ
一旦荒浜とかに相馬藩内の港から米を運びそれから運んだのか?
ただ途中の茨城県の平潟とかを中継して中湊とかを経由して江戸に運んだ
そこで積荷を別な船に代えたということもありうる、江戸まで船で行くことは当時むずかしい、松前で破船があったからだ、海は常に危険であり遭難がつきものである

そして不思議なのはなぜ新潟と関係していたのか、新潟で新しい船まで作るために行っている、そして小高の塚原というのは意外と関係していた、

小高には湊があり大船が出入りしていたが津波で消失した

(文禄二年の相馬藩の士禄の記録が語るもの)
http://musubu.sblo.jp/article/102082176.html

ここにおん船という記録が異常に多いのである、塚原には多数の船が入ってきて船を持っていた人が多かった、塚原は高台にあったがその前は海でありもともと蔵院とかあり船が入ってきた場所だったのである、なぜ小高城が浮舟城とういのか海に浮いている船というときその前は海だったからである、入江であり湊となっていたのである
だから津波で海になり小高駅の下の水道管から街の方へ海水があふれだしたのである
つまり駅から海の方はもともと海だったのである
それは浜吉田もそうだった、駅前は海になったからである、海が遠いようで近かったのである

塚原というとき小高の大工さんは塚原であり高い場所でも津浪に襲われた、立派な家を苦労して作ったが放置されている、息子は仙台市に行ったとか放置されて本人は原町に住むようになった
その人は家が米を売買する商人だったらしい、米を取引する家で不思議なのは新潟から来たとしている、一時は相馬市に住んで小高に移り住んだとか言っていた
なぜ新潟なのかというときどうもこの文久時代に米の取引があり松前に相馬藩内から商人が船で行き来していたのである
それでも松前となると遠い、でもこの時代の記録にあるのだから確かである
なぜそん遠くに行ったのかとなるとニシンが大量にとれその粕が稲作のための肥料になったからである、そんな遠くにわざわざ肥料を買うために行ったのかとなるが農業にとって肥料ほど大事な物はないのである、農業は肥料を作ることが主な仕事になるのである
だからこそ松前まで危険でも船で行ったとなる

もともと鉄の素材を買うために受戸(請戸)では船で宮古から買い入れていた
そして葛尾村まで運び加工して製鉄していて葛尾大臣が生まれたのである

●歴史とは地歴であるーその場に生きていた跡をたどること

歴史を身近にするにはやはりそれぞれが生きている場所から始まる
歴史はどうしても日本史とか世界史とか大きなものからはじまる
でも歴史の始まりは家の歴史なのである、それが一番身近だからである
聖書でもそうである、神に選ばれた人の家族の歴史を記したものでからである

この文久時代の記録をたどりその時何が起きていたかただ事実を羅列していてもそれが
貴重になる、なぜなら記録というのが残らなければ過去は知り得ないのである
そのために記録が大事になる、ただ記録があったとしても昔を偲ぶのにはどうしても想像力が必要になる、相馬藩内だと地理がわかり場所も特定できるから身近になる
文久というとき明治と密接に結びついている
文久生れとなると明治に活躍した人達である、内村鑑三とかは文久であり新島襄とかは天保である、つまり江戸時代の終わりはすでに明治に生きる人達なのである

ただわからないのはこの記録では原釜、小浜、塚原、請戸が出て来る、でも鹿島区の八沢浦とか海老浜は出てこない、八沢浦は江戸時代まで入江であり船運があったという記録がある、また湊という地名もあり海に面していて湊だったのである
それが津波じ消失した、海老も前が海であり船が出入りしていた、右田浜は干拓されて右田の松原が作られた、それは江戸時代である、でも津波で消失した
烏崎も今も港であるが村は津波で消失した
ただ文久時代をみれば原釜、小浜、塚原、請戸が中心になり船運があったとなる
大きな港は原釜であり請戸である

ともかく歴史とは空間軸と時間軸から形成される、そして地元の強みはその土地に生きているからその土地から昔をたずねる、すると何か土地は変わらないから過去が具体的にイメージできるのである
それで双葉町の新山で私の父親が酒屋で働いていた、今もあるのは煉瓦の煙突がある富沢酒店である、それは記録にも残っている、でも私の父親が働いていた酒屋は消失した
でも父親がここで働いていたのだなと思ったとき不思議な気持ちになった
その道を歩いた時、何か歴史を父親とのつながりを感じたのである
歴史とはやはり場が影響している、そういう空間は場は消えないのである
でも双葉町のように最近避難解除になったが住む人がいないと死んだ町になり過去も死んでしまうとも感じた、ただ父が歩いていて私もそこを歩いているということで歴史を感じたのである

歴史とはむずかしいことではない、過去を生々しく感じたら歴史が身近になる
だから歴史は祖父母などでも親でも聞いた話からはじまるとなるのである
聖書自体がそういうものだったからである、歴史というとき何か大きな国とかの歴史ではない、個々人の血の通った場所に通じたものが歴史なのである
今回通読した文久元年、ある城下町の一年というのは確かに記録の羅列なのだがここに生きている人にとっては身近なのである
そこに確かに自分の祖先が現実に生きていてその子孫も生きているからである

我が父の歩みしこの道親しかな虫の音かすか新山の道

こんなふうになるのである、他に姉がシンガポールの向かいのジョホールバルで従軍看護婦として辛酸をなめた、四年間地獄の苦しみに生きた
もし自分もそこに行けば何か歴史を具体的に感じるのである
戦争の是非とは別にやはり親とか祖父母から聞いた話は身近になるからである
歴史は空間軸と時間軸で作られるという時、具体的に理屈ではなく死んだ人でも生きているように感じることが歴史を感じることだともなる
この本に記された記録は確かに自分の先祖が記されているということで身近になっている人もいるだろう
ただ歴史というのは想像力が必要になる、記録から何をイメージできるかになる
ただ記録の羅列から何もイメージできないこともある
それで記録が大事でも過去はドラマとなる、それは何か事実をゆがめるし歴史ではないともなる,ドラマと歴史は違うのである
でも記録からドラマも作られる、ここで商人の苦労があり船で商売する苦労が語られている、破船もあり遭難もある、海は常に危険でありそれ故に必ず無事に帰ってくれることを海で暮らす人は思うのである
また琉球類というとき砂糖がありこれも貴重だった、砂糖は琉球しかからしか入らない
だから砂糖を使うことはそれでお菓子を作ることは相当に貴重だったのである
あんこでも佐藤を使うからぼた餅などは滅多に食べられないとなっていたのである

いづれにしろ記録は意外と大事である、何でもいいから日々記録していることが後で貴重になる、全国を世界を旅したが忘れている、外国だと余計に忘れる
写真をみてもどこで撮ったかも不明になっている、人間は忘れ安いのである
プログで15年も書きつづけいるけど自分の書いたものも忘れる、そして読み返してみて自分で感心しているのも不思議なのである
つまり人間とは忘れやすいのである、だから百年前とかさらに400年前とかの記録となると記録として残っているだけで貴重なものになる
それでこの辺で相馬藩で二行だけ生波(いくなみ)で津波で700人溺死と記されていたことほど貴重なことはなかった、でも学者すら知らなかったのである
津浪が来て調べたらわかったのである、その時代に津波の被害を受けた人は自ら記録を残すこともできなかったのである
今は膨大な記録が残るから忘れられることはないだろう
映像でも記録されているから過去が蘇るとなるからだ
それで明治時代に東京駅の前を荷馬車が行き来していたというこも驚きである
車がない時代であり運ぶのやはり荷馬車だったのである

いづれにしろ記録だと無味乾燥にもなるが学問はそういうものでもある
ドラマとか小説とは現実は違っている、だから地味なのである、でもその地味なことでも記録したものを知ることは大事だということである
それがこの辺の二行だけ残された生波(いくなみ)で津波で700人溺死の記録なのである



郷土史というとき電子化してキーワードで検索するようにする
特に相馬藩政記など記録が膨大なのだから簡単に検索できるようにするといい
図書館で調べるのがめんどうなのである、本でもめんどうになる
だからもう図書館には行っていない、忙しくなったのと調べるのがめんどうだからである
コピーしたりとかめんどうなのである
私の書いたものは膨大でありキーワードで検索できる、それが読む人には便利なのである
ただ著作権の問題があってできないという面はある
古いものは著作権切れたものは国会図書館で検索できるようになったのである



posted by 天華 at 18:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2022年09月02日

浪江を偲ぶの春の短歌 (ふるさとの文学散歩―常盤芳秀の歌−津波原発事故で失われたもの)


浪江を偲ぶの春の短歌

(ふるさとの文学散歩―常盤芳秀の歌−津波原発事故で失われたもの)



大堀に陶工の技代々に磨くも良しや春の日たずぬ

大堀に買いし陶器の我が家にありてなじみぬ春の日暮れぬ

高瀬川流れのひびき高鳴りぬ春の日さらに上に登りぬ

高瀬川登りてあわれ葛尾に磐城落合の名そ残りけり

浪江町今は荒れにし悲しけれ昔の栄もどることなしも

浪江町生きにし人やその墓地も荒れて捨てられ春も悲しも

請戸港昔栄えぬ江戸にしも松前にしも宮古にしも行く

誰か住む津波に流さる家の跡椿の咲くも人は住まじも

古き蔵残れる家や戻りきてここに住みなむ椿咲くかな

請戸港昔の面影ここになし春の日さすも高き防波堤

甚大な津波原発その被害春のめぐれど立ち直れじかも

長塚に銀行ありと姉遊ぶそのこと聞きしも遠くなりぬる



ふるさとの文学散歩―浪江町の文学碑ー常盤芳秀の歌(1860−1920)−松本博之著

澤井屋という金物店を経営しながら詩文をよくし、すぐれた書家でもあった
万延元年江戸で桜田門外の変が起り幕末動乱の歳に浪江で生まれた
父は剣を斎藤弥九朗道場に学び、新道無念流免許皆伝の腕前であったという
事あって諸国を遍歴し旅の途中この浪江に立ち寄ったところ人物を見込まれて常盤家に入ることになった

芳秀はこの父に剣の道を学び、明治八年藩錦織晩香が幾世橋村に開設した希賢舎で漢学を学び塾頭をつとめた、また国学派の歌人海上胤平に歌学を学んだ

芳秀の師の海上胤平は千葉県海上郡三川村に文政一二年(一八二九)に生まれ江戸で千葉周作に剣を学び・・・

師弟の縁がどのようにして生まれたのかはわからないが、金物などの商品を仕入れるために請戸港から年に数回金物などを仕入れるために廻船に便乗して上京したという、その折東京の師の居宅を訪ねたのだろう

この人は大和田建樹と同時代の人だった

浪江波うつ稲の穂の
長塚過ぎてゆたかなる

鉄道唱歌を残した人だった、他にも短歌を多く残した
ここに長塚とあるのは双葉駅とは後からできたものであり元は長塚だったのである
私の父が双葉の新山に酒屋の丁稚として働いていて長塚に銀行があったらしい
銀行というものはめずらしいものでそこで子供の時遊んでいたか言っていた

この文章は江戸時代の状況を現している、必ず侍は剣の修行をしている、だから父は剣を斎藤弥九朗道場に学び、新道無念流免許皆伝の腕前となっていた
どこかの道場に属して剣の修行をしていた、それは良く時代劇ででてくる
道場破りとかでもそうである、この人も諸国を回っていた、そうして浪江の常盤家に養子となったのかとなる
そういう父を持ったのが芳秀だったのである、ここにリアルな江戸時代の人間が語られている、常に文武両道であり文は短歌であり国学になっていた

そこでここで注目すべきは

金物などの商品を仕入れるために請戸港から年に数回金物などを仕入れるために廻船に便乗して上京したという

ニシンの買い入れのために北海道の松前まで原釜からも請戸からも船が米を積んで行ったということを書いたが江戸にも行っていたのである
ただ江戸へ運ぶのは米とかであり乗客は運ばない、ただそこに便乗させてもらったのである、ただ江戸から金物を仕入れるということはあった
江戸時代には鉄道はなく船が主な交通となっていた、小名浜から石炭を積みだして東京に運ばれていた、常磐炭田があり鉄道ができる前は小名浜から石炭が運ばれていた
ともかく船が運ぶために利用されて江戸まで通っていたことは確かである

その鉄道にしても

一と筋の煙を立てて走り行く車屋形の早くもあるかな 芳秀

こんな感覚だったのである、車屋形とはまさに車が家になっいてる屋形になっているというふうにも見た、そういう感覚だったのである
煙はくとは蒸気機関車であり石炭を燃やして走らせていたからである
私が蒸気機関車で原町の高校に通っていたということも信じられないとなる
覚えているのはトンネルがありそこで煙が出て顔がすすけたということがあった

江戸時代から明治の変化で大きいのは鉄道が全国にめぐらされたことなのである
それまでは関所があったし簡単に藩の外にでれなかったが切符一枚で全国どこにでも行けるようになったからである
だから鉄道が新しい日本を開いたとまでなっていたのである

ともかく浪江町は本当に津波と原発事故で変わり果てた、復興はしていない
2万人いて一六〇〇人帰ったとしているが残ったのは主に老人である

残念だったのは大堀焼きの窯元があった場所である、高瀬川があり場所が良かったのである、それが窯元は散り散りになってしまったのである
失われたものが余りにも大きすぎたのである

大堀に窯元並び技磨くその日は還らず春も悲しも

どうしてももう在りし日は帰ってこない、その損失は回復しない、これが津波だけだったら海側の被害だけにすんでいたのである
原発事故がそうしたのである

おちこち(紀行文集)(明治) 大和田建樹を読んで
posted by 天華 at 21:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年09月03日

人間は育った家の影響が大きい (農家に育った女性の話)


人間は育った家の影響が大きい

(農家に育った女性の話)


小高の70代の女性は花にくわしい、そして花の手入れができる、生け花もしていた
だからその心得もある、同じ年代で話しも合う、山羊を飼ってその乳を飲んでいたというその時私の父親は戦後まもなく牛乳がなく牛乳屋に並んでやっと手に入れていた
そして学校では脱脂粉乳を飲まされていた、それがまずかった、でも同世代だから話しが通じるとなる

その女性の家は石川県から越中の方からの移民が先祖だった、だから真宗で南無阿弥陀仏である、それで私は必ず墓地で墓を見ている、たいだい南無阿弥陀仏であり苗字は記されていない、・・家の墓とはなっていない、ただ墓誌には記されている
相馬藩では天明の飢饉で三分の一の人口が消失して欠け地が荒地となって石川県とか富山県とか越中の方から移民を受け入れた

当時人が移動することは簡単にできない、それで命がけでも相馬藩に移り住んだ
ではなぜそれほどまでにしてこの地に移って来たのか?
それは荒地でも土地が自分のものとして与えられることになったからである
三分の一の人口が減ればそうした荒地は誰のものでもなくなり与えられたとなるからだ
江戸時代となると今の状態とは違う、もともと空地荒地が多かったから余計に土地を得られということで移住したのである、でもここに移動するのが危険だったのである
相馬藩内では必ずそうした移民がいるからめずらしくはないとなる

その女性は何かハキハキしていろいろ知っている、でも夫を十年間脳梗塞になって介護したと言っていた、この脳梗塞になる人が多く他にもそういう人を知っている
脳梗塞になっても簡単には死なない、でもその介護は大変だとなる
近くの同級でも二人が脳梗塞になっている、一人は足が悪くなったとか一人はろれつが回らなくなったとか後遺症がある、一人は救急車で一命をとりとめたとかある
脳梗塞は後遺症があるからそれで苦しむ
その女性も具合が悪かったが回復したと言っていた
ただ小高で浜の方で家が津波で流された、そして今は原町区に移り住んでいる
孫もいて家族がいるからいいとなる

人間は育った家に相当に左右される、農家に育った人はやはり農業のことを現実に手伝っているから知っている、その知るということは本を読んだりして知っているのとは違う
自ずと肌で知っているとなる、体で知っているとなる、つまり農業でも体験しないとわからないのである
家の影響が大きいというとき事業をする人は経営する人は商売人の娘をもらいというとき事業は経営は家族ぐるみになるからそうなる、特に小規模の会社などは家族ぐるみになる、すると商売している娘は肌で商売のことを知っているから夫の助けとなる
やはりそういう場所で育ったから自ずと理解できるとなる
江戸時代までなら家業を受け継いでいたから仕事を選ぶことで悩むことは少なかった
そういう環境に育って受け継げばいいからである

でも向いていないことはある、何か農業を継ぎたくないと親と争い事件になったニュースがあった、それは日ごろ農業をみていてかえって嫌になったということもある
つまりその苦労が肌でわかるらか農業をしたくないとなったのだろう
人間は向き不向きがある、例えそういう環境に生まれても合わないということがある
だから医者の子供がみんな医者になるのは問題なのである
どうしても向かない人が医者になると後で患者でも迷惑かけることになるからだ

でも農家に嫁いだ女性でも全く農業を知らない人がいた、それはもともと農家であっても土地をもっていても夫は会社員になっていたし嫁も農業をしないからである
だから花のことでも関心がないのが淋しいとなる、何か生活感覚がないのである
農業している家の人は生活感覚がある、それで話を聞いていると興味深いとなる

戦後まもなくは農家の方が豊だった、なんでも自給自足であり納豆から油まで作っていたそして鶏を飼っていたから卵が食べられたのである
私の家では店をしてその卵を買うために農家に行かされていたのである
その時は農家が中心の社会だったのである、戦争の引揚者でも鹿島区なら小池とかに開墾に入った人を知っている、そこは街から近いのである
飯館のような山の奥ではないのである、でもそこに空いた土地がありそうなった
その時仕事がないから引揚者が全国で開墾に入った、でも厳しいから半分くらいは撤退したとかある

農業というとき実地に体験していなくても一応子供の時から回りが田畑なのだから見ている、それで話しを合すことができる
ただ牛を飼っていたとかなると馬でもそういう動物と親しくなることが理解できない
だから牛馬となると野馬追いとは違って日々の生活の中で動物にふれるのだから家族のようにもなる
youtubeとかでライオンでも虎でもワニすら助けて育てたとか子供の時からめんどうみたとなるとその人のことを忘れない、20年もたっても忘れなかったということでも驚く
動物でも情は通じていたのである、子供の時、ライオンでも虎でも熊でも一緒に育つと大人になっても仲間であり争わないのである
餌をやっていれば争わないのである、だから一緒に育てば血縁でなくても種が違っていても兄弟にもなるのである

ともかく戦後十年の体験は貴重だった、電気もガスも水道もない、食事は卵すら食べられない粗末なものだった、それで今日もコロッケ明日もコロッケというのをコロッケを食べて思い出した、つまりオカズがそんなにないからそういう歌ができたとなる

今日もコロッケ 明日もコロッケ
これじゃ年がら年中 コロッケ コロッケ

それだけ今のようにオカズの種類がなかったのである、これも同年代と話しして思い出したのである、でも戦後十年以上になると豊かになってきたから年代でも10年違うと相当に体験したものが違って理解できなくなるのだ

何か老人になるとこうして昔を語ることが仕事にもなる、でも忘れていることがあり
思い出す作業が必要だとなる、それで同年代だと話しているうちに思い出すのである
これは認知症になっても昔のことは覚えている、だから話しができないとういことでもないのである、ただ戦争のことを千回も聞かされたのには閉口したのである

小高の人は原町に移り住んでいるし鹿島でも相馬市でも移り住んでいる
ただ小高は小高とかなることもある、でも小高に帰り住む人は少ない、若い人達は流出した、それが何か遠くへ仙台とかまた東京の方に移り住んだ人もいる
残されたのは老人なのである、だからとても小高でも浪江でも双葉でも復興できるように思えないのである
そうはいっても復興するというときやはり人間の意志が関係している
意志とはwillであり意志があってこそ未来はあるとなる
復興できないとあきらめればもう復興はできないのである

でも老人の問題は体力も衰えるし気力でもそうである、それで農業でも継がれないのである、それでやたら荒地ばかりが増えているのである、耕作放棄地とか空家が増大しているのである
何か釧路辺りでも街が寂れている映像をyoutubeで見たし温泉街でもそうだし日本全体が縮小して寂れてゆく、この辺は原発事故で極端にそうなったのである
でも日本の未来が何か荒地化して空家化して廃墟化してゆくことの恐怖である
戦後間もなくのように引揚者が悪い土地でも開墾するとかはない
江戸時代のように越中の方から土地を求めて移民することもない、農業だけの世界ではないから昔のようにはならない、するとますます廃墟が広がってゆくとなる
人口縮小時代に入っているからである
だからコンパクトシティのような街作りになるのか、とても農業だけでは生活する時代は終わっているからである
農業といっても大規模農業は盛んでありそこはかえって裕福になっている
でも小規模農業は成り立たなくなっている、でも実際の食糧は大規模農業から供給されているのである、小規模農業は補助金を与えても採算がとれないのである

人間と牛でも馬でも一体化した時代を偲ぶと

山々かすみいりあいの
鐘はなりつつ野の牛は
静かに歩み帰り行く
耕す人もうちつかれ
やうやく去りて我一人

明治翻訳史の一断面
ー大和田建樹を中心にして―岡本昌夫

牛が大地の上にあり鐘がなり人間と牛は一体化する
自然の中にともにとけこむ、今は車とともにありそのために心までぎすぎすして余裕がない、車に明け車に暮れるともなるからだ、
つまり牛馬とともにあったとき牛馬も生物だから一体となる
それが今は暮らしのなかで消えた、飯館村には牛が飼われていたが牛肉の牛である
ただ牛がいるということでやはり動物と一体化する
それで十匹の牛に名前をつけていて覚えていたという
まさに牛でも名前がついていて人間化されていた
今なら人間は番号で呼ばれているのである、数字化されて索漠となる
そして車が常に縦横無尽に走り歩く人や自転車は邪魔物とされる
それも非人間的なことなのである、現代は情を育む環境がなくなっているのだ
機械時代になると人間の代わりが機械とかロボットにもなってしまう
それも必要でもそこに情は失われてゆく、そして人間は一票として数えられ一個の人間として見られるあることが現代ではできないとまでなっているのである




2022年09月04日

宗教の献金の問題 (宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)


宗教の献金の問題

(宗教団体でも集団化組織化は利権、権力団体となる)

●宗教の組織化団体化は権力化

今統一教会で多額の献金は禁止すべきだと議論していた、それぞれの収入に見合ったものに制限する、法律化するべきだという提言があった
ここで弁護士とか法律から規制しようという発言があった
弁護士にはカルト教団の被害者からの訴えがありそれに答えるためにそうなった
消費者庁とかありその大臣が発言していた

そもそも人間は集団化組織化するとそこは利権団体になるのではないか?
民主主義とはそうした様々な利権団体に推薦されて力を持つ、政治にもかかわる
どうも自民党が前は票田としていたのは農家であり農協とかが票田となっていたが
その力が弱まって他に頼るようになったとかいう
それでカルト教団でも票になるとか選挙の応援をしてくれるとかで統一教会とかかわった議員は喉から手が出るほど票が欲しいからである
それも一票とかではないまとまった票が欲しいからである

だからこそ創価になると一定の票があてになるから連立になった
それは政教分離に違反していても自民党は責めないのである、一連托生になっているからだ、創価の票がないと当選もできないとなり創価のことは批判しないのである
マスコミも批判しない、なぜなら聖教新聞を刷らせて資金援助している
福島民報などがそうである、毎日新聞でもそうである
そうしてマスコミはとにかく金がかかりすぎるのである

そもそも一軒一軒新聞を配ること自体手間なのである、そこに資金がかかりすぎるのである、インタ−ネットになれば全国に配信するのにも個人レベルでできるとなる
だから報道はテレビ局だと六局しか放送できなかったとかなる
それで絶大な力をマスコミは持ったのである
それがインタ−ネットが発展して個人がテレビ局をyoutubeなどで持つようになった
テキストだと文章だとプログとかで新聞社にもなった
その変化が大きかったのである、今はテレビを見なくても別に困らないのである

宗教が組織化集団化すること自体権力を得ることでありやがて日本国でもその権力で支配することを目指している、実際この世では特に民主主義になると確かに個々人の自由があり権利を主張できる、でも一人だったら誰も相手にしない、それはボランティアすらできない、20人くらい集まらないとボランティアもできないのである
つまり民主主義はすべて数で決められる、数の力で決められる、それが権力になる
だから田中首相は政治は金と数だと言ったのである
金と数が最大の権力になったのが現代だからである

●宗教は個々人の心の問題だが集団化組織化すると権力利権団体になる

経済活動でも一人が買い物するのと十人が買い物するのとでは十人を相手にする
一人などどうでもいいとなるのが社会なのである
一人は相手にしない、私は個人というだけで本を置くのを地元の図書館とかで断られた
そこに管理する公務員がいてそうなった
その公務員というのは権力を持っていたのである、それも一人だからそうなった
私は会員十人の代表ですとかなれば公務員でも権力をもっていても考慮することになるのである、まず一人などどこでも相手にしないのである,ボランティアにすらなれない

こうなるとどうなるのか、人はどうしても権力を持とうとする、権力を持つためにどうするのかとなる、それは宗教でもそうなのである、宗教でも一人など相手にしない
権力を持つために数を集めることだとなる、だから創価でも他の宗教団体でも常に会員を増やすそれを一票に結びつける、それが日々の活動になるのである
でも預言者とかは一人だった、日蓮は預言者であり一人で時の権力者と戦ったのである
だから今の組織化集団化した宗教団体は全く別物でありただ権力を得るために活動しているのである、聖書でもそこはある一人の人間を選び神の実在を示したのであり集団に示すことはなかったのである

だからそもそも宗教と政治の何が問題なのかとなれば組織化集団化することは権力化することである、それはカトリックで強制的になり免罪符まで売るようになった
それが統一教会ではあからさまに霊感商法で宗教を盾に商売化したのである
カルト教団はまた宗教を利用した商売でもあるから当然だとなる
宗教団体は利権団体であり本来の宗教は何の関係もない、集団化組織化して権力奪取を目指すのである
統一教会の場合はさらに問題だったのは背後に外国がかかわり日本の政治に影響して日本を韓国の支配下に置こうという魂胆があったからである

それは秀吉の時代にもあり外国に国がのっとられるという恐怖がありキリスト教が禁止された、キリスト教でも自国から自発的に起る信仰ならいいが外国から押し付けられると問題になる、それで内村鑑三とかは外国の宣教師を嫌った、でも何らか日本キリスト教団でも外国の援助がありかかわっているともなる
資金の援助があるかもしれない、この資金の流れが問題なのである
何か大きな犯罪でも資金の流れをみればわかりやすくなるからである
信教の自由があるにしてもそれも悪く利用されるのである、法律でも解釈がいろいろあり悪く利用されるのである

●宗教に金がかかわると汚される

なぜそんなに金が宗教に必要なのかとなる、宗教には金をかけるべきではない、また金をとるべきではない、そうなると金だけが目的になってしまう、パウロはキリスト教を広めるのに金をとることはいけないとテントを作り自ら働いた、何かそこにやましいものを感じたからだろう
宗教はそもそも極力金にかかわらないことがいいのである、金にかかわると汚されるとなるからだ、でも僧侶でもお布施が足りないとかなり不満になるとしたら自分で働いて金を稼いだ方がいいともなるのである

何かわからなかったが四国遍路でホームレスになった人がいた、その人に 同情して金を与えようとした数万をやろうとしたらその人は自分に向かってお経をあげた、なんのことかわからなかった、要するに無料では金をもらえないという自負があった
その人はなんらかで四国遍路の国だから御経を覚えたのである
だから乞食ではない、ただでは金をもらいたくないとしてそうなった
その動機はそもそも宗教にはない、日々の金が欲しいからそうなっただけである
そしてお前にありがたいお経をあげてやったのだから金をもらっても当然だとなったのである

この人はこうしてホームレスになり追い詰められてそうなった、つまり実際は金のこめに仮の僧になり金をもらうことになった、こういう人を見れば何かカルト教団でもそうなのかとも見た、ただ規模が大きくなったのがそうなのかともみた
何かありがたいお経をあげてやるから金をもらうとなる、その人はただ金を欲しいためにそうなったのである、別にくれるというのだからもらえば良かったのである
おそらくカルト教団はこんなものである、宗教とは方便であり金が欲しい権力が欲しいともなり仮の僧になった人だとなる
ただ数が増えて巨大化すること自体が権力化することなのである
数が増えて権力化するとマスコミでも政治でもその数を利用しようとする
だから自民党は統一教会でも創価でも何でも票をえるために利用する、そしてまた利用もされるのである、現実に創価のことは批判しないのである
それは創価というのは巨大であり誰も批判できない、マスコミも批判できない、自民党政権と一体化もしているからだ、それがどうなるのか、ナチスのようになるのである
社会全体が創価化してくればそうなる、ただ最近は力も衰えた、限界が来て減少するだけである、そしてインタ−ネットではyoutubeなどでも盛んにその実体が暴露されているのである

●創価と統一教会は同類でカルト

政治と宗教の問題が統一教会問題であぶりだされた、それはもともと創価が自民党を牛耳るために一体化していたことでもわかる、そして批判もされないのは権力と一体化しているからである、人間の問題は政治でもなんでも権力をどう操作するかにある
そのために統一教会でも裏で操作している、創価でもそうである
でもその権力というのは本当の権力者は誰なのかとなると不可解になる
なぜなら統一教会の裏にはアメリカのCIAがかかわっていたとか創価なら中国と一体であり中国の命令で動く日本を乗っ取る団体にもなっている
つまりその背後には中国がありアメリカがあり統一教会でも韓国でも北朝鮮でもアメリカでもかかわっていたとなるのである
そうしてそれが不可解だから必ず陰謀論になるのである、つまり本当の権力者は見えないそうなるとその隠れた権力者は遂にサタンだともなってしまうのである

宗教でも集団化組織化すると権力集団化して政治を支配する、だからイスラム教だと政治と一体だから政教分離していないから経済も発展しないのかともみる
レバノンではイスラム教でも派閥がありセクト化して四っつくらいに分断して政治が機能していない、援助しても上の方で奪われて下には回らないとかなり国が破綻状態になった宗教はこの世のことではない、政治はこの世に力を具体的に力を持つことである
でもそうした宗教の架空のようなことより現実社会に活きていれば毎日食べなければならないとかパンの問題が優先されるのである
つまり宗教は本来パンの問題ではない心の問題なのだけどどうしても現世に生きる限りパンの問題になる、明日食べるものがないとしたらどうにもならなくなる
また様々な問題をかかえているのでそこでカルト教団はつけいる、それは金をとる一票を得るためであり確かに先祖がどうのこうのとかは現実にある

ただそれがあったとしてもカルト教団はそれで脅迫して金をとるためにしている
目的は金なのである、つまり金をとるということで宗教は必ず歪められるのである
もちろん新聞代くらいはしかたないかもしれない、でも寄付金でもあまりにも多額になることは問題なのである、ただカトリックでも一割の宗教税があった、でも一割を越えてはならないということもあった、その辺の線引きがむずかしいのである
献金を多くした金持ちがいたとしてその人は福運とか幸運とか救いがあって献金の少ない貧乏人には救いもない福運も授からないとかなったらどうなるのか?
それが宗教だということ自体おかしいのである

まず人間は金を払いたくない、金に対してはシビアである、だからそんな多額の金を払うこと自体その払う人自体がおかしいのである
御利益を得たいというのはわかるがその御利益を自ら献金して貢いでいる
その金はどこにゆくのか、なんのためなのか、それは結局幹部などに流れ団体組織の権力の拡大に使われるのである
結論は集団化した組織化したカルト教団自体を規制すべきだとなる、でも少人数だったら規制はできない、でもオウムとかはたいして大きな組織でもないのに危険なものとなったどこで規制の線引きするのかがむずかしいとなる
ただ議論では金の面から規制するというのはわかりやすい、第一何十億と何百億とういう金をどうして集めているのか、それ自体が宗教にしては問題だからである
宗祖をみればシャカでも住む家もないしキリストでもそうだった、枕するところなしだったからである、そこに宗教があまりにも違った全く世俗化したものとなったことを示しているのである

宗教団体の政治活動は否定しない、政治活動を行うなら情報開示を義務つけるべきだ
企業献金は厳しく開示が求められる
宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ

週刊東洋経済ー9月3日号

宗教団体の信者が無償で政治家の選挙の手伝いをしていることも事実情は宗教団体が献金しているのと同じなのである実態を開示すべきだ
宗教課税とカルト規制法は、セットだろ!

信教の自由は有るけど、課税は別。 課税と規制しないから、邪教が生まれる。
本来宗教は信仰するだけなら、お金掛からないだろう。
イベントとか葬式するとかの物理的な物動くなら代金掛かるけど。
皆が集まれる場所作るなら、生活に困らない範囲の低額でカンパ募るだろうけど。

かろうじて残ってる信者から
カネを搾り取ろうと必死になって
さらに信者を減らしていくパターンになりそうだよねw

原発村が盗電社長を庇った結果村自体が存続の危機に陥ったのが良い反面教師になっているな、宗教村が全力で統一潰しに行ってるよいけいこうだ、次は創価だけどな

5ch


創価などは日々選挙運動であり選挙のためにある団体である、それも会員が信仰のためであり御利益のためであり無償で選挙運動を毎日しているのである
そんなことわかっているのに誰も批判しないとりあげない、それは自民党と一体となりマスコミでも批判しないとなる、だから自民党自体がもともとカルト政権だとも言われる
票が欲しいから批判しなかったのである、票を得たいとなり統一教会とかかわり創価公明と一体化する、票のためになら何でもするとなる
悪魔とも手を結ぶのが政治家なのである、その弱みをついてカルト教団が自民党を操作しようとする、またその背後には今度は中国とか韓国とかアメリカがかかわり陰謀論になるのである

●youtubeなどで創価をあからさまに批判

政治と宗教】統一教会より創価学会が問題だ!【朝香豊の日本再興チャンネル】


9/2 CIA・創価学会・南米麻薬組織と小沢一郎の複雑な関係

創価批判がyoutubeで相当にでている、これはありえないことだった
これだけあからさまに批判できているのも変わった
統一教会のことは霊感商法の壺を売りとか以来報道されなかった
すると報道されないのだから問題がないともなっいてた

つまり報道されないことは悪は隠ぺいされていたことだ!

NHKでも他でも報道されなかった、それはマスコミも統一教会の支援を受けていたとか
かかわっていたからだとなる
こうして報道されないことで重大なことが起きる
原発事故でも危険は報道されず安全神話が作られて甚大な被害になったからである
つまりマスコミで報道しないと真実は隠されその結果として国民に被害が及ぶのである
そして宗教は信教の自由だとかを盾に批判させないのである
信教の自由は個々人にはある、でもそれが集団化組織化して巨大化すると権力化して社会を支配してやがてナチス化する、また原発の安全神話のように危険が隠ぺいされて甚大な被害が起きる、だから国民でもそういうことで関心を持ちマスコミ報道にまかせないことである、でもyoutubeとかではプログでもインタ−ネットだと金がかからず報道できるので民主主義の促進にはなる

posted by 天華 at 12:32| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月05日

冬の松島十句(冬の日、冬鴎、冬深む、冬の暮)


冬の松島十句(冬の日、冬鴎、冬深む、冬の暮)

matushimakourin111.jpg

尾形光琳の松島だけどイメージだけで描いた
こんなに松島が波が荒れることはないだろう
外海だとあるとしてもこういう光景は見れない、でも島が抽象画のようになっている
それで抽象画をパソコンで作っているから鑑賞できたとなる

matushimafuyu111.jpg
goldenroom1.jpg
oldisland1.jpg

冬の海障壁画古り古木かな

冬の日や古木根を張る観瀾亭

観瀾亭古木根を張り冬深む

金箔の障壁画古り冬の海

桃山を偲ぶや松島冬鴎

冬の日や観瀾亭に抹茶飲む

松島や波に浮きゆれ鴨百羽

五大堂松島に古り冬の海

松島や曲げ松により冬の暮

冬の日に松島たずね蜑(あま)の船

松島に碑の古りうもれ冬の暮

冬日さし仏苔生す瑞巌寺

冬の海鐘鳴り暮れぬ瑞巌寺

雄島にそ洞に仏や冬深む

忍辱の衣の仏冬深む



中秋賞月於松島

今宵待月倚吟
滄海茫茫一氣濃
思見C光佳興荐
道人緩打五更鐘

訓読
中秋 月を松島に賞す

今宵 月を待ちて に倚れば
滄海 茫茫として一氣 濃やかなり
清光 佳興の荐を思ひ見て
道人 緩やかに打つ 五更の鐘


今宵、杖を手に月が出るのを待っているが
大海原はぼんやりとかすんで、一面に広がる霧が濃くたちこめている
清らかな月光のもとでの趣深い宴を思ってくれてのことか
寺の僧は夜明けの鐘をいつもよりゆっくりと打ってくれている

鐘の音が重々しくひびきわたる、この鐘の音がいいのである、鐘の音は大地にでも海にも山にひびきわたる、何か重々しいのである、それがヨ−ロッパとかの鐘の音とは違う
騒がしくないし重々しいのである、君が代の歌でも他の国家とは違って重々しい
重厚な調べになっている、日本だけが独特なのである
中国が何千の歴史があっても国家となると共産主義国家であり現代的になり歴史を感じさせないのである、国家は近代になって生まれたから新しいのである
でももともとあった王国とかは歴史があり違っている、でもそういう国家は日本の他に感じないのである

観瀾亭は大坂の秀吉の茶室を移転したものであり当時の桃山時代の金箔の障壁画が残っている、これはみちのくで作ったものではないとなる
安土桃山時代は華やかな文化が開いた時代である、秀吉だと黄金の茶室が有名であり
黄金好みであった、だから障壁画も黄金なのである

「風流行脚の途次、松島で死の本懐をとげる人もある。そんなうらやましい人のことを心に思いながら、自分はぐうたらと火燵行脚の冬ごもりを極め込んでいる」とある

 松島で古人となる歟(か)年の暮

 松島で死ぬ人もあり冬籠(ふゆごもり)
 
 http://yahantei.blogspot.com/2006/06/blog-post_28.html
 
松島は霊地でもあった、だからそこで死にたいともなった修行の場でもあり確かそこで修行していたし霊場にもなっていたのである、古い碑もある
ただ現在は観光となっていてそういう感覚がなくなった
修行の場がどこでも観光化したのである、そのために汚されたともなるのである
人間はどういう場所で死にたいかとなるとやはり風光明媚な場所で死にたいとなる
大都会の騒音のゴミゴミした所では死にたくないとなる
それが人間として当然だとなる、でもごみごみした都会だとかえって汚れた人でもいいとなる、清浄な場所にいられないということもある
ネオン街のぎらぎらした欲望の世界がいいともなる

いづれにしろ観瀾亭に入る前に門があり古い松がある、古木がある
そして前に海を見る、その海は穏やかな海である、絵のような荒波の海ではないのである不思議なのは私が松島に行ってプログに書いたのは2011年1月になっていた
ということは3月に津波が来たのだから津波から二カ月前だったのである
でも松島は意外と被害が少なかった、なぜなら津波は島が防波堤のようになりさえぎり
海水でも徐々に高くなったという、だから家が壊れたとかなかったのである
恐ろしいの海岸沿いの港がある家であった
家が津波で持ち上げられて上に上がったとか聞いた、それは空恐ろしい光景だったのである
津浪は前に何かさえぎるものがあると波の勢いがそがれてあんな恐ろしいものとはならないのである、別に徐々に海水があがるとしたら被害があっても死ぬとういことはない
それで松島は被害がさほどなく回復したのである

ともかく松島でも修行の場であり京都の寺でも寺は修行の場であり観光の場ではなかった今はただ物見遊山でありするとそこにあったものが何なのかもわからなくなる
何かそこは学ぶ修行する場だったのである、それを知ることも必要だとなる
ただ昔は常に忘れられてそれがどういう場所であるかもわからなくなる
松島でも雄島というときそういう昔が残っている場だとなる

最近松島海岸駅が新たに生まれて観光の施設が作られた、写真でみるといい場所である
だからそこに行ってみたいとなった、でも昔の松島も忘れずに知る、歴史を知ることは大事である

ともかく秋らしくなった、今外を見たら月が夕べでていた、虫も鳴いている
やはり秋らしくなってきたのである、今年は暑かった、ぐったりして夏バテになった
でもようやく秋となる、頭も冴えてくるとはなる

autumnmoon11.jpg

仲秋の我が居所や窓に月

今は仲秋なのか、この期間は長い、でも秋の草花でも咲いている、女郎花でもはぎても咲きはじめたからやはり仲秋になっているのだろう、初秋もあるが季節的には仲秋となる
でも暑かったから初秋の感覚にもなる、ただ初秋がなく仲秋となったともなる
我が居所というときこれがないと落ち着かない、家族はいなくなったにしろ家が残り我が居所になっている、my based place とかなる、基地が必要なのである
特に老人になったら家が大事になる、遠くに行くのがなかなかできなくなる
もう十年以上遠くへ旅に行っていない、近間を回っているだけである
でも松島くらいなら行けるとなる、ただ松島で朝日が昇るのとか月を見たことがない
やはり日帰りとなるとなかなか見れない、確かに月見にはいい、観瀾亭は月見の場として利用されたからである、それで正宗の中秋賞月於松島・・が作られたとなる


雪の松島-俳句短歌-政宗のこと
http://musubu.sblo.jp/article/35083956.html

松島-多賀城の春の俳句短歌と写真
http://musubu2.sblo.jp/article/54410159.html










2022年09月06日

年金が月5万未満が四人に1人 (生活保護も平均7万とかもう国では支給できず捨てられる老人)


年金が月5万未満が四人に1人

(生活保護も平均7万とかもう国では支給できず捨てられる老人)

年金受給額、4人に1人は月5万円未満の衝撃。「自助努力」で生きていけない高齢者を見殺しにする社会がやってくる=鈴木傾城

これは相当に深刻である、現実に国民年金が4,5万の人が結構いる
それで生活保護になって援助されるのは医療費であるがこれも2,3割事故負担なのである、生活費は5000円くらいしかもらえない、なぜそうなっているのか?
一応年金が4,5万もらっているからもらえないのである
ただ生活補助として医療費が援助されているだけなのである
これは自治体の財政状態によって違うにしろこれからの老人は年金では生活できない
だから70以上でも働いている人は結構いるとなる、働かざるをえないともなっている
元気な人はいいが体が弱くなった人は働けない、どこかしら体が痛んでいるからである
そして貯金もまたない人が多い、確かに四分の一は年金が4,5万であり毎日の食糧に事欠いている、食べることもできないのである
それで援助してくれとなる、でも国ではもう援助できないのである
国自体の財政が苦しいから援助できないのである

だからそういう人はどうなるののか?

息子娘に頼るにも頼れない、生活が苦しいかである、その女性は74才で娘と孫と一緒に暮らしているが生活が苦しいからと草むしりとかの仕事を大工さんの補助としてしている仕事としては毎日ではない、その人は草花にプロのように詳しい
だから庭作りと庭の草むしりとかに向いている、もともと農家で仕事した人は野菜作りでもしているから花にも詳しいのである、花も肥料とかかが関係してくるからである
ある人はスーパーで三時間働いているとかいるし藤倉ゴムのゴルフ用品を作る工場で三日とか働いている人もいる、まず60代になっても70代になっても働かざるえなくなっているのだ、でも体が弱って働けない人もいる

だからもうそういう人は誰にも頼る人がいず見捨てられるともなる、国でもめんどうみきれない、それだけの国には財力もなくなったし日本の経済が相当に落ち込んでいるからそうなった、私の母親は60になり三万の年金を国から無料でもらっていた
5年待つと5万もらいたとか悔しがっていた、それは全く積み立てていなくてももらったのである、その時に国には余裕があったからできたのである
今はもうできない、するとそういう人達はどうなるのか、年金5万で暮らしている人のことを語っていたがとても無理である、なぜなら電気ガス水道携帯料金でたちまちなくなってしまうからだ

その人は果物は高くて買えないとか10円でも20円でも安いものを探して買っている
味噌とか醤油でも高いと感じるのは相当に苦しいとなる
ただ果物は日本では特別高いというのはわかる、外国で半分以下とか安いのである
日本の果物は理由があって外国より相当に高いのである
私はオレンジを買っていたがやめてジュースにした、果物は本当に高いと思う
バナナくらいが安いのである、ただリンゴは健康のために食べているがこれも高い
私は食費を一か月六万かかっている、それを一万とかにしている人も多い
それは考えられないのである、まず果物などは買わないだろう、外食もしないとなる
食費は最低でも3万くらいかかるだろう、そうでないとまともな栄養がとれないだろう
だから医者に栄養をとれと言われてもその人できないのである

つくづく感じたのは老後は年金がいかに大事なものかを知った、なぜなら年金は死ぬまでもらえるし保証される、貯金はあってもある時ゼロになるかもしれない、預金封鎖も騒がれたりするからである、でも年金はもらいのである、そうなると安心だとなる
本当にこうしてもう誰からも援助がなく生活できなくなる老人が増えて捨てられる時代になる、生活保護に頼れといってもできない、7万が平均だとしてあげてくれと騒いでも国では支給できないのである、その人達は子供にも頼れないのである

何かそういう人とと付き合っていると援助する方でもぜいたくができなくなる
毎日そういうことを聞かされると果物を食べているのも悪い感じになる
なんでお前は贅沢できるのかともなるからだ
だから貧乏人と金持ちは付き合わないともなる、贅沢ができくなるからである
生活レベルさえ落とさなければなくなるからである、そしてそういう金持ちも常に今度は金をねらわれるし財産でもねらわれるから危険になる
それは極端な格差社会では外国では金持ちは鉄条網で囲い私兵までやとって守らなければなくなる、そして国は分断されて衰退するのである

日本は今衰退国家になっている、だから国で老人をめんどうみることはむずかてくなっている、でもこれだけ老人が多いのだから医療費の負担も増大してゆく、でもそれすらできなくなる、そして弱った老人は死んでくれともなる
団塊の世代は高度成長時代は労働力として必要だったが老人になれば必要ないとなる
特に弱者は金がないとか体が弱ったら必要ないともなる
それは余りにも数が多すぎるからそうなったのである、無慈悲だとかではない、数が多すぎてめんどうみきれなくなったのである
でも人間はどうしても老人になっても生きたいとなる、その人何か生活が苦しいから死にたいとか言っていたが最近生きたいと言っている、やはり死にたいという人は自殺しないというのは本当だろう、人間はどうしても生きれる限り生きたいとなるのが人情である
社会がどうあれそうなるのが生物の本能だからどうしようもないということである
ただ長寿が悪いことではない、自己実現するにはいい社会である

長い時間がありそれで自分のしたいこと才能をはぐくむことがてきるからである
まず学問であれ芸術であれこれは究めるには長い時間が必要なのである
それでこれまでは「少年老い易く学成り難し」となっていたのである
あっというまに白髪となり人間は老いて死んでいたからである
そういう点で自己の才能開発とか自己実現には高齢化は悪いことではない
ただ高齢化社会とはあまりにも数が多すぎることなのである、それが全体的に社会の負担になっているのである、デジタル化できないというときもそうである

不思議に近くのスーパーで支払いを機械で自動化したけど依然としてレジに並んでいる人が多いなとみる、若い人でも多いのである、覚えれば簡単だけどしていないのである
この理由もわからないけどやはりめんどうでしないのか?
ともかく老人は新しいことをしにくいのである、だからこれだけ老人が多いということは社会が停滞するということになる
親の遺産を受け継ぐにしても60代でありそうなると新しいことをするにもできなかったとなる、そういうことは会社とかあらゆる分野で起きている
老人が権力を持っていて若い世代が経験できず成長できないのである
もちろん若いということはすべていいことではない、どうしても経験が欠けるからである識見にしても老人の方が上である、でも全体的に見れば老人がこれだけ多いということは停滞するということである

確かに未だにハンコを使っているのは日本くらいになるのか、日本は最先端の国だと見ていたが今になるともはや先進国ではない
いち早く西欧化したけど今や技術しにても中国でも韓国にもぬかれている、なぜ高度成長があったというと実は日本の実力ではなく幸運だったのかとなる、その技術にしても日本人は凄いとなっていたが実際はもともと物まねであり日本人の独創でなったものではなかったとなる、日本人独自の発明ではなかったとなる
物真似ということはやがて他の国も真似て作れるものだったとなる

でから家電製品は中国でも韓国でも安く同じ物を作れて売れなくなったのである
日本は何か新しいもの作るには不向きであり物まね国家だったとなる
それが高度成長があり日本は凄いとなりそれが実際は物まねに優れていただけだとなったのである
ただ日本の良さはインパウンドの観光だけだとかなる、日本には他にない自然の美があり日本文化が売りとなる
その他資源もないので魅力がないとなる、それでも日本の文化があるから観光が売りともなる
だから日本語を捨てて英語にするというのはありえない、そうしたら日本文化そのものの消失であり日本はあらそるものが外国と同じになり観光さえ魅力がないともるかもしれないからだ
言葉が文化の基本だとするときそれがなくなったらあらゆるものが日本がから失われ日本は日本ではなくなる
もちろん英語は必要だとしても日本語を捨てろというのは暴論になる
これが経済がこれほど落ち込まなければそういうことなかったのである、文化よりもパンの方が大事、花より団子になる
まともに食べられないとしたら文化とか芸術どころではななくなるからである



2022年09月07日

この世の中は何故なのかが問われる (様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)


この世の中は何故なのかが問われる

(様々な問題でも何故そうするのか問われる―国葬でもオリッピックでも事業でも)

自然であれ社会であれ個々の人間であれ何か起きることで問題になるのが何故なのかということである
結果があり因果関係を求める、だから因果応報がありカルマだとなる
なぜそれぞれの家に問題が起きるのか?
それもその家の持っている因果がカルマが関係しているとなる
それで統一教会では先祖が悪いことしたから今あなたが苦しんでいるというのは説得力がある、でもそれで金をとるということは相手の弱みにつけこんでそうしている
実際はカルマはそれぞれか苦しまなければ解決しないのである
金を貢いでも実際とカルマは解消しないのである

人間の問題は常に何故なのかということで問題になる
それが自然現象なら科学となり原因と結果を求める、それは明快でありわかりやすいとなる、では人間に起きることで社会現象とかまた経済のことでもわかりにくいのである
明確な因果関係がわからない、この何故を探求するのが学問になる
例えばある人が事業を起こす、結果として失敗して多額の借金に苦しむ
ではなぜ事業に失敗したのかとなるとわかりにくいのである

その人はなぜ事業に失敗したのか?

それは社会のせいだともしている、自分の責任ではないとしている、でもそうはいっても必ず責任をとらされるのである、それで借金で苦しむ、その人には確かに技術者でありだから技術に通じているから成功するとして事業を起こした
でも経営となると違ったものになり失敗した、また家族でも経営者になると巻き込む
その家族自体が妻でもうまく協力できなかったとかともなる
経営には向いていないともなる
その人はまず人のために何かをするという感覚はない、自分は技術的には優秀だから自ずと成功すると思って事業を起こしたのである
でも経営するとなると様々な要素が関係して来る、その社長の人間性とかまで関係してくる、でも理系だとそんな人間性などを見ない、つまり技術的に優れていれば成功すると見ていたのである

だから会社でトイレ掃除していた人が社長だったとかある、それで新入生がその人を馬鹿にしていた、でも社長だったということで驚いたのである
そんなこと社長がやるべきではないということを言う技術者もいた
でも技術者なら技術をみがけばいいとなる、それは雇われていてそうなる
でも経営するとなると違ったものになる、そこの理解がなかったとなる
社長は社長として威張っているだけではできない、会社全体を見て社員を見てその上に立ち会社を経営する、会社を経営することは今度は社会全体と関係してくるし多くの人々とも関係してくる、だから経営となると一部の専門的技術者と違ったものになる
理系だと一部の専門的技術者に通じていればいいとなる
でも病院を経営するとかなると優秀な専門的医者が必要でも病院を経営することは病院全体をみてまた社会にもかかわる仕事になる

だから社長がトイレ掃除するときそうして下々のことで目配りしていて全体を見て経営することになる、トイレ掃除する人もやはり社員だからである
私の母親の実家の父は警察署長で退職して事業を起こしたが失敗した、そもそもこの人も警察署長だから成功するとして事業を起こした、実際は能力はなかったのである、母が言うには威張っているだけだったという
これもやはり事業するノウハウも何もないのに警察署長したから事業が成功すると思ったのである
その後事業に失敗して一家離散になったし不和の家になったのである、それが自分に影響して苦しんだともなる
こっちの方が専門知識もなにもないのに事業を起こしたのだからひどいとなる、その結果の責任が負わされたとなる

その人は他人のために箱一つもちたくない人だったともみる、なぜなら私が病気になってその人は助けに来たとしても箱一つ持つのを嫌がっていた
またその家族でも相当に嫌がっていた、だから入院して手術する時もその家族は来たにしろ見守ることさえ嫌がっていた、、そもそも何も私のためにしたくなかったのである
親が世話したことがあってもその子供は関係ないとなっていたからである
だから金が欲しいというだけだったのである、借金をかかえていたから余計にそうなっていたのである
そうなったのも自分のカルマにしろその人は他人のために何か尽くすという気持ちはなかった、自分が技術的には優秀だから社長としてみんなから偉い優秀だと見られることで事業を起こしたのである、その動機がそうだったのである

ではなぜ事業に失敗したのか?

その理由は一つではないにしろそうしてその人はもともと他者に尽くす気持がなかった
簡単なことでも他人のためにしたくない、もちろん無償ではしたくない、その気持ちが行動に現れる、ただ技術的には専門的技術では優れているから成功すると思って事業を起こしたのである
その人はささいなことでも他者のために何かをしてやりたいということはなかった
人間は大きなことよりそうしたささいな小さなことにその人が現れる
もし妻がいたとしても夫に尽くしたくない、でもしかたがないから一緒にいるとなるといつか破綻する、それで意外と熟年離婚が多いのである
嫌でも一緒にいる、でもいつ本心が必ず現れる

いつか必ず本心が現れる、行為となって現れる

これが怖いとなる、積もり積もったものがいつか行動として現れる
人間は表面上は善人面しても実際は悪人でありその本性が必ず現れる
つくづくなぜこんなに人間の職業でも悪が多いのか、まさに職業とは業(カルマ)であるなぜこれほど職業が何か嘘ついたりごまかすものとなっているのか
第一宗教が一番偽りが多い、それは宗教の目指すものが余りに高いものだからそうなる
誰もキリストやシャカのようになれない、その目指すものが高すぎるのである
結果的に宗教と言っても今度は自分たちの欲のために利用するとなる
それがカルトなのである、宗教そのものが方便でありそれで自分たちの欲望を実現しようとする
ほとんどの集団化した組織化した宗教は本来の宗教ではない、ただそれぞさの私利私欲を実現するために団体化して権力化したものである

だからこの世とは何なのか

これ自体がわからなくなる、親鸞が言うようにみんな悪人だとか、義人一人もなしとかなる、職業でも業でありカルマであり悪いことをするものとして職業もあるとなる
銀行員でも投資信託とか売りつけて人をだますとか証券会社とかもなにかうさん臭いとかまともに見えるものでもそこはまともでなくなっている
マスコミも平気で嘘つくとかあらゆる職業が何かそこに倫理にそむいているとなる
政治家とかなると自ら言っているように選挙の時はとにかく頭を下げる、後は知らない、自分の利益を追求するだけだと自ら言っている
別にどの宗教など関係ない票をもらえればいいとういだけである
いちいち選別していたら票にならないからである、それがまた民主主義の弊害でもある
もう人物がどうか人格がどうかなど関係ない、数が集めた人が勝ちだけだとなっているからである、そして選挙はすでに組織団体の票で決まっている、一票など何の力にもなれないなのである、すると相手にするのはカルト教団でもなんでもいい多数の票をもらえることに働きかけるとなる、その相手がカルトでもどうでもいいとなまでなってしまうのである

ともかくこの世の中では何故が常に問われる、安倍首相の国葬でもそうである、なぜ国葬にする必要があるのか?それが問われる、そこで必ず議論すれば賛成と反対論がある
でも何故する必要があるのか明確化しないと国民をも納得しない
今回は国民が納得しないから問題なのである
ただ何故を求めるとあらゆることでその何故がわからないのである
戦争でも三百万人も死んだのになぜ戦争したのかも今になってもわからないのである
科学だと何故を追求すると明確に数学のように答えが出やすい、でも社会現象となると
明確な答えがでないのである

なぜ日本が戦争したのか?

これも明確な答えがないのである、これだけ大きな問題でも答えがない、すると三百万人も死んだ人達は報われないとなる、ただ靖国神社に祀られて英霊とされる
国のために尽くした人達だとされる、それで慰めているが果たしてそうだったのか?
それで死者は報われているのか満足なのかとなる
それは結局何故それだけの戦争をしたのか明確な理由がわからないからである
安倍首相の国葬問題でもそうである、なぜ国葬にするのかその理由が明確ではないし
国民がみんな納得しているわけではない、でも権力者は実際に権力を行使することができる、つまり何故するのかとあっても権力者は何かを決めてそれを成す、そして後で何故そんなことしたのかと問われるのである
人間が権力を持つことは何故かとかを真剣に考えないでも実行できる力を持つことなのである、人間は何故かより権力をもって実行したいとなる
カルト宗教団体でも権力追求になるのはそのためである

つまりこの何故かと問うのが学問であり学者とかになる、哲学者にもなる、自分はこのタイプである
でもその人たちは権力を持っていないから何か実行することはできないのである
だから政治家と哲学者は学者は違ったものである
実業家であり政治家が学者を嫌うのは理屈ばかりこねていて実際には何もできないとしているからである、でも何かを実行するとして必ず何故そんなことしたのだと問われるのである,オリッピックでもそうである、今になると金にまみれたものであり逮捕者もでている、そんなオリッピックをすべきだったのかと問われる
それは私でも前らオリッピックにはもう意味がないと反対していた、他でも反対する人達がいた、でもそういう人達を無視して実行された
結果的には一部の利権者のためにしていたとなって追求される
行動の前に何故そういう行動に出たのか、行動した後にまたなぜそんなことをしたのかと問われるのである
でも現実社会では何故かより行動をすることが先になる

なぜならこうして考えることが先になると
ハムレットのように

あるべきかあらざるべきか

と逡巡して行動できなくなるからである、優柔不断になってしまうのである
でも何故かを無視すると必ず後で何でそんなことしたのかと必ず問われるのである




posted by 天華 at 11:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年09月08日

白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)


白百合、秋雨、竜胆(秋がようやく来たー空家の白百合)

whitelily1111.jpg

雨しとと慣れにし道に秋の蝶

尼蛙我部屋のぞき月の出る


白百合の空家に咲きて我のみや見つつめでるや花も喜ぶ

白百合のそちこち咲きて人も見じ辺り静けく雨しととふる

白百合に竜胆さして我が一人部屋にし見つつ心静まる


白百合が空家の跡とかに多く咲いた、それを手折り花瓶にさした
隣が空家になりそこの庭に五六輪白百合が咲いた、不思議なのは人がいない所で咲く花は活きていない、花も何かに向かって咲いている
人に向かっても咲くし石に向かっても咲く、何か咲く相手が物でも必要だとなる

静けさや岩に沁み入る蝉の声 芭蕉

これもやはり蝉の声が岩にしみいる、岩や木があってそれに向かってひびくのである
岩はその蝉の声を吸収するのである
だから空家でもそこに奇妙だけど自分がその庭に入ってその花を見ているときその花を活きているとなる、ともかく空家が多いのである
何か今年はそちこちに白百合が咲いた
種が飛んだのかもしれない、白百合だと清楚とかになる
清純だとかなる、写真を撮らなかったのでこれは合成した写真である
私のしていることは抽象画でも合成である、パソコンのソフトげ変化させているだけである、それも創造ともなる、著作権違反にもなる場合があるが微妙である
もう原画とは違っているからである

白百合は散った、雨がしととふっている、黄色の秋の蝶がいつも行く道によこぎり飛んだ人はなるべく顔を出さない方がいいともなる
そこに醜いものが現れるからである
田舎だと人が住んでいるかどうかわからない感じになる、でも必ず誰か見ているのである誰も見ていないようで見ている、監視されているのである
何か人がでてくると蛇が出て来る感じにもなる、人は隠されていた方がいいともなる
人からどうしても何か醜いものがありその話にしても嫌なことが必ずある
私はだから本当は花だけでも見ていれば幸せだともなく

そして窓に尼蛙がでてきて今度はいつも来る猫が顔だした、餌をやっているからである
そんなものはいいとなる、蛇が出て来たら嫌だとなる
ともかく夏はいろいろ花が咲くからいい、でも夏も終わりである
今日は相当に温度が低くなった、明かに秋であり秋雨である
これからはそんなに暑くならないだろう、でも関東以西は暑い、暑さも苦手だから東京とか大阪方面には住みたくないとなる
この浜通りだけは気候的にはいいのである、暑からず寒からずとなっているからだ
体を考えるならとても会津とか北海道とかには老人は住めないと思う
気候の影響も大きい、同じ福島県でも福島市は夏は蒸し風呂になるから住みたくない
特に最近暑くなっているから耐えられないとなる




正しく向き合うもの

朝日に向かいひまわりが多数咲く
白百合が五六輪石に向かって咲く
天に向き純白のこぶしが咲く
花は花に向かって咲く
あなたは何に向かって咲くのか
あなたは神に向かって咲けるか
そうなるには心が清くなければならない
心を正さなければならない
そうでなければ神と向き合いない
あなたは眼をそむける
心がやましいことをしるから
山と山は向き合う
石と石は向き合う
正しき姿と心で向き合う
不純なものがなければ
人は神に向き合える
それがなければあなたを目をそむける
あなたはまともに見れない
あなたの心は神に見られている
偽ることはできない
あなたはアダムのように神から隠れる
それは罪を犯してやましいものとなったから


Things that face the right way

Numerous sunflowers bloom facing the morning sun
White lilies bloom toward the 56-ring stone
Pure white fists bloom facing the sky
Flowers bloom toward flowers
What do you bloom toward?
Can you bloom toward God?
To be so, your heart must be pure
Your heart must be righteous
Otherwise, you will not face God
You turn away
Because your heart knows what is wrong
Mountains face mountains
Stone and stone face each other
Face each other with righteousness and heart
Without impurity
Man can face God
Without that which turns you away
You cannot see properly
Your heart is seen by God
You cannot fake it
You hide from God like Adam
Because you have sinned and become a reproach

Translated with www.DeepL.com/Translator (free version)