2022年04月11日

桜はすでに満開になった (桜についてのエッセイ・・・)


桜はすでに満開になった

(桜についてのエッセイ・・・)

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桜と風ー平泉―高館の桜

抽象画は何をイメージしていいのかわからないがここでは義経堂の桜をイメージした
というのは私自身が訪ねたとき、夕べ風が荒れてふきつけ桜がゆれて咲いていたのである
波乱の一生だった義経にふさわしいと思ったのである



日永きや道真っすぐに遠くへと

街中の通りを飛ぶや燕来る

前畑を耕す女や春の暮


ひとしきり梅はにおいて散りにけりその余韻の深く我が住む里かな

一分咲きたちまち桜満開や時の移りのかくも早しも

そちこちに夕べ桜や里めぐり誰か住みなむ灯のともるかな

春の日や我が家のこと知る人あり語りて偲ぶ母と姉とを



夕方相馬市の方へ行って途中でラーメンを食べた、自分はラーメンはあまり食べない
相馬市の道の駅の前の方でラーメンを食べて帰ってきた
相馬市の方はまだ二分咲きくらいの桜があった
原町は一昨日でも満開だった、鹿島は今日は満開である
桜は年により咲き方が違う、今日は急に暑くなったから満開にもなった
桜は桜前線がありやはり徐々に日本列島を北上してゆく
それも原町と鹿島と相馬市でも咲く時期が微妙に違うと思った

桜前線というとき私は北海道まで旅して6月に稚内で桜を咲くのを見たである
桜前線はそれだけ日本列島を北上して咲くのである
ある時は青春十八切符で瀬戸内海の方まで行き下関から韓国に渡り韓国の古都の慶州まで行った、その時慶州にも桜並木があり咲いていたのである
ただどういうわけか盛岡とかの桜はまだ見ていない、弘前の桜は見たのである
桜はいくら暇でも見ようとしても見れない、なぜなら桜は無数にあり咲く時期が二週間とか短いから散ってしまうから見れないのである

それで白石の千本桜を自転車で見に行った時、すべて散っていたのである
その散っていたことになんともいえぬものを感じた
はるばる苦労してきたのに桜はすべて散っていたからである
それは芭蕉が奥の細道で「五月雨の降り残してや光堂」という感懐と通じるものがあったはるばるみちのくの平泉まで来て雨がふりしとる中に光堂のみが残っていたことであるここに空間軸と時間軸で感じるものがあったとなる
その時すでに鎌倉時代から400年以上過ぎていたからである
みちのくという未知の遠く離れた所とそして400年という時間が過ぎたことで感じて作られた句なのである
これが新幹線で三時間くらいで来たとしたらとてもこんなふうには感じないのである
だから時代が作ったものであり今では作れないから価値が衰えないのである
古典はそうしてもうその時代でしか作れないものがあるから価値が衰えることがないのである

高館の義経堂や風荒れて夕べしきりに桜ゆれさく

この時風が荒く吹いていたのである、それで印象に残ったのである

今日自分の姉と母のことを知っている人とあった、意外と死んでから知っている人とは逢わない、その女性は店をしているとき豆腐を下ろしていたのである
だから意外とずっと前のことまで知っていた、私の子供の時から知っていたというのは意外である、なんか人間は昔のことになると人でもわからなくなる
でも私の姉と母のことを知っていた人がいたのでなつかしかったとなる
死んだ人は忘れやすい、語られることもなくなる、あれだけ近くの医者のことは常にみんな話題にしたけどその人が死んでもう誰も語らないということが不思議なのである
人間は本当に死ぬとたちまち忘れられる、そんな人いたのかとまでなる
これも無常なのである

桜咲く道に出合いて我が家の姉と母とを知る女〈ヒト)と語る

とにかくこの町でともに生きたということで連帯感を感じる、ただ今はもうそういう連帯感もない、それは自分自身の問題があってそうなってもいる
何かこの土地でともに生きたということが感じない、でも昔の村だったら本当に村人は一家族のようになって生活していたとなる
すると年老いてどうなるのか?ともにこの村で生きて来たなという連帯を感じる
それで墓地でも墓がなくてもホトケッポという共同墓地に埋められた、そこには個人の墓も家族の墓もないのである
ただ今はその土地に深い思いがない時代でもある、村人というより会社人間になったとき会社で共に働いたなということでふりかえる、でも会社は村とは違っている
村とは自然とも一体となった深いつながりがある共同体である
会社は自然とは結びつかない、社会の一部としてある
村は自然とも一体化して存在した、だから祖先は山にいるとかなる、その祖先が春には里に下ってくる、そういう感覚は農耕社会の村に自ずと生まれたものである

ともかく祖先でもそこで生きた土地から離れずにあるというのが農耕社会なのである
遊牧民社会だったらそういうことはない、常に移動するからないのである
そしてこの世では異邦人だというときいろいろな民族が混交しているからそうなる
正に民族が違って異邦人になりやすいのである,ユダヤ人は国を持たないからどこに行っても異邦人になっていたのある
ただ日本だってこの世にいるのは一時だということをつくづく感じる
旅して一時泊まる仮の住いとかなる、いづれもう死ぬともなるとそうである
人間の出合いでも一時逢うだけでありもう永遠に逢わないのである

あなたと会いましたね、後は永遠に逢うことはありませんとなる、これが老人になれば現実なのである
何か人間の出合い出も瞬間的にもなる、この世にいつまでもいる普通思っているがこの世とは去る場所であり留まる場所ではなかったのである
結局人間はこの世から消えてゆくものにすぎないのである、最後はこの世にいるは一時だったとなる、そんなに短いのかとなるとそれを老人になれば誰でも実感するのである

日はかなり長くなった、ラーメンを食べて道は薄暗くなったが明るい
こうなると遠くへ行きたいとなる、でも今日のように暑いと自分は熱中症になるから怖いそれで去年だったか春に暑く遠くへ自転車で行ったら熱中症になり痙攣起こして危険だったのである、それでこりたから暑い時は警戒するようになった
こたれもやはり歳とったということである
ただこんなに春にまた暑くなることはなかったように思える
4、5月とはこんなに暑くならずあたたかくでもこんな陽気にはならなかった
それで自転車で遠出できたのである





鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない (多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


鉄道の駅では時刻表も廃止ー時計もゴミ箱も置かない

(多くのローカル線は廃止されてゆくー個人でボランティアできない)


公共交通機関で無料配布していた紙の時刻表を廃止する動きが相次いでいる。インターネットの普及が主な理由だが、新型コロナウイルス感染拡大による公共交通機関の利用者減少で廃棄が増えたことも要因だ。高齢者を中心に存続を求める声もあり、行政が代わりに発行する動きもある。

  「紙時刻表の配布終了について」。JR新潟駅前にある新潟交通(新潟市中央区)のバス案内所窓口にはこうしたお知らせが貼られている。

  同社は年2回のダイヤ改正ごとにA3判の時刻表1万部を発行していたが、昨年11月のダイヤ改正からやめた。代わりにネットの時刻表などを利用するよう呼びかけている。

  新潟市中央区の無職女性(73)はバスターミナルに貼られた時刻表をスマートフォンで撮影しながら、「不慣れで時刻表のサイトを開くことができない。紙の方が見やすかったんだけど……」とため息をついた。

  同社が紙の時刻表を廃止したのは、経営改善の観点からだ。新型コロナの影響で業績が悪化し、市から2億5000万円の財政支援を受けるなど厳しい経営状況が続く。
https://news.yahoo.co.jp/articles/a81196c6625b498310cbb0947e8e1c64fa0eb301



今日も駅にたちよった、そしたらスマホを見て何か探している人がいた
それで聞いてみた、名古屋にあるセントレア空港に行くのだが電車の時間が一時間半くらいあとになる、それでた早く行きたいので困ったと言っていた
それでタクシーで行くとかいったが金がかかりすぎると言った

この前も女性二人が下りて次の電車が来ないので待っていられなくなり原町まで歩いて行くところだったが雨がぽつぽつとふってきて引き返してきた
その人もタクシー利用するとか言っていた
今確かに地震の影響があり時間通りに来ないとか本数が少ない
前は一時間置きには来ていたのである、それも影響しているがそもそも一時間置きでも外から来るとなると本数が少ないのである

結構仙台空港を利用する人がいる、今ならその方が早いからである
新幹線にしても四時間とかかるとなると一時間くらいなると早いのである
つまり電車でもこうして飛行機時代になると飛行場と鉄道が結びつくと利用者が増える
そのために仙台市から直通の仙台空港行きの路線ができたので便利である

とにかく鉄道はローカル線は維持できるのか、廃止になる路線が多くなる
終に時計までもゴミ箱までも撤去された
そして時刻表も置かないとなった、前は小さなものだが小冊子のようなボケっとに入るような時刻表を出していた、それもやめた

私はボランティアで時刻表を作って駅に置いた!

でも駅長から断れられた、もう駅に出入り禁止になるくらいになって現実そうなった
なぜなら怪しいとして今度は回りの人が警察に連絡して人が大勢いたときにイベントがあったときに職務質問されたからである
またお前は何しているのだと客から案内したりしたらそんなことをするなと怒った人もいた、それから自分がホームのゴミ箱にゴミを捨てていたが監視カメラで見ていて駅長からホームに入るな言われた
こういうことで駅にはかかわらないことにしたのだがただ慎重に軽く駅の外で何か困っているから聞いたのである
今は別に高校生の見守り役がいるから聞けるが昼間は一時誰もいない

ともかくなぜ鉄道の駅が無人化してあらゆるサービスがゴミ箱もなくなり時計もなくなり時刻表もなくなる、それは結局鉄道に乗る人が減り続けているからである
だから廃止路線が増えてきる、経営できなくなっている
車時代になると鉄道を利用しないから乗り方すらわからない人が多いのである
それだけ鉄道は利用しなくなったということである
でも老人になって今度は車に乗れない人が免許を返納した80歳くらいの人が鉄道を利用するとなる、でも時刻表を今度はスマホで見ろとかそれもできないとなると不便になる
時刻表すら配れない時代になったのである
また勝手にこうしたもの駅に置いて配ることはできない、それがJRで置いたものとなり時間が間違ったりすると客から苦情がくるからである
それで駅長に無料で置いても断られたのである

ボランティアは勝手に個人ではできない!

これは肝に命じるべきである、社会にはそれぞれ組織でしていてそういう中に勝手に入ることはできない、つまりボランティアはそれなりに組織化して自治体でも公共的に許可されないとできない、それで退職した人がボランティアで何か問題がありかかわったが
裁判沙汰にもなってのである
20人くらいで組織化して社会から承認されないとできないのである
だからかなり何か教えるにしても慎重にしないと回りからあいつは何しているのかとなり警察が来たりするから注意すべきである
むしろボランティアは個人ではできないのだからするべきではないとなる
ただちょっとかかわるくらいならいいだろう
でもまた駅では監視カメラで見ているから注意である、何か善意でしていていてもJRとか市とかの許可ないとできないと見るべきである

その人は困っていたがちょうと車の人が名取まで行くとなり乗せてもらったのである
これは本当にラッキーだった、こういう親切は助かるしいいものなのである
また高校生の見守り役も中国人が困っていて隣の原町駅に車で乗せてくれて行けた
でも駅で個人的にかかわることは危険である
結局鉄道の時間は一時間置きでも不便だからそうなっているのである

とにかく何か私はこうしてもともと鉄道の旅が長いし鉄道マニアにもなった
それで実際に無人駅にかかわり案内したりしたことはいい経験だったのである
まず人間は仕事がいろいろあっても簡単に仕事はできない
ボランティアでもできない、ただボランティアでもどうしたらできるのか?
それはこの辺で起きた大地震の被害のためにDRTが駆けつけた、これはボランティアでも財団が運営してプロ集団だった、重機も持ってきたし屋根の上にのぼって仕事をしていた
それができたのは仕事のプロがしていて危険な仕事もできるからである
こういうボランティアとなると全然違ったものである
地震の被害でも個人で行って何か手伝いましょうとか言っても受け入れないだろう
ただ自治体で窓口を用意して認められればできる

いづれにしろいくら善意があってもボランティアは簡単にできないことを知るべきである
それが本当に警官が来て怪しいとかなり裁判沙汰にもなるからである
だからボランティアをしたかったら20人くらいでも組織化しないとできない
個々人ではできないようになっている、特に災害のボランティアは危険にもなるから本当はプロ集団でないとできないと知るべきである

ただなぜ無人駅が問題になるのか?

それは駅だと何かわからないことがあり困ることがある、すると何らか教えてもらう人が必要になる、でも高速道路のSAでは困る人がいないのである
掃除する人がいても金を払っている、それだけ人が来るから金が払うことができる
鉄道ではそれができなくなっているのである
だから外のトイレは南相馬市で作り掃除は毎日しているがそれは障害者団体の人に金をはらってさせているのである
JRだけではもうそうした費用を払う余裕がなくなっているからである
だからいづれは採算がとれない路線は廃止されてゆく
もし維持しようとしたら自治体でその費用を払わざるをいなくなるだろう
ただ飛行機の場合、飛行場までアクセスするのには必要だとなる

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DRTが作ったプレハブ小屋

ここはプレハブでも二つくらい作り仕事がプロでありボランティアというらり政府から派遣された人たちにも見える
一種の自衛隊のようにも見えた、ボランティアに見えなかった