2022年03月01日

ウクライナでも空間軸と時間軸で見る (歴史は地歴であり空間軸と時間軸で見ることが必須)


ウクライナでも空間軸と時間軸で見る

(歴史は地歴であり空間軸と時間軸で見ることが必須)

なぜ何か世界であれ事件が起きるそれが急激に起こったようになり簡単に理解できないしそこで誤解が生じる
何か事件でも必ず時間軸時系列と空間軸で起きている
起きるはtake placeなのだがまた時間軸で時系列でみることも欠かせない
なぜならウクライナでもクリミア戦争があり国境を接した所でロシア系の住人と争ってきた歴史があった、だから今回のロシアの侵略は時系列でみれば突然起きたことではない
プーチンが異常化して狂気化して全面戦争になったのかといえばそうでもない
ロシア側から見れば必ずしも突飛なことでもない、欧米側からしか見ないからそうなる
EUが約束を破ったことに怒って今回のプーチンのウクライナ侵略があった
つまり何かしら理由があり全く横暴なものでもないともみる

ただウクライナの一部の割譲とかで止まるものだと思っていたがウクライナ全土の掌握して支配することにはならないと西側では思っていたのである
何か事件が起きたというとき最初に場所をに注目する
でも時系列でみるのはそこに常日頃から関心をもっていないとわからないのだ
だから突発的に起り何なのだろうとなり誤解が生まれるのである

人間に起きることは必ず個々人でも何でも空間軸と時間軸で起きているのである
でも空間軸だとどこに起きたということでわかりやすい、でも時間軸で時系列でみるとわかりにくくなる、歴史がわかりにくいのは時系列でみるからである
空間軸だけだったらその場所は地球上から消えたわけでないし空間は人間の歴史が経験されたときから同じように残っているからだ
今でも別に歴史的事件があった場所に何千年前でもその場を踏むことはできる
ただ時系列で起きたことだからそれを理解することが至難になる

それは人間個人でもそうなのである、人間でも必ず生まれた場所とか育った場所とか空間軸が関係している、でも子供の時から育った時間がありその時間の中で人間は形成される親子でも一緒に育たなければ親密さも生れないし親ともならないのである
時間の中で親密さでも愛でも育まれるからである
だから子供の時親と一緒に育たなければ親として認識できなくなる
猫でも犬と育つと犬が親にもなってしまうのである
そして時間でも歴史となるとその時間が長くなる、千年とか二千年とかで見るのも歴史だからである、だから歴史を理解することはむずかしいのである
ただ空間軸で見る時何千年前であれその場は消えたわけではない、今も存在している
でもそこで起きたこと歴史を理解することは簡単にできないのである

まず世界を理解するというとき空間軸にしても広すぎる、ロシアとか中国とかアメリカの広さを空間軸を理解することは簡単にできない、日本とは違った広さだからである
すると空間軸でも理解することもむずかしくまた時間軸だとそれ以上に理解することがむずかしくなる
テレビとかインタ−ネットとか情報社会になっても実際の空間とかは理解できない
そこで誤解が必ず生まれる、それがアメリカのイラク戦争で油まみれになった海鳥の写真だったのである、それは作られた映像だったが世界中の人がこれはひどいと怒りになったでも回りの貞享を映していないからわからなかった、テレビの映像はあくまでもテレビという小さな画面に全体を切り取って映したものであり現実とは違っているのだ

何か時間軸で見るという時、フラワーアレンジメントをして気づくことがあった
花を毎日見ているとその花がやがて心に映ってくる、でも最初は映らない、あまり反映しない、でも毎日見ている内に目立つ花だけではない、何か目立たない花でも見るようになり注目するようになる、だから花を見るという時も時間が必要だとつくづく理解した

我が家の広き間にしも赤き百合匂い放ちてその香の充ちぬ

今日も見る壺に挿す花その色の心に深く映しけるかな

時間の中でそれぞれの花が心に映る、でもそれには時間が必要なのである
毎日見ていると自ずと心に映って記憶に残るとなる
そして人間の生きる時間は限られている、それで熟年離婚などは損だと思う
なぜなら新しくまた結婚して親しく理解しあい愛する時間がなくなっているからだ
時間はそんなに与えられていない、また新しく始めることは人間関係でもむずかしいとなる、人間は親しくなるとか信頼するにも時間が必要なのである
そのためにお手伝いさんとかでも十年働いていたら信用できるとなる
そうして何でも時間がかかる、その時間が人間には限られているのである

これは一つの国を形成するのでもそうである、何千年とかで一つの国ができるとういときそこにはそれだけ時間をかけて一つの国となったということである
一つの国としてのアイディンティティが形成されたとなるのである
その時間軸で形成されたものが理解がむずかしいのである
ウクライナという国はどうして形成されたのか?それがわからないと誤解することになるキエフ公国がありロシアのルーツの国だとしているときもそうである
時間軸で形成されたものがありそれが簡単に理解できないのである
なぜウクライナはロシアと兄弟のようなものだというときもそうである
そのアイディンティティを知ることが簡単にできないのである

ロシア側からみればEUが東欧に拡大したことNATOに支配されたことが不満だというとき
スラブ民族としての歴史があり一体感があるのになぜNATOにつくのかともなる
そもそもヨ−ロッパとは何なのか?東欧といってもそれがヨ−ロッパなのかとなる
そこに民族とか文化とか宗教の相違がありそれはロシアと共通しているというときそうである、ただこれをどうして分けるのかとなるとむずかしくなる
地理的空間的にはライン河がラテン系のローマ帝国の境となりウクライナだとドニエプル河を挟んで西部が西側よりであり東部はロシア寄りだと空間軸では意識されるのである

posted by 天華 at 16:09| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月02日

人間は時間軸で見るのが苦手 (プーチンが過去にこだわって戦争を起こした―ロシア帝国ソビエト連邦の再興)


人間は時間軸で見るのが苦手

(プーチンが過去にこだわって戦争を起こした―ロシア帝国ソビエト連邦の再興)


何か事件が突然に起きる、するとなんなのだろうとすぐに理解できない
それは空間軸と時間軸で事件でも物事は起きて来る
そして人間は時間軸で起きることがすぐに理解できないのである
事件とか何か起きることは必ず時系列で見ないとわからない
それは日常のささいなことでも事件があるが事件が起きた時しか見ないので理解できないでもその前にいろいろ家族であれもめていたし何か事件を起こすような状態になっていたそういうことは他人にはわからないのである

つくづくこの辺で起きたこともそうだった、突然信じられない津波が襲った
ではそれが全くこれまでなかったことかというとそうではない、400年前に相馬藩政記録に生波(いくなみ)で700人溺死と記されていたのである
それはたった二行だったのである、だから学者も津波の後に発見したのである
つまり人間はこうしてとにかく忘れやすいのである
その時代に津波という言葉はなかった、でもその400年前の慶長津波から津波という言葉が生まれたのである

これは400年前だから忘れられても不思議ではないとなる、でも人間は個々人でも忘れやすいのである、第一戦争のことでも忘れやすい、300百万人も死んだのにそれも70年とかすぎると何か非現実化してくる、そんなことあったのとなってしまうのである
でも戦争を経験した人は忘れないのである
私の姉は従軍看護婦でジョホールバル(マレーシア)で4年間過ごしたことが過酷だったので死ぬまでそのことを語っていた
つまり若い時経験した過酷なことは忘れないのである
それぶプーチンもソ連が崩壊するときドイツにいてKGBで働いて非難されて追放されたことが忘れらなかったとなる、それがトラウマとなり大統領になった時そういう経験から
権力を握った時行動するとなる

エカテリーナ2世はヨーロッパにおけるロシアの国際的影響力の拡大を目指し、成功裏に戦争を勝ち進めた。エカテリーナはロシアの皇帝の中で初めて、それまでトルコの領土であったクリミアをロシアに併合した。またポーランドがロシア、オーストリア、プロイセンの間で分割された後、ロシアは現在のウクライナ、ベラルーシ、リトアニア、ラトビアなどの領地も獲得した。

プーチンがこの時代の再興を夢見てウクライナに侵攻した、それは時間軸ではプーチンが生きている時代ではない、でも歴史的にこのロシア帝国の復活を目指してウクライナに侵攻したとなる

つまり人間の行動の動機とかはその人が生きた時代だけではない、歴史的時間軸時系列で起きて来る、その時間軸、時系列で見るのが人間は苦手なのである
例えば個々人でもその人と合って話する時、空間軸で逢っても時間軸でその人をみることは簡単にできない、一応就職する時履歴書をみて判断がされる
それが時間軸で時系列でその人を見る、判断することになる
でも実際にその人がどういう経験をしたとかは個々人で違っているから判断しにくいのである
カルト教団に入っているような人は子供から洗脳されて他のことが全く見えなくなる
そういうふうにすでに人間が作られてしまいそこから出ることがもうできなくなっている人間はまた育った環境も場所も違うから時系列で見ることが簡単にできないから他者を理解しにくいのである

でも大事なのは時間軸で時系列で見ること

人間に欠けているのは時間軸時系列で見ることが苦手であり簡単にできないから何でも理解しない他者でも理解できないのである
そこに常に大きな失敗の元となっているのだ、そして人間は忘れやすい、70年の人生があったとして50年前となるともうそこで親しく合っていた人でも実在したのかどうかわも怪しくなるほど人間は忘れやすい、その人は子供の時5年間一つ屋根の下で暮らしていた、でもそんな人いなかったというのには驚いた
たいがい子供のころのことを覚えている人が多い、それが全く覚えていない、記憶にないというのもそうである

それで国会議員が弁明するとき〔記憶にありません〕となる
実際人間ほど忘れやすいものはない、実際に生きて経験したとでも50年も過ぎるとそんな人と合ったのそんな人がいたのかとなる、現実に人間は死ぬとたちまち非現実的存在となりそんな人がいたのとなってしまうのである
それはすでに現役をしりぞいた人が退職した人は会社中心に生きてきてそれがなくなり仕事もしていないとその人を覚えている人もいなくなり存在感がなくなり地域でも何もしないと存在が希薄化しているのかいないのかもわからなくなる
そうしているうちに認知症になったりするのが怖いのである

ウクライナのロシアの侵攻も時間軸で時系列で見ると突飛なことでもない、なぜならウクライナであれボーランドであれそこではロシアが支配していたからである
エカテリーナ女帝の時代に支配されていたのである、それが300年だとすると長いからである、だからその時代の復興をプーチンが夢見てウクライナに侵攻した
またナチスと戦ってヨ−ロッパを作ったのはロシアだったとかなる
そうして人間は70年の人生でも過去は忘れるのだが忘れないことがありこだわり生れそれが原因となり行動に移すとなる
ただそういう過去に自分自身が生きていない過去にこだわるとしても実際時代が変わるとそういう過去はもう戻らないし過去はまた錯覚しやすいのである
現代を生きていれば現代からしか歴史を見れないからである、それで常に過去は美化されやすいのである、要するに歴史でも過去になるとただその人のいいようにイメージすることになる、その時どんなに過酷なことがあってもそういうことは過去のことであり自分自身にはその苦しみを受けることがないからである

だから今の時代に前時代的な武力による全面戦争が起こることが理解できない
極致戦争なら理解できるがロシア全軍がウクライナのような国全体を侵略することが理解できないのである、それば核をもちだすということも異常に見えるのである
そのことで世界がまず戸惑ってしまったのである
こんなことあるのとなったのである、ただ情報社会となるからんくら情報を抑えようとしてもできない、どこかからネットを通じてとか情報が入ってくる
それが歯止めになる、ロシアは市民までまきこんでひどいことをするなというのが世界的な感想になり憤りを覚える、それはロシアにとってプーチンにとってかなり不利なことである、まず核で脅すこと自体がロシアは何なのだという驚きがある
常軌を逸しているとかなる,プーチンはナチスとロシアは戦ったとしているがプーチン自体がナチスのヒットラーの独裁者になっているように見えるのだ
そうはいっても軍事力が相手を支配する道具となる、その中に核兵器がある
それで西側も簡単に阻止でないのである

ただタブーとされた核兵器を持ちだしたことはこれは世界で受け入れられない、それが理解できないのである
核の怖さは小国だとウクライナでも核保有国だったが核をもたないことにした
その代りウクライナを守ってくれるという条約があった、それも反故にされた
核の問題のおかしいのは大国だけがいくらでも核をもっていい、一部使用してもいいとかなる、それで前のソ連でもそうだったしロシアでもそうなる
その核兵器を持ったものが今回のように核で脅して実際に使おうとしている
もしただ抑止力としてあるならいいが実際に戦術核でも使うおうとしている
どうしてそんな権利があるのだろうかとなる

大国ならいくら核をもってもいい、止めることはアメリカでもできない、そんなことが理不尽なことは誰でもわかる、だからこそ今回のように核兵器でも使うと脅されたのであるそうならロシアであれ核を持つべきではないとなる、アメリカでも大国でもそうである
核も持つこと自体禁止すべきだとなる、そして原発も今回のウクライナへのロシアの侵攻でわかったように原発自体が武器になる、そこを攻撃されたらこの辺の原発事故のようになる、それも怖いのである、そのためにそもそも原発自体が大きな潜在的危険をかかえているから廃止すべきものなのである、それは平和利用にはならないのである
剣をもつ者は剣で滅びるというとき原発を持つものは原発で滅びるとなるのである

このウクライナへのロシアの侵攻は世界的な影響が大きいものだった、アフガニスタンとかイラクとかあったけどそれは極致的な紛争でもあった
このウクライナのロシアの侵攻はヨ−ロッパ全体に世界的な影響があり第三次世界大戦から核戦争により人類滅亡まで予感されたのである
それだけ衝撃的なことでありそれでなぜこんなことまで現代でロシアがしたのかということになった、それは一人の独裁者で成しえたのか?狂気的になり成しえたのか?
それが止められなかったのか?そして一人の狂気的独裁者によって地球は核戦争で滅亡するともなる恐怖を与えたのである、独裁政権の恐ろしさ示したのである


posted by 天華 at 10:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

聖書のエゼキル書のゴグとはロシアのことなのか? (災難も神によって起こされているのか?終わりの日が近いのか?)


聖書のエゼキル書のゴグとはロシアのことなのか?

(災難も神によって起こされているのか?終わりの日が近いのか?)

21 主なる神は言われる、わたしはゴグに対し、すべての恐れを呼びよせる。すべての人のつるぎは、その兄弟に向けられる。エゼキル書

ゴグはロシアなのか?一人の独裁者プーチンによって世界中が核で脅されて震えた
ロシアとウクライナと兄弟だというときその剣は兄弟に向けられるというときそのことなのか?
兄弟同士でも血で血を争う戦争になるすべての恐れを呼びよせるというのはプーチンが
核兵器を使うと本気で脅迫してきたことである
その世界中の人々が恐れたからである、兄弟同士が戦う、それがウクライナの状態である同じ民族であり親戚も多いというときそうである

ロシアのウクライナ侵攻で日本でも核を持つべきだということが現実的問題として検討すべきだというのもそうである、もうそうしなければ国土を守れないと訴える
それをロシアが世界に見せつけたのである
中国でも日本に対して強い国に弱い国は何も言うな黙っていろとかあからさま言う
つまり台湾に攻めても日本は何も言うなとかロシアでも日本は何も言うなとか脅迫しているのである

何か大国の傲慢が全面的に出てきて小国は何もいうな黙っていろとなる
そういう大国の傲慢が全面に出て来た時代になった
ロシアとソビエト連邦とアメリカの冷戦時代が終わったが今度はロシアと中国とNATOとアメリカの対立が先鋭化してきたのである

なぜプーチンがこれだけの強行をしたのか?

それは誰もわからないという、そんな一人の狂気的人間が人類滅亡を担うのか?
それも不可解である、もしかしたらサタンがプーチンに憑りついてこの恐れを全世界に呼びよせたのか?
一人の狂気的人間によって人類が滅亡の危機にさらされる
それは核兵器を握り操作することができるからそうなる
核兵器はと使わないとはならない、武器を貯えること自体いつかその武器を使うことになる、だから今回プーチンが苦しくなれば苦し紛れに使用する
戦術核とかいってもそれがエスカレートするから怖いのである
血で血で争う見境もなくなるのが戦争である、だから核兵器でも何でも使うようになる
つまり核自体が原発でも核兵器に転用できるものだから平和利用だけにはならないのである
殺人するときかっとなったとき近くにあるもので石でも何でも使用するようになるからである

とにかくプーチンが核を使うからとNATOとかアメリカでも脅したことは単なる脅しではない、それが世界をふるいがらせたのである、そこまで言うのかやるのかと世界中が恐れたことは確かである
それで第三次世界大戦となり核戦争となり人類滅亡へ向かう序章とも見えたのである
これは局地紛争とかではない、世界全面戦争の危険をはらんだものだったか恐怖したのである、これまでは極致戦争であり大国でもあからさまに核を使うなど言わなかったのである

わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく。わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。

 おまえはわたしの民イスラエルを攻めに上り、地をおおう雲のようになる。終わりの日に、そのことは起こる。ゴグよ、わたしはおまえに、わたしの地を攻めさせる。それは、わたしがおまえを使って、国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らがわたしを知るためだ。

わたしはプーチンにわたの地を攻めさせる、わたしはプーチンを使って国々の目の前にわたしが聖であることを示し、彼らが私を知るためだ

すると神がロシアをプーチンを使ってそうさせる、それが今のウクライナ侵攻なのか?
なぜこれほどの戦争をしかけたのか?それが理解できないのである
神は何か幸福をもたらすだけではない、災いをもたらすのも神なのである
ただそれが神になれば明確な意図があってそうしている
モーゼの出エジプトでもそうであるエジプトから脱出するために神がそうさせたのであるそこで様々な災いがもたらされたのである

だからつくづく私の個人的に経験したことでもこの辺でも津浪があり原発があり疫病があり今度は遠いにしろ核で脅す戦争に恐怖に震えたのである
そこから第三次世界大戦になる恐怖になった
この恐怖はベトナム戦争とかイラク戦争とアフガニスタンのテロ戦争とも違う
ロシアという核大国が起こした戦争だから世界が恐怖になったのである
それでこれが何か聖書に書いてある前兆として験しとして現れたのかとみる
なぜこれほど次々に災難がつづくのか?それがこうして偶然に起きているのではなくて
神の意図があって起きている、終末の時の様相を示している
いろいなな見方があるにしろプーチンの独裁者が大きな災難をもたらしたのかということである、災難にも神の意図が働いているのかとなる

わたしは疫病と流血とをもって彼をさばく

疫病も神の裁きの一つなのか?流血とは戦争で今死んでいる人達のことでもある
なぜこうして次々に災難が起きてくるのか?
人類の最期に裁きがある、個々人も全人類も国々も裁かれるとかなるからだ
終末にはそういうことが起きるのか?そういう恐れをもたらしたことは確かなのである
それが全世界にもたらされたことは確かなのである

二千年後にイスラエルが再建されたということは何か大きな意味がある
そのために何かこうした大災難も起きているのかとなる
どうして次々に災難が起きてくるのか解せないからである










posted by 天華 at 20:05| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月04日

欧米側からしか見ない世界の紛争など (ロシアがあれほど強行にウクライナを攻めているのか?)


欧米側からしか見ない世界の紛争など

(ロシアがあれほど強行にウクライナを攻めているのか?)


どうみてもプーチンは悪い奴だ非情だ、正常じゃないとかなる
それが映像のインパクトが強すぎるためである
子供が死んだとかビルが破壊されるとかその映像が強烈すぎる
するとどうしてもなぜこんなことをロシアはするのだ、プーチンはなぜこんにしてまで破壊して殺戮するのだという印象になる

だから人間は確かに不満があったり恨みがあったり憤りもある
でもそのことを全面に出して暴力になるとまた違ったものになる
その仕返しの暴力が強烈な印象となりいくらそういうことが恨まれて同然だとかあっても賛同しにくくなる
とにかくウクライナのロシアの攻撃を見たらロシアが悪い、プーチンが悪いとしか見ないのである、それなりの正当性があってもそうしか見れないのである

実はウクライナにおける反政府デモというものは、私が2008年まで3年間、日本のウクライナ大使をやっておりましたけれども、その時に経験した色々なウクライナの政治状況と比べて、明らかに異なる点があったんですね。それはどういう事かというと、非常に暴力的なデモであったということなんです。暴力的なデモであったという、その一つの原因はですね、2013年から2014年にかけてかなり力を得てきた右派勢力というのがあるんですね。この右派過激派勢力が、いわゆる民主化と称するデモ、反ヤヌコビッチ大統領デモに参加してきたということですね。それでデモが相当暴力化したという事情がありました。

馬渕睦夫が語る虐殺とウクライナ問題の真実

ただここでも時系列でみればそれなりの理由があっことを理解する
これは一連のアラブの春とかオレンジ革命とか民主と自由の戦いとして起きたものの継続だったのである、でもその結果として起きたことはその国民が悲惨なものになっただけである、特にシリアでは国が戦場になりバラバラになり破綻した
その時テレビで女性が売春婦になって金を稼ぐほかなかったと嘆いていた
それで民主とか自由の運動にのせられたのだとか言っていた
それはアメリカが入ってそう仕向けたのである、ネオコンとかが工作していたのである
内戦状態になりシリアでは難民化した、民主とか自由を得るということがいかにも正当化されたが実際はアメリカとヨ−ロッパとかロシアとかの争そい場として国が荒廃してしまったのである

それでイスタンブールにいたとき名古屋の人がシリアに行ったのである
そこで盛んにシリアの人は素朴でいいと感心していたのである
その時シリアはロシア指導の社会主義国家だったのである、その時別に人々は平穏に暮らしていたのである、それは別にそのままで良かった
民主とか自由の革命など必要なかったのである、別に圧制でもなかった
そこに争いをもたらしたのがアメリカとかヨ−ロッパの勢力だったとなる

何か自由と民主とかいうとそれが絶対的善のように見える、でも必ずしもそうではない
それが外国の勢力争いに利用されるときはそうではない、その国の人自らが要求するならいいが外国勢力が入ってくるとそうではなくなる
ウクライナでもクリミアでロシア系の人々が迫害されるとかあった
そこでアメリカのネオコンとかジョージソロスとか投資家とかが入ってきて国内を二分させる争いに加担したのである
なぜならそれまでは反目があっても殺し合いまでにはなっていなかった
それなりり融和して暮らしていたからである
そうして殺し合うまでになったのはアメリカとかの工作員が入ってきて分断したからだとここでは説明している
それが見えたのはやはり日本の大使としてウクライナに駐在していたからわかる
外国のことは結局そこに暮らした人が実感としてわかるのである

私は外国のことなど50まで行ったこともないし知らなかった
外国を旅して多少知ったというだけである、ただ生の情報というか人から直接聞く情報は確かなものがある、シリアの人達が素朴だったというときラオスの人達も素朴だったと外国人が言っていた
この素朴だったということは貧乏でもそう感じるものがあった
それは日本が明治に外国人と接してそのイギリス人がこのように素朴な人達に我々の文明を入れることが本当に幸せにするのかと自問したことと似ている
日本人も外国人が来て欧米化した時、日本的良いものが失われたからである
欧米の文化が文明がすべていいものではない、日本の良さもあったがそれを否定したことが問題だったのである
明治から戦後は戦争に敗れてアメリカ化したことも問題だった
そしてすべてアメリカ的価値観になった、金しか求めるものがなくなって日本は人情すらなくなった、すべてが金であり金しか価値を見ない日本人になったのである
それはアメリカ人と同じになったとなる、日本人がもっていた良さは消失したのである

もちろん日本人がなんでもいいとかならない、でも欧米人のもたらすものが何でもいいとはならない、それを日本人がもっていた良いものを否定して欧米人が持っているものが何でもいいとしたことが失敗だったのである
だから内村鑑三などはキリスト教を受け入れるにしても日本的伝統の武士道を重んじたキリスト教ともなった、外国の宣教師に学ぶべきではないと言っていたのである
欧米人がもたらすものがすべていいものとはならないのである
確かに民主とか自由はいいものであり必要である
でもそれは日本人自身が消化するものであり欧米人に押し付けられるものではないのである、結局アラブの春とかシリアの悲惨さは実際は欧米とかロシアとか外国勢力に分断されて攪乱されるだけのものになった、そこで国は分裂して難民化して悲惨な結果になったからである

このことは日本を肝に命じていた方がいい、日本も外国勢力が入り二分三分化されて国がばらばらになりシリアのような悲惨な結果になるかもしれないからだ
日本はアメリカでも中国でもロシアでも入ってきてシリアのようになるかもしれない
そういう世界の圧力がかかる場になっている、その時国が二分三分して分裂することが
悲惨なたとになるのである
明治維新ではそういう分裂の危機があったが一応内乱もあっだがまとまったことで悲惨な結果にはならなかった、でもアメリカに負けけ弱小国になったとき日本は大国化した中国の隣でありロシアも隣国でありそういう分裂の危機が高まっているのだ
だから日本人自体がそうならないようにまとまることが第一となる
そのことを余程心がけていないとシリアであれウクライナであれ悲惨なことにるなことが目に見えている、ただ日本がそういう位置にある
そういうふうになることがありうる国となっているのだ、ただ日本がまとまれば強さを発揮する、日本はそもそもそういうふうにまとまると強い国だからである
それが悪い方にまとまったのが太平洋戦争だったのである
一億総玉砕とかなったのである、でも良い方にまとまれば外国勢力に分断されないものとなる、それがこれからの肝心なことになる







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2022年03月05日

地政学の逆襲ーロバート・D・カプランを読む (地理の宿命から逃れらない、ウクライナの地理ーロシアには欠かせない土地)


地政学の逆襲ーロバート・D・カプランを読む

(地理の宿命から逃れらない、ウクライナの地理ーロシアには欠かせない土地)

ランドパアーの継承であるドイツとロシアは、シーパアーの継承者たるイギリスとアメリカに比べて何世紀に渡ってより地理的な観点からものごとをとらえてきた
モンゴルの黄金軍団がもたらした荒廃を決して忘れることがなかったロシアにとって
「拡大なくしては侵略されるのみ」を意味する言葉だった

領土はいくらあってもたりなかった、ロシアが冷戦中に東ヨ−ロッパからなる衛星国を必要と下、また旧ソ連邦を再構成しようとして軍事力を使用して破壊工作を行い、エネルギーパイプラインを張り巡らせたのはすべて深い不安の表れだった

地理の非情さとその結果として起る空間をめぐる闘争から逃れることができない
「国際社会は・・・法と秩序を守る中央権力のない社会である

力の追求は道徳的価値を実現するために行われるのではない、力の獲得を容易にするために道徳的価値が用いられるのだ(スパイクマン)

地政学の逆襲ーロバート・D・カプラン

地理から地政学から世界をみるので興味をもった、人間は地理にその住んでいる場所に一番影響する、その住んでいる場所がどうしても世界の中心になる
そこで他の人も多様な世界に住んでいるのだから誤解が生まれる、日本のような島国に住んでいる人達と全くどこまでも平原とか草原とか森林とかがつづく世界ではまるで違ったものになるからだ
日本ではそうした大陸的な地理を根本的に理解できないのである
第一そういう景観などないから理解できない、長大な河でも草原でも砂漠で森林でも理解できない、森林は日本には多いではないかというがロシアとかウクライナでもその森林のスケールが違っている、平地に延々と森林がつづいているのだ
その森林がゲルマンの森となり樅の木の森となり原風景を作っている
その森が中世では覆っていて境界となる、つまり自然が境界となるのである

ウクライナのキエフから80キロくらいにチェノブエリ原発があった
すると意外と近いなと見た、そこは森林におおわれた地域として映されていた
そして原発は放置されて住民は去り元の原始の森林に覆われた
そこにヘラシカとか狼とかが棲むようになった、それはこの辺の原発事故でもイノシシとか猿が森から山からでてきて人のいない家を荒らしたりして荒廃したのとにている
でもヘラシカとか狼がいるということはその辺はまだ原始的環境が残っているのかとなるそれも余りにも広いからイメージもできないのである

この本は地理として世界をみる、人間は地理から逃れられない、宿命としてある
その地理によって国々が自ずと作られるし文明を作られるというのもわかる
世界四大文明が地理でも作られたという時、そこはエジプト文明なら砂漠が防壁となり
多民族の侵入を拒んだ、インダス文明でもインドもヒンドスタン山脈が境界となり異民族の侵入を拒んだ、中国も遊牧民地帯の熾烈な民族の混交する争いの力離れて平和であり
それで文明が生れたとしている、そこには平和があり平和の営みが続けられた結果として文明が成熟する要件を備えていたとしている
遊牧民地帯は消長が激しいのである、国が拡大してもまた別な国が拡大して支配される
そういう地理的興亡の世界である、常に他国が攻められるという地続きの恐怖の中に生きているとなる、だから中国の万里長城が作られたのである
文明とは遊牧民のような移動する民ではない、農業として定着する人達が文明を作ったのである

この世界史から今のウクライナを見る時、ロシアがなぜあのような無謀とも思える行動に出たのか?

それはそういう地理的宿命としてカルマとしてウクライナがあったことなのである
黒海のクリミア半島は海へ出る唯一の土地だからしこを死守して奪ったのである
そしてウクライナをロシアに併合することはロシア帝国再現に不可欠だったのである
そして安全のために不可欠な土地だからあそこまで強行して西側に奪われることを嫌がりあのような無謀をとも思える侵略に踏み切った
それは実際に歴史をみればナポレオンであれナチスドイツであれロシアに攻めて来たからである、そこで一千万単位で死んでいる、それがトラウマとなって恐怖するのもわかる
つまりウクライナはロシアにとって地理的死守するものとしてあったのだ
これは地理の宿命としてあった、地理はこうして人間が地球に住み始めてから影響している、そして地理は変わらないのである、地史的には何十億単位では変わるにしても人間の歴史がはじまってからは基本的に地理は変わらないのである
だから繰り返しそれが業(カルマ)となり争いが地理を巡って終わらないとなる

力の追求は道徳的価値を実現するために行われるのではない、力の獲得を容易にするために道徳的価値が用いられるのだ
(スパイクマン)

道徳的価値をアメリカなどは民主と自由を絶対的善のように言うが実際はそれを口実にアラブの春でもオレンジ革命でもシリアでも扇動してアメリカの覇権を拡大することになる人道的なことを言ってもそうである、もし人道を言うならなぜ日本に原爆を落とせるのかとなるからだ、これこそ人道的道徳的価値の全否定だったからである
ただアメリカの覇権拡大のための戦争だったのである
ロシア側からみれば西側がヨ−ロッパ側がNATOが拡大されることは恐怖なのである
それは歴史的にもそうだったから恐怖になっているのだ
日本だって今や中国が攻めてくる恐怖になっている、ロシアはだからウクライナを併合して西側にNATOに対抗しようとした、アメリカにしても西側にしてもウクライナで工作していた、つまり道徳的価値とか民主とか自由を自分たちの覇権を拡大することのために利用されることがある、もし本当に道徳的価値を人道を言うなら自分たちの国でそれを実行するのかとなるとしないのである

だから最終的人間は人道的な外交とかない、弱肉強食であり中国でもロシアでも日本は何も言うなと脅迫している、小国は何も言うなとなる、でも小国でも道徳的価値とか人道的なことを主張できるのである、でも小国は大国に従いとなる、それがいかに理不尽でもそうなっているのである、だからロシアの強行はひどいとなるがアメリカでもベトナムとかイラクで人道を無視して戦争していたのである
だからロシアばかりを責められないが何かアメリカは道徳的価値を民主とか自由で主張しているから従いとなる
ただ正直ロシアは太平洋戦争でシベリア抑留とか北方四島がとられたかありいい国に見えないのである、自分自身もロシアに好感は持てないのである
ただ冷静にみればアメリカだって道徳的人道的な価値を追求しているわけではない、ただ口実として覇権の拡大を目指しているだけなのである

ただ現代であれだけ無謀なことが暴力が全面に出たことに驚いたのである
核までもちだしたことは許せないとなるしこれは世界世論として責められるべきである
今回は本当に核の脅威を現実のものとして感じた
原発は平和利用だけではない、テロ組織の脅しとして使われるという時本当にロシアのような大国でもあからさまに宣言したら恐怖だったのである
だいづれは核があるかぎり核は利用される、そして世界最終戦争になりハルマゲドンになり人類は滅びる、それで聖書のエゼキル書のゴグがロシアなのかとなった
聖書は預言の書であり予定の書である、だから二千年後でも予言するということがあったそれが現実化して核の原発でも攻撃する世界最終戦争の恐怖にもなったのである

いづれにしろ確かに現代でも地理の制限は活きている、でもミサイルとか飛行機とか宇宙からでも情報戦が行われる時代である
その情報戦からするとテレビにインタ−ネットでも映される映像の衝撃が大きいのであるするとなんでこんなひどいことをするんだと感情的になりロシアへの怒りになる
いろいろ複雑な背景があってもその映像を見たらロシアは許せないとなるのである
だから情報化時代の映像はやはり道徳的なこと人道的なことに反することは簡単にできないとみた、原発まで攻撃することには驚いたからである
いろいろ理由があっても結果的にはロシアは世界の世論からみると不利である
その理由が正当であってもあれだけの暴挙と人道を無視した行為は受け入れられない
それが情報化した世界であり一方的な力の論理が通用しなくなる

そしてどうしても地政学が変わらずあるとしてもそれを乗り越えてきたのが現代の科学技術文明である、通信とかが発達して同時間で世界に知れ渡る
隠して隠しきれないのである、そのことでプーチンは相当に不利になる
いくら正当性を主張しても受け入れられないのである
無差別にでも国民を攻撃してくる映像を見たらいくら人道とは関係なのが国家間の紛争だとしても世界に影響するのが情報化社会である
明らかなことは地理的障壁に制約された時代は依然としてあるとしてもその障壁も通用しなくなる
ただ日本の場合だと中国は隣でありロシアも隣国であり近接しているから地理の影響を受ける、アメリカはもともと地理的障壁が海であり他国が直接攻める脅威はないのである
だから緊迫感に欠けるのである、別に自国を守ればいいとなる、他国は侵入してこないからである、日本はそうはいかない、相当な緊迫感をもたざるをえない国なのである

海に閉ざされる
山々に閉ざされる
森に閉ざされる
砂漠に閉ざされる
河は国を分けるライバル
草原は閉ざすものがない
遊牧民は自由に往き来する
中国とヨ−ロッパは遊牧民地帯の辺境
その押し寄せる凶暴な民族
モンゴルはヨ−ロッパまで進撃する
中国は万里長城を造り
その対抗で中国もヨ−ロッパも作られた
中央アジアは常に動乱の地
ウクライナは西と東のせめぎ合う広大な土地
歴史は地歴でありカルマとなる
この闘争の前に人道は無視される
人類のカルマは繰り返す
力の論理が貫徹される非情の世界
それがウクライナで再現された


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葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)


葉牡丹、蝋梅、こぶし(俳句と短歌の表現ーペンネームを天華にした)

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小林天華

玄関に春の日してやわらぎぬ

村の道蝋梅二本なごむかな

春の星並びて三つきらめきぬ


我が家に手伝う女や紫の葉牡丹静か色を深かめぬ

紫の葉牡丹静か色深め我が元にそ一冬咲きぬ

我が家の広き間にしも赤き百合匂い放ちてその香の充ちぬ

今日も見る壺に挿す花その色の心に深く映しけるかな



森の奥人目に触れずこぶし咲く石は黙してその花宿す

森の奥誰かひそけく去りにしを人目にふれずこぶし咲き暮る



俳句と短歌を並行して出してきたがどうしても俳句は表現に限界を感じる
短すぎるのである、でも短歌はそれなりに深いものができる
それはやはりただ長いということにある、その長さで表現の幅ができている

俳句は写生で作って来たが蝋梅が二本咲いているとか星が三つとか何々が十輪だとか
数を表現する、だから鶏頭の十四五本のありぬべし・・という子規の俳句が問題になったのである、数によって感じ方が違ってくるからである
蝋梅が二本咲いているのと一本では違っている、二本咲いていたのはめずらしいとなる

葉牡丹は冬にふさわしい、家に来る女性は葉牡丹だともなる、何か見映えがしない
苦労して他の女性よりふけてしまったのである、ただ手伝いさんとかではない
実際はほとんどなにもしないからである、一人でいるのもまずいからつきあっているともなる

花でわかったのは花を心に映すには時間がかかる、フラワーアレンジメントでも一週間以上毎日見ていると心に映ってくる、色を深めるという感覚になる
葉牡丹の紫は何かほのぼのとしてにじみでるものがある
人間は空間軸と時間軸で常に構成される、何かを見るにも必ず時間が必要なのである
花でも家の中で長く見ていれば心に深く映じてくるのである

こぶしの花は丸森の森の奥の方に咲いていた、ここは人がほとんど通らない森の道である丸森は森が深いのである、飯館村もそうだが丸森は江戸時代から木材が豊富で相馬藩と伊達藩と米沢藩で争っていた、それだけ森が深いから木材があった
でも最近は山全体がソーラーパネルになったりしているので森が映えないということはある、とにかく科学技術はどうしても自然と相いれないものがあり景観を壊すのである



自分のペンネームを俳号を天華にした、花をテーマにすることが多いからこれがいいと思った、老鶯はやめた、私は天の国に行き花園にいる、花を見て過ごすのである

2022年03月06日

人間は結婚でも子育てもすべきときしないとあとはできない (チャンスを逃し、時間を無駄にするのが人間の一生)


人間は結婚でも子育てもすべきときしないとあとはできない

(チャンスを逃し、時間を無駄にするのが人間の一生)

婚期を逃す
子供持つ時期を逃す
学ぶ時期を逃す
スキルを身につける時期を逃す
相手を知る時期を逃す
愛することを逃す
冒険する時を逃す
チャンスを逃す
.........

韓国で結婚しても子供作らないとか結婚しない人が増えて出生率が世界で一番低い、韓国人がいなくなると将来を心配する、それは日本と同じだった
なぜ子供もたないのか?それは子供を育てることが負担なのである
金銭的にも苦しくなっている人が多いし仕事をしているキャリアウーマンは仕事が出産で仕事が中断されるとブランクができて仕事ができなくなると言っていた

人生の大きな落とし穴は何かするチャンスを必ず逃している
そしてそのチャンスを活かさないともうあとは二度と活かすことができない
それでみんな老人になって後悔するのである
まず後悔しない人はいない、私に後悔がないと言っても実際は後悔している
あの時こうれば良かったとかみんな後悔するのである

将来自分がどういう人間になりたいのか?

それが自分自身にもわからないのである、家具職人になるために丁稚奉公して技術を習得している10代の若者のことを放送していた、それが辛いと泣いていた
ではその家具職人でもそれが将来役立つかとなると今は機械化してAI化するからその家具職人として生きていけるのかとなるとわからない
ただ手でしかできないものがあり丸味も帯びた所は手でないとできないとしている
でも将来的にそうした職業でも生き残れるのかとなるとわからない、やめた人もいる
私は子供の時、ソロバンが得意であった、でもそれが何の役にもたたなかった

全くこれは時間の無駄だったのである、それは私の父親が酒屋の丁稚奉公をしていて
ソロバンを習わせたのである、その後計算はコンピュター化してソロバンは無用化したのである、こういう変化が常にあり若い時習ったことが将来役にたつかどうかわからないのである、もし役にたたなっかたら貴重な若い時の時間を無駄にしたとなる
その方が後悔することになる、ただ家具職人として役にたたなくてもそうした経験は貴重である、なぜなら人生は短い、何であれ経験することは貴重なのである
人間は経験することでも学ぶことでも限られているからである
たちまち時間が過ぎてしまうのである
人間はいくら本を読んでもわからないことがある、経験しないとわからないことがある
だから経験することはなんでも貴重だとなる

とにかく女性でも婚期を逃すなと親がうるさく言う時、女性の華やかな旬の時は短い
すぐに女性でも30過ぎるとおばさんとかなり子供すら産めなくなるのである
それも本当に早いから婚期をうるさく言うのである
男性でも実際婚期があり40になったらもう結婚もできずる一生独身だとなる
それが自分自身でもあった、ただ結婚とか子育てとかは本当に負担である
戦前なら子供をとう思って育てたかというと親に尽くさせるために子供を産んでいたのである、今後進国の人が日本で働いているのは親に仕送りしている
親に尽くこせるために子供を産んでいたのである、今は全然違っている
一人の子供を産み育てることが金銭的に時間的にも労力でも相当な負担になっている
すると本来するべきものができなくなる、仕事していても出産で中断して仕事もできなくなるとかなる、これも人生にとって痛手なのである

人間というのは本当に老人になればわかる、こんなに時間が早く過ぎるのかということに驚くのである、20代の盛りはあっというまに過ぎて30過ぎて40になると白髪でてきておっさんと呼ばれるようになる、そして何かをすることを何でも逃したことに気づく菜のである
求道でも「若き内神を知れ」てあり若いうち求道しないものは老人になってはできない
老人になれば仏教でいう悟りのような境地にはなる、でも神を知ることはできない
それは最もは血気盛んな時にするものであり老人になってはできなくなっているのだ
でも若いうちこの世のものに魅了される、女性でもなんであれ魅了される
そうして夢中になっているうちに時間でもたちまちすぎてしまうのである

結局人間の失敗と後悔は時間を無駄にした

このことに尽きる、何か有意義なことをすべきなのにそのチャンスを活かせなかった
時間を使いなかったということである
自分の家族も全部死んで後悔する、もっと優しくすれば愛すれば良かったとかにもなる
家族にすべきことしなかったことを後悔する、でも死んだらもう何もできないとなる
供養ししても返事も返ってこないのである
だから介護でも苦しいが終わり死ぬとみんなもっと優しくしていれば良かったと後悔しているのである
こうして後悔が人生なりともなっている
いかに時間を有効に活用しなかったかを後悔する、またチャンスを活かせなかったを後悔する、何かチャンスも何回もないのである、一回のチャンスで人生が決まることすらあるそして一回の失敗でもあとは成功もないということもある
なぜなら何回も挑戦して時間をかけてすることができない、時間がそんなに与えられていないからなのだ

芸術家の8割が独身だというときもし結婚して子育てしてとかなったらとても創作に時間を使いなくなる、その負担が大きすぎるのである、自分の場合たいして才能もないのに
俳句とか短歌とか詩を創りつづけてきた、それは自由な時間を与えられてできたことである、もし結婚して働いて子育てしてとかしたらできないのである
人間は何か身につけるのに必ず時間がかかるのである
花を知るのにも必ずフラワーアレンジメントでも家の中に一週間でも二週間でもさらに長く毎日見ているとその花が心に深く映ってくるのである
とても一日では花でも深く見れないのである

人間の愛と信頼関係でも時間をかかる、即席に相手を信頼できない、家族でも長い間一緒に暮らすことで愛とか信頼関係が生まれる
一緒に暮らさなければ兄弟だろうが姉妹だろうが愛情とか生れない、それで兄弟でも遺産相続では他人でしかたないから殺したりする、それは別に血縁でもありうるがもう一緒に育たなかったら兄弟という感覚はない、私の兄は子供の時5年間は一緒に暮らしたから
辛うじて兄という感覚をもったから今は死んでも供養しているとなる

結局人間は何に時間を費やしたかで決まる、その人を見る場合、この人は何に時間を費やした人なのかを見ればわかる、それが人生だったからである
会社勤めの人は人生の大半を過ごしたのだから会社人生でありそれが人生だったとなる
社畜としてもそれが人生だったとなのである、そもそも才能だってそれを伸ばすには時間がかかるのである、学ぶのにも失敗しているのは効率的に学べない、学ぶ方法が間違っていたとなる、そして時代時代で学ぶことも方法も違っている、今なら学ぶ方法が多様である、youtubeなどは学ぶのにはいいツールである、前なら学校しか学ぶ環境がなかったからである、だから将来的には別に学校に行かなくても学べる環境ができる
するとそこから天才のような人が生れるかもしれない、興味のあることを子供の時育てればそうなる、学校は一律的であり多様な人を育てることがてきないからだ

人間が時間の無駄が多いというとき人間はまた浪費が多い、何かを身につけるには精進が必要である、天才でない限り必ず必要である、芸術にしても何か創作するにしても心の節制が必要である、座禅なんか無駄ではないかとなるが口をつつしむとか心を浄化するとかで心を重点にして修行する、すると心が澄んで透明な水のようになり花でも自然の美を心に映すことになる、でも汚れた世界にいれば汚れた人と交われば心も濁るのである
まずそうした汚れた俗世間に交わると汚れていることは普通だとなってしまう
それでカルト教団などはそこは何ら宗教などない、心がどうだとかそんなことを全く問題にしていない、会員を増やして権力化することしかない、そこにどんな人でも欲深い人でも歓迎される、心を浄化するなど関係ない、ただ御利益求めているから膨大な有象無象の人間が集まる大衆化したものとなる

人間はまた若い時かここうして無駄なことに時間を使いすぎるのである、そして最後はすべて空の空なりで終わる、何で生きたかもわからなくなる
そうして繰り返されてきたのが人間だとなる、そうした業とか欲とか依然として消えないからそうなる、人間社会が変わらないのはそのためなのである
科学技術て進歩しても人間そのものは根本的には変わらないから業をカルマを繰り返すのである

2022年03月07日

人間は経験実感が大事 (ウクライナや外国や地理でも同じ・・一次情報は得られない)


人間は経験実感が大事

(ウクライナや外国や地理でも同じ・・一次情報は得られない)


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長谷川幸洋と高橋洋一のNEWSチャンネル
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/93023?page=6

外国という時どうして実感するかが大事である、その基本にあるのが風土である地理であり地形とかなのである、これを実感することが本当にむずかしい
今日テレビで若い女性が北欧は寒い、日本では体験できない寒さだった
そう言ったのは実感だった、経験だった、そのことから暖房が大事でありロシアの天然
ガスとか石油が重要なものとなる、その寒さに耐えるには暖房が欠かせないのである
韓国も大陸のつづきてあり寒い地域である、だからオンドルが作られた
それは古代に渡来した人がオンドルを作っていたが日本では定着しなかった
西日本だとあたたかいから必要ないともなった

こうして何か学問とかむずかしいことではなく普通の人でもちょっと体験したことから
実感したことから何かを知る、まず地理とか風土とかは体験しない限りわからないのである
その国の文化でも俳句を知るには日本に一年間住んでみないと理解できないのである
だからアメリカとか中国とかロシアとなるとその地理が基本的に実感として理解できないのである、それはちょっと旅したくらいではわからないのである
映像でもテレビを見てもわからない、その空間を実感することはできないからだ
山でも実際は上ってみないとその山を実感できない、山の厳しさとか美は上ってみないとわからない、写真とか動画とか映像でもわからない、北欧は寒いというときそこで風とか温度とか天候を感じないからである

例えば身近でも実感しないとわからない、私は飯館村にどれだけ自転車で行ったかわからない、そこに行くには八木沢峠とか大倉の方から入るにしても七曲の坂がありその坂を上るのが苦労なのである、でもその坂を峠を越えて飯館村についたとき上りきったとき達成感がある、飯館村は標高が600メートルくらいあり夏は涼しく冬は寒いのである
こうして近くでも実感することがむずかしいのである
地理とか風土からしてその基本的なことが実感しにくいのである
だから本を読んでも外国はわからない、百聞は一見にしかずとなる
北欧に行って寒さを感じたらロシアの天然ガスは必要でありそれを断たれることは辛いとなる、そこから外国の理解が深まるのである
それで外国に留学したりビジネスしりして直接外国人と接している人は本を読んでいる学者より外国を知っているのである

ウクライナとかロシアの紛争にしてもまず理解することがむずかしい
地理的風土的なことが実感できない、どうしてチェルノブエリ原発がキエフから百キロの地点にあった、それは福島原発だったら仙台市あたりの距離だったのである
ただそこは森が広がり事故の後は住民は去り元の原始の森とか原野に還ったのである
この辺とは違った風景なのである、そして森に埋もれて原野にはヘラジカとか狼が還ってきたのである、つまりそうした原野のようなものが残っている地帯だったとなる
だから住民は一時的に原発があり団地を造り働いていた、ただ農業する人もいたが放置して森に埋もれてしまったとなる
福島原発ではもともとそこには町があり村があった地域であり古代からでも人が住んでいたのである、だからそこを捨てて別な地域に移住することが簡単にできない
移住する広い土地もないからできない、明治以降に侍は職を失ったが北海道に移住して
農業をした、そこを開墾するには相当な苦労があった、機械もないからである
それを北海道の人に聞いたのである程度実感する

人間にとって大事なのは経験と実感である、外国に行かないで本ばかり読んでいても実感がないから一回でも外国に行った人の方が実は外国を知っているとなる
私は50歳で外国に行ったから遅かったとなる
イスタンブールまで行ったけど黒海まで行かなかったのが失敗した
ただウクライナに友達がいるとして行った人がいた
ウクライナでも今日高橋洋一チャンネルで言っていた、ロシアの専門家も今回のウクライナ侵攻は予測できなかった、学者でも実は一次情報に接していないという
一次情報とはロシアの人達から直接聞くことだとしている
それができないと実感として理解できない、たいがい二次情報なのである
アメリカの機関でありそこから情報を分析して伝えているとかが多い、直接接して聞いたりした人ではない、すると実感したものではないからわからないとしている
それで感が大事だとしている

一次情報が知り得ない

感が大事である

でもプーチンに直接接した人はいないのだから誰も本当のことは理解できないとしているウクライナの本当のことは放送でもわからない、あくまでもその本人が聞けないし二次情報になるからである、それはマスコミでも二次情報なのである
一次情報となるともしその地元の人から聞くとしたら語学が地元の人と同じくらい話せないと得られない、実感できないのである
そこで私はイスタンブールで名古屋の人がシリアの人は素朴でいいと何度も言っていたのでその人の実感で言ったいたので感じるものがあった
ロシアの社会主義国家でも別に紛争がないときには人々は平和に暮らしていて素朴な人達だったのである、だからそういう場所で外国勢力が入り分断されたことが不幸にしたのである、西側の民主とか自由の運動は実際はアメリカ側の工作でありシリア人が自ら求めたものでもない、第一アメリカ側の工作員が入っていたともなるからだ
デモを扇動していたのは西側でありアメリカ人だったともなる

このように外国を理解するのは実感が得られないから誤解することになる
またプーチンが悪いとただ一方的になるのである、ロシアとかの情報は入らない
報道でも西側からしか入らない、専門の学者ですらわからないものが素人がわるはずがないとなる
とにかく人間はグロ−バル化して外国の理解が不可欠になった
でもそれが最高にむずかしいのである、その基本として地理とか風土がわかないからだ
感が大事というときやはり直感というものがありそういうものに頼る方が意外とあたるとなる
地震でも震度何度とか良く放送するけど数字だけでは表せないものがある
実際は震度いくらといってもそれより大きく実感として感じることがあるからだ
そこで直感を感じてすぐに避難した人は助かった、動物はこうしした本能的に感が鋭いから安全を計る
機械とかばかり頼っていると失敗する、人間の間の方が大事だともなる

特にロシアは自由に旅行もできないから一般のレベルでも未知の世界になっている
私はロシアに一回行ったがそれも良くわからなかった、ただアムール川を見たときは大きい河だと印象に残った、それは日本で見かけない大きな河である
その河と運河のような河ではなく激しく流れている河だったのである
これも実感したからわかったことなのである

中国でも広すぎて三回行ってもわからない国である

万輪の木槿や中国の鉄路かな

どこまでも木槿が延々と咲いていたことを思い出す、途切れることなく咲いていた、そういう風景は大陸的であり中国的だとなる
俳句でも子規の写生論だと実際にそのまま見たことを俳句にすることである、それは実感を基にしているからだ

とにかく実感するというとき宇宙旅行でもそうである、地球を宇宙から見たときどう思うかとなる、それで科学者より詩人とか画家とか芸術家を乗せてみるべきだというのもわかる、つまり芸術家の感性でどう感じるかということである
そこで世界観も変わる、でもこの実感をえることは経験しない限り得られないのである
ということは人間が経験したり実感できる範囲は非常に狭いということである
例えば福島県でも浜通りと中通りと会津では気候も風土も地理も違ってる
浜通りだといつも阿武隈山脈高原にさえぎられて中通りの方が見えない、会津はかけ離れた感じになり地理的一体感がもてないのである
会津だと二千メートル級の山がひしめいている、この辺で高くても400メートルだからものたりないのである、ただ蔵王は見えるのである

いづれにしろ人間は一次情報が直接聞いたりして感じることが大事になる
人間は接しいるのはたいがいテレビでも何でも二次情報なのである
そこで誤解が生れるのである、直接生の情報に接することができないからだ
それは専門の学者でもアメリカが調べたとか二次情報を分析しているだけだというときもそうである、だから誰も専門の学者でも今回のロシアのウクライナ侵攻は予想しなかったと言っているのである

posted by 天華 at 10:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年03月08日

なぜ無謀なことが起きるのか?(権力の怖さ) (ロシアの独裁政権や日本の戦争、事業の失敗)


なぜ無謀なことが起きるのか?(権力の怖さ)

(ロシアの独裁政権や日本の戦争、事業の失敗)

ロシアのプーチンがなぜウクライナ全土まで征服しようとしたのか?
その理屈はある、でもそれは無謀だった
それが実行されたのは経緯を見ればわかる
クリミア半島の領土戦争で成功していたことである、その時プーチンの支持率があがった今度も支持されると思っていたのである

●成功がある

●傲慢になる

●誰も側近でもとめられない独裁政権

これが近くの事業を起こした人に似ていたのである
その人は理系で技術者として一級の免許をもっていて優秀だった
それで事業をはじめた、それも一人で始めたのである
その事業はハウス関係で全国展開したのである
そんなことで一人でできるのか?
それ自体無謀だったのである、でも家族とかはビジネスのことなど何もわからない

その無謀な計画を止める人がいなかった!

そして失敗して多額の借金をかかえてしまった、そのことで自分も関係していたので苦しい時そんなことを持ち込まれても何もできない、自分自身が四苦八苦していたからである
何かこれがロシアのプーチンと似ていたのである、クリミアで成功した、次は全国制覇だウクライナ全土の征服だとなったのである
もし一部のルガンスクとかロシア人が迫害された地域を奪うというならわかるしクリミア半島でもわかる、だから成功したのである
ただクリミア半島で成功したことがさらにウクライナ全土を奪うとなりそれが無謀になった
これは日本の戦争と似ているともなる、戦線が無限のように拡大してしまったのである
台湾とか朝鮮半島くらいで収めていれば300万人も死ぬような戦争にはならなかった

ただこの無謀さは別に個々人でもある、若い時はみんな無謀である、何か危険をかえりみない、それはそれで許される面はある、でも国家の代表には許されない
でもそれはドイツのナチスでもあったし日本でもあったのである
だからこういうことは別に特殊なことではない、過去にもあったし今もあるとなる
それが民主主義でもある、別にナチスでも民主主義で生まれたからである
大衆民主主義はファシズムになりやすいのである、なぜならただ数が多いことが正義となり数が権力となるからである

要するに人間社会の最大の問題がどうして権力を抑えるか?

権力の横暴を抑えるか?

これが大問題なのである、権力を持つ者をだれにするのか、どうするのかが大問題なのである
なぜなら今回のウクライナ侵略でもプーチン一人の独裁者で決められたからである
そして核で脅してきた、これも恐ろしいと思った、そんなことができたのは独裁者が権力を握ったからである、すると狂気的な一人の人間が核のボタンを押して人類滅亡となる恐怖をもったのである

今回のことで権力がどういうものかあからさまに見えた
権力とは軍事力であり警察力である、この権力を握ったものが本当の権力者である
つまり軍隊に命令できる者が権力者である
そして若い兵士が何かわからないままに戦場で死んでいったりする、それも残酷だとなるそういうことは過去の戦争でもあった、日本でもあった
私の姉は従軍看護婦であり赤紙一枚で呼びだされて有無を言わさずシンガポールの向かいのジョホールバルで四年間働いてた、そこは地獄だったのである
突然地獄に落とされたともなるのだ、ロシアの若い兵士も訓練のために行かされたとしているのと似ている、そこは地獄の々戦場であり死んでいる人もいる
だからウクライナのロシアの侵攻をみても人間は依然として愚かなことを繰り返してカルマをくりかえしていると見た

人間の問題をどうしたら権力を操作できるのか?それが大問題だから三権分立ができた
でもそれも実際は効果的ともならない、それで私は原発事故で追求してきたのはその権力のことなのである、安全神話はあらゆる権力が一体になり作られてできたものだからである、検察でも例外ではない、そのことは検察とか海上保安庁とか警察とかまで天下り先として東電から多額の金をもらっていたからである
そして検察でももう裁判になったらほぼ100パーセント近く有罪になるというときもう検察は強制的にでも有罪にする力があるから怖いとなる
検察が公平とはならないのである、そして検察はアメリカの言うことには逆らえない
原発でもアメリカの要請があり作られた側面がある、つまり権力というとき日本だけではないさらに背後に大きな権力がある、それがアメリカだとなり中国にもなる
だからウクライナでもその背後に大きな権力がある、ヨ−ロッパのNATOでありアメリカの軍事専門家がウクライナで前から軍事訓練をしていた、だからロシアに抵抗できるとしている

要するに人間は権力そのものを操作できない、でも権力をもちたいとなる
その権力の最大なものが軍事力であり警察でありこれは暴力であるが検察とか裁判にしても公平ではない、やはりそれも権力でありそれも公平ではない、そもそも東電に天下りして利益を得ていたのだからそこからてもう公平ではない
またカルト教団なども権力を追求している、オウムでも王国をつくるために武器をサリンでも作っていた、それが何か狂気にも見えたがロシアのプーチンでも麻原にも見えたのである、核で脅してきたからである、つまり国家レベルでもオウムになっていたと指摘された、原発が国家レベルでオウム化していたのである
カルト教団でもただ人数を集め大衆化して権力を追求している、創価では365日選挙一色でありそのために祈っている、これもオウムと似ているのである

権力という時軍事力や暴力だけではない、現代なら大衆民主主義であり金と数が政治だというとき権力だとなる、その権力を人間は操作できない
マスコミも権力を作る大きな組織である、でもこれも原発でわかったように全部朝日新聞でも原発推進となっていた、なぜなら宣伝費で成り立っているからだ
福島県の「政経東北」でも地元の問題を追求しているように見えたが除染マネー何十億を山分けしていた、その裏表紙全面で相双リテックの宣伝としてのせていた
としたらそもそもいろいろ悪を追求しているがそんなことができるのかとなる
そこで信頼が失墜しているともならないのか?ただそういうことに読者も怒りもしないのである

まずマスコミも権力側につく、宣伝費をもらうためにそうする、福島民報でも創価の聖教新聞を刷っているから批判はしない、つまり報道は権力ある者にによって操作されているのである、そうして戦争になり300万人が死んだり原発事故が起きたりする
それが国民とか大衆でも関係ないかとなると必ず誰かが責任をとらされるようにこの世はなっているのである、権力がどうだこうだと言ってもその責任は必ず誰かかがとらされるそんなこと知らないよとか関係ないよとか言ってもとらされる
それがナチスの戦争だったり日本の戦争だったり原発事故で故郷に住めなくなったりとか必ず責任をとらされるのである、今回でもプーチンが悪いとしてもその権力と戦わないと若者の兵士が無惨に死んでいるのである
その責任は誰がとるのかとなる、権力者はとれとなるがとらない、ただ権力者の犠牲になるだけだとなる

だから聖書でみどり子に治めさせよとか老子の無権力の思想が生れた
つまり権力を求めること自体が権力者になることがふさわしいものではない、何も欲もない人がその地位にあれば問題は起きないともなるがそれは不可能だとなる
結局この世を治めることはできない、理想はこの世で実現しない、この世とは常にバベル(混乱)なのだ、そうして無謀なことが起り無惨に無益に人が死んでゆく世界である
そのく繰り返しなのである

posted by 天華 at 08:48| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層