2022年02月26日

ロシアのヨ−ロッパへの不満ー昨日の友は今日の敵 (ロシアは1500万人くらい死んで犠牲になった)


ロシアのヨ−ロッパへの不満ー昨日の友は今日の敵

(ロシアは1500万人くらい死んで犠牲になった)


なぜ諺が活きているのか、それは人間の本質が変わらないからである
どんなに科学技術が進歩したからと言って人間の心は変わらない、本質的に変わらない
そのあくなき欲がなくならないわげでもない、だから諺は普遍的な真理ともなる
国際関係でもそうである、ロシアが今のヨ−ロッパを作ったというきナチスドイツと協同して戦ったことがありその時は友だったのである、それがアメリカとソ連の冷戦となり
消失した、でもロシアにすれば今のヨ−ロッパの秩序を作ったのは私たちだとしている
それがG7にも入れてもらえないとか不満になっていた
それは日本だってそうである、鬼畜米英とか戦争になっていたのに昨日の敵は今日の友ともなっていたのである、こうして人間はその時々の情勢で変わってしまうのである
中国だってあれほど日中友好を言っていたのに今や中国が巨大化すると尖閣でも台湾でも自国の領土といい日本は黙っていろとなる

日中友好のときは中国は弱小国だったし日本は先進国で大国にもなっていた
それが逆転したとき昨日の友は今日の敵だとなってしまう
これが人間の真実であり人間の友好関係などもろいのである

「中国では井戸を掘ってくれた人を
 大切にします。

  1972年の日中国交正常化は、
  田中先生のご尽力によるものでした。

こんな時代もあったがまるで今は違う、ウクライナに侵攻したロシアをみて日本が制裁したら強い国には逆らうなとか言っている
つまり過去に日本が援助したことなども感謝もしないなのである
「昨日の友は今日の敵」なのである
そういう繰り返しがカルマが人間であり国際関係でもあったのだ
特に国際関係になると三国志の世界でもある、他国は信用できないのである
だから相手の国の国力をそぐことをしていた
相手に力をつけさせないのである、参勤交代にしても日本を治めるのに大名の力をそぐためにしていとなる
ある一藩だけが大きくなることは危険になる、反乱を起こされたりしたら危険になる

ロシアにしてみれば第二次世界大戦ではアメリカとも協力して多大な人数の犠牲をはらったのになぜか冷たいとみるようになった
ただ冷戦の結果としてそうなった
ともかく条約とか交わしても破られるし実行されない、誓っても誓いは破られる
これが人間の現実である、そういう人間の業みたいなものが変わらないから同じことを繰り返しているのだ
歴史は繰り返すというとき人間が本質的に変わらないからそうなる
カルマを繰り返すのである、カルマとは繰り返すこだからである
それは人間個々人にも必ずあてはまる、延々と同じことを繰り返しているのである
誓いを破らいなのは契約を破らないのは神しかいないとなるのだ
だから誓うなというとき人間は誓っても守れないからである

ただ今回はNATOにウクライナは加盟していないし条約も結んでいないから軍隊を送らないとしている、条約は大事だとしている、でも条約はすべてではない、破られる
だから安保条約にしても日本が本当に中国でも攻めて来たら守るのかとなるとわからない信用できないのである、要するに自国は自国で守らない限り守れないということである
だから核を持てとか戦争の準備をしろとかではない、戦後は防衛は全部アメリカまかせになったことが問題である、そこで軍備に力をそそぐことがなかったから経済的には高度成長があり豊かになったのである

結局国際関係は戦国時代と変わりない、弱肉強食の世界なのである、弱者化すれも襲ってくるし強くなれば弱者を襲ってくる
これが人間の本質なのである、それは個々人でもそうである、相手が弱ってくると攻めてくる、それで自分の家でそうなったことを延々と書いてきた
あらゆる人から攻められるだけだったからである

諺(ことわぜ)というとき金の切れ目が縁の切れ目でもそうである
たれも嫌というほど味わった、たいした縁でもないがそうして全部切れたとなる
金があるうちは関係しても金がなくなるととたんに寄り付かなくなったりする
まず金を払いそうしたら多少助けてやるとかになっている
最初から相手が弱ったら金をまずよこせとなる、相手も借金していたからそうなった

今回のロシアのウクライナ侵攻はいろいろ考えさせられた
戦国時代の再現でもあった、ゼレンスキー大統領が私は家族も自分もキエフにとどまり戦うというときもそうである
戦国時代なら城に籠城して戦う、そしてロシア側にすると大統領の首をとりそれで今度はロシアの傀儡政権を作る、戦国時代の再現のように見えた
だから大統領は殿様であり相当な覚悟を必要な地位にある、何か権力を得て贅沢をするとかではない、犠牲にもなる立場にある、それで何か原発事故で当時の南相馬市の市長が逃げたとか話題になった、これは嘘だったらしい
ゼレンスキーはキエフにとどまるということを声明した、それだけの覚悟を見せた
こういうとき何か真価が試されて発揮されることがある
ただ情勢はこういうとき刻々変わるから理解するのがむずかしいのである

これは台湾有事とか尖閣占領とかとも関係している、アメリカはどこまで中国と戦う決意があるというのがわからないのである
中国は日本に対してウクライナを見て制裁などするな黙っていなとなる、強い国には手を出すな黙っていろと言っている、恐喝しているのである
日中友好の時代とはまるで変ったしまったのである
強者になったとき変わってしまったのである、だから人間でもこうして変わるから信用できないとなる

いづれにしろなぜこのロシアの侵攻が恐怖だったのは何千発の核があるとか脅したことである、だから核というのは怖いのである、それを実行したら人類滅亡だからである
それでまた戦争ができないようもなった、でも小競り合いでもしているときなんかの調子で核を使いそれが拡大すると怖い、戦術核とか言っているから一部核を使用するとまでなっているからだ、核兵器と原発も武器になる、放射性物質をばらまくぞとなると武器になる、つまり人間は戦争では何でも武器にしたからである
モンゴルではペストが広がったとき、ペストに感染した人間を城にほうりこんだ
どんなことでもするのが戦争になる、歯止めがきかなくなる
核を持っていること自体大きなリスクでありそれで人類滅亡の恐怖におののくことになる
グロ−バル社会になるとどこかで紛争があると世界全体に影響する
即座に報道されて恐怖する、それが戦前とかの相違であり情報社会の中で起きるから実況中継もある、それを面白がる人もいる、そのことで自制することもある、つまり世界世論がインタ−ネットで形成されやすい、それも見方がいろいろあるにしてもあまり残虐なことがわかると世界世論が形成され責められ不利になることがある
それが情報社会のいい点ではある、でもロシアで情報統制されるし中国でもされる
民主主義国家でないとそうなる、だから政権を倒すことは簡単にできない
暗殺とか暴力になってしまうだろう、それが内乱にも発展する
内乱になると外国勢力が入り込み複雑化してくる、そして犠牲も増える

ただこれが見過ごせないのはグロ−バル化で直接日本にも関係してくることである
実際ロシアは北方領土問題とか隣国でもあり直接関係する国なのである
日本の方に向いていた兵をウクライナに集めたというのもそうである
ロシアは領土が広いから支配するのもむずかしいとはなる
中国人がすでにロシア領内に入り込んで商売して中国人の国のようになっているというのもそうである、そしてシベリアのような寒い地域には住みたくないとなり人口は増えないのである
結局ナポレオンでもナチスドイツでもモスクワまで攻めても負けた
寒さに負けたともなる、寒さが障壁となっていたのである、日本は海が障壁となっていた地政学的にロシアは寒さで苦しめられていたが防衛では有利になっていた
気候でもやはり戦争には常に関係して勝敗が決められるのである
posted by 天華 at 10:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2022年02月27日

ウクライナの歴史ー国境からみる世界史 (遊牧民を知らないと理解できない)


ウクライナの歴史ー国境からみる世界史

(遊牧民を知らないと理解できない)

●境界から国境から見る歴史

2014年4月1日までに約3,000人の住民がクリミア半島から逃れたとされ、その80%はクリミア・タタール人だったとされる

現在クリミア・タタール、ヴォルガ・タタール、シベリア・タタールと呼ばれるような民族が形成されていった。タタールの中には、ロシアやルーマニアに移住して、キリスト教を受け入れて現地に同化する者も多く現われており

歴史で大事なのは国境なのである、なぜ国境ができたのかを知る必要がある

●自然地理的境界

●歴史的民族的境界

●行政的境界


自然地理的境界というときわかりやすい、基本的には自然の境界だからである
山とか海とか河が境界になる、それは地理的なものとして認識しやすいのである
そしてこれは地球ができたときからあり変わらないのである
地理を人間の力では変えられないのである、山を削って平にするとか川を埋めるとか海をなくすことができないからである
だからそれは人間の歴史が始まる前からあったのである
例えば自分の住んでいる所は福島県の浜通りでありどうしても山脈にさえぎられているから福島県といっても一体感を感じないのである
議員選挙区でも同じでも福島市とは山で遮られてそこは見えないのである

第一福島県とは明治以降の人工的に行政区域として作られた、廃藩置県がもともとの自然境界を無視して作られたのである
だから福島県というと地理的一体感がないのである
会津となると地理的にも歴史的にも古代から別個の大きな国だったのである
そうしてそもそも地形とか変わらないから会津は福島県でも気候的にも雪国であり山に囲まれていて別個の大きな一つの国だとなる
だから阿武隈山脈が高原が実際は依然として境となり障壁となってて一体感が福島県では感じないのである、これは自然を変えられないからどうにもならないのである

この自然境界から世界をみればヨ−ロッパだとフランスとスペインの境はピレネー山脈でありライン河はラテン民族のローマ帝国の進出をゲルマン民族がとめた河だとなる
ゲルマン民族は強固なアイディンティティを形成した民族である
だから今回でも自然的境界からみればウクライナだとドニエプル河をはさんで境界となり別個の国があっとなる、それでドニエプル河を挟んでロシアが東部を支配して西部をヨ−ロッパ側が支配するともなる、そうみればわかりやすいのである

●ウクライナとロシアの国境

でもなぜウクライナとロシアの国境があるのか?

これがわかりにくい、ロシア系とウクライナ系で民族抗争があり紛争になり人もかなり死んでいるのである、だからどうしてその国境が作られたのか?それを知るべきだとなる
確かなことはロシアであれトルコであれタタール人の末裔だとなる
トルコは突厥でありタタールはもともと韃靼人(だったん)人である
東欧系はモンゴルなど平原とか砂漠とか広大な遊牧民の地域から移住してきたのである
羊を飼い馬の操作にたけた民族である、だからこそ移動しやすいから天幕を張り家自体が移動するからヨ−ロッパにも押し寄せて来たとなる
そこで複雑な国家形成となった、東欧の諸国なの成立ちはこうした中央アジアからモンゴルから移動してきた末裔だとなる

一般にはスラブ民族だとしている
民族的にはゲルマン民族のドイツとスラブ民族は別である、またフランスはラテン系民族だとなる、そしてドイツとイギリスはアングロサクソンである
それで宗教でもラテン系のカトリックと後にプロテスタントに分かれたのである
要するに西欧と東欧は歴史的にも民族的にも違っていたのである
だからロシアは東欧は民族的に同一であり歴史を共有しているともなる
ウクライナ人がロシア人とは兄弟関係にあるというのもそうである
ただ同じ民族だとしてもそれでアイディンティティが作れるとはならない
宗教でアイディンティティを作ってきた歴史がある、民族といってもそれも複雑だからである、日本民族でもさまざまな民族がこの列島に移住して形成されたからもう民族のことなどわからないのである

ただ地理的なものから自然の境界からみると国はわかりやすいのである、そのために国境が重要になるのである、日本に国境意識が希薄なのは海が自然境界となっていたからである大陸だとそうした境界がないから万里長城ができたのである
それも山の尾根にそって作られていた、すると山からでもモンゴルの遊牧民が侵入して来たとなる、確かなことは遊牧民は常に移動するから戦争にはたけていた
ゲルが天幕がそのまま移動するのだから移動しやすいからそれが軍隊ともなるからである
ただ移動するときやはり山とか河とか天候でも障害となる、それでロシアは今は雪で凍っているから戦車が通れるが溶けるとぬかまみになり戦車が移動できない
だから冬にナポレオンでもナチスドイツでもロシアに攻めたが雪と寒さで撤退したのである、気候が影響してそうなったのである、地理とか気候は変えられない、それが人間の歴史を作ってきたともなる

とにかく中央アジアとか平原とか砂漠地帯とかは遊牧民の世界でありそこで常に民族抗争があり帝国が生まれては消えていったのである
その境界でも変わりやすいのが遊牧民地帯なのである、日本では魏志倭人伝に日本には
馬、羊なしと記されていた、それが日本の特徴だったのである
中国から来た人がそのことに一番感じたのは常に羊とか馬とともに暮らす人達から見たら奇異に映ったからである
日本は世界でもめずらしい漁労民族でもあったからだ、海の幸の民族たったともなるからだ

●コロナウィルスでも今世界でも国境が境が見直された

コロナウィルスでもそうだったが意外とこの国境が問題になった
グロ−バル化して国境はかえって邪魔なもののようにされていた、でも感染病では国境で水際作戦をするとか江戸時代の関所すらそれは邪魔なものではなく人間の歴史で必要なものとして認識されたのである
関所だと不便になるから無駄だとなるのではない、やはり何か歴史的に作られたものには何でも意味があったとなる、だから世界から国境をとりのぞけとか国境はいらないとかにはならない、むしろ人間は国境があってこそ自分たちのアイディンティティを作るやすいのである、そこで一体感が生れ独自の文化でも形成されやすいのである
そもそも文化とは地理とか土地の多様性から生まれるからである、それで文化はcultureはcultivate(耕す)から来ているのである
いろいろな農産物でも天候とか自然の地理とか土地の状態で違ってくる
ワインでも葡萄でも湖とか河の光りの反射が影響してうまいものができるとかもある
農産物はどうしても土地とか天候の影響を受けやすいからそうなる
それで多様性が生まれるのである

本来、栄養をたっぷりと必要とするような植物が多いなか、ブドウはさほど栄養を極端に必要としないのです。さらに、逆に栄養過多、窒素過多となると出来の悪いブドウが生まれます。

ミネラリティを感じる土壌、といわれているのが石灰質土壌です。

炭酸カルシウムが含まれた土壌であり、大変水はけが良いと言われていますが、保水性もあるために高品質なブドウを作ることができます。

ヨ−ロッパの水にはミネラルが多いとか石灰質だとかされる、つまりワイン文化が生まれたのはそうした適した土地が原因していたのである

ブドウの着色および果実品質向上のためには,着房数を通常より少なくするなどの対応策が必要で,収量を減らさざるをえない状況となっています。
そこで,生産者の収益性の改善を図るために,地表面に光反射シートを敷いて棚下を明るくし,品質および収量を改善する光反射マルチ栽培の技術を開発してきました。

これは人工的に光りの反射を作っているから天然の光りではない、でも光りが影響している、もちろんいろいろな風と日照とかも影響するのである
つまりワイン文化が生まれたのはまさに土壌が適していたからだとなる
日本で日本酒が生まれたのもそうである、農産物は必ず自然の影響を受けるからである
また世界の歴史でも必ず地理の影響を自然の影響を受けているのである
国境はだから大事なのである、自然が境界となり文化が作られ国が作れてきたからであるただ世界となるとその地理が天候でも簡単にわからないのである
ウクライナは比較的暖かい地域であり黒海に地中海に出る港がありそこをロシアが必要としたことは分る、そこが地理的要衝となったからである
またウクライナは山がなく平坦な地域であり日本の1・6倍あるとしても平坦な地域がほとんどなのだからその広さを理解しにくくなる、だから穀倉地帯となりその量は世界も輸出するから影響がある、とにかく日本では広大な大陸の地理が理解できないことがアキレスアキレス腱になっているのだ
結局地理は地図を見ただけでぱわからない、実感できないからである


●境界があって育まれる文化のアイディンティティ

鉄の境界の中にあって
苦しみつつ掟を勝ちとったものは
ヘルペスの娘たちの開花のように
すみやかに移ろわぬ善へと、成熟ししてゆくでしょう

定めた居住区の
境界の範囲の内を
彼は喜んで見て回り
そして休息する、つつましく幸福を味わいながら
(ヘルダーリン詩集より)

鉄の境界というときその境界を死守して国を守ることに通じている
ウクライナでも自国を守という時、その国境を守るということである
そこで国の歴史がアイディンティティが作られてゆく
そこに国を守る戦いがありそうして国の歴史が形成される
ただ人工的強制的圧政的に作られた境界は境界ではない
大陸だとだとその境界がわかりにくいのである
国というとき会津とかだと認識しやすい、また飯館村とかでも小さくても一つの国のように意識しやすい、盆地だと山に囲まれているからもともと日本ではそこが国のまほろばになっていた、それが奈良だったのである
国の中心がどこかなのかも問題になる、ウクライナならキエフである、キエフ公国があったからだ、今のウクライナはまた違った国である、そこでロシア人が多い地域がなぜ国境になったのか、それがわかりにくいのである

posted by 天華 at 09:22| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅


相馬六万石の花ー冬椿ー日立木の町場橋の紅梅

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相馬藩六万石や冬椿

城下町石橋わたる冬椿

城下町松は忠義や冬椿

冬の灯や職人の仕事城下町

薬師堂紅梅匂ふ町場橋


日立木の薬師堂に紅梅が咲いていた、今年は寒いから早いとも見た
第一相馬市まで自転車で行けなかった、昨日は春の陽気になり行った
城下町というときそこに歴史があり何かしら感じるものがある
相馬市は原町のように新市街が形成されないから城下町のままの町割りになっている
そこでいつも感じたことは冬椿が似合っているなと見ていた
石橋があるのは小泉川の塩地蔵のある所である

日立木の町場橋とか町場川がなぜ名付けられたのかわからない

ちょう ば ちやう− [3] 【町場・丁場・帳場

@ 宿場と宿場との間の距離。ある区間の距離。 → 長(なが)丁場
A 夫役で、運送・道路工事などの受け持ち区域。工区。持ち場。
B 馬子やかごかき・人力車夫などのたまり場。

歴史的に日本の住宅は、伝統的木造軸組工法により大工や左官、とび工など地域に住む職人により建築されてきた。大工#町大工を参照

日立木を行く
http://musubu.sblo.jp/article/187242550.html

9世紀初頭の丸森町の「町場替」は、過去の水害に対応した空間編成によって
町場が形成され、現在の丸森町の「原型」をつく

丸森町に城下町が川の側にあった、そこに町人の町屋があった、
下級武士とか足軽町とかがあり居住地が分かれていた
その後新町場が生まれたのが今の斎理屋敷のある通りである

(19世紀初頭丸森町の「町場替」と歴史的空間の変遷
https://irides.tohoku.ac.jp/media/files/disaster/typhoon/marumori_machiba_19thcentury_ver1_5.pdf

では新地の町場橋はそこに居住していたのが大工とかの建築関係の人達いてそうなったのか?
それとも宿場と宿場の間の距離にあり町場となったのか?
相馬市の城下町からそれほど離れていない、だから城の延長地域として町場があったのかとなる、宿場町にしては近すぎるからである、ここで泊まる必要などないからである
鹿島町でも宿場町とはならなかった、原町になると宿場町になった
相馬市から20数キロあったからだ
日立木の町場とはやはり大工町とかあるようにそういう職人たちが住んでいたのかもしれない、ここに薬師堂がありそこの碑を見れば相当に古い、ただ町場橋は江戸時代に名付けられたものだろう

ともかく城下町の雰囲気があるとてしも外部から来る人には感じないともなる
城にしても石垣だけだし何かここに城があったのかともみるからだ
でも何か雰囲気として歴史がある所にはある

金沢の松曲がり古り十月桜

金沢の兼六園がそうである、金沢となると百万石だから歴史を感じるものがある
城があるところには一応城下町であり歴史を感じる

春や昔 十五万石の 城下かな 正岡子規

これは松山藩のことであり明治28年の作である、この時代はまだ江戸時代の雰囲気が残っていた、正岡子規が侍の出であったしまだ遠い時代のことでなかったからだ
ここで明らかに十五万というのが活きている、それなりの規模だからである
相馬六万石とは違うからである、何か城というとき何万石とかでその規模が計れる
だから会津藩三十万石・・・とかなりその下にそれにふさわしいものを入れるといい
これが自分にはできなかった、やはりそこに住んでいないとぴったりしたものが作れないともなる、六万石となる冬椿があっていたともなる
私は正岡子規の写生俳句を習って俳句を作りはじめた
この写生俳句はあまり才能を必要としないのである
見たままを写真のようにして作るからである

薬師堂紅梅匂ふ町場橋・・・これも全く写生なのである、そのままであり何かイメージして装飾するものもないからである、でもその場のことを如実に語っているのである
何か葉牡丹でも俳句にしたが十輪とか数字にこだわるのも写生だからである

今日はあたたかったが急にまた北風が唸りふき寒くなった、春は名のみの・・とかなる
やはり今年はまだ寒くなる、自転車は風とか寒さには弱い、昨日も風は吹いていた
でも行って良かったとなる

2022年02月28日

プーチンが核で脅す危険-ウクライナのへの侵略 (民主国家と専制国家との世界的対立)


 プーチンが核で脅す危険-ウクライナのへの侵略

 (民主国家と専制国家との世界的対立)

 ●核兵器を使うと脅すプーチンの怖さ

プーチンが核兵器を使うとか言うことが怖いと思った、それは今までタブーでもあった
でもこれは核兵器でも持っていれば当然そうなる
原発でも最初に選挙した、原発を爆破して放射性物質をふりまくとか戦争の武器として使われるからだ
核兵器と原発を別物として見ていたがそうともならない、平和利用とかでもなくなる
それは恐ろしい核兵器を作るものとしてもあるからだ
だから日本でも原発をやめられないのは核兵器として利用するためだということがありやめられない、それは隠されているが政府の本音としてある
またアメリカの要請でもそうなっている

プーチンのウクライナ侵攻でわかったことは独裁者の危険でありまた独裁者が核で脅す
テロをしかけているともなる、それは前から言われていたのだ
原発でも核施設でもイスラム関係のテロ集団に乗っ取られるて脅迫されるようになるとか言われて来た、それをプーチンがしている、独裁者はこうして危険なのである
一人の独裁者が最も危険な核兵器を使う、核のボタンを押すことになる
そしたら人類滅亡になる、それがたった一人の独裁者でそうさせられてしまう恐怖である独裁国家の危険がそこにある、共産主義国家の危険がそこにある
中国でも習近平独裁国家となりそうなる可能性がある
つまり誰も歯止めをかけられない、独裁者が権力を握り歯止めをかけられない
そしてナチスのようになってしまう恐怖である
それで公然と民主主義国家に対してプーチンはあからさまな敵意をもつ、民主主義国家との戦いだとしている

いづれにしろ核そのものが人間にとって危険なのである
なぜなら核を使わないとしているがそれが守られなくなることがある
だから今回でもプ―チンが追い詰められれば核を使うと宣言したのである
核を持っていることがそもそもそう言わせる
人間は喧嘩するとき近くに武器になるようなものが石であれ何であれあればそれを使って殺すようにもなる、感情的に抑えられなくなりエスカレートしてゆく
そして核兵器でも使うことになる、このことが怖いのである
独裁者国家だったら一人の人間によって決められる
きちがいに刃物だとかなってしまう、そうして人類滅亡にもなることの怖さである
そもそもそんな危険なものがあること自体がそういう危険を誘発しているのだ
原発でも武器になることが今回のことでもあったからそうなる

●民主主義と共産主義、全体主義、独裁国家との対立

確かに民主主義でも今やそれも様々な問題が噴出してアメリカ自体でももう民主主義ではやっていけないとかなっている、国が二つに分裂するとかもなっている
選挙でも不正だとかなっている、だから民主主義でも行き詰まっているのだ
ただ独裁国家だと簡単に政権を倒せない、一人の独裁者の暴走をとめられないのである
反対したロシアの恐怖はシベリアの強制収容所行きだと前からあったからである
そもそもロシアとか中国は独裁者の支配政治であり反対を許されないのである
それは古代からでも一将功なり骨枯るという世界である
強大な強権国家となり反対を許さない、独裁者は反対するするもの逆らうものを許さないのである、それで民主主義化すると反対が公然と起きるから敵対するとなる

そしてなぜか古代からの政治体制はペルシャ帝国とか相当に古いものでも政教一致であるイスラム系の国家は今でも政教一致である、政治体制としては反対を許さない独裁になりやすいのである
政教一致になると日本がだって国家神道になり村の小さな社まで国威高揚とか戦争の勝利を願った字が刻まれていた、それは本来の社の意義とは違っていたのである
なぜなら武力とは関係ないからである、豊作を祈るものとしてとかあったからである

民主主義国家と独裁国家の対立だというときペルシャとギリシャの戦争でも言われたのである、ギリシャは民主制のボリスの国家でありペルシャは帝国主義の独裁国家であった、王が神のごとくになる政教一致の国家である
ギリシャの民主制は世界的に世界史でもない、大陸国家ではすべてアジア的専制国家であり独裁者が全権をにぎり支配する体制だとなる
民主制と独裁国家は対立するというときそれは政教分離をしている国とに分けることにもなる

イスラム系は政教一致であり不可分に宗教と結びついている
でも欧米系は政教分離であり世界の体制が二つに分かれるともなる
すると思想的に体制的に二つに分かれた国の対決なのかともみる
自由主義陣営と共産主義陣営の両極の戦いだともみる
ソ連があったときはそうだった、でもそこに中国という大国が現れて中国、ロシアと中東の一部とかと二極に分かれる、イランなどはそうである
そこで世界大三次戦争の構図が新たに生まれる、でもそれが核戦争となり人類滅亡の最終戦争にハルマゲドンにもなる
そういう危機を感じたのがプーチンの核で脅すことにあったのだ
つまりウクライナだけではない、核兵器を持ち出せば第三次世界大戦となり核戦争によって人類滅亡になる

●大統領とか市長とか重責を担う者について

今回のロシアのウクライナ侵攻はいろいろとまた考えさせられた
ウクライナのゼレンスキー大統領が役者だったということ喜劇俳優だったこともそうである、そんな人が大統領にもなれるのか?
やはりそこで顔が売れと人気者になり大統領になれた、これも大衆民主主義の結果であった、でもキエフから自分自身も家族も逃げないとして評価されている
それで原発事故の時南相馬市長が爆発した時北海道の方に逃げたとか噂になった
それは結局不明である、原町区の人はそういうことを言っていないからである
でも生命の危険があるときアフガニスタンでもガ二大統領がいち早く逃げたとか非難された、このように大統領とかなるとその責任は重大になる

市長でもそうである、だからそういう重要な地位にある人は本当はよほどの覚悟がないとできないともみる、地位が得られとか権力を得られるとか金になるとかて簡単になれるものではない、そもそもそういう意識がない、生命の危険もあり犠牲にもされる
だから庶民は侍になりたくなかった、責任を問われて切腹させられるから嫌だったというのがわかる
ということはそれだけ責任を感じてやるならばいいとなる、別に俳優でもいいとなる
でもただ権力が欲しいとか金が欲しいとか楽したいとかの動機でもなる
それが今回のことでそんなものではない、命の危険があり犠牲にもされるとなる
とにかく一転してこんな厳しいことに直面することは予想外だったろう
ただこの危機を乗り越えれば英雄ともなり歴史に名を残すともなる
ただ政治経験が全くないことで問われるている、前から交渉してロシアに気配りするべきだったとしている

とにかく人間はそもそも経験しないとあらゆることがわからない、ささいなこともわからない、本を読んでもわからないからである、実際にその立場にたってみないと理解できないのである、それで若い人でも重要な地位についてやらせてみれば経験を積めばやれるともなる、意外な能力を発揮する人もいるとなる
だからこれほどの経験をするということはもし乗り切れば本当に大統領となったともなるただ政治の世界はこれも国際関係でも何が起きるかわからない世界である
一歩誤ると市民でも国民でもどん底に地獄に落とすことになる
それが日本の戦争でも3百万人死んだとかなる、上に立つ人の責任が余りにも重大なのである、だからむしろそんな重大な責任は果たせないと辞退するともなる
でも権力が欲しいということで熾烈に争っている、そういう覚悟あるならいいがただ権力が欲しいというだけで争っているのが問題なのである
本有途に一身をささげて犠牲になることを強いられる立場になるということである
上に立って威張っているだけでありえないのである

●プーチンも高齢でも権力交代ができないことが問題

どうしてこの辺で津波による大惨事があり原発の放射線被害ありとコロナウィルスと災難がつづいている
戦争が起きてその次は飢饉が来ると時事問題の深層に書いた
それが本当に現実になる恐怖である、そして核の最終戦争になり人類滅亡にもなるのかとなる、こんなに災難かつづくことは尋常ではない、現代というのはそういう時期なのかもしれない、人類が世界が終末に来ている
その時ハルマゲドンであり人類滅亡のような大災難が世界に起きる
これほど災難がつづくことが理解できないから

そしてなぜプーチンの歳とかも影響している、フランスのマクロン大統領が会見したら
前より頑固に意固地になっているという
またパーキソン病とかではないとかも疑われている
老人の特徴として何か過去にこだわるのである、プーチンの経歴をみると冷戦時代、ベルリンの壁が崩壊していたときKGBで仕事していてそれでドイツから非難されて追われた
ソ連が崩壊したときのことがトラウマになっているという
過去のソ連の栄光を取り戻したいとしている
老人は過去はどうだったとか過去に何があってこうだったとかこだわるのである
そして現在の事態の変化に適合できなくなるのである
だから老人は政治には向いていないかもしれない、老人でも向いているのは芸術とか思想とか内面的なものに批評することなどに向いている
なぜなら経験しているから批評に向いている、政治評論家として向いているともなる

でも独裁政治だと引退したり権力から離れないのである
政権交代も民主主義でないとできない、それが問題なのである
ただ一方で老人は権力を手放すと相手にされない、権力を持っていると接する態度も違ってくる、それで老人は権力に執着して固執する
でも奇妙なのは権力でもそうだが仕事でも現役から退くと認知症になりやすいのである
社会から無用化すると役割も生きがいもなく認知症になりやすいのである
悪役でも何か現役で役割をもっていると生きがいになり認知症になりにくいのである
でもそれは社会にとって迷惑だともなる、その兼ね合いが問題になる
政治とかなるとそのことで被害を受けることが甚大になる
判断力も鈍った老人が権力を持っていることが国民でも世界でも大被害を受ける
これはアメリカのバイデン大統領でも何か歩く姿がヨタヨタしているようにも見える
この高齢化の問題は世界的なのである、やはり政治となると臨機応変に対処できない
頑固になり意固地になりそれが世界的大迷惑と大被害になるものも怖いと見た

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大災難の時代ー戦争と飢饉が次に起きる
http://musubu.sblo.jp/article/187676033.html

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