2022年01月15日

高齢者の貧困の深刻化―物騒な時代に (生活保護もまともにもらえない、息子娘も援助できない・・・老人は捨てられる)



高齢者の貧困の深刻化―物騒な時代に

(生活保護もまともにもらえない、息子娘も援助できない・・・老人はすてられる)

 今は、生活保護は高齢世帯の代名詞だ。生活保護受給世帯の半数以上(21年10月時点で55.5%)は、65歳以上の高齢者世帯となっている。

 高齢者の貧困については、21年5月19日の『「70歳定年」のウラで、じつは日本中で「貧しい高齢者」がめちゃ増えていた…! でも取り上げた。

 当たり前のことだが、2人の高齢者世帯はやがて単身世帯になる。高齢者受給世帯のうち51.2%(21年10月)は単身世帯となっており、これが受給人数の減少にも関わらず、受給世帯数が増加している主な要因だ。
 
貧乏というのはその人に直接接しないと実感しない、そして現代では貧困が見えない
汚いボロを来ているわけでもない、明治時代頃に残った写真を見ているとにかく来ているものが貧弱なのである、ボロのようにも見える
だから着るもので今と比べると貧乏が一目でわかる、また戦前とか戦後まもなくはまだ
乞食もいたからわかりやすい、でも今の貧困は一目見てもわからない

ただはっきりわかることは

必ず電気、ガス、水道代が払えず止められる、それを訴えることでこの人は貧乏だと知るそれを止められるともう生活できないし飢え死ににもなりかねないからである
現実に凍死したり暑い時はエアコンない死んだりするからだ

そして今は息子にも娘にも頼れない、生活が苦しいから援助できないのである
それより息子娘でも親を捨てる時代である、食べ物を買う金がないからくれろと言ってももらえないとかなっている、でもその息子はいい暮らしていてもそうなのである
だから事情があるにしろ親子関係でも冷たいものとなっているのだ
だから親は飢え死にしてもかまわないとまでなる

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こういうことにもなる

大坂放火殺人事件の犯人は生活保護を断られていた

大阪市北区の雑居ビル内のクリニックで25人が犠牲になった放火殺人事件で、谷本盛雄容疑者(61)=事件後に死亡=が昨年春、生活保護の申請について区役所に相談していたが、受給は実現しなかったことが捜査関係者らへの取材でわかった。
谷本容疑者の金融機関の口座の残高はわずかだったことも判明。大阪府警は事件前の容疑者の生活について調べている。

底辺放置すると社会が不安定になるっていい例だわな

時々役所がナマポ申請ことわってる事件が記事になってるがもう今の国民は昔ほど大人しくないって気づいた方がいいよな。
死ぬくらいなら巻き込んでやる!って連中で溢れてる。役所で働く人達は今後いつ放火されるか緊張と命の危機と隣り合わせだって状況にきてる。高度経済成長の時代は失業者がそう多くなかった
http://hayabusa3.2ch.sc/test/read.cgi/news/1642090650/

ここで役所が生活保護を断った、それが問題にされる、この人は追い詰められていたのだ金もなくなり追い詰められていた

追い詰められている人間ほど怖い者はない⇒犯罪を怖がらない

もうやけになっているからどうでもいいとなる、その後のことは考えないのだ
その追い詰められた人間を役所で断った結果大惨事になった
ただもう生活保護は受けられなくなる、もらったとしても10万なんかもらえない
国民年金四万もらってもあとは5000円とかもらえないとかまた医療費でも無料ではない、必ず二三割はとられるのである
もう生活保護は最後のセーフティネットではない、するとどうなるのか?

凶悪犯罪者が野に放たれる!

これが大阪放火事件となった、最後だけ目立ちたいとか道連れにしてやるとかなる
これは別に都会だから起きているのではない、自分自身にも起きたからである
もう金がないとして自分が介護で病気で苦しんでいる時、家探しされたとかある
また外部からも泥棒が入ってきて金庫を開けられた、金庫は別にダイヤル式でもプロは空けられるから注意である、ただ中に金は入っていなかった、現金は置かないようにしたからだ

日本の貧困化は深刻である、そのことでいろいろ予想する人がいる
もう戦後の焼け野原から立ち直った時のような貧乏になる、その時は電気でも水道でもガスもない、電気があったとしても裸電球一つだからないとも同じである
電機製品は高度成長時代になってから普及したからである

でもなぜ今の時代がその焼野原になった後より暗い感じがするのか?

それは人間は金持ちであるとか贅沢な暮らしをしているとそれが貧乏になることが最も辛いことになるからである、もともと貧乏よりその方が苦しいのでありみじめなのである
一旦裕福な暮らしをしている人が没落することが最も辛いのである
戦後の焼け野原ではみんな平等に貧乏だった、でも不思議と子供が多く上昇気運があった要するに最悪になるとその最悪からは良くなることしかないからである
どん底を経験している人は強い、また危機を脱して生きる人も強い

戦後は戦争に負けても戦争に参加して地獄を経験した人が多かった
でもそういう人は命が助かったということで生きているだけで得だったと思う
あの時どうせ死んでいた、戦友も死んでいた、自分は生き残ったから生きているだけで得だと考えるのである、それは人間の心理なのである
別に戦争に行かなくても必ずあの時死んでいたのではないかという経験を人間はしているするとこれまで生きたのは運が良かったもうけものだったとなる、生きているだけで得したとかなる、そういう考えになると楽なのである

そして不思議なのは老人になると今なら70以上とかなるとまた考え方が若い時は相当に変わってくる、あき何年か生きるだけだということが実感する
これだけは若い時は感じない、どうせこの世に生きるのもわずかだとなるときこの世のことにあまり執着しなくなることがある
いろいろあったがしたいこともあったが何か起きるにしろこの世から去るだけだ死ぬだけだとなってしまうからである、この世のことなどどうなっていいとにもなる
どうせ死ぬんだからこの世とはおさらばするのだから関係ないともなってしまうのであるそれで若者は深刻な顔しているが老人はにこやかになり悟ったようになりあきらめがあり楽だともなる、生きることより死ぬことが常に頭にある

ただ老人でも日々の生活に事欠くとなると苦しい、やはり最低限でも電気ガス水道がないと暮らしていけない、それが止められるとなると生きていけないとなり絶望する
ただ老人は最低限の生活でもがまんできることはある
ところが日本が今貧困化が深刻だからその最低限が得られるなのである
すると老人でも絶望して犯罪になることがある

この辺は原発事故周辺は補償金をもらいそれで暮らしている人が多い
補償金で暮らして働かない人も多い、それより老人が多いから働けないという人も多い
だから後は生活保護だという人もいる、それで東電に年金を十万払いと小高では交渉したのである
だから補償金が尽きるとどうしても生活保護を申請する人が増える
それも被害者特権で受け入れやすいかもしれない、でも市の財政も苦しくなっているからわからない、国からの援助も打ち切らたからである
そして市の人口構成を見るとこの図のようになるから異常だと思う
将来は人口は半分になり公務員の給料も払えなくなってゴミ投げるにも金を払うとなるしその負担が増えるのである、だから生活保護でも極力抑えるようになる
もう震災から十一年も過ぎているからだ

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南相馬市の人口の将来


人口の半分が65才以上になる
こういう自治体が維持できるのか?
こうなると福祉と医療費がかかるしそういうサービスも受けられなくなる

とにかく新年早々物騒でもある、現実に物騒な時代になっているのだ
東京とかでは将来一部の富裕層とエッセンシャルワーカだけになりスラム街が生れと予想する人もいる、それもありだなと思う、要するに一部の富裕層と最底辺の人たちに分化する、それはアメリカと同じともなる、ただアメリカの生活保護者は車ももっていて大きな家に住んでいるというから違っている
日本は中間層がいなくなりそうするとどうなるのか?
凶悪犯罪であり犯罪都市になると予言している人がいる、アメリカと同じようになる
アメリカに戦後習った日本は当然アメリカのようになるのだ
そういう犯罪都市になるとうかうかと街ものんびり行くこともてきなくなる
その辺を犯罪者がうろうろしているからだ、田舎でもそうなっているのだから都会だったら空恐ろしいものともなる

つまりもう日本は末世なのである、生活困窮者であふれ犯罪者でけあふれ物騒になる
日本が安全だというのは昔のことになる、背に腹は変えられないとなるからだ
何か日蓮の時代のように今なっている、その時は路上で人がばたばた死んでその屍で道ができていたとかなっていた、地獄たったのである

新年からなんだが今年は虎年は物騒な歳でありそれがもっとひどくなる
この窮地を打開するものは何なのか?それが見えるようになるのは時間がかかる
もしかしたらここ十年はこんな状態がつづくのか、その頃死んでいればいいとなる
どうせいくら長寿社会でも85くらいまで生きれば十分だからである
こういう暗い時代には長生きしたくないともなるからだ
せいぜい十年ものびのびと生きて終わりたいとなる





2022年01月16日

 冬の暮、枯木の影、冬椿 冬たんぽぽ(原町へー桜井古墳と方墳ー家族の肖像)


 冬の暮、枯木の影、冬椿 冬たんぽぽ(原町へー桜井古墳と方墳ー家族の肖像)

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小林カツートミ子
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桜井古墳の前の方墳



原町の郊外に咲く冬たんぽぽ

 一回り桜井古墳や冬椿

 木の根っこ方墳大や冬の暮 
  
 木の影の交わり濃きや冬深む

 点々と灯ともり耐えて雪埋る

  
 葉牡丹の目ただすあれど我が家に咲て一つなるかな

 大輪の黄菊に姉の遺影映ゆ我が家にありてなおもほほえむ


今日はあたたかったから原町へ行った、寒いと外に出れない、依然として今までの創作品の整理に追われている、スマホが意外とめんどうである
写真をパソコンに送るにも送れないのが問題である
枯木の写真を撮ったが送れない、これはスマホの写真をデジタルカメラでとって出している

冬たんぽぽが咲くのはこの辺では海が近いからである、桜井古墳でも海が見えるし近い
ここと比べると会津の方になると雪に埋もれているからその風土の相違は大きい
会津とか雪国に住んだら自転車にも乗れず雪に埋もれて籠もっているほかない
だから雪国の生活というのはそこに住んでみない限り実感できないのである
何か毎日雪だったら暗くなってしまうだろう

桜井古墳の前の方墳も大きいものだった、そこに木の根っこがありふさわしいとなる
古墳というのはやはり歴史として残されたからここにあればやはり昔を歴史を偲ぶとなる何もなかったら偲べないのである、文書だけでは何か歴史を偲べない
外国だと石の建造物だからピラミッドでも何千年と残るし他でも残っている
どうしても日本人は歴史を身近に感じないのは過去が残されないからである
木だとせいぜい百年とか江戸時代のものが残っているのもめずらしいとなるからだ
だから昔を偲ぶというとき墓でも残れば物として残っているからは墓参りしても故人を偲び昔を偲ぶとなるのである
文書だけから人は情を通わせることができない、つまり物に対しては墓でも情を通わすことができるとなる

姉は大らかな性格であり社交的だった、母は地味だった、だから母だけだと自分にとっていいものではなかった、なぜなら細かいことにこだわるから嫌なのである
人間は必ずしも生まれた性質とか遺伝子とかがすべてはない、その後家族環境とか回りの影響でその人を作ることになる
姉はいつも笑っていたからそれで自分も何か大らかで安らぐとなっていたのである
何かけち臭いとそれも家風になる、母はけち臭いし他の人でも貧乏がひどったのでけち臭い女性となった、それもしかたがないとなるがそれが家風となってしまうことが問題なのである、家風は遺伝子だけではないその後の生活で作られる
あまりにもけち臭いと事業などしても失敗したのかとなる
一円でも無駄にしないと与えるのが嫌だとかなっている家もあったからである
ただ人間の性格もプラスマイナスがある姉は何か他人には冷たいと有為ことがあったからた、とにかく人間の性格とでもかたよりそれが異常になるのである

フラワーアレンジメントは家の中に長く飾っていると心にしみてくる、やはり何かを鑑賞するには時間が必要なのである
時間と場が必要である、このフラワーアレンジメントでも家族の遺影の前に飾ったら活きていた
つまり遺影と一体となって花が映えたのである、これがただ他の場所で花だけ鑑賞するのとは違っていたのである
だから何か死んだ人でも遺影となって生き続ける感じになっていたのである
姉は若い時戦前に花嫁修業として生け花を習っていた
でも嫁がずに家に一緒にいた、だから失敗したのは認知症になったとき花を一杯買って生け花をさせれば良かったとなる
認知症でも何もわからないわけではないからである
ただ混乱してなにがなんだかわからなくなりできなかったのである
それで自分がフラワーアレンジメントして見てくれとなったのである

自分にとっては家族はいいものだった、争っていてもいいものだった
自分には尽くしてくれたからである、今は誰も心配する者もいないし非情の世にいるだけとなった、他人は何かを与えてくれるものとしてしか来ない、まず金をくれとなり何か
その他はなにもないのである、これもカルマだったとなる
その結果として介護になり助けもなく病気にもなり一人過酷な苦しみになった
ただ自分は二人のことは忘れられないのである
母は葉牡丹で地味でありめだたない、姉はおおらかであり陽気であり目立つとなる
でもそれで一つの家族として調和していたともなる
だから人間とは家族でもそれぞれ複雑なのである、他人に理解しえないものがあるのだ

とにかく家族でも忘れられる、親でも他人にもなる、記憶が薄れてゆくからである
十年とかすぎればそうである、いつまでも偲んでいる人はやはりそこに愛が通っていて忘れられないとかある
ただ家族かすべてではない、最近思うことは一人人間がいるとしてその背後にはその土地とか様々な人々がかかわって一人の人間がいる
だから家族の愛といっても人間は家族だけで成立っているのではない
それで江戸時代の村落社会が一つの家族のようになっていたことがわかるのである
ある家が繁栄したとしてもそれは何かしら他人の力が加わってそうなっていたからであるその富はその家族だけで作れないからである、家族だけで個人だけで富は独占できないのである
金は天下の回りものというときそういうことなのである


2022年01月17日

不確かな人間の認識 (情報のカオスで混乱、操作される社会)


 不確かな人間の認識

 (情報のカオスで混乱、操作される社会)

 ●近くの人でも錯覚して間違った情報を信じていた

 近くの人で誰が言ったのか、自衛隊で働いているという、福島市の方で働いているという、その人は確かにそこをいつも通るからそうなのかと見ていた
いないときも多くその時は福島市の自衛隊の駐屯地に行っているのかと見ていた
そこで直接聞いた、そしたら自衛隊ではないという、これも奇妙なのである
てっきり自衛隊だと自分は思い込んでいたからである
でもずっと自分で直接聞いて確かめていなかったのである

また昨日桜井古墳の前の方墳を見た、それが意外大きなものだったのである
前も見たがそこはあまり見ていなかったから驚いたのである
こんなに大きいものだったのかと驚いた
つまり自分の認識で錯覚していた、桜井古墳はいつも見ていたがそこは隠されたような場所にあり何度も見ていなかったからだ
こうして近くでも錯覚していることが結構あるのだ

これでわかるようにいかに人間の認識があいまいだか不確かだかわかる
それは近くでもそうなのである、何か今田舎でも近くでもその人が何で働いているのかわからないことがある、その家の主人は通りかかって何回か見た、妻もみた
でもたいがい家にいないのである、だからどこで働いているのか不思議になる
これが都会だったら当たり前になるのが田舎でも今はそうなのである
何をしているかわからない人が多いのである、戦後の焼け野原の十年くらいはそういうことはなかった、農家の人が多く近くで働いている人はわかっていた
篭屋であれば竹で篭を作っていたとか漆屋となれば漆塗りしていたのである
それを私は隣だから見ていたのである
また石屋がありいつも石をノミで削っていたとか見ていたのである
たいがい近くの職業がわかりそれで何をしているかわかる社会だったのである
すると子供でも近くの人が何をしているか理解していたのである

今は近くでも何をしているかわからない人が田舎でも多いのである
それだけ広範囲な多様な職業が生れそれでわからなくなった
その人はおそらく地元では働いていいない、今は車で遠くまで通う人が多いからである
でもその人が見たのは近くに何十年といて何回かというのも不思議である
何か職業は謎が多かった、それで山の中で木地師がいて椀と木の器を作っていてそれが
椀貸し伝説とかなって残った、その職業が地元の農民からすると神秘的だったからである鉄を作る人でもそうだった、それらは農民にとって理解できないものがあったからだ

●現代は情報の洪水で真実がわからない

現代は情報社会だという時、情報が膨大でその真実を知ることは不可能にもなる
江戸時代だったら村のことを知っていればよかった、村自体が一つの家族のようになっていて知らない人などいなかったのである、みんな何をしているか知っているしその家の竈の中でまで知っていたとなる、だから何かあってもすぐにわかる
今は隣は何をする人ぞとなる、すると他者を理解することはむずかしくなる
村人だったらみんな農民だからわかりあえるが一万くらいの田舎でも知らない人がいる
何をしているのかもわからないとなると互いに理解することもむずかしくなる
ただ反面ある人は四六時中監視されていると嘆いているということもある
それで田舎は嫌だという人がいてなじめないともなる

ともかく情報社会でフェクニューフェースにだまされやすいというとき日本でもさらにグロ−バル化すると必然的にそうなる
イラク戦争でも油まみれの海鳥が映されてイラクはひどいと世界中の人が思った
その一枚の写真がいかに世界に影響したかみればグロ−バル化して世界中がだまされたということである、それはアメリカによる情報操作だったのである
つまり現代は自分で情報を確かめることもできないから簡単に情報操作されやすいのである

何か人間は意外と身近でも誤った認識を持つ、推理ドラマでも実際に見たという人の証言が間違っていることが結構あるのだ、人間はその人を良く見ていないからである
だからその証言をどこまで信じていいかわからないのである
見間違うということが普通にあるからだ、すると人間はフェクニューススでも簡単に信じる、それは自分自身でじかに確かめようがないからだ
だから相当に情報社会でも誤って情報信じている、何が真実かもほからないで一方的に情報を信じているのである
そうしてその情報を伝えるマスコミが絶大な力をもったのである
それでナチスを産んだのが宣伝でありゲッベルスが担当したのである
つまり大衆を情報操作してファシズムとなったのである
大衆を扇動する、情報でもって扇動することで戦争となり悲惨な結果となったのである

●情報はもう情報公害になっている

もう現代の情報は過剰でありとても人間で処理できない、江戸時代の何万倍なのか膨大な情報が流される、するとその真偽など関係ない、いちいち調べようもないからだ
情報洪水の中で何が真実かわからなくなるからフェクニュースにだまされるとなる
情報がスモッグのようになっている、あまりに情報が多くカオスになっている
そして情報の真実を確かめることもできないのである
だから結局真実がわからないから陰謀論になって終わる
株がどうして上がるのか下がるのかなどもわからない、それが市場の原理でもないし公正でもない、ただアメリカが結局はもうける仕組みになっているともなる
いづれにしろグロ−バル化した経済を理会することは不可能なのである

さらにインタ−ネット時代になると個々人も自由に発言するからそれもいい面と悪い面がでる、さらに情報が何百倍にも増大したからである
ただNHKがまるで裁判官のようになって情報を独占するよりはいいとなる
テレビでも六局に支配されていた時よりは真実を見極められる時代になった
これまではマスコミによって情報はそうされていた、マスコミに取り上げられればその人物はつまらない人間でも大きく影響力が持てたのである
今はテレズに呼ばれる専門家もyoutubeで直接話ししているからわかりやすいとなる
高橋洋一氏とか科学の専門家の武田邦彦氏などがそうである
そういう人から直接聞いた方がいいとなる
それでメデアとは仲介するものでありその仲介するメデアがマスコミが衰退してゆく

結局メデアというとき人間が直接話を聞けるのは極わずかである
必ず人間は誰かから聞いて判断している、誰かが人がメデアになり媒体になっていた
でもまた直接本人に聞けることはほとんどない、人から人へと噂で広がる
だからフェクニュースは新聞でもテレビもない時代からあったのである
誰かからの又聞きで噂が広がったからである、ではその噂の発信源は誰かとなるとわからなくなっていたのである
昔にあったことが機械のメデアの発達で大規模になったともなる

人間はやはりじかに合って話さないとわからないことがある
推理ドラマではじかに話しして聞いてその人の態度で微妙な反応を見て判断する
だからじかに合ってみるとか現場に何回も行けとかなる
そこに何か犯人の残したものがあるとかなるからだ
つまり事件が起きるとかはtake place てあり場所が深く関係しているからである
だから桜井古墳の前の方墳に何回も行っていればあれだけ大きいものだと実感したのである、そこには一回なのか二回なのか行っていなかったからである
地元で有利なのは何回もその場に行けることなので認識が深まるのである

現代は情報社会である、これがいかに大きな影響があるかを知らないと危険にもなる
マクルハーンが世界で起きたことが隣村で起きたことのように影響すると言ったのもわかる、世界で起きることが本当に隣村で起きたように影響する
だから凶悪犯罪でも実際はまれでも隣村で起きたように思うのである
だから今やすべてが犯罪人に見えるのである、誰も隣村で起きたように見るから戦々恐々として誰も信じられなくなり子供にすら声をかけることができなくなった
性犯罪の報道も多いからである、でもその犯罪でも実際は教室で先生が起こすことの方が多いのである、なぜならその先生はいつも子供と接しているからである
だから見知らぬ人でも必ずしも子供に害を及ぼすとはならないのである
ただ情報社会だからそうなってしまったのである
ともかく情報社会がどういうものか理解していないと現代を知ることはできない
常に何でも情報に左右される社会だからである
そして誤った情報に左右されて戦争になったり何百万人も死んだりするから怖いのである


枯野の海老村(津波の跡に冬の満月光る)


枯野の海老村(津波の跡に冬の満月光る)

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大きな満月が出ている

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まだ津波で残った死んだ木がある
この墓地は高いので残った

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貨物船が三艘見えた

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三本松が残った、この辺で古墳が発見された

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グーグルクロムでは見えない





人去りて玄関照らす冬の月

冬の月玄関閉ざしこもるのかな

屋根に雪月の照らして田舎町

庭広く石の配置や冬満月

石重く口を閉ざして冬の月

(海老村の跡)

海老村の跡は枯野や海に月

月光る枯野に海や海老の浜

月光る海老とは蝦夷や冬の海

月光る海老村の跡冬芒

枯木一本墓地に残りて海老の村

三本の松の残るや冬の月

(冬の海)

貨物船三艘行くや冬の月

浩々と満月昇る冬の海

浜通り枯野に月や沖に船


玄関の曇り硝子に映りたるや枯木にとまる一羽の雀

陽は没りて影の伸びにし枯野かな満月いでて歳は明けにき





夕方から海老浜の方に行った、そしたら夕陽は山際に没り満月がでてきた
新年の満月である、何か満月は縁起がいいというか平和を感じる
今年は波乱の年になりそうたが満月見たらそうでもないのかともみる
何か自然とか地球にもリズムがある、月もそうであり月に影響されて人間もあり地球もある

おそらく海老はエヒであり蝦夷(えぞ)なのである、海老というのはエビのことではない山の中にも海老という地名があるからだ、蝦夷が住んでいた場所だろう
海老村の断崖のある所から古墳が発見された
他にもいくちつか古墳が発見されているしそもそも海老村は相当に古い、その跡が発見されている、縄文時代から住んでいて集落があったのだ
その時右田村などは何もなかったのである、江戸時代から住んだ場所であり海老村は古墳が発見されたのだから古い場所なのである
それで慶長津浪とか貞観津波の言い伝えとか残っていなかったのかと調べようとしたがわからない、海老千軒とか言う人もいたから鎌倉時代なのか集落の跡とか発見されている
それだけ海老村はこの辺では古い場所なのである

津浪でその海老村は消失した、三四軒家は残ったが集落は消失した
その消失した跡は枯野になった、でもどういうわけか高台にあった墓地は残っている
この墓地の不思議は新地とかでも烏崎でも高台にあり津浪で流されなかったのである
それで意外と墓地は元のまま残っている
でも現実に村に生きていた人達は住んでいないのである、墓地が流されて家が流されなければ良かったとなるが墓地が残されて何になるのだろうと見た
そこに一本の死んだ枯木が残っていた、まるで津波の形見のように残っていた

もう十一年も過ぎるとだんだん記憶も薄れてゆく、でもあれだけの被害となるととても忘れるには相当時間がかかる
みちのくの海というとき客船は大平洋フェリーが行くが他は見えない、後は貨物が何艘か行くだけである、それで兵庫から来た人がここは船を行くのはまれですというとそれもいいと言っていた、瀬戸内海辺りの海とは全く違った海である
明石辺りだと頻繁に船が行き来しているからだ

浜通りは海から月が昇る、でも会津とか中通りでも山から月が昇る、太陽でも昇る
その感覚がわからないのである、つまりこれは住んでみないとわからないのである
毎日海から昇る太陽や月を見ているのとは相当に違った感覚になる







2022年01月18日

南相馬市長選挙の争点は何なのか?ー復興していない避難区域 (政治は利益の公正な配分が主題ー補償金配分で鹿島区は不満)


南相馬市長選挙の争点は何なのか?ー復興していない避難区域

(政治は利益の公正な配分が主題ー補償金配分で鹿島区は不満)


南相馬市は11年前の原発事故で、南部の小高区を中心に避難指示が出され、6年前に解除されましたが、人口は震災前から2割近く減少した一方、65歳以上の高齢者の割合は36%と、10ポイント余り上昇しています。

また、深刻な医療人材の不足から、小高区では、現在も入院機能を備えた医療機関がない状態が続いています。

今回の南相馬市長選挙の争点が良くわからない、明確ではない
桜井前市長は左寄りの人だったから野党からの支援があり前の選挙では原発反対を訴えていた、でもその他は良くわからない、ただこの辺ではもともとこれだけ原発被害があるのだから原発には反対である、だからそういうことよりこの辺で問題なのは補償金の分配だったのである

鹿島区では30キロ外になり補償金が少なかった、正直自分がもらったのは一人70万であり二人だったから140万だったとなる
でも原町市は三倍ももらっていたのである、その差は大きい、ただそのことを鹿島区の人はあまり言わない、ただ不満が内にこもっているとなる

そして

医療費無料が10年でありそれが一年伸びた!

これも大きい、なぜなら私は病院に通っていて半年で無料が打ち切られたことを身近に感じたからである
すると老人が多いから10年間医療費無料というのは大きい、これも30キロ内だけは特別待遇になったのである、ただ小高区は避難区域になったから補償金が多いのは当然だとなる
要するに思うに原町は鹿島区の二倍でも良かった、その余った分を鹿島区にまわせば良かったのである、ただ第一原町区の人がネットで鹿島区には金はやるなと市の予算を使うなと訴えていたのである、ただそれを知っている人は少ない、ネットはそんなに影響力ないからである
でもそれを読んでいたときこれは何なのだろうと思った

その後今の市長になり最近高速が無料になった、でも遅かった!

老人が多いと医療費が負担になる、近くにそうして病気の老人がいるからわかる
何かと医療費の負担がある、だから医療費無料は大きいのである
ともかく今や日本は少子高齢化で老人が増えるばかりであり南相馬市は原発事故で65才以上の人が35パーセントとか他より多いしその将来もますます老人ばかりになる
知っている人でも必ず糖尿病とかガンとか眼が悪いとか泌尿科だとか病院通いなのであるでもその人は金もないのである、そんな人ばかり増えたらどうなるのか?
それで将来でも暗い見通ししかできないのである

南相馬市は小高と原町と鹿島が合併したけど原発事故で補償金で分断された
合併して共同して共益関係になればいいが分断された
政治というのは常に地域エゴがありそれで争うとなる
そもそも政治というと戦国時代とかあれば地域同士の争そいなのである
何か入会権の争いがあり大名がかかわり戦争になったとか言う人もいる
水争いとかもあり権益をめぐって人間は争いになる、その構図は世界でも変わりないのである、それが人間の業(カルマ)であり変わらないのである

原発だって東京が危険だから福島で作れとなったのもそもそも地域エゴだったのである
自分たちは安全を計り福島はその危険を引き受ける代わりに東電で金を出すという仕組みだったのである

そして政治は利益の配分の調整である

これは必ずある、原発の補償金でもそうだし今度はコロナウィルスの補償金でももめたのである、必ずこの利益の権益の分配でもめるのである、それが戦国時代にもなったのである

だからこの利益の分配がうまくいかないと分断して協力できなくなる
政治家の役目はその分配を公平にすべきなのだがそれがうまくいかない
ただ今回の選挙の構図は中央の政治が反映されていた、桜井市長を応援するのは左であり門馬市長を応援するのは自民党とかの現政権である
二つの勢力があり票の取り合いになる、前回の選挙では200票差で桜井氏が負けたから今回も接戦になる
ただ地方だと必ずしも右左とか関係なく地元に地盤を持つ人が有利になる

そして意外と政経東北で今の門馬市長が相馬市長の立谷 秀清氏に頼っているとか書かれた、立谷氏の助言で動いているとか書かれた
それもわかるのは立谷氏は医者であり病院も経営している、だからコロナウィルスでも
いろいろ検査してそれが全国でも注目されて取り上げられている
つまり医者だからそれができたのである、それが強みとなっていたのである
ただ自分の病院経営にかかわってそこに力をそそぐとか批判もあった
ただ一時震災の時水を配ることでミスがあり同級生から殴られたという事件があった
不手際があってそうなった、でもその後は医者として手腕を発揮しているともみる

南相馬市長でも桜井市長は畜産課の大学を出ていて相馬市長は医者であり飯館村の村長の菅野氏も畜産課なのか農業関係なのである、それから門馬氏は東北大の工学部というから理系なのである、理系だと原発事故では力を発揮だきたかとなるとそうでもない
なぜなら吉田所長が肝心の復水器のことを知らなっ方のである
それは自分の資材の分野ではなとして知らなかったのである
今や社長でも会社のことを全部知る人はいないのである、それだけ複雑化しているから社長でもわからない、そしたら支持も出せないとなるのだ

ともかく南相馬市では原発事故からの復興が最大問題である
でも復興はしていない、むしろ復興というより縮小してコンパクトシティとかの構想にもなる、小高の人は原町区に移っている人も多い、そして取り残されたのが老人なのである子供たちは流出して老人だけが残された、そういう場所で復興がありうるのか?
元に戻すというより何か別な対策が必要になる
つまりこの辺では原発事故で極端な現象として日本の未来を先取りした地域になった
自治体がゴーストタウンになり消滅するようて状態になった
それも回復できないのは少子高齢化とか日本の経済の衰退とか縮小化になりそうなった
戦後の焼け野原から日本が復興したのは子供が本当に多かった、そして戦争の引揚者は
不便な土地に開墾に入り生活した、それは働く場所がないそうなっていたのである

でも半分は撤退したのである、だからそういう場所で良く生活できたとなと今ならみる
そういう人を私は知っている、それも小池に開墾に入っていた、それは街から近いのである、そんな近くで開墾する場所があったというのも不思議なのである
飯館村とかにはあっても街の近くにあったというのが今になると理解できないのである
そこに私は店をしていて子供の時卵買いに行っていたのである
その人は一人で暮らしていてぎりぎりの生活だったのだろう、その時かえって良かったのは元からの農家だったのである、食料を作っていたから良かったのである

何か地方の選挙だと政党中心ではない中央政治とは別になる面がある
地元密着であっり地元の問題を解決することである、でも原発は中央政治と密接に関係していたのである
それは沖縄でも辺野子のアメリカ軍基地建設問題でも起きている、これはアメリカ軍の基地問題だけど原発ももともとアメリカと関係していた
アメリカの要請に答えて原発が最初読売新聞の正力松太郎が新聞で宣伝したとされる
そもそも原発の技術はアメリカ指導で作られたものであた国産ではないから事故が起きたともなる、管理がてきないものだったのである
そのことがわかったのは事故が起きたとき最初にスピーディ(放射線量探知機)のことを連絡したのはアメリカだったのである、日本ではお手あげであり助けを求めたのはアメリカだったのである、それだけ日本では原発を管理する能力もなかったことの証明だったのである、だから事故になって東電でも日本政府でも何もできなくなっていたのである

いづれにしろ何を判断材料にしていいかわからない、ただもしかしたら例えば自民公明が一体なら創価の票が自民に投じられるなら門馬氏が勝利するとなるからこういうとき自民は創価に頼りがいあるとなるのか?
ただ最近公明も自民と協力しないと分裂の危機にもなっている、ただ地方の選挙でも一定数の票を操作できることはこういう接戦になると強みだと思った
第一浮動票はあてにならないのである、気まぐれなのである
自分自身でもそうである、右でも左でもない何かの組織に属しているわけでもないから
気まぐれであり選挙で票を得たい方になれば頼りにならないということがわかる

何かその人は前から桜井市長のことを悪く言う、鹿島区の人も桜井市長のことを悪く言う人が多いというがこれも根拠が良くわからないのである
政治はその人の人格などあまり関係ないように見える
要するに政治とは公正な利益の配分が第一である、それで必ずもめているからである
そうしたら南相馬市としてみんな一体となり協力しえないとなるからだ
ただ完全に公正に平等に利益を半分することは不可能である
得する人と損する人が必ずある、その調整が政治なのだと見る




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病床数が半分に減っている

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  農業の衰退はひどい、60以上が担い手であり若い世代は極端に少ない
  将来維持できなくなるり耕作放棄地がまた増える

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鉄道も回復していない、こんなに減ったのか、コロナウィルスでも打撃を受けた、だからスーパーヒタチでも人が乗っていないように見えた、またオミクロンでも警戒して乗らないから打撃である
鉄道は相当な打撃だった、前は駅の中で遠くから来た人とか話ししたけどできなくなった
コロナウィルスでもオミクロンでも警戒するから人と接することが危険になるのでできない
ただこれはただ震災から6年後だからこうなっている、その後回復したがまたウィルスで減ったのである





この図で見ると人口7万から2040年に4万くらいになる、3万減る
80才以上が一番増える、それは今の70代とかが団塊の世代が80以上になってゆくからである、その後も65歳以上の高齢者が増えてゆくのである
そして子供と若い世代が40以下とかが本当に少ないのである
だから将来の人口構成は80才以上が一番多く下の世代を圧迫する
でもさらに2040年から何十年とかすぎると老人は少なくなり全体の人口も半分くらいになるかもしれない、
人口はそれだけ縮小してゆく
これは南相馬市で原発事故で極端化したが全国でそうなのである
夕張市とかはもう自治体として維持できないようになっているし室蘭市の人口が18万から8万以下になったのは驚いた、鉄鋼工場がなくなり働く場所を喪失してそうなった
日本が縮んでゆくことの衝撃である

老朽化したインフラの水道管とかでも修理に費用がかかる、それも負担できないとかなるつまり今までも自治体のインフラであれサービスも維持できなくなる
ゴミを処理するのにも市民が金を払うとかなる、様々な負担が増えるのである
生活保護にしても最低限もらえない、食べることもできない状態になっている
物価高があがりそうなっている、でも市では知っていても援助しないのである
その余裕がなくなっているのだ、それは全国でそうなる
老人になったら生活保護になればいいとういが最低限の保証すらできない状態になるしなっているのである、コロナウィルスでも生活保護が増えたのは65才以上の老人なのである

これから日本が縮(ちぢ)んでゆく衝撃がつづく、そして適正規模人口になって安定するとなる、膨大な耕作放棄地とか空家が2000万軒とかそういうことは東京でも起きてくる、人口が急激に減少してゆくからである
南相馬市でも7万から4万になる衝撃は大きい、いろいろな施設でも維持できなくなる
維持費がかかるるからだ、特に医療関係の人員が確保できない、グラフでも病床数は震災前の半分になっている

こういう状況になると南相馬市の未来とか何なのかとなる、小高とか避難区域はもう維持することがむずかしいともみる、それで小高から原町に移住した人が多い
また浪江とかからも復興住宅に移住している、そしてその原発避難区域は復興できるように見えないのである、また飯館村でもそうである、とても復興できると見えないのである取り残されたの老人ばかりであり若い人は流出したとなるからだ
まるで姥捨て山のようになったともみる

もしかしたら老人は故郷に愛着があるからそこで骨をその土地に埋めるというのもいい
でも奇妙だがその跡継ぎが供養する人もいないとなるとその土地に死んでも浮かばれないともなる、なぜなら死者でもやはり生者とつながって生き続けるからである
死者だけになるとそこは幽霊がさまようまさにゴーストタウンになるのである
お参りされない神社とか供養もされない墓かとが捨てられてそれも一段と寂しいものとなる、やがて幽鬼ともなり彷徨う死の町や村になる

一旦人が住むとそこは自然にもどるわけではないのである、死んだ人の霊というか行き場がなく彷徨うともなるのである
私の家族は全部死んだけど依然として家で花を活けたり供え物したり語りかけたりしている、返事はないにしろやはり死者そこで笑っているように見えたのである
それがなくなると死者も笑わないし幽鬼と化してゆく、浮かばれない幽鬼となり彷徨うとなる、それが町とか村全体で起きたのがこの辺なのである

だからまるで現実とは思えない、映画のようにも思えたがこれが現実だったのである
震災から十一年過ぎてもやはり同じなのである、原発避難区域は復興してないのである
グラフでも農業自体に従事する人も60才以上であり若い人は極端に少ないから維持できるのかとなる、農業は労力がかかる、機械化してもかかる、その割には収入が少ないからこれまでもやめる人が多かったのである
だから原発事故の周辺地域は元の相馬藩内となるが復興していないのである
それをこれからどうするのか、市長選挙で問われるてもそれに答えられるのか?
それは市民全体の問題として継続されているのがこの辺なのである




posted by 天華 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2022年01月19日

金はカルマとなり責任となるから注意すべき (不正な金はカルマとなり責任となり後で苦しむ、子孫でも苦しむ)


金はカルマとなり責任となるから注意すべき

(不正な金はカルマとなり責任となり後で苦しむ、子孫でも苦しむ)

金は通貨でも謎である、いろいろ考えてみても様々な解釈があるからわからないのであるただ明確なのは入る金があり出てゆく金がある、金をもうけたいとして働き金を得て増やす、でも金が入る時でもなぜその人が金が他より入ってもうけたのかと気にかかる
金を稼ぐのは一様ではない、例えば汗水たらして建築現場で危険なことをして金を得る人もいるし株を操作して巨万の富を得る人もいる
その差も大きいのである、だから危険な体を酷使して金を得るとしてらそれは正当な金だとなる、実際建築現場でもトビ職は危険だから他より三倍高いとかなる
またIT関係とか技術者は給料が高い、それはみんな簡単にできないものだから高くなる
それも正当だとなる

ただ入る金には何かいろいろあり必ずしも正当なものとはなっていない
弁護士などは推理ドラマで悪役になっているのは何か弁護士はもめごとを解決するものだからそこで仲裁するとか大きな金が入ってきたりその分け前にあずかるとかある
実際に仙台市の弁護士に相談しただけで百万とられた
それはその弁護士を知っているとなり頼んだ
身内の交通事故になり死んで雇った会社ともめたからである
でもその人も死んだ、何か自分はわからなかったが相談だけで百万払うなどありえないのである、この人は悪徳弁護士だったともなる
その後交渉したの保険会社の人だったのである、その弁護士は何もしなかったのである
弁護士にはこうして保険金とか交通事故とかで大きな金が動くのでそれを不法にもらうということもある
そういう事件とかにかかわりやすいからである

ただこの金が入るというとき得る時に何かそれが得られるとして正当ではないものがあるし金が怖いのは金は具体的なカルマとなっていることなのである
金など別にどんな金でも金だという人もいる、みんな金などどうして得たのか入ったのかそれを使っている時それをいちいち調べるとか見る人などいないからである
ただなぜあの人は金があるのだろうと思う人は普通にいる
人間は他人の金でも一番気になる、金のことが関心の中心になるからだ

弁護士でもそうだが大きな金が動くからそこに弁護士自体が法外な根拠もない金を得たりする、そして金の怖いのは金を得ればいいとしか考えないことである
その金がどんな金でも気にしないのである
でも金はわかりやすい具体的なカルマとなっているのだ
だから意識せずにその金には色がついていないから恐怖していないのである
でも殺人をして得た金とかもしそういう金なら使うにしても怖いとなる
確かにそれがどんな金だかわからないが後で怖いことになるかもしれない
血のついた紙幣とか使えないだろう、でも実際は金に見えないにしろ血がついた金があることは確かである、それが呪いとなってゆく、カルマとなってゆくことが怖いのである

それが原発事故で起きた、この辺では原発で金になるということでとにかく金をもらえばいいとなっていたのである
原発はともかく事故前でも莫大な金のなる木だったのである、だからみんなが群がったのである、でも事故になって金をもらったということでその責任を問われた
漁業組合とかは漁業権があり事故前からも多額の補償金をもらっていた
それが事故になって問われた、漁業組合でも事故前に原発に反対していれば問われなかった、ただ金をもらうということはこの辺では原発を認めたのである

「私たちはあなたがたに金を払います、だから原発建てるのを認めてください」
「いいですよ、金を払えば・」
「でもあなた方が認めたのでありあなた方にも責任があるのです」
「何が責任なの、それより金をよこせ、責任のことなどわからないよ・・・」

その入ってくる得る金のことなど考えなかったのである
金を得ればいいだけである、でも事故後に漁業組合だけではない地元の人達全部があなた達は原発で金になり恩恵を受けました、金も得て生活も良くなりました
だから事故が起きてもあなたたちにも責任があるのです

つまり金をもらうことはそれだけの仕事をしたからもらうということもある
当然の権利としてもらうことが普通である、建築現場で危険な肉体労働してもらうのは当然だとなる、誰もそのことで責めないのである
ただ不当に得る金もこの世に相当多いのである、それが問題なのである
6兆円も除染費用でもそうである、そんな金を使う必要があったのか?
またそんな金を得た人は会社でも不当な金ではなかったかともなる
それで相双リテックでは何十億の除染費用の金を幹部で山分けしたとなる
その金は政経東北にも流れていた、雑誌の宣伝にのせたからである
すると生計東北ていろいろ記事を書いているけど原発事故関連で追求できるのかとなる

そういうことは常にある、マスコミでも今までは新聞でもテレビ局でも金がかかりすぎるそれでその資金となる野か会社の宣伝費になる、となると相双リテックのように悪徳業者からでも金をもらうとなる、つまり金で汚れるのである
ただこうして金の出どころとかを追求してゆくと必ず正当でなく得た金が誰でもあるとなる、公務員が攻撃されるのは楽な仕事なのに高給だとして民間から責められる
それもそうである、事務など簡単でありそれで高額になるのは納得がいかないとなる
ただ蒸すかしい高等な誰にもできないような高等な仕事で金を得る人にはと言わないのである

ただ本当に金の出どころを追求してゆくと誰しも完全にその金がいいものかどうかわからないのだ、私自身ここうして他人の金を追求してきたが私の家族が公務員だったのであるそこで自分自身が遺産として得た金が実はいい金だったと言えないことを知っているからである、つまり公務員は得するようにできているのである
だから果たして自分が他人の金をとやかく言えるのかともなる
何らか入る金得る金にも問題がある

それが怖いのはその金がカルマとなって責任を課せられていることなのだ
なぜそのために大金を盗まれたりまた親の介護とかに苦労したのか?
それは金がカルマとなって責任となってそうなったのかもしれない
金に色がないにしな金は具体的な責任でありカルマになっている
だから安易に金なら色がついていなから何でもいいとはならないのである
後だそれがカルマとなって責任をとらされるとなる
金は具体的責任としてわかりやすいからそうなる

ヤクザでも金をもらったから頼まれて人を殺したとかなる、金をもらうことはそういう責任を負うカルマとなっているのだ
だから不正に得た金は後でカルマとなり責任を取らされるとなる
その時金を得ていいとしても後で怖いことになるしまた子孫までその金で苦しむということになりかねない、でも金を得ればいいとしかないのである
金になるとなれば人間は人を殺したりどんなことでもしているからである

ただこういういことを言っていたら金などたまらないだろう
株でももうけたとかなるのも何か胡散臭い正当な金ではないともなる
だから何らか金にはすべて正当なものとして得られとはなっていない
汗水垂らして四苦八苦して働いても金にならないということが普通にあり株とか遺産でも何にも苦労もしないのに大きな金が入ることがある
それで財産はfortuneであり運だともなっているのである

でも金には何か必ず正当なものではない、だから常に陰謀論になる,金融資本主義で濡れ手で粟の巨万の富を得ているとかアメリカの一部の富裕層に言われる
アメリカにそういう人がいるのはアメリカが世界の覇権国でありドルが基軸通貨だから
莫大な金が世界から入ってくるためにそうなる
そうなるとやはりそうした極一部の人に金が集まるという時そこにカルマが責任が課せられているとなる、もしその責任が果たせないと世界のために使わないと怖いことになる
まるで巨万の金が呪いとなりふりかかり遂に殺人事件とか何か悪いことが起きる
金があることもカルマとなっているのだ、金がないことで苦しむが金がありあまるとかでも何か悪いことが起きるのだ
また金の使いようでも悪いことが起きて来る
巨万の金を戦争で使う武器を買うとかなるとそうである
そして今やアメリカは民主主義でも機能しなくなり分裂の危機にありやがて衰退してゆくとも見るのである

この辺で猪苗代湖で起きたプレジャーボートで子供と母親の足を切断させた大事故を起こした人は何かこの辺の原発事故で建築関係でもうけたらしい
足場関係はかなりの金が入ってきたからである
その金を使って遊んでいたらそんな怖い事故になったというのもカルマかもしれないのである
そうした金が呪いとなったのかしれない、そういうことは本当にあると思う
自分自身に遺産が入ってきたとき何かそうした盗みとかが起きてきたのもそうかもしれない、金は何でも入ればいいとならないのである
ただこういうことを言っていたら金はたまらないと思う
でも明らかに金には色がないとしてもカルマとなり責任になっているのだ
金にはこうした怖さがあることを自覚すべきだとなる
でも金には色がないから自覚しにくい、でもいつかそれがカルマとなり苦しみとなって現れる、カルマの法則がある、金はカルマとして具体的責任としてわかりやすいのである

金はたまりすぎても災いをうむ!

金をたまればいいとなるが金がたまりすぎることは相当に危険になる
そこから災いが生れてくる、だからアメリカの極一部の人が世界の富の50パーセントもっいるなど実際は危険である、その金は世界の人達の苦しい労働から生まれているからである、そうして世界の富を一人占めするようなことをしているとアメリカ自体に災いが生まれる、すでに生まれていると思う、アメリカは天文学的金を集めてそれが呪いとなり自滅するとなる

宗教団体とかでも莫大な金を集めている、その金も危険なのである
なぜなら今度はその金をめぐって争いが起きる、遺産相続のようなことが起きる
実際に神社の相続で殺人事件があった、そういうことは他の巨大宗教団体でも起きる
その金が莫大だからである、もともと金を得るための宗教団体だから当然金で争い
分裂するとなる、そういう欲しかないからである
だから最後は遺産相続のように骨肉の争そいになる、金の奪い合いになるのだ

ただそうした余りに大きな金はもう見ることを知ることもできない、だからさらに危険となりいきつしか大きな災いとなって苦しみとなって現れるのである
福島市の郊外での農家で蔵に米俵を一杯積んでいたがその米俵がある日飛んでいってなくなったという伝説がある、つまり米俵を金でもためこみすぎるとある日消失してしまうということである、そういうことが金持ちにも金持ち国にも一部の大金持ちにも起きる
金がありすぎることは責任でありカルマとなるからだ
金を世界のためにでもみんなのためにく有効に使わないと金かはカルマとな災いをもたらすのてある




posted by 天華 at 16:54| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題

スマホはパソコンり使いずらい (画面が小さいのと操作が複雑、でも不可欠のものになる)


スマホはパソコンり使いずらい

(画面が小さいのと操作が複雑、でも不可欠のものになる)

小さい画面が苦手なのでスマホを買わなかった、でもスマホも緊急の時必要と思い買った携帯は意外と病院に入院したとき役だった
というのは一応インタ−ネットもできなたので暇なのでそれを見たりまた文章でも書いたりしていたのである
何かパソコンでもこれを覚えるのに時間がかかる、それで暇な人でないとできないと思った

私がそもそもパソコンになじんだのはその前提として通信機器がついていた富士通のワープロを使ったことによる
そこで親指シフトを覚えたことが大きかった、パソコンでも文章を書くことが中心になるからだ、ローマ字入力だスムーズに文章を書けないからである
その通信機付きワープロでパソコン通信までしていた
これをしていたのはパソコンマニアだったのである、素人が今のプロバイダーのようなことをしていたのである,パソコン一台でそれができていたのである
そのパソコンにつながり通信が文字でできていたのである

結局なぜこんなことをするようになったのか?

それは仕事もしていないし引きこもりであり時間があったからである
とにかく最初は通信で手間なのである、だから相当に自由時間がないと参加できないものだったのである、もちろんパソコン自体覚えるのも容易ではなかった
だから高いパソコンを使って金をかけて時間の余裕がある人がしていたとなる
そして理系の人が多かったように思う、それだけ文系とかなるとハードルが高いものだったともみる
パソコンという機械を知る必要があったからだ

私は文系であり機械に弱い、ただ通信がついていると富士通のワープロは親指シフトで文章を書きやすいものだったからである

ワープロ⇒通信機付きワープロ⇒初期のパソコン⇒パソコン

こんな順序で覚えてきた、技術的にはワープロが最初でありそれが進化したのがパソコンでけあったともなる
その後携帯が出てきたがこれはスマホとは違う、電話がちょっと進化したようなものだった、今ままでのように通話が目的でありこれは90歳の母でもできていたのである
なぜならそれは電話だったからである、だから難しくないから普及したのである

スマホとは何か実際に買って試してみてある程度は理解した
やはりスマホはその基礎としてパソコンに習熟していないとわかりにくいものだと思った小型化したパソコンだからである
でもグーグルドライブがあるとするとすでに私はこれをパソコンで利用しているから理解した、つまりパソコンをしていないとそうしたものを理解しにくいのである

ただこれは持ち歩きできるしどこにでも見れる、寝床でも見ている
そして緊急時には役たつと見た、それはどこでも持ち歩けるからである
そこで情報を得やすいからである
特に私に役だったのはメモ機能である、例えば大量の本を整理してようと苦労しているが本の一部を写真にとって記録していると便利である
常に記録したものを常時見るようになり頭に入る
デジカメは写真だけだが記録するのに写真だけではない様々な機能があるからこれはやはり知的作業をする人には欠かせないと見た
パソコンもそうだが今の機械は人間の頭脳の一部と化していると見た
人間と機械が合体しつつある、それがスマホなのである、それはやがて脳に埋め込まれ
人間の脳となる、サイバー人間にもなる
そういう未来がすでに見えている

これから試すのから遠出して旅したりして即座に写真とか文章をアップすることである
リアルタイムで遠隔から情報を送りプログとかに出すことである
それができればリアルタイムの遠隔からの報告ができるとなる
ただパソコンよりは手間になるし旅に出たりする々とそういう時間の余裕がないでしていない、でも前にパソコンではないがノートパソコンで通信できるものがあり
それを使って通信していたことがある、それが通信料が高かったのである
だから私はいろんなことを試しているのである
それが進化してきたのがスマホだとなる

おそらくスマホは画面が小さく見ずらいとか問題があるから欠かせないものになるかもしれない、すでになっているともなる
決済でもそうだしデジタルマネーにも使うとか必須になる
すると難しいから覚えられないとすまされなくなる、ただわかることは技術というのは
初期段階がありそれが進歩してゆく、パソコンの初期段階はワープロだったようにであるそこから今のスマホに進化したとなる
わかることは何らかスマホは頭脳の代わりとなり欠かせないものになる
つまり電車とか車とかは移動する乗り物である、それは人間の足の代わりになる
そしてスマホは頭脳の代わりになるしITとは頭脳と密接に結びついたものなのである
だから今までの機械とは違って頭脳の役割を担うのである
それで翻訳とかAIが進歩してゆく、翻訳機能はすでに高校レベルの先生より優れているかもしれない、英語の先生の代わりになりそれより優れているようにもなりますます進化してゆくのである

ただ老人は技術の進歩に合わせられないのだ、だから未だに新聞を見てテレビを見ているのである、今ならもうyoutubeは情報として勉強するにも欠かせなくなっている
なぜならそれぞれの専門家が直接放送しているからである
マスコミだったら専門家を選び専門家は脇役のようになりアナウンサーが主役だったのである
お前にしゃべらせるのはテレビ局だとなっている
アナウンサが主役であり専門家は脇役である
それで科学者の武田邦彦氏がアナウンサーをひどく怒っていたのである
それもわかる、専門家が主役ではなくテレビはアナウンサー主役だからである
専門家でもテレビに出してやるということでありテレビ局の許可があって少しだけ話せるとなっていたのである

ともかくスマホというのもワープロからパソコンからの延長として生れた
だからこれは継続したものとしてあるから最初からしているのはなじみやすいとなる
スマホでは音声入力で文字を出すのがやりやすい、とてもキーボードで文章を書くようにはできない、タブレットだとできるとはなる
スマホの欠点は致命的なのは画面が小さいから情報処理するのに限界がある、わかりにくくなるのだ、それでなじめないし老人にはめんどうだとなる
ただ技術はその内容を詳しく知らなくても慣れでできることがある
そしてあらゆることを覚えることはない、自分のしたいことに特化して覚えればいいとなる、とても全部は使いこなせないからである

とにかくこれは持ち歩きできる小型パソコンであり頭脳と一体化する
そういう未来を暗示している、やがて頭脳と一体化する
デジカメが眼の拡張であったようにスマホもそうなる、ちょっとメモするとか記録するとかに便利なのである、それが人間にとって大事なのはとにかく人間は忘れやすいのである本だって読んでも忘れる、でも重要な部分を記録して何回も気軽にスマホで見ていると記録したことが頭に入るのである
だからこれは明らかに頭脳なのである、頭脳の拡張したものである
だから知的作業する人には不可欠になると見た、また建築現場とかでも常に仕事で連絡するから仕事でも不可欠になるしなっている
写真を気楽に送れるということで仕事がはかどるとなるからである



2022年01月21日

古殿からいわきへ自転車の旅の詩(新年の詩) (フタバスズキ竜と浜通り)


古殿からいわきへ自転車の旅の詩(新年の詩)

(フタバスズキ竜と浜通り)

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古殿からいわきの浜へ

古殿から御斎所峠を下る
一心に自転車で走り下る
鶏頭が赤く燃え咲く
我が心も赤く燃える
下りきって川に出た
水は透明に澄んでいる
そんな所で石を探す人がいた
十万にもなる石があるとか・・
その眼は卑しい、豚の眼にもなる
常に人は金を求める
清浄な自然にも金を求める
その清流を鮎が上り死ぬ
落鮎はここで短い命を終える
その清らかな水に命を終える
さらに遠野を回り農夫がいた
そして太平洋に出た
広い広い大平洋よ
フタバスズキリュウが波を切って泳ぐ
魚が群れて泳ぎ海竜が首を伸ばして
ぐいぐい力強く泳ぐ
その姿は神の業の快挙だ
悠々と波を切って泳ぐ
それは太古の夢だったのか
その姿は消えて化石となり億年眠る
大きなアンモナイトも積み重なり眠る
ああ 卑しい人間よ
その目は何を見るのか
その目は濁りもう美を見ない
大いなる自然の美を見ない
時に大いなる自然はノワの箱舟のように
世の穢れを洪水で押し流すのか
そして再び太古の自然が蘇る
雄大な自然の中にありあまる幸を得て生きる
人間の業の原発は万年の災いを残した
プルトニウムは二万年消えない
億年の地史の中にそれは残る
人間の技は災(わざ)いを残す
そこに人間を住めなくした
私は海岸にテントを張り
朝に海に太陽を輝き昇るのを見る
撫子が咲いていわきの浜を去る
その海岸線を軽快に走り去って行く
かなたに鴎が飛んでゆく
白波が寄せてひびき広々として
海岸線はどこまでもつづいている

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庚平7(1064)年御冷泉天皇の御代、東北の地に阿部一族が乱を起した時、源頼義が一子八幡太郎義家を供に討伐の兵を進めた。戦い利あらず一時この地にあって再挙の機をうかがいはるかに石清水八幡宮に戦勝を祈願した。ほどなくみごと勝利をおさめたがこれを記念し、部下の福田次郎(石川氏の祖)に命じて石清水八幡をこの地に遷座しまいらせたといわれる。代々の領主が隠居入道し、修験となって八幡を守護、古記殿を館としていたのでこの地を古殿と呼ぶようになったという。このゆかりの名にあやかって古殿町と名づけられた。

古殿八幡に古くから伝わる「流鏑馬(やぶさめ)」の行事がある。狩り装束に身を固め鏑矢を背に弓を左手に持った三人の武士が疾走すろ馬上から一の矢、二の矢、三の矢をはなつ、この行事は無形文化財として保護され秋たけなわの十月の第二日曜日に毎年行なわれる。
https://www.town.furudono.fukushima.jp/kanko-dentou-bunka/see/shiseki/furudonochoushi/rekishibunka/110

元応(げんおう、(旧字体:元應)は、日本の元号の一つ。文保の後、元亨の前。1319年から1321年までの期間を指す。この時代の天皇は後醍醐天皇。鎌倉幕府将軍は守邦親王、執権は北条高時

市神の碑といわれる12号塔は、碑面を詳細に検すると、「市神」等の現文字は新しく、中央上部に種子、「市神」の字として重複して「元応元大才己未□月□日」とかすかに旧銘が見える。中世の古い板碑に、後世市神等を追刻したことがわかる。荷市場(にいちば)という
鎌倉岳は標高669mあり、古殿町の松川地区に高くそびえる山です。
その名前の歴史は古く、遠い昔、鎌倉より嫁いできた姫が故郷恋しさに、「私の慕わしい鎌倉はどちらの方にあるのだろう」と聞いたので、村人たちが「この 山に登れば鎌倉が見える」と、姫と一緒にこの山に登ったことが由来とも言われています。


市神を秋にたずぬやいわきへと

古殿に鎌倉岳や姫あわれ山間深く秋となるかな

古殿というと鎌倉と関係していたのか、市神とかあったがこれも古いものだった
鎌倉時代となると東北地方に鎌倉から移住した武士が多い、南相馬市の鹿島区の岩松氏は有名である、最初に南相馬市を支配したのは岩松氏だったからである
ただその一族が幼児まで皆殺しとなったので伝説として残っている
だからこの伝説も信憑性があるとなる
鎌倉という名をつけたのだからそうなる
ただ地名はいろいろあり鎌倉が必ずしも鎌倉時代の鎌倉とは違うことがある
なぜなら宮城県でも丸森にも鎌倉があったからだ、他にもある、

神の御座所である「神座(かみくら)」が転じたものとする説などが有力らしい。しかし日本語の性質からして、「かまどくら」が「かまくら」になったり、「かみくら」が「かまくら」になることは難しいのではないか。「かまどくら」はなかなか変容することが難しいし、「かみくら」なら、「かんくら」から「かぐら」と変容するのが普通だろう。
○おそらく、「かまくら」の民俗行事と鎌倉地名とは同じ語源ではないだろうか。かまくら・鎌倉の語は極めて古い。鎌倉時代に唐突に鎌倉の語が成立したわけではない

薪樵る鎌倉山の木垂る木をまつと汝が言はば恋ひつつやあらむ(譬喩歌:3433)

https://ameblo.jp/sisiza1949/entry-12519941371.html

この流鏑馬とかは鎌倉から武士が伝えたものとするとなんらか関係あるのか、地名の問題は鎌倉とあれば鎌倉時代とか連想する、そして鎌倉の地名があって伝説がこじつけられる地名伝説にはそういうのが多いのである、実際は無味乾燥な地形とかに由来しているのが多いのである
だからすでに万葉時代にカマクラの地名が歌われている、それは地形的なものと関係している、つまり注意すべきは鎌倉という地名は鎌倉時代より古くからあったということである、だから鎌倉岳がいつそう名付けられたのか問題になる、地名は古代からのものがあり古いのが多いからである

ここから一路いわき市の方へ自転車で下った、下り坂だから気持ち良かった
その時電動自転車ではなかった、これが坂だったら上るのが大変なことになる
ただあの辺を確かに行ったのだが記憶が薄れている
でも石川郡とかであり山の中に万屋(よろずや)がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になったのである、今時そんなことをする人はいない、そこは山の中でまた万屋が残っていたのである、それが記憶として残っている
自転車で旅して親切にされたことはない、胡散臭い奴だとなって宿にも泊まりにくいのである
何か江戸時代辺りでも旅は簡単にできない、殺された人もいるというのも伝えられているそれはよそ者を殺しても犯人がとがめられないという村社会だからそうなった
江戸時代のことを回想して美化しているが実際はそんなものではないとなる

ともかく市神の碑のある場所から一心に御斎所街道を下った

現在はトンネルを通って峠を越えるが、かつては山腹の崖に近い斜面を上り下りし、屈曲した狭い道を行き来したようだ。「七曲」「大曲」。一度踏み外すと、約100メートル下の谷底まで転げ落ちるほどの難所に苦慮した人が、畏敬の念を抱き名付けた峠の呼称が今も残る。

御斎所街道・全3回(3)】 難所続いた古道の名残
https://www.minyu-net.com/serial/kaidou/FM20160221-051701.php

この辺では飯館村の大倉から草野の方に行く古い道は本当に七曲の細い道だった
どこでも山の道はくねくね曲がっていたのである、そもそも直線の道を作ることは日本では山が多いからむずかしかったのである
今は曲がった道ではなく新しい真っすぐな道ができているから車でも行きやすい
古い道はもう誰も通らない道となった、古い道がここでもありそれはわからない

そうして下りきった所で遠野に出て鮫川が流れている、その水は清らかである
そこで落鮎が食べれる場所があった、落鮎が清い水に死んでいた
そこで合ったのは変わった石を探していた人だった、何十万になるとか言っていた
そんな高い石があるのかと思った、その人の眼は癒しと見た
人間はともかく金になることだけを追求していると卑しくなる
自然の景観は無料で鑑賞できる、でも金になることを追及していると自然の美も見えなくなる

秋の水流れて清し遠野かな

遠野という地名の由来は何なのか

「トオ」は「峠」の詰まったもの。【JR・第三セクター 全駅ルーツ事典 村石利夫 東京堂出版】

 「遠閉伊(とほのへい)」の下略。又は、「タヲ(撓んだ地形)」+「ノ(野)」の転か。アイヌ語説は付会。【市町村名語源辞典 溝手理太郎 東京堂出版】

 以下のような様々な説があると言われる。【岩手県庁のサイトより】

(1) 閉伊の先、閉伊の奥の意味で呼んだ汎称「遠閉伊」の野原という意味
(2) 山間の遠い野
(3) アイヌ語のト(沼)ヌプ(野)
(4) 「東野」の意味で東方の野
(5) 「撓野(タワノ)」の転訛で、たわんだ地形の盆地 

遠い野とか奥の野というときいわき市街からは相当遠いから合っている
ただこれも何か遠いということで感じからイメージするが地名は無味乾燥な地形とかに由来しているのが多い、でも何か地形的にもあっている
でもどうして遠野と名付けられたのか?そこに住んだ人がわざわざ遠い野とは言わない
ただ遠野という地名はその辺りの小字地名でありそれが大きな地名となったことはありうる

その遠野からいわきの浜に出た、そこでテントを張り一夜寝た、起きたら海から朝日が昇る、その浜に撫子が咲いていた、それが何かいわき市にふさわしかった
やはり山より海に出るのがふさわしい、浜通りの道は常に海に通じいる
山にも通じているがどうしても海に向かっているのである

そうしてその海は黒潮と親潮の交わる地点であり波立海岸には小さな熱帯魚が泳いでいたそれを追って千葉県から来た人がいたのである
さらに太古になるとフタバスズキ竜がいた、これを見たら驚嘆する
浜通りは太古には深く海が入り込んでいた、だから南相馬市の鹿島区の真野川上流から
サンゴの化石が発見されたりする
またアンモナイトの化石が集積している所が博物館にもなっている
それは海からかなり離れて遠いのである、だから太古は山の方まで海になっていたのである、だから化石が山の方に埋もれていたとなる

このヒマラヤ山脈最高峰のエベレスト山では、アンモナイトなどの貝の化石が見つかります。”海の生物”の化石が、地球上で最も海から遠く離れた場所で見つかるのです。

これも信じられないとなる、それだけ地球自体が動き隆起して変動しているのである
だからトンガで海底火山が爆発したように地球常に変動しているのである
津浪でも元の入江が再現されたことに驚いた、田んぼだったところは湿地帯になったのである、釧路湿原のように一部なったのである
地球が変動するということは日本列島が沈没するというのも嘘ではないのである
沈没しなくても日本列島は変化する、陸地が海になり海に新しい島ができて陸地が広がるそういう信じられないドラマが地球規模では起きるのである

とにかく自分の旅をふりかえっていかに記憶する旅が大事かわかる
だから自転車の旅は記憶に残る、あそこを懸命に長い坂を上ったとか下ったとか覚えている、蘇るのである、そうして今俳句や短歌や詩にしている
もし車とかバイクだと記憶されないから記憶が蘇らないのである、するとその労力も無駄だったとなってしまうのである、つまり時間の無駄だったということに気づくのである
旅でもその収穫を得るにはやはり記憶する旅をしないと大損だったと気づく
なぜなら老人になるときつい旅はできなくなるからだ
老人は記憶に生きるようになるからだ、とにかく人間は記憶することが大事なのである
ただ記録と記憶はまた違っている、記録しても記憶されないこともある
その時の実感は記録して記憶とならず忘れることがある
ただ記録したもで記憶が蘇ることはある、だから記録も大事なのである
30年とすぎれば何かあいまいとなりどこを通って行ったのかもわからなくなる
だからこそ記憶する旅をしないと旅したことにもならないとなり大損だったとなるのである










2022年01月22日

資本主義の成長の限界の歴史的考察 (社会主義化するー分配の公平が政策となる)


資本主義の成長の限界の歴史的考察

(社会主義化するー分配の公平が政策となる)

●売るものがないと人間(生口として)を売る

日本は本当に貧困化している、ここでタイムセールに群がり争っている
それを見たら日本はどうしてこんなに貧困になったのかとなる
安い納豆を取り合いになっている
そういう人を知っている、十円でも安いものを買うために苦労している
ただ田舎ではかえって貧困が見えない、そういう人と接しない限りわからなのだ
都会だとホームレスとかがいて貧困が可視化されるかわかりやすい
田舎だと貧困が見えにくいのである

日本がなぜ貧困化しているのか?その原因はいろいろあるにしても日本の貧困化は世界経済とも関係している、グロ−バル化するとどうしても世界の影響をもろに受けるからだ
グロ−バル化とは実は大航海時代から始まっていたのだ
ヨ−ロッパの世界的拡張から始まっていた、それは信長の時代までさかのぼる
その時スペインとかポルトガルが船でアジアに進出してきたからである
それはキリスト教の布教のためでもあるがその裏では富の収奪だったのである
だからインカとかマヤ文明があったとしてそれも鉄砲と馬で侵略して500人足らずの
ならずずもののような集団に簡単にのっとられたのである
それは強盗団にも似ていたのである、その黄金でスペインは黄金の教会を作ったのであるそれはまさに強盗をして奪ったもので建てたものなのである

真偽がわからないにしてもその時日本に布教をしたスペインに女性が奴隷として売られたとか言われる、日本では売るものがないというとき人間が必ず売られる
人間が奴隷化して売られていることは世界史をみればわかる
古代にさえ日本と中国が外交で何か与えるものが無いから生口を中国に与えたとしている
卑弥呼は239年(魏景初2年)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を贈ってきたと、中国の書に記されている

生口とは何なのか 中国、朝鮮の恐ろしい文化
https://artworks-inter.net/pc/2019/11/25/post-652/

魏志倭人伝にみる生口の検討
https://archives.bukkyo-u.ac.jp/rp-contents/RO/0009/RO00090R001.pdf

ここで生口とは男は奴隷であり女は性奴隷としているしまた人肉ようだったということも書かれている、「生口牛馬」とあるとき牛馬と同一化されて生口がある
牛馬のように売り買いされたということである
それは大陸だと常に戦争があり負けたら奴隷にされるのが常だからである
そのために大陸ではアメリカにイギリスでも奴隷商人がいて黒人が売買されたのである
江戸時代の口入れ屋というのも何か奴隷のように人が売り買いされる言葉に見える
そもそも日本では何か中国に贈与するものがなかった貢ぐものがなかったから生口を与えたとなる

つまり中国が巨大化して強国になると日本は朝貢(ちょうこう)になる
何か貢物をもってゆくことになるがなければ生口をもっていったとなる
スペインとか戦国時代でもヨ−ロッパの国が進出した時日本もマヤやインカのように収奪されるようなったのである
アジアの植民地化もその一環として大航海時代から継続されていた
ただ日本は鎖国したので鎖国できたので明治まで侵略されなかったのである

●ヨ−ロッパは富を世界から収奪して豊かになった

なぜヨ−ロッパが豊かになったかというとアジアとか南米とかアメリカから富を収奪したからである、ヨ−ロッパはもともと貧乏な国だったのである
イスラム国が豊であり文明国でありオスマントルコなどのように栄えていた
それで5ドルくらいで今度はイスラム国に白人がヨ−ロッパ人の女性が性奴隷として売られていたとなるのも驚きである
その後大航海時代からイギリスの七つの海の支配で世界帝国となった
ただこの時はイギリスに産業革命が起り資本主義が起り世界貿易で豊かになったのである東インド会社は最初の株式会社とされる
なぜならオランダなどで航海するとき船は航海で危険であり沈没したりするからみんなで株を買って投資した、危険を分散したのであく、それが株式会社の一つの起りとしてあった、今でも会社に投資するともうけも大きいがリスクも大きいからである

いづれにしろなぜ日本がこれほど貧困になったのか?

それを歴史的解明するとなぜ逆にヨ−ロッパが豊になりアメリカが豊かになったのかという問いにもなる
でもその成長も限界に来ている、資本主義とかは投資して成長するフロンティアが必要になる、それがなくなっている、残されたのは宇宙であるがそこに何か資源があるとかにはならない、土地があってもそれで富をもたらすることはないだろう
そしてこれ以上世界が経済成長できないというときグロ−バル経済は限界に来ている
中国経済ももう発展成長は望めない限界に来ている
それでSDGs(持続可能な開発目標)が盛んに言われるようになったのである
このまま世界が経済成長することは環境破壊になる、それはこの辺で起きた原発事故でもそうである、科学技術で豊になろうとしてももう住むことすらできない大惨事になったからである
つまり人間の技術にも限界がある、何か科学技術は無限に発展して限界がないような信仰にもなったのが現代である、でも限界がある、人間の技には限界がある
その限界を意識されるようなっている、全能なのは神しかいないからである
だからこうして歴史をふりかえるとなぜ日本は貧困になったのか?

●高度成長時代は日本の歴史でも例外的なことだった

戦後の焼け野原から高度成長時代になったのは技術力工業力があってそうなった
でもそれは日本が優れていたからではない、やはり経済も運が影響している
米ソ冷戦の中で日本はアメリカの支援を受けた、朝鮮戦争でもそうだった
そこでアメリカ軍を支援して成長したのである
何か子供のとき鉄くずを売って金にしていた、そうした鉄くずが集められたのは朝鮮戦争で鉄が必要であり日本が加工して売ったとなる
日本は日本自体ではもともと豊かになれない、資源もないからだ
だからアメリカとかに電気製品を売るとか車を売るとかで豊かになるほかない
今度は中国が巨大化すれば中国に物を売るということで豊かになるほかない
日本一国だったら江戸時代の鎖国のように平和であるにしろ貧乏で暮らすほかない
何か日本で庶民までも日本人の大半が豊になった時代はない、高度成長のような時代は日本の歴史てではなかったのである、だからふりかえるとそれは例外的なものだったのである、戦争に負けて不運だったのだが幸運にもなっのである

ともかく日本がなぜ貧乏になったのか、円の価値がすでに五〇年と同じになったとか
あらゆることで貧困化している、時代が逆戻りしている、東京だとわずかな富裕層とあとは貧困化したエッセンシャルワーカーしかいずスラム化するとも言われる
だからタイムセールで東京の底辺層がとり合いするとか結婚もできない給料が安くてできないとなっいてる、結婚したくないのではなくそもそも女性がそんな少ない給料では子育てもできないとして男性を選ばない、そこで独身者の一人暮らしが増えたとなる
結婚したくてもできないというのが現実になっている

ただ日本が豊かになれる時代が終わったというときそれは世界的なものでもある
資本主義は限界に来ている、投資する先がない、金余りであり金融資本主義であり本来の資本主義でないとしている、それは銀行でも投資先がない、これまでは利子がついていてその利子で老後でも貯金していれば増えるから悠々と暮らせるとなったが銀行がつぶれるとか預金封鎖だとか円の価値が五〇年前にもどったとか東京にスラム街ができるとかそんな話しかない野てある、退職金が2000万あっても三〇〇百万減らされたとかなる
高度成長時代は一千万あれば七年間くらいで利子で倍になった人もいた
だから二千万もらったとしてもその価値は半分くらいになっているかもしれないのだ
投資で増やそうとしてもそれも知識が必要であり簡単にできない
銀行でそういう素人をカモにして投資信託を売りつける手数料商売になったのである
投資そのものが資本主義では悪いとはならない、でもその投資の方法がわからないのである

●経済成長のない世界へ

ともかくこうして成長する時代は終わり限界にきて資本主義も終わるとか言われる
では次になにが来るのか?それはもう成長しないとなるとき分配を重視する社会主義政策になる、それを岸田首相が唱えるのもわかる
もう収入は増えないし一定である、するとその一定化した収入のなかでやりくりするほかないのである、そして分配を重視するというと全体の成長を計るのではなく分け合う思想になる
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この図のようにもう100しか収入はないというとき60をとっていた人は他の四人に分けるほかないとなる
そして全体的にも富を増やせないのだから江戸時代のように限られた世界で暮らす智慧が必要になる、グロ−バル化だとグロ−バルに発展するということがあるがそれも限界に来ているからだ、そのためにSDGs(持続可能な開発目標)が言われるのである
資源でも人口でも限界であり環境破壊になるとかなり人間の技術も限界だとかなる
それが原発事故で示された、科学技術は人間が無限に発展ずるとう信仰にもなっている
でもそれにも限界をがあることを知るべきである
ただ寿命を延ばすことなどはできる、でもそれが経済成長になるとは思えない
むしろ老人がさらえに増えてくるのだからかえって社会全体が老化するということにもなる、老人はあまり消費しないからである

ただ長生きは悪いものではない、ともかく人間は何か一つでも理解するのに時間がかかりすぎるのである
もう百才まで生きれば普通の人でも天才でなくても功績が残せる
私自身でも六〇歳以後にいろいろなものを理解してインタ−ネットで発表するようになったからである、つまりそれだけ成果をだすのはおそくてもいいとなるからである
それで長寿社会はハードの面ではなくソフトの面が重要なってくる
ソフトの面というとき文化的な面になる、それは物量的なものではなく物質的繁栄ではなく精神的内面の人間の新しい世界を作りだすことである
それが小さいことにしろパソコンのソフトで作りだしている自分の抽象画がその一つだったと思う、全然絵の才能ない自分がどうして絵を作りだしているのか自分自身で不思議だからである、つまりパソコンは今までと違って脳と心と深く関係したものであり今までもの技術とは違っているからである

それはワープロで文章を書くとき体験している、ワープロで文章を書くのと筆記具で書くのとかは違ったものになる、機械を通しして人間の脳が刺激されて拡張されているのである、それは米の生産を増やすとか他にも何か物量を増やすというものではない
文化的なものでありそれはGDPとして計算されない、そもそもなぜGAFAが世界を席巻したのか?これは何か電器製品とか車の生産とか違う、情報社会化したものであり物の生産とは違う、人間の心と精神と関係して生まれてきたのである
つまり人間の最後に残されたフロンティアが脳に心にあるからそうなったのである
人間の創造力と深く関係しているのがパソコンだったからである

●資本主義から社会主義へ?

いづれにしろ貧困化は深刻である、でも資本主義の成長原理で貧困化を解決できない
なぜなら成長そものもが限界に来ているからだ
だから銀行に金が集まっても投資する先がないのである
世界的にも実際は金余りであり投資する先がない、そして金融資本主義で金を右から左に流して利益をあげている、それは詐欺にもにているのだ
金融の操作で金が操作されて利益を産みだされている、実質はただ金を右から左に流しているだけである、ギャンブルと同じである、ギャンブルは何も産みださない、金がただ実は操作されて胴元に流れているとかなり陰謀論になっているのである

つまり100から200に量でも成長すれば分配も底辺層に回る、それが資本主義である
でもGDPでも増えなければ底辺層には回らない、福祉でも成長があるとき福祉にもまわる
それで大正生れの私の母親は60歳になったら年金を積んでいなくても一月三万円もらっていた、でも5年後とかなると4万もらったとか悔しがっていたのである
今はこういうこともないし福祉でも生活保護でも7万とかなりそれで生活できるのかとなる、円安でも円の価値が50年前と同じになったというのはショックである
日本の金の価値がそれほど下落したのである
そうなると外国ののものを買いなくなる、石油でも高くなり物価高になっている

日本はじり貧になってゆく、電気水道ガスがとめられる死ぬ人まででてくる
また食料でも外国から入るものは二倍とかな買えなくなる
ただサツマイモはとれているのか安いとか見て食べている
一応米も日本では余っているからそれがこれ以上高くなるとは見えない
とにかくもともと日本は全体的に豊かなになったことはなかった
ただ高度成長時代というのは日本の歴史で例外的なことだったとふりかえる
すると日本はまた貧乏な時代にもどるほかないのかとなる
貧乏にしても電気水道ガスとか石油は必要になる、それさえまかなうことがむずかしくなる、すると炭を使いとかるのか?そういうふうに追い詰められてくる
ただ電気も水道もガスも石油でもない時代でも人が日本で生きてきたからそれで万事終わりとならない、一応生きてゆくことはできるのである

資本主義がもう成長が望めないという時資本主義は終わる、すると社会主義にもなる
極一部の者か富を独占しているから貧乏なのだと富裕層に不満になる
それでアメリカでもサンダーとか社会主義政策を唱える人が脚光をあびる
岸田首相も分配の政策を言うのはそういう社会状況になっているからである
富裕層の採りすぎる分を底辺層に回せとなるからだ
もし全体的に成長するなら平等に富もまわってくる、でも成長が限界になると富はまわらない、すると極わずかの人が富を独占することに不満がつのる
そこで社会は不安定化してくる、犯罪も増える、富裕層でも安心して暮らせなくなるのである、そのことを富裕層は自覚すべきだとなる


YouTubeの「大学院卒なのに田舎で貧乏生活」も見てね
https://loveandfreedom.hatenadiary.com/?page=1641731809

ここではまだ延々と貧乏を嘆いている、そこから脱出できない、大学院でても文系とかなると苦しいのである
私自身が三流大学の文系であり就職もできずに二十代底辺労働者となっていたからであるただ親に恵まれて自分の好きなことをしてきたのである
でも自分自身も全く贅沢はできなかったのである
ただ時間だけはあったからバックパッカーとかになり旅をしつづけていたのである
外国だとその時中国だと物価が十分の一くらいだった、それが今や日本より高い
日本人は外国旅行は高値の花となる時代になったのか?
むしろ外国人が日本が物価が安いといかことでインパウンドで押し寄せたのである
観光で金を稼ぐほかなくなったということである、それだけ落ちぶれたということである




 


posted by 天華 at 14:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題