2021年12月01日

歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 (福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化

(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

旅も交通の変化で変わる、しかし旅が行程にあり道草にあり宿にあった
とにかく歩く⇒自転車⇒バイク⇒電車⇒車⇒飛行機と変わる時見える風景も違うのである旅という時江戸時代まで歩くことだったのである
宿というときあくまでも歩く旅の行程で休む場所であり旅の行程の中に必然的にあった
宿がなかったらとても歩く旅はつづけられない
だからホテルとはホスピタルから病院の語源になっている
つまりトラベルというとき苦労を意味している、旅とは難儀なことだったからそうなったまず歩く旅だったら苦しいからそうなる、それで宿に着いたら足を洗うというのはそれだけ汚れているし疲れているからである

江戸時代に街灯などなく、江戸のような街中でもかなり暗く、町はずれにもなれば足元も見えないほど真っ暗。
というわけで旅人は「7ツ立ち」といって夜明けの少し前に旅立ち、夕方前に宿場に入って宿を探した。

何か江戸時代でも誤解するのは現代からイメージするからそうなる
街灯がないとか暗いというのもそうである、その感覚がわからない
もう夜になった怖い世界である、歩くこともできない、すると早めに歩き出して宿に着くことを心掛けなければならない、そういう当たり前のことがわからなくなったのである
一日40キロ歩いたというのも信じられないともなる
城下町の相馬市から原町までくらいなら30キロにもならない、でも原町は宿場町であった、浪江とか双葉の方でも宿があった、参勤交代とかあり必要だった
ただそれが地域の農民の負担になっていた、無償の労働でもあったからだ

現代では交通が発達して歩く旅がない、だから歩く旅がどういうものかわからなくなったそれは電車から車社会になったとき何か電車というのがノスタルジックなものとして実用があっても見るようになった、何かなつかしいとなる
そして駅が人の出合いと別れの場所であり人生の織りなす一つの活きた場所だった
人間臭い場所だったのである、今やそういうのも薄れ駅は無人化してゆく
田舎駅だとぽつんと一人くらいしか待っていない
そこで駅員がいなくなり自動化したときたまたまボランティアで駅のまねをしたことが貴重だった、人間はともかく何でも経験することが貴重だった、なぜなら人間は経験することがわずかだからである、いろいろなことを経験できないからである

それで福島中央道ができたとき今までの道を車も全く通らない、人も通らない、これは何なのだろう不思議だった
つまり福島中央道ができたとき旧道化したのである、その道沿いの店はすたれた
何か廃屋が目立った、でもサイクリングするにはいいしサイクリングロードになったのかとも見た、そこはもともと家は少ない所であった、でも車はそれなりに通っていた
今の福島中央道を見るとひっきりなしに車が通っているからだ
交通量が増えたのかもしれない、最速三〇分というのは早い、前はバスが通っていたが
大分前にバスは廃止された、でも玉野村では一日数回くらい子供のせたバスが走っているそしてバス停がありそれが過去の遺物のように残っている

相馬市から霊山を通り霊山町の小国の方に行った、その道が旧道化して不思議だった
この辺では前の街道の旧道でも結構車が通っている、でもあそこは車が通らない
ただ原発事故で牛を飼って牛乳を作っていた農家が放射能汚染でやっていけないと自殺した場所でもあった、今はソーラーパネルが問題であり反対している
実際に玉野村へ行く宇多川を上って丸森の方に行く川の上の山はまるごとソーラーパネルになっているのに驚いた、あれだと木がないか保水力がないから川の水が増すことになるただ人家がないから目立たないから気付かない人もいる
森の木材が利用されないからあのようになった、江戸時代は木材の利用で相馬藩と米沢藩と伊達藩でその木材資源をめぐって熾烈な争いがあった
それだけ木材資源が豊富な場所だったのである

いづれにしろ相馬市から宇多川をさかのぼり玉野村に出て霊山の方に行き霊山町に出る
道は旅するにはサイクリングするにはいい道だったと思う
八木平とか犬飼というバス停が霊山町の方にあった、これは安曇族の系統のものであり
霊山町の方まで移住して住んだのである、途中隠されるように山津見神社があったからだもちろん本元は飯館村の佐須村の山津見神社だから近いのだから霊山町の方まで移って行ったということはイメージできる、でもその海洋民の安曇族のことを誰も調べていないし語られていないのである、それも何か奇妙なのである
まず原町区には特に綿津見神社がやたら多いからである、でもその謂れもは語られていないのである、これも郷土史を調べていて奇妙でありおかしいことだと見たのである
八木沢とうげというのも八木氏の姓に由来している、この一族も安曇族の同族であり系統だったのである、だから意外だったのである

現代では旅はなくなり保養観光になった、常に宿で保養するとなると食べることに関心がありあとは温泉につかり日ごろの疲れをいやすということでもともとトラベルという苦労する旅はなくなった、第一数日では歩く旅は不可能である、一日歩いても疲れるからである、それを歩きつづけるとなると本当に苦行になるからだ
ただ江戸時代とかの宿場町は観光ではなく物を運ぶ中継点としての役割があった

最も重要な役割として、隣の宿場から運ばれてきた公用の荷物や通信物を、次の宿場まで運ぶという業務がありました。そのため宿場は、本陣、脇本陣、旅籠などの宿泊施設と、継ぎ送り業務を行う問屋場が中心となっています。
https://www.ktr.mlit.go.jp/yokohama/tokaido/02_tokaido/04_qa/index2/a0201.htm

要するに宿場とは当時の生活で欠かせないものだったのである、それは物見遊山で旅するのとは違っていたのである、もともと電車でも北海道などでは他でも石炭を運ぶものとして作られていたからである、常磐炭田などでもそうである、常磐線は東京に石炭を運ぶものとして作られていた、今になると東電が原発を作り送電線で東京に電気を送るというふうに変わったのである、やはり東京が百万都市であり消費の場になるから地方から資材を運んでいたからである

最近温泉街が飯坂でも会津東山温泉でも廃墟化した映像をyoutubeで見て驚いた
有名な温泉街が廃墟化している、それもビルのホテルが建ち高度成長時代に会社の団体旅行でにぎわった一時代が終わったことを象徴していた
何か高度成長時代の名残として団地も廃墟化している、そして日本で全国でこれから空家が二千万軒になるというのもいかに空家が増えて日本が衰退してゆくことがそれで象徴されているのだ
仙台市の人口は増えているがそれでも宮城県で六五歳の人口が三分の一とか多いし意外と丸森は12パーセントくらい人口が減っている、山の中にやはり空家が目立った
丸森は鉄道でも仙台市に行くのが乗り換えがあったり不便なのである
ただ自然には恵まれているから好きである、でも過疎化しているのである
また南相馬市で人口が増えたとしてもそれは浪江町とか双葉町とかからの原発事故関係の移住者が多いからである、地域全体を見れば人口は減り衰退しているのである
飯館村などは廃墟の村と化しているしそういうことでも相馬藩とされた地域全体では相当に衰退してしまったのである
これまで財政的に援助があったが十年過ぎてその援助もなくなった、すると財政的に相当に厳しくなる、福祉関係の予算でも相当にけずられるのである

相馬市から霊山町までの地名の旅 (簡単な案内と説明)
http://musubu.sblo.jp/article/189154950.html

なぜ南相馬市と相馬市に綿津見神社と山津見神社が多いのか?(1ー前編)
( 八木沢峠ー八木平ー犬養(犬飼)(いぬかい)は姓名であり安曇氏と同族だった)
http://musubu.sblo.jp/?1575552281


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温泉若おかみの殺人推理 (ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


温泉若おかみの殺人推理

(ホテルは料理でもてなす所ー関サバがテーマのドラマ)


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外国人でも日本に来ることの目的が日本の料理が目的だったのである

このドラマのテーマはホテルで出される料理のことである
ある時老女が一人で泊まりに来た、それで断ろうとしたが今時そういうことは時代に合わないとして受け入れさせたのがホテルのコンサルタントの女性だった
このドラマはいかに客をもてなし寂れたホテルを復活させるかがテーマである
その中心が料理なのである
ここで関サバというのが名物である、これは全国的にも知られている
ここだけでとれる特別のものである、潮流とかの関係で一本釣りでとるのである
その老女はこのホテルに結婚して夫と来たことがあった
でもその夫が死んだので一人で思い出のホテルに泊まりに来たのである
そして夫のために御膳をもう一つ用意してくれとなった、陰膳である
でも関サバは出せなかった、でも九州の旅の帰りにまた寄ってくれたら出すと料理人が約束する
そこで命がけでその関サバを出すために自ら仲間であった漁師ととりにゆく
前に関サバを無理に獲りに行って父親と兄貴が死んだ女性がいた
その女性はそのことでずっと恨んでいて殺人になったのである

このドラマで感じたことはもう涙ぐましいほど命をかけてまで魚をとりお客に出すことがドラマのテーマとなっていた、ホテルとは何度も言うけどホステル、病院から発している旅人を癒す場として病院の役割があってその言葉が生まれた
それだけヨ−ロッパでも旅することがトラベルであり苦痛だから難儀だからそうなった
言葉は何か生まれるにも歴史があって生まれて来る

もう今は旅はない、旅とは江戸時代のように歩き宿に泊まり旅をつづけることである
宿はそのためにありそこで休養をとりまた歩いて旅してゆくのである
今は目的地に直行して車でホテルや旅館に行きそこで食べることが楽しみとなる旅であるそれはあくまでも保養の旅であり旅とは言えないのである
つまり現代では旅人がいないのである、江戸時代辺りまでだとどうしても歩くことになるから自ずと旅人になっていたのである
現代か旅は喪失したのである
だから最近温泉街が廃墟化しているのに驚いた、会津の東山温泉でも飯坂温泉でもそうである、温泉街とは高度成長時代の会社の団体旅行などがあって成り立っていたのである
また団体で商売のためにそうしてホテルに泊まらせてうまいものを食べさせることで客に物を売っていたとなる
そういう商売も日本経済の衰退で成立たなくなったのである

そもそも本来の旅は喪失している、旅人ももういない、バイクで旅しているとしても早すぎるから通過して行くたげだともみる
現代では通過する旅が多い、何か目的地に早く到達してホテルでうまいものを食べるのが楽しみだとなる、別に車だから多少疲れていても歩いてきた旅人とは全く違っている
そこでもてなすとうまい料理を出すことだとなる
それが目的でホテルに泊まるということでありこれは外国人でも同じだったのである
外国人だと日本を旅したいと見たがそうではない、やはり日本で日本の料理を食べたいというのが一番大きかったのである、人間は一般的にそれだけ食べることに一番関心があることが共通していたのである

旅の思い出はホテルで食べた料理の味

これは旅とは言えない、まず旅はしていない、移動してホテルの自慢の料理を食べることだとなる
だからこそ関サバを命がけとって客を喜ばすことが第一だとなる
そこに地域の人々が漁師でもかかわって観光客をもてなすということである
ここではもう旅はないのである、旅人もいないのである

私の旅の経験では何か福島県の石川なのか鮫川なのか阿武隈高原を自転車で旅していて
万屋がありそこでご飯と味噌汁を御馳走になったことである
なぜそんなことをしてくれたのか不思議だった、今はそんなことありえないからである
そんな山の中で旅人をもてなしてくれた、それも金を出さないのにそうしてくれた
これが何か記憶に残っているのだ
他でも湯殿山ホテルに泊まったのは迷ってしまいホテルがあったので行った
普通は必ず自転車旅行者は断られる、でもそのお上は一室を用意してくれたのである
それもありえないことだった、ここに人間の情が本当のもてなしがまた活きていたことを経験したのである
でも実際はそれはもう例外的なものであり自転車旅行者など受け付けないのである
でも自転車旅行者は相当に疲れているのである、だから疲れをいやしたいのである
でも今のホテルはそういう人のために旅人のためにはないのである
つまり何か上品な老女でも来てまた見かけがいい重役のような人が来てうまい料理を出してもてなすことが目的化しているのである
そういう人を金持ちをホテルの従業員も迎えるということである

現代では旅する人は稀有である、猪苗代の湖南の福良では蔵の宿に泊まった
それは昔の白河街道の通り道だった、それも不思議だった
でもたまたまであり普通はそういうことない、でもそういう宿は記憶に残るのである
まず旅を思いだして果たしてあそこで旨いものを食べたなど記憶に残るだろうか?
それはドラマのことでありそんなにうまいものを食べたことが記憶に残るとも思えないのである
ただ一回だけ新潟の小出の魚野川の食堂でそこでとれたての鮎を焼いたものを食べた
それはうまかった、安いけどうまかった、それを特別感じたのはもう鮎がこの辺では食べれなくなったことが影響していたのである
子供の時は父親が近くの川で大きな鮎をとってきてそれを食べた記憶があったからだ
今は普通の川では鮎はとれたとしても小さいしうまくなくなったからである
確かに何かうまいものを食べたものを記憶することはある
でも何かそれが旅の記憶となるのかとなると疑問である
何か旅を記憶することはむずかしい、記憶する旅をすることはむずかしい

ただ宇多川をさかのぼり霊山の方へ行った時旅した感じになった
それは一応長い行程を行ったからである、ともかく旅に明け暮れた人生だった
だから旅とか旅館とかホテルに興味がある、でも現代では旅は喪失した
温泉街が廃墟化したというときやはり観光の仕方が悪かった、時代の変化がありそれに適応でなかったからかもしれない、今は何か旅を演出しないとできない
それは時間もかかり金もかえってかかるとなる
昔の街道を歩くようにして昔のままに茶屋をもうけて休ませるとかする、すると旅した気分にはなる
巨大なテーマパークのようなホテルがあるがそれはもう旅とはなんの関係もない
ただ巨大娯楽場であり旅と関係ないのである
交通でも便利になんでもやはりそこで失うものがある、特に便利さを求めて何か人間の豊かさを失うことがある
みんな金でなんでもできると思うができない、かえって金がなくても時間があり体力があるだけでも旅はできる、莫大な金をかけてもすべて価値あるものを作りだせなてい、
そもそも江戸時代の旅は一か月とかあり歩くのだから体力がないとできないからである

ただうまいものを食べるだけに旅はしていないのである
旅する時間をかけがえいのないものとしてするということがなくなったのである
なぜ西行であれ芭蕉であれ山頭火であれ旅人でありえたのか、旅をできたのか?
それは命がけでもあり旅をそれだけ人生で意味あるものとしたからそうなったのである
それは遊行でも命がけでありそに人生の価値を見出していたからである
今やそこまで思って旅する人はいない、気楽に旅してホテルでうまいものを食べることになった、ただそうしても金をかけても本当の旅をしたことにならない
つまり人間は何でも金だけでは得られないのである、そこが誤解している
旅は別に時間があり体力があれば金がなくてもできる
私は時間もあり一応体力がなくても中年から自転車旅行ができたからである
私の旅の目的は旅することでありうまいものを食べることではない、だから金もないから食べ物に贅沢できない、旅できればいいと思っていたからである

旅の道茶屋に休むや秋の暮

旅人の逢いて分るや秋の暮

松一本標しとあれや秋の暮

遠くへと旅人去りぬ秋の暮

こんなふうに歩く旅とは人間的になる、それで旅は道連れ世は情けなとなった
しかし道連れもいないし情けもなくなったのが現代なのである
何か情を交わすとういことがないのが現代なのである
駅でも無人化して迎えるのはロボットにもなる、そこに人間はいないなくなるのである
いろいろ進歩したとしても何かその中でも必ず失われるものがある
それが失ってみて貴重なものだったとなるのである
人間でも家族でも死んでみてその貴重さを認識する、ただ今や旅を回想して死んだ人を追憶しているだけとなったのである

つぐつぐ人生も旅である、人は出合い分れる、それは本当に貴重な時だったのである
一期一会の貴重な時だったのである、なぜならもう二度と合わない、みんな死んでゆくからである、実際に今やこの年になると家族も全部死んだし知っている人も死んでゆく

歌舞伎俳優で人間国宝の中村吉右衛門さん死去 77歳

この人は良く時代劇で見ていた、この人も死んだのかと驚く、テレビの画面でしか知らないけど77、78歳で死ぬ人が多いとみた、人間はとにかくこうして人間が出合ったとしても忘れてゆく、この年になると次々に同年代が死んでゆくからである
そしてつくづく人間がこの世で出合うとは何なのだろうとなる
出合った人でも死んでゆくからである、それもつかの間の出合いだったとなる
そして永遠に出合わないとなるのが人間なのである
人間とは本当にこの世で出合うのは束の間なのだなと思う
それでけさよならだけが人生だというのは名言になったのである、最後はみんなそうなるのである


歩く旅の喪失と保養としての宿の変化 
(福島中央道から地域を考える―車が通らなくなった道)

posted by 老鶯 at 19:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 旅の記録

2021年12月02日

abstract stones and rocks


abstract stones and  rocks


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pyramid stone

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2021年12月03日

栄える家と栄ない家の謎 (家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

栄える家と栄ない家の謎

(家が歴史郷土史の基本ー死者は家に生き続ける)

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御家の旗がある



我が家の歴史


我が家を創りし者
我が父と姉と母
父はこの町に移り
苦労の末に一辺の土地を買う
その土地は悪しき土地なり
二階水害にあいぬ
その後姉と母が新しき家を建てる
その家は大きく心地良し
この家に父と母と姉との力の宿る
我はこの家を受け継ぎ住みぬ
この町の一角に住みつきぬ
後妻の母の子は我が家に受け入れられず
不幸なりしは我が家の暗黒となる
兄は遠く集団就職で静岡に去る
そして交通事故で40才で死ぬ
その不幸ゆえに一基の墓を建つ
この家に父と母と姉との力の宿る
この家に住み我は力を得る
一代にて栄はならじも
故郷の大地に根を張りし木のように
代々受け継がれて栄はありぬべし
故郷の冬の日にそのことを深く感じぬ
栄は一人にて一代にてならじも
代々の人の力ありて成りにしを・・・・

人間が一番関心があるのが自分の生れた家であり故郷でもある
聖書が大きな国の歴史ではない、そもそも家族の歴史なのである
神に選ばれた人の家族の歴史なのである
家という時、天皇家というのも家族の歴史でありそれが日本が歴史になっている
平家源氏も家のことである、家が王家を作り歴史となる、この辺だと相馬氏が支配者となり歴史を作ったとなる、それで「御家」という旗印がある
外国でもハウスブル家がヨ−ロッパの王となり支配者ともなったことでもわかる
徳川家が三百年江戸時代支配者となったのもそうである
歴史とは家の物語(ヒストリー)でもある
ただ私が家を意識するようになったのは家族が全部死んでからである、それで遅いが自分自身が家を継いだ者になったことを意識したからである
なぜなら自分一人しか家を継ぐ者が残らなかったからである

父親は葛尾村の出であり双葉町の昔は新山の酒屋で丁稚として働いていた
それで暖簾分けしてこの土地に住むようになったのである
だから相当に苦労した、貧乏でもあった、ただその時代はみんな貧乏だったのである
それで刺身を食べれるようになったが病気で食べたくないと言って死んだのである
戦後十年くらいで豊かになったときである
おそらくまともな教育も受けられず学校にも行かなかったから上の学校にあげろと言ったのも苦労したからだとなる
たいがい苦労した親は子供にそういうからである
そう言われても私は大学に行ったとしても勉強はしていなかった
何か無念に死ぬ人が多い、自分がかわいがられたのは50以上になって生まれた子供だったからだろう、でも兄は母は後妻であり5年間は一緒に育ったが後は実家で育てられた
そして集団就職して交通事故で40才で死んだのである
その責任が我が家にすべてあるとはならない、結婚した妻が不倫したとか何か兄自体にも問題がありそうなった、別にその時、集団就職した人も多いし全部が不幸にもなっていないからである

ともかく家にはいろいろな事情があり複雑になっている、だから他者の家がわかりにくいのである、自分の家にしてもわかりにくいのである
ただ確かなことはどうしてもその家が栄えるのは一代では無理である
何か栄えるという時、その前に積み重ねがあってそれを受け継ぎ栄えるとなる
ただ受け継ぐといっても受け継ぐ人が息子でも駄目な人だと栄ないのである
その人の親は両親とも正直なまれにみるいい人だったのである
でも息子がそんな親から生まれてとにかく駄目な男だったのである
そしてその孫の息子は自殺して死んだのである
今はその息子も死んで家は更地になる

いい両親から生まれてもその家が栄えるともならない、だから家を公式のように見れないのである、そもそもよほど深い関係でないと他者の家のことがわからないのである
ただ歴史が家から始まり家の物語(ストリーヒストリー)だったことは世界的に共通しているのである
相馬藩だと相馬氏という一族の歴史であり今も野馬追い祭りがあり相馬氏の殿様が出るから歴史が続いているのである

そして家の歴史というときまた田舎だと地方だと家と土地が密接に結びついている
なぜなら農業中心の社会では土地から実りを得るからそうなる
家と土地は切り離されずあった、ただ農業から工業社会に変化したとき家の重みも減少したとはなる
都会だと家とか土地とかでも何か一定の場所に根付くというのではなく一時的に住んでまた移り住むという感覚になっている、土地に定住するという感覚が希薄だからである

いづれしろ郷土史というとき特に個々の家の歴史が基本になる、でもこの家の歴史が事情がそれぞれ複雑でありわかりにくいのである
自分の家の歴史でも親戚の歴史でも複雑すぎるのである
それを語ると切りなくなる、母親の実家はやはり後妻が入ってきて複雑化したのである
そしてばらばらになった、一家の墓も二つに分かれたりした
そして不和分裂の家でありそれが影響して親戚関係は全部切れたとなる
どうししてそうなったのか?やはり後妻が入ってきて家が乱れたからだろう
それも仕方がないという事情もありそれが全部の原因なのか?それも良くわからないが
母親の実家は何か不和分裂の家でありそれでみんな死んでも遺された者も分裂して終わったとなる
家が乱れるということはそれは国が乱れることにもなる、なぜなら国は家の歴史でもあったからだ、だから天皇家が乱れると国家まで乱れるとなるのである
それで真子様の結婚問題が国家の問題にまでなっているのである

死者達の霊をかく敬い
その価値のわれらのうちに増しゆけば
誰か幽鬼と化す者あらむ
われらが精進と験し看破し
それを便りにあらゆる領域で
われらが君の同族と認めてくれ給え!

(ある古風な墓碑銘に寄せる歌詞ーハンス、カロッサ)

人間は死んでもそれで終わりではない、そのつづきがある、死者は確かに肉体は消失するでも何かそこに残すものがある、歴史的人物とか作品は歴史の中で語られつづける
だから死んでから百年後でも語られることは依然として死者は歴史の中で生きているのである、「その価値のわれらのうちに増しゆけば」ともなる
死んでから返ってその人の価値が増してゆくことがある
生前は価値を認められない人もいるからだ、そして逆に死者が幽鬼と化すことがある
これはまさにこの辺で起きた原発事故が証明した
空家だらけのゴーストタウンや村になった、そこにはもう人は住まず死者は活かされず
幽鬼が棲むようになったからである

死者は二回死んだとなる、一回は死んでもまだ町や村があったから受け継ぐ者があったが二回目の死は受け継ぐものがなくなり幽鬼の棲む町や村と化したのである
歴史は個々の家の歴史でも回りがあって全体があって故郷があり国があって成立っていたからである、ある土地の家が裕福だというときそれは回りの力でそうなったともなるからだ、それが原発事故でだいなしにされたのである
でも原発ができてこの辺で豊かになり財を築いた人もいるのである
でもそれは本当の栄ではなかったのである、だからそうして富を得たものは呪われた者ともなったのである、つまり子孫の繁栄をもたらさなかったのである
だからその子は親のことをいいとしないし語らないし忘れるとなる
歴史の中で受け継がれず価値を増さないのである
故郷を捨てて移り住んだ人は一から別な土地で歴史を刻むことになったからである
ただ金になればいいということで本当の豊かさはありえなかったともなる
そこに大きな落とし穴があったとなる

2021年12月04日

日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検 (学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)


日大の田中英寿理事長を脱税の疑いで逮捕 東京地検

(学生運動を抑えるためにのし上がった、学生運動とは何だったの?)



この年、日本では東京大学と日本大学でほぼ同時に学生たちの「異議申し立て」が起きました。東大は医学部学生の処分撤回要求であり、日大は大学による使途不明金の疑惑解明要求と、内容は異なっていたのですが、これをきっかけに全国の大学で、それぞれ独自の要求を掲げて学生運動が盛り上がりました

1968年(昭和43年)1月の日本大学理工学部教授の裏口不正入学あっせん謝礼にからむ脱税事件と、5月に東京国税局の調査によって明らかになった22億円の使途不明金問題を発端として日本大学学生が爆発した。この使途不明金は、研究費、研修費などの名目で教職員に支給されたヤミ給与が大部分であったが、組合対策費や政治家などへの対外渉外費といったものもかなり含まれていた。

この国税局の脱税調査のさ中の3月に、経済学部会計課長の富沢広の失跡や理工学部会計課徴収主任の渡辺はる子の自殺という事件が起きている。利潤優先のマスプロ教育と学生の自治活動などに関しての時代錯誤的な管理体制に対する学生たちの長い間の不満があった。日本最大のマンモス大学において、膨大な学生数に比べて教授陣容や教育施設の貧弱さ。学生の集会は禁止され、ビラや掲示なども全て許可制で、自治会活動に関しては大学側と癒着した右翼・体育会系学生の暴力的圧殺があった。



これに対し岸信介首相は、右翼団体と、暴力団関係者を用いて対抗。この事態に、石橋湛山、東久邇稔彦、片山哲などが事態を収めるために首相退陣を勧告しますが、岸信介は応じません。

6月10日には、来日したジェイムズ・ハガティ大統領報道官が、羽田空港周辺に押し寄せたデモ隊に包囲され、海兵隊のヘリコプターで救出される事件が発生。

6月15日には国会内に突入したデモ隊と機動隊が衝突し、東京大学の学生が死亡しました。これをきっかけに学生が暴徒化し、この日に負傷者約400人、逮捕者約200人、警察側の負傷者約300人が発生しました。

安保闘争の背景にあった「日米安全保障条約」とは。何に反対した?

学生運動は何だったのか?確かに自分が大学にいたとき起きた、だからその当時は直接参加しなくてもかかわっていた
ただ何なのかわからなかった、

●マルクス主義にかぶれたものがそうなった

●当時の政治状況安保とかベトナム戦争の反戦

●マスプロ大学で文系の学生が失望してエネルギーを発散


その頃私立大学でマルキスシズムの教授が多かった、思想傾向としてあった
私自身は大学が大衆化して大学とは名ばかりでありエリートでもなんでもなくなっていた私は大学に行きたいというより東京に行きたいという憧れがあって行っただけだった
私は高校とか窮屈だったし故郷脱出願望が強かった、その後も故郷脱出願望が強く旅ばかりしていたとなる

今になると何でそんな過激な運動が起きたのか?それが良くわからないのである
ただ創価に入っていたから創価でも池田大作の支持で学生運動のまねをさせられたのである、学生部があってそうさせられたかのである
そこには学生自身の自主性はなかった、上から操作されるだけだった
つまり創価とは常に大衆を相手にしてその時々の話題になることで会員を獲得することであり数を増やすことしか眼中にないのである、権力志向しかないのである
それで原発でも二番目くらいに宣伝を出していた、潮とか第三文明とかでそうなっていた何か双葉町にも創価会館がありそこには人が住んでいないので不思議だった

何か日大の田中理事長が逮捕されたことこれが学生運動と関係していたということは意外だった、すでに半世紀前のことでありそんなことが関係していたということである
日大で学生運動が盛んになったのは社会問題より日大内部の不正が原因していたのであるまたマスプロ大学となり授業でも千人以上の講堂で教授が講義されるとかで何か失望して学業より学生運動に青春のエネルギーを費やした浪費したともなる
その学生運動を抑えよとして体育系の学生を使って暴力でまた抑えようとした
その時田中理事長は相撲部にいたからそれにかかわって功績があったとしている
現実に体育系は右であり学生運動した人たちの足を刃物で切ったとか聞いた
学生運動している人より体育系の人たちは怖いのである

私は一時体育会に所属していた、でも体が軟弱でついていけなかったのでやめた
その空白に創価に入ったとなる、何か大学はこうして授業にも興味をもてないし空白化して学生運動に熱中したということもある
不思議だったのは一日マージャンしている人もいたしパチンコしている人もいた
そういう人でギャンブル人生になった人がいたというのもわかる
何か暇でそうなったのである、それと高校と大学の差があまりに大きすぎたのである
大学だと私立系では授業に出ないことを自慢していたのである
つまり大学とは遊ぶ場所としてあったから不思議である、ただ高校は窮屈であり自分にとってはいい場所だったのである

ともかく人間はその時々時代で過去になるとふりかえる、なぜそういう行動をしたのかと反省する、それは原発事故でもそうである、なぜそんなことが起きたのかと私は追求して来た、でも原発は安全神話が権力によって原子力村によって強固に作られていた
反対できるものではなかったのである、地元にはふんだんに金がばらまかれて手名付けられていたし地元で原発を反対すれば住むことすらできなくなっていた
今は逆に住民か故郷に住めなくなったのである
戦争しの時だってその戦争に反対すれば権力側によって特高がきて警察につかまったからである
学生運動は権力志向はなかった、ただ何かに対する社会に不満でありそれが「理由なき反抗」にもなった、理由がなくてもそういうことが青春時代に起るからである

その頃からもはや大学生はエリートでもない旧制高校とかのエリートとはまるで違ったものになった、つまり何でも大衆化したのである、そこでエリートがどうあるべきなどないただ激増した大学でマージャンとかパチンコに費やすものもいれば学生運動するものもいればカルト教団に浪費するものもいる、それが文系の大学だったのである
ただ不思議なのは今回の日大の事件でそのことが半生紀過ぎても続いていたことである
当時の学生運動を抑えた者が体育系の人達が出世して日大を牛耳ることになったことの驚きである
これは悪い方面で継続されたのである

人間はとにかく右でも左でもいい、継続されることが一貫したものがあることがその人を作る、だから別に右でも左でもいいのである、一貫することがその人を作りその人を見ることになるからだ、まず学生運動とかマルキシズム共産主義運動は継続されなかったからである、みんな体制の中に組み入れられてその運動は一時の馬鹿騒ぎのようにして終わった、それは歴史的意味も持たないものとして終わった
もし歴史的意味をもっているとしたらそれは歴史の中て評価されつづけるからである
人間で大事なことはやはり長い目で見て価値があるかどうかである
歴史的評価に耐えるものが真に価値あるものなのである、それは芸術でも同じである

それでそうした社会的大きなことでなくても家族の中でも親が死んでもその価値を増すとういことがある、それは社会でもそうである、50年過ぎても100年すぎてもさらに価値が増す場合は本当に価値あるものだったとなる、人物でもそうである
要するにいくら大衆化して一時的なものには価値がないのである
一見数が多いから集めたからそれが価値があるとはならない、継続しないからである
大衆社会はあるゆるものが一時的なものとして終わりやすいのである
何か目新しいものが生まれては消えてゆく流行なのである、宗教すらそうである
何かの運動でもそうである、様々な運動が現れて消えてゆく、目新しいものを求めて一時的に現れては消えてゆくのである、政党でもそうである、何か政党名が変わっただけで
新しいものとして歓迎されるが泡沫のように消えてゆくのである

posted by 老鶯 at 09:34| Comment(0) | TrackBack(0) | 時事問題の深層

2021年12月05日

南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う (小高に住んでいる女性である)


南相馬市原町区北泉のサーフィン場で清掃のボランティアに逢う

(小高に住んでいる女性である)

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Tシャッツを飾っているので何だろうと思った
清掃のボランティアだった、海をきれいにしている人達だった
その女性は秋田からきて仙台市にも住んで小高に今住んでいる
地元のことに詳しいから結構長くいるとなる

まだボランティアがいるということだがあまりに関心がなくなっている
一時はボランティアに来ても帰ってゆく人も多いという、やはりなじめないのでそうなる何か地元でも関心がなくなる、外部からでも十年過ぎると関心がなくなる

何かその女性は積極的であり秋田から来た東北人にも思えない
それで語尾にんだといっていたのは何故だろうと思ったら秋田弁でンダスと語尾の発音になる

このンダというのは東北弁で共通なのである
ところが仙台弁だけはちがう、だっちゃだっちゃになる、だからもともと伊達藩の仙台圏は東北でも異質の場所なのである
ただ丸森の人はんだちゃといったときんだにはこうしてバリエーションがあると思った
んだーだっちゃが合成してんだちゃになったのである
方言は何か国の訛りというように面白いのである

とにかくどうしても震災から十年過ぎて十一年にもなると関心が相当に薄れる
何か私は景観にこだわる、景観のいい場所には行ってみたいとなる
小高とかはあまり景観に特徴がないのである、双葉とか大熊辺りでもそうである
飯館は別である、高原の別世界になっていたのである
丸森は阿武隈川あり蔵王が見えるとかであそこは景観に魅力がある
鹿島区だと意外と気づかないかもしれないが蔵王は鹿島区からも晴れた日にはっきり見えたのである、この辺では高い山が無いから蔵王を見れることで南相馬市では鹿島区がいい場所だとなる、原町区になると蔵王は見えないからである
ただ原町区の魅力は街の魅力であり景観ではないから別である

私の場合はこうして景観がいいというときその場所に何度でも行きたいとなる
浪江町だと高瀬川渓谷があるからあそこに行ってみたいとなる
でもあそこは避難区域になっていて行けないから残念である

ここのサーフィン場には飲み食いする場所がない、だから作ればいいと話したが商売として成り立たないとやっていけない、ただサーフィンに来る人はいる、外の人も来る
でも景観的には火力発電所とかありいいとはならないのである
それでも遊園地もあり休む場所が欲しいとはなる
posted by 老鶯 at 17:55| Comment(0) | TrackBack(0) | 福島原発事故関連

2021年12月06日

寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)


寒椿、枯野、冬の海、白鳥(俳句は写生で修行で作る)

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石黙し赤き誠や寒椿

二子山ここを離れず冬日没る

みちのくや枯野の向こう船一艘

墓残り海老浜に見ゆ冬の海


冠雪の蔵王の見えて白鳥の群れ飛べるかな朝日まぶしも

石垣のめぐらしここに家建てて落ち着きぬかも冬の日さしぬ

荒々し冬の波音ひびくかな津波の跡の無常なるかな

今はまだ寒椿ではない。冬椿なのである。ただ寒椿の方がよりいいと思った
赤き心とは天皇への忠誠心でもあった、でも誠とは新選組でも旗印となったから天皇だけはない
誠とは嘘つかないとかであり日本人の心としてある
人間に共通する普遍的なモラルである

石黙しというとき禅宗で座禅を組んで沈黙の修行をする
自然と一体化する沈黙が必要なのである、それが修行なのである
俳句の様なものでも修行が必要であり精進しないと上達しない
俳句は写生と写実である、だから比較的他の芸術より修練すればいいものができるとはなる、その方法が明確だからである、それを明治になって提唱したのが正岡子規であり
それが俳句の世界に革新をもたらしたのである

俳句そのものは必ずしもいいものになっていない、究めていない、でもその方法を編み出したことに功績があった
意外と芸術という時、ARTとは技術とかの意味もあり広範囲な意味がある
医療までartだったのである、だからARTとは技術的要素がありそれで革新できる
それで私が試みている抽象画がそうである、写真でも絵でもデホルメして作りだしているからだ、これも芸術だとなる
これこそ全く絵の才能がゼロなのにやはり創作だとも見たからである
二次三次製作でもやはり創作的なことがあると思ったからだ

二子山とは大原の二つの山であり二子山に見えるのだ
海老浜の方は村自体が津波で消失した、残っているのは墓地だけである
そして墓が冬の海を見ている
みちのくというとき枯野がにあう、海には船一掃しか見えない
兵庫県の方から来た人が瀬戸内海とは随分違うでしょう、あそこはひっきりなしに船が
通っている。ここはただ海が広がっているだけであるからだ


キボードが使いない、親指シフト使えないと苦しい、パソコンは文を楽に書けないと苦しい、親指シフトで始めたので自分の場合なじんだのである





2021年12月07日

東北弁のんだについて 東北弁のんだについて

東北弁のんだについて

人間は地域地域で言葉も違ってくる
日本だと山にさいぎられて交流がないと互いに意思疎通が難しくなる
それで飯館村の大倉村と佐須村が民情が違うと合併しなかった
五六キロくらいしかはなれていないのである
ただそれでも歩くとそれなりに遠いのである
言葉にしても日本語が共通語になるのは相当時間がかかったのである
そして沖縄と青森に平安時代の言葉が残っている
何か化石のように辺境に残ったのである

東北人のずーずー弁は共通している
んだが語尾になる、

んだ
んだす 秋田県
んだちゃ 宮城県
んだは共通している、東北は蝦夷の地域である
ただ宮城県は仙台は商都でありそれで

だっちゃ、だっちゃ、

となる、この語尾が特殊なのだ、これは大阪弁のように押しが強い語尾なのである
んだは口ごもるような言葉である、そういう傾向が東北人にはある
宮城県は伊達藩は正宗が出たように特殊なのである
あのような芝居かっかたような人はいないからである

ともかく言葉は国の訛りでありそれが面白いのである
現代は地域性がなくなっている、だから方言からその地域性みる
方言は国の訛りでありそれは文化なのである







2021年12月08日

重要ななネットインフラ (デジタル社会に適応せざるをえない)


重要ななネットインフラ

(デジタル社会に適応せざるをえない)


dellのノートパソコンを使うのに苦労した

インターネットにはまだいろいろ問題がある

セキュリティの問題もアキレス腱でありそれで常にパスワードが問題になる

そしてパスワードがもう十個くらい別々にあり忘れる

するとアクセスできなくなるから困る

ドラマで必ずパスワードがわからなくなり必死で合わせて助かる、つまりパスワードは命にも関わっているからだとなる

ドワでも閉じたのわいいがパスワードを忘れると開けられなくなり死ぬことあり得るからだ

私が失敗したのは自転者のカギである、パスワードを忘れて開けられなくなった、これも怖い、何故ならもしパスワードを忘れて開けられなくなったらどうにもならなくなるからだ、つまりパスワードはそれだけ重要だとなる。パスワードがわかれば重要な情報は盗まれて致命的になる

ここにネット社会の弱点がある

それと情報でもせっかく創作したのでも一瞬にして消える何か不具合があると一瞬にして記録したものが消えるる、また消すことができる

これも大問題なのである、本に出したもの消えない、どこかで残っている、電子本でも長くは残らないとも言う

いかに記録を保存すらかも大問題である

それから依然として文章にするのが進歩していない、手間なのである、私は富士通の親指シフトになじんでワープロからパソコンンの世界に入った

もしこれがないと入りずらかったのである

ただ文字入力でもdellだと校正しなくてもいいようだ、私の文は必ず誤字脱字などが多かったからだ、これも機械が変わると防げる

この文はデルのノートパソコンで打っている

ローマ字入力で打っている、だから遅くなる

この辺は進歩していないのである


とにかくネット社会にデジタル社会になるとこれに適応せざるを得ない、私は20年前からパソコンはしている

でもスマホはしていないのである、だからデジタル社会に適応してないともなるのだ

社会がデジタル社会になるとき仕事も変わる、新聞とかテレビでも変わる、マスコミはテレビは国の運命すら決めるとまでなっていた、それだけ報道できるのはマスコミしかなかったからそうなったのである

この辺で来年一月に市長選挙があるが政経東北で今の市長が相馬市長の子分でいいなりだとかかれて抗議した

この報道の影響は大きい、選挙に相当影響する、だから

マスコミは力を持ったのである

でも政経東北も金で動く、双相リッテクの宣伝していたからである、何十億の除染費用を山分けしていたからである、こうして報道でも公正にはならない、報道にしても調べるにしても金がかかるからだ

また警察とと親しくしないと情報すらはいらないからである、そのために検事と新聞社の記者がマージャンしていたことがわかったからである

ただネット社会化すると選挙にも影響するかもしれない、もし南相馬市長選挙で私が発言して影響すればそうなる、そうなっていたのがマスコミだったからである

だから政経東北の記事が判断材料になる

そもそも市役所の内部のことまでわからないからである

マスコミが報道することで判断する人も多いからである」、ネットだと確かに一個人でも発言はできる、でも影響はわずかであるまた信用度にも欠ける

でも政経東北でも全面的に信用できるかとなるとできない、双相リッテクから金をもらっていたからである

私はネットだと金はもらっていない、そういう人が大部分である、今はyutubeでも宣伝費をもらっているからだ

いずれにしろメデアは相当に変わる、スポーツ新聞の記者が辞めてネットに活路見出したというのもそうである

新聞は岐路う立たされている、ネット社会にデジタル社会に適応せざるを得ないのである


そのためにネットインフラ重要になる、国家的にも重要になる、道路を整備するようにインフラが重要になる

民営の会社だけでは維持できないともなる、自分にとってレンタルサーバーのさくらは重要である、ここでは不具合が一回しかおきていない、バックアップ体制がある、ただ民間だと権力がかかわりつぶされることもありえる、そんなに大きな会社ではないからである、そこに不安がある、そういう発言の保証もない

だからネット社会はデジタル社会は国がかかわらないとできないともなる、ただどいうふにかかわるかとなるとむずかしい、自由が制限されるようだと問題だからである














(人間が消えた方が自然には良かったーSDGs(持続可能社会ー老子の思想) ドラマの一シーンから


(人間が消えた方が自然には良かったーSDGs(持続可能社会ー老子の思想)

ドラマの一シーンから

「何か協力したいのですが・・」
「今何ができるというんだ」
「何かはあると思うですが・・」
「何もないよ」
「何かあると思うですが・・」
「うるさいな、あえて言えばお前が消えることだよ」
「・・・・・・・」

テレビドラマの警官同士の問答だけどこういうことがある
この世を良くしようとしても本当はその存在自体が悪になっていること邪魔になっていることが結構多いのである
それは人間だけではない、技術にもありうる、物でも機械でもありうる
原発などなかったらいいとかある、それが大迷惑になるものだったからである
核など科学者が優秀でも発明してそれが人間社会にとっていいものだったとかとなるとならなかった、原子爆弾となり核戦争で人類が滅亡する恐怖にふるえなければならなくなったからである

「核技術は人間にとって必要だ
これなくして人類の人間の幸福はありえない」
「そんなことはない、むしろ災いにもなるから慎重にすべきだ」
「リスクは何にでもある、リスクを恐れてはならない、そうしなければ進歩もない」
「それが疑問なんですよ、核が無くても人間の幸福は追求できる
むしろ核がない方が良かったのです、進歩ということはこれも危険なものがあったのです」

何かこうした逆説が常に人間社会には成立つ、あるよりない方がいいのである
そうしたら人間がいない方がいいとかなる
地球の災いの最大の原因は人間にあるからだ
人間が増えたことによりグロ−バルな災いが生れた、グローバル化した結果世界大戦になったともなる
江戸時代は中国の脅威もなかった、韓国とも友好的だった、グロ−バル化で友好が促進されることにもならなかったのである

中国の脅威はアメリカより過酷になる、中国人は近いから今でもそうだが住みつくからである、そして住むことによって中国人が日本人の上に立つことになる
そうなるとウィグルとかチベットにもなる、中国人社会にされてしまうのである
漢族中心の社会になる、チベット人は迫害されてネパールに逃れていた人と逢ったからである
中国には依然として十何億もいまとしたら日本に送り込まれて漢人が支配する社会になるそれはアメリカが支配するのとは根本的に違う、ウィグルとかと民族同化になり同じになるのである、そこに中国の最大の脅威がある
老子の思想にひかれるのは人間も数はいらない、小国寡民であり治めずして治まるとか無用の用とかを言ったことである、つまり二千年前にすでに文明を否定していたのである
だから鍬まで使うと人間がそこなわれるとまで言ったのである
道具とか機械まで否定したのである

今の状況が現代文明が老子が警告したようになったともみる
無用の用が必要でありいらないものが多すぎる、人間でも多すぎる
この世を良くしようとしてもそもそも人間が邪魔だから消えることだとなる
経済成長一点張りとかも否定される、小国寡民の思想はコロナウィルスでもこれから経済成長とかばかりを目指す社会ではない、グロ−バル化はかえって災いも大きいものだっからである
これに賛成する人はいないがもし人類を地球で養うのは限界でありだからこそSDGs(持続可能社会)持続社会が望まれているのである

 衣服のことで思い悩むのか。野の花がどのように育つのか、注意して見なさい。働きもせず、紡ぎもしない。 しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

 このように人間は文明を作ったけど着飾ったけど結局それも美とも言えない、浪費だともなる、そんなに体にまとうもので着飾っても人間自体は美しくならない
 それより自然界では鳥でも何でも着飾っていない、それで自然に調和して美しいのである、人間はいくら着飾っても人間そのものが内面が汚れている
 だからむしろ人間はこの自然の汚点であり消えた方がいいということが成り立つのである

本当の美は白鷺でも白鳥でも自然そのものに同化しているものである
何も着飾っていない、人間の造りだした物がなぜこんなにに醜悪になっているのか?
それは大都会を見ればわかる、そこに美はないからである
つまり大都会自体が醜悪なものだということである
何か協力したいのですが社会を良くしたいのですがと人間が寄ってきてもかえってお前がこの世からいなくなることが最もこの世を良くするともなるのである
人間を見ればそうなる、そうして私は人間嫌いになり引きこもりになったのである
人間は見たくないとなったのである

成さずして成るというとき人間は成し過ぎたのである、科学技術でもそうである
様々なことを自然に手を加えて成し過ぎたのである、老子の思想は植物的思想である
山や木や石は何も成さない、ということは自然界に災いをもたらさないのである
自然に調和していれば成さなければ原発事故で故郷に住めなくなるということなどありえなかったのである
この辺はそういう人類の教訓の場にもなったのである

「私は社会を良くしたいのですがどうしらいいですか」
「あなたは何もしないことです、むしろ消えることです」
「えええ、そんなことありえない・・・・・」

これも逆説なのである、社会に有用になろうとしてもそれが災いにもなるし人間そのものが自然に調和しないものだからそうなる
何かそういうことを思わない、役立つものとして必死になっているのが人間なのである
役に立っているという時、大きな自然界からみればそうではない、害悪になっている場合がある、社会に役に立つとしてもそれは小さなことでもある
人間が社会でもいくら役たとうとしてもたかがしれたものになる
役立つという時本当に役立っているのは自然界である、でもこの自然界に感謝する人もいないのである、第一空気とか水に感謝する人はいない、ありふれたものに感謝はしない
原発事故でこの辺は空気すら吸えない、水すら飲めない状態になったのである
つまり人間が余計なことをして成してそうなったのである

むしろ人間は悪を成すのであり悪を成さざるをえないのである、なぜなら欲があり欲を充たすために悪を成す、何も成さないでいられないのが人間なのである
そうして人間の災いは尽きることがないのである

みちのくに安らぎあれや山眠る

みちのくの大地に抱かれて眠る
静寂の大地に抱かれて眠る
そこに人間の顔も見ない
不平は限りなく尽きることがない
石はただ黙して大地は山は眠る
聞こえるのは枯野に風のうなる音
人間の騒擾は消えて休みに入る

みちのくという場は安らぎと休息に向いているのである、東京から大阪とかまでは活動の場であり騒々しいがみちのくの効用は安らぎと休息の場なのである
それも必要なのである

東京を電車で離れみちのくへ秋の陽映えて沈みけるかな

みちのくへというときまさにこういうふうなのがふさわしいとなる
ただ東京にも十年以上行っていないから遠くなったとはなる