2022年07月01日

それぞれの土地と家の物語 (歴史も家と土地の物語から始まる)


それぞれの土地と家の物語

(歴史も家と土地の物語から始まる)

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歴史と言う時多岐にわたるから理解しにくい、むずかしいとなる
でも家族からみるとわかりやすいとなる、みんな家族が一番関心があるからだ
聖書にしても家族の物語からはじまり国の物語となり歴史となっている
アダムが祖となり綿々とつづいたその系譜の物語だった
何か中心となる家族がいてそれが分派する、一族となり家族が拡大する
今でも中国だと李氏が大きな一族を形成している、李氏朝鮮というときもそうである
李氏によって国が作られたとなるからだ、日本では逆に天皇に姓がないのはどこの氏族にも所属しないということで国を治めることができたとなる
たいがい力のある一族に属しているからどっちかに族していれば公平にならないからである、でも権力争いになると天皇は錦の御旗として持ち上げられて官軍と賊軍に分かれた
古代では天皇が兄弟で二つの勢力に分かれて熾烈な戦いとなる
南北朝でも天皇は二つに分かれて熾烈な争いとなりそれが国のすみずみまで争いとなり戦乱はつづいたのである、今の天皇は南朝の末裔だとしているのもそうである

家というとき土地があって家が建つのだから土地と関係している
その土地に土着するには土地が必要だからである、だから家と土地は切り離されずある
特に農家の場合は土地がなかったら生活もできないのだから土地と密着しているし
土地から離れて家も家族もありえないとなっていた
だから農家では土地を売るなとなっていたのである

先祖代々の土地を売って引っ越すと、先祖の祟りがあるというのだ
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12281454084.html

これも土地と言うのが深く人間にかかわるものとしてあるためにそうなった
農民だと土地が命であり土地無くして生活が成り立たないのだから当然そうなる
そもそも農家の土地は代々その地域で先祖から耕して作られてきたものであるからだ
ある人は梨農家でも良い梨を作るには十年かかるとか言っていたからである
農家では跡を継ぐのが有利なのはそうして先祖が土地を苦労して作ってきたからだとなるたわけは「田分け」のことであり田を土地を分けること売る人はたわけになったのである
何が今住んている自分の土地もそうである、私の父親が双葉の新山で酒屋の丁稚であり暖簾分けしてこの地に来た、この土地はこの街で一番低い土地にあったがやはり土地を得たということで土着したとなる、土着とは土に着くことであるからだ
でも戦後二回洪水になり私の家は一番被害があった、今でも下水から水があふれ浸水しているのである、一番低いから水が集まるのである
その土地土地にはこうして悪い土地がありそこに住まざるを得ない理由がある
がけ崩れとか台風とか大雨で日本では常にある、そこはやはりもともとそういう悪い土地であり危険な土地なのである、でもそこに住まざるを得ない事情がある
日本は特に山が多く平地が少ないからそうなる、平という地名が多いというとき山間でも平な場所があるとそこに家も建てられるし農地にもなりやすいからである

日本で野というときは斜面のことだったのである、入野というとき山間の斜面の奥に入ることである、それで入野の歌が万葉の歌が残されたのである
そういう地形が日本の典型的な地形となっていたからである
そもそも平氏というとき山間の平な土地ということにもなる、極めて日本的な土地柄から生まれた姓だとなる

農民だとどうしても土地が一番大事になる、それで相馬地域では越中とか富山県から相馬藩が飢饉の時命がけで移住してきた、江戸時代は自由に移住できなかったからだ
それまでして移住したのは相馬藩が飢饉になり三分の一の人口が減ったからである
そこで欠け地が増えてその土地を与えるということで移住して来た、そこは余り土地としてはいい場所ではなかったのである
だいたい前田とあるところはその村の草分けでありそこが中心となって発展した
原町区の大原村だと前田という所がありその人がそこに住んでいて古い家だったらしい
その人と南相馬市の市立病院で入院して一緒だったので話を聞いた
そしてそこから遠田という地名があるがそれは前田から離れて山の方の遠い所で森の中に田畑があった、まさに前田からは遠い場所なのである

ともかく家と土地は切り離されずある、農民の場合は一体なのである、ただ商業とか工業が発達すると土地はそれほど重要でなくなったのである
だから浪江の人は回りの田んぼが草ぼうぼうになっていても無関心だった、かえって補償金もらって良かったとか言っていたのである
今は農業でも地方でも一割くらいしか生産量としてない、経済的に第一次産業のウエイトは減退したのである、それで意外と田舎に住んでいても農業のことがわからない人が多くなったのである、現実に農業していなければそうなる
給料もらえるのは会社だからである、それで藤倉ゴムとかではゴルフ用品を作っていた
それもグロ−バルに展開していたのである、そういうこともわからないことがある
農業だと一応見えるからわかるが商業とか工業になるとわかりにくいのである

家の物語もあるがそれと一体化して土地の物語がある、なぜなら土地無くして人間は住めないからである、そもそも争いが土地争いが必ずある、狭い地域でも必ず土地争いがあり領土争いがありそれが大きな戦争となってきたからである
なぜ土地とか家が人間にとって身近であり基本になるのかとなると農家だったら土地があって生活が成り立っていたからである
例えば一軒の農家があるとするとその農家がその土地の草分けとかなるとやがて城にもなる、掘りをめぐらして自衛するからそれが城の基ともなっていたのである

結局土地にしても家にしても先祖が苦労して得て作ってきたことに価値がある
そういう人間の苦労を偲ぶことが歴史にもなる、何の苦労もしないて得たものには価値がないとなる、私はこうして苦労して土地を手に入れ家を建て蔵を建ててきた
だからここを大事にしなさいとなる、田は売る奴は田分け(たわけ)となる
それは戦後の引揚者も仕事がなく不便な場所を開墾して住んだ
街の近くでも開墾して住んでいた、小池とかでもそういう場所があった

また飯館村とかでも木戸木などは本当に山にふさがれて不便な場所であったが開墾して住んだ人がいた、そこに共栄橋とかあるのはそのためである
共に栄えるとなるが今残っているのは二軒くらいである、もともと十軒くらいだったからそうなった
引揚者の数が多く仕事がなく不便な地域に開墾して住んだのである
浪江町の津島などは相当に山奥でありそこでも引揚者が開墾して住んだ
だから結束が強いというのもわかる、共に苦労した仲間だから結束が強い
でも原発事故で住めなくなったのである
そしてその土地は荒地となり放置されることになった

先祖代々の土地を売って引っ越すと、先祖の祟りがあるというのだ
https://ameblo.jp/hirosu/entry-12281454084.html

こんなこと関係ないとなるがそれだけ土地がもっている重みが農民社会では強かったからそうなったのである、日本は国土が狭いから土地の持つ価値が大きい
また山が多くて平な土地が少ないから余計にいい土地を求める、でもそういういい土地に住む人は草分けであり後は悪い土地に住んだのである、そういきう場所は災害にも会い
安いともなる、それが自分の家の土地だったのである
土地にまつわる歴史は家単位でもあるし藩単位でも国単位でもある
それが歴史だったともなる、ただ遊牧民だと土地にこだわらないから移動するから違っている、血族が強力な結束がある、日本の姓がどこかの土地の村に由来しているのとは違っているのである、日本では村かアイディンティティになっているからだ

そして満州に日本が進出したのは土地を得るためだった、広大な土地があり農民社会だったら土地が第一だから満州に移住したのである、そして寒い地域でも米作りしていたのである、農業だったら土地がないと成り立たない
だから農業だと土地の争そい土地の奪い合いになる、戦国時代でもそうである領土の拡大が第一になる
ロシアがなぜウクライナに侵略したのかとなるとロシアは広大な土地があるのにと思うがロシアは依然として農業社会の面があってそうなったのかと見る、ウクライナには広大な土地があり麦がとれる、それも輸出できるからだ
やはり食料とかエネルギーが石油やガスや石炭でも資源を持つ国は強い、金の裏付けとなるのものだったのである

ともかく原発事故で先祖が苦労して得た土地を捨てて他に移った人には祟りがあるのか?これも今はないとしてもやはり原発をこの土地に作らせたことが呪いになったことは確かである、そのためにその先祖代々の土地を捨てなければならなくなったからである
そして他の土地に移っても成功しなかったというのは祟りだったのかとなる
でも別に補償金をもらって仙台市の方に移った人でも成功していた人はいる
これはやはり土地と一体であった農民社会だから伝えられた
むしろ現代では成功者というとき篤農家ではなく工業であれ商業であれ農業以外で成功した人達だとなっているからだ
土地に執着した農民社会とは違っている、ただ放射線被害を受けたのは漁業であれ農業あれ林業であれ第一次産業の土地と一体化して生活する人達だったのである
でもそれらは現代では衰退産業になっていて跡継ぎがいなとか問題になっていた
そこに原発事故が起り壊滅的になってしまったのである

でも人間は親であれ先祖の苦労を偲ぶことが歴史でもあるというときそれを無視することはいいことがないともなる、それで先祖の祟りがあると言われたとなる
私の家でも水害で低い土地だから一番大きな台風被害の時、二階がなく逃げる場所がなかった、近くの二階のある家に逃れたのだがそれも水が押し寄せて危険だったのである
それでどうしても二階を持ちたいとなり二階のある家を早い時期に作ったのである
そこに苦労があったのである、それは地元の木を利用して作った
ハウス会社などまだない時代である、すると家とは土地を得て土着してその上に家を建てる、その家の材料が地元のものだとするときまさに土着したとなる
それがハウス会社になると地元とも関係なくなり一二週間で組み立てて建てる
そういうことで何か重みもなくなる、でも部品は工場で精巧に作られていて昔の家よりはいいものなのである

近くの人の石垣を積んだような庭が重みがある、それは20代ですでにそんな庭と立派な家を作ったのである、トラック運転手もしていて人の二倍の荷物を運んだ
その頃高度成長時代であり給料も高いから働けば働くほど金が入ったためである
つまりそうして自ら苦労して建てた家にいることで充実感がある
病院に半年くらい入院してかえって病気が悪化した、それは精神的な面もある
家にいれば自分で建てた家として重みがあり安住するとなるからだ
ただそこも街に近くても津波の被害があった、あそこまで床上まで津波が来たことには驚いた、それもまた家と土地の歴史となった
でも根こそぎ家も土地も消失した漁村よりは良かったとなる
でもあそこまで津波が来るとは誰も予想できなかった

こうして土地と家の物語があり家族の物語がありそこに苦労があり価値が生まれ
もし苦労がなかったら必ずしも価値は生まれないともなる
親でも子供を苦労して育てないとありがたみがなくなる、それで金持ちの子供が親自体が苦労しないとなり親のありがたみを感じないとなり放蕩息子が生れたりする
商家ではそうした放蕩息子がドラマになる、これは家だけではない、地域でも国単位でも歴史を忘れるということは先祖が苦労して築いた物を忘れるということである
それが先祖の祟りとなる、まず原発事故の悲劇は営々として築いてきた故郷に住めなくなったということである、それで放棄されて先祖代々の農地でも草ぼうぼうになり捨てられて神社でも捨てられてそこを幽鬼となった先祖が彷徨っている感じの荒寥としたものになったのである
それは限界集落とかでもそうである、村自体に人が住まなくなり村自体が山間に埋もれ原野化してしまったとことである、そこに神社にお参りする人もなく墓参りもなく捨てられて先祖は幽鬼となって彷徨うようになる、それがこの辺では原発事故で広範囲に起きた
だから原発事故の罪は余りにも深かったのである
でもそれをあまり深く考えない、誰も死んでないのだからたいしたことがないという人もいる、でも現実を見ればそうではない、原発の避難区域にはもう戻らない人が多く土地も家も捨てられて先祖も捨てられたのである、そこで先祖の祟りがあるということもありえる、だからなぜそうなったのか?これは深く考えるべきものだったのである





2022年07月02日

蝶が減っているのは何故なのか (生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)


蝶が減っているのは何故なのか

(生態系の異変が起きる、気候変動や人間の技術のために生態系が破壊される)

●蝶は人間の住む里に増えた

多くの異常現象は極めて否定的に蝶に影響していることが明らかになった。例えば、芋虫が蛹に変わる時の降雨は英国に住む蝶25%にとって極めて危険であり、蝶にとって最も危険な天候現象である異常に高い冬季の気温は、半分以上の種に関係する。おそらく、冬季の暑さは蝶を冬眠から目覚めさせ、その後、寒さが戻ってきたときに死なせる。」

英国の学者たちは憂慮すべき信号を出し、それによると、2050年までにジャノメチョウ亜科、モリジャノメ属、セセリチョウ科、オオモンシロチョウ、モンシロチョウ、エゾスジグロシロチョウといった6種の蝶が英国と全世界において完全に消滅する可能性がある
https://jp.sputniknews.com/20161101/2961832.html

34種が「絶滅危惧種」レベルで減少

 1年にどのくらい減ったかという割合(減少率)を見ると、1番はミヤマカラスアゲハ(31.4%)で、1千匹が10年後には30匹ほどになるような減り方だ。オオムラサキ(16.1%)なども加えた計6種が15%以上の減少率だった。
 また、ゴマダラチョウ(11.0%)、ギフチョウ(8.8%)、ウラギンスジヒョウモン(8.1%)、アカタテハ(7.4%)、イチモンジセセリ(6.6%)、キタテハ(6.5%)など28種が4%以上だった。
 https://www.asagaku.com/chugaku/newswatcher/17276.html

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう

  アゲハチョウの研究室

 アゲハチョウは羽化してから二週間しか生きられません

 里山を利用するしくみ作りが大切
 これだけチョウが減ってしまった原因は何にあるのだろうか。
 田畑や原っぱ、明るい雑木林などからなる里地や里山は、以前のように人々が日々の暮らしで使わなくなってしまった。開発されたり、放置されて暗い森に変わったりすると、前にいたチョウはすめなくなってしまう
 http://butterfly-beautiful.com/archives/209



2022年の6月から7月になった、そして梅雨もなく炎暑になった
そして蝶が少ないように思える、インタ−ネットで調べると過去に五六年前でも蝶が少なくなっていると書いている、ま0た外国でも蝶が少なくなっていると記録がある
私は蝶の生態に詳しくない、ただ田舎だから自然に敏感ではある、でも科学的生物学的知識は希薄である、私の場合は文系だから美的なものとして自然を見ているからだ
でも田舎では自ずと自然に敏感になる、なぜなら私は注意して蝶を見ているからだ
蝶は五月頃になれば増えていたようにも見る
ただ梅雨になると蝶はあまり見かけないだろう

だから季節がずれて少なくなったのか?

今年は梅雨がなく真夏の酷暑に六月でなったからだ、何か梅雨というものでも前のように季節通りになっていない、空梅雨というのはこれまでがあったにしろこんなに酷暑になるようなことはなかったように思える
温暖化の真意はわからなにしろ気候が変わったことは認めざる得ない
ただ人間の時間感覚は短い、縄文時代とかさらに古生代とかなるとこの辺は熱帯であり山の方にサンゴの化石とか発見されている、福島県の浜通りはもともと温暖な地域であり
それで南相馬市の鹿島区の海老はマルハシャリンバイとか奄美大島産の植物の南限の地となっている
またスダシイ神社がありそれは沖縄の山原の密林に自生しているものである
照葉樹林帯の南限の地として福島県の浜通りはあったとなる
そういう長大な時間感覚でみれば機構の変動は地球規模で在り異変が起きてきた
氷河期とかもありそこで大きな地球規模で生態系が代わっているのだからある時期に蝶が増えたり減ったりもしているのかもしれない

●蝶も蛙も人間の住む里に増えたものーそれが減ることは何かを警告している

蝶と言う時春になった時山に行くルリタテハが宝石のようにちらちらと舞い飛ぶ、その蝶は春を知らせる蝶なのである、今年もそういう蝶は見ている、でも普通に見る蝶が少ないのである、アゲハチョウでももう飛びはじめて増えてもいい感じがする
ただそれは今は梅雨時期だから飛ばないということもあり季節感がなくなりそうなったのか?
ただインタ−ネットで見ても確かに蝶の数は減っているのだろう、その原因はいろいろある、ここで指摘していたのは人間側の作用で蝶の数が減ったという指摘である
蝶というのも里山とか人間が生活でかかわった場所に生息しやすいと指摘している
全くの原生林とは違ってむしろ人間が住んでいる場所に生息して増えていたとしている
それが農薬だとか使い蝶でもその影響を受けて減ったとしている

そういうことは田んぼで明確である、ほとんが人工の堀りになりそこにドジョウとかメダカとか最近ではザリガニなども見ない、ドヂョコだのフナっコだとかいなくなった
でも溜池では釣りをしているからフナはいるのである
何か生物は原生環境だけではない人間と共生していた、原生の自然の中に人間の手が入ってかえってそこが住みやすい場となって増えた種がある
その一つが蛙だった、蛙は水田があってそこを住処としている、その蛙を餌として鷺がいる、他にも虫を食べて鳥がいる、雀でも烏でも畑をほじくりかえして虫を食べている
鳥の主な餌は虫だからである、蝶もまた虫であり雀が蝶をつかまえて食べるのを見た
そういう食物連鎖がありその連鎖に狂いが生じたのかもしれない
それでも雉などは良く見かける、これは大きいから目立つからなのかもしれない
蝶とか虫類はもともと数が多くなければならない種である
また蛇も減ったようにも見える、あまり合わないからだ,雉は蛇でも食べるから食物連鎖として関係している、ノスリは見かける、これはネズミを食べる、ネズミでもカヤネズミとかなると小さい、それに悩まされている家もある
荒地になったときネズミは増えたからノスリも餌となるものが増えると増えたのであ
つまり自然を見るととき、生物は何かを餌にしている、その餌がなければその場所で生きていけないのである、ただ鳥となると餌がその土地になくなれば簡単に飛んで移動できるからいいのである

●原発事故で荒地となり蛙も鷺もいなくなった

そのために原発事故で田畑が荒地になったとき蛙がいなくなたった

そして鷺もいなくなった

鷺と蛙がいなくなれば餌がなくなるのだから消える、それで蛙がなき蛙か田んぼに増えると鷺ももどってきた
それは感動的だった

ただなぜか津浪の跡にに一時モンシロチョウなどが異常に増えたのである
この原因は塩気がありその塩を吸うためだったのか?
なぜならアゲハチョウなどでも小便した所に集まったりするからである
塩気があるところに集まるからかもしれない
津浪でもそうだが原発事故でもこの辺では大きな生態系の変化が起きた
津浪の変化は余りにも驚嘆すべきものであり自然の計りしれぬ大きさを感じた
田んぼだったところが入江になり海にもなったことは驚嘆した
ただそれは別にそこはもともと海だったのである、そこを人間が干拓して田んぼにした場所だったから元の海に戻っても不思議はなかったとも見た
それは自然の大きな作用でありそれで自然を破壊することはない
でも原発事故は生態系そのものを破壊したので修復できなくなった
放射性物質は残りつづける、プルトニウムの毒は二万年消えないとしているからである確かに死者はないとしても自然への打撃は汚染は致命的になったのである
木まで汚染したらか木さえ使いなくなったのである

人間は科学技術の時代になり意外と自然への関心が衰えている、自然に対する直観力が衰えている,五感が本能的直観力が衰えている
それで自然から何か危険でも直感的に感じなくなっている、頼っているのは科学技術であり機械である、それも必要だが何か東京であれ都会だとそもそも自然がないのだから自然への感性が失われる、田んぼも畑もなければ自然を肌で知ることはできないからだ
だから原発事故で田畑が荒地になりそこに蛙がいなくなたっのは驚きだった
そして鷺もいなくなったのである、それは淋しいものだった
でも田んぼも再生して畑も再生したとき蛙の合唱が聞こえたときこの辺は復興したと思った、その声は夜空の星々にもひびきわたっのである
つまり蛙でも蝶でも他の生物でも人間の営みと融合して棲息して増えたものがいるのだ
水田にはいろいな虫が棲息していて餌にもなるのである

蝶でもキャベツ畑に集まるのは

モンシロチョウは独特の匂いを持つ菜の花に好んで集まる蝶で幼虫はキャベツなどの菜の花と同じアブラナ科に属する植物の葉を好んで食べる為、本来はキャベツを栽培している場所に多く集まりますが専門の農家などのキャベツ畑では農薬を使っている為、モンシロチョウの姿は殆ど見られません。

モンシロチョウは夏型と春型に分かれており、春型は夏型に比べて黒い紋が薄い事が特徴です。また、日光のよくあたる広い場所に集まりやすいようです。
https://onl.la/qVYveMB



こういうことがあってモンシロチョウなどは里に増えたのである、そこに餌があるからだとなる、農業は第二の自然でありそれに適合して蝶や蛙などが増えたのである
いづれにしろこの辺で起きた津波とか原発事故の変化は驚くべきものだった
ただ津波はあくまでも大きな自然の作用でありそれは自然が修復する
でも原発事故の被害はプルトニウムの毒が二万年消えないとなり住めなくなったのであるでもチェルノブエリとかでは逆にヘラジカとか狼が人がいなくなたっ森に棲むようになった、チェルノブエリノブエリは意外とウクライナの首都のキエフ(キーフ)に百キロとか近かったのである、そこの平地には壮大な森が広がっていたのである
放射線被害があってもやはり自然は回復しているとなっているのも不思議である
ただ遺伝子の影響とかいろいろ言われているからそれはわからない
ただ放射線被害で奇形の生物が生まれたとかは見ないのである、ただその影響は科学的にまだ解明されていないのである

●生態系から離れた自然を感じない大都会の危険

ともかく大都会だとか東京などでは自然の生態系を直感的に感じない、危険でも感じないそこにこそまた危険がある、ただ科学技術に頼っている、でもそれだけで自然に対処できるのかとなるとできない、大都会自体が何か人間の直感かするとそんな所に人が密集して住んでいていいのかと見る、そこに大災害が起きるとも見る
津浪の被害で交通が途絶えたとき物資が運ばれなくなたっとき米がありそれを裏山の清水と木を燃料にして二週間くらい生き延びた、つまり人間はむしろそうした原始的生活ができる場所でこそ生き延びられるとなる、なぜなら都会だとそういうことはできないし逃れることもてきなくなるからだ、その時万事休す戸なる、それをイメージしたらとても住んでいられないともなる
また津波でももし人間の直観力が働いたら住めないともなる、波が絶えず打ち付ける海岸線は直感的には怖い場所だったともなるからだ
石巻の日和山の前には家が密集していたのである、それが自転車で通った時、危険に見えたのである、すぐ前に波が打ち寄せる場だったからである、一方で福島県の浜通りの四倉などは前に広い砂浜があり緩衝地帯となり意外と津波の被害が少なかったのである
でもいわき市の海岸でも直接海に接した場所が津波の被害にあったのである

現代は科学技術の社会である、それを否定できない、それで原発事故の前に科学者集団が津浪が来ると警告していたのである、それをまともに東電で聞いて対策していたら被害は防げたのである、でも聞く耳をもたなかった、東電でも科学者集団なのに科学者の言うことを聞かなかったのである、それはコストも関係していた、金をかけたくなかったことがある、でも科学者が科学者を信用しないというのも理解できなものだったのである

何か自然から異変を察知する能力が本能が生物には備わっているとしてそれがすべて科学技術に頼ることになった、それも問題があった、でももはや人間の直感力とかなんとかいうと誰もとりあわない、そんなもの科学的に見たら何の力もないとなったのが現代なのである、それは文系的なものであり理系のものからみれば何の意味もないともなる
でも理系の科学者にしても科学をすべてとしても津波とか原発事故でも防げなかったのである、科学者が津波が来ると警告することでも無視したからである
だからすべて科学万能としてこの世のことに対処できないのである

聖書だとなぜ常に危険を予言していたのか、預言者が尊ばれたのか?

それはとてつもないノワの洪水であれ危険がありそれでその災いから逃れることを警告したのである、でも人々はそんなことを聞かなかった、そして大被害になり洪水にのまれて死んだのである、また科学者が仙台の若林地区とかでここは津波が危険だと言ったら地価が下がるとして不動産屋が怒ったのである、人間は科学者であれなんであれ危険を感じないのである、人間が見ているのは目の前の利益だけだとなるからだ
そのこともまた危険なのである

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posted by 老鶯 at 19:42| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月04日

auで丸二日通信障害 (公衆電話が見直される―無線は不安になる)


auで丸二日通信障害

(公衆電話が見直される―無線は不安になる)

私はauのスマホ買ったけど音声の電話は利用していなかった、でも一日でも電話ができないと困る人が多いと思った、それだけ携帯であれスマホであれ日常的に使っている
仕事でも使っているから深刻だった、復旧に時間がかかりすぎたのも問題だった

この無線障害はパソコンで経験している、マウスでもキーボードでも無線で操作していたが何かの調子でつながらなくなる、もう5、6台も使えなくなっている
それで相当に損している、無線だと使っている内必ず何かの調子で使えなくなる
その修復が私はパソコンにも詳しくないのでできないのである
確かに接続するためのレシバーに問題があり修復を試みたができなかった
それでそのまま放置していて今では線をついたものを使っている
これなら安心だと思った

つまり無線は何かめんどうであり安定しない、不具合が起きると直しようもないと見る
それで二階にルーターがあり下に線をつないでパソコンを利用している
無線にすればいいのだがこれも自分は機械に詳しくなくできないのである
YIFIの設定ができないのである
そして無線は安定しないのである、これは何でも通信でも無線化するけど実際は相当に高度になるから故障することがある
またクラウドなどでもそこに無線で情報を記録させておくのも不安になる
まだusbとかでも手元にあり物としてあれば安心だとなる
なぜかというと通信できなくなる、アクセスできなくなる不安がある
何かの不具合でアクセスできなくなる、例えばパスワードを忘れるとか大きな問題なのである、これでアクセスできなくなったことを度々経験しているからである
一瞬にして記録が消えてしまう恐怖にいつもかられるということがある

線で通信するのはアナログになるが安心だということはあり公衆電話が見直されたのである、緊急時でもやはり線でつながっていれば安全だともなる
つまりアナログ的なものでも人間にとって必要なものだと見直されたのである
でも公衆電話は激減している、だから使えなくなる
すべてデジタル化してゆくとそこに大きな問題が生じる
無線化してもアナログ的なものは安心のために残したいともなる
ただコストの面で維持できなくなっている

安心のために一社だけではなく二つの会社の通信を利用しているというのもわかる
一社がだめになってももう一社で安全を計る、でもコストがかかるとなる
仕事で使用している人はそうしている人もいる、仕事では相当に一日でも通信が途絶えると困る、それだけあらゆるところで無線通信化しているからである
ただデジタル化となるとそれも問題がある
何か安心できないのである、人間でも対面的でないとか相手の顔が見えないとかもある
そこで信用できないともなる、日本人はそもそも直接会ったりしないと相手を信用できないということがあるからだ
話せばわかるとか腹でわかるとか直接会うことで相手を見る信用するとなっているからだただ別に直接逢っても騙されることはあるし信用できるとは限らないことは確かである
その兼ね合いがむずかしいのである

だからパソコン通信で文章だけで会話しているのも不思議だった、なじめないことがあった、今でもそうである、面と向かって話しなければ何か違和感がありなじめなかった
これはやはりメデアが変わるとそうなる
ソクラテスは面と向かって話すこと対話することしかしなかった
文章にはしなかった、つまり文章すら信用していなかったとなる
ただ携帯電話とかだと声で話すから昔の電話とも変わらないことがある
つまり声の調子とか音声から相手のことを感じる、相手の体の調子とかでも声から感じることもある、それは文章だけのやりとりだったらできないのである

それでデルのパソコンを通信販売で買おうとして相談したら相手の人は中国人の女性だったのである、その女性が日本語が上手だったのに感心した
それも日本人相手にパソコンの相談できるとなると日本語に通じていないとできない
そのためにその中国人の女性に好感をもったのである
そしてデルのパソコンを買うことになったのである
そもそもデルのアメリカの会社に中国人が雇われているということもグロ−バル化している、中国人はどこにでもいるとなる
70代の女性は毎日親戚の女性と一時間くらい話ししている、やはりじかに声を聞くということで相手と通じる、女性は話し好きだからそうなるのである

それにしても一日くらい通信が途絶えてもこれだけ大騒ぎになる、一日くらいどうでもいいとなるがそうではない、それだけもう欠かせないものとなっているのだ
だから一旦今回のように故障すると大騒ぎになる、補償問題にもなる
それは電気でも同じである、一日でも電気が止まったらもう社会が回らない
血液の流れと同じになっている、電気社会になっている
それで30、40年前の推理ドラマを見ているとまだ電話の時代であり固定電話でやりとりしているのがなつかしいとなる,パソコンも普及していないでワープロだったとかなる
それだけ通信では進歩した、ロシアがウクライナとの戦争で通信技術が進歩していないので連絡がとれないとかあり不利になった

やはり通信というのはそれだけ影響すると見た
でも戦争とかなるとこの通信設備が攻撃されて破壊されるとお手あげになるかもしれないその怖さは通信にはある、でもインタ−ネットは軍事関係から生まれたもので一部がつながらなくてもつながるようになっている
今回のauの通信障害でもインタ−ネットとかメールは見れていたのである
ただ音声での電話が通じなくなったのである
いづれにしろ通信しろ電気の問題でもこれなくしてもはや社会が回らない、そのインフラの安全性を確保することは生死にもつながっている
現実に救急車も呼べないとかあったからである、それで大騒ぎになったのである


au通信障害の本質的な問題。総務省、自民党がNTTに接待されていた問題がボディブローのように効いてきた・・・日本のネット産業は自民党の利権と化したNTTの事-一月万冊

NTTが独占になっていてそれが政府と結びついていることが問題だとしている
auとか他の会社でもNTTのインフラにのっかかっている、競争がないので問題としている


三上)auが機器のメンテナンスをしておりました。ルーターと言われるネットワークの接続装置を、古いものから新しいものに取り換えたのです。その交換時に、設定などの人為的ミスがあったようです。

ルーターなら個人でみんな使っている、私の家のルーターは古いので変えようとしたができない、操作ができないからだ、でも十年前以上のものでも別に困らない
だから変える必要はない、ただ二階にルーターがあるので線を伸ばすので不便だとなる
こういうことを誰にも頼めないのである
電器屋でもこうした設置をしてくれないのである

ともかくルーターは変えない方がいいとわかった、何かへたにいじると電気関係は事故になったりパソコンでも不具合になるから簡単にできないのである
ソフトの不具合は再起動すると治るからスマホなどでも個人の不具合はそれで直ることがある、ただルーターとは電信会社でも使っていた、本質的には規模の大小だったのかとなる




紫陽花を植えた真野川の土手の道 (雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)


紫陽花を植えた真野川の土手の道

(雷雲に立葵ー野馬追近く夏本番になる)

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紫陽花の厨より見て料理かな

陽の光り雷雲湧きて立葵

ノウゼンや野馬追近く熱くなる


紫陽花の木陰の下に咲きつづき土手の道朝に歩むや川は流れぬ

木陰なす道を今日も我が行きぬなじみし街や行く人はまれ

夏の雲湧きにけるかな野馬追の旗のなびきて朝橋渡る

大きなる窓に山帽子の花あまた咲きて雷鳴り雨にぬれにき


真野川の土手の道に新しく紫陽花を地植えした、箱に植えた花は何か合っていなかった
木陰の下に紫陽花が咲いているのが合っていた
やはり地植えとなると自然になる、箱となると不自然になるのである
あれは何か宣伝のためだったのか?
なぜなら箱ごとにそれを植えた人の名とかグループの名が書いてあるからだ
そんなこといちいちしているのも合っていなかった
反対の岸の新しいサイクリングロードは地植えの花が咲いているからいいとなる

急に黒い雷雲が湧いて雷が鳴ったのであわててパソコンの電源を切った、でもすぐに晴れてきた、この雷で困るのはパソコンがあるので困るのである
今年は立葵は晴れた時に咲いているから夏らしいとなる
梅雨の時期に咲き始める花だからである
これは夏の陽射しのなかで咲くのがふさわしいのである

橋に野馬追いの旗がなびいている、そしてノウゼンが咲いた
ちょうど野馬追いの時この花が一杯咲くのである
今年は例年通り祭りはするらしい、それで野馬追いに出る人は心が熱くなっている
二年間くらい中止していた、ただ7月の終わりころだからまだ時間はある

ともかく今年は梅雨がなく真夏が来た、今日は昨日より涼しいので助かった
暑いと何もする気がしなくなる、それも困るのである
まだ家を直す所がありまた大工さんが来る、山ほどの本も散らかったままなのである
暑いと片づける気力もなくなるのである
でもなんとか整理して良かった、狭い部屋だから余計なものを置かない方が良かった
整理するのは意外と自分だけではできない、ただ勝手になげられたものもありこれも問題だった、家が大きいと整理も簡単にできないのである

生前整理とか会社もできたからそういうものに頼むのもいい、ただ本の整理は簡単にできない、利用することもありとっておくとなる
本というのも中味を良く理解していないのである、だからまた読んでみると始めて読んだような気分になる、それだけ人間は忘れるとなる
やはり何回も読まないと理解できないのである
ものを書く人は私設の図書館のようなものが必要である
インタ−ネットだけではたりないからである、本には学者であれ個々人であれ人生の成果のようなものとして残されたものなのである
実際30年前くらいに買った本の著者が結構死んでいるのである
残されたのは本だったとなるしそれ以外知りえようがないとなっているからだ

2022年07月05日

本の整理ができない (地震で散乱した本の山の整理に苦しむ)


本の整理ができない

(地震で散乱した本の山の整理に苦しむ)

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地震で本が散乱して山積みになっている、それが整理できない、本も簡単に捨てられないただ本が多くなると読んで印しをつけていてもそれを忘れていた
確かにその時熱心に読んでいても忘れていた
そして本を読み直したら初めて読むと同じだった
これは最近良く推理ドラマをBSで見る、それもたいがい一回見たものなのである
でもそれも忘れていてこれは見たなという記憶があるのだが初めて見るのと同じになっている
まず推理ドラマは一回だけ見ても理解できない、複雑なストリーがあり理解できない
三回くらい見ないとどういう展開になっていたのか理解できないのである
テレビでも映像でも人間は一回見ただけでは記憶にとどまらないのである
老人になると記憶をたどる旅にもなるしこれまで読んだ本でも自分なりに自分の文脈で理解するようになる
だから前に読んだ本を読み直すと今度は自分の文脈で引用できる
でもその引用すべき本が読んでいたにしろ忘れていたのである
膨大な本が山積みとなっている、本は何か自分なりに解説してみると理解が深まる
批評すると理解が深まる、この批評に向いているのが老人なのである
それだけ見る目が理解力が深まっているからできるようになる

でも一冊の本でも内容が濃いとなるとき深く読むことはむずかしい
本を読む時心がけるのは著者と対話することである、でも実力がないので若い時はただ一方的になってしまうのである、人生とは例え平凡な人でも老人になると経験からあのことはこうだったのかこうすれば良かった、時間は貴重だった、馬鹿のことに時間を費やして浪費してしまった、もっと登山すれば良かったとか何かをすれば良かったとか後悔する
そしてあの時こうすればとかもっと勉強していればとか後悔する
ます後悔しない人はいない、それだけ人間はつくづく無駄が多いのである

人間は貴重な限られた時間を一番浪費している

これだけは確かである、どれだけ時間を浪費しているか、時間など無限にあるとか思っていたが極めて限られていたのである
人生70年で経験でも知識でも得たものはわずかだったのである
知識にしても天文学的に膨大でありそのわずかな一部しか知ることができない、経験にしてもわずかのことしか経験できない

何か先生になろうとしてそれも一二年しかできなかった、それは試しにすぎなかった
どう教えるかを試したがその試しすらわずか一二年で終わってできなかった
どのように効果的に教えるかはそれも試して教える術を覚えなければならない
でも時間がなく何もできなかった
いろいろ試したくてもその機会もなく終わった、社会はそもそも一人一人の人間に合ったものを用意してくれない、試すこともできない
それで人間には職業でもミスマッチが多いのである
私は旅ばかりするようになったのは自分にあった職業がなかったからというよりは落ちこぼれであり引きこもりになったからだとなる
でも性格的に引きこもりが自分にあっていたのである、それができたのは家族に恵まれたからである

それで興味のおもむくままにいろいろしてきた、主にしたのは旅だったとなる
登山もしたが体力がなく40代前でやめたのである、その後は自転車旅行になったのである、それも40過ぎでできると思っていなかったのである
また海外旅行でも50歳でバックパッカーになったがこれも遅すぎたのである
自分の場あい何でも遅すぎたのである、それで時間を無駄にしたとなる
ただ今になりいろいろなことを深く理解するうになったのは不思議である
誰しも老人になると人生はこういうものだったのかと自ずと理解する
知らしめられるともなる、否応なくあなたの人生が何であったか知らしめられる
それはもう偽ることができなくなる、それで失敗したと後悔してももう人生をやり直すことができなくなっているのだ

本には人間が一生で得たものが詰まっている、その人なりの経験から知識の積み重ねから得たものが表現されている、だからすでに30年前に買った本の著者は死んでいる人が多いのである、そして人間が残したものが何かとなれば死んだ人と逢うこともできないから本を通じてその人を知るともなる、知る方法がないからである
つくづく本を読んでも理解できなかった、本を読むことはかなり難易度が高い
そこには大きく見れば人類の知識の宝庫であり智慧が詰まっているともなる
インタ−ネットだと断片的知識が多いが本一冊はその人の経験知識を凝縮したものとしてもある、そこに本の価値がある

ただ本を読むにしてもその本人が本を読む人にその本を深く理解するものがなければできない、その本人がそもそもダイヤモンドになり黄金となっていなければならないのであるそうなればダイヤモンドにサファイアとかエメラルドとかルビーいろいろな宝石が寄ってくる、付随してくるのである
本を引用するのはそうして多種な多様なものをアレンジすることにも似ている
それも創作なのである、知識は膨大だからとても一人ではもうあらゆることを知ることは不可能だからである

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(著作権引用の規定)

主従関係が明確であること(明確性)
引用部分が他とはっきりと区別されていること(明瞭区別性)
引用をする必要性があること(必要性)
出典元が明記されていること(出典)
改変しないこと


人間のしていることは何らか共同作業なのである、本当に独創的なことは一人ではないかもしれない、知的作業でも何らか協同作業になっている
第一天文学的な知識があるときそれに通暁することは不可能である
だから知的なものでも協同作業なのである
でも主従関係というといん主となるのが明確でありそれはダイヤモンドでもある
そのダイヤモンドに引用がそえられる、つまり宝石だったらエメラルドとかサファイヤとかルビーとかになる
要するに人間のしていることは独創的なものがあったとしても何か様々なものの過去に創られたものでも組み合わせなのである
それで過去の創作物でも本でもそこからまた新たなものがつけ加えられるのである
そういう作業は延々とつづく、知的創造に限りがないからである
過去の創作したものでもそれがそのままではなく常に変異して新たなものとして再創造されるのである

とにかく本を読むということ本を理解することは簡単にできない、重要な所にいくつも線を引いていても忘れていたとなる、線引いても肝心の自分自身が忘れているのである
忘れないように線を引いていても時間がたつと忘れていたのである
ここに人間の弱点があった、本でも推理ドラマでも少なくとも二回見ないと忘れている
二回見るとその因果関係とか犯罪の理由とかいろいろなものが見えて来る
そして再確認するのである、推理ドラマは人間関係でも複雑だからである
本を読んだとしてもそれなりに自分自身の文脈で理解する、その時引用は生きてくる
ダイヤモンドが自分でありそれに添えられるのがエメラルドやサファイヤやルビーだとかなる、そこに協同の創作があり過去のものも現在に活き続けさらに未来にも変化して生き続けるとなる



イノベーションが生まれるものではない。むしろイノベーションとは、日本語訳で「新結合」とされるように、新しい組み合わせであって、組み合わせるもの同士は新しくなくてもよい。

ソニーやパナソニックが再び世界で戦うために必要な「21世紀の水道哲学」

まさに子さなのだ、新しい組み合わせがイノベーションであり創造なのである
全く新しいもの作ることではない、ルネサンスでも過去にあったものを再創造したからである、膨大な知識も組み合わせする新しいものが生まれるのである




2022年07月06日

こんな額では生活できない」「包丁で刺してやろうか」 生活保護の担当者を脅迫か 男を逮捕


こんな額では生活できない」「包丁で刺してやろうか」
生活保護の担当者を脅迫か 男を逮捕


生活保護は楽だなとか言っているがこれが現実でもある
最低限の保証などしていない、そしてそもそも年金が4万以下のような人が結構いるのだ年金をもらうと生活保護がもらえたとしてもせいぜい医療費が無料になるくらいである
その医療費も二三割負担しなければならない
平均して7万くらいだとどうして生活するのだろうとなる
だから毎月電気水道ガスが払えないのである
そしてガスを止められる、すると食事もできないとなる、そのとめたガスの栓を開けるのに3500円とられる、それを払うからと懇願しても強制的なのである
そんなことを毎月繰り返している

また年金四万から今度は引かれている、そんな金でも引かれている
年金はみんな引かれているが4万とかから引かれたらどうして生活するのかとなる
だから生活保護は最後のセーフティネットでもないのである
この人の気持ちがわかる、ぎりぎりに追い詰められると人間はそうなるのである
そういう人間が増えているのである
何か自分は役所の人でないにしろそういう役回りになって恐怖もしている
犯罪にあっている、つまり日本は貧困化で物騒になっているのだ
最近原町で宝石強盗とかあった、それも地元の人だったのである、事情がわからないにしろこうしたことも起きてくる時代になったのである

もうみんな余裕がないのである、余裕がないということは人間にとって相当に危険になる追い詰められた人間が一番危険だからである
日本がアメリカのように犯罪者社会になるというときも現実化してくる
日本は安全な国でなくなる、人間は余裕がないと人を助けることなどできない
多額の借金をかかえた人が自分が介護とか自分の病気で四苦八苦していたとき来た
でも自分自身が大きな重荷をもっているのだから助けようがないのである
むしろそれは強迫になっていた、お前を助けるから金をだせとまでなっていたからだ
そんな人が苦しいとき来たの最悪だった

金であれなんであれ余裕がないと助けることは不可能である
回りを見ても余裕がない、金に余裕がないとつくづく全体的に余裕がなくなる
私自身の生活は無職で引きこもりで実際は金に余裕がなかった
そこでいつも一番安いホテルとか旅館を探すのにずっと苦労して来た
最後はパリに行っても安宿を探していたのである
余裕が生まれたのは遺産を相続してからである、でも貧乏性だから百万とか簡単に使えないのである、なかなか貧乏性というのは治らないのである
ただ遺産としても何億とかではないから意外と準富裕層とかでも質素な生活しているというのはわかる、私もそうだからである
普通の人と変わりないからである、私の場合車がもたないことで節約にはなっていたのである、でも自転車好きだからいいものを持っているしもっといいものを買いたいとなっている、その他は普通の生活である、外食だって独り身でも月に二三回しかしていない
ただこれは食堂のメニューに飽きたこともある

いづれにしろみんな金に追われると危険になる、余裕がないから危険になる
物騒にもなる、なぜか二回も家で盗まれるとか犯罪に合っている
もうそうして余裕もない犯罪者がそこらじゅうをうろついているような時代になるかもしれない、それはアメリカを見ればわかる、実際はホームレスが多く犯罪多発社会である
極一部の超富裕層がいても下層もまた多いのである
そういう人達は犯罪者になりやすいのである
そうして刑務所の方が楽だというのもわかる、雨露をしのぐ場所があり三食保証されているからだ、それが社会に出れば寝る場所もなくなる、食うこともできなるなるからだ

子供の給食も安上がりになり栄養がたりなくなるとかこれも深刻である
未来の子供がそうなることは日本全体に影響する、ただ団塊の世代は脱脂粉乳とかを供給されていたが別にみんな普通に育つことができた
ただこの時代にまともに子供にも食事が与えられないことは深刻である
それが金持でもそういう困窮者が増えると危険になる、南米とかの大金持ちは子供でも誘拐される危険にさらされているからだ
日本の貧困化は危険な水域に入ってくる、もう入っていることは自分の経験でわかった
でも贅沢したくていい車を買って借金しているとかの貧乏は同情できない
毎月電気水道ガス代を払えない人が本当の困窮者である
そういう人達が百万人以上いるのである、家賃も払えなくなってネットカフェとかで寝泊まりしているとか人たちもいる、都会と田舎の貧困はまた違っている
田舎ではホームレスはいない、寝床は確保されている、安い住宅があるからである

いづれにしろ若い人であれ老人であれ困窮者が増えている、子供にすらまともに給食が与えられないとはもう日本は明らかに後進国である、せいぜい東南アジアクラスであり
下になるとベトナムとかネパールである、その人たちは日本に出稼ぎに来ている
でもその人たちも日本の実情を知ったのでもう稼げないと来なくなると言われる
日本は先進国ではない、後進国になっているのだ
失われた30年間があり一向に経済は上向きにならないのである
そして円安が135円にもなっている、円安でアメリカに投資していたとき一ドル120円で相当なもうけになった、だから円安で相当に逆にもうけた人達がいる
私の場合は他で損したから結局損したともなる
ただ円安とはこのように大きな影響がある、投資に詳しい人はこういうとき必ずもうけるのである、その額が大きいのである
そして富裕層にしても貯金があったとしても利子がつかない、預金封鎖があるとか不安なことばかりなのである、つまり富裕層でもそうして安心がないことなのである

参院選挙があるとして日本の最大の問題は今や貧困の問題なのである
様々な問題があるにしても貧困化することは社会全体への影響が大きいのである
でも日本が貧困から脱するにはどうするのかというとそれが見えない
そして再び外国人から人を呼ぶ観光しかないとなる、それで東南アジアからも日本は安いとなり観光に来る、これはかつての日本が金持ちであり海外旅行して金を使っていたのと逆なのである、それもカルマだとなる
日本が海外で威張っていたが今や海外から来る人をもてなしだとかサービスすることになる、日本は安い国になったのである、

ともかく高度成長時代は一時の繁栄でありたちまたち夢のように消えた
日本人が優秀だとかはなかった、そういう過去の幻想をまだ持ち続けているが現実はもう違っている、日本人の悪い点が指摘されるのである、別に高度成長時代は日本人の協調精神とか真面目さが価値あるものとされていたのである
でも今はそんなことはない、日本人はイノベーションできない劣等民族、国だとされるのである、その評価を百八十度変わってしまったのである
日本のおもてなしがいいとか宣伝されるがそれこそ観光しか売り物がなくなった
後進国になったことを証明しているのである


posted by 老鶯 at 09:33| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

2022年07月07日

NHK党と参政党の過激な主張に賛同 (創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)


NHK党と参政党の過激な主張に賛同

(創価の支持は大衆社会から生まれたー宗教とは何の関係もない)

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(3) 信濃町、創価学会本部前、街宣。三木谷のおじいちゃんは創価学会の幹部。創価学会は税金を払え、池田大作氏の個人資産1兆円超え? - YouTube
●信濃町であからさまに創価を批判する黒川NHK党

信濃町の創価本部の前で黒川氏が訴えていることに驚く、またNHK党の がNHKの選挙番組でもあからさまに創価とかを批判した
こういうことは今までなかった、それができたとういことの驚きである
創価のことについては書いてきた、創価は団地の宗教だとするとき別に小さなグループで相互扶助団体だったら問題なかった
それがなぜ権力奪取を目指し政権をとることを目的と化した団体になったのか?
王仏冥合などという政教一致の中世的なものを現代に実地に応用していること自体
ありえないことである、
ヨ−ロッパで政治と宗教が一体化したことで腐敗した、人間の正体は変わらない
人間の真実は変わらない、人間の欲が消えてないことは変わらない
そこから問題が起きてくる

人間は権力を持ちたい

でも人間が権力を持つことが一番怖い

なぜ人間が権力を持ちたいし権力を持つと怖いことになるのか?
それは人間の欲があってそうなる、ダビデでも部下の軍人の妻の裸を見て魅せられて
その部下を危険な場所に派遣して死なせたのである
つまりこれも人間の欲からそうなったのである、そして王であり権力をもっているから
命令できたことに問題があってのである
誰も止めることもできなかったからである、王に逆らうことはできなかったからである

●権力とは何なのか?

これは別に政治権力ということでもない、人間が力を持つものである、権力といっても
いろいろある、その最たるものが暴力になる、相手を理屈などではない、正義もなにもない暴力で従わせる、だから第一の権力は暴力であり軍事力になっていたのが世界の歴史である、何かを決めるにしても話し合って決めることができなくなる
すると最後の手段は暴力であり軍事力になる
それはロシアのウクライナ侵略でもそうである、ロシア人が迫害されているというのは真実だったようだ、それが止められないからロシアが軍事力で止めようとして侵略してきたとも言う、現実に迫害されて一万人とか死んでいるのも事実だとなる
その援護のために侵略してきた
どちらに肩を持つというのではなく、ロシアにも言い分がありもう力で抑えねばならない戸なった、もちろんウクライナにも言い分があった
双方の言い分があったとしても最後は実力行使であり暴力で軍事力で決めるとなる

権力というとき軍事力であり金であり民主主義では数である、この三つを抑えると権力を持ち人を支配できる、そして民主主義でも自由社会でも実際は金の力が大きい
つくづく人間は金に支配されるものだと実感した、毎月電気水道ガスが止められる人は
切実に金を求めている、生活保護でもそれを払うほどの金を支給していないからだ
するとその金を与えればその人は従う支配できるとなる
その人は病気であり金がかかる、でも生活保護でも全額を支払えない、三割くらい払うのである、その金がないのである、そうして今日本が貧困化するとその金が払えず医者にかかれない病院にも入れないとかなっている
だから金がないことは命にかかわっているのである
すると金を与えることで確実にその人は金を与える人に従うことになる

その金融を支配しているのがロックフェラーだとかロスチャイルドとかユダヤ人とかなるそれは常に陰謀論になる、それはわからないにしろ金によって人間は支配できることである、人は金がある所に集まる、明日食べるものがないというとき死につながる
でも金があれば食料は買えるのである、そのために金によって人間は支配できる
金が絶大な権力になる、また数も権力になる、例えばボランティアでも実は一人ではほとんどできない、20人くらい集まらないとできない
それも数は力だからである、数が力だという時、何か物を買うにしても一人が買うのと
十人が買うのでは相当に違う、売る方でも10人を重んじる

●数が権力である

一人が買っても商売にならないからである、数が力となる権力となるのは民主主義では選挙がありそこで権力を得るから数を集めることが第一となる
その数もまとまってないと権力になはならい、それでまとまった票を常に確保している創価であれ他のカルト宗教団体に自民党であれ野党であれ頼るのである
そうして自民党は創価なしでは選挙に勝てないとなり権力を持つことになったのである
そもそも創価とは24時間、365日、毎年、頭の中が選挙しかないのである
そこに座談会にも参加しない幽霊会員百万単位でいる

その会員を座談会に参加させて一票に結びつけるのが幹部の日々の活動なのである
宗教というがそれはこの世のあらゆる欲が肯定される、むしろもっと欲をだせ、題目あげてエネルギーを出せ、何でも欲を実現させるのが信仰なのである
これほど本末転倒したものがないが現代文明社会ではナチスが生まれたようにそんなことが関係ないのである、大衆社会でありむずかしいことは言わない、ハイルヒットラーでありハイル池田大作になるのである、大衆にはむずかしいことは言わないことである
簡単に率直に誰でもわかる命令がいいとなる
そこららのおばさんとかにむずかいしことを言ってもわからないからである
政教分離がどうのこうのも関係ない、ただ御利益と福運がすべてでる
それは賽銭を投げて幸運を祈る神道も同じである、宗教はそもそもそういう人間の欲から脱するために生まれたものである

でも一旦そういうコミニュティに入るとそこが生きる場となるからなかなかぬけられないとなる、それは教会でも同じらしい、仲間でできるからその仲間と離れるのが嫌だとなる一応助け合うこともその党派内ではある、でもその党派に入らないものは敵であり地獄に落ちるとか罰当たるとかしか言わない、それは仲間の権益を権力を維持するためにそうなる、イスラムでもキリスト教でも党派化して熾烈な争いになる、一見宗教の争そいの用に見えて権益、利権、権力の争そいになる、そもそも宗教をめぐって争いになるのか?
それがわからないのである、人間が一番気にしているのは自分の利益でありその御利益を得ることだと教えるのがみんな納得する、すぐに理解する、そして何か御利益があるとして入ってくる、いい女がいるとかでもそれも座談会とかに来るきっかけとなる
実際はそれで一票を得るものとして誘い込むものとしてある
そもそも宗教は女人禁制だった、だから修行する山でも女性は登山が禁止されていたのである、それが時代遅れともなるが今やそういうことは一切ない
いい女がいるぞとなって入る人もいる、要するに一切の動機は問わない、頭数を集めて一票をえて選挙に勝つことしかない、それが創価の目的であり外でも似たようなものである

●宗教団体が無税なのは納得できない

だからなぜ宗教でないものが宗教活動として無税なのか?

これは全くわからない、政教分離もない、それは宗教を金儲けの手段としてこの世の俗世の欲を実現させるも道具でもある、
でもそんなことしていたら何かおかしなことになる、自己矛盾にもなる
だから宗教を看板にしないことである、別に宗教でなければ御利益を求めて矛盾しないのである、自民党は常に不正があったとしても宗教とは関係していないから人間のやることだからとして大目に見られているのである
でも宗教だと信仰しているのになぜそんなことをしているのかと見られるのである
公明党の議員が逮捕されたけどあれこそまさに御利益を得た創価の見本である
あのようになりたくてみんな祈っているのである
地位であり金であり女であり・・・・それは世俗の人間と何ら変わりないのである
これが自民党だと常にあり人間はそんなものだと見られて一過性で終わりそういう人は絶えることなくでてくるのである

そもそも創価でもカルト宗教団体は理論的に崩壊している、何かジキルとハイドであり
そこで真面目に考える人がいたら精神分裂病にもなる、そういう団体が正常でいられるのは創価でもカルト教団の人達はまず考えない、無思考人間であり頭にあるのは欲だけである、得することはするがあとは関心がないのである
例えば肝心の政教分離など言ってもわからない、何が悪いのともなる
そうした歴史的経緯など言ってもわからないのである、それをごまかすことも幹部等がしている、何かどんなことでも正論になる、理屈はどうにでもなるからだ
大衆には理屈を言っても理論を言っても無駄である
大衆は感情であおり御利益を言い、むずかしいことは言わないことである
そもそも理解する能力がないからである、そうしてナチスが生まれたのである
つまり創価でもカルト教団とは現代文明の大衆社会から必然的に生まれたものである
だから大衆とはどういうものかを知るべきだとなる
大衆的宗教とは何かを知るべきだとなる、それはナチスになるのである

●民主主義から全体主義になる

権力団体であり政治でも経済でも世俗と一体化してこの世を支配することが目的である
そして宗教は脅しとかに使うものである
逆らうとやめると地獄に落ちるとか罰当たるとか集団で脅迫する
そこに権力をもつと暴力になる、警察とか自衛隊でもかかわる、内部にも創価の会員がいるからである
そもそも罰当たるとか地獄に落ちるとか言っている人間はどういう人間なのか?
極めて俗的な欲にまみれた醜悪な人間だということである
池田大作自体は醜悪な人間である、そんな人達が言っているのである
でも何百万人が会員がいるから権力の圧力となり脅迫する、ナチス党員が創価会員にもなっているのだ、その支持者は大衆という極めて現代的な背景がある
触らぬ神に祟りなしとは良く言ったものである、カルト宗教団体に入って与えられるのは地獄と罰の恐怖である
第一そんなものをもてあそぶようにしている、宗教にかかわるとは実際危険だからその言葉が生まれた
安易に近づくものではないからそうなった

それは結局大衆化した数と化した文明から生まれたものでありそういうものはなくならないともなる、大衆に席巻されたのが20世紀でもあったからだ
それまで戦争していたのは貴族であり日本だったら侍だったが国民戦争となり全員が戦争に参加する時代になった、そして現代で一番勢力をもっているのは大衆だからそうなったのである、その大衆の扇動者がマスコミでありテレビなのである
だから大衆とはどういうものか知るべきだとなる、テレビは大衆は一体でもあった
テレビというメデアは大衆と相性が良く一体化したのである
毎日必ずテレビは見るからである、ただインタ−ネットで政治にも変化が現れた
NHK党とか参政党はインタ−ネットのyoutubeとかから拡散したからである
それであからさまに日曜討論でも創価は収支決算を明確にして税を払いとなったのであるそれが堂々と言えたことに驚いた、そこに民主主義の自由な言論はあったとなる

ただ民主主義とはまた全体主義になりやすい、数がすべてでありシルバー民主主義というとき60以上の人達が三分の一とかなれば当然偏り全体主義になるのが民主主義であり
もう選挙も機能しないのである、アメリカでもそうである、そこで暴力が今度は前面に出てきてアメリカが内乱になるとも言われるのもわかる
民主主義であれ資本主義であれこれまでのシステム価値観が大きく変化する時代になったのである

●NHK党と参政党に期待

私自身はNHK党と参政党に入れる、でも何の効果もないだろう、結局選挙は団体組織の票であらかじめ決まっているのである、だから早めに当選確実とか出る
その組織団体票が事前にわかるからである、創価の票は事前にわかる、するとその票を加算するから当落が決まっている
そもそも民主主義でも選挙でもそれが機能不全になっている、だからアメリカでは不正選挙があったとかもう暴力による内乱が近いうちに起きるとしているので
ある
民主主義の本場でもそうなっていることは民主主義も崩壊しつつある
それは結局大衆民主主義でありあくまでも大衆というものに依拠しているからそうなる
数が正義となるからそうなる、民主主義も資本主義も限界に来て次に来るのは何なのか
それはもしかしたら地域主義なのかもしれない、これも後退するようにもなるか人間の存在基盤がバックボーンはその人々の生きる地域にありそこにアイディンティティを見出すそういう土着的なものとして本来人間もあり政治でもそうなのである
創価が団地の宗教として生まれたというとき地方から東京に出てきた人達が作ったコミニュティでありそれは地域のアイディンティティを失ったからそうなった
東京という場には何かをアイディンティティとするものがないからである

いづれにしろ宗教は強制できない、強制しようとしたがのがカトリックとかでありイスラムでもそうだが宗教は権力でもって強制できない、でも実際は暴力であり軍事であれ金であれ数であれ宗教を強制するのがカルト教団である、それはそもそも宗教を求めるより権力を求めているのだからそうなる、政教一致祭政一致になっているからそうなる
政教分離などない、天皇現人神(あらひとかみ)でもそうであった、そこで創価の創始者の牧口常三郎が獄死したからである、その創始者が政教一致で殺されたともなる

でも現実は創価自体が政教一致であり迫害する方に回っているのである
だから人間の問題は権力を持つことが危険になる
それで老子でも政治を否定して聖書でもみどり子に治めさせよとかなった
人間にとって常にあくことなく権力をこの世の欲を追求しているのだからそうなった
当然創価でもその欲のために犯罪が起こしている、人間は権力をもったとき危険になる
権力を行使できるからである、それによって逆に権力化すると迫害するのである
でも公然と信濃町の創価の本部前でNHK党が演説したのには驚いたのである
posted by 老鶯 at 18:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年07月08日

阿部前首相銃弾に死す (民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


阿部前首相銃弾に死す

(民主主義は限界に来て暴動も起きるー戦争も起きる)


この事件の真意はまだわからない、でも何か日本でも世界でも民主主義でも資本主義でも行き詰まり限界にきている、アメリカでも選挙をもう信用していない、不正選挙だとして暴動が起きた、日本でも民主主義といってももう既得権者とかで固まられていて変えられない、何か宗教団体のことをも言っていたというが明確ではない

特定の宗教団体幹部の名前を挙げ、「この幹部を狙うつもりだった」という趣旨の不自然な供述をしていることも判明

これも政治にかかわり利権団体と化した宗教団体が自民党の背後にいる、それより創価と一体化したのが自民党だからである、また自民党は特に阿部前首相は統一教会の会合に出ている、親密な関係にあり応援されている

だから宗教団体の幹部というとき誰なのが?

奈良と言うと天理教の本部があるからそういう団体に日ごろ反発していたかもしれない
カルト教団は宗教ではない、利権団体でありそれで税金を納めないことであからさまに
NHK党とから批判されたのである、それも信濃町創価本部前で黒川氏が演説していたのには驚いた
そういう宗教を装う利権団体に反発する人はいてもその数と権力と抑え込まれて何も変化しない、それにいらだつ人達もいる
ただガス抜き政党としてNHK党があり新しく出た参政党などがある
でも現実の政権は依然として自民党が継続して変わらないのである

またシルバー民主主義であり高齢化社会は60以上の人達が多いのだからその人たちを優遇する政策をとらないと票にならないのである
でも4万とかしか年金をもらえない人でも引かれるようになったのである
そして日本は貧困化して物価があがり何か余裕ある人がいないのである
賃金も30年上がらないとか日本は失われた30年を継続している、そこから脱することができないのである

何か暴動が起きるとか不満が爆発するとか言われてきた、それほど追い詰められた人達が増えたからである、つまりもう民主主義とかでは何も変えられないという風潮になる
するとどうして変えるのかとなると暴力だとなるのである
それは民主主義の本場のアメリカでも起きているしウクライナでもロシアが侵略したように何かを変える時話し合いではできない、だから暴力となり軍事力が変えるものとなる
民主主義でも資本主義でも限界に来ている、一見公正なように見えても実際はそこにはもう既得権者とか利権団体とかシルバー民主主義で数が多いことによってすべてが決められる、それで絶望している人達が増えている、選挙に行ったて何も変わらないとなるから

若い人は選挙に行かない、選挙する前から決まっているからである
日本は基本的に自民党一党独裁だったのである
一回だけ民主党の鳩山政権の時自民党から変わった、それは失敗だったにしろやはり民主主義が権力を持つと既得権化するから政権を変えないと変われないのである
それは今までは暴力であり武力で変えていた
それで暴力が全面に出てきて社会を変えるともなる

ただ犯人が自衛隊に属していたということも騒ぎになった、やはり自衛隊とかで訓練していたからできたとなる、素人ではできないとしている
いづれにしろ日本は世界でも動乱の時代になった、それは東北大震災津波から福島の原発事故から始まっていたのである、そこに激動した時代の変化に突入した
故郷に人が住めなくなり荒地化して空家化したからである、それは回復していないのである
その後も去年だったか大きな地震があり今回の地震は強烈だった、未だに家が直していない散らかった本などが整理できていないのである
回りでも瓦屋根は直されていない、今回は瓦は自分の家では壊れないで助かった
前はいわき市から来た業者が直してくれた、この地震も大きかったので恐怖だった

何か戦後70年とかで大きな変化が来ている、明治維新から70年で太平洋戦争になりそして70年過ぎて激動の時代になる
激動の時代になると規制のものが崩壊してゆく、戦後の焼け野原のようにもなる
あらゆるものの崩壊が起きて来る、終身雇用の会社の崩壊、銀行の崩壊、医療崩壊、自治体の崩壊、医療崩壊、教育崩壊・・・あらゆるものが行き詰まり崩壊してゆく
それは戦後の焼け野原のようにもなる、そこで混乱してあえぎ苦しむとなる
何か安泰のものがない、戦国時代の下剋上のような世界になるともされる

そういう時犯罪が増えて日本もアメリカのようになると警告する人もいる
現実に犯罪は増えている、田舎でも南相馬市の原町で宝石強盗とかあったから驚いた
実際は田舎でも安心はなくなったのである
なぜなら生活が追い詰められている人が増えてくるからである
あらゆるものが物価が上がって10円20円安いのを探している人がいる
もう毎月電気水道ガス代が払えない人がいる、百万以上いるとか賃金が上がらずに物価高で苦しむ人達がいる

それはアメリカでも世界中で起きている、ロシアが戦争で肥料とか小麦とかガスが入ってこないということでもそうである、コロナウィルスでもそうである
世界中が大きな変化に襲われている
こういう時また必ず大きな天変地異が起きて来る、水不足とか農作物に被害があるとか
いろいろあり餓えている人が世界中で増えたとかなる
世界中が大きな激動になっている、グロ−バル化経済というのも見直される
食糧危機になったら自国第一主義で食料は輸出しない、インドでは麦を輸出しないとしている、これでグロ−バル経済も止められる、米中の対立で今までのようなグロ−バル化はもう限界である、それぞれの国で自立してまかないともなる
貿易はあるにしても基本的にはそうなる、でもグロ−バル化してきた経済を止めることの反動も大きい、そのために世界中で苦しむ、そもそも90億になるとかもう地球でそれだけの人間は養えないのである、これも限界に来たのだ
あらゆるものが限界現象が世界でも起きている、その大きな変わり目に来ているのが今なのである

だからこういう時下剋上が起きて来るというのもわかる、既得権者の既得権が奪われる
上級国民と言われる人達の既得権が奪われる、そういうとき戦国時代のようになり下からでも上に上れる時代にもなる、戦後の焼け野原だと食糧をもっていた農家の人達が力をもった、都会の人達は何か高価なもの着物でも骨董品でも食料と引き換えに交換した
その時紙幣は金では交換できないともなっていた
預金封鎖もあり金は統制されて市中に出回らない、その時物々交換にもなった
またそういう時代が来るのかとなる、円安になり物価が上がりインフレになればそうなる銀行であれゆうちょであれ貯金しても利子はつかない、それで銀行とは何の役割があるのかとなる、投資信託を売りつけるとなると証券会社なのかとなるからだ
そうして銀行も崩壊するとなる

つまり規制のものが力を失いあらゆるものが崩壊してゆく、それは戦後の焼け野原と似たような状態になる、そこでどうして生き抜いてゆくのかとなる
もう高齢者になるとその気力もないとなる
なぜ戦後の焼け野原になって復興できたのか、それはとにかく子供が多かった
何もない食べるものもないような状態で子供が多かった
子供は未来であり確かにその時高度成長時代になりその多かった子供たちを労働力として吸収できたのである、そして賃金は毎年上がっていたのである
今日本の給料は上がらない、なのに物価だけが上がっている
そして税金をいろいろととられる、4万くらいの年金からも年金は減らされているのだ

本当にこれから暴動が起きて来る、その兆しとして今回の事件があるのかとなる
こんなこと日本で起こらなかったとみんな言うがそれほど日本は危険な状態になっているのである、結局もう民主主義は機能しないと若い人たちも絶望して選挙に行かない
そして選挙でも既成の団体組織の票で決まっている
その組織団体となると宗教団体などがそうである、創価などは選挙のためにある団体であり利権団体にすぎない、だから税金をかけるべきだとなる
宗教活動ではないのである、政治活動であり経済活動なのだからそこに税金をかけるべきだとなる
それもできない自民党は創価と一体化しているからである

そこでまた阿部前首相は統一教会と一体でありとか何か不満があって撃たれたのか、わからないにしてもそういうことはありえる、そうした利権団体に牛耳られている、民主主義が機能しない、選挙など何の効果もない、すると一人の人間をテロで襲えば変わるとなるその反響が大きいものとなるからだ
民主主義は維持すべきである、でも民主主義に限界を感じている人も多いのである
そして無力感をもち暴力に走る人もいてこんな事件が起きたのかとも見る

日本が安全だとか犯罪が少ないとかは終わった、暴力で変えるほかないと思う人達も増えている、それは民主主義の不公平が是正できないからそうなっているのである
そうした不満が爆発寸前になっているのが今の日本にもなる
だから暴動が起きるというとき今までの大人しい日本人でも不満が鬱積してそうなる
それだけ危機的状態になっている、もう選挙では変えられないとなるから暴力になったのかともみる、ただこの人がどういう人なのか良くわからない
でもこれまで日本でこんなことありえなかった、それが起きたことはまさに大人しい日本人ではなくなったということかもしれない、次なる標的は誰かともなり怖いとなる


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2022年07月09日

宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う? (カルト教団の被害者も多い)


宗教団体の恨みで阿部前首相を襲う?

(カルト教団の被害者も多い)

●カルト教団の被害者の犯行なのか?

「特定の団体に恨みがあり、元総理がこの団体と近しい関係にあると思い狙った」という趣旨の供述をしているということです。

また、捜査関係者によりますと、この団体について「母親が団体にのめり込み、多額の寄付をするなどして家庭生活がめちゃくちゃになった」という趣旨の話をしているということです。

山上容疑者がその宗教団体について、「家を破産させられた」「もともとトップを殺そうとした」と話していることが新たに分かりました。

この宗教団体が何なのかわからない、統一教会というのが当たっているのか?
創価も自民党と一体と言う時そうなのか、カルト教団にのめりこむことでと家族が巻き込まれそれで家族崩壊にもなる
また熱心だと必ずそこが選挙の拠点として利用される、創価の場合はそうである
選挙本部のようにされる、そこに人を集めて票に結びつけるのが日々の闘争だとなる
仏教の戦いであり選挙に勝つと仏法の勝利だとなっているからだ
完全に政教一致なのだけどとがめられるさともないし無税で政治活動でも経済活動でも行えるので税金を払いとなったのである
創価でものめりこんだら家庭生活がめちゃくちゃになったとかあるだろう
他のカルト宗教団体でも同じである

何か真光とかに入っていた人が裁判を起こした、その女性も家庭が破壊されたから恨みでそうなった、でもそういうことを訴えても結局そんなカルト教団に入るのは自己責任になってしまい、その罪は問いない、でもそれは明らかに宗教を利用した詐欺だともなる
でもこの世では罰せられない罪などいくらでもある
権力を持つと罰することができなくなる、検察でも大きな権力を持つ団体だとその圧力があり裁くこともできないとなる
要するに社会的法律的に防ぎようがないのである、いくら政教分離していない法律違反だとしても権力を持つと罰することはできない、自民党と創価は一体化して権力を形成して既得権者となり得することになるからだ
その利権を失いたくないとなり互いに不満はあっても結合する
それはあくまでも利権を維持するたにそうなっているだけである
だから利権が得られないと何らか利益にならないとかなり分断にも将来的にはなる
要するに権力を得る為に結合しているのだか得られないとなると分断する
自民党も票にならないとしたら簡単に創価でも捨てる、利をもって結ぶものは利をもって離れるともなる、金の切れ目が縁の切れ目ともなる

わからないにしろこの犯人はカルト教団にのめりこみ家庭生活がめちゃくちゃにされたということで恨んでいた、カルト教団にのめりこむと家庭生活や仕事より信心とかが優先だとされて活動する、運動員にさせられる、そして会員獲得のために日々活動させられる
そうして家庭生活よりその運動が第一とされ家庭生活がめちゃくちゃにされたとなる
それで幸福の科学の教祖の息子がyoutubeで親を批判している
何かここでもやはり家庭生活がおかしくなっていた、妻とも離婚して訴訟にもなっているからだ
もしこのことが阿部前首相の襲撃の動機だったとすると考えさせられる
なぜならあまりカルト宗教団体のことを批判できないからである

●カルト教団は宗教詐欺罪にもなるが罰せられない

すでに大きな権力を数でも政治でも持っているからである
そして宗教を標榜していることでもしにくい、つまり何か批判すると地獄に落ちるとか罰が当たるとかなる、それは政治や経済活動でもそうである
なぜなら選挙とは創価にとっては仏法の戦いであり聖戦ともなる
選挙に勝てば仏法の勝利である、だから常勝しなければならない、仏に従うことは必ず勝つことだからである
完全な政教一致なのである、それは天皇を神として戦った日本の戦争ともにている
そのために天皇を批判した牧口常三郎は獄死した、でも今は反対するものはすべて仏法に逆らうものとして地獄に落ちるとか罰が当たるとか何百万人の会員が脅迫するのだから
これはナチスと同じなのである、警察でも逆らえないとなったらそうである

カルト教団は宗教詐欺罪でもあり本当は取り締まるべきものである
その最悪の例がオウムだったのである、それを放置していたから被害になった
何もしないで放置するとナチスのようになり恐ろしい結果になる、仏教ファシズフムになり一向宗のように題目を唱えて戦地でもどこでも突っ込んでゆくとなる
イスラム教にもキリスト教でもそういうことがあった、カルト化して戦争になり聖戦となり殺してもいいとなったからである
宗教戦争ともなり悲惨な結果になった、不思議に宗教がかかわり人を殺すことになって
罪悪感もない、オウムだとボアしろとなり平気で殺された人達がいたのである
宗教による災いも大きなものだった
宗教が戦争にかかわると人殺しも正当化される、仏教ではそういうことはあまりなかったでもオウムではあった、宗教そのものは悪いものでない、悪いのは悪い人間が宗教にふれてかえってその悪が大きなものとなる
触らぬ神にたたりなしであり安易な気持で利益が得たいからなどと宗教に接するとむしろ祟りがあるとなる、現実にカルト教団は全体が祟(たた)られるものなのである

宗教というとき何か徒党組み集団化して組織化していること自体それは権力集団になる
現実に比叡山でも一向宗でも

「難しいことはわからないけどとにかく念仏で病気が治る」とか、そんな民衆の生活によりなじみ深い欲求・需要から一向宗への期待が高まり、裾野を広げていったのでしょう。

そして、この民衆の求心力を恐れたのが戦国大名のような支配層でした。素朴で土俗的な、いかがわしい呪力を使って一向宗は各地で民衆を組織している。戦国大名たちから見た本願寺勢力(一向宗)とは、敵になりうる軍勢を抱えた一大組織であり、だからこそ警戒したのです。

宗教が力を持ったのは病気平癒を願ったからである、会津で仏教が盛んになったのもそうだった、人間の最大の弱みは病気だからである、病気はその頃直しようがないからだ
すると祈るほかないとなり医者代わりに僧がなっていたのである
それで力をもつようになった、そうして寺は比叡山でも山城であり僧兵がいて不可侵の領域であり琵琶湖の交通で税をとっていたりした
すると信長とかからみれば宗教というより敵対する一大勢力と見たのである
僧兵もいるし税金も独占するしとなれば政治化した武装集団と見たのである
それは創価を見ればわかるこれも時代が変わり同じようなものが出てきた
時代は違うにしろ歴史は繰り返すとなる、そしてこうした寺の僧が武士になったというのも理解できる、僧兵が守り武装集団なのだから当然そうなる

●宗教団体は武装化もするし共産党でも同じ

オウムでも武装化して権力を奪取しようとした、オウム王国を作ろうとした
でもその前に選挙にもでて議員になり平和的に政権を奪取しようとした
それが失敗した、幸福の科学でも政治化して選挙に出ているが当選できない
創価はもともと選挙のために組織化した団体だから議員になり政治で力を持ち自民党と一体化したのである
共産党でもそうだが武装化して政権奪取をもくろんでもいたのだが民主主義だから選挙で政権をとることに変わった、平和団体を装うようになったのである
またキリスト教でも島原の乱があったがあれも浪人が集まり徳川幕府を倒すために戦った純粋な宗教により抵抗ではなくそうした浪人が野心家が集まってきたのである
つまり宗教でもこうして生臭いものがあり権力を得るために宗教組織にでも入ってくる
また利用もする、そういう浪人は信仰とは何の関係もなかったのである
ただそこが徳川幕府と戦う集団でありそこで一旗あげようとした

そういうことは創価にも言えるし他の団体にも言える
とにかくあらゆるものを吸収する、それは創価の場合は一票になればいいからである
その人の罪だとか人格だと心の問題は一切関係しない、一票を得ることしか関心がないのである
そして現代の権力とは数なのである、なぜ数が権力になるかとなれば経済的にも数が集まれば勢力になる、店でも十人が買えば利益になるとして歓迎される
一人が買っても商売にはならないのである、だから現代では数が権力になるのである
大衆民主主義であり大衆を操作することで数を集めることで権力化して社会を支配できるのが民主主義だともなる

赤信号みんなで渡れば怖くない

ナチスでも民主主義の選挙で選ばれて力をもって全体主義、ファシズムになり全国民をまきこみ多大の人間が戦死したのである
民主主義からファシズムになりやすいのである、それは数を第一とするからそうなるのも当然だとなる、数の前に今はひれふす、そしてマスコミは主にテレビはこの大衆を操作する、そこでむずかしいことは言わないことである
ハイルヒットラーでもいい、題目を唱えることでもいい、それはわかりやすいから洗脳されるのである、だからこうしたカルト教団とかマスコミを支配しようとする
創価だと福島民報で聖教新聞を刷らせるとか毎日新聞でもそうである
何かそこで経済的に援助してマスコミを支配して批判させないようにするのである
それは原発事故でもそうだった、それは追求してきた
だからNHK党がNHKを批判するようになった、インタ−ネットで新しい勢力が出てきたのである、マスコミは規制の勢力の権力の機関のようになっていたからである

現代文明社会は民主主義とかマスコミとか一見自由社会のように見えてもそれが巨大化すると大衆民主主義であり背後の巨大な利権を持つ組織集団に支配されやすいのである
原発でも電事連から800億円の宣伝費が出ていたのである
そして政経東北でも相双リテックから宣伝費が入り裏表紙全面で宣伝していた
相双リテックは除染でたいした技術もないのに大儲けして幹部で何十億という金を山分けしていたのである、それはNHKでもちょっとだけ批判していた
こうして報道機関も簡単に買収できるのである
結局それも新聞でもテレビでも金がかかりすぎたことなのである
新聞でも一軒一軒回って配達すること自体手間であり金がかかりすぎる
本を出版するにも金がかかりすぎる、だから報道の自由もなかったのである
インタ−ネットなら金がかからないのである、プログなど無料でてきるのである
手間がかかっても無料である、youtubeでも金がかからないのである
するとここに言論の自由があるとなったのである

●民主主義ではまともな人間が選ばれない

なぜ民主主義が行き詰まっている、無力感があり選挙に若い世代が行かないのかとなると選挙する前から結果は決まっている、様々な利権団体の票で趨勢は決まる
だから早めに当選確実になる、一パーセント開票でも当選確実になるのである
それはすでに票が決められていて計算できるからだとなる
公明党ならか確実に計算できる、会員が必ず投票するからである
こうして民主主義の本場でももう選挙は不正だとして暴力にもなった
すべてが数だというときそれが正しいとはならない、かえって今求められているのはそうした選挙で指導者を選ぶことではないのかもしれない
選挙で選ばれる人間は禄な人間がいないというときでもそうである
第一議員自体がそうした一票を入れる人を馬鹿にしている、選挙の時だけ頭を下げるからいいことは言うが当選して権力を持てばそんなことは忘れる
一時的に御愛想をして票を得るがあとは自分が権力をもって得することしか考えていないのである

民主主義では選挙ではもうまともな人間など選ばれない、まともな人間は選挙になど出ないともなっているのである
そもそも権力を得て自分の欲望を充たしたいとしかない、それは共産党であれカルト教団であれ何であれ同じである、共産党でもソビエト連邦でも中国でも同じだった
権力を得る為に革命をしたのであり結果的にその内部の権力争いで粛清されて何千万人が死んだとされるのである、外部に対しても権力闘争であり内部でも権力闘争である
それは欲の闘争だともなる、内部の組織でも地位につけば権力を得て欲望がかなえられるそのために組織団体を利用するとなる
人間はどうしても平等をめざしても不平等になるのは結局個々人の欲を抑えることができないからである、自分の欲を充たしたい、他の人はそのために利用するというだけになるその組織団体の内部でも欲をめぐって争いがあり外部に対しても欲を充たそうとするのである

ただ下層階級をみるとそれほど贅沢しようとしていない、今日食べれればいい、今日暮す金があればいいとかなる、でも電気水道ガス代が払えないことで一番苦しんでいるのである、何か議員になって金と女とか地位と富が入ればいいとかではない
そういうふうに苦しい人達はやはり一応同情するとはなる
でもそういう下層階級でありたくないとして団体組織で運動していい暮らしをしたいとなる、
それがおかしいのは矛盾しているのは共産党でもイデオロギーがあり平等の思想があり
カルト宗教団体でももともと宗教は欲を抑えることが基としてあった
だからシャカでも無一物となり修行した、何も持たない乞食のようになって修行したのである,キリストも寝る場所すらなかった、教祖がそうなのだから見習えばいいのだが誰一人としてそんなこと見習う人はいないのである
結局人間の欲を消すことはできない、だからこそいくら宗教の看板をかかげてもそこは俗化してかえって欲望を満たすものとしてある

人間はそもそも共産主義であれなんであれ人間の欲を消すことはできない
そこに最大の問題があったのである、そこでその矛盾に悩む人もいない
なぜなら欲望など否定しないしむしろ欲望を肯定してもっと欲望をもつことがエネルギーがあることだとして一心に祈る、地位が欲しい、富が欲しい、女が欲しい、・・・
あらゆる欲望をかなえるために祈ることになる
これが人間の現実なのである、ただ病気を直したいというときこれは人間の最大の弱みだからそのために祈るというときは悪いとはならない、でもそれが権力を得るために利用されるから宗教は危険にもなる





posted by 老鶯 at 16:43| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層