2022年04月18日

飯館村の佐須から石戸村ー石田村を回り霊山神社へ(2) (桜の短歌連作の説明)


飯館村の佐須から石戸村ー石田村を回り霊山神社へ(2)

(桜の短歌連作の説明)

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官軍の旗

霊山から落ち延びた南朝の子孫が野馬追に出ている
天皇の菊の紋は南朝である
この一石坂を上ると日吉神社になる、そこは霊山で落ち延びて来て武者が館にすんだの


これはつながっている、だから春でも写真では青色でも夕方でそう見えたのだ残雪の峰が見えて雪が大きくすると見えるのである
この連邦は圧巻であった
大霊山線に見晴台がありそこからの眺めがいいのである

平安時代初期、859年に「慈覚大師」によって開山された霊山は、東北における天台宗の拠点として栄えていました。山中では3,000もの堂や塔が築かれ、最盛期には3,600人もの僧が修行していたとされています

霊山の山頂には、かつては巨大な山岳寺院が存在しました。それが慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)によって開かれた霊山寺です。円仁は比叡山延暦寺で最澄に師事したのち、遣唐使として唐代の中国に渡り、本邦への密教移入に貢献した「入唐八家(にっとうはっけ)」のひとりに数えられています。帰国後には中尊寺(岩手県西磐井郡平泉町)や浅草寺(東京都台東区浅草)など数多くの寺の開基に携わり、859(貞観元)年に霊山寺が開山されました。

山伏は、山岳修行により宗教的な能力を身につける。「山に伏す」ことから山伏(山臥)といわれた。特定の霊場寺社に拠点をもちつつも、各地の霊山を渡り歩いて修行する「旅の宗教者」でもあった。
https://museum.bunmori.tokushima.jp/hasegawa/exhibition/shugen.htm?msclkid=fbf69c4cbedf11ec84549bdc6bc5d2af

僧の住居。僧房。房。転じて、僧侶。「師の坊」

寺社が信者のために設けた宿泊所。宿坊。

2 幼い男の子に対する愛称。また、その自称。「坊をつれて散歩に行く」

3 奈良・平安時代の都城の行政区画の一単位。平安京では、東西南北の大路に囲まれた区域。1坊は4保で4町四方。また、その大路をいう

かつて、霊山と丸森の筆甫とは山道を通して交流がありました。古の修験者は不動明王堂前を通って霊山寺を往復したといわれています。その証拠に、筆甫の七坊というのがあり「延元二年(1337年)北畠顕家が義良親王を伴って霊山城に立てこもった時、霊山の学習坊として、漆坊(うるしぼう)・請願坊(じょうがんぼう)・向坊(むかいぼう)・中坊(なかぼう)・若狭坊(わかさぼう)・松ヶ坊(まつがぼう)・欄坊(らんぼう)の七坊が置かれた。現在も残っている地名はその坊跡である」(ふるさとの伝説より抜粋)ちなみに筆甫の七坊のうち松ヶ坊は現在ダムの名前、漆坊は地名として残っています。

https://www.zuiunzi.net/igu/bsrisuto.g2/7.html?msclkid=194ea726beec11ec8ec43c2c518c7c55

霊山はもともと天台宗であり山を根拠とした宗教であり中国から入ってきた
中国にも山岳宗教があり必ず高い塔が山に鋭く立っている
道元禅師が座禅組んで修行した天童寺も山の上にある、そこから高い塔がいくつか見えた日本では有名なのは山形県の山寺である
ただ福島県の霊山に関しては3600人の僧侶が修行していたということが実感できないのである、第一そんな人数を食べさせるのにどうしていたのか、誰が食料を提供していたのかとなるからだ、ただそうした修験者何か能力を持っていて加持祈祷して庶民とつながっていた、薬草なども山でとっていたのである
古代でもそれ以後でも人間の一番苦しんでいたのは今と変わりなく病気だったからである病気の加持祈祷のためにそれだけの寺が作られたともなる
今でも一番大きな立派なビルは病院なのである、南相馬でも市立病院がそうである

ともかく山岳宗教というとき六根清浄を唱え修行したのは清浄な山の気にふれて心を浄めることなのである、だから今のカルト宗教団体とかなんとか様々な団体には宗教を感じるものはない、むしろ経済団体でありただ御利益を追求する経済人であり会社員と同じである、または政治に深くかかわり御利益を追求する、選挙のために24時間365日選挙運動している創価などがそうでり他でも似たりよったりなのである
だから何か山伏などが異様なものと現代でぱ見ているがむしろ今のカルト宗教団体が異常なのである、都会から生まれているからそういうものはみんな異常なのである
宗教とは何の縁もないのである、なぜそうなったかというと東京とか大都会から生まれことに由来している、創価が団地の宗教が由来になっていることでもわかる
地方から出て来た人達が仲間を作り拠り所にしたのである
それはそれで悪いものではないがもともと心を浄めることは大都会では不可能である
それで心とは全く関係ないカルト宗教団体になったのである
宗教というときお釈迦様でもどうして岩窟で座禅をしていたのか?
それはそもそも心を浄めるためにそうしていたのである

それでこうして山と結びついている自然と結びついている宗教の方が自分にとっては本来の宗教として再発見する、そのために自分もそうしてきた、山とか森とか木とか石とかとアイディンティティ化して詩にしてきたのである
ただそこには人間がいないので自分自身また異常化していたとなる
ただ今の大都会からそもそも宗教は生まれえようがないのである
そこは迷路でありどんなことしてももその迷路から脱することはできない、そしてその
迷宮に怪獣が住んでいて餌食になり食べられるのである
その迷宮は古代にもあったからやはり今あることは昔もあったというカルマ論になる

ともかく霊山神社と霊山寺があり修験道を基にして次に霊山城が南朝の城として作られたのである、もともとそこには寺であり僧院があった、そこで学問岩とかあるのはそのためである、ただどうしてもそれが実感しにくいのである
歴史を知る時、大事なのなんらか実感することなのである、それがないと興味も湧かないのである
それで自分自身はこの霊山神社に確かに訪れた、でも霊山神社どうして行ったのか忘れてしまっていた、顕家の像があったなとは覚えていたが今回行ってあんなに高い所に霊山神社があるとは全く忘却していた
20年から30年前になると人間は忘れる、こうして忘れることは今回たずねも始めて訪ねたと同じだったのである、霊山神社のことを覚えていないからである
本当に不思議なのは人間は一回合ったり訪ねた場所でも忘れると始めて来たとなる
人間でも出合っても忘れると始めて出合ったともる、もしかして前世にあっていた人なのかもしれないがそのことが意識できないと同じになる

実際に飯館村の佐須から峠を越えると吾妻山が見える、その時気持がいいのである
その場所は忘れないのである、それは何度も行っているからである
でもそこを下り坂を下って行った石戸村というのは本当に初めて行った場所としか思えない、何か記憶していることがないからだ、でもそこを通っていたことは確かなのである
ただそこには行かず霊山神社に行く石田村の方に行ったことは覚えている
ただ霊山神社のことはを覚えていない、どうしして行ったのかも覚えていない
回りの風景も初めて見るものだった、あんなに山間高く家があるとは思わなかった
この辺ではあういう風景は見ないのである、だから見慣れぬ風景だから魅かれたともなる

いづれにしろ霊山と相馬藩は関係が深い、なぜなら霊山城が炎上して南朝が滅びたとき
落ち延びた武者の末裔が子孫になっているからだ、南相馬市の鹿島区の真野がそうであるまたその旗印に菊の紋の侍の家が二軒くらいあるからだ
また只野という姓が50人くらいいるからこの辺は只野氏一族だともなる
この只野氏は郡山市の多田野村が発祥の地なのである
そして天皇に由来する菊の紋は南朝なのである、南朝こ天皇の本筋であり明治天皇は南朝を引き継いだとしているからだ
それだけ南北朝の戦いは日本全土をまきこみ禍根を残したのである

こういう戦いの血なまぐさい歴史があるのだが霊山神社は別のもののように思えた
それは修験道の寺のようにも見えた、そこで聞こえたの四十雀なのか夕べ一羽はさえづる声がひびいていた、夕暮れであり巫女が一人戸締りしていた
なんとも静謐な感じがしたのである
ただここを自転車で登るのには苦労した、登山と同じだった、こんな高い所にあることが意外だった、その記憶が全くなくなっていたからである

石田村の方には来ていた、湧き水の里とあり清流が霊山から流れ高い所に家があり大きな岩がありこんなところにも家があったのかと驚き記憶していた
でも今回はそこまで夕暮れになり行けなかった

ともかくこの桜さく時期は変わり安い、今日は曇って今は雨が降ってきた
桜はもう散るだけであり、明日は残る花にもなる、桜の咲く時期は短いのである
だから日本中いくらでも桜が咲いても見れる桜が期間が短いからとても見れないのである




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2022年04月19日

飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと (車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須から霊山へ高速道路ができて食堂の客が減ったこと

(車社会で情が喪失したことの怖さ)


飯館村の佐須で何か警備の人が10人くらいいたのか、チューリップの丘にして見せるために警備の人が整理していた、でもチャーリップは、三列くらいしかさ咲いていないから
無料であった、実際は大人だと八百円とる、60種くらい咲くから見物ではあるが
高いようにも思う
その人たちはどういう団体がわからないが有志の医者の会のことを言っていた
ワクチンは危険だからと医者が警告している、特に子供には危険だとしている
その人たちはどうも原発を廃止しろという方ではない、原発は必要だとしている
その理由が別に死人がでていないからだという、だから被害がないとしている
それも変だがやはり放射線の被害はあるから警戒している
ワクチンの被害は良くわからないからかえって副作用があるから危険だと警告している
ともかくボランティアでも地震被害でかけつけたDRTもそうだが組織化していないとできない、その人たちも大きなジープをもった人が来たり何か組織化して働いていたからである
地元の人ではない人達であった

それから佐須を出て霊山の道に出て下ってゆきそこで2時過ぎていて腹減ったので
食堂がないかと聞いた、それとすぐ近くに一軒あった
その食堂で聞いた、高速ができて車が通らないから客が少ないでしょうと・・
そしたら相当に影響している、客が少なくなった
夏は海の方へ行く車で一杯で繁盛していたという、車が通らないことは現代では本当に影響する、シャッター通りも車の影響でそうなったからである
日曜日だったので車は多少通っていた、でも霊山の相馬の方へ行く方はほとんど車が通らないのである
だからサイクリング道路にはいいと思った、現実にロードで上ってゆく人がいた
石戸村では車が出れる道を作るように要求はしたができなかった

何が人間を社会をかえたかというと車ほど社会でも人間でも変えたものはない
それは人間の人格まで変えたし社会そのものを変えたのである
つまり車に適応した社会になったからである
そこに人間的な情は喪失したのである

とにかく夜になって真っ暗な道を帰ってきたが一台の車にも出合わなかったらか安全だった、自転車は夜は危険だからである
でも夜は結構冷えたのである、そこで山上の方にきてコンビニに入りコーヒーとパンを食べた
冷えたのでその中でコーヒーを飲みパンを食べていたらここでは食べないでくださいとして外で食べることになった
何かここでもコンビニでもスーパーでも相手の事情など考えない
すっど自転車で走って来たので結構冷えたのですとか言っても何にも通じない
しかし車だとそんなこと関係ないからである、車の中で食べればいいだけである
つまり前々から言っているように車というのは便利でも人間の情を奪ったのである
歩く旅だったら相当に疲れているから宿に入ればまず足を洗うとかする
そして疲れたでしょうとかねぎらいの言葉がある、そうなるのはそれだけ疲れているし旅することが苦しいからである、そこで相手のことを自ずと思うようになる
でも今は車だと疲れているとか考慮しないのである

それで阿武隈山中を旅してそこは昔の店であり万事屋のようなものが残っていた
そこでは御飯と味噌汁とを御馳走したのである
そんなことをこれでけ旅しても経験したことがないのである
それは山の中で昔が残っていたのでそうなったとみる
コンビニだったら店員と話ししたりもしない、コンビニの店員は昔の店とは違う
昔の店は何か人間的なものがあったとなる、そこで何か話したりできる
コンビニで一番気にしているのは盗まれることである、わずかのもの百円二百円でも盗まれるからである
それで疑われて二回ひどい目にあった、それは間違ったものでも犯人扱いされてひどい目にあった
それは店にしても通りすがりの人であり信用していないということである
でももの凄い剣幕で責めてきたのには驚いた
ただコンビニでも客は客ではない、通りすがりの人だからそうできるのである

そこに別に信頼関係などないからである、また一人などどうでもいいからである、店の経営には全く関係ないからである
人間の関係は今やこのように希薄化してそうなっている
でも奇妙なことはなじみになってゆくとコンビニでも親しみを感じる、すると何かそこでは盗んだりできないとなる
ローソンでは手渡しでコーヒーを渡すのは人間的でありたいということでそうなった
それもまた逆な意味で経営としていいのかもしれない、つまり温かい人間の手で渡されるから人間的な情が伝わるともなるからである何でも効率的で機能的で合理的だからいいとは人間には当てはまらないのである

要するに現代の車社会でも人間は必要ないのである
だからコンビニでも店員はもういらない、自動販売機が置かれるだけになる
人間はコストだとなっているからだ、それは鉄道の駅でも無人化するのもそうである
人間は一番のコストだからいらないとなるのだ
その時駅には人間的なものがなくなる、何か高速のSAと駅の相違は駅だと電車を待っていた電車が遅れたり何かかにかわからない困ることがありそれで聞かれることがあった
一番聞かれたのは下りなのか上りなのかそのホームがわからないのである
それが意外だったが私自身も他の駅に行ってホームが上りなのか下りなのかわからなかったからだ
また駅をでると道を聞かれたりする、SAではそういうこともないのである

やがてあらゆる場所に人間そのものが消える、無人化して案内するのはロボットになる
人間はコストだからいらないとなる、でもそこで失われるものがある
人間でしかできないことがある、それは人間の情だということである
これは機械にはロボットには持てないのである
例えば中学生が受験で間違って駅におりた、ひどく腹減っていたのである
それで近くに菓子屋があったので菓子を与えたのである
何かこういうことは人間にしかできないのである
そういう人間の情が失われたのが現代である、確かに車は便利だし不可欠である
そこで失われたものがあるということを知るべきである

これは人間社会のいたるところでそうなっている、病院でも機械に診てもらうのか人間の医者に診てもらうのかわからなくなる、AIの方が優秀だともなるからだ
でもそこで人間の情がない、機械とロボットに囲まれて息を引き取るともなりかねないのである、孤独死なども増えるのはやはり情が失ってきた社会だからそうなる
江戸時代辺りは医が仁術というとき病気は直せないものとしてあった
ただ患者が来たら情をもって接していたのである
外でも人間は情でもって接ししていた、また農家では曲がり屋で馬小屋と一体化して
家族のようになっていた、すると馬と結婚した娘がいたというのもわかる
動物だと必ず情で接するからである、情が育まれるのである
その代わりになったのがペットだということがわかる
人間は情なしで愛なしで生きられないからである

ただ便利さでも何でも何かを得れば必ず何かを失うのが人間である
何かを失えばまた何かを得るようになっている
だから人間社会が便利になり進歩したとしても失ったものがある
ただそれを自覚しない、車社会になれば車に適応したものとなり人間の情など全く無視されるのである、そこに殺伐とした社会が生まれる
ともかくコンビニの店員は客を人間のように見ていない
通りすがりのものであり人間に見ていない、次から次と遠くからの人が来るのだからそうなるそしてまた逆に客でも店員を人間に見ていない、ロボットのようにみているだけである、だからこそコンビニでも無人化して人間はいなくなる

鉄道の駅が無人化すると同じなのである、鉄道会社でも乗客を人間と見ていない
ただ物体を駅から駅に安全に正確に運ぶことには努力するが仕事になるのがそのほかのサービスはしない、だから駅員はコストでありロボットで十分であり無人化する
何でもこうして人間はコストであり無人化するのである
その時情もない殺伐とした社会になる、その影響が怖いのは人間から情が失われて何になるのか?人間社会が非情化して殺伐として人を人とも見ないものとなる
それは怖いものでもある、戦争でも直接人を殺すというよりコンピュター操作で遠くの物を殺すとなると見えないのだから人間を殺すという罪悪感もなくなる
そうなった社会はどうなるのか?それは恐ろしい社会にもなる
ただそんなことをいちいち人間は考慮しない、便利になればいいしかないのである

だからこそやはり人間を人間とみれなくなったからナチスとかでも大量に人間をガス室送りとかなったり全体主義となり人間は物のように殺されてゆくともなる
事務員はただ殺されてゆく人間を数字のようにしか認識できない
人間が情でもって通じ合わない社会で生きていればそうなるのである
あらゆる場所で情が喪失して人間は人間としてみれない、そうなる社会も怖いとなる
そもそも宗教が情を重んじる、情とは愛のことでもある、そのことを一番重んじたのである
でも現代社会では情は喪失した、確かにそれで得るものがあったが失ったものがある
それが情であり愛だったともなる、それが人間に一番大事だとキリストでもシャカでも説いたものが喪失したらどうなるのか?
それを良く考える人はいないのである
wakuchinnn1.jpg

【出遅れ!】分科会の報告が遅い!すでに「有志医師の会」は動いていました・・動きの速さが違いすぎて驚く
https://onl.sc/rGsMEh4
posted by 天華 at 18:28| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月21日

二本松城の桜散る(短歌) (一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)


二本松城の桜散る(短歌)

(一目千本桜ー蔵王を見て二本松城へ)

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千本桜は一部咲いていても実際はほとんど散っていた



二本松城へ


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山桜は咲いていた

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天主台からの展望

クリック拡大
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街中の坂の道に清水が滴りたまり飲める

きれいに見るにはクリック拡大してくださしい




赤々と朝チューリップ駅を出る

日立木駅はや花散りて電車すぐ

走り行く車窓に見ゆる朝桜

海沿いを咲きつづくかな朝桜

駅とまる鳩や電車を待ちにけり

雄大に蔵王の迫り芽吹きかな

旅人や流れたぎちて燕飛ぶ

千本桜花散る後の余韻かな

十万石六十万石や桜かな

仙台城六十万の夕桜

春の月赤くも笑う顔に見ゆ



福島や菜の花桜桃の花電車過ぎ行く境を越えて

つばへ飛び千本桜なお残る花のあまたや散りにけるかな

二本松城天主台高く桜咲き四方の山々望みけるかな

二本松城高きに上り高峰を仰ぎ見るかな春になりしも

なお残る二本松城の桜かな山を上りて風騒ぎ散る

山桜なお残り咲き大方は散りにけらしも二本松城かな

城あれや桜は散るも優艶に枝垂桜の赤さをましぬ

天を衝く高峰そびゆ四方の山見晴らす春や二本松かな

二本松城白壁映えて根づく松枝垂桜の色濃く暮れぬ

二本松城高きに上り桜見ゆ四方見晴して栄なるかな

二本松市街を通り岩よりしたたる清水我が飲みにけり

二本松城今はあまたのスミレかな庶民の上り花見て帰る

城近く耕す人や力なり菜の花桜に飾られけるかな

二本松城こぶしの咲きて夕日さし山城なれや高きを上る

少年隊城を守るとここに死す今年三日で花は散りしと

二本松山々高く囲みつつ国をし思ふ花の咲くかな


二本松まで折り畳み自転車で岩沼回りで行った
桜は一目千本桜でも散っていた、今年は桜が散るのが早かった、ここでは四日で散ったとか二本松では三日で散ったとか言っていた、だから一部咲いていたにしろほとんど散ったのである
なぜか桜は二本松だと近いと見えて遠い、それで前も桜は散っていたのである
外でも桜を見ようとすると散っているのである
それ一目千本桜でもその時自転車で苦労して来たがみんな散っていたのである
要するに桜は見ようとすると散っているのが多いのである
咲く時期が短すぎるからである

浜通りでものたりないのは高い山がないことである、でも蔵王は南相馬市鹿島区まで見えるのである、ただ蔵王が大きく見えるのは中通りである、二本松城の天主台に登るとその高い山を望むことができるし二本松城は古い城の山城の形がそのまま残っているからめずらしいのである
確かにあそこに立つと一つの大きな国を感じる、それも山々に囲まれた国を感じるのである、それで明治維新で二本松県になるということもあったのである
ここから会津とかなると遠いのである、浜通りは阿武隈山脈にさえぎられて福島県は地理的に分断されているからである

二本松は坂が多い、その坂を上って山の間の道に岩から清水がしたたり飲めた
市街のなかにそういう場所があるのはやはり山があるからだとなる
近くに畑がありそこで畑を耕す人がいた、それも街の中になるのである
地形的にそうなっている、ただ耕地としては斜面が多いから利用しにくい
そもそも日本は平地が少ないの山国である、だから野(の)とは斜面のことなのである
また平とは狭い地域で山でも平となっている所が耕地となるから地名化したのである
つまり平な所が日本がでは貴重なのである

ともかくもともと日本でも地形によって城でも作られた、要害となる場所に作られた
それがやがて平城になった、でも山城の形態を残しているのは少ないのである
二本松城は大きくても山城の形を残しているから魅力がある
城をいろいろ見ていてもこういう城が日本がでは見ていないのである
全体の山を利用して城を作っているからである


写真には文字が入っていないですが俳句と短歌をあはまてください



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2022年04月22日

折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった (相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)


折り畳み自転車の旅はうまくいかなかった

(相馬から岩沼から二本松へー鉄道の旅はしにくい)

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折り畳み自転車は意外と旅がしにくかった、いちいち折り畳み袋に入れるのもめんどうなのである、そして私の自転車はドイツ製のBD1でありこれは10数年前に買ったもので
いいものなのである、重さも11キロくらいで軽いのである
でも持ち運ぶと結構重かった、特に階段を上り下りすると相当に負担になった
それでエレベーターを利用するといいと思った
また折りたたまないで階段を上り下りすれば楽である
折り畳み自転車は利用していなかったのでうまくいかなかった
途中でチェーンがねじれて動けなくなり駅から自転車屋に行き直してもらったから助かった、前は8キロも歩いたことがあったから自転車は怖い面がある

結局何か折り畳み自転車を利用するメリットを感じなかった、というのは駅から歩いてもいい距離しか使わなかったからかえって折り畳み自転車が移動するのに足かせとなってしまった、十キロでもいいから利用していたらそうはならなかった
前は駅から二十キロとか離れた距離を行ったから有用だった
今回は駅からそんなに離れない距離しか行かないからかえって足かせとなってしまった

というのは岩沼で乗り換え次に大河原でおりて次にまた白石で降りて福島でとまり待ち合わせで二本松に行った
岩沼から直通で二本松に行く電車はないのである
これも不便だと思った、そこで50分とか待ち合わせがあったりして時間が遅れると困るのである
それで良く自分の街の無人駅でも待ち合わせの時間が一時間とかなり隣の市まで歩いて行こうとする人がいる、一時間おきとなると一時間を待つのが長いのである
なぜなら旅でも先を急ぐことがあるからだ
今回の目的は人目千本桜を見るのと二本松の桜を見ることだったからだ
今は鉄道の旅はしにくい、便秘が少ないのが最大の問題である
新幹線とかは30分おきくらいに行くとなるがローカル線は一時間おきになっている
もっと間が空くことがあるから利用しにくいのである
30分おきくらいだと相当に利用しやすい、なぜなら30分は待てるからだ
一時間になると待てなくなるのである




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白石市の駅前の店兼食堂


これが良かった、白石市なのに駅前に食堂がないことは変だった
でもここではいろいろ用がたせる、買い物もできるし食事もできるからいい
やはり駅ではちょっと離れていても待ち合わせでは不便になる
どうしても駅内とか駅前に必要なのものなのである
でも駅で案内してそういうものがないので困る人がいたのである
というのはどうしても駅で待ち合わせの時間があるからそうなる
それが不便なのだが人間的なものも生みだしていたのである
ただ忙しい現代では電車は時間があきすきで不便になってしまったのである




駅前のことでは白石市の駅前で食事しようとしたが食堂が見当たらないのも変だった
普通駅前にあるはずだがないのである
そして駅前に店がありその中に食堂がある、でもそれは狭い場所であり食堂とも言えないそこで野菜とか果物とか売っていて手作りの惣菜が売っていた
それをおかずにして隣の狭い食堂で食べさせるのである
それが何か人間的で良かったのである、おばちゃんが声をかけたりして人間的なのであるだからスーパー等と違ってこういう小さな店は人間的なものが残っている
それで旅して阿武隈山中の石川の方に行った時、万屋(よろぶや)が残っていて
そこでご飯と味噌汁が無料で御馳走してくれたのである
こういうことは今の時代にはありえないことだったので不思議だった

要するにまずコンビニとかは人間的なものがゼロである
人間的なあたたかみなどない、客でも逆に店員を人間と見ていない、店員も客を人間とは見ていないのである、どっちにしろロボットという感覚なのである
そこには確かに便利さはある、コンビニエンスがあるが人間的な情とか消失している
それはやはり車社会になってそれに適合することでそうなったとみる
鉄道だとまだ人間的なものがあり駅前通りとか発展したのである
駅というのは街の中心的機能としてあった
なぜ食堂がないのかと聞いたらみんなやめたと言っていた、経営として成り立たなくなっている
何か駅前より今は車社会になると道の駅が中心になる、現実にこの辺でも原町の道の駅が中心であり駅前通りはすたれている、道の駅が街の玄関ともなる
要するに駅とういのはそれだけ車社会になり利用価値がなくなったのである
何か鉄道開通から150年とかがその記念のハンカチを買った、150年過ぎて鉄道の変化も大きかった

次に二本松へ行った、二本松の駅前にインド料理店があるのは不思議だった
そこでナンとカレーとか食べた、カレーに豆が入ったのがうまかった
カレーの種類は多い、本場のものだからうまいと思った
インドにもネパールにも行ったからということで入った、ネパール料理もだしている
この料理は共通している、外国料理はどうしても口になじめないものがある
それで外国旅行ではまともなもの食べた記憶がないのである
もちろん自分の旅の目的はあくまでも旅することであり料理にはこだわらないというよりこだわれないとなっていた

ただなんかこれだけ旅ばかりしている旅の評論家のようにもなっていることに気づいた
夜になり今回泊まろうとした、アーバンホテルとか駅前に大きなホテルがありそこに泊まろうとした、ただ折り畳み自転車などをもっていると面倒になる
何か現代は旅人はいない、ホテルを利用しているのはビジネスマンが多いとなると背広を着てネクタイをしめているという感じの人が多数である
するとなかなか入りにくいとなる、まず自転車旅行だと泊まることもできないとなる
汚れることもあるからそうなる

その前の日本風の旅館ならいいと思って聞いたらそこは満員だった
実際はアーバンホテルも満員だったのだ

コロナウィルスウイルスですいている空きが多いみて泊まろうとしたができなかった
これは意外だった、そしてこれから連休にかけて意外と宿は混んでいると思った
もうコロナウィルスのことをあまり気にしなくなったのかもしれない
でもうるさく電車でアナウンスするから警戒しているかと思った
でも駅前の旅館でもホテルでも満員なのだからそうとも見えなかった

ただ正直ホテルと旅館でも旅人に親切ではない、特に満員とかなると普通の客でないと嫌われる、ただ部屋があいていれば嫌でも泊まらせるとなる
とにかく自分はこれだけ旅してもホテルとかただ泊まるだけである
でも何かそこに人間的なものはない、だから例え困っていても親切にはしない
別なホテルがあると言っても暗いし行きにくいのである
ただ今回は別に日帰りの旅だから気にすることはなかった
でも帰るのにも福島市で乗り換え岩沼で乗り換えその岩沼から新地行きでありそこで
50分待って11時ころに原町行に乗ったのである
たこれだけ遅い便があったから乗れた

旅行で注意すべきは

連休に向かい宿は満員になっているかもしれないから注意!

有名な観光地だと泊まれないことがあるから注意である

旅でぱ泊まれないことが一番困る

でもそれを泊める方は気にしないのである、でも寝る所もないとしたらどうするのか
それは本当に困るのである、だから自転車旅行ではテントとかが必ず必要なのである
それで水戸黄門の映画で必ず旅籠ではなく民間の家に泊めさせてもらうともなる
それは宿が満員だと本当に困るからである、でも泊める方は全くそういうことは気にしない、そこの心遣いはないのである
そもそもホテルがホスピタルとか病院の起源になったからだ旅人をいたわることから始まっている、それが今はないのである

まず金が第一であり金によって待遇は変わる、そしてそもそも車で来るのだから歩いてくるのではないからねぎらうとかいたわりとかはなくてもいいのである
つまり現代には旅人はいないし旅人をねぎらうということもなくなったのである
でも歩くとか自転車とかの旅となると疲れるのだからねぎらいが必要なのである
でもそういう人は例外だから歓迎したりもてなしはしない
それは車社会になれば自転車が邪魔なのと同じでありそんな客は邪魔だともなるのであるそれは人が悪いというより車社会になって人も変わってしまったのである

なぜ自分が自転車旅行にこだわっているかというと車だとどうしても風とか感じない
鉄道でも電車だと風とか感じないのである
風流とは風を感じ流れを感じることである

旅人に流れだぎちてつばめ飛ぶ

川が激しく流れる、旅人もその流れのように行く、また禅宗では雲水となる
雲のように流れ水のように流れる、それが旅なのである
それで私は禅宗にひかれるのである車ではその風を遮断するから風流もなくなのである
とにかく一日の折り畳み自転車でも相当疲れた、体力の限界を感じた
やはりきつい旅でもなんでもできなくなるからできる内にしていた方がいいとなる
とても今でも外国旅行はできないとなるからだ


2022年04月23日

ロシア総主教が核兵器を祝福する異常 (組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)


ロシア総主教が核兵器を祝福する異常

(組織化団体化した宗教は権力志向で政治家と同じ)

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ロシア正教トップが元KGB? 侵攻と信仰の”ただならぬ”仲
https://www.youtube.com/watch?v=YdCikK71lpM&ab_channel=TBSNEWSDIGPoweredby

今回のウクライナ戦争はいろいろな問題を提起した、何か盛んに武器のショーにもなっている、ロシア軍の弱さは旧式の武器を使っていたとかそれでこれでは使えないとかロシア製の武器を買っていたインドとか中国は不安になった
またドルが使いないとかスウィフトで金の流れがとめられたとかもあった
それは基軸通貨のドルに対する反発としても現れた
そして今回はロシア正教の問題がクローズアップされた
それが余りにも信じられないものだった
核兵器をキリル総主教が祝福している、プーチンと一体化してウクライナ侵攻を奨励している
それがどうしてそうなったのかというとソ連時代にロシア正教が弾圧されて存続できないような状態になったからである、そのことから国家なくして宗教もないとしてそうなったという
それにしても宗教が平和を一番大事にするのに核兵器を祝福するというのが信じられないとなる
ただ核兵器が信仰の対象となる映画を見た、だから想像上ではそういうことがありえた
核兵器が国を守るものとなるからそうなったのである

いづれにしろ宗教というのはもともとローマ帝国に取り入れられてから政治化して本来の宗教というのはなくなった、キリスト教が政治的に利用されるようになった
カトリックと政治的だからこういうことがありうるのかともなる
ただロシアというのは謎が多い、何か西側の文明から見るとまだ前近代的なものが残っている、政教一致というのもそれらは前近代的なものとして継続されてきたからである
フランス革命の大きな命題が政教分離にあったというこもある
日本の太平洋戦争も天皇を神とする政教一致がありそこで戦後は政教分離になったのである

その弊害として戦後は新興宗教が興隆した、それがカルト教団である、創価がその最たるものであり政治化して選挙宗教となり権力収奪を目的とするものとなった
本来の個々の心にその信仰心をおくものとは違う、集団組織化してこの世の権力をにぎりこの世を支配するということで360日選挙運動している
そして自民党でも創価の票を入らないと落選する人が相当数いると恐れているのである
そうしてその票でもって権力を左右する、それが政教一致になっているのは一票を入れることが信仰になっているからだ、御利益となるのは経済的理由でありまた成仏するとかになり選挙に勝つことは仏法の勝利として常勝だとなり団結するのである
それは全く政教一致で法律違反なのだけど自民党は票が欲しくて容認しているのである

これと同じようにロシアも政教一致なのである、ただそれが度はずれているから理解しかねるとなる、核兵器を祝福して戦争も奨励しているからだ
ただ天皇を神として戦争した日本でもそういうことがあったからそれは世界史でもあったそもそも宗教が戦争と関係しないとなっていない、もともと旧約では聖戦として預言者が指揮して勝った記録である
中世になっても十字軍でもキリスト教の武装集団だしイスラムでも武力と関係して生まれている、日本だとそもそも僧侶集団が城のようなものを作っていた
それは一向宗ではそうだった、それで僧が武士になったというとき歴史は連続しているからである、僧兵ともなるのである
だから僧が権力を得るために武装集団になっても不思議ではないのである
戦争ともなれば武器をもって戦う集団なのである、また利権集団だからこそ比叡山が城のようになっていて琵琶湖の船運から税をとっていたとかなり信長が攻めたのである
だから組織化集団化した宗教は本来の宗教とははずれた世俗的権力的宗教になったのである、そこを誤解するのである
それでオウムは極端な武装集団として政権を奪取しようとしたのである、創価もまた武装化しなくてもやはり目的は同じである

つまりロシアには何か前近代的なものがツアリーとかの支配がありその歴史がプーチンに受け継がれている、政教一致がある、近代化とは政教分離したことが大きな変化だったからである、西側でもカトリックの政治化があり支配した歴史があったからだ
それでプーチン皇帝であり習近平皇帝になる、その皇帝とロシア正教の総主教のキリルが一体化している、だから宗教とは何なのだろうとなる
宗教とは戦争を奨励して人類を滅亡させる核戦争する奨励していることの不可解なのである
ただ宗教団体組織となるとそれは宗教というより巨大な権力でありその権力でもって世界を支配することを目的化している、ますキリストとかシャカとか寝る所もない、岩窟で悟りを開いたとかとは全く関係ないこの世の力とを栄華を宗教で求めるとなるからこの世はわからなくなるのである、だから組織化集団化した宗教は宗教ではない、この世の権力を得ることが目的だから世俗の政治と同じなのである
だか。らどうして宗教を看板にしているのかわからないのである
そこが暴力団の看板でもかかげていればわかりやすい、宗教の看板をかかげていることは実際は全く正反対のものなのである

武器こそ核こそ力だ
金こそ力だ
数こそ力だ

宗教団体は神仏であれ信じていない、この世の力を得てこの世を治めることしかない
だから神仏に祈ることが矛盾なのである、神仏からみてそれは何なのとなってしまう
でも現実はその核兵器を持つことでそれを力として金を力としてあとは数を力として
支配しようとする、それはサタンの仕業ではないか?
根本的に矛盾したものになる、一方でジキルの顔をして善人の顔をして実際はハイドでありその両面があり矛盾してくる、偽善者になってしまうのである
別に暴力団ですとか看板を出していればそういうことはない
またあらゆる欲望を満たすためにしている営利団体ですとかなっていれば問題ないのである、どうしても自己矛盾になってくる、でも大衆洗脳団体だからそんな疑問すら大方は考えないかもしれない、別に金になればいいとか仲間がこんなに多いのだから力になるだろうとかしかない、後はやめると罰当たるとかなんとかあり実際祝福よりそういう恐怖が与えられるだけなのである

いづれにしろロシアという国はわかりにくい、もちろん外国はみんなわかりにくい
でもおそらく日本人は西側からしかアメリカ側からしか世界を見ないから理解しにくいとなる、西側のアメリカは戦争国家でありベトナム戦争であれイラク戦争であり人道に反する大量殺戮をしてきたからだ、だからそういう国がロシアを一方的に人道で責められるのか?日本の戦争でも原爆を落としたからである、そんな国が人道を言えるのかともなる
専制国家と民主自由国家の戦いだとしているが人道に反することが戦争でありそれは否定されるべきだとなる、民主自由の前に人道があることになる
その人道を無視してきたのがアメリカなのである、人道とか人権を旗印にしてもやはりアメリカもそんなこと無視して世界を支配したいという権力を追及する国なのである

ともかくロシアという国はわかりにくい、それは情報でも閉鎖しているし観光旅行でも制限されているからロシア人と接している人も少ない、交流がないためでもある
ただ核兵器で脅したり核兵器をロシア正教の総主教が祝福したりとその異様さは何なのかとなる、そこに一人のプーチン皇帝が君臨して独裁者がいて核兵器で脅して来る
それは核兵器で脅すテロと同じでありテロ国家にもなる
ブーチンは最後に核と一緒に世界を滅ぼすとまでなっている、こんなことがありうるのか?一人の人間によって人類は滅亡することがありうるのかとなる

ただ武器とはそういものであり核戦争で人間が滅びるのが人間のカルマともなる
最終戦争となりハルマゲドンで滅びるのである、それが聖書でも予言されていたから本当にそれが起きるのかとなり恐怖した
明らかにエゼキル書の予言ではロシアがゴグでありそれはアジアのことであり中国もふくまれるとなるからだ、つまりロシアと中国連合とアメリカを中心とした西側連合の最終戦争の場がウクライナになるという恐怖を世界に与えたのである
だから今までの地域紛争とは違う、世界最終戦争の場になるとして恐怖したのである
日本でもロシアが北海道を攻めてくるという宣言したことでもそうである
全世界が震撼したのであり日本も例外ではない、ただ正直ロシアとは何かというとき理解できないのである

ただウクライナ人がシベリアに前もつれていかれて強制労働されたとかある
そして今回の戦争でも強制的にシベリアに連れていかれる
それは日本軍でも経験していて34万にも死んだという説もある、これもカルマの繰り返しだとなる、だからロシアでは強制労働あり歴史をくりかえしているのである



オウム真理教の痕跡をクリミアで見た。今もロシアに残る麻原彰晃の幻影
https://www.huffingtonpost.jp/kazuhiro-sekine/aum-shinrikyo-in-russia_a_23479379/

こんなことがあった、オウムはまさに武装集団化していた宗教団体である
それでロシアに接触したのは武器を手に入れるためだった
オウムも宗教であるが信じられないものだった、それがロシア正教でもオウムと似ているとなるから何か人間には世界でも共通したものがあると思った
posted by 天華 at 13:19| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月24日

出稼ぎの歴史 (戦後の焼け野原から高度成長時代をふりかえる)


出稼ぎの歴史

(戦後の焼け野原から高度成長時代をふりかえる)

秋田県の農家は1戸平均1.1haの田を持っている。米はlhaから100俵とれるとしても,収入は,新米価でも156万円。必要経費を抜いた純益は80万そこそこだ。米以外の野菜,養鶏,酪農などは,価格が不安定で収入には大きな波があり,たびたび,大きな赤字になる危険がある。農業以外の収入が,農業を支えるために求められる。主人,長男が会社,工場で働き,主婦もパートに出る。収入は安定しているが,金額は安い。パートでは,一日働いても1,300円から1,500円しという相場だ。ここから一歩ふみ出そうとすると,月収10万円以上の出稼ぎしかない。


 「出稼ぎの犠牲者,一年間で79人」という記事が出た0は,48年4月のことだった。秋田にきて,一ヵ月の新参者にとって,この数字は驚きだった。
なにしろ,年間の交通事故死者が160人程の県である。交通事故死の半分にあたる人々が,県外の,都会の灰色街で,出稼ぎで死んでいく。これはどう考えても異常でないか。しかも,死者の8割が,病死だ。病を背負い,本業の農業を離れて,出稼ぎにと出ていく人たち

日本の求人を見ていると、月収20万円に満たない募集が大半を占めていて、ゾッとすることがある。

月20万円に満たない給料でいったいどうやって生活しろというのだろう。飲食業界の給料はあらゆる業界の中でも特に安い。

料理人のような専門職には付加価値があるので、いまや海外の方がよほどいい給料で生活できるのだろうが、その専門的な知識を身に付けるためには少なくとも数年間は日本で労働をしなければならない。

いずれにせよ、日本の多くの企業が提示する給料ではまともな生活はできないし、子供を育てるのも不可能に近い。

近い将来、多くの日本人が海外へ「まともな生活をするため」に出稼ぎへ行く時代が来るのではないかと思う。



過ぎ去った時代をふりかえると不思議になる、でも何かその時代のことが良くわからなくなる、人間はとにかく忘れやすいのである自分自身これだけプログとかで書き続けていてもそれが自分の書いたもののように思えないことがある
それだけ人間は忘れやすいのである、だから何でも何か書き留めて記録することも大事になる、旅したとしてもなんでもいいからその時その場の感想を書いておくと後で思い出すことになる

そして人間の記憶が何か一時代を経験するにしてもみんな違った経験をしているのだ
同世代でも私の同級の中学時代の三分の一くらいが東京に集団就職していた
何で行ったかというと蒸気機関車だったのである、東京オリンピックの頃までまだ蒸気機関車だったのである、だからこれもそう思えなくなっているのである
ただトンネルを通ると石炭が燃料だから煙で顔がすすけたことを覚えている
ただ東京オリッピックの時、蒸気機関車だというのも何かぴんとこなくなっているのだ

東京オリッピックは高校の時であり日本中が熱中した、その原因がテレビが出始めて実況中継されたこともあり日本中がリアルタイムで同時に見ていたからである
その熱気は去年の東京オリッピックとは全然違っていた、高度成長期の日本が戦後から復興する熱気に満ちていたのである、バレーボールの東洋の魔女とかがそうであった
その時日本が世界に経済力をつけて躍進する時代だったのである
その熱気がオリッピックに反映されたのである

一番驚いたのは東京の人口である

戦争が終わった時、東京の人口は三百万人だった!

これは信じられないとなる、焼野原から食べ物もない時代から東京は一千万以上の人口になったからだ

戦後に天皇が人間宣言した結果、精神の空白ができていろいろな新興宗教が生れて信者が増えたというのも興味深い、創価がその時団地の宗教として生まれた
つまり東京は地方から上京する人たちによって作られたのであり団地はサラリーマンにとって憧れだったのである、団地に住めることは一段上のクラスの人となることだったのである、だから創価が団地の宗教と言われたのである、地方から集まった人達の拠り所になったからである、座談会形式で信仰を深めて団結したのである
その頃はまだ政治には進出していないから国家的にみてそれほど脅威ではなかったのである
そしてなぜその後会員が増えたかというと丁度高度成長時代と重なり御利益が現実にあったから増えたのである、それは本来の宗教ではない、御利益宗教であり何でもいいから
欲望を満たすものとして会員が増えたのである
今新興宗教が衰退しているのは経済が停滞して御利益がなくなったからである
とにかくその時代は何かぎらぎらした欲望に満ちていてその欲望を奨励して充たすものとして創価などの信仰宗教が勢力を拡大して大きな政治勢力ともなったのである
それは本来の宗教とは関係ないものであり御利益がなくなり衰退するだけだとなる

その頃また出稼ぎ者が増えたのは高度成長期であり東京が戦後の焼け野原から300万人から一千万人に人口急激に増加したからである、この人口の増加を吸収する仕事が東京に生まれていたのである
それで私の大正生まれの母親は原町紡績で糸取りをして働いていた、次に東京で女中として働いたのである、その当時から東京に出る人が多かったのである
そして出稼ぎというときもオリッピックでも巨大な公共事業があり人手がいくらあっても足りないという状態だった

そこで農村地域から出稼ぎ者が来たのである、でも驚きは過酷な労働で病死したとか疲弊した人が相当にいた、その労働環境は厳しかったのである
不思議なのはその時暴力団が繁栄していた、そういう飯場とかに暴力団の資金源になっていた、手配師がいてはんばに送り込んだ
そこで過酷な労働を強いられて死んだ人もいる、それが自分自身が経験していたのである手配師に連れられて工事現場の飯場に行きビルを建てる現場で働いた
それが四階でありそれでそこから落下して死ぬところだったのである
だからそうして工事現場で出稼ぎ者が死んだ人もかなりいたということである

「出稼ぎの犠牲者,一年間で79人」という記事が出た0は,48年4月のことだった。秋田にきて,一ヵ月の新参者にとって,この数字は驚きだった

出稼ぎ者というときその飯場とか働く場所が劣悪だったのである、集団就職した人達も工場でも劣悪な環境にもあった、まだ福祉とか整備されていないからである
工事現場で死んだとしても保証などなかったともなる、そういう時代だったとなる

ただ出稼ぎは江戸時代からあった越後とか新潟県では雪深いから冬に出稼ぎに行く所で知られていた、子供だと越後獅子とかで子供が使われたとかなる
田中角栄は工事を請け負う土建業者でありその頃道路でもビルでも何でも新しく作る時代だから財を成したとなる、高度成長時代はインフラ整備の時代だったからである
出稼ぎは賃金の差から起きてくる、今出稼ぎに来ているのは貧しいベトナムとかネパール人とかである、ここは最低限の生活だから賃金の差で日本に出稼ぎにきている
そして逆に日本人が外国にアジアでも出稼ぎに行く、肉体労働なくて頭脳労働者も優秀な人は賃金差で外国で働くとなる
なぜなら日本の賃金は全く上がらない、優秀な若者は外国を目指すとなってしまうのである、グローバル社会ではそうなってしまうのである

そしてこの辺でなぜ双葉大熊地域に原発が作られたか誘致されたかというと

出稼ぎしなくても地元で働き住みたい

このことがあって積極的に原発は誘致されたのである、だからそういう切実な事情があり原発は誘致され建てられたのである、双葉とか大熊地域などはこの辺ではチベットとか言われていたという、原町市とか相馬市となるとそれなりの経済規模根があり働く場があったとなるがそこにはなかったからだとしている、人間はとにかく経済が優先される
食うことが第一となる、だから危険は無視されたのである
それは出稼ぎとも深く関係していたのである



4Kカラーでよみがえる 終戦直後の日本 - NHK

今日この放送みて興味深かった、これを深堀りというかそれぞれの経験をふまえて語ればさらに記録として興味深く残されることになる
今は放送局でないにしろインタ−ネットで素人でも個々人でもその歴史を記録を残せるのである
この文でもそうである、でも映像となるとなかなかむずかしいのである
ただ一つの時代をとらえるにも個々人でも体験が違っているから一人の体験からその時代を見るのはむずかしいのである

私自身の体験からすれば大学は遊びの場であり集団就職した人達とはあまりにも違っていたからである、でもアルバイトなどはしていたしその後就職しないで放浪して何か飯場などに迷い込んだとなる、でも本当の出稼ぎ者はもっと厳しかったとなる
私は何か20代は結構苦しかった、でもその後楽をした結果体力も回復した
私は集団になじめない性格であり結局引きこもりとして30年間家にいて自由に生活していた、こうできたのも親がそうさせてくれたからだとなり感謝して今でも親を供養しているのである
ただそのマイナスも大きく介護になって死ぬほどの苦しみを味わったのである
それも自分のカルマだったとなる





posted by 天華 at 18:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)


知床観光船事故はなぜ起きた

(余裕がないことが事故につながる)


事故の修理をしておらず船の先端に亀裂がある

・他社が運行しない期間ですら運航

・事故当日は同業者に全力で止められるも出航

・波浪注意報が出ているのに全コース強行

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ
この観光船だって8000円の料金が高いというやつがたくさんいるけど、
船の維持管理費や人件費を考えたら1万円でも安いくらい

なぜそもそも無理して船をだしたのか、回りから警告されてもあえて出したのか?

この原因は余裕がないことではなかった?、その余裕とは金の問題だったかもしれない、コロナウィルスとかで観光客が減ったとかあり無理しても稼ぐ必要があったためなのか?
というのは私はここのウトロの民宿で経営が苦しいことをその女主人から延々と聞かされたからである、それも20、30年前とかなるかもしれない、夫の主人が何か遊んでいるとか愚痴を延々と言っていたのである
つまり観光でもやはり客が来なければやっていけないとなる、そこには大きなホテルもあるらそっちの方に泊まる人がいたのかもしれない

とても運航が無理でもあえて船をだしのか、その理由は金を稼ぐということで強いられたのかとなる
もし収入がある程度あり余裕があれば今日は危険だから出さないという判断にもなる
ただ客がどうしても行きたいということもある
なぜならせっかく遠くまで来て観光もできずに帰るとなるとかなり損した気分になるからである
何か時間をかけ金をかけて苦労して来たんだからお目当ての観光ができないと損したとなる、そういうことは観光にある

サービス業を少しやってたことがあるけど、消費者が一円でも安いサービスを求めるのが悪いんだよ

これは言える、金銭的に安くしようとすると観光客にも金の余裕がないからである
なるべく安く観光しようとする泊まろうとするすると当然安全面でもおろそかになる

それなりに金がかかるのだからしかたがないとかならないのである
ところが金に余裕がある人は安くしようとはしない、それだけの仕事なのだから払ってもいいとなる
一二割高くなってもいいとかなる
そういう自分も金がなかったからこういう考えにはならない、余裕がなかったからだ
ただ金銭的に余裕ができたときそういう考えになったのである
だから金の影響はつくづく大きいと思った、金に余裕がない人が多い社会は危険がますのである

人間が余裕がないことがこうした事故にもつながる人間が余裕がないことが常に危険な状態になる
なんとか稼げないとどうにもならない、危険でも客をのせて金を稼がねばならないと思ったのかもしれない、それは別にあらゆる職業でとにかく金を稼ぐために不法なことでも
無理なことでする傾向がある
まず人を助ける時余裕がない人は助けることができない
借金で首が回らない人が病気とか苦しい時来た時とうなるのか、その人の頭の中は借金で一杯なのである、人のことを気遣う余裕がないのである
そうして自分は介護とか自分の病気でそんな余裕がない人がきて死ぬ目にあったからだ
人間は余裕がないと強迫観念になり判断を誤る、戦争だって日本の戦争にしろもう経済封鎖で追い詰められてアメリカと戦争するほかないとなる、余裕が全くなくなり真珠湾攻撃になったのである、経済的に余裕があればそうならなかったかもしれないからだ

何でも余裕がないことは判断を誤らせるのだ、金に余裕がないとやはり余裕がないから
金をなんとか稼がねばならないとなる、また営業でもノルマが課せられてそれを達成しろと上から言われて余裕がないからもう客の身になって考えることもできないのである
会社に余裕がなくなればとにかく稼がねばならないともなる
そのことでかえって人間は失敗することになるが余裕がないからそんなことを言っていられないとなる
だから意外と余裕は大事だなとなる、それで貯金があれば余裕が生まれる
貯金がないといつも追われていて余裕がないから相手のことを思いやることなどできないのである
つまり人を思いやるには余裕が必要なのである
だから余裕ない人に金でもなんでも相談しても無駄だとなりむしろ危険だとなる

日本は貧困化してくると余裕がない人が増大する、するとみんな余裕がないからギスギスした社会になる、すでになっている、もう物価高だとか電気代からガス代あがるとかなり経済的に余裕がない、そういう人と接しいるともうこっちも苦しくなり余裕がなくなる
何か交通事故でも起きる時急いで時間の余裕がないとかのときなりやすいともなる
それは時間であれ金であれ追われているからそうなる
勉強でも常に脅迫的に強制されてしても身につかない、余裕があってその人なりに勉強すれば身につくとなる

ともかく金でも時間でも余裕がないことは危険である、観光だと金もそうだが時間に追われるのである、ゆっくり見たいとしてもできない、またせっかく遠くから来たのだから
見たいともなる、また観光業者でも金を稼がねばならないとなり無理をする
そして事故になる、現代社会は金であれ時間であれ常に追われている
観光でもじっくり見ることもできない、時間に追われるからである
そうして急ぐ旅は心に記憶されないのである、記憶されないということはせっかく遠くまで行ったとしても行かなかったと同じになってしまうのである

だから何度も行っているように記憶する旅をしろとなる
なぜならせっかく旅しても記憶していないと行ったことにもならないからである
現実近くでも行った所を全く記憶していなかった、だから初めて行ったと同じだった
あんな坂があったとは全く記憶になかった、こうして全く記憶に残らないことがある
得に外国旅行はそうなりやすい、だからせっかく行ってもどこに行ったかも記憶に残らない、記憶は月日が過ぎるとますますあいまいになってゆくからである

私の場合は北海道は十回とか行っているからウトロにも行ったとか思い出す
あの岩も見ている、あそこから船がでて事故になったのかと見る
知床半島には冬にも行った、その時だったのか民宿に泊まった、食事をしたとかなる
いづれにしろ二十、三十年も過ぎると記憶があいまいになる
ぼんやりと霧がかかったようになる、特に旅になると外国だったら一回しか行けないとかなりますますその記憶は消失してゆき思い出せなくなるのである

何か観光でも危険がある、知らない所でなれていない所だと事故になりやすい
ただ常に人間社会には生きるのに危険がある、家にいても地震があるし水害にもあったし安全はない、危険と突然襲いかかってくる、津波などは逃げる余裕もなにもないただ咄嗟に逃げる他ないのである
ただ余裕がないことが事故に成り安いことは確かである
余裕が無いから判断を誤るのである、じっくり考えることもできないからその人なりの勉強ができない身につかないとなる
ただ観光でも遊びでもそこには危険がある、でも今回はプロが案内したのであり危険はわかっていたのに船を出したのだから観光客に責任はない
でも金を稼がねばならないという余裕のなさがそうさせたとなればやはり余裕がないということが人間にとって危険なものになる
現代はこうして金でも時間でも余裕がない人が多いからそれが危険になる

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posted by 天華 at 21:50| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年04月26日

人間の失敗の原因 (知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)


人間の失敗の原因

(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

●人間の奢り

●安全より金儲け

●土着的な生活からの乖離


何か人間に起きて来る問題には法則がある、法則とはカルマでもある
つまり同じ事が繰り返されることである
その大きな要因に人間の奢りがある、それは自然災害でも戦争でもあらゆることで人間の奢りが原因して起きる
それは法則のようにあてはまる、だから何かが起きたとして原因を探ると奢りがあったとなる、そしておごれるもの久しからずとなる
人間はいかに繁栄を極めていても奢りやがて帝国でも大国でも没落してゆく
それは歴史をみればみんなそうである、大国の興亡があり今は衰退している
だからアメリカがいつまでも大国でありえないのである
もう衰退が始まっているのかもしれない、ただ人間の弱点は短期的視点でしか見れないからわからないのである

ただ確かなことは人間には必ず奢りがでてきて失敗する、夜郎自大国は漢がたいしたことはないとみくびった、でも自分たちの国には鉄器はなく青銅器てありそれで敗れたのである、これは日本でもアメリカなどたいしたことがないとみくびった結果として大敗北となった、日本ではアメリカのことを一般国民は知らなかったからである
ところがアメリカでは日本のことを相当に研究して熟知していたのである
日本はその時夜郎自大国になっていたのである
またいくら大国でもすべてが思う通りになるとは限らない、それがベトナム戦争だった
ベトナム戦争ではなぜあれほどアメリカが爆撃しても負けなかったのか?
それは土着的であり地理を知り尽くしていて地下にもぐり食べ物はイモでしのいだとかある、熱帯ではイモが主食ともなり育ちやすいのである
だから日本がでも救荒食物としてサツマイモ取り入れたのである
米だけでぱたりないからである、確かにサツマイモだと米代わりにもなるのである

ウクライナ戦争でもなぜ大国のロシアに負けないのか、それは大国ロシアの奢りがあったウクライナを小国として軽くみた、なめてかかった、でも思わぬ反撃にあって苦しんでいる、そして背後にアメリカとかNATOがいるのにそれも重く考えなかった
そして意外とロシア軍の兵器が旧式でその軍隊も強力なものではなかった
「天の時、地の利、人の和」がやはり通用していたのである
ウクライナは地の利に通じていた、ロシアはそれがない、また人の和でもウクライナには人の和があり自分たちの国を守ろうとする土着的意思かあった、愛国心があった
ロシアにはそうしたものがない、それで士気があがらない、それはベトナム戦争でも同じ事があったのだ、ベトナム人は地理に通じていたし愛国心がありそれでアメリカでも負けた、だからどんなに大国でも必ずしも大国がすべて有利だとはならないのである

そしてこれは戦争のことだが知床観光船の事故でも同じ事が言えたのだ
その観光船を運航していたのは地元の人ではなかった、全国からの寄せ集めだったのである、そしていかにその地形が複雑だったかである、海流も関係していて危険な場所だったのである、それは地元の漁師は熟知していた、また風も関係していた
なぜ転覆したかというと北西の風が強くそれを受けたのも原因だとしている
別な方向の風だったらそうはならなかったとしている
風とか海流とか地形とか複雑にからんで事故になったのである

そのことはこの辺の原発事故でも言えた、そもそも日本で地震が多いから原発には向いていない地形だったのである、津波もあるし原発には向いていない国土だったのである
それでアメリカでは西海岸には原発を作らず東の方に作っていたのである
また竜巻があるので電源を地下も設置していた、でも日本では地下に接することはかえって危険でありそのために津波で浸水して電源がとまり原子炉を冷却できずに大事故になった
これも地の利があり土着的なものとして生活していない人達が作ったためにそうなった
なぜなら東北電力の副社長は三陸の津波のことを知っていて低い土地に作ろうとしたが
10メートルとか高くしろとして作ったのでぎりぎりで助かったのである
それは女川とかは三陸に近いからそういう意識が生まれていたのである
つまり土着的生活をしていればそういうことを意識するからである

とにかく意外と地形とその風土とか天候とかは住んでみないとわかりにくいのである
どういう風が吹くとかもわかりにくい、浜通りだと3月頃に海から東風(こち)が吹く
原発が爆発した時その東風が吹いて山の方に吹いて飯館村が一番被害があった
それは不運だったのである、海の方に吹いていればあんな被害にはならなかったのであるだから一次産業とかなると風土と密接に関係している
農業とか漁業とか林業でもその土地の風土と深く関係している
すると工業にしてもそういうその土地特有の風土とか地形とか海流にでも通じていないと危険になる、それが見逃されて大事故になったのである

またもう一つの原因としして安全より金を稼ぐことが優先される、東電の社長はコスト削減で成果があり社長になったとされている
どうしても経営だと儲けが優先される、今回の知床観光船でもそうだったらしい
社長が危険でも金儲けを優先して船をあえてださせた、それは原発事故とも似ている
それは人間一般に共通している、つまり失敗の原因は共通したものがありカルマとして起こる
奢りが失敗の原因だというとき事業で失敗した人も技術者としては優れていても経営者になったときうまくいかず失敗したとなる、俺は優秀だという奢りがあり失敗したとなる
人間は本当は自然のことでもなんでも知り尽くすことはできない、それは万能の神しかしりえない、そしてウィルスでも未知のことが起きてきて対処できない
でも科学万能社会になると科学でなんでもできると過信するようになる
そして科学者が技術者が神官となったのが現代である
そうして「安全神話」が作られたのである、そして日本の技術は優秀だから安全だとしていたのである、事故は起きないという確信までになっていたのである
それも打ち砕かれたのである

ともかく安全を無視するときでも何でも人間には責任が課せられている
それで今回のような知床観光船事故でも20数名が死んだというときその責任は余りにも重すぎたから恐怖である、そんな責任を負えるのかとなる
もう死んでお詫びするほかないとなまでなる、金銭的にも賠償は無理になるからだ
原発事故の被害も故郷に住めなくなるとか甚大だった、でもその責任が上の人はとっていない、誰もとっていないのである、天下りした官僚も大きな金をもらっていても
責任をとっていない、金だけはもらえますとなっているだけなのである

つくづく庶民が侍になりたくなかったというとき責任をとらされるからである
切腹させられるからである、それだけ重い責任をになえないとして侍になりたくなかったのである、でも今だと金だけはもらいます、責任はとりませんとなっているのである
そうはいっても戦争の結果でも3百万人死んだとか原発事故でも観光船でも20数名が死んだということでその責任は余りにも重すぎるものとなったのである
プーチン戦争の暴挙でもロシア兵が相当数死にウクライナ人も甚大な被害を受けた、その責任は誰がとるのかとなる
プーチンは敗戦ならもうロシアから追放か死刑にもなるだろう、それだけの人命であれ失ったのだから当然だともなる
つまりそれだけの責任を引き受けざるをえないのである
上にたつことはそれだけの責任を引き受けることだからいいようでも庶民が侍になりたくないという気持ちがわかる
責任が余りにも重すぎるからである

posted by 天華 at 08:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

知床観光船の社長は借金して余裕がなかった (モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)


知床観光船の社長は借金して余裕がなかった

(モラルなき社会で起きる事故事件ー原発事故もそうだった)

事業を拡大し続け、借金を重ね、銀行からお金を借りられないくらい、借金が増えていたようです。他の会社は元漁師や経験者が経営に携わっているのに、知識も経験もない桂田さんが、なんで観光船なんかに手を出したのか、疑問に思っていた。

借金していたということでこうなった、借金に追われていてもう安全をみれなかった
なんとか金にしようとなった、こういうことが本当に多いのである
余裕がないことがこういう結果になる
一回二回くらい危険なんだから無理して出なくても良かった
そもそも借金から犯罪になるのが推理ドラマの定番なのである
借金していることが犯罪の動機になっていることが多いのである
だから借金しているかどうか調べるのである

ただ本当に事業している人でも失敗して借金している人が多いのである
この人は借金に借金を重ねていたのである、それでけ余裕がないからこういう事故が起きた、借金はそれだけ怖いのである、なんとか返すとなり犯罪にもなるからだ
だから事業でも経営となると資金が必要だけど借金して始めるとなると危険にもなる
ただ見通しがあればいいがそれがなかったりしたらやめるべきだとなる
でも自分はやれると思って事業を始めるのだからそれを止めることもできない
実際事業で成功するのは20人一人とかしかいないのである
それだけの確率でしか成功しない、すると簡単に事業はできないとなる

こうして借金のとばっちりを受けて20数人も死んだということである
だから借金は怖いのである、事業とか経営となると額が大きいから危険になる
簡単に返せない額だからである、小さい額でも借金に追われて苦しんでいる人はいる
でもそれはたいした額ではない、それでもヤクザ風の人が来て絶えず脅されたりしていたのである
私の家で店を始める時、5万だったのか今ならその十倍の金になっていたかもしれない
ただ戦後まもなくで小さな店であっても一応金がかかったから銀行から借りようとしたが銀行では貸してくれなかったのである
ただその時は何もない時代であらゆる小店でも下請けの町工場でももうかった事業に成功していたのである、そういう時代だったら銀行で金を貸しても良かったが銀行はなかなか担保がないと貸さないのである

ともかくこの事故の原因はこんな借金に追われているような社長だから起きた
他にいろいろ理由があると思ったがこれはもう社長の責任であり他にはない
情状酌量の余地もない、でも乗客はそんな事情など知らないのである
だから不運ともなる、仲間の業者も危険だから出ない方がいいというのあえて船をだしたのは借金のためだったのである

ともかく事業者でも経営者でも今回だったら船の操作のことや天候や地形や海流のことなどを知る人がやるべきだと書いたがそれ以前の問題だったのである

モラルが喪失した人が経営者になっていた!

このことが最大の問題だったのである、何か技術関係だと理系であり技術者として優れていればいいとなる、でも何か経営者というのはモラルが関係している
そんなものどうでもいいとみる人もいる、文系なんか科学のこと技術のことを知らないのだから何も言うなということにもなる
でも経営となるとモラルが関係してくる、原発事故の原因はそもそも嘘をついていたり
御用学者でも技術者でも本当のことを知らせないという単純なモラルが喪失していて
事故になったということもある、嘘でも隠していて「安全神話」を作っていたのである
モラルはむずかしいことではない

嘘をつくな!

ただそれだけのことであるがこれがどれだけむずかしいか、守れないか?いろいろな営業でも立場でも嘘つかずに仕事ができないということがある
でもそれが恐ろしい結果にもなる、だから経営者となるとモラルが関係している
それから会社の社長がトイレ掃除していたというときもそれなりの理由がある
そんなことする必要がないという優秀な技術者とかいる
でも人間は謙虚な心が必要でありただ社長だから威張っているだけでは勤まらないともみる、こういうことで経営には宗教も関係するともなる

その人はまず人に対して何もする気がない、ただ威張っていたいということで事業を始めた、自分は優秀なんだということを示したいということで始めたようだ
だから人のためには何もしたくない、現実に自分でも苦しんでいる人でも自ら荷物一つも持ちたくない人だったのである
そんなこと社員でもすればいいとなるがそういう人のために何もしたくない、助けたくないという人が社長になれるのかとなる
ただ技術的に優れているとかだけで理系で経営者になれるとも思えないのである
原発を運営していた幹部は嘘をついていた、「安全神話」を作り嘘をついていた
危険なことを言わなかったことが問題だったのである
そうなれば何も安全を計ることはない、努力する必要もないからである
ただ拝んでいれば安全だともなるからである、「安全、安全」と唱えていれば安全だとなってしまうからでなしる、それは科学者にふさわしくないものだったのである

この知床の観光船事故は全くモラルの欠如が原因だった、他のことは関係なかったのである
こうして全くモラルに欠如した人でも経営者になれるということが問題だったのである
でも何かこうした観光業者の社長でもこの人はどんな人なのかモラルのことなど問わないのである、技術的なことは問題にするがモラルは問題にしないのである
そして借金のことも問題にしない、いちいち調べたりしないとなる
でも借金していてその人がどんな人か回りの人は知っていたのである
そういう人でも社長になれたということが問題なのである
ただモラルなど関係ない、社長は利益をあげる人ができる人で出世するとなる
それで東電の社長はコストカッターとしてのし上がり社長になっていたのである
その人のモラルがどうのこうなど回りでも問わないのである
つまり利益が上がればいいとしかないのである
それはどこでも会社でもみんなそうだとなる、それが資本主義社会だとなる
だからモラルなき経済でありそれが社会を荒廃させてまた危険にもなる

グロ−バル経済ももともとモラルはない、それは覇権国がアメリカでも世界から富を収奪するシステムである、それでわからないにしてもデーブステートが支配して世界から富を吸い上げられるとしている
何か資本主義がマックスウェバーのキリスト教の修道院からはじまり他者への奉仕のために資本蓄積するということが資本主義の起りだったということでもそうである
何かそこにはモラルがはじまっていた、でもそれが強欲資本主義とか金融資本主義とかに変貌したのである
このモラルなき経済になったとき退廃が生れやがて今回の事故でもそうだが自ら崩壊してゆくともなる
そもそもウクライナ戦争でもアメリカの軍産複合体が戦争を起こしたとか言う時でもそうである、戦争で武器を使うから売れてもうかる、戦争によってもうかる会社というのは
全くモラルなどないのである、アメリカで人道を盛んに言うけどアメリカにモラルなどないのである、もちろんロシアにもモラルはない、人道もない、でもアメリカにもないのである

いづれにしろいろいろな事故の原因を探ると技術的なことやいろいろあるが人間のモラルの荒廃がある、この事故は明らかに社長にはモラルはなくなっていた
借金に追われて客の安全などどうでもいいとまでなっていた
これも恐ろしいことである、そんな人でも社長になれるからである、社長にモラルなど要求しないからである、別にヤクザでも社長になれるともなる
その社長に徳とかモラルなど要求しないのである、どれだけ利益をあげるかもうける人なのかで選ばれるだけだとなるからだ
モラルというときそもそも学校ではただ知識だけを教えられる、受験競争では試験の点数が良ければいい、そして受験戦争に勝った人が指導者になれる
東大が出たら上級官僚になれていい暮らしができるとかしかないのである
全くそこにモラルが消失しているのである、すると利益になればいいということでモラルがないのだからいろいろ問題が起きてくるのである
戦後の社会はアメリカに習い、ギブミーチョコレートから始まった
チョコレートをもらい食べられればいいしかなくなった、そして金をどれだけとれるかで優劣が決まる社会になったのである

明治時代になぜ優秀な人物が出たのか?それは江戸時代の武家の出が多かった、その侍は武士道を身をもって学びモラルを身につけた人である、知識だけの人ではなかった、そういう教育が藩校だけではない、その社会全体で育んでいたのである
だから内村鑑三のような人物がでた、それは侍の家の出でありモラルを生活の中で身につけていたからである
今の社会では戦後ではそうして日本のモラル自体が消失した、ただアメリカに習い利益だけを金だけを追求する社会になったのである、金儲ける人が一番偉いとなったのである、得とか全然重んじない、医者でも医は仁術となっていた
でも医でも教育でもなんでも金が第一であり利益を第一となった社会なのである
そういう社会は獣社会ではないか、もうモラルなき経済であり金をどれだけ稼ぐかですべてが決まるからである

モラルを一番重んじる宗教自体が戦後が新興宗教が興隆したのも全くモラルなどない
創価をはじめとして御利益追求権力追求しかなくなっていたのである
それは会社でも事業でもどれだけ利益をあげるかですべてが決まる社会である
すべての欲望が是認されかえってもっと欲を持てぎらぎらした欲をもてと指導しているのである、これも異常なのだが異常とも思わない、それほどモラルが荒廃してしまった社会になっていたのであるつ
だから原発事故でも追求してきたが今回の事故でもそうだった、ただこれはわかりやすい小さな会社のことだからわかりやすいのである、その悪がまざまざと見えたからである
でも大きな会社になるともう悪があってもわかりにくいのである
それがグロ−バル社会になるとますますわからない、悪は見ることはできない、それで隠されたデーブステートが世界を支配していると言われるようになる
それは見えないからそうなる、見えない暗い場所に悪は住みつきやすいのである

人間の失敗の原因 
(知床観光船事故でも共通したものがあった―戦争、原発事故でも同じ)

知床観光船事故はなぜ起きた (余裕がないことが事故につながる)

借金していたから余裕がなかった!それが事故の原因



posted by 天華 at 17:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層