2022年08月02日

日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの? (政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)


日本は法治国家ではない、すべて多数で物事が決められるの?

(政教分離も有名無実であり危険なカルトに支配されかねない)

人の本性を悪であるとし、人の善性に期待せず、徳治主義を排斥して、法律の強制によって人民を統治しようとする法治主義によって統治される国家のこと。

法律を絶対として人を治める法治国家である、でも法律が絶対的なものかとういとそうでもない、なぜなら法を扱うのは人でありその人が法律通りにするかというとそうはならない、法律は数式のようにもなる、自然を見る場合でも科学は数式でありそれで納得する
ただあいまいな根拠で一方的なものとなると誰も信頼しない
重さを計るにしても計量器で計り数字が出て納得する
だからだいたいこれくらいの重さですと言っても納得しない、だから法律とは数式のようなものなのかとなる
なぜなら機械の方が人間より信用できることがあるからだ
機械は偽らないことがあるからだ
それがこの辺で起きた原発事故でそうだった、モニタリングポストの下の土を削って故意に低くしていたのである

それを見ていた人がいて告発した、私もその回りを計ると倍くらいの放射線量だったのである、それをしていたのは大成建設とかだったのである
それは政府ぐるみで行われていたのである
大成建設が勝手にできない、政府の支持でしていたからである
だから政府そのものが嘘をつくし権力があるから大成建設とかゼネコンに命令できるとなる、そしたら一体誰が罰するのかとなる
それは裁判所になり現実に東電でも過失がありと判決があった
それで賠償金を払いとなったのである

法律が絶対とはならない、第一弁護士でもただ相談するだけで百万の金をとったのであるそんなことありえないのだけで頼んだ人は弁護士を知っているとかでそうなった
これも法律違反ではないか?弁護士が法律を守らない、政府でも守らない、大企業でも守らない、となれば法律は有名無実になる、また法律にも抜け道があり解釈がいろいろありそれで法そのものが絶対的なものではない
そもそも法律の始まりは宗教だったのである、モーゼの十戒がその始まりだった
これは神から授かった厳命だった、特殊なのは形をあるものを神となるなという偶像崇拝の禁止だったのである、ただではこれが法律化しているかとなればしていない
信教の自由となれば何を拝んでもいいとなっているのだ
イスラム教とかキリスト教とかではアブラハムを祖として同じルーツがあり偶像崇拝を異常に恐れているのである、そこは共通しているのである
そして無神論は許されない、つまり法律でも無神論主張すれば殺されるとなる
でも言論の自由がある民主主義社会では許されるのである
結局民主主義社会の問題はあらゆるものが何でも自由にしたことなのである

そこから様々な問題が生まれたのである、あらゆるタブーがなくなった
性のタブーでも同性愛でもなんでも自由であり何かそこからわからないにしてもサル痘が生れて来たとかなる、またあらゆるものが自由だとしてヒト、モノが外国でも出入り自由になった、そのためにウィルスも自由に入ってくるともなった
なんでもあらゆることが自由だということの弊害が出てきたのが今問題化したともなる
グロ−バル経済でもそうである、公平な自由市場の世界経済など実際は成り立たない
だからアメリカの一握りの人間が世界の富を収奪してとんでもない格差社会になったのである

今必要なのは自由を制限すべきだ!

人間にあらゆる自由はありえない、それがどうなるのか?大きな災いが世界的に起きる
現実に起きている、宗教も自由だ、信教は自由だと主張する
でも現実に政教分離があるのにそれも守られないのである、法治国家なのに法を守らないのである、そのことから統一教会問題やカルト教団の問題が起きた
創価などは明らかに政教分離に違反していても取り締まることもできない
もしかしたら法務大臣にすら公明党がなりうる、現実に公安委員長が統一教会と通じていたことでもわかる、カルト教団が権力の中枢に入りこんで政治を操作してくる
莫大な金が宗教を通じて韓国に貢がれていたのである
宗教は宗教ではない、金を収奪するための方便であり目的は金であり権力に影響して操作することだとなる
政教分離とかは有名無実なのである、政治家も票になればいいとかなり無視しているのである、法治国家ではない、そして民主主義もここにも法律が上として適用されればいいのだがしていない、法律より上なのが選挙である、選挙で勝つものが法律は無視してもいいともなる、そして民主主義でナチスが政権とって大惨事となったのである
日本の戦争でも同じではないにしろ似たようなものがあった
天皇が神となり日本は神国で負けないとなり戦争が苛烈なものなり一億総玉砕までなりえたのである

宗教は現代文明では病理的現象として現れたのであり過去の宗教とはまるで違ったものなのである、大衆洗脳宗教なのである、大衆ファシズム宗教なのである
だからこそ選挙が権力を得る為のものとなり統一教会でも創価でもそれを最大の仏法の戦いとしているのである、統一教会を批判するけど自民党は創価と一体化しているのだからまさにカルト政権ともなっている
ただ統一教会は表に出なかった、隠されていたが自民党の中に深く入りこんでいたのである、だから外国勢力が宗教を通じて他国を乗っ取るとか警戒されたものもわかる
外国のスパイが宗教団体を通じてはいりこみ操作するからである

いづれにしろ政教分離の法律にしても有名無実である、そうして制限制約されないことはどうなくのか?、また同じ道を行くことになる、日本帝国現人神戦争とかナチスの戦争の再現なのである、現代社会が大衆社会だとするとき数が権力だとするとき民主主義社会もまた数で決まる、数で決まるとういことは一人二人の賢者の声など簡単に抹殺される
大衆の数ですべてが決まる社会である、赤信号みんなで渡れば怖くないとなる
だからもう自由主義とか民主主義とか世界が自由市場のグロ−バル化でも限界にきているもはや統制できないのである、かえってあらゆる自由はアナキーになる
それはアメリカでも起きているし世界中で起きて来る、世界市場などでも公正ではない
そこでグレートリセットが起きるとか言われるのもそうである
とにかく人間はそもそもタブーとか否定してきたけど人間にあらゆる自由はない
それはカオスとなり統制できないものとなり混乱になりバベルの塔のように崩壊するとなる

宗教というとき信教の自由があり制限できないとなるがこれも規制するべきなのである
カルト教団を野放しにした結果として統一教会問題がありカルト教団で苦しむ人達がいるだからこそ政教分離を厳格にして信教自由を維持することが課題となる
創価のように公明党が国土交通大臣になっいること自体が最大の政教分離に違反している宗教団体は国からいかなる特権を受けてならないとしているからだ
その最大の特権を受けているのだから法律違反でも自民党は法律を守らないのである
肝心の政府が法律を守らないとしたら誰が法律を守るのか、弁護士だって法律を守らないそうなるとこの世はアナキーとなり戦国時代にもなる
ともかく大衆を扇動してもいいからナチスのように権力奪取して支配することだとなるからだ

でも奇妙なのは法律を作るのが国会であり議員であり議員は選挙で選ばれる、だから選挙で勝ちさえすれば多数になればどんな法律でも作れるともなる
創価公明党多数になれば国立戒壇も可能になり創価が国民を支配するともなる
そもそも法律は多数によって決まらないものなのである
宗教とはそういうものである、人を殺してはならないというとき多数決でそれは決めるとしたらどうなるのか?多数決で法律が作れるのかとなる
だから法治国家がどういうものが理解していない、法が最高の権威としても現実は司法も国会議員によって決められるとしたらそうはならない
それでナチスが生れたことを知るべきである、多数は正義でも法律に叶うものではない
でも多数ですべて決められるとしたら別に法律などいらないのである
つまりそういうことを国民も理解していないのである

天皇の象徴天皇であり戦後は国民の総意でその地位にあり権威があるとするのも変なのである、国民の総意が総意とは何なのか、ただ数が多いというだけなのである
天皇の権威はそもそもそういうものではない、そもそも政教分離なら天皇も日本からなくなるかもしれない、皇室はヨ−ロッパのようになくならないにしても最高権威とはならないとなる、では最高権威に成るのは何かとなれば選挙ですべて数で決まるとなってしまうのである、だからこそカルト教団ではどんな人でもいい、一票に結びつく運動を創価でも選挙の二年前からしている、毎日数を集める運動なのである
でも別にそれは法律違反でもない、政教分離で罰せられることもないのであ
そうして結局数ですべてが決まるということはナチスの再現となる

そこに自由市場とか民主主義とかはもう限界にきて結果としてアナキーになりカオスになりそこで権力を握る者は武闘で決まる、殺し合いで決まるともなる
それがアメリカでも起きている、カルト教団でも実質武装するということもありうる
オウムがそうだったし創価でもそうである、、なぜなら創価とは一つの軍隊組織になっている、隊長とか参謀とか軍隊組織なのである、武闘集団でもあったのだ
寺というのも僧兵がいたし武装集団でもあったのと同じである
だからこそ時の権威の武士集団と衝突して権力争いになり信長が僧侶を大量虐殺したのである、それは寺が城であ僧兵がいる武装集団だったからである

とにかく大きな時代の変化がきている、規制のものが崩壊する破壊される
自民党も安泰ではない、新しい勢力が出てきて変わる、日本は実際は戦後70年間自民党政権一党独裁とたいして変わりなかったのである
一回くらい政権交代があったとしても自民党一党独裁は変わらなかったのである
だから野党がだめなら自民党が二つに割れるとかして新しい政党となり出直すとかならないないと日本の再生はないとなる、あらゆる方面で改革が望まれている
でもそれが成されないと日本はますます衰退して沈没してゆくだけだとなる

死後に神の裁きがある

こういうときやはりこの世で悪は裁けない、人間にそもそも裁く能力がない
なぜなら人間はみんな罪人だからである、だから奇妙なカルト教団の教祖とかである
あたかも神のようになって人を裁いている、地獄に落ちるとかで恐怖を与えている
その本人がサタンになっていることでもわかる
この世とは誰が悪人かわからない、大悪人が大善人にもなっている
そしてとても人間を裁くことを人間はできない、そこには隠された悪も膨大にあり裁くことなどできない、その最たるものが神の子キリストをローマの官吏が死刑にしたことでもわかる、そんな権威があるのかとなる、この世とは神の子が裁判にかけられ死刑にされる場所でもある、そうだからこそこの世の人間が裁くことはできない
死後に罪が明るみに出される、この世で隠された罪が白日の下にさらされる
これも怖いことである、何か悪いことしましたかと自分で思っていても隠された罪が明るみに出される、その時反省しても遅いとなったら怖いのである
そうならこの世で罰せられた方が良かったともなる

ただ死後のことは誰もわかないし見ることもできない、でもカルト教団などは宗教詐欺罪になるからその罰は相当に厳しいものとなるかもしれない、そんなはずがないと言っても明らかにされる、この世とは何か悪が隠されまた栄える場所としたら不公平になるから死後裁かれるとなったのである、だから法律とかでない、この世の権力者でもない
神を畏れよということはそのことである、裁く能力を持つのは神しかないからである
ただみんなが恐れているのはこの世の権力者である、でもこの世の権力者もまた罪があり裁かれる、それも権力のない者より苛烈な罰が与えられるともなる
恐れるべきは神であり人間ではないとなるが現実は死後のことなど関係ないとしているのが人間である、いづれにしろ聖なるものの濫用は相当に罪が重い、ただこの世では裁かれないからかえってそれで成功する人は危険である
そもそも宗教で成功すること自体危険である、なぜならこの世で成功することはまさに
この世で力を得て権力を得るとういことだからである
だからこの世で成功した宗教は実際は失敗した宗教だともなる、そこに金が集まり人が集まりそして巨大権力化してこの世を支配する、それこそそこはサタンに乗っ取られたとなる、それがこの世なのである


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2022年08月03日

安倍晋三とは何者だったのか? (在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が不可欠


安倍晋三とは何者だったのか?

(在日とアメリカとその背後にあったものー人物を知るにも地理が不可欠

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安倍晋三というのは何者だったのか、山上に殺されてから統一教会が問題にされ問われた歴史的には勝共連合からその祖父の岸信介とかから受け継がれてきたものがある
CIAとかは関係していたとか議論されている
韓国はアメリカ軍が駐留しているし統一教会ともトランプ大統領でも関係していた
統一教会のバックにはCIAとかがあり日本工作していたとかいう
何かそれが辻褄が合うのも不思議である
日本は今でもアメリカに戦争に負けてから属国なのだから当然だとなる
なぜ安倍政権が長期政権になったのかとういうとバックに統一教会がいてアメリカもかかわっていたとなる、たいして功績がなくても長期政権になっていたとなるからだ

そしてもう一つは政治も地政学が基本にある、下関とかは韓国に近い、韓国に行く定期船が出ている、そして岩国基地がありアメリカ軍がいる

 垂直離着陸可能な米軍のステルス戦闘機F35B16機を、米軍岩国基地に追加配備する計画が動き出している。岩国基地は厚木基地からの空母艦載機移転や「沖合移設」を掲げた滑走路増設で、すでに120機の軍用機と滑走路2本体制を備えた極東最大の軍事拠点に変貌している。そのうえに空母艦載機であるF35Bの一個飛行隊を追加配備し、岩国基地を対アジアをにらんだ空母艦隊出撃拠点に増強しようとしている
 
岩国には岩国城があり山城がある、そこに上ったことがある、でも小さい城だった
ここはアメリカ軍基地としては第一の大きさである
ここはやはり地政学的に韓国に近いし日本最大のアメリカ軍基地となった
そういう地政学が必ずあらゆることに関係している、なぜなら明治維新でもここは長州でありここを基点として幕府軍と戦って明治維新になったからである
それに比べると会津でも国際情勢にうとくなる、明治維新は四国の坂元竜馬、長州の萩の吉田松陰とかあとは薩摩藩が合体して成したということがあるからだ
そういう人物が出たのも地政学でわかる、例えば江戸時代で赤穂浪士が討ち入りしたとき青森の弘前藩までそのことが伝えられるのに相当な時間がかかった
電話もないのだから伝わるまで時間がかかる、そうして東北とかは国際情勢にうとくなるのである、そこに会津藩の悲劇もあったのかとなる

地政学的に山口県とかなると知った人だとアメリカ国籍であり在日の人がいた
これも不可解なのだがそこにいれば不自然ではない、アメリカの第一の基地があり
在日の人も多いからだ、でもその人は日本人ではない、それでも日本語はしゃべれるし日本人と区別できないのである
だからこうして複雑な事情がありそういう人物も生れたとなる
日本人になるのは嫌だ、では在日という国籍はない、それではアメリカに住んでアメリカ国籍をとったとなる、だから実質はアメリカ人なのである
それで岩国のアメリカ軍人と話ししていたのである、それも不思議だとはなるがこうしいう人は地政学的にあの辺りにはいるということである
その人はアメリカと通じ在日に通じまた日本人に通じている、でもアメリカ国籍とするとアメリカ人でありCIAの一員なのかともなる
それは統一教会とも似ているのである、在日とか韓国人は戦争のことで日本人を恨んでいる、それは共通している、そこで差別に異常に敏感なのである
だから在日というのは扱いにくいのである、一体何人なのかわからなくなるのである

Yoshitakaは,名前を 「YoshitakaLEE-MIYAZAKI」 とい うかたちで名
乗 りたいと思 うようになっているとい う。
《Yoshitaka》両方にしたいかもしれません.LEE でもなく,MIYAZAKI
でもなく,まあ,スペイン人風に,LEE-MIYM AKIって。それなら,韓
国人でもない。 もう,ほんと,在 日ですよね。
LEE-MIYN AKIなら,アメリカにいれば,コリアンから見ても,ああ,
日本で生まれたコリアンね,つて,そ うい うところで理解を得てもらえる
と思 うので。ぼくは,アメリカ人 としての部分もあるんで,そこを強 くし
て い き た い と思 っ て

越境する 「在 日の苦悩」
- 日本名 でアメ リカ国籍 になった在 日コ リア ンか らの聞 き取 り
file:///C:/Users/yuichi/Downloads/KY-AA11946779-26.pdf

こういうことである、LEEとは李のことなのである、李とは李朝鮮があり中国でも大きな一族の姓である、日本で李と名乗る時、その人は私は在日ですと宣言しているのである
でも日本名になるともうわからなくなる、区別がない、だから李と名乗る人は日本人になりたくない人だともなる、だからはこそその人はアメリカ国籍をとったとなる
でも現実は日本で育ち日本人なのである、だからそもそも国籍とは何かとなる
二重国籍も普通にありグロ−バル化すると増えた、そうなるとその人は一体何人になるのか不可解になるのである

安倍晋三という人間もこうして山口県であり長州閥でもあり岸信介から韓国とかかわり
勝共連合とかかわり統一教会とかかわる、その背後にはアメリカがいるともなる
東北だとそういう人物は理解でなきないとなる
その人は個人的にそうなっているのだが統一教会は組織団体としてそうした立場になっているのである、韓国人にとっては在日にとっては日本人を操作するものとしてあったとなる、ただ在日朝鮮人を理解することは本当にわかりにくいのである
東北人はそういう歴史とか地理にない、そこで日本でも地政学が影響するのである
なぜなら人間は基本的に自分が住んでいる場所から世界を見るからである
そこにどうしてもずれが生れて来る、東北ではどうしても国際性が育たないのであるもともと出雲に国引き神話があるように韓半島は常に近いからそうなっていたのである

つまり安倍晋三とは地政学的に歴史的に理解する、地政学なくして人物も理解できないからである、安倍晋三はどうみても国葬にするような人物ではない、外交で多少功績があったとしても国葬にするような功績はないだろう、だから国民は賛成していないのである
結局何であれ人間が一旦死ぬと美化されやすい、どんな人でも死者を責めるのははばかられるからだ、そして美化されることによって自民党は国民の支持を得ようとする
死者を祭あげて政治に利用する、そういうことは共産党でもソ連があったとき書記はまるで神のように葬られたことでもわかる、エジプトでも王が神のようになったのもそういうことがある、神聖政治になるのである

ただ人間が別に普通の人でも死ぬと必ずその人が何だったのか問われる、この人は何をしてきた人なのか、何を残したのか、何の価値があったのかとか死んだ時客観的に冷静に見られるのである、それで安倍晋三が死んだからそういう議論が開始されたとなる
その評価はいろいろあるにしても何か目立って政治的に功績があった人なのか疑問であるどうしても右寄りの人は良くいうのは政治的に死者を美化して利用することがある
それが歴史的にも政治の手法だからである
ただ日本を衰退させただけの人だという人もいる、現実に衰退はつづいている
でもそれが安倍晋三のせいなのかとなるとまたわからない
そこには様々な要素があるからだ、政治もその大きな要素であり責任はあったとなる
ただ山上一人がこれほどの反響を呼んだことは驚きである

多数決の民主主義にこれで疑問を感じた人は相当にいる、民主主義の選挙では何も変えられないということを常々思っている人は同じようなテロに走るかもしれない
テロというのは否定されるにしても命をかけてしているから違っている
一票を投じるのとは余りにもその覚悟が違うのである
そもそも民主主義は大衆民主主義であり機能しなくなっている、だから何らか改革しないとテロが横行するようになるかもしれない、選挙では民主主義では変わらないということをみんな実感しているからだ、だからこそ山上が祭りあげられるようになった
その効果に驚いたのである



李という人はパソコン通信で知ったのである、それも20年前とかなるのに驚く
何か時間が過ぎるのが早い、あの人と旅で逢ったなと思ったら十数年過ぎていたとかなる大学時代あった人は50年過ぎたなとかこれも信じられないとなる
パソコン通信とはあの時相当な熱気があった、それは全国に住んでいる人が出合い文字で話すことによってそうなったのである、そういう経験をしたことがないからである
それはインタ−ネットができて起きた新しい経験だったのである
だから今でも自分は5chとかを読んでいる、ただ発言はしない
やはり発言するとなるとその人を知るには不十分でありものたりないからしていない
また今は忙しいので対話もしていない、返事もしていない
何かプログに文章を書くだけで手間なのである、そしてスマホを買ったがこれも手間で
今はほとんど利用していない、結局一人でいろいろなことをすることができないことがわかった、家事から何から何でも一人ではできない、それでフェスブックとかもしようとしたが一回も書き込みも返事もしていない、結局使い方自体がわからないからできなくなったのである

posted by 老鶯 at 16:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月05日

大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代 (地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)


大衆ファシズムとカルト宗教団体の時代

(地の塩の消失した大衆社会はヒットラーに指導される)

●政治とは利権利益の調整

政治とは何かと言えば利権利益の争そいである、互いの利権利益があり奪い合いとなり戦争にもなる、戦国時代は入会権の争そいから始まったというときわかりやすいのである
地域の入会権に戦国大名がかかわり大規模な戦争にもなった
水争いとかなると砂漠地帯では水が命だから水の奪い合いになるとかわかりやすいのである、本質的には人間が争いになるのは利権利益の争そいである
それが自分の住んでいる場所でも起こった

原発事故の補償金でもめたからである、それは今でも尾を引いてる、隣でなぜ多くもらえたのかとか、30キロで区切られたから女性の親は泣いて訴えていた
なぜなら別に放射線量など変わらないからである、だから30キロで区切ったのは問題だった、南相馬市では鹿島区が30キロ以外になり補償金が30キロ内の原町区と小高区とは相当に少なかった、原町区は避難区域になっていないのに三倍もらっていたとかなる
それで南相馬市は一体化感が失われたのである
でも避難者が仮設住宅に押し寄せた、それは相馬市でもそうだし新地とかでもそうである補償金では津波被害者と原発避難者では差が大きかった、それで同じ仮設に住んでいても口をきかなかったという、それも人間は金になるとシビアになるからである

人間はともかく争いの原因は利益利権の争そいである、政治とはその争いを調節することが役割だとなる、でもそれも公平にするのはむずかしい、だからこそその決着は武力になり戦争になる、平和的に解決しようとしてもできないから最後は武力で力で解決するとなる、それが人間の歴史だったとなる
それで三国志とマキャベリズムが生まれた、いかにして権力を得るかとか権力が最大の課題となるからだ、そして宗教でも占いでもなんでも戦争に利用しろというとき統一教会でも同じだった、宗教は戦争のために利用されたのである

●カルト教団も大衆ファシズム

カルト教団とは何かとなれば統一教会でも創価でも幸福の科学でも権力志向が強いのである、政治に深くかかわり権力を操作したいということである
創価なら毎日365日選挙しか関心がない、そのために祈る
それが利益になり利権になるから祈る、御利益のために祈るだけである
あらゆる欲望は肯定されるしむしろもっと欲望を持てと幹部が指導する
会員もそうした欲望を満たすために祈り運動しているからである
だからなぜそれが宗教なのかとなる、政治活動であり御利益を得る経済活動だから税金をかけろというのは正論なのである
それも結局民主主義とは数であり数だ多数になれば法律も数で決められるのだからどんな理不尽なことでも通る、そしてナチスになりファシズムになるのである

つまり現代とはファシズムの時代だったのである、なぜなら民主主義といってももう大衆民主主義でありすべては数で決まる、内容など関係ないからである
だから創価とはでもカルト教団では必死になって会員を増やそうとしている
数が集まれば社会を威圧できるし権力化するからそうする
ただ統一教会はそんなに力があったのかということである
隠されて報道されないのでわからなかった、全国で十万くらいの会員で自民党を操作する力があったのかとなる

キリストがこの世のものをあなたに与える、王にしてやると言ったとき断った
でもカルト教団だったら喜んで引き受ける、それよりそもそもがこの世の王になること権力を持つことが目的だからである、理論的に王仏冥合とかあり矛盾しないからである
それは中世のものであり現代にとても適用などできないのである
ただ理論などどうでもいいのである、権力を得ることが利権御利益を得ることが目的でありそのためにいろいろ理屈が言えるからである

●共産主義も全体主義で大衆ファシズムと化した

現代とは大衆社会であり民主主義と大衆は相性がいいのである、そしてマスコミが大衆を洗脳するのである、実際は大衆があってマスコミがある、大衆の意向にそってマスコミもあったのである、だからナチスがラジオから生れたかというときもそうである
ラジオのようなものでもそんな影響があったのかとなる
ただ現代社会は報道するときその場に立つこともできないし世界になるとさらにわかりにくくなる、だからフェクニュースでも信じやすいのである
マスコミによって操作されやすいのが現代だったのである
でもそれまでは新聞がそうだった、朝日新聞が一番戦争をあおったというのも意外だがそういうことがあった、そこでファシズム的熱狂が起きていたことはいえる
ファシズムというとき全体主義のことである

共産主義も全体主義でありそのために何千万人が死んだとか言われる
カンボジアでは二百万人が共産主義で粛清されてその骸骨が山と積まれた博物館がある
共産主義も全体主義でありファシズムでもあった
また宗教ファシズムにもなるのがカルト教団である
それらを野放しにしているとナチスとなり膨大な犠牲者が出る、何か信教の自由と自由、自由とかまるで絶対の権利になったのが現代である
そこであらゆるものが自由だとなり結果的にはそれがナチスとなりファシズム戦争となったのが現代だったのである

政治というとき民主主義でもポリスは一万くらいしかの人口がない、そこでは直接投票であり誰かの代理人を選ぶ投票ではない、だから一票の重みがあったし責任もあった
現代で一票など何の価値もない、だから組織化集団化したものに頼る、それがカルト教団でもいいとなり問題化したのである
つまり現代の危険はどうしたら大衆洗脳されるものから逃れて各自の自主性を確保するかとなる、そのためにカルト教団などは規制すべきなのだができないのである
自民党はカルト政権だったということが統一教会のことでもわかったしそもそも創価と一体化しているのだからカルト政権であり政教分離に違反している
でも法律など関係ない、政治は数だというときカルト教団も数となれば票を得られるのだからそれでいいとなる、とにかくまとまった票がない勝てないとなるからそうなる

●ノブレス・オブリージュ(地の塩の消失した大衆社会)

現代とはあまりにもあらゆることが自由にしたことなのである
そしてカルト教団でも信教の自由があるとか主張する、あらゆる人が自由を主張する
権利を主張する、しかし義務とか責任は意識しないのである
貴族支配に問題があったが侍支配にも問題ががあったがそこで

ノブレス・オブリージュの精神とは、
「財産、権力、社会的地位というものは、自分自身の能力ではなく、社会から、祖先から与えられたものであるから、自己を犠牲にしてでも果たすべき社会的義務がある」という考えである。

要するに大衆は義務とか責任は感じない、ただ利益を得ることであり利権を得ることしか考えないのである、無責任なのである、そこで起きたことはもう大衆に社会が席巻されて終始がつかなくなる、誰も国でも地域でも責任は持たない、すべては大衆の利益と利権しか追求しない、それで原発事故でも家の前の海に権利があるとして補償金をもらう権利がるとして主張したりあらゆることで権利を主張するようになったのである
そこに責任とか義務などはない、それが意識できないのである
でも結局必ず責任がとらされる、その責任とは大衆戦争だったら何千万人が死んだとか原発事故だったら故郷に住めなくなったとかである
その責任は空恐ろしいものとなったのである

この世には一定数の地の塩が必要である、とても大衆にまかせたらあくことなく権利利益を主張するだけであり社会は餓鬼地獄にもなる、大衆は責任とか自覚しないからである
結局現代文明とはこうして大衆によって消耗される社会だともなる
カルト教団でもそうである、膨大な大衆によって使うようで使われる
大衆に使われて一生も終わる、結局大衆は真善美など追求しない、真善美を追求するのはやはり一定数の地の塩だとなる、その人達がいて下々でも社会は治められるとなる
カルト教団などは真善美など追求していない、権力しか眼中にない、数を集めて権力を得ることしか眼中にない、あとは人間のあらゆる欲望を肯定して御利益を得るために活動しているだけである

そして大衆を使っているようで大衆に使役されて一生を終わる
民衆のためだとかはない、自分の御利益と欲望しかない、その教祖は実際はサタンだともなる偶像でありそれに使役されて終わるとなる
何か善きものは残さない、会館とか各地に建ててもそれも虚しくされる
でもそこに費やされた金とか時間は膨大である、それも何ら実りがないのである
だからつくづくこの世は何なのかとなる、無益なことに膨大な時間と金と人員が費やされるのである、それはサタンに使役されるためにあったのかとなる

●代議制は無責任社会にした

人民の代議士はその代表者ではない、彼らは人民の委託人にすぎない
最終的に何事も取り決めることはできない、人民が親しく承認しなかったような法律は
すべて無効であり決して法律とは言えない
イギリス人民が自由だと自分では考えているが彼らが自由なのは議会の構成員を選挙する期間中だけであり選挙が終わってしまえばたちまち奴隷の身となりなきに等しくなる

戦争を起こすものは人間の関係ではなくものごとの関係である
そして戦争状態は単なる対人関係から生まれない、ただ対物関係から生まれる

人民は代表を持つやいなやもはや自由でなくなりもはや人民として存在しなくなる
(社会契約論ールソー)

代議制では代表者を選ぶのであり選ぶ人は責任もなにもないいてある、すべて委託するだけであり責任を放棄するのとも同じだとしている、だから代議制というのは無責任であり選ばれた人でも実際は無責任である、選んだ人に責任があり選んだ人が悪いのだとか
選ぶ人たちが低劣なる選ばれる人も低劣だとなる
むしろ低劣な人間しか選ばれないともなる、そこに民主主義の限界がある
直接民主制とかはもう国単位では無理である、巨大すぎるからである
それは一万くらいのポリスで可能な政治体制だったのである

そして大衆民主主義とかポピュリズムとなるとき芸能人とかただ名前が売れている人が選ばれることになる、それで青島だとかふざけた人でも東京都知事になる
それは大衆にとって芸能人が身近であり名前も知っているからそうなる、第一大衆は考えるのが嫌なのである、めんどうなのである
だからこそカルト宗教が人を集めたのである、そこで一切考える必要がない、教祖の命令のままに動くロボットとなる、ナチスの党員となるからだ
その人達は機械のように動く、それで怖いのは殺せと命令されたら何の躊躇もなく人間を大量殺戮したとなる、命令されたことに疑問もなく考えることもなくそうしたことが怖いのである、大衆民主主義はそうなりやすいのである

大衆民主主義は最低限の人達のレベルに合わせることである、知性もなにもない芸能人に投票するような人に合わせることである、よくよく考えて選ぶ人ではない、人気投票のようなものになる、つまり大衆民主主義は最低辺のレベルの人達に合う人しか選ばれないということである、そこに絶望がある
経済的には最下層の人達に合わせるのがいい、でもその外のことについては大衆には合わせるべきではない、経済的な富裕層というのではなく何か選ばれた人達、一定の地の塩が必要なのである、一番下劣な人達に合わせて社会はどうなるのか?
もう高等なものを追求することもできない、愚民社会であり最悪は大衆ファシズムとなりナチスとなってゆく、それが今問題にしているカルト宗教のようなものになる
それはただ数を集めることを目的として権力と御利益しか関心がないからである
ただ現代はあらゆることが水平化するから何か優れた人とか認めないのである
それでニーチェのように衆人から逃れよとなってしまう、そして山に入り自然と一体化してロゴスを追求するのてある,アウトサイダーになってしまうのである
別に超人ではなくても自然のロゴスと一体化するのである

●水平化される大衆化される社会はヒットラーが指導者となる

大衆に高遠なことを説いて無駄である、それより大衆からは逃れよとなったのがニーチェなのである、雲霞のように押し寄せて来る大衆を相手にすることではない
結局大衆に消耗されて疲れるだけだとなる、大衆は相手にしないことである
政治の問題は市民とかではない、もう大衆を相手にしているから行き着く先は大衆ファシズムになる、それを象徴しているのがカルト教団なのである
何百万人の会員がいる、その中に百万以上の幽霊会員がいるとかもうそこには何も人間的なものは生まれない、ただ数として人間は処理されるだけなのである
つまり大衆は幽霊化した実体のないものでもある

そもそも現代文明とは人間は数として処理されるだけである、統計的数字として処理されるだけの存在なのである、万物の霊長たる人間はいない、そうなるには大衆より逃れよ
山に入れとかなる、何か大衆に諭すことなどできない、大衆に説教しても無駄である
個々人ならできるが無数の大衆には無駄である、それはただ数としてあるだけであり
リンゴであれミカンであれバナナであれ果物でも違っていてもみんな一個として数えられるだけなのである、カルト教団などは創価などでも毎日数を数えている、票を数えているだけなのである、結局大衆に使役されているのがカルト教団である
結局ロボット集団なのである、その制服はみんな真っ黒なのである
人間的なものはない真っ黒な集団でありナチスの党員と変わりないのである

対話するときは同じレベルの低レベルの人達と会話しても対話しても低レベルにとどまるだけである、現代は高レベルの人でも水平化されるから大衆が力をもっているから高遠なことを説いても無駄である、雲霞のような大衆に席巻されるのである
政治とは金と数だと田中首相が言ったように数を第一にすることは大衆が席巻する時代である、だからこそ自民党がカルト教団に牛耳られる、まとまった票を得られる
無料で選挙応援もしてくれる、金もくれるとかなる
現代とは大衆を操作するものが権力を持つのである

それはナチスを見ればわかる、民主主義があり選挙して勝ったから数を集めてそれがナチスに発展したのである、つまり低劣な大衆扇動者が権力を持ったのである
カルト教団はみんなそうである、その教祖を神のようにあがめハイルヒットラーとなっているのである、それがサタンになっているのである
とにかく代議制というとき他者に住民がまかせることがなかったというとき以外である
ローマでもそうだった、今と違って直接民主主義か責任をもって参加する度合いが強かったとなる、だから代議制民主主義は堕落する、議員に成る人は禄な人がいないとなる
でも現代社会ではエリートとか地の塩とかは否定される、すべて水平化されて大衆化される、つまり優れた者はない、みんな同じだとされる
そして大衆を指導するの扇動するのはナチスになったのである,カルト教団だったら
教祖になる、そもそも宗教もカルト化したとき大衆化したからである

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2022年08月06日

昔の暮らしを俳句から偲ぶー明治の貧困を今と比べると・・・


昔の暮らしを俳句から偲ぶー明治の貧困を今と比べると・・・


「殺し掻き」は木が枯れるまで漆を採取し尽くしその後は切られてしまうところからきているようです。
採取された漆は「血の一滴」と呼ばれています。木が傷を付けられ、修復のために流した樹液なので、漆は一滴一滴を無駄にしないように大切に使われています。

谷深うまこと一人や漆掻き

翁住んで壺の漆を干しにけり

漆掻く山に通草(あけび)の赤きかな

(河東碧悟道)

漆はJAPANと外国で言う、陶器はチャイナで中国である、漆の製品は外国と特別重宝された、その漆の技術は縄文時代から始まるから本当に古い、だからどうしてそういう技術を知ったのかとなる、たいがいは中国から入ってきたからだ

漆(うるし)とは、日本、中国、朝鮮半島ではウルシ科ウルシ属の落葉高木のウルシ(漆、学名: Toxicodendron vernicifluum) から採取した樹液であり、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料および接着剤である。その他ベトナムなどの東南アジア、ミャンマー、ブータンにも成分や用途は異なるものの一般的に漆と呼ばれる天然樹脂が存在する

ウルシという言葉はやはり中国から来たのか?ウルシの木があるから古くから漆塗りは始まっていた、ただ日本で一番古くからウルシは使われて日本の特産品となった

なぜウルシのことを言うのかというと私の家の前で漆塗りをしていた家があったのだ
だから身近だったのである、いつも漆を丁寧に塗っていたからだ
何かその頃石屋とかも近くにあり石を一日削っていた、また篭屋があり竹で篭を編んで作っていた、子供の時そういう仕事を見ているとその仕事に親近感を覚える
そして近くの山に入った時でも漆の木がありうるしにかぶれるとか騒いでいたのである
漆はその頃身近なものとしてあった、でも漆を製品化することは相当な手間だった
手作りであり外でも着る物でも機織りでも手仕事であり家で機織り機があり織るおとは手間である、つまり昔は機械で大量生産できないから一つ一つ手作りだから手間でありそうして作られたものは貴重である

今はいくらでも商品があるがその商品がどうして作られているからわからないのである
だからユニクロの製品が貧しい国の労働者が作っているとかその労働も過酷だとかなり問題になった、でもその現場を見ることができない、何でももはや物を作っている現場を見ることは現代ではできない、フィリピンのバナナを作る所で日本人が働いたらその労働がきつかったとか報告がある、そういうことは全くわからないで商品を買って食べているのが現実である
だから物を貴重に思わないから無駄にして捨てるともなる
どうして生産しているかわからないからだ
ただ大工さんに地震で壊れた所を直してもらったりして補助役をしてその苦労の一端がわかる、その大工さん異常に苦労なんだよというから困るが確かに苦労していることが実感としてわかる、でも今人間の仕事が多岐に分岐して理解できないのである
まず仕事を身近で見ることができないからである
だから過去の仕事がどういうものだったか偲ぶ時俳句とかでも役に立つ
文学とかも実地の実際の生活を離れてありえないからである
そして一時代が過ぎるとそうした仕事がなくなったりするから余計にわからなくなる
紙漉きという仕事でも冬に行う、冷たい水を利用するから辛い仕事だったとなる
するとその紙は貴重なものとなる、それだけの労働の結果として作られたからである
でも今は紙なんか大量にあるから捨てるとなる

まず野菜にしろ農作物でも畑じ実地にしている人を見たらいかに大変かわかる
その女性は結果的にはほとんど収穫がなかった、ただネズミに食われた、道具が盗まれた畑をうなってもらって金を払ったとか肥料代がかかり実際は金をかけてもとれたのはほんのわずかだったのである
苦労ばかりで収穫はほとんどなかったのである
そのことで農業とは大変な作業であり簡単に実りにはならないことを知った
何か生産者の立場がわからないのである、私自身でもプログに毎日文章書いているけどこれも手間なのである、最近キーボードを打ちつづけて肩の所が痛くなったのである

そこに力が入りそうなった、それは職業病でもある、体の一部を使いすぎてそうなったのである、つまり何でも文章でも生産する側になると手間であり苦労がある
ただ知的なものはかえって文章を読む人が苦労することはある
芸術だと鑑賞者が優れていないと作品を活きないのである
ただ最近わかったことは何かを本でも理解するには何回も読まないと理解できない
何回も読んでいてその人の言いたいことを納得するとなる

とにかく人間は昔をどうして理解するのか、これはやはりその人の経験が大事になる
経験していればイメージできる、だから子供の時の経験は貴重だったのである
裏の堀で洗濯していたとか今では信じられない時代だったからである
水道でもガスもない、電気も裸電球一つくらいしかない時代である
燃料は炭だったから江戸時代と同じだったのである
そういう時代は今は経験できなくなった、余りにも変わりすぎたのである

漆掻く山に通草(あけび)の赤きかな

通草(あけび)の実は割って食べていたのである、ただ赤いというのは花のことだろう
子供のころは風呂のたきつけの落葉を拾ってきたりとか原始的生活だったのである
水道もなかったから井戸水であり街には井戸がない人は井戸水がある家にもらいに行っていたのである、それは無料だったのである
人間の生活は戦前までそういう生活であり江戸時代のつづきだったのである
それが高度成長時代から急速に変わってしまったのである

現代と過去の仕事の相違は地元で働く人が少ないのである、昔はほとんど地元で働いていた、農業であり漁業であり林業であれそうである、大工であれ建築工事関係でも地元中心に働いていた、今は地元ではなく遠くへ働く人が多いのである
足場の仕事の人は最近横須賀の方に行ったとか前にでも青森に行ったとかある
運輸関係でもトラック運転手などが結構多いし出合うのである
現代の仕事は運ぶことが多いからそうなる、特に通販時代になると運ぶことが多いから
その仕事にたづさわる人も多くなる

六号線トラック休む夏の雲

何かトラック運転手だった人が足悪くしたとか自転車で近間を回っている、その人と良く合うのである、その人が働いていたときはまさにこんな風景だった
俳句でも文学でも必ず時代を反映する、戦前とかまでは馬車が多かった

馬車屋とかもあった、馬車で荷物を運んでいたのである、リヤカーも利用した、でも一番重い荷物を運べるのは馬車だったとなる、それで子供の時馬車の後ろにのって遊んでいたりしたのである、だから馬に自ずと親しむということがあった
この辺では野馬追いがあるから未だに馬に親しむことはある
でもその頃は生活の中で馬が不可欠であり人間とともに活きていた、

元々甲州街道の中には上下の高井戸宿があったそうですが、その間を埋めるように新しい宿ができたので新宿と名前がついたそう。
四谷新宿馬糞の中、、」と書かれているので四谷新宿は馬糞が目立ってしょうがないところだということがなんとなくわかります

鳴雪の句「新宿や馬糞の上に朝の霜」

新宿となると江戸時代でも人通りがある、馬も来る、だから馬糞が目立つ、この辺でも野馬追となると馬糞が目立つのである,インドだと牛の糞を干して燃料にしたりする

菜の花や馬車をこぞりて下る人

馬車にのせられて人達が一気におりる、その数は多い、菜の花と馬と人間がいる
そういう風景は絵になり詩にもなる、でも車時代になるとそういう人間的風景が失われたのである、だから私は車は好きではないのである
車にとって自転車は邪魔物であり歩行者すら邪魔者となっている、それは自転車は道を急に横切ったりするからである、また自転車からしても車は相当に危険なものなのである
特に後ろから来る急に来るから危険なのである

とにかく馬頭観世音の碑が多いのは戦前までは戦後ですら馬車が荷物を運んでいたからである、その供養のためにいたるところに馬頭観世音がある、それはまさに馬の時代だったことを象徴していたのである、新宿でもそんな時代があったことなど今になるとイメージすらできないのである

昔を知るという時、やはりいかに貧乏だったかを知る、それは今の貧乏とはまるで違ったものである

水買うて分かつ蜆(しじみ)や隣同士

隣から薬草くれぬ蜂の毒

(河東碧悟道)

隣同士でこうして物の分かち合いがあった、貧しいから互いに助け合うことがあった
薬草というとき薬ではない、野の薬草をとって分けていたのかとなる、そもそも薬は高いものだから簡単に買えない
今でも金がないと薬も買えないし医者にも行けないとかなる、日本が貧困化してそういう人も増えているのである
蜆というとき真野川で結構蜆がとれていた、私は蜆を暇なのでとって家族とともに食べていたのである、大きな蜆もとれていたのである、津波以後はとれていないが今とっている人をみかけるが少ない、そういう思いでがあったとなりなつかしむ

当時の暮らしをみると

家賃日掛け 2銭

布団損料 3銭
薪小束  一銭五厘
計り炭  一銭
醤油   一銭
たくわん漬け一切れ 5厘
塩魚    二銭
酒コップに一杯代 一銭五厘
白米一升  一四銭

(明治東京下層生活誌ー中川清)

明治の暮らしの家計簿である、これで思いあたるのが家賃日掛け二銭というのは毎日家賃を払っていたのである
というのは私の父親は酒屋をしていて姉は毎日家賃をとりに行っていたということを聞いた、家を貸していたことがあった
父親の通い帳というのが残っている、それは貸したものかもしれない、それでその貸したものをとりに回っていた、つまり酒を飲む金もなかったとなる、それで貸した金が払えないのでわずかの土地を得た、それが今でもかえって税金をとられている
その土地がどこなのかもわからない、これも変なのである
その頃質屋が多いのはやりくりするために多かった、何かを質にしてやりくりしていた
酒コップ一杯代が一銭五厘とは高いかもしれないからだ
一番高いのは白米一升で14銭である、白米は贅沢品だったのである

薪小束 一銭五厘とか計り炭 一銭とかは薪とか炭が燃料だったからである
たくわん漬け一切れ 5厘というのは高いのか安いのか結構高いのかもしれない
なぜなら私の母親は原町紡績に十年間糸取りしていて昼間の食事は味噌汁とたくわんとかあとなにかあったのか、一汁一菜なのである
だからそんな栄養で良く仕事できたなと聞いていた、醤油でも貴重だったとなる
布団損料とかあるのは布団を買えないで借りていたからだとなる
この暮らしは江戸時代の本当につづきである
私の父親は病気になり

サシミ食えるようになったが食いたくないと言って死んだ

これも悲惨だった、その頃店をして豊かになった高度成長時代の始まりだった
その頃バナナを売っていないので仙台市まで姉が買いに行って食べさせた
果物は高いと買えないというがバナナだけは安いから買えるのである
こうして昔を比べると貧困というのがどういうことか本当は今の人はわかっていない
確かに日本は貧しくなっている、でもその貧困の度合いが昔とは比べられない貧困なのである
ただ貧困の中で食べ物でも分かち合うことがあった、そこに人情があったとはなる
また馬と身近に接しいるから情が育まれてはいた、車とか機械になると情は育まれないからである、また隣同士で助け合うとういこともなくなった
すべて金となり何か物を分かち合うことはない、でも金はいくらくれても感謝もしないことがある、物だと物に憑くとか物に心がついて金とは違ったものになるのが不思議なのである、その物は今と違って相当に貴重なものだったのである

とにかく昔を知り今を知ることが大事である、今確かに貧困な日本になっている
では貧困とは何かとなると実際わからなくなっているのだ
今の貧困は電気ガス水道が止められることである、それが一番深刻なのである
でも昔は電気ガス水道もなかった、そこに金を払うことはなかった
ただ日々の食事をするだけで精一杯だったとはなる


posted by 老鶯 at 19:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

2022年08月08日

政教分離とは何か (宗教と法律の問題ー宗教は心の内面を追求する)


政教分離とは何か

(宗教と法律の問題ー宗教は心の内面を追求する)

●法律と心の問題

法律とは何か、それは強制力を持っていることである、法律に違反すれば罰する力を持っていることである、権力で執行する力はを持っていることである
宗教とは何かとなれば様々な罪があるとしても法律に触れなければ罰すること刑罰を与えることはできない、ある人を恨んでいても殺したいと心でも思っても罰せられない
現実に人を殺した時罰せられる
でもあるインドの思想家は心で思ったことは必ず影響する、誰かが殺したいという念を強烈に持つと誰かにその念が伝わり殺すこともありえると言っていた
それだけ念は目に見えない具体的行動とならない場合でも罪だとなる
心で女性を犯したものは実際はそれも罪だとしている

こうなると誰も罪がない人はいない、それで不思議なのは自然界では罪というのはない
動物でも他の動物を食べるにしてもそれが罪とはならない、そうしなければ生きていけないからである、ただ自然界には人間のような様々な悪念はない
自然災害にしても人間を恨んで災害を起こしてはいないのである
津浪でこの辺で多数死んで海を恨んだという人もいたが自然を恨んでも無駄である
それよりなぜ人間が自然災害に備えなかったのかと人間を責めるのである

ともかく人間の思想とか念とかは相当に影響するから怖いのである
それが例え犯罪にならないとしても逮捕されないにしてもそういう念を持つことが危険になる、それで韓国でも中国でも戦争の恨みがありそれで日本に復讐しようとする
そういう念を政府が過剰に作り出す、そして日本人は謝るべきだとなり統一教会ではそれを宗教として正当化して韓国をアダムの国として日本をエバの国としてエバの国は韓国に尽くすのが当然だとして金を奪った
韓国では常にそういう念があり今の国だとしている、常に侵略されてきた歴史があるからだ、そういう念があると全体に影響して全体が恨みの念となり日本人は謝罪するべきだ
金を奪ってもいいのだということが正当化される
そうした集団的念が過剰に政府からでも作られることが怖いのである
それは別に行動にならなければいいというがいつか中国でも日本人を標的にして暴力にもなったし韓国でもなる、結局その集団的念が戦争になってゆく
つまり戦争とは外国に対して国単位で集団で全体に念が大きくなり強くなり本当に戦争となり外国人は殺してもいいとまでなったともなる

韓国人に最も顕著な、他の民族にはあまりない特徴といえばやはり「恨(ハン)」の精神であろう。

この恨(はん)は個人的なことではなく歴史的なものであり国家的恨(はん)だとなる
個人的恨みは批判されることがあるが国家の歴史的なものは肯定されるとなる

●心と念の問題

宗教というのはキリスト教でも仏教でも他の宗教でも法律ではない、法律の基であっても宗教に強制力はない、逮捕することはできない

「お前は人を殺したいとかの念を持ったから逮捕する」

こうはならないのである

なぜカルト宗教団体が問題なのか?それは法律にふれるから問題なのか?
オウムのように武装して権力得て日本を支配してその教祖が王になるという思想があったそれを具体的に実行しようとして武装化して本当に反対者を殺した
でも思想信教の自由というとき心で思っていただけらならそれが危険思想でも自由民主社会では罰せられることはないのである、刑罰も与えられないのである
宗教と政治の問題が政教分離でもわかりにくいのかというとそこに宗教とは本来どういうものなのか明確にしていないからである

宗教とは個々の心の問題であり政治や法律は現実社会で具体的に適応して執行力がある
でも具体的に心で人を殺したいと思っても恨んでも別に法律でそれが現実化しないかぎりかかわらはないのである
政教分離のむずかしいのは政治と宗教を分離するというけどそれがどういうことなのか明確ではないからである
別に現実に罪を犯すにしてもそれが具体的なものとなり他人を傷つけて殺すとなると犯罪として認定されて罰せられるのである
でも別に心で個々人でも集団でもどう思うかは関係しない、でも推理ドラマでは必ず殺人でも動機を調べる、それはどうしてどういう心から犯罪を犯したかを問題にするからである、それは個々人の心と関係しているから動機を必ず問うのである

カルト宗教団体の問題は思想の問題でも日本は韓国を戦争で苦しめたのだからその贖罪として金でも寄付すべきだとしている、日本人は謝罪すべきだというのはいいとしてそれがた現実になり金を献金するのはその贖罪のためだとなったとき問題が起きたのである
思想が思想のままではありえない、現実化して具体的なものとして行動になったからそれは犯罪と同じだとなった
人間は思想を軽いものとみる、人の思いは念はたいしたことがない、ただ心で思っているだけにすぎないとかなる、でもそれが必ず行動になるとインドの思想家は言っていたのである、阿部前首相を殺した人はその積年の恨みが積もり積もっていたのである
その激しい恨みの念がありあういう行動に出たのである

今政治と宗教の問題になっているのは政治がかかわるものと法律がかかわるものと宗教がかかわるものの区別が明確になっていないからである
一緒くたになっているからである
カルト宗教の問題は思いとか念にとどまっていればいいがそうではない、具体的に政治にかかわり御利益を得ようとする、それが政治権力として創価なら国土交通大臣となっていることである、宗教が心の問題ではない具体的な権力を得て施行できる立場にある
それは明らかに宗教団体の代表がそうなっているのでありその権力を利用して組織団体の力を増大することができる、だから宗教団体が国からいかなる特権を得てはならないということに政教分離の法律に違反していることは確かである
すると法律は執行力があるのだからそうしてはならないと政治に対して検察側が止めるべきだしてそういう地位につかせないようにすることである
つまり法律は無視されて執行もされないということである
だから法律など別に力があれば無視できるとなりそれは民主主義社会の崩壊に通じている三権分立は機能していないとなるからだ

●他者を地獄に落ちるとか脅迫することは犯罪

ただどんな思想を念を持つにしろそのことで具体的な犯罪とならない限り法律で罰することも刑罰を与えることはできない、だからどんなことでも思っても念など関係ないとか
現実にはなるが人間は動物と違って念とか思想の力が大きく作用する
それが人間の特徴なのである、カルト教団の危険なのはその念と思いが集団化組織化していることである
だから何か反対すると創価でもそうだし統一教会とか幸福の科学でも猛反対して組織的集団的に地獄に落ちるとか罰が当たるとか脅迫するのである
つまり宗教はそもそも他者を呪ったり恨んだりしないことが基本としてある
でも宗教になると平気で地獄に落ちるとか罰当たるとかいうのである
宗教が現実社会に適応されると心の問題内面の問題にとどまらない、なにかと言うと地獄に落ちるとか罰当たるとかいうのである、じれで呪縛される人がいる、洗脳される人達がいて問題になる

ただ不思議にそういう人達も実はその地獄に落ちると罰当たることを恐れているのであるとにかくささいなことでもカルト宗教とかなると何か不満があると相手に対して地獄に落ちるとか罰当たるとかいい、相手が不幸になることをみんなて喜ぶのである
それは仏法に逆らったからだとして信仰の問題にするのである
現実社会に宗教が適応される、人間にはいろいろな不幸がある、それをいちいち宗教的に判断する、成功したら福運があり信仰のおかげだとなる、でも商売に失敗することもあるするとそれは信仰がないからだったとかなる、つまり経済のことでも宗教を適応するのである、宗教をあらゆる世俗の世界にもちこみ判断する、宗教も経済てもなんでも一体化するのである
だから何か不満があると反対があると簡単に地獄に落ちるとか呪ったりするのである
人間はともかくいろいろあっても恨んではいけないとか言うのが本来の宗教である
ただそれが実行するとなると最高にむずかしいからみんな何か得すること利益があることが宗教だとして入るのである

要するにカルト宗教団体は確かに外国では禁止されている、統一教会も創価もフランスなどではカルトとして法律で禁止されているのである、世俗社会に宗教をもちこむとあらゆることが宗教と関係づける、そして常に不満があり反対する者は地獄に落ちるとか罰当たるとか脅迫する、そのこと自体が大きな犯罪とも思うのである
何か確かに具体的に殺すとかしなければ犯罪にはならないがそれは宗教的脅迫でありそういうことを口にしてはならないことではないか?
実際に人間を裁くことは神しかできないからである、だからはそういうことを平気で言うカルト教団は強迫団体なのでありとりしまるべきだとなる
脅迫罪というのが現実にあるからである

●世俗化された宗教はナチスにもなる

いづれにしろ集団組織化したカルトは具体的に心だけではない金銭を要求して収奪する
また政治権力を得るということは政教分離に違反するのである
それは心だけでない、具体的に権力を得ることであり権力を行使できる地位を得たことになるからだ、それは政教分離の法律違反だから取り締まるべきなのである
でも自民党はそれをしていない、票をもらえるからそうしている
統一教会でも票をそんなに持っていないのに選挙運動を手伝うとかして自民党に相当に影響していた、ただそんな力が10万くらいの信者の規模であったのかという疑問はある
ただ法律的には多額の金を献金させていたことは具体的でありそれは法律で取り締まるべきだとなる
権力を持てば罰があたるとか実行できるようになる、国土交通大臣なら大きな力をもっているから公明党に票を入れるなら仕事を与えるとかなる、応援しないものには罰を与えるともなる、予算でも公明創価に有利なように配分することになる
福運を団体組織の利権化することができる、第一そうしたいからこそ毎日選挙運動している

ただ思想にしても創価だと日蓮の教えが王仏冥合であり王は政治のことである、そして国立戒壇を目指しているのである、すると現代の政治からすると法律違反になるのである
でも信教思想の自由があるとしたら別にそれも認めさせることができる
選挙で勝てば数で決めるのが民主制だとするとそういうことでも決めることができる
そして数が万能になるとき遂に民主主義の選挙で法律に違反することなくナチスが生まれたようになる、それは合法的政権だったのである
だからすべてが数が多いからといってそれで決めていたら大惨事になる
「赤信号みんで渡れば怖くない」となってしまう
だから何らかの歯止が必要なのである、それが法律なのだがその法律も万能ではない
法律が執行されていないし法律も数によって変えられるからである
だから法治国家といいっても法律も実際は通用しないときどうなるのか?
結局数であり遂に暴力が決めるとなる、それで山上の行動が快挙だとして賞讃されるのは結局選挙でも政治は変わらないからである、そして政教分離などの法律も有名無実であり阿部前首相は最高権力者となり司法でもその悪事に手を出せないとなっていたからである
宗教とはどうしても内面から心から規制するものである、法律とか政治は外面的に規制する、いくら政治でも法律でも外面的に規制しても人々の心を変えることはできない
心が清いものが神を見るだろうという時、その心が清いということは内面的なことであり外からの圧力でできることではない、だから宗教の役割は外面的なものとして政治権力とか世俗的力で経済力でも変えるのではなく心で本当に悔い改めるとかするのが宗教だとなる、そういうものとして宗教がありそれはキリスト教でも仏教でも他の宗教でも同じなのである、ただ現世的なものの力があまりに強いから現世利益の宗教になってしまったのである

心の清いものは神を見るだろう

神は個々人の心を見ている

心の貧しい者は幸いである

悲しむ者は幸いである

・・・・・・・・

これは外面的なことではなく心の問題としてそうなったのである、宗教というのは思いとか念を浄めることなのである、山伏でも六根清浄を唱えて山で修行することは心の問題をとして宗教があったからである、心を浄めるには大都会ではできない、清浄な自然でしかできないからである
でも人間は現実社会に生きることはどうしても世俗とかかわりそこで宗教も世俗化して
現実社会にかかわり心の問題として宗教があったときまるで違ったものとなったのであるむしろ人間の思いは念は御利益権力志向になる、思いとか念を軽く見るのである
それより現世で金持ちになりたいとか高い地位につきたいとか美人と結婚したいとか様々な欲望を具体的に達成したいとなる、それがまた信仰にもなったのがカルト宗教なのである、だからこそ何百万人も集まらない、票にならないからである
世俗的欲望達成のための宗教となってしまったのである
ただ別に世俗社会だったらそういうことも容認される、でも宗教本来の目指したものとは正反対なものでありそれで矛盾しているのである、理論的にも崩壊しているのである
だからこそナチスになっていったのである、そもそもこうして矛盾しているのだから
いつかその矛盾から理論的に崩壊して破綻してしまうとなる
その破綻にしてもナチスのようになることが怖いのである

●宗教団体組織に頼っても問題は解決しない

ともかく宗教とは何かとなるとき心の問題とか内面的なものだとか言っても現実社会ではバンの問題であり日々の生活が優先されるから宗教もその庶民の日々の問題に適応する
いくら高等なことを言っても日々の生活に足しになるかどうかで決まる
生活に困っていれば援助してくれとなる、だから生活保護者が多くもなる
創価とか共産党に頼めば優先的に受けられるとかそうした日々の生活で足しになることで頼り一票にする、心がどうのこうのとか高等なことでは票は集められないからだ
でもそれが極端になるともう心の問題だった宗教が世俗以上に日々の生活のことになり
それで御利益を受けることしかなくなる、そうして創価とかではどうなったのか?
権力を奪い御利益を配分することが目的になる、だから権力異常に執着する
つまり世俗よりも世俗的になり宗教はただ世俗の御利益を得るための手段となる
そして何か反対すると批判すると地獄に落ちるとか罰当たるとか何百万人の会員が攻撃してくるから怖いのである、別に宗教と関係なく底辺層でも相談にのるとかはいいのである宗教がかかわるとややこしくなる、その区別ができなくなるから問題なのである

例えば社会で生きていれば必ず事業するにしても成功失敗はある、それがいちいち宗教に関係づける、信仰があれば成功する、なければ失敗するとかなる
すると事業で成功するには拝むことになる、そして成功した人は持ち上げられる
でも悲惨な失敗もある、その方がこの世では多い、会員でも実際は悲惨な失敗も多いのである、別に会員になっても問題は解決しない、かえって悪いことが起きることがある
近くで会員になったらすぐに息子が若くして病気で死に母親も死んだとかある
他でもそういうことは無数にある、交通事故だって学生時代に創価の人が死んだ
でもそれでも成仏したとかこじつけていたのである、その会員を見ても様々な問題は解決していないのである、むしろ悪くなっていることもある

それはそれぞれの家族とか個人のカルマが影響しているからかもしれない、自分の時はそうだった、なんらか家族とか親戚のカルマを受けて苦しんだとなる
だからそれぞれの問題は一様に解決はできない、一様に解決しようとしているのが組織団体として解決しようとして個々のカルマがありできない
共産党でもみんな平等にしようとしても結局共産主義が失敗したのは個々の運命とかカルマが違っているからである、そういうものを一様にできないからである
ただ苦しい人は藁をつかむ思いでそういう団体に頼る
女性だと頼ることが習性になっているから余計にそうなる、統一教会で息子が事件を起こした女性は夫を早く亡くして頼る人がいなくなりそうなったらしい
人間が困ったら組織団体で何でも解決してくるのか、結局上の人達はそういう人達を利用して議員になったりして得するだけだとなる、それは共産主義でも同じである
貧困ビジネスだという人もいる
問題になった女性は金はあったのである、一億円も献金していたからである
では何が問題だったのか?それは夫が自殺してそれで頼る者がいなくなりそうなった
でも金はあったのだから困ることがなかった、だからすべてが金の問題でもなかった
その解決方法は別にあったし統一教会に入ることではなかったのである
ほとんどの問題が金で苦しんでいる時、この女性自体の問題だったのである

悲しむ者が幸いだとなぜキリストが言ったのか?

そもそも人間には悲しむことが必ずあり愛別離苦がありそういうことはすべて金で解決できない、この女性は金持ちであっても解決できなかった
そうして解決できないことがあり悲しむ者となる、でも神はその涙をぬぐいたもうというとき救いがある、でもカルト宗教団体ではただそういう人達を利用して自分たちが得することしか考えないのである、だからいろいろ苦しみ困っている人達を勧誘するのにはいいのである、藁にもすがり助けてもらいたいとなるからだ
でも現実はそう言う組織団体はそういう人達を利用するだけだとなる
そして問題はそれぞれの問題が必ずしも金の問題ではなく違っていることにあり一様に数式のようにあてはまめて解決できなことである
だからカルト教団でも共産党でも似ている面があるのだ
ただカルト教団の悪質性は常に罰当たるとか地獄に落ちるとか恐喝することなのである
それは脅迫罪であり犯罪なのである、だから法律で取り締まるべきだとなる
つまりカルト宗教団体は法律ですべてではないにしろ取り締まるべきだとなる
現実に外国ではフランスなどでも取り締まっているからである
日本はそういう面でゆるいからと統一教会にでもつけこまれたとなるのである

●裁判で霊感商法は罰せられる、脅迫罪にもなる

「相手方に害悪を告知したり、心理的な圧力を加えるなどして、殊更に相手方の不安、恐怖心等をあおるなど、相手方の自由な意思決定を制約するような不相当な方法でされ、その結果、相手方の正常な判断が妨げられた状態で献金等がされたと認められるような場合には、当該勧誘行為は、社会的に相当な範囲を逸脱した行為として、違法と評価されるといわざるを得ない」

旧統一教会、信者家族らと法廷闘争も 夫の財産を内緒で献金、伝道しなければ「自分も家族も不幸に」…裁判所はどう判断?

これも犯罪として適応されるのか?犯罪ではあるが刑罰を与えられるかどうかである
そこに金銭がかかわっているからその金銭が問題になる
でも宗教が脅迫罪にもなる、先祖で苦しむとか罰当たるとか地獄に落ちるとか言うのは
脅迫罪なのである、そういうことは誰もわからないからである
神のみぞ知るとういうことになる、霊感商法は金もうけのためにそういうことで脅迫して売る、だから罪であり罰せられるとなる、そこに明確に金銭がかかわっているからである宗教は強要できないからである、信じる信じないを強要できない
そこには信教の自由がある、また結社の自由もある、でもカルト宗教団体の結社に問題がある、それが犯罪集団にもなることである、オウムとか統一教会とかそうである
その団体組織が犯罪組織でもあったからだ、創価でも折伏とか前は宗教を強要していた
そして会員にして票に結びつかせて権力を得るために運動していたし今でも継続されている
やたら宗教で他者を脅迫することは特にそれが金銭が具体的にかかわるときは禁止すべきであり罰するべきだともなる、ただその区別がむずかしいのである

2022年08月09日

高校野球は地域代表ではなくなった (高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は地域代表ではなくなった

(高校野球に人生を見るー聖光学院と日大三高戦を見て)


高校野球は見る方にすると面白い、聖光学院は福島県だけど図を見ればわかるように
福島県出身は三人しかいない、意外と宮城県が多いとみる
宮城県なら東北なのだから大阪とか遠くからの留学生のような人よりはいいとなる
高校野球は前は公立高校の磐城高校でも準優勝とかあった
池田高校も地方の公立高校であり一時優秀もして熱狂したそういう時代はもう昔になった
だから高校野球は全国の地方代表が戦うものではない、全国の選ばれた野球エリートが
地方の私立校に所属して戦うだけだとなる
地元とは関係ないともなる、めうしなければとても強豪チームには勝てないからだ
日大三校は強いと見ていたが意外と聖光学院が強かった

春夏通算3度の優勝・3度の準優勝を誇る強豪校として知られています!

日大三校は強豪チームだった、でも最近東京勢は強いと見えない、勝ちあがってこない
でも日大三校でも東京出身者が5人しかいなかった
これも意外だった、東京だったら人材が集まるかと見ていたらそうではない、全国から野球エリートを集めていたのである
東京すら東京に住んで育った人が出ているわけではなかったのである
そうなると高校野球は一体地方代表でもない、野球エリートが全国の私立校に散って争うプロのようなものなのかとなる
東京すらそうなのだから他はもっと地域の代表ではない、そうなると高校野球は何のなのだろうとなる

聖光学院と日大三高の戦いを見て面白かったのは甲子園特有の浜風が吹いてそれに左右されたことである、それで風にのって大きく伸びたこともあるがさえぎられたこともあったまたライトの方に風が吹いて外野の選手がフライをとれなかった
また盗塁があり二塁になげたが失敗したのは甲子園の球場は勾配がありそれで捕手の玉が高くなったとか地形の影響まで解説していた
それで甲子園で練習していないと損だとも言っていた、すると甲子園で練習している関西の高校は有利なのかとなる、今回は甲子園で練習できなかったからそれで不利になっていると解説していた

ここに私が注目したのは風土とか地理にか関心があり戦国時代の戦いでも必ず地の利が関係してまた天候も関係している、信長の桶狭間の戦いも地の利とその日の天候で勝ったとしているからだ、その他関ケ原の戦いとかも天候が関係していたとかある
勝敗は必ずしも簡単に決められない、時の運が作用するからである
ただそもそも本当に実力がなければ勝てないことはある、高校野球でもいくら運が作用するにしても実力が基本にないと勝てない、だからこそ全国から野球エリートを集めて精鋭部隊を編成しているから強いのである

ともかく私は野球が見ていて一番面白い、見て面白いスポーツだと思っていた
ただ高校野球はそれだけではない、プロ野球とは違った要素がある
その一番の特徴は一回限りのトーナメント制の勝負だということである
一回負ければ即退場になってしまう、そこに緊張感が生まれる
そこで一戦一戦全力を尽くすことで真剣さが生まれる
人生も実際は一回限りの真剣勝負だからである、そしてチャンスをものにしたものが人生の勝利者にもなる

だからチャンスにヒットを打つホームランを打つということが最高に印象的になる
いかにチャンスにヒットするかこれが人生でもある
それもそのチャンスは一回限りの勝負だとなると余計にそうなる
人生でも重大なチャンスは一回か二回なのか本当にない、そのチャンスを逃すとチャンスはもう後はないともなる、そのチャンスは若い時に30くらい前までである
そのチャンスを逃すと後はないとなる、何回もチャンスがある見ているが意外とないのである、だから就職でも新卒で大企業に入れないとしたら一生しょうぼい会社で過ごすとかなるのである、これは別に大企業でくなしてもやはり30前まで人生の方向が決まってしまのである、だから今は引きこもりが多いけど20代で就職に失敗したりすると一生引きこもりになる、これも怖いことだと思った

スポーツでも人間のドラマになる時にる時興味深いものとなる、ただ正直後のスポーツはそういう興味が感じられない、サッカーでもそうである、ただサッカーでも一回シュートを成功することで勝負が決まるとかやはりそれもチャンスをものにしたということである一回のシュートが勝敗を決めるとなるからだ、その時やったとなる
いづれにしろ高校野球に野球エリートがこだわるのはわかる
つまり甲子園という大舞台に出るだけで本当に選ばれた人となるからである
そういう舞台は人生で一回限りなのである、そういうチャンスは与えられないからであるだから甲子園に出た人は最高の思い出となりヒットを打ったことでも忘れられないものとなる、そういうことで人間臭いものがあり高校野球に惹かれることがある
人生をふりかえれば30とかまでは青春は得難い時間だったとなる
「少年老い易く学なりがたし」というのはあらゆることに言えるのである
青春などあっというまに過ぎるからである、だから何であれ青春時代に打ち込むことがあり懸命にスポーツであれした人は後でその時のことが忘れられないとなるのである
なぜなら後は意外とそうした大舞台など人生にはないからである

ただ最近は野球は見ていない、どうしても福島県の高校が戦うとういことで見た
それも実際は違っていたのである、だから将来的には今でも現実的には地域の代表ではない、でも強くないと勝てないのだからそうなった
それで将来的には地域の代表の戦いとなれば東北ブロックとか関東ブロックとか中部ブロックとか分けて代表を選び戦うようにすればいいのかとも見る
もう県代表では勝てないからである、聖光学院に宮城県出身者が多いことでもわかる
そうなると東北の代表なのかともみるからである
そもそも高校野球は県の代表とかみているけど実際は違っている、それは錯覚なのである地域の代表同士の戦いではなくなっているのである
ただ高校野球自体には魅力がある、見ていて面白い、エキサイトするスポーツだとなる


センバツ「私学と公立の格差」埋まらぬ根本原因
https://toyokeizai.net/articles/-/419878?page=4

聖光学院出身高校
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宮城が二人と山形県がいるーこれは一応東北勢であり
地域代表になる、東北ブロック代表となる

日大三高出身中学
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東京も関東地方が多いから関東ブロック代表ともなる
ただ沖縄とか大阪からも来ている

posted by 老鶯 at 16:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年08月10日

盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月) (暑くて外に出れず部屋に籠もる)


盛夏の俳句と短歌(白鷺、夏霞、蝉の声、夏の月)

(暑くて外に出れず部屋に籠もる)

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右田浜に新しくできた沼
ここにアメンボウなどが棲みついた
ただ脇に風車があるから風景としては良くない

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舗装されたサイクリングロードはいい

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なべかんむり山が見えるけどこの辺は高い山がない
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夕方に霞んだ山脈

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きれいに見るにはクリック拡大




暑ければ海に向かいぬ浜通り

草深し蟹横切りて隠る夏

白鷺の川面に映し去りにけり

夏霞山の高くも見ゆるかな

ヒグラシ屋形の森に鳴きにけり

下り来て河口の広く夏の月

草深き夜道を行きて夏の月

老鶯や草深し里月光る

大窓に映りて二階や夏の月


白鷺の木にとまりけり一時や川風涼しまた飛び去りぬ

アブラゼミミンミン蝉や我が部屋に聞こえて今日はニイニイゼミかな

一夏に4種ほどの蝉の声我が聞き分けて部屋にいるかな

草深し鶯鳴いて隠されし花も眠らむ月の光りぬ

昼顔の四五輪咲きて草深し今日またここに我は来たれり

新たにそ沼やあまたのあめんぼう波紋交わり生きにけるかな


暑くて外に出れない、ただ晩方頃涼しくなるので自転車で海の方に向かう
舗装されたサイクリングロードはいい、でも河岸は草に埋もれている
合歓の花は散った、あそこの真野川の土手の道には合歓の木がいくつかあり咲いた
その岸辺は夏草にうもている、白鷺が川面に影を映して毎日一羽来ている
遠くを見ると山脈が霞がかかり夕暮れになる、その時なぜか山が高く見えた
この辺では高い山はない、400メートルの鹿狼山が高いから遠くからも見えるだけである、ただ蔵王が見えるのだが夏は雲に隠れて見えないのである

夏草というとき草深しになる、そもそも草深し里である、南相馬市でも原町区はもともと市であり相馬市は城下町であるから感覚的に違っている
例えば季語にしても「夏草や兵どもが夢の跡」とかなるにしても今はそういう感覚はない
あまりにも遠い昔のことだからである、だから俳句とかでもその時代でしか作れないものがある、その価値はもうそういう時代がないのだから再現できないのだから貴重だとなりその価値が衰えないのである
でも現代は俳句でも文明化して自然が映えないからそういう価値あるものは作れないともなる
鹿島区となると草深し里となる、飯館村はまた高原の村でありそれで涼しいとなる
だから海があり山がありとこの辺は変化にとんでいる、ただ高い山がないのでものたりないとなる、その代りとして一応蔵王が見えるのである
老鶯は俳号にしたが今は天華である、何か老いて鳴いていると確かにあっていたのだが天華の方がいいとなる

今日も暑い、34度くらいになる、もうっとして外に出れない、自転車で夕方に近くを回るだけである
ただ部屋にいても蝉の声は聞こえるようになった、油蝉、ミンミン蝉、ニイ蝉、ツクツクボウシとかである
もうお盆であり秋ともなるが今年は夏が遅い、蝉の声も少ない
それより小さいモンシロチョウなどが少なかった、わずかしか見てない
でも黒揚羽は結構見た、黄揚羽も二三羽見た、黒揚羽は結構見ている
本当にモンシロチョウ類はまれにしか見なかった
何か異変があるのかとなるが全国的にそうらしい、一地域のことではない
また鮎は放流したがその鮎が成長して上ってこない、だから川には魚がいないから淋しいとなる、やはり鮎とか岩魚とかが住んでいるのは会津の山の方がいい、川でも激流などがありいい、でも今は行けない、ウィルス騒ぎで行けない
それよりももう自転車では行けない、体も弱り行けない、また家を留守番する人もいないので行けない、結局自由に旅できたのは姉と母がいた結果だった
介護になって十年その後も何か行きづらくなったのである

ともかく暑いから夜も外にでる、夏の月がでている、田舎だと夕涼みとかなる
都会だとこうはいかない、散歩する場所がない、それで恵まれているのだ
ただ暑い時外で仕事している人がいるが苦しいと思う、また必ず田舎でぱ草刈りがあり
これもこれだけ暑いと危険にもなる、熱中症になる
私は二回くらい前に痙攣したので警戒している、でも運動は必要なので夕方に海の方に行くのである
でも松原も津浪でなくなり涼む場所がない、日影の場所がない、風車が回っている
ただそこに新しい沼ができた、そこにあめんぼうがあまた波紋を広げ泳いでいる
トンボも飛んでいる、何か前もそうだったがこうして水辺ができると昆虫が集まってくるのである、ただ風景としては風車とかあり自然の状態ではない
この辺は風景が変わりすぎたのである

2022年08月11日

2022年08月12日

レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史


レバノンの国家破産危機の原因ー貨幣から見る世界史

●レバノンの国家破産の危機





ヘロドトスは、著書『歴史』の中でリディア人のことを「我々の知る限りでは、金銀の貨幣を鋳造して使用した最初の人々であり、また最初の小売り商人でもあった。」と述べています。

 リディア王国が発明した貨幣(コイン)というアイデアは、その後ギリシャ、ローマに広まり、そしてペルシアや西北インドなどの西アジア政界にも広がりました

 歴史的には、用途によって特定の機能の貨幣があり、複数の貨幣を組み合わせていた[7]バビロニアでは価値尺度としての銀、支払い用の大麦、交換用の羊毛やナツメヤシなどを使い分けた
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A8%E5%B9%A3%E5%8F%B2


第一次世界大戦まではオスマン帝国領であったため、この地域ではトルコ・リラが使用された。大戦中にイギリスに占領されるとエジプト・ポンドが流通したが、大戦後にフランスの委任統治領となるとシリア・ポンドの発行が始まり、1ポンド=20フランス・フランの固定相場制をとった。これはシリアとレバノン共通の通貨であったが、レバノンでは1924年から独自の硬貨を、1925年から独自の紙幣を発行するようになった。当時はまだシリア・ポンドとの互換性が保たれていたものの、1939年には完全に独立した通貨となった。1941年、フランスがナチス・ドイツに敗北すると、レバノン・ポンドは8.83レバノンポンド=1イギリス・ポンドのレートで英国ポンドにペッグされた。1949年にはフランス・フランとの固定相場は放棄された。1975年から1990年の間、1ポンドは3アメリカ・ドルの価値があった。2006年、レバノン・ポンドは1アメリカ・ドル=1507.5ポンドのレートに固定された。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AC%E3%83%90%E3%83%8E%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%9D
%E3%83%B3%E3%83%89#top-page

国からの金銭給付と預金には年度に紐づけられているものがあります。もし預金者が満期日に自身の米ドルを引き出そうと思えば、銀行からは米ドルを市場から確保するか預金を米ドルに換金して口座内に留め置くよう言われることになります。つまり20日前に、レバノンはバウンド経済に突入したわけです
https://www.arabnews.jp/article/middle-east/article_3222/

レバノン国内には主なものだけで18の宗派が存在し、なかでも多いのは、国民の約55%を占めるスンニ派やシーア派などのイスラム教、次いで約40%を占めるマロン派などのキリスト教。そのほか約5%がイスラム教少数派のドゥルーズ派など他宗教です。

レバノンでは宗派ごとに権力を分散する体制をとっていて、大統領はキリスト教マロン派、首相はイスラム教スンニ派、国会議長はイスラム教シーア派から選出。国会議員数も1932年の国勢調査をもとに18の宗派ごとに割り振られる決まりになっています。

野菜やハーブを多用するレバノン料理や世界最古級の歴史もつとされるレバノンワインなど、料理を目当てにした観光客が多いです。特にレバノンワインは紀元前7000年頃からつくられていたそうで、オスマン帝国時代に一時途絶えたもののフランス統治時代に復活し、本場フランスワインにも負けない味わいだといわれています。

現在レバノンがある地域は、古代ではフェニキア人が土地を有していました。首都ベイルートも、もともとはフェニキア人が築いた都市。彼らは航海技術に優れ、レバノン山脈に自生していたレバノン杉で建造した船を用いて地中海に乗り出し、カルタゴ、バルセロナ、マルセイユ、リスボンなどに植民市をつくりました。

現在のレバノン人とフェニキア人には民族的な繋がりはほぼないとされていますが、レバノンの国旗にはレバノン杉が描かれています。

紀元前10世紀頃、フェニキアがアッシリア帝国に滅ぼされると、この地は新バビロニアやアレキサンダー大王、セレウコス朝シリア、ローマ帝国などが支配。7世紀頃にはアラブ人に征服され、イスラム化しました。

レバノン南部では、シリアやイランが支援するヒズボラと、イスラエルの紛争が継続。2006年にはイスラエルによる「レバノン侵攻」を招く事態に

https://honcierge.jp/articles/shelf_story/9399



  レバノンは国家崩壊状態にある、ではレバノンという国をどう理解するのか、フェニキア人がいたとしてもそれは関係なくなりイスラム国家になりアラブ人が主な人種となり支配している、ただイスラエルとの関係が悪くヒズボラが支配してどこの国なのかわからなくなっている
あの辺はとにかく歴史が古い、7000千年前にワインが作られたというのも驚きであるもちろんエジプトでは小麦がとれるからビールを作っていた

●貨幣から見る歴史

世界史でも貨幣から見ると興味深い、レバノンボンドというときそれはイギリスの支配下にあったからボンドを使っていた、ボンドは世界的には今のドルと同じ役割を果たしていた、世界基軸通貨ともなっていた、エジプトボンドを使われている
中東でもイギリスの支配があったからだ

私はイスラエルの港から船で一時キプロスによった、そこで7時間位船が停泊したのだ
そこで金を使うにはイギリスボンドに変える必要があった、それでドルからだったのか交換した、まずドルが世界基軸通貨だから世界的に通用しやすい、だからこそドルに交換しないと世界では通用しないとなる、その役割が前はボンドがしていたのである
また世界で英語が共通語のようになったのはイギリスが七つの海を支配したからである
キプロスはすでに中世でも十字軍がキプロスを支配したことがあったから古い

1191年、第3回十字軍の途上にキプロス島沖を航行していたイングランド王率いる船団の一部がキプロス島に漂着し、僭称帝により捕虜とされてしまう。これに対してイングランド王リチャード1世(獅子心王)はキプロスをわずか5日で攻め落とし、以後キプロスの領有権はイギリス王に帰することになる。キプロス島はギリシャ正教会からカトリック教会の支配下となり、東地中海でのキリスト教国家の「基地」としての位置を約400年間果たすこととなる

もともと中東は文明発祥の地だから古い、何かどこに立っても歴史を感じるのが中東でありヨ−ロッパであり中国だとなる、日本では歴史が古いとしても二千年前となると縄文時代でありそれが文明なのかどうかわからない、すでに中東やヨ−ロッパでは高度な文明が生まれていたからである、
今はキプロスはユーロ―になっている、2007年まではキプロスポンドを使っていた
となると確かにその頃行ったのだからユーロ―にはなっていない、ヨ−ロッパも旅行したときもユーロ―ではなかった、だから国が変わるごとに両替していたからめんどうだったでもそのことで別な国に入ると意識したのである
やはり国境とかでもないとかえってつまらないとなる、いよいよ国境を越えて別な国に入るとなる緊張感が生まれるからである

ドラクマという名前は「つかむ」という意味の動詞「ドゥラットー(ギリシア語: δρャττω)」に由来している。これはもともとドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである。オボロイ(単数:オボロス)は、紀元前11世紀以降使われていた通貨単位である。

紀元前5世紀以降、アテネでつくられた四ドラクマ硬貨は、アレクサンドロス大王以前のギリシア世界でもっとも広く用いられた硬貨であった。このコインでは、表にかぶとをかぶったアテナ女神の胸像が彫られており、裏にはアテナの使いフクロウの像が彫られていた。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%89%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%83%9E



コインの旅

キプロスで一時船が停泊して
イギリスボンドの貨幣に変える
7時間ばかり滞在する
次にギリシャのアテネの露店で
何かを売っている
ドラクマを出して買う
そのドラクマの歴史も古い
アレキサンダーはインドまで遠征して
その貨幣が流通する
イギリスのボンド、アメリカのドルと同じ
ベトナムで中国だけではない
日本の貨幣も使われていた
重い金属の貨幣があり運ぶのも容易ではない
国々をめぐり貨幣は変わる
それが旅の思い出となる
またそれぞれの国の歴史を想うようになる
南の島で石貨がある
それは流通しない飾りとしてある
金は交換の道具
だから様々な国と歴史を語る
世界で貨幣のない国は今はない
でも未開の国で貨幣をもっていっても
通用しない所があるだろう
貨幣にはそれだけ長い歴史がある
塩と金が対等にアフリカの砂漠で交換されたと
つまり貨幣がなければそうなる
物々交換になる
ネパールの山岳地帯では物々交換が活きている
交通は容易ではなく閉ざされるから
交通が発達しないと貨幣も流通しない
ともかくいろいろな貨幣と紙幣が残された
でも価値があるのはドルである
ドルはエジプトの果ての辺りで
ロバに乗った少年がワンドーラ―くれと叫ぶ
アフリカの果てまでドルは通用する
アメリカが世界の覇権を握っているからだ
またなぜアンティークコインが安定した価値があるのか
それはやはり貨幣の種類でも中東ヨ−ロッパでは多い
トルコのエフェソスではローマの重厚な遺跡が残っている
そこでローマの貨幣を露店で売っていたが
それは偽物だったから損した
でもあれだけの荘厳な遺跡があると
その貨幣も価値あると思ったのだ
貨幣には何らかの裏付けが必要である
貨幣自体が金とか銀とかであれば価値がある
でも鉄のコインとかではそれ自体に価値がない
だから日本ごと小判であり
石見銀山の銀が価値があり世界から求められた
貨幣のことは語り尽くせない
それだけ貨幣は人間の歴史とともにあったからだ
世界の歴史が貨幣という物から物語になるからだ



キプロスにおける古代貨幣製造はBC6世紀頃に始まったとされています。当初のコインはキプロス文字の銘文を記したタイプとなっており、その後、ギリシャ文字に変化して行きました。

1878年に入ると英国(イギリス)が行政権を獲得し、1879年の3種の青銅貨が発行され余した。その後、1950年までキプロスのコインには英国王(女王)の肖像が描かれることになりました。

ドラクマが手のひらいっぱいの量の金属塊にあたる6ゴーコスに相当したからである

ベトナムで金属の塊りが貨幣になっていた、骨董品を探して回る日本人がいた
その金属の塊りは持つだけで重いしとても持ち運べるものでもなかった
金属が貨幣になり金属そのものがもともと価値があったからそうなる

●国が崩壊するとどうなるのか?

レバノンという国が崩壊しつつあるのは理由は政治がうまくいかない、宗派対立があり
宗派でコミュニティがありその利権があり対立する
4っつくらいに分断されてまとまらない、そして援助したとしてもその金も上の方で一部のものに奪われてみんなに回らない、政治が機能していないからだという
宗教というのは利権化して利権対立になり争う、中東とヨ−ロッパはキリスト教とイスラム教の対立がありまとまらない、絶えず争いがあり戦争があった
日本という国はこの大陸の歴史からはずれていて熾烈な争いからまねがれていたのであるそれで明治維新になり日露戦争とか太平洋戦争となりその争いに巻き込まれたのである
日本はそもそも国際性が養われないのである

中東とかヨ−ロッパの歴史をみればわかる、民族でも様々であり四分ごれつして戦っていた、絶えず陸で国境を接して争っていた、それで悲惨なのだけど国際性は養われたのである、レバノンは外国に出て稼ぐ人がいた、それがカルロスゴーンだったとなる
莫大な富を得たからである、でもその故国のレバノンは悲惨な結果になっている
政治に宗教がからんでくると複雑怪奇になってくる
政治経済に宗教がかかわると経済合理性とかは無視される、科学的なことでも宗教がかかわりガリレオが地球が回っているとしてカトリック教会から刑務所に入れられた
つまり近代はこうした宗教支配から脱することだった
経済合理性と科学とまた宗派で対立するのではなく人権が重んじられるようになりフランス革命はカトリックに反発するものとしてあった
イスラム圏で政教一致だから経済でも科学でも停滞して発展しないのかもしれない
つまり近代は宗教と経済と科学とかを分離することになったのである
宗教が利権と結びつくとこうして政治でも介入して利権争いになる、宗派対立は利権利益の争そいになる
互いに宗教が絶対だとすると譲らないからである、聖戦だとかなり政治的妥協もなくなるからである

レバノンで注目したのは国が破産状態になるとどうなるのかとういことである
水不足になっているのは浄水場などを機能させる人材がいなくなったとかある
水はあるが浄水できないのでウィルスとか毒が交じっていて飲めないという
また電気が使えないので浄水できないとしている
つまりエネルギーとか水が得られないと国家破産状態にもなる
日々の生活に水は不可欠でありエネルギーにしても電気がないと何も動かなくなる
そしてレバノン人の優秀な人たちは脱出している、国を見捨てている
それはロシアでも起きた、ウクライナと戦争になり何十万人がエリートが脱出したとしている、大陸では民族移動がありそれで国も変わる、もともと遊牧民国家の人民は移動するだから移動するのに抵抗がないとなる、日本は島国であり海に囲まれていて脱出できないとなる、だから一億総玉砕とかになったのである、大陸だったら国から脱出するからである

いづれにしろ国が破産する崩壊するとどうなるのか?

そのことを他山の石として学ばねばならない、日本でもそうなるかもしれないからだ
日本は何か実際は相当な危険な地理にあった、ロシアと中国にはさまれアメリカに支配されたがアメリカは本国は遠い、アメリカは大陸と分離した島国である
だから直接攻撃されて戦争しても本国には被害がなかった
ロシアとかだ二千万人がヨ−ロッパから攻められて死んだとかある
戦争とは人間が大挙して移動することでもある、だからこそ遊牧民は戦争に強かったのである
日本の経済が低迷して貧困化して日本国家が破産するとかまで言われる
そういう機器がるときレバノンのことも無関係だとは言えない
レバノンも宗教のことで分裂しているが日本だって統一教会とか創価とか他の宗教団体もありそれらが衝突しないとも限らない、なぜなら中国派とアメリカ派に分断されるからである、創価は中国につき幸福の科学は右寄りであるからアメリカ側になるののか、ともかく日本は大国によって分断されることがありうる
時代劇で大藩にはさまれた小藩がただ大藩の言いなりになるだけで搾取されると嘆いていた、小藩の悲哀が江戸時代にもあった
だから日本がそうした危機が来るのではないか、戦後75年は冷戦などがあり米ソ対立で日本は直接戦争に巻き込まれなかった
でも米中対立とかでは必ずまきこまれる、台湾有事ではもう逃れられない、隣国だからである

日本でもエネルギーが石油でも石炭でもガスでも入らなくなると危機になる
でも原子力発電は危険度が高く失敗した、ウクライナも遠いからと傍観しているが何か日本もウクライナになるのではないか、アメリカは日本を中国と戦争させたいとか言う人もいる、ウクライナの戦争はアメリカがかかわりロシアと対立したからである
日本は明治維新で危機になり70年過ぎて太平洋戦争になり焼野原となった
そして戦争から75年過ぎて大きな危機にみまわれる
それが津波とか地震でも原発事故とかで現象化して次に経済危機から戦争ともなる
それでレバノンであれスリランカであれよそ事にもならない
同じような不安が増大しているのである

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レバノンは世界最大のポンジスキームだった! 世界銀行がレバノン政府の詐欺行為を強く非難【越境3.0チャンネル】
https://onl.bz/nTT2KyF

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