人間の一生の評価(個人は残るが集団組織は消える)
(人間の一生が無益だったとなることのショック)
●集団組織の価値は消える
人間の一生の評価が老人に対して起る、この人は一体何をしてきたのか、何を生きてきたのか、この人の一生の価値はなんだったのかと自らも問うし他者も問う
私の姉は認知症になり最後に千回も従軍看護婦としてマレーシアのジョホールバルで地獄を生きたことを語りつづけて死んだ
死ぬ間際までそのことを語っていた、それが余りにも過酷であり青春時代だったから老人になっても忘れることがてきなかった
そしてそのことを最も伝えたいことであり語ったのである
このことは日本の戦争で死んだ犠牲になった3百万人の一人のことである
要するに人生を一人一人でみても自分の生きたことはしてきたことは価値があり無駄でなかったとしたいのである
たからこそ靖国に祀られて国のために死んだ英霊としているのだ
この人達は戦犯だったとか言えないのである
それは一人の人間の一生でもお前の人生は何の価値もない益もないものだったと言えないと同じなのである
例え社会では評価しなくても家族で評価される人がいるしその価値は多様である
ただ個人としての価値と集団組織としての価値がある
現代は集団組織に属す人が大半だからその価値は会社とか組織集団の価値にある
だから会社を退職するとその人の価値はなくなる、大企業に勤めていたとしても価値はなくなる
かえって何か趣味を追求していて写真でも絵でも俳句でもなんでもいい、それが優れていると評価されたりする、会社で重役していたとしても退職すると価値がなくなる
その価値は会社に勤めていたときの価値だったからである
だから戦争を評価するのがむずかしいのがそれは日本国家に尽くしたという価値であり
集団組織の価値なのである、その価値をどう評価するのが本当にむずかしくなる
つまりそれを全く無駄だった、そんな戦争するべきではなかったという人の方が多いからである、すると戦争で死んだ人達もただ無益に死んだとまでなってしまう
●集団組織のために一生尽くしても無益となるショック
でも何か現代でも組織集団に属しているのが普通である、会社人間ではあり組織集団人間なのである
会社の組織の集団の価値がその人間の価値にある
たとえば創価のことを批判してきたが共産党でも組織集団に一生を捧げた人はいくらでもいるのだ、カルト教団でも間違っていてもそれに人生そのものを捧げた人はいる
そしたらそんな一生は何の価値もない社会にとって害になるだけだったとされたらどうなるのか?現実はそうでもそこに所属して一生を費やした人は認めないだろう
例えばオウムには優秀な理系の若者がいたけど死刑になった、その集団は犯罪集団にすぎなかったのである、するとその価値は無益化された、それより犯罪集団として処刑されたのである、悪の集団だったとなる
そういうことはナチスとかでも起きた、それは犯罪集団だったとされたのである
これと日本は違っていても日本では戦争で死んでも無益だったとか何の価値もない
犯罪集団だとか言えないのである
だから組織集団に一生を捧げた人も同じである、いくら社会的に批判されても価値あるものとして働いたと主張する、それは組織集団内でそうなる
でもその組織集団が消失したらその価値を伝えるものがなくなる
創価でも共産党でも他のカルト団体でもやがてその組織集団が消えたら価値も喪失する
でも社会というのは継続されてゆくのである
そして歴史的に評価される、その時そうした組織集団はなくなっていたり客観的にく評価される、そういう集団が現実に権力をもっているときは簡単にできないが権力を失うと客観的に公正にみるようになる、つまり歴史的評価とは長い時間の中でその価値が判定されるかことである、だからその長い時間の中で評価されるものは確かな価値があったとなるでも実際は組織集団でも一時的であり消えるものは価値ないとされる
その時その価値は虚しくされる、何の価値もない、ただ実際は社会に何の価値ももたらさなかった犯罪集団だったともされるのである
でも現実今内部にいる人達に対してお前らの価値はない、無益だなどと言えないのであるそういうことを気付いてもあくまでも価値があるものとして主張しつづけて死ぬことになる、無駄死になどと戦死者に言えないのと同じである
でも組織集団とはいづれ消えてゆくのではないか、もしかしたら国家とか民族すら消えてしまうのではないか?
ユダヤ人は国家を失い離散した、でもユダヤ人は国が無くても残りイスラエルを再び建国した、でもイスラエルの価値はイエスキリストを神の子を出したことでありユダヤ人集団より世界に広まったのはキリストの信仰だったのである
集団組織の価値は長い時間の中で消失してゆく、でもイエスキリストの価値は永遠に残る
また組織集団の価値は時がだてば消失する、何か墓に上等兵とか記された墓がそちこちにまだあるけど誰かその価値を認めて偉い人だったとか今思うだろうか?
でも戦争の時はみんな偉い国に尽くした人だとしていたのである
墓に軍隊の位を示すことはそれを社会で認めていたからである
でも今になるとそうした位を墓に記していてもこの人は偉い、国に尽くした人だとか見ている人がいるだろか?何か虚しいとなる
ただその位だけが大きく墓に記されているのである、その位の意味が今あるのかとなる
これが組織集団に生きた価値が消失していると見えるのである
●この世に生きる限り権力に左右される
権力というのはあくまでもその時代で権力をもっていたから評価される、無視できない
それを認めないことは生きてもいけなくなる、弾圧もされる、戦争の時逆らったために権力にみって殺された人もいるし預言者はたいがい殺されたことでもわかる
だからこの世の権力を否定することは生きることもできなくなる
なぜなら組織集団が数が多ければそれは経済的にも十人が買えば売る方では無視できない本でも出版するにしても本屋では売れない本は起きたくないし置かない
もし大勢の人が買ってくれるなら置くのである
それで仙台の書店で入り口に幸福の科学の本が山ほど並べられていたことでもわかる
それは会員が買うから書店でも置くのである
出版とかでもマスコミでも必ず権力が働く、だから大きな権力を持っている組織集団は圧力をかける、創価が藤原弘達の「創価学会を切る」を置かせなかったのもそうである
創価はそれだけの権力をもっているからだ、創価に逆らう者は排斥される
原発でも原子力村が権力化して安全神話を作った、それに逆らうことはできなかった
出版でも確かに危険を言うものはいた、でも書店の片隅に目立たないように置かれていたのである、だから原発が危険だという報道はほとんど地元の報道機関でもしていない
それが大きな事故となったのである、またナチスが席巻したのも危険な権力集団を放置していたら無関心だったからそれが巨大化したとき全国民がその組織集団に席巻されたのである、つまり警告もしない、すると危険なものが巨大化して社会を支配するようになっていたのである
つまりこうして実は組織集団は権力化して危険なのである
それは経済だと独占法違反だともなる、ある会社が商売で独占してしまうことは社会にとって危険だからその法律ができた、それがGAFAだったのである
トランプ大統領まで発言させないようにしたからである
●権力組織集団の価値は消失する
おそらく組織集団とかの価値は消える、でも個人の価値は消えないのである
でも個人はこの世でば認められないのである、なぜならこの世で認めるのは権力だけだからである、権力ある者しか相手にしない、権力とはいろいろある、今の時代は数が権力なのである、数を集めれば票を集めれば権力となりそれを社会では認める
何百万人も会員が信者がいるのかとなり恐れもする
そしてこの世で個人は認められない、発言すらできない、何か一見個人が発言しているように見える、でも個人は発言できない、この世に認められて発言しているようでもそれは必ず背後に集団があって組織があってその集団組織が後押して発言できるのである
純粋の個人は発言できない、社会では認めない、地元の図書館でも個人というだけで自分の本は置けなかったからである
つまりこの世から個人は抹殺されるのである、でも十人でも数を集めて信者でもあれば
認める、十人集まっても権力になるからだ、一人だったら何の権力もないのである
だから公的機関でも完全に無視して認めないのである
この世で存在させられなくされる
でも不思議なのは歴史に残るのは個人である、組織集団は消えるのである
民族すら消える、国家すら消失する、もちろん会社組織でも消える、現実に日本の大企業でもなくなっているからだ、組織集団は一時的なもので消えてゆくのである
もちろん大衆とか群衆などはもう何もなくなる残さない、砂のように影のように消えてゆくだけである
日蓮であれ親鸞であれキリストであれ開祖は個人は残るがその組織化した団体は残らないのである、要するに何の価値も残さないのである
ただそれは権力集団だったのでありその権力とは時代によって変わる、そこに価値を認める人はいなくなる、日本の軍隊でも戦争の時は最高に価値あるものであり軍人は一番偉い者だったのである、今になるとそれは全部無価値とはならないにしてもそんな価値あるものと見ないのである
いづれにしろ人間一生の価値が最後に問われる、あなたは何をしてきたのか、何を求めてきたのか、何を残したのか・・・とかいろいろ問われる
そしてあなたの一生は何の益もなかったとされるほどショックはないのである
でもそういうことが最後に起きて来る
その価値が無価値にされる、結局空の空だったとなる
いくら価値ある主張しても結局誰も認めない、それは権力ある時だけのことである
ただそして最後は茫然として死んでゆくだけだとなる
様々な世界の帝国も結局滅び栄枯盛衰の跡なのである
永遠に栄える国はない、それは神の国にしかありえないのである
●文明は墓場となって終るーしかし不死鳥のように蘇る個人のロゴスの声
とにかくその一生は徒労だったとなる、その努力も徒労だったとなる
文明そのものでもそれが墓場になるというときもそうである
残ったのは墓だけだったとなる、エジプト文明で残されたのも実際は墓だけだったとなるからだ、文明自体が墓場と化してしまったということである
つまり人間の真実の価値はこの世で認められないし実ることもないのである
それは神の国でしか実らないのである、そうしていくらでも価値あるものが消失させられたからである戦争でも病気でも貧乏でも才能は開かず終わった者も多いのである
この世とは常に権力闘争の場所でありそのために人々がある
会社でも何か会社の派閥闘争に敗れて海外旅行している人がいた
会社とか小さな世界でも常に人間の権力争いはある、集団組織でも一枚岩ではなく常に派閥争い権力闘争がある、それは人類が始まって以来ある
それが人間の業(カルマ)なのである、だから最終的にそのカルマによって人間は滅亡すると聖書では予言されているのである、欲によって滅びるとされるのである
その逆説として権力をもたないもの権力自体が否定された
みどり子に治めさせよとか老子の治めずして治めるとかである
つまり欲のないみどり子や自然のままに治める、上に立って支配する人もいない世界である、それこそ理想社会たとしている、結局それは神の国でしか実現しないのである
この世には限界があるのだ、新しい天と地を望むことでありこの世はいくら科学技術が発達しても政治でも治められない、必ず災いが生まれ権力闘争が生れ争いがやまないので
上に立たないで下僕になりなさいというのが実行できない、俺はお前より上だとして争うのである、国同士の覇権争いもやまないのである、米中戦争になるというのもアメリカに従いアメリカが世界を支配するとなり争いがやまないのである
そして最終戦争ハルマゲドンになり人類は滅亡する
ただその後に神の国が来るのである、そこに望みがある、つまりこの世は終わりつつあるただその終末にはこの辺で起きたように信じられないことが起きる
それがもしかしたら今年かもしれないのである
しかし神に選ばれた者は救出されるのである、それがノワの箱舟なのである
組織集団人間は消失する
群衆大衆は砂のように
影のように消失する
無数の者が虚しく消えてゆく
しかし個人の声は消えずに
全地ににひびきわたる
その声は大地に岩に山に
ひびきわたり反響する
真実の日はロゴスはそこにある
不死鳥のように蘇り
そのロゴスの神殿は不壊なり
ともかく現代とはもう言葉も通じない、ロゴスは破壊されている、それを統一するものがもない、カオスなのであり必ず迷路に入り出れなくなる
そこに何かサタンの魔殿ような偽善団体があり権力をもって支配する
そこに真実は語られることはない、ただアウトサイダーがその文明圏から除外されて
神の声を聞きロゴスの中に生きるのである
しかしそれは文明から除外されているから見ることもない、隠されているのである
しかし不死鳥のようにその個人の声はよみがえりロゴスの神殿にひびきわたるのである
そこに神の実現したいものがあり神がそこにありたいとなりそうなる
ただ文明の世界はカオスでありバビロンでありそこから除外されている
だから見えないしその語ることも聞こえない、文明とは雑音の世界だからである
雑音の中で真実の声はかき消されるのである
自分が引きこもり(隠者)となって追求したのはこの自然のロゴスであった
それは文明から離脱してないと聞こえないものだったのである
文明の雑音から離れないと聞こえない見えないものだったのである