2022年04月28日

地震で屋根とか壊れた空家の問題 (空家を放置できない、責任がある)


地震で屋根とか壊れた空家の問題

(空家を放置できない、責任がある)
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ここは20年なのか相当長い間空家だった
でも外見は痛んでいなかった
今回の地震で相当傷んだ、でも直さないと梅雨とかなりさらにいたんでくる
今直す家が多いので順番待ちとなっている、ただこれだけ損傷すると直すのに金がかかる
他でも空家になっているで地震で損傷した家を三軒見ている
その家の所有者でも住まないとすると直してどうするのかとなる



今回の地震でこの辺では相当数屋根の瓦などが壊れた、それで未だにブルーシートの家がある、その中に近くでも瓦屋根が壊れてそのままになっている
その家の不思議は20年なのかとにかく長く空家なのである
見た目は空家でも普通に見える、知らない人だと人が住んでいるように見える
でも毎日見ていると今回の被害が大きかった
壊れて下に散乱した瓦はかたづけたが屋根の瓦はそのままである
それで困るのは雨になると雨漏りして相当に家自体がいたむ
でも空家だから放置しているともなる、ただ今屋根を直すにしても順番待ちだから簡単にはできない、その内梅雨になったりしたら雨漏りしたら困ると見た

空家というのは何かただ放置しておけばいいというものではない
もう一つの空家は東京に住んでいる息子が最近死んだのである、金持ちの家であり立派な家であり庭もいい、でも放置してある、利用するようにも見えないのである
だからもったいないと見る、誰も利用しないでただ放置されている
このまま放置されたまま直さないでいると荒れて来る、すると回りにも影響する
第一原発事故の避難区域になったところは空家だらけなのである
だからこれもどうするのかとなる、利用する人がいないのである

空家の問題はただ別に放置していればいいとならない、ただどういう理由で放置されているのかわからない、何か理由があって将来に利用することがありそのままにしているのかもしれない、でもいつまでも空家になっていることは迷惑にもなり危険にもなる
こうして放置された空家は別にそのまま放置していいともならない
でも利用する人はいない、そして人間は何でも必ず責任をもたされるている
その土地に住み家を建てるだけで責任をもたされていたのである
だから空家でも放置されていると回りで迷惑にもなる
責任をもってなんとかしてくれとなる、でも第三者勝手に利用することもできない
そこに権利があるからだ、でも権利を持つことは責任を持たされていることなのだ
だから利用しないならなんとかしてくれとなる、責任をとってくれとなる

ただ空家でも所有していると今回の地震で壊れても住んでいないとか住む予定もないとしたら金かけるのも無駄だともみる、もしかしたら百万とかでもかかるからである
住むこともないのにそうして空家に金をかけて維持することが嫌になるだろう
でも放置されたままでは困るとなる
それは耕作放棄地でもそうである、草ぼうぼうのままの土地をもっていてどうするのだとなる、それは回りでも困るとなる、つまり土地でも家でもそれを所有しているだけで責任がある、この辺では原発事故があり住んでいるだけで住民の責任が問われたのである

権利があるということは必ず責任がともなう、権利を主張するのはいい、でも必ず責任がともなっている、民主主義になったら常に権利を主張する
権利は利権にもなる、でも必ずの権利には責任がともなっていたのである
漁業権でもそれは権利であった、でもそれを東電に売って多額の補償金を事故前にももらっていた、それが責任になっていたのである
海は俺たちのものだという権利を言うのはいい、ではその権利は何のために与えられていたのか、資源の保護とかであり漁業の維持のためだった
でも東電から多額の補償金をもらったということは東電で海を汚して魚とれなくなっても文句を言うなという金だったのである
つまり金には必ず責任がともなっていたのである、金は具体的だからわかりやすいのである

一見何かを所有したり権利があるというとき得なことばかりだと思う
でも必ず責任がともなっている、あらゆることに特権があり上級人間になりかいとなる
官僚とかなると天下りで多額の金が入ってくるとかある
それは東電でもあった、でもその人たちは事故の責任があったのだ
だから責任をとって東電からもらった金は返還すべきだとなる
事故の責任があったからだ、安全を計る責任があったからだ
でも原発事故では幹部でも天下り官僚でも一切責任をとっていないのである
つまりあらゆる権利には責任がともなっているのである
権利を得たい得だけをしたいとしてもそこには責任が課せられている
長男が親の財産を前は受け継ぐ権利があったが長男には家を守る責任が課せられていたし親の世話をしたりと長男には長男の責任が課せられていた
何か特権があるとしても責任が重いものとなる

それで侍は権利があったとしても上に立つものとしてあっても責任が重かった
だから責任をとらされて切腹させられた、それが嫌だから庶民は侍になりたくなかったのである、ただ民主主義社会になると誰も責任を感じない、ただ得すればいい権利を主張するようになった、それが大衆民主主義の問題になる
誰も責任が自覚できない、投票するにしてもせいぜい百万分の一の責任しかない
するともう何の責任もないとなる、もし一人の票が十票とかなっていたら責任を感じる
要するに現代の問題は誰も責任を感じない社会である
権利は利権は主張するが責任はとらないという社会である
でも人間は必ず責任をとらされるようになっている
住んでいるだけとらされる、それが原発事故で故郷に住めなくなって理解したのである

大衆民主主義でもやはり一人一人に必ず責任がとらされる、数が多いからとしてすべてを数で決めたとしてもその結果は一人一人に責任となってはねかえってくる
無責任社会などありえないのである、責任は必ずなんでもとらされる
その責任が余りにも重いものともなる、戦争に熱狂したときでも3百万にが死ぬという責任を国民はとらされたのである
今回の知床観光船の事故でもそうである、26人が死んだとなるとその責任は余りにも重すぎたのである、となれば前からそういう責任を自覚する対策が必要だった
それで法律では必ず免責事項をことこまかに書いている
私たちには会社でも責任をとりませんと書いてあるのである
そういう責任を自覚してするのならいいが責任の自覚がなくただ付和雷同して大勢に従うということはあとで責任をとらされて痛い目にあうことになる
その責任の自覚がないことが問題なのである

いづれにしろ空家問題は深刻である、ただ放置されるままにしておけない、それは危険にもなる、火事とかにもなりやすい、管理する人がいないからである
つまり空家にしていても所有者の責任がつきまとっているのである
ただ一方で新築の家を建てるのが増えている、空家は利用されない
でも膨大な空家は利用されず放置されることと逆である
ともかく今回の地震でも空家のことを考えさせられた
それだけ空家が目につくし何とかしてくれともなっているのである
posted by 天華 at 07:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月29日

新田川の岸辺の八重桜が見物 (タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)


新田川の岸辺の八重桜が見物

(タンポポ、夕雲雀、西洋シャクナゲ、草萌える、八重桜、赤いツツジ、枝垂桜)
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喫茶店8.30

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西洋シャクナゲを植えた覚えがないのである、これも謎である

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新しい新築群の家の一つ

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この土壁といいいかにも昔の生活の名残りがある、木の根と石があっている
私の家も最後に土壁にしたのである、その時職人がいなくなっていたのである

たんぽぽの咲きつづくや海に出る

タンポポの朝咲きつづき海に出る

街中にたんぽぽ映えて往き来かな

大海の波の音ひびき朝雲雀

六号線八重桜咲き喫茶店

定着す枝垂桜に庭の石

浜街道新緑そよぎ走るかな

五六羽の山鳩集い草萌ゆる(午後)

土壁に石に木の根や草萌ゆる

夕燕交わり盛ん街を行く

浜街道ツツジの赤く夕暮れぬ

若き等にツツジの赤く夕暮れぬ

一心に鳴き続けるや夕雲雀

悔いなくも鳴きてひびかむ夕雲雀


石ありて菖蒲の静か事もなく庭に咲きつつ余生あるべし

いづこより種の飛びきて我が庭に紫のつつじ咲くもあやしき

この道を今日も行くにき庭の石枝垂れ桜やなじみけるかな

新田川の岸に八重桜咲きつづき午後の陽射しに川面光りぬ

街道の道になお長く太き松我がよりにつつ春の日暮れぬ


浜通りだとタンポポが咲くとき海に向かうのが向いている
海には開放感があるからだ、六号線8・30には一回だけ入った
何か喫茶店が私は好きである、喫茶店には八重桜とか合っている
安らぐ場所だからである

この辺では3.11の震災以後新しい家が建ち新しい街が二つくらいできた感じになる
枝垂桜が咲き庭の石を見るとここに定着して落ち着いたという感じになる
人間はなかなかその土地になじむことがむずかしいからだ
十年くらいすぎてようやく多少はなじむとかなる、とにかく人間はなじむにしろ時間がかかるのである

昨日は晴れたので浜街道を行きそこで発見したのが新田川の岸辺に咲いていた八重桜の並木道である、これは知らなかった、近くでも知らない場所がまだある
何かいい場所がある、でもどうしても原発避難区域になったところは小高でも浪江でも
飯館村でも寂びれたものとなり花も映えない
やはり人間が住んで暮らしがないと花も映えないとなる

つまり純自然のままの状態と一旦人間が住んだ場所とは違う、人間の手の入らない純自然の場所はそれはそれで荘厳なものがある
でも一旦人間が住んだ場所では人が住まなくなると淋しいものになる
それが庭でわかる、庭の石でも木でも人間化しているからだ
それで空家になったところでは余計に淋しくなる
石でも木でも人間化していたからである

工場のある浜街道の松の木は幹が太いしいい木である、街道には松がふさわしいのであるただ浜街道も依然として双葉、大熊とかは自転車では行けない
街道としてつながらないのである、街道は今は旧道ともなっていたがそれなりに車でも通っていた、それも通らないとなると淋しいとなる
やはり人間の生活があり人間の行き来がないと道も活きないとなる

ともかくここ十年以上は災いがつづいている、それで疲れた、ただ今や災いなくて余生をすごすことである、年取ったら負担になるからだ、
30年以上は災いがなかった、一回水害があり床上浸水になったくらいである
平穏な生活が30年とかつづいた、それは今なれば特別恵まれたことだったのである
この世とは常に火宅の世であった、戦争というのは自然災害より最悪だった
それが70年前に現実に日本でもあり3百万に死んでいるのだ
そしてウクライナ戦争になった、激動の時代になったのである
人間はもう70年も生きていれば必ず大きな変動があり翻弄されるようになっている
一生平穏で終わることはなかったのである

俳句とか短歌でも今や写真は欠かせない、なぜなら私は写生俳句から俳句でも作り始めたからである、短歌でもそうである、写生というとき写真とあっているのである
それは見たままを映しているからである
そして時間的にも朝なのか午後なのか夕方なのかが写生でも大事である
八重桜の写真は午後であり夕方になりそれが合っていたのである
昨日は晴れていたので気持ち良かった、写真もいいのがとれたので満足である
いい写真をとるコツはただ枚数を多くとることである
いろいろな角度から枚数をとってそこからいいものを選ぶのがいい、それがデジタルカメラの時代の写真のとりかたなのである

ただレンズとかにこるときりがなくなる、そして重いので持ち運びにくいから困る
ただ写真にこるとどうしてもレンズの作用が大きいのである
私はそこまでこっていないのである
でもどうしても今は映像の時代であり写真がないとものたりない
インタ−ネットのいい点はいくらでも映像が素人でも出せることなのである
これが雑誌だったら印刷していたら大変な金がかかりできなかったからだ
それで現代は表現の時代でありyoutubeで個人でもテレビ局にもなれる時代なのである
ただ手間はかかる、ワードプレスとかSSLにできないのがまずいと思っている
それも今になるとなんかめんどうになっている、だから技術的なことは若い時からなじんでいないとできない、それで今は若い人が有利になるのである

2022年04月30日

南相馬市相馬市の地震の被害写真 (まだ屋根などが修復できない家が多い) 南相馬市相馬市の地震の被害写真 (まだ屋根などが修復できない家が多い)


南相馬市相馬市の地震の被害写真

(まだ屋根などが修復できない家が多い)



南相馬市小山田地区

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これ中は土壁である、表面の壁がはがれた



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ここの墓地は斜面だから被害が大きかった
なぜなら街中の近くの平地の墓地では墓が倒れていないからだ
私の家の墓はその街中にあるから倒れていないのである



日立木の小川

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橋の下の方の支えの石だろうか?
かなり重いものがはずれたのである、これだけのものが動くということは
相当な衝撃だったのである、橋自体が壊れたものもある

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相馬の道の駅の被害が意外と大きかった
中の商品は全部撤去されて廃業になる

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政経東北4月号

相馬市の道の駅は中の商品は全部撤去されている
ここは営業をんつ始めるのか?

政経東北に売り上げが年々落ちていると記事があった
ここは立地として街から離れていることが問題だったのかもしれない
道の駅でも原町だと街とつながってるから便利になるからだ
相乗効果じある、ここは田んぼの中に一つだけ孤立してある感じになる
景色はいいにしても他に店もなにもいから相乗効果はないのである

売り上げも来訪者も震災以後からコロナウィルス騒ぎでへりづつけていた
意外と福島中央道ができて寄る車の数が相当数減った
それで福島中央道のインターチェンジの方に道の駅を作っていればと書いてあった
現代は車社会だから車の影響が大きいのである
鉄道でもそれで廃れたからである
常磐高速の鹿島区のSAに比べればわかるその人の数は百倍なのか千倍なのか
人の出入りが全然違うからである
結局営業できなくなりやめるとしている

鹿島区屋形地区

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このように石を積んだ塀は地震に弱い
石の蔵でもみんな一部壊れていた、ただ十分の一とか一部である
でも石積みの家は地震に弱い
でも市営住宅のコンクリートの古い家は壊れていない
50年以上とかすぎているのである
かなり老朽化しているのに全然壊れていない

なぜなのか?

鉄筋が中に入っているからかもしれない
ただこのようにい石積みは地震に弱いことがわかった


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石の蔵は意外と多かった


今回の地震の被害が意外と多かった、屋根の瓦が破壊されたのが多い、家の中はわからないが障子などはぼろぼろになっている、自分の家でもそうである
まだかたづけられないのである、本が散乱しているし戸なども壊れている
障子も一部だめになった、でも一回知っている大工さんが来たが来ない
数が多いから地元の人だけでは手が回らない、それで仙台からタクシーで来た人が何人かいた、仕事をするために来たのだろう、6000円くらいで来れたのは何か仕事関係で安くなったのだろう

石の蔵はたいがい壊れている、一部であるにしても壊れている
あれだけの地震なのだから石積みは地震には弱い、レンガも弱い、中国とか他でもレンガの家が多いから震度5くらいでも壊れる
日本がでは地震が多いから家の強度は高い、でも今回の地震では屋根の瓦とかグシはずれたりこわれた
数が多いから当分修復はできない、職人の手が回らないかである
posted by 天華 at 18:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層