2022年06月01日

空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史 (一軒一軒が語る郷土の歴史)


空家一千万軒になるーそこに刻まれた歴史

(一軒一軒が語る郷土の歴史)

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空家なる大石二つ冬の暮

この家の庭は最近掃除した、でも屋根瓦は直していない
庭は家族が来て掃除したが屋根瓦は直すとなると金もかかる
そして直す職人でもまだたりない、それで放置されているのだろう
ただこうしてまだ持ち主がいて見ている人はいい
全く放置された空家は問題である

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これは空家ではない、兜屋根であり養蚕していた家である
こういう家が田舎にはまだ多い
この屋根は明確に養蚕した家の造りである
何かこういうのは歴史的遺産ともなる家だとなる
ただここはまだ人が住んでいる、飯館村だと住んでいないこうした家が多い




空家となる庭の石

隣なる家は空家となりぬ
庭に大きなる石あり
礎となる石なれや
冬の日さして静か
洗濯物干す女あり
静粛な妻にあれ
街の一隅に十数年住む
今はなしもなお近くに住む
貸家なれども二十数年ここに住む
子供らここに育ち離れる
我が一人今庭に入り偲ぶ
塀にボケの花咲き
その花を手折り我が部屋にさしぬ
一つの家にそれぞれの歴史あり
隠されし処、空家の庭
堅く大きな石の組まれて庭あり
石のテーブルありて家族の憩う
そこに一人一人の顔も浮かばむ
ここにも人の営みありて歳月を刻む
また一つ空家の庭に大きな岩二つ
どっしりとありて動かず
ここに暮らせし人は誰やいづこに
冬の日に我が訪ねて偲ぶもあわれ

日本の空家が2000万軒に (空家の隠された庭の価値ー詩)
http://musubu.sblo.jp/article/189114900.html

今空家が大きな問題となっている、一千万軒が空家なるとか空家だらけになる
原発避難区域は空家だらけである、もう町が空家の町となっている
それで5000万近く誤って金を支給した若い人は空家バンクで移住した人だったのである
無職だとなっていた、何か空家利用でも良く利用されるとは限らない
こういう人も入ってくる、町では何とか空家を利用して町に住んでくれとなったそうなったのだろう、それもわかる、ともかくそれだけ空家が多いのである
これからますます空家が増えてくるのである
それで古民家を修復して活かそうとする人も出て来る

かんながらの道
https://www.caguya.com/kannagara/

ここではそうである、古い物を活かそうとしている、それは思想的にも共感する
この空家問題は実際は大きな現代の日本のテーマなのである
それは少子高齢化でもそうなった、後継ぎがいずその家を継ぐものもいなくなりそうなる墓仕舞いが言われるのも跡継がいなくなり墓を守る人がいなくなるからそうなる

どうしても原発避難区域になった浪江とか小高とか飯館村などは空家だらけでありそれが元のように回復するとは見えないのである、第一若い人が流出したからである
老人ばかり取り残されてそれで復興することはできない
だから空家問題は深刻なのである

例えば詩にしたように一つの家でもそれは地域の歴史を刻んでいる、郷土史にもなる
ただ江戸時代から続いているような家はそれ自体が地域の歴史となる
この辺だと野馬追いにでる家は江戸時代からつづいた家だからである
それは家が継続しているからそうなる
でも隣の家にしても二十数年貸家でもそこに住んでいたのである
ただ別にその家とは関係しない、話したこともわずかである
それでも子供がそこで育ちいつも見ていたのは庭である

大きな石がありそこで妻が洗濯物を干していた、その女性は控えめな女性で顔すらまともに見たこともないのである、だからほとんど交渉がなかった
でも確かにそこに二十数年住んでいたのである
ただ空家になっても近くに新しい家を建てたからである、もう遠くに行って放置している空家とは違っていた、今回の地震でも壊れたりしたが持ち主が修理した
でも放置されてある家もある、それはもうそこに住まない家だともみる
なぜなら東京に息子は住んで両親も死んだからである、するとこことはかかわりもなくなったからである、だからその家は金持ちでそれなりに立派なのだけど住む人がいないとなる、それで地震で壊れた所を直していないのである

ともかく空家化する日本、空洞化する日本ともなる、この辺だと津波で村自体が消失したそこは何も残っていない、空家は一応庭でも家でも残っているからこうして偲ぶことができるでも全部消えたら何も残らない、でもそこに一つの家でも刻んだ歳月がありそれを偲ぶということがある、それは家でも庭だけでも残っていると偲ぶとなる
それは城があったとかでも石垣があって偲ぶのと似ている、相馬藩の城があったとしても石垣しか残っていないから偲ぶとしてもむずかしいとなる
何か昔を偲ぶというとき何か残っていて偲ぶとなるからだ
その点ヨ−ロッパの歴史などは古いし2000年前でも石として残っているから歴史を偲ぶ
ローマの遺跡などがそうである、石は残るからである

ともかく津波であれ原発事故であれ避難して一つ一つの家の歴史でも失われたのがこの辺である、家があれば偲べるが取り壊された家もある
するともう他者から見れば何も偲べないとなる、何か空家でも家があるとここに家があって暮らしがあったのだと見る、でも家もなくなると偲ぶこともないのである
何か記念碑のように家が残っているともみる

家二愛着があるのはやはりそこで暮らした歳月がありただの箱とは違う、そこで暮らした家族の歳月がありそれで家に愛着が生まれるのである、だから老人は原発事故で避難しても故郷の家に帰りたいとなるのである、そこで暮らした歳月がそうさせるのである
やはり人間は歳月の重みというのがある、どこで長く暮らしたのか誰と長く暮らしたのかが重みとなる、なぜなら人間の生きる時間は短いからである
その中で親密になれる時間を持つ人は限られているのである

だから熟年離婚とかなると損だとなる、なぜならもう共に生きる時間が限られているからだ、そこで親密になる時間がもう限られているているからだ
つまり人間で意外と貴重なのは金があるにしても時間だとなっていたのである
誰と人生の時間を長く過ごすかということも大事になる
そしてその人も限られている、家族だったら四五人とかなるだろう、その他の人は親密になれない、それは人間は時間が限られているからである
だから何人もと親しくはなれない、その時間がないのである
そして人はたちまちこの世から消えるのである

いづれにしろ空家となると本当に淋しく感じる、そこでは庭の石でも人間化していたのである、人間の暮らしがあって石も一体化して活きていたことを感じる
それが自然のままだったらそうはならない、一旦人が住んだらそうなる
人の情が石にも樹にものりうつっていたともなる、だから物とは単なる物ではない
物が憑くとなり人間の心がのりうつったものにもなるのである
だから人が消えるとそこに残された物は余計に淋しいものとなるのである
posted by 天華 at 09:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

プログは時系列で記録することだけで意味がある (インタ−ネットで権力をもった庶民)


プログは時系列で記録することだけで意味がある

(インタ−ネットで権力をもった庶民)

●私の十年前のプログの記録も忘れていた

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退院して山帽子赤く実れるや我が家にそ心安らぐ

10年前震災前に入院した自分の記事を読んだ、それが忘れていた、こんなことあったのか書いていたのかも忘れていた、それでその時の写真を見てこんなことがあったのだなとふりかえる、病院から家に退院したとき山帽子の実が赤くなっていたのだ
病院から自分の家に帰ってきてその実を見たときいかにもここには実りがあったとみる
病院は無機質な空間である、別に南相馬市立病院は悪い場所ではない、看護師は親切だった、ただ相馬総合病院に入院したときいじめられたとかありいい印象をもてなかった

ともかく病院はいい場所ではない、それでいい看護師でも家族の代わりにはなれないと
本まで出して言っていた、また知っている人が半年なのか長く入院してかえって栄養不足で悪化した、糖尿病であっても病院の食事はまずいとして悪化したのである
そして家に帰ったら回復したと聞いた、こういうことはみんな経験しているだろう
別に看護師とかでも医者でも悪いとはならないがどうしても家族が見うにはならないからである、つまり医療とは情とか愛とかを必ず必要としているがそれが病院ではできない
別に冷たいのではないがそこに限界がある

この山帽子を見ていたのを忘れていた、あの時病院から帰ってこの赤い実を見ていたのだとふりかえる、それがなんともいいのであく、つまり家にこそ実りがあった
その赤い実は本当に命であった、病院にはそういう実りはない、索漠とした空間なのである
この山帽子の実には何か温かみがある、家に実っていたのだなとつくづく思った
でもこの山帽子は嵐があって半分そがれたのである、それはかなりひどい台風なのか嵐でそうなった、だからもう花も実もならないとかとも見た
でも今では十年過ぎて回復している、こうして10年も過ぎれはまた必ず変化がある

とにかく自分の場合震災から十年の変化は激しすぎたのである
その前に姉が認知症になって介護に追われていた、でも十年もすぎると忘れていたとなる
プログはこうしてただ記録することに意味がある、例え読まれなくても意味がある
日記として残されることに意味がある、人間は時系列で見る時間軸で見ることが苦手なのである、何か事件があるとして空間的にはどこで起きたかすぐにわかる、
だからtake placeになる、どこで事件が起きたというとき場所としてまず認識するのである、ところが時系列で認識することは本当に難しいのである
ウクライナのことでも時系列で認識することがむずかしいから理解しにくいのである
テレビでプーチンはスターリンを模範にしているとかロシア国民はスターリンを再評価しているというときもそうである、それは若い人がスターリンがどれだけ酷いことをしたか教えないからそうなっているという、情報は一方的にロシアではなっているから一方的な見方しかできないからだという
つまりこうして時間が過ぎると過去は歴史となりそれもその歴史を教えないと誤解が生まれる、一千万人も粛清されたとかあり

●ウクライナで起きた時系列の歴史がわからないから理解できなかった

ソ連では1939年末までに約900万人が投獄されたと主張する。

この第2次チェチェン戦争での民間人の死者数は、統計した団体ごとにさまざまな推定値がある。4万〜5万人という推定が多いが、もっとも少ない推定値は中立的立場の国際人権団体「アムネスティ・インターナショナル」の調査で、民間人の死者が約2万5000人、さらにおそらく死亡したであろう行方不明者が5000人いるとされている。つまり、少なくとも3万人以上の民間人が殺害されたとみていいだろう。

今回のウクライナ侵攻よりずっと以前から、プーチンは数々の殺戮に手を染めている。ざっと計算すると、すでに8万人前後の殺戮に直接の責任がある。事実上プーチンの配下になっているシリアのアサド大統領による殺戮の責任も加えれば、プーチンはなんと30万人近い人々を殺してきた21世紀最悪の大虐殺者といえる。

時系列でみればこういう事実があった、でもそういうことを深くふりかえり考察できないそれはロシアの若い人たちでもそうなのだから外部になるとさらにそれを深く見ないのである、かえって内部の人達は閉鎖された環境で一方的な情報しか与えられず方に何があったかわからないからスターリンを賞讃するようになっている
これも怖いことである、日本でもそういうことが起りえると警告している
もう70年以上すぎるといくら日本が三百万人が戦争で死んだとしてもリアルな感覚がもてくなくなる、ただ私は姉が従軍看護婦だったからその話を最後に認知症になり千回を聞かされたからそこで戦争が何であったか知る、でも今や若い世代になると全く直接戦争の話でも聞けない、だから戦争を理解することはむずかしくなる
こうして過去が忘れることが人間にとって危険になる、戦争とかスターリンの粛清も隠されて忘れられるとしたらまたロシアは同じことを繰り返す、そして大量の死者がでて犠牲になる、それで若い人は今のプーチンでも生ぬるいとしているのが多いというのがそのためである、日本でも戦争のことを忘れて右翼的な人達がこうなるかもしれない
それは戦争の悲惨さをわからなくなるからである

●記録されない重大なのこと-津波の記録

人間とは時系列でみることが苦手なのである、次々に事件でも起こり過去にあったことは忘れてゆく、そして過ちを繰り返す、だから重要な歴史でも忘れられるのである

それで相馬藩では400年前に慶長津波があり生波で700人溺死と相馬藩政記に記録されていたが誰も知らなかったのである、その記録も膨大だからである、学者すら知らなかったのである、もしこの記録をみんな知っていたら逃げて助かった人が相当数いたかもしれないこの辺では400年も津波が来ないのだからここは津波が来ないという確信になっていた
でも戦国時代だったから相馬藩の戦争のことは事細かに記録していたのである
そして生波(いくなみ)後で津波となった、これは二行だけしか記録されなかったのである

なぜ記録されなかったのか?

それは文字を書ける人も少なかった、文字を書けるのは役人でありその時の関心事は戦争のことだったからである、その時の権力者の一番の関心事は戦争のことだったからである別に民衆が700人津波で死んでもたいしたことではなかったのである
でもその時生きていた民衆が記録することができていたら貴重なものとなりそのことで津波から逃げて助かった人がいたともなる

ともかく記録することは意外と大事である、その手段をインタ−ネットで民衆が得たとなることは実は大きな進歩である、なぜなら記録することは簡単にできないかったからである、文字が生れ記録することはエジプトの神聖文字のようにそのことから三千年前のことまでわかる、石に記録されたから消えないのである、紙に記録したものはやはり消える
でも石に記録したものは消えなかったからである

インタ−ネットとかは庶民でもこうして膨大に日記でも簡単に記録できる
するとその当時の庶民のことが記録されているから歴史の資料ともなる
電子化するとことの強みはこのうよにいくらでも書けることである、一人一人の全集のようなものが残せる、全集とかなると特別の人しか残せなかった、それで印刷技術ができたとき聖書が誰でも読めるようになりルターがドイツ語で聖書を本として出版してカトリックに対抗してプロテスタントが生まれたのである
このプロテスタントとはカトリックに対してプロテストすることであり抗議することである、それは印刷の技術が生まれてできたことなのである
これで大きく社会が変わったのである

だからインタ−ネットにもそういう力がある、その力を民衆でも得たとなる
今まではマスコミから選ばれた人しか発言できなかった、また記録としても残したとしてもそれがこんなふうに膨大に書いて残せなかった、出版できるのは極一部である
民衆の大多数は日記に記録したとしても本として出せることはない、ということはやはり何かしら権力をもっていないとできない、その権力だとカルト宗教団体とか様々な組織団体が背景にあって出されるとなる、だからインタ−ネットによりこうして膨大な記録ができて発言できて少数でも読む人がいるということは大きな変化だったのである
そして電子空間だと紙に書くわけでないから無制限に書ける、本でも新聞でも紙の媒体だと書けない、それは費用がかかるからだ
それは江戸時代とかなる紙自体が紙漉きとかで作り高価なものだったからである

●記録することも簡単にてきなかった

ヨ−ロッパだと修道院に

「写本」というのは、本の内容はもちろん、豪華な装丁の高級感が、政治的権力を表していました。今、本と政治というのはあまり権力とは関係がないですが、当時はこういう貴重なものを持っているということが権勢の象徴になっていたと言えます。また、戦利品としても写本が非常に重宝されていました

羊皮紙をつくる職人、絵を描く職人、イニシャルを描く職人、テキストを筆写する職人、写本を本に綴じる職人、装丁を作る職人らの分業から成り立っているものです。

これだけの手間がかかっていた、それは紙漉きと同じである、だから高価なものだから
特別であり誰も記録を残せるものでもなかった、羊の皮ともなれば貴重だからである

でも電子空間だとそういうことはない、いくら書いてもかまわない、紙が増える訳でもないからである、費用はかからないのである、だから庶民でも誰でも記録して残すことができる
ただ電子空間だと一瞬にして消える恐怖である、それで都築詠一氏のプログは自ら消して死んだのである、なぜ記録を残さなかったのかわからないのである
電子空間は記録するにしても一瞬で消えることがありそういう経験を数回自分もしているすると一瞬で苦労して書いたものでもゼロになる恐怖なのである

とにかく私はプログで書き続けて来た、そこでコメントとか対話もせずにただ一方的に
書いてきた、でも読む人はいる、津波震災の時は毎日二千ページビューとかあった
それはあれだけの震災の犠牲がありその現場にいて生々しく伝えたからそうなった
つまりインタ−ネットでアクセスが増えるとしたらマスコミに報道されるだけではない、その現場にいた人からの報道することが可能になった、写真でも動画でも出せる
今ならスマホで動画を即座に出せる、それでウクライナ戦争のリアルな映像が世界中に流れた、それが生々しいものとなったのである
報道はマスコミがするものでありそれ以外はできなかったからマスコミがとれだけ力をもったかしれない、第三の権力になったこともわかる

●インタ−ネットで庶民が新聞社にもテレビ局にも出版社もなれる

全国区の選挙があったときも芸能人が名前が売れてるから一位当選とかあったのである
そきお中味などどうでも良かったのである、なぜなら庶民は名前を知っている人に投票するからである、その人がどんな人なのかなとわからないからである
それで東京都知事の青島だよとかテレビに常に出ていた人が知事になったのである
その人は選挙運動もしないでいつも当選していたのである、それはテレビの宣伝力のためだったのである、それだけ中味など関係なくテレビに出ただけで有名人になっていたからそうなったのである
そこでNHKが大衆を洗脳する機関となりNHKの言うことがすべて正しいとまでなったのである、もうNHKには逆らえないとなったのである
そのNHKを批判することだけで選挙に出る人がでてきたというのも時代である
それだけNHKが報道でも世論でも作り出す独占するものだからそうなっていた

私はインタ−ネットでもすでに二十年している、それはホームページから始まった
でもそれも5年間くらいで終わりプログに移った、介護とかで忙しくなりプログが中心になった、プログでも書き続けるとなると手間だけは省けない、そこに時間がかかる
でもこれだけ一私人が膨大なものを書けるそれも資金はかからない、紙代もかからない
出版するとなると紙代から本作りから店に置くだけで百万以上かかるだろう
それより勝手に出版などできない、本屋でも置けないし売ってくれない、無名の人など相手にしないからである
だからプログでもこれは庶民が大きな権力を得たものだと自覚した
出版社にもyoutubeだとテレビ局にもなるからそうなる、youtubeだとテレビ局にもなり
芸能人でもyoutubeに出ているしyoutubeで有名になり広告で一億円稼いだとか出て来た
今やマスコミとかテレビでも見ない人が増えたのである
マスコミはテレビは凋落するメデアである、それより多様なコンテンツが見れるインタ−ネットに視聴者は移っている

●パソコンン通信から発展したインタ−ネット

私はたまたま通信機のついた富士通のワープロでオワシスキーボードで文章がスムーズに書けるのではまった、悪筆でありこれにのめりこんだのである

代表的なパソコン通信サービスには、NIFTY-ServeやPC-VAN、アスキーネット等がある。1987年に提供が開始されたNIFTY-Serveでは「フォーラム(電子会議室)」というサービスを提供していた。フォーラムでは特定分野のテーマに沿ったコミュニティが用意されており活発な議論が交わされていた

これ以上の小規模なものがあり個々人を一つのパソコンに結び通信して対話もしていた
そこでレスが必要だったのは相手に書いた文が届いたいるどうか確かめるためだったのである、それは通信の初歩だからそうなった、その後にインタ−ネット通信がグロ−バル化したのである、今やこれが世界をつなぎインタ−ネットなしでありえない世界になったことは驚きである、この変化がやはり21世紀では一番大きなものであったともなる
通信が飛躍的に発展したのである
だから個人でも出版社にもなり新聞社にもなりテレビ局までなったである
それを一人でしているのは驚異的だとなる、写本の時代とか今でも新聞とかあるがこの手間を見たらそうである、新聞を新聞社で刷るだけで大変な手間である、費用もかかる
それをまた一軒一軒配るだけでも手間で費用がかかる、だからとても新聞社は維持できないともなる

こうして新聞社が金をかかるから東電とかの宣伝媒体として使われた、なぜなら電事連とかから800億円の資金が出ていたからである、また政経東北でもなぜ相双リテックとか除染で大儲けした幹部が何十億と分配された会社を裏表紙一面で宣伝していたのかとなる
また福島民報では創価の聖教新聞を刷っている、それで金が入り会社を維持できている
他でも聖教新聞を毎日新聞とかでも刷っている、そうして大きな権力のプロパガンダにもされるのである、それは新聞を出すことに金がかかりすぎるからである
新聞のようなものでも一個人がインタ−ネットで出せるしテレビ局になれることは大きな変化である、ただ取材とかなるとどうしてもプロが必要になる、そういう人件費は省けない、個々人だと取材が簡単にはてきないからである
第一ブロガーだとか言っても相手にされず取材もできないとなる

●プログは記録しているだけで後で役に立つ

とにかくプログは個々人でもその時々のことを記録していると後で役にたつ、こんなことがありこんな感想を書いていたとふりかえれる、だから十年前にこういうことがあったのか思い出してまた感想を書いたのである
ただパソコン通信とかの時代と違って対話はせずに一方的に書いている
家事でも全部しているし忙しくなったからである、いちいち対話することがめんどうになったのである
でもインタ−ネットでは必ず文章を書くにしても参照るのがインタ−ネット上にあるから引用できるのがいいのである、これを図書館に行っていたりしたらできない
コピーするにも許可必要だったりキーワードで探せない、だから今は市の図書館に十年くらい行っていない、その時間かなくなったからだ
もう図書館が必要ないかもしれない、ただ中味のあるものは本にある、でもその本も膨大でありアマゾンで古本でも安く買える、そして自分用の図書館すらできる

私の家は大きいからできる、それで司馬遼太郎などは自前の図書館をもっていたことでもわかる、文章を書くとき必ず参考にするものが必要でありそれが本になっていたからである
私は膨大な本を買った、それをびっしり線を引いていても忘れていた、覚えていなかったでも読み直してみて今はその一部を引用して自分なりの文を書いているのである
やはり本は専門家が書いているのだから中味があるからだ、だから本自体はなくならないその中味がコンテンツが良ければそれは必要だからである、でも別に電子本でもいいわけである、ただ本の方が頭に記録されやすいことはあるようだ
それにしても本も膨大になるとただ積読(つんどく)になったいのである
本は買っても読んだとしても忘れていたのである

このように人間ほど忘れるものはないと思った、認知症になりすべてを忘れるとういうこは病気だからそうなるにしても本当に人間は老人になると忘れるのである
50年前にあったことが何なのか50年前に逢った人は本当に逢っていたのかともなる
本当に存在してたのかとまでなる
それだけ記憶もあいまいになってしまうのである
だから忘れないように日記でも書いていることは後で参考にはなる、ても紙に書くとなるとめんどうになる、こうして電子空間だといくらでも気軽に書ける、記録を残せることが庶民でも権力でも金がなくでもできるから大きな変化であり権力をもったとなるのである

2022年06月03日

ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた (トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)


ウクライナ戦争は武器のショーともなっていた

(トルコのエルドワン大統領がドローンを売りつけるーそういう人が仲裁できるのか?)

ヨーロッパ諸国が現実逃避ともいえるほど機関銃を忌避したのには理由がある。
南北戦争や日露戦争の結果は当然知っていた、機関銃によりたくさんの人たちが感慨もなく死んだと。
つまり敵軍を崩し大勢の人間を殺すのに必要だったことは、
勇気あるリーダーが率いる決死の騎兵突撃かけるでも、
傑出した英雄が敵兵を何人も斬り伏せるでもなく、
ただの一般歩兵がクランクを回すだけの作業であった。

それは人間と人間がぶつかり合う戦争は終焉し、機械が戦う戦争へと変遷しつつあることを意味し・・・


戦争は常にあったが20世紀になると戦争は機械と機械の戦争になりそこに人間が欠落する人が面と向かって戦う時例え殺し合いでも人間の情が働く、それで平家物語でも一つの
人間の物語として記された、そこには例え殺すにしても人間の情が働き、相手が少年のような人がいてかわいそうがとかなる、また戦争は殺し合いとしても一対一で戦うと自ずとそこに人間的なものが働く、ただ相手を殺戮するだけの者ではない
何か卑怯なことはしないとか勝ち負けがあっても人間的なものが働きそこから武士道が生まれた、そこには刀が武器としてあっても人間対人間の戦いであり現代の大量殺戮戦争ではないからだ、つまり何でもそうだが人間が作りだす道具は平和時にいいものとして働くでも戦争となるとその道具が武器になる、斧だったら木を切るものとしてあっても戦争になれば無慈悲に人を殺す道具と化すのである
それは原発でもそうだった、核兵器ともなり日本はその被害を受けた、一方で平和利用として原発があったがこれも事故でこの辺は悲惨な結果となった

何か今回のウクライナ戦争は武器のショーのようになった、それが現実の戦争でどれだけ力を発揮できるかとなりリアルであり世界中の国が注目したのである
それで先日のテレビで武器について解説していたのが興味深かった
武器産業が活気づいたのである、そして武器を一番売っているのはアメリカなのである
アメリカの武器が技術的に優れていることが判明した
ロシア制は旧式であり今になると使えないことが明らかに見えた、するとロシアでは武器輸出していてももう買わないとなる、それが実践の場で実証されたからである

それで意外とトルコのドローンが効果を発揮して注目された、それで注文が増えた
そしてトルコのエルドワン大統領がロシアのプーチン大統領と直接合い停戦に向けた交渉をしようとなった
でもわからないのはエルドワンがトルコのリラ暴落とかで経済的に苦しい時、このドローンが売れて立ち直るとかなり喜んでいるのも納得がいかない
また今度はそのドローンの効果を見たロシアが買いたいとなり売るともしている
つまりトルコではただ経済的利益をみて仲裁しようとしている
それも納得がいかない、戦争ももうける商売として見ている、それはアメリカでも同じである、アメリカの主要産業として軍産複合体があり武器を輸出することで成立っている
その武器が売れるのは戦争の時だとなるからだ
だから戦争がないことは経済的に追い詰められる、そこで戦争を自らおこすのがアメリカだとも言われる、そこに職業の業(カルマ)が働く、金になるためには戦争でも必要だとなるからだ
トルコにしてもエルドワン大統領にしてもそもそも自らの国の金儲けのために仲裁するということができるのだろうか?そんな不純な動機で平和をもたらされるのか?

真に平和を願うならいいが戦争があってこそ自国の武器が売れる、そうなるともっと戦争してくれともなる、そういうことがアメリカでもあるのだ
だから仲裁するということが矛盾してくる、なぜなら戦争があってこそ自国の武器が売れるからである、そんな人が仲裁できるのか?
つまりウクライナにもロシアにも同じドローンを売ろうとしているのである
仲裁ではなく商売として戦争を見ていてもうけようとしている人が平和をもたらされるのか?それが納得できないのである

だからそもそも武器を作り武器で儲けることは倫理的に問題なのである
アメリカは人権とか盛んに言うけど一番の武器輸出国でありそれでもうけている国であるそしたらそんな国が人権とかなんとか言うことができるのか?
アメリカもだから常に表向きは善人ぶるが実際は悪人だとなってしまうのである
何か人間はジキルとハイドなのである
カルト宗教団体などでもそうである、表向きは宗教を看板にしていても実際は政治と深くかかわり勢力を拡大して権力争奪を計る、善人の顔して実は利権を得る金を得るための
手段として宗教があるとまでなる

だから人間は本当に信じられないとなる、アメリカはやたら正義をふりかざすけど実際は戦争国家でもありそれで武器を売る、これを見ればわかる、実際言うことと現実にしていることは違っているからである
人間はこうして常に二面性があり特にアングロサクソン系はその傾向が強いとしている
平気で人をだます、インディアンは素朴な人達だったか平気でだまして土地をとりあげたとか言われるのもそのためである
どうしても国単位になると善悪など関係ない、国の利益が優先される
だから善人ぶるのは偽善なのである、国単位では善悪はない、ただ国優先の利益があるだけだとなる、だからウクライナでもトルコのエルドワン大統領でも武器を売ってもうければいいとなる、そんな人が国が仲裁できるのだろうか?

ともかく武器から戦争を見るとわかりやすい、戦争の勝敗は武器によって決まる
中国の野郎自大国が漢に敗れたのは武器の相違であった、野郎自大国と銅の刀であり
漢は鉄の刀でありそれで敗れたからである
信長は鉄砲で武田の騎馬軍団を破ったとかあるからだ
そして武器でも古い武器が在庫一掃されるとか武器生産する国ではアメリカでも喜んでいる、アメリカの南北戦争でも古い旧式の型落ちの銃が日本に輸出されて明治維新で使われたのである
今回も型落ちの武器が使われる、そしてロシアの武器は旧式であり効果がないとして売れないとなる
この型落ちの旧式のものは実は原発でもあったのだ
アメリカの古いもの、マーク1が日本に輸出されていたのである、それは危険なものだったのである、でもアメリカではもうけるために日本にうりつけたのである

戦争をなくしたいとしてもなかなかできない、その問題の一つとして武器がありその武器が核にまでなった、それで核戦争で人類が滅びるという恐怖がウクライナ戦争でロシアによって引き起こされる恐怖だったのである
それだけ武器というものが戦争に果たす役割が極限まで達したからである
それを抑えることもできない、平和を実現するにはまず武器をなくすことだからである
でもアメリカは銃社会であり銃をなくすことができない、そのために小学生が乱射事件で数十人とか死んだ、アメリカ自体が武器をなくすことができない、それがアメリカの業(カルマ)だとなる
他国にも武器を売るが自国でも武器で銃で苦しんでいるからだ


いづれにしろ戦争をなくすことができないというときその大きな問題として武器をなくすことができないことである、武器でもうけること自体悪なのである
でもアメリカは軍産複合体が大きな産業となっているように戦争がないと商売が成り立たない、そこに矛盾がある、だからアメリカが人権を言うのも理解できない
戦争こそ最も人権を無視したものとなるからだ、それはロシアでも残虐なことが行われるそれは普通なら死刑にもなる大犯罪である、でも戦争ではそういう大犯罪を無視される
人を殺すことが是認されるのだから後は何でもありとなる
だから戦争では人間の悪が欲望が野放しになる、ロシアがウクライナからいろいろなものを強奪したりレイプしたり悪が何でもあるとなる
だから戦争こそが最も悪が是認されてむきだしになりそれでもとがめられない最悪なものとなる、だから戦争だけは止めねばならないものだがそれができない
その理由の一つに武器があるためだとなる、アメリカでも銃規制ができないことが自ら証明しているのでありそれで苦しんでいるのはアメリカのとカルマだとなる

戦争のことが話題になり軍人がでしゃばる時いいことはない、結局自衛隊が何のためにあるのかというとき不祥の器としてるとき別にそれで良かったのである
自衛隊が軍隊が全面に出てくる時は日本の戦争したようにいいことはない
軍人が一番威張っていたの戦争の時であり反発されていたのである
そして近代の戦争は機械の戦争であり国同士の熾烈な全員戦争でありそれで一千万人とか死んだとかなる、そこに歯止がきかくなっている
そして最後は核戦争で滅びるとまでなる、その恐怖を現実化しようとしたのがウクライナ戦争でもあった、それで一地域の紛争とは違ったものとして注目されたのである

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2022年06月04日

小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん (藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)


小高から原町に移り藤倉ゴムで働くようになった大工さん

(藤倉ゴムではゴルフの部品を作っていてコロナウィルスでも景気が良くなった)

ゴルフ業界は好景気? コロナ禍で起きた意外な問題

最近になって、巷で問題になっているのは、シャフト不足だ。さまざまなシャフト、そしてスペックが欠品している。最近ゴルフショップや工房にいったゴルファーは、そんな話を聞いたことがあるのではないだろうか。海外メーカーのパーツが供給不足のため、日本メーカーも増産に追われているという話もある。



原町工場
所在地:福島県南相馬市
総合職従業員数:約30名
主要製品:工業用品事業部・制御機器事業部・ACP事業部の製品

原町工場は1969年に設立され、3工場の中では最も歴史の長い工場です。
多くのプロゴルファーに使用していただいているフジクラシャフトは、原町工場で製造されています!(海外工場でも製造しています)。
 2020年には医療用ゴム製品を含むLIM(液体射出成形製品)の生産エリア拡張、生産効率の向上や管理部門の集約を目的としてLIM棟を設立しました。


2002年9月
ベトナムハイフォン市にFUJIKURA COMPOSITES HAIPHONG,INC.(現連結子会社)を設立。
2006年5月
米国オハイオ州のIER Fujikura,Inc.(現連結子会社)を子会社化。
2009年7月
米国イリノイ州にFUJIKURA GRAPHICS,INC.(現連結子会社)を設立。
2010年11月
福島県南相馬市に小高工場開設。
2011年1月
岩槻工場内にエンジニアリングセンター開設。
2011年2月
中国浙江省安吉経済開発区に安吉藤倉橡膠有限公司(現連結子会社)を設立。
2011年3月
東日本大震災で原町工場、小高工場に甚大な被害を受ける。小高工場を閉鎖

藤倉ゴム工業は26日、福島県南相馬市の原町工場敷地内に工場建屋を新設すると発表した。

医療用ゴム製品を含むLIM製品の生産エリア拡張、生産効率の改善、管理部門の集約に伴う作業効率の改善などを目的に、9億8500万円投じて、延床面積4562平方メートルの建屋を建設する。来年1月に着工し、同年11月の竣工を目指す

その人は小高の大工だけど原町に移り住んだ、それで週三回藤倉ゴム工場で働いているという、大工の仕事をしているのかと思ったらそうではない
歳もありきつい肉体労働ができないためにそうっなた
藤倉ゴム工場というときこの辺では目立つ会社である、工場も大きい、新しい工場も作ったので拡張している

ただそこでゴルフ関係のものを作っているのがわからなかった、何か近くでもわからないことがある、あそこは旧街道にありいい松があると私は見ていた、でも藤倉ゴムはこの辺では大きな工場であった、でも従業員が30名とか少ないと見た、これは良くわからない
もっと多く働いている感じである、それは正社員だけで他にも働いているだろう

そして意外だったのはゴルフ関係のものを作っていた、それがコロナウィルスでも巣籠り需要があり増えて海外にも輸出しているという、部品も不足して増産しているという
一時はゴルフする人も減った、でも新規にゴルフをする人も十数万人とか若い人でも出て来た、ただゴルフは衰退産業と見ていた、ゴルフは自然破壊だとして地元で反対運動も起きた、でも奇妙なのは丸森の山の大きなゴルフ場にソーラーパネルがしきつめられた
となるとゴルフ場はソーラーパネルよりは景観的にはいいものだったともなる
なぜなら丸森では山ごとソーラーパネルが敷き詰められた所があったからだ
あれは見ただけで嫌な感じになった、でも山の奥の方だから目立たないから知らない人もいる、それでも危険を感じた、これも丸森は江戸時代には木材をめぐって米沢藩と伊達藩と相馬藩が熾烈に争った場所だが今や木材が売れないからソーラーパネルになった

現代社会は地方でも田舎でも農業が主体ではない、その全体の生産高の割合の一割くらしかないのである、何か依然として田畑が田舎では多いから農業して生活しているのかと見る、でも現実はこうして工場で働く人や会社で働く人が多いのである
だから地方でもむしろこうした会社とか工場が重要だともなる、働ぎ場所になるからである
それで小高にも鹿島にも藤倉ゴムがあった、それを知らなかった、だからこの辺では藤倉ゴムの果たす役割が大きいものだった、小高は震災以後廃止された

何か浪江の人だったか震災原発事故になり会社が浪江にあったが二本松の会社に浪江から通っていたということを聞いた、その人はおそらく二本松に工場がありそこに移り住むようになったと思う
つまり会社とか工場に勤めていれば地元にこだわることはない、農業だったら土地がないとできないからそうはならない、会社や工場が生活の場になっているから場所を選ばないとなる、だからこうして移住した人も多いことは確かである
まず生活が大事であり働く場所がなかったら住むこともできないからである
また多額の補償金をもらった人は仙台市とか移り住んで仕事をして成功した人もいる
こうして原発避難区域は空洞化したのである

小高の復興を言っても原町に移り住んだり鹿島とか相馬市とか新地とかまで移り住んだ人が多い、そこで若い世代は流出して帰らないのである、それで老人だけが取り残されたからそうなればとても復興できると思えないのである
その大工さんも立派な家と広い庭をもっていたがそこには誰も住んでいない
そして息子と嫁と一緒に住んでいたが息子は仙台市の方に行き何かわからないが妻がいても今は一人で住んでいる、だから何か淋しい感じである
そういう人も震災以後多い、家族がばらばらになってしまった人が多い、それが悲劇だったとなる

ただ一人暮らしの老人であれ本当に多いのである、また離婚した人も多い
自分の家に来た女性の三人は離婚している、その大工さんも離婚したらしい、その辺の事情は良くわからない、ただこうしてもともと住んでいた場所が変わったり変化があり
そういうことは年取ると辛いとなる
老人でも今は一日三時間とかスーパーで働いていたりしている、その人も週三日働いているから収入はある、ただもう働けない人もいてそういう人は年金も少なく苦しいとなる
国民年金は6万くらいしかもらえないからである
ともかく老人が多くまた一人暮らしが多い、それも現代の大きな問題なのである
回りをみても老人の一人暮らしが多い、それは男女に関係ないのである
家族が崩壊しているとも言われる、でも今日本が貧困化すると一人一人で所帯を持つことは金がかかる、大家族で住んでいれば電気代でも他でも節約できる、でもそれをしない
個々ばらばらに住むことになったからである、それは貧困化すると贅沢なことかもしれない、一人一人になると何でも生活費がかかるからである
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2022年06月05日

人間を作るものは経験である (農家の女性が草花に詳しい、庭に畑があり広い庭をもっていた)


人間を作るものは経験である

(農家の女性が草花に詳しい、庭に畑があり広い庭をもっていた)

●冬は増えるの意味ーそれは何故なのか?

人間は何か学校でまず知識を教えられる、でもその知識と現実は結びつかないと抽象的なものとなってしまう、でもどういう家に生まれるかでその家の生業がありそれで身につくものの方が現実的に知識を得ているのである

例えばそもそも芸術とかある、でも芸術がどうして生まれたのか、俳句をみればわかる
その季語とか日本語自体どうして生れたのか?
春は張るから生まれた、万物が張ってゆく状態であり張り田とかがある
夏はなじむ、なつむから来たのかもしれない、夏になれば万物が植物でもなじんでくるとなるからだ、また秋は商う(あきなう)からきた、様々な収穫がありそれを商う季節だとなる
そして不思議なのは冬なのである、冬とは増えるのふゆなのである、それがどうしてのなのか?それを私は知識として知っていた、でも別に知識がない女性が畑で野菜を作っていた冬には一番作物が育つと言っていたのである

それがどうしてなのか、

いろいろなものを[殖ゆ]することを目指す祭りを[ふゆまつり(殖ゆ祭り) ―折口信夫

冬というのが増えるということが納得がいかない、万物が枯れて眠る時だともなるからである、その時になぜ増えるのか?それは冬は増えることを願うからそうなった説である

そもそも冬野菜は、どうして寒い時期に収穫の最盛期を迎えるのでしょうか?
それはルーツが寒い地域にあるからです。例えば大根のルーツは地中海近辺とされ、ネギのルーツは中央アジアとされています。これはどちらも北海道と同等以上の緯度にある地域であり、元々寒い地域で栽培されていた野菜なのですね。
それを日本で育てようとするならば、冬が旬となるのは自明の理です。

また寒い地域をルーツに持つ野菜には、寒さから自分の身を守るために水分を減らして糖分を増していくという特徴があります。

冬野菜がありその冬野菜は寒い所に育つのが多い、とすると冬に育つ野菜も多いから冬となったのか?。いろいろな野菜がとれるのは冬だとなるからだ
ただそれは土壌と関係しても生れた、寒い時期だからこそ育つ増えるからである

その農家の女性は私の家の庭の日影にエビネランと擬宝珠が密着して植えてあった
エビネランが咲かないんだと私が言うと擬宝珠に養分が吸われたためだという
それで離して植えたのである、これは山の中に咲くから日影で木漏れ日がさすような場所がいいのですと言う、そこは塀の下にあり日影になっていたから場所としてはあっていたからまた咲くという、それをめざとく見つけたのには感心したのである
他でも花について詳しいのである
そもそも農家で農業して野菜をでも作っていたのだから花にも詳しいとなる
そして生け花もしていて花嫁修業で生け花を習っていたのである
その人は74才になっているから生け花など花嫁修業として習っていた、その頃までそうして教える場所が結構あったのである

ともかく花がうまく育たないのは土の関係とか肥料とか日の当たり具合だとか水をどうやるかとか問題になる
それで花を植えても半分はだめになっている、要するに花でも大事なのはその花がもともとどういう場所で育ったかが問題になる、日当たりのいい場所なのか日影なのか湿った場所なのか乾燥した場所のなのかとかなる、特に外国産が入ってきているからそうなるとその原産地がわかりにくくなる、つまり風土というのも深く関係しているから植えても育たないとなる、高山植物なら栄養分がいいとかえって咲かない、なぜなちら高山の栄養分の少ない岩場などに咲いているからである
つまりどういう場所が原産地なのか知らねばならないとなる
花を知るには相当なこうして土から肥料から水のやり具合から陽の当たり具合とかめんどうなのである、それで失敗が多いのである
農業の知識と密接に結びついているからである

●知識は学校でも本読んでも身につかない

何かこうして知識というのは学校で習うようにただ現実の世界から離れた抽象的なものとして学ぶとつまらないとなる、知識自体が身に着かないのである
それで外国を知るには何も知らないでも一回でも実地を踏んだ人が知っているのである
それで私は外国旅行をしたのが遅いから失敗したとなる、何か全く通じない変なことを言っていたのである、つまり知識と現実がかけ離れていたのである
これは例えば弁護士とかでも法律の詳しい知識を身につけても現実の社会の場で問題に
直面したときその専門用語などをふりまわしても通じないとまでなる
専門家が現実の社会の場で専門馬鹿とかなるのはそのためなのである

宗教にしても知識として聖書であれ仏典であれ隅から隅までも読んでも理解できない
でも体験すれば一発で理解でることがある
例えば悲しむ者は幸いだというときそれがなぜなのかいくら聖書を読んでも理解することは不可能である、悲しむ体験をしないかぎり不可能なのである
悲しむ経験をすると悲しむ人に通じることがある、その女性は夫の介護を十年以上していた、脳出血でそうなった、自分も介護の経験をしているからその苦労がわかるとなる
でも経験しない人はその苦労がわからないのである、そういうことはいくらでもある
人間は知識が人間を作るとはならない、経験が人間を基本的に作る

だからどういう経験したかを見ればわかる、それで老人は姿は衰えるのだが経験したこがありこの人はこんな経験した人なのだと知り老人は若い人より価値があるともなる
若い人は経験が不足しているから語ることも浅薄だからである
だから老人がみな価値がないものではない、ただその差は大きい、その女性は美人なのである、農家に嫁いだとしてもそこは夫は会社員になっていてまず農業のことを全く知らない、野菜でも花も育てていない、そして関心がないのである
だからつまらない女性だとも見てしまうのである、何か生活感がないのである

芸術にしてもそもそもがそれは実体験を基にしている、小説だっけもともとは実体験が語られたものである、だから特別な経験した人は小説がうまく書けないにしても語ると重みがでてくる、戦争体験しない人が戦争を語っても重みが出ない、それは単なる知識として習得しているからである、仕事にしてもいろいろありその実経験から語ると重みが生まれるのである,切実なものとしてリアルなものとして訴えるのである
俳句でも農民の実生活から生まれたものである、その季語もそういうものが多いからである
農業は密接に自然と関係しているからである、また正岡子規の写生論でもありのまま見たままを俳句にしろというのもそうである
それは架空のことでイメージしたことではないからである、そこにリアルな実感が生まれるからである

その女性はまた津波の経験もしている、その人はやはり津波が来た時見て逃げたのである津浪は見てから逃げて助かった人が結構いるのである
津波が目の前に来て裏山に逃げて助かった人もいたしまた車で逃げて助かった人もいる
だから津波が見えるというときそれはじかに見るから逃げたのである
テレビでも津浪から必死で逃れる人が写っていた、津波が来てから逃げて助かったのである、それも恐ろしい光景だったのである
津浪と言っても私は津波の危険感じなかった、でもすぐ近くの川に津波が溯っておしよせていたのである、それですく近くで堤防から水があふれていたのである
だから知らないだけで津波は身近な恐怖だったのである

●教育は学校だけではできない

島木健作の「地方生活」では都会の知識人が満州で農業にたづさわりただ知識だけの人が現実に直面して知識だけではない現場を体験して知識がどういうものか肌でる、そしてそれは知恵となり本当に知識が身についたと語っている
何かそれでただ知識を語る人はもともと現場で苦労する人から嫌われたのもわかる
それで中国だと知識人は反対するから農村で農業を実習させられて苦労したとなる
それが習近平もそうでありその苦労を語ったりするのである
ホイットマンが讃美したのは知識人ではない、現場で働く多様な人々であった
そういう人達とじかに接して詩にしたのである、それは偉い地位ある人ではない
普通の平民だったのである、ただその時のアメリカ人は素朴な人達であり清教徒の模範のような人達でありその宗教を現実のの場で実践した人達だとしている

それで明治時代にクラークが北海道の札幌農学校で教えた時代はそういう時代でありその雰囲気がちょうど北海道であっていたので成功したとなる
その後のアメリカ人は違った人達になっていたのである
北海道で学んだことはその場の雰囲気が影響したのである
北海道に私が十回も行ったというとき仙台から船で苫小牧についたとき空気まで違っていたからである、その広い空間で解放された気分になる、心まで本当に変わる
日本にはない広大な空間で心が浄められるような経験だったからである
それは今でもそうである、人間は別としてその自然景観が全部が変わっていないからである、外国人で意外と北海道が人気なのもわかるのである

教育というときそもそも学校という場ではできない、不可能である、教育の範囲は広大なのである、私は学校は嫌いだし勉強も嫌いだった、でも大学でてから自由に旅行して地理に興味をもった、地名に興味をもった、そんなことたいしたとではないといっても大学までは勉強しなかったが自ら何でも興味をもつとき本当に自ら知識を積極的に習得するようになるのである、興味をもたないときは試験のために勉強するときは身につかないのである
学問でも宗教とかなる切実な問題から発している、私の場合はなぜ人間は死ぬのだろうと大きな疑問だった、それは中学の時父親が死んだからである、それが最大の衝撃となりそうなった、その問いは結局この世で一番深刻なのものである
その解決がなければあらゆることは虚しいともなってしまう
でもその問い答えられるものがあるかとなればあった、それは死から蘇り永遠の命を与える神だとなの、それを証明したのがキリストだとなる
ただでは聖書とかキリストでも理解するのは実体験からしかできない、学問してもできないのである、悲しむ者が幸いだといろいろ教えがあったとしてもそういう経験をしない限りいくら聖書を読んでも仏典を読んでも無駄だとなるのである
それはかえって害にもなるのである、それで都会人の知識人をインテリを中国の農村で農業させればその苦労がわかるということでそうさせたことはある一面では正しかったとなる、マルクスの理論だけ学んでも解からないからである

いづれにしろその農家で働いた女性には感心した、それは実経験から語っていたからである、だから老人見た眼は悪いがその語ることは奥深く味があるとなる
若い人は見た目はいいのだけど語ることも浅薄であり重みがない、それで老人は人生で様々な経験したとこを語ることで意味があるとなる
ただ全部とは言えない、その人の価値とか老人の価値は多様だからである



地方生活ー島木健作

この本は戦前の庶民の生活ことを書いている、農民中心に書いている
それで北海道のこととか、また満州のことでも書いている
ロシア人を悪くしか見ないが満州にもロシア人が住んでいた、それでロシア人のは生活を楽しむことができる人達だと言っている
そもそもロシア人が満州に住んでいたのかとなる、何かロシアからいいイメージがないのである、シベリア抑留とかいいイメージがない、でもこの本では別な見方をしている
だから人間社会を見るとき多面的多様な見方が必要なのである
その時人々がどういう経験したかでそれぞれの見方も違ってくるからである

これは良書である、こうして過去の本にもいいものが相当ある
今の本ばかりを読んでいてはわからないことがある
これもアマゾンで買えたのである、たまたま買ったともなる
今ならいろいろ奨める人がいる、youtubeでもいる、それで買う本でも増える、それで困るのである、人間の体験も限られているが読む本も限られている
だからくだらない流行の本を読んでいたら時間がとられてこれも時間の無駄になってしまうのである

2022年06月06日

ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー (その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツではおよそ25台に1台がオープンカー

(その理由はやはり風土であり技術でも風土に見合ったものとして発展した)


ドイツでのオープンカーの比率が高い理由は、次の3つが考えられます。

・ドイツの気候がオープンカーに適している
・ドイツ人の多くは、日焼けした肌を好意的に捉えている
・季節ナンバー制度の存在やそもそも車庫証明が存在しないなど、クルマを2台持ちするハードルが低い

ドイツの冬は長く寒さも厳しいですが、春から秋にかけては逆に日照時間が長く、気温は真夏でも35度を超えることはほとんどありません。また年間を通して乾燥しており、日本のようなジメジメとした梅雨は存在しません。夏でもカラッとした爽やかな陽気で、日中暑くても朝晩は気温が下がるため、冷房設備のない古い建物も多く見かけます。雨が降っても長時間降り続くことは稀なので、オープンカーの幌を開けられる時間や時期が非常に長い、というのがドイツの気候の特徴です。

田舎ではめずらしくオープンカー持っている人を見た、ともかくこの辺では原発補償金でレクサスなどのいい車を買った人がかなりいたという、ただ私は車がないので車のことがわからないのである
ただなぜオープンカーがドイツ製がいいのか、ドイツで普及したのか?
その人のオープンカーもドイツ製であった

ではなぜドイツでオープンカーの技術が向上して普及したのか?

その理由が風土になったのである、ただ誤解していたのはドイツというとき雨が多く霧とかも多く陰鬱な風土だと思っていた、なぜならドイツの詩とか読むと何か霧の詩が多いからである、それはそうではなかった、とにかくこの風土とか地理でも理解するのはむずかしい、私は確かにドイツを旅行した、でも風土となると気候となると一年くらい住んでいないとわからない、だから外国を理解することはむずかしいのである
風土と地理を理解しないことは根本的にその国を理解できないことである
砂漠に住んでいる国がある、砂漠で暮らせるのかともなるしそれを理解することはできないとなる、なぜならそもそも日本には砂漠が無いからである
そうしたらどうして理解するのかとなる、またヨ−ロッパでも中国でもインドでも想像できないような大きな河がありこれも理解できない、そんな河が日本がにはないからであるそれで外国人が日本の川は滝だというのもわかる、急流となり流れて浅いからである
外国の大陸の河は運河のようになっているから船を利用して交通に便利だからである
それで四大文明が河から生まれたというのもそのためである

人間と風土と地理は一体で切り離せない、それはあらゆることに通じている
技術とかなると気候とか地理とか風土とか関係ないともみるが実際は深い関係がある
技術の発展もやはり風土と関係して生まれている、風車が生まれたの中東地域だというとき砂漠が多いしそこでは風が吹きやすいから合っていたとなる
日本だとトンネル技術が発展したのは山が多い山国だからトンネルを常に掘る必要があるからだ、リニア新幹線でもトンネルを掘る、そこで山でも影響して問題があると反対したりする

それは原発でもあった、原発はアメリカで作られたがその場所はアメリカは広いから東側に作られた、西側には作らなかった、海岸には作らなかった
ただ東側は竜巻がありそれで電源を地下に作ったのである
それをまねて日本の福島原発も地下に電源を作ったが津波で浸水して使えなくなったのである、それは風土を考慮しなかったからだとなる
つまり科学技術でも土着的なものから生まれる、幾何学などがエジプトなどが砂漠のエジプトとか大陸で生まれたのはピラミッドを見ればわかるように何もない砂漠の平坦な土地に人工の山を作る、そういうことが自ずとイメージする、そういう風土から生まれたともなるからだ

そして食料とかでも稲作と麦は根本的に違ったものである、麦は意外と作るのがめんどうだといのもそうである、面積当たりで収穫が少ないのである
米の方が面積当たりで収穫が多いのである、それは水田ということで水が流れる家庭で養分を九州して肥料の代わりになっているからだという
つまり農業は風土と密接に結びついて作られている、だから本当は食料はその風土に合ったものをとるべきだとなる、日本食は日本の歴史的長い年月で風土にマッチして作られてきたからである
日本は旬を大事にするとか活きのいい魚でも寿司にしたりする文化である
それは日本が四季が明確であり四季の変化が文化にもなる、俳句の季語がそうである

日本の風土にあった食文化がアメリカに負けてアメリカの食糧政策の笠下に強制的に入れられて日本はパンや牛肉を食べるようになったのである、麦にはタンパク質が少なく米に多いという、それでパンと肉食が一体化したのはそういう理由があったとなる
そもそも体でもそれぞれの風土から作られていた、ヨ−ロッパとか大陸だと肉を消化する酵素が出るという、日本だと穀物類を消化するのに腸が長くなったというのもそうであるつまり風土と地理から離れて人間は存在しえないのである、それは科学技術でもそうである、その風土に見合った科学技術が発展するとなる

草花でも植物でもエビネランとかは山の日影に自生するから日影の場所がいいとかまた乾燥地帯に育つ花は日当たりがいい場所がいいとかなる、湿地帯に向いた花もあるからそういう原産地の環境を人工的に作り花を咲かせる、作物を実らせるとなる
だからグロ−バル化した経済というのは不自然でありそこに世界的な問題が生まれた
特に食料はその土地の風土と密接に結びついている、風土を無視してありえないのであるだからアメリカによって戦後日本の農業でも食文化がアメリカ向きにされたということが問題になった、それで今麦が輸入すると高くなるとか麦が入ってこないから飢饉になるとか騒がれる、ウクライナ戦争でそうなっている

でもし日本で食糧でも自給が高かったら恐れることはなかった、これもグロ−バリゼーションの弊害なのである、それぞれの国で土着化して風土と一体となり生活しているのが
人間の生活であり生態系から離れて人間も生物だからありえないのである
それは世界を平均化できないものである、それぞれの国の風土と歴史がありそこで培われたものを変えることは危険なのである、特に食料に関してはそうなのである
最近コロナウィルスでもそうである、疫病が世界的に一気に拡散したのはグロ−バルな交通の発達によりそうなったからである、そこに世界的に時間差もなくなり同時間で一気に拡散したからである、もう止めることも不可能になったのがグロ−バリゼーションてあった

こうしてオープンカー一つをとって風土と関係していた、ドイツとかフランスとか
大陸に向いたものだったのである、ただ技術力があるからドイツとかフランスとかで技術開発できたとなる、またオープンカーだと陽射しを受けるからいいともなる
日に焼けた肌がかえって好まれるという時、ヨ−ロッパなどは特にドイツとなると寒い地域で陽射しが弱いからだとなる、日光浴にもなるということである
そもそもヨ−ロッパと白人は肌が白いというとき科学的にも風土の影響があってそうなった、肌が白くなる風土だったのである
ともかくグロ−バリゼーションで歪めれたものが相当にある、そういうものがコロナウィルスでも様々な分野で噴出してきたのかもしれない、やはり人間も生物なのだからその土地と気候とか風土と離れて無視して存在し得ないものなのである
そういう自覚のもとに国造りもすべきなのである

「農業に正義あり」石堂徹生ーこの本では明治維新以来入会権があった地元と密着した生活を明治政府が私有権を与えて破壊してしまったことを書いている
もともと共同で利用した私有権のないものが私有権によって歪められた
この辺では補償金をもらうために私道とか家の前の海に権利があるとして補償金をもらうために交渉していたのである
それで山でも私有権で所有されて分断されて共同事業もできなくなった

なぜなら狭い土地でも私有権があり誰かの持ち主であり許可がないとできなくなったからである、つまり明治以降はこうして国の力が強くなった、それは江戸幕藩体制とは根本的に違った国が管理するものとなったのである、そこで国の力が強くなり官僚が力をもつようになった、結局国の力の増大は戦争にまで結びついたのかもしれない
江戸時代までは地域地域の土着的な生活がありそこで自給自足していた
でも明治時代からすでに国家の力が強くなり国家に管理される官僚に管理されるものになった、それはすべてにそうである、国家の力が増大したのである
それは日本だけでは世界的にそうである、それで国家間の戦争となり世界大戦となったのである

そして国家がファシズムとかになるのも国家の権力が増大したからである
原発事故でもあまりにも国家権力が強大化してそれに従わざるを得ないものとなり
大事故になり故郷にも住めなくなったということもある
地域でも地方自治体でも国家の管理になる、それに逆らうことはできなくなった
言葉すら国家の意向により標準語が作られた、方言があっても標準語になる
それは国家が強制的にそうしたのである、江戸時代なら多様な方言があったとしてもそれを禁止したりしない、国家で地域の文化すら破壊されたのである
それは英語を世界の共通語としているのと似ている、それが米英で世界を支配することだという意見もわかる、言葉でも文化でも欧米を基準とするとなるからだ
そういう矛盾がグロ−バリゼーションで様々な分野で生まれたの現代である


参考にした本

「農業に正義あり」石堂徹生



posted by 天華 at 07:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月07日

なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか (民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)


なぜヨ−ロッパでも東欧でもロシアでもわかりにくいのか

(民主主義とアジア的専制国家の対立のための戦争なのか)

ビザンティオン(イスタンブール)、ネアポリス(ナポリ)、マッサリア(マルセイユ)など、現在も大都市として繁栄しているものがある。植民市は、方言、祭儀、制度などさまざまな面で母市と結び付いていた

ウクライナ戦争は西側や欧米側ではアメリカでも盛んに民主主義と独裁国家との対立の戦争だとしている
民主側につくのか、自由の無い独裁国家につくのか主義の戦いだと扇動する
それは米ソ冷戦と米中対立は共産主義と民主主義の対立としての戦争としていたのと同じなのである,イデオロギーの対立だともしている
ウクライナは西側となり民主側であり自由を守るためには民主主義を守るために戦うとする、でも実際はウクライナはウクライナの民族主義があり俺たちの土地を守るのだということで西側の援助を受けて戦っている、その意識の方が強いのである

そもそもヨ−ロッパの歴史とかわかりにくいのは何故なのか、それは歴史がわかりにくいからである、もちろん地理もわかりにくい、ただ大陸だとヨ−ロッパでも長大な河がありそれで世界が分けられる、ライン河でドイツとゲルマン民族とが分れたのである
そこまでローマ帝国が進出してもライン川から渡り支配できなかった
逆に最後はゲルマン人によって逆襲されてローマは占領されたのである
地理的には海でも川でも山でも障壁となり国境となった、川でも平坦な大陸でもその川を越えるのが難儀だから国境になる、それでriverとはライバルなのである
それがウクライナ戦争でも起きていた、現代で河など障壁になるのかと見ていたら
川を挟んで戦闘があり川をなかなか渡れないでそこで死んでいる人も多い
また渡れないように爆破もしているのである、だから人間の歴史はやはり依然として地理の影響が大きいと思った、そもそも航空機の戦いとなると河など関係ないと見ていたからである、でも陸戦となると依然として何か古典的な戦争として変わらなかったとなる

ヨ−ロッパがわかりにくいのは地理的にもそうだが歴史的にもそうである
ギリシャが基となっていたというとき民主制がギリシャのボリスで始まったからである
でもそれは一二万とかの小さなボリスなのである、その後の議会制民主主義とかアメリカの民主主義とは違ったものである
でも民主制とか民主主義とか自由とか言うときペルシャがアジア的独裁国家でありその戦いはポリスの自治を民主制を守るための戦いだったとしている
長大な大陸だと必ずその国家の規模が巨大となりアジア的専制国家になるからである
それはエジプトでもイスラム圏内でも専制国家になる、中国ももちろん専制国家の歴史なのである、そしてロシアもツアリー皇帝の専制国家であり農奴がいた
中国も同じである、それでプーチン皇帝とか習近平皇帝と言われるのである

ウクライナはロシアの専制国家に入り蹂躙されてきた、だから西側に入りたいとなった
でもその争いは民主と専制国家の争そいというより民族対立の争そいが基になっている
ロシア人とウクライナ人が同居して争いそれが火種となり対立して戦争に発展した
その動機は民主と専制国家の対立とも言えない、民族と民族は歴史的カルマとなり戦争が継続されてきたからである、だから東欧に小さな国があるけど遊牧民であり民族が違っているとなる、ただ民族的にはヨ−ロッパの白人とアジアのモンゴルに一時支配したからタタールの軛となり混血したとなる
ウクライナ戦争もウクライナ人がいて民族があり民族同士の戦いだとなる

でもアジア的専制といってもヨ−ロッパにもフランスのナポレオン帝国とかドイツのナチス帝国とかもありヨ−ロッパが民主的だともならない、ローマ帝国は専制国家とは違う共和制とかになるにしてもローマ帝国としてヨ−ロッパを支配した
それがルーマニアとかでもローマを期限にした国名となっているのである
とにかくアメリカが民主と専制国家との戦いだとしているとき中国でもそうなる
その対立は民主と専制独裁国家との戦いだとして鼓舞している
でも必ずしもウクライナはそういう意識では戦っていない、ウクライナという領土がありウクライナ人としてロシアと戦っている、自分たちの国土を守るものとして戦っている
それでベトナム戦争でも同じだった、ベトナム人が戦った理由は共産主義だからではないベトナムに侵略した外国人のアメリカ人と戦ったのである
それはパトリオテズムとなる、国土を基にした愛国心であり民族主義の抵抗にあってアメリカは敗退したのである、その構図はウクライナでも似ているとなる
ただ同じスラブ人だからその辺鄙は違っている
アメリカは人種差別があり黄色人種差別もある、アメリカはそれで黄色人種の日本人ならいいとして原爆を落としたのである、ドイツには落とさなかったからである
なぜならアメリカ人の祖先にはドイツ人も多いからである

民主主義でも共産主義でもイデオロギーで共通の理念で国造りをしようとした
民主主義もイデオロギーなのである、だから本当は人種とは関係ないのである
一つの理念の元に団結することだからである、共同体を作ることだからである
そうした共同体とはヨ−ロッパならキリスト教でありイスラムならイスラム教なのであるそしてロシアもキリスト教なのである、ただ共産主義でソビエト連邦を作ったけど崩壊したのである、そしてウクライナもそのソビエト連邦の一部だったのである
でも最後に強力なものとして残ったのは民族であり民族を基にして国土をもったアイディンティティが実際は残ったとなる

アメリカはもともと世界からの人種民族の寄せ集めであり民族主義になるとあとめられない、それはロシアであれ中国であれ巨大な大陸国家だとそうなる
様々な民族が混交するからである、それで共産主義で理念でまとめようとしたのは中国でもロシアでも同じなのである
ただ結果的には民族国家は残り対立してウクライナ戦争になったのかとなる
ただヨ−ロッパは東欧でも歴史が複雑でありウクライナ人とロシア人は違うのかとなるとわかりにくくなる、ウクライナは一時一部がボーランド領地になもっていた
ヨ−ロッパの国の領土は一定していない、拡大したり縮小したりしているからである
そしてヨ−ロッパでも絶えず戦争をしてきたのである
隣り合って協調することもあるが対立して戦争してきた歴史でもあった
日本のような島国で世界から鎖国のように孤立ししてありえないのである
隣国から攻めてくるという恐怖に生きてきたとなるからだ
その対立はそれだけ根深いとなる、それがまたカルマとなってウクライナ戦争にもなったとのかと見る

ヨ−ロッパを電車で旅していたら知らない間に国境を越えていたのである
それで何か関税のようなものをとられたようだった、つまりヨ−ロッパだと簡単に国境でも越えていることがあるのだ、日本だったら外国に出るということは海を渡ることだから知らない間に国境を越えていることなとありえないのである
ヨ−ロッパの国というときそれほど障壁はないのである、国籍でも形だけであり別な国の国籍を取得することも簡単だとかなる、日本のような島国とは違う
だから移住するのも国籍を簡単にとれるとしたら海をわたる異国に行くということでもない、日本のように外国に住むということのハードルが低いのである
それでロシア人でも国を捨ててヨ−ロッパであれ他国に出る人が大量に出た
ロシアはやはりヨ−ロッパではないにしろ半ヨ−ロッパだからである
ともかく大陸は陸続きだということそれがどういうことか海に囲まれた日本人には理解できないのである、隣国から敵になり攻めてくるということは海に囲まれて守られて来た
日本とは根本的に違っている、意識も違う、だから歴史もカルマとなり現代でもあのような戦争になったとみる


カール・マルクスは「労働者には祖国は無い」と国際主義を提唱していたが、第一次世界大戦の際に各国の戦争に協力する社会民主主義(社会愛国主義)と、レーニン主義の共産主義に分裂し、共産主義でも後のスターリン主義や毛沢東思想では愛国主義が強調された(左翼ナショナリズム)

社会主義とか共産主義より根強いのが愛国主義であり民族主義なのである
パトリオテズムだとなる、それは今でも変わりないのである
アメリカには愛国心というのが人種の混交であり作られていないのである
それでもアメリカファ―ストととなったとき愛国心が民主主義であり共産主義であり優先されるし根底にそれが根強く残っているのである
それはまさに大木の根のようなのものなのである



まず外国は住んでみないと実感できない、いくら本を読んでもそこで暮らしてみないと実感がもてないから理解できない
それでこうして様々な国に住んでいる経験がある人は実感とし理解する
他でもyoutubeで外国に暮らしている人が報告しているのは日本に住んでいる人は違っているのである
だからたいがい外国について発言しているのは留学経験とか仕事をしている人になる
外国を理解するには実地にその場を踏まないかぎり実感できないのである

posted by 天華 at 08:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年06月08日

長くなった人生の弊害 (老人の様々な問題が露骨になるー認知症の対処もある)


長くなった人生の弊害

(老人の様々な問題が露骨になるー認知症の対処もある)


人間がこれだけ長生きする時代はなかった、それとともに様々な問題も生れた
退職してからまた30年くらい生きるしたら長い、そうなると金銭的にもまかなうのが大変になる、不安にもなる、国民年金でも6万くらいしかもらえない、それでどうやって生活できるのかとなる,生活保護なればいいとういが今や最低の生活も保証されていないのである、平均7万だとかでどうして生活できるのか?
医療費無料だとなるが実際は二三割りとられている、それを払ってくださいとなり払えない人もいる、すると医者にもかかれないとなるのである

この経済的問題もあるが老後が長いことはまた様々な問題が生まれている
意外と深刻なのが生きがいの消失なのである
下位者を退職すると会社人間だった人は現代では居場所がなくなる
地域社会などなくなっているし無用人間と化する
何かボランティアをやれとかなるとこれもめんどうで簡単にはできない
地域社会が村のような場所だと生涯現役であり老人になれば長老とかなり尊ばれた
今はそういう共同体もないから会社から退職すると居場所がなくなる
それで膨大な老人が用もなくなり無用化されるのである

それで市営住宅の老女はきらきらした金属をぶら下げて何か一人わめいている
その近くにいる人はいつも見ているから眼が悪くなると言っても話しもしない
何か人を嫌がらせて存在感を得ているともなる
警察でも役所でも連絡しても何もできない、かえって周りの人を訴えて警察を呼んでいたのである
相当に質が悪いにしても何もできないのである

ただこの老女は金に困っているようには見えない、毎月ガス、水道、電気が払えなくて困窮している老人とは違うみたいだ、つまり必ずしも生活困窮していることが問題となっていない、つまり何か社会の役割りが家族での役割もなく何するつこともなく人を困らせているのが生きがいともなってしまう、そうしてしか存在を示せないとなっている
こういう変な老人が増えてくるのも高齢化社会である
長生きがこうしてただ回りに迷惑をかけるだけの存在になる
これは認知症でもそうである、自らの人間としての尊厳も失い回りに迷惑だけをかけるようになる、でも家族によってその対処方法は違う、ただ他人からすれば迷惑になるだけだとなる

また何もすることなくトラック運転手だった人が自転車にのり温泉回りのようなことをしているようだ、別にこの人は他人に迷惑をかけていないから責められることはない
そういう人か旅していて出合った、土地の人に温泉のことをしきりに聞いていたからである
でもやはり何か生きがいがそれで得られるているかどうかはわからない
何もすることなくてそうしているとなる、そういう老人が膨大なのである
ゲートボールはみんなしている、でもそれが生きがいになるのかどうかはわからない
とにかく高齢化社会とはこうして家族でも社会でも無用化した老人が膨大に増えるということである、それがみんな害になるわけではない、依然として働いている人もいるしいろいろだが総じて生きがいが喪失しやすいのである

退職すると自由時間が膨大になる、すると暇を持て余すとなる、その時間が人によるが意外と長いなのである、それで毎日が日曜日になり何をして過ごすのかとなる
それが退職してから30年とがつづくとどうなるのか?
第二の人生を生きることになり金も問題が生きがいをどうして作るのかも問題になる
でも社会的役割と家族の役割でもなくなる人が多い、すると趣味に生きるとかなるが趣味にしてもこれも簡単にできない、相当な訓練の期間が必要なのである
ただ学問とか芸術とかでもたいして才能がなくても積み重ねでそれなりのものになることはできる、でも退職して何も積み重ねがなく一から始めるとしたら苦労だとなる
第一パソコン自体使いこなせないとなるからだ
でも74歳のばあちゃんがスマホを使いこなして孫とゲームしているということもある
それも現代の老人だと見た、でもそれはうまく適応できる女性でありみんなできるとは思えない、でも長い老後をどう過ごすかが意外と問題になる
それを家族であれ社会で見つけることはむずかしい社会だからである
ボランティアなどでも簡単にできない、組織に入り許可がないとできない
勝手にできないし迷惑だとなるだけである

それで膨大な無用の老人がうろうろしている、それで別に社会の活気は生まれないだろうただ奇妙なのは老人でも現代社会では消費ると歓迎される
あまりはやらない地方の店でもお客さんになるのである、だから本当に消費者は王様だともなっていたのである
この辺では原発事故で避難して仮設に入った人が地元に消費して助けていると言っていたけど何か助けられるという感覚はなかったのである
むしろ助けている方だとしているのもこれも現代社会を象徴していたのである
消費者は王様だとなったのが現代だからである
でも消費するにしてもできない人はなんの益にもならないとなってしまうのである
何か有効に社会に働きかけようとしてもできない、そういう村社会があって長老のようにはなれない、むしろスマホであれ何であれ技術的な面でわからずに教えられる方にもなるからである

この家族であれ社会であれ役割喪失の怖いのは認知症になることである
私には二人の女性の親がいたとして一人は95くらいまで家事をしていたのである
する人がいないのでしていた、一人は役所をやめてから何もしなかった
趣味のようなものをしていたがそれは合ったものではない、もともと保健婦などで仕事していた、でも家族の中でも家事をする人がいて何もしなかったのである
料理もしない、何もせずテレビなどを見ていた
そしたらひどい認知症になったのである、その原因はいろいろあるにしてこうして何か家族でも無用化して役割が喪失してそうなったともみる
そうなると頭も働かなくなるからだ、何か生きがいをもってすることがないと頭は鈍化してゆくのである
一人は全く花にも興味もなにもない大正生れで働くことしかなかった
それでも別に家事をしていたので家族で役割があり95才までボケなかったのである
でもそれからさすがに認知症になったのである

だから危険なのは認知症になりやすいのばあちゃんは何もしなくていいですよ
テレビでも見ていてくださいと嫁に言われる人だと言うのもわかる
一見いいようでこれが実際は怖いことなのである、人間は生涯が現役なのがいいとなる
90才くらいで依然としてアナウンサーとかしていた人が批判されていた
世代交代するべきだというのはわかる、社会が停滞するとなるからだ
でも変なのはそうして引退して役割がなくなると認知症になりやすいとなる
例え政治家で悪役でも現役でいることは認知症になりにくいとなる
やはり現実の社会の場で活躍しているからだとなる、老害であれ社会の悪役であれそれで社会で役割がありボケないとなるのだ、だからおかしいことはおかしいのだが認知症いう観点からみればそうなるのである

この認知症になる人が800万人とかなることが現代の大きな問題でもあるからだ
それにどう対処するのか、防御するのかとなると薬とか医療の問題としてもあるがこれがそれだけでは解決しないものがある、それは肉体の病気ではないからだろう
脳の病気でも心の病気のようになっているからだともなる
脳と心は密接に関係しているからである、認知症は病気であってもやはり脳と関係して
心の病だともなるからたぬ、この対処方法も高齢化社会の大問題なのである

2022年06月09日

abstract paris in spring


abstract paris in spring

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underground water way in paris


パリの俳句

パリなれやエッフェル塔に春の空

石により千年の都パリの春

セーヌの岸人々憩う春の暮

セーヌの岸きらめき合うや春の星

Haiku from Paris

Paris in the Eiffel Tower in the spring sky

Spring in Paris, the city of a thousand years made of stone

People resting on the banks of the Seine at spring  evening

The banks of the Seine, twinkling together, the stars of spring