飯館村考ー何が失われたのか?
(一つの詩から問うー失われた貴重なものとは))
●飯館村を象徴する詩から考える
世界の秘密 ホーフマンスタール
深い泉たぶん知っている
かつてみんな深く 無言だった
そしてみんながそれを知っていた
奥底まで理解されずに
口づてで語られる呪文のように
それは今人々の口から口へ伝わっている
深い泉たぶんそれを知っている
その泉をのぞきこんで 一人の男がそれを知った
それを知ってやがて失ってしまった
宝石がそこに隠されているとも知らないで
乞食の足は砂利をふみつける
飯館村では失われたのは何なのか?この詩がそれを象徴しているかもしれない
深い泉というとき「作見の井戸」が飯館村にあり豊作になるかどうかを占った
その井戸が知っているとういとき自然の神秘がありそれを村人が知っていて
祭りとして行われて来たとなる
飯館村というとき広いから近くてもわかりにくいのである、回りの森でも深いからそこには踏み入れていない場所があり神秘があるとなる
今回訪ねたのは大倉から佐須の方へ行く道の山間の高い所に一軒家があった
前は二軒あった、でも一軒しか残っていない、そこには人は住んでいない
でも蛇口があり水が止まらず流れていた、飯館村とかではまだ自然の水を利用している
吸い上げたりして利用している、他でも利用していた場所があった
そもそも水でも水道はなく自給自足であり水はあった
それは自然の水だったのである、街内でも水は井戸水だったのである
農家ではみんな井戸水だったのである、自分の家では井戸がなかったらか近く井戸ある家で水をもらっていたのである
飯館村なら山の家なら水は自然の水があった、そこではどうして暮らしていたのかとみると炭焼き小屋の跡があるから炭を作って街に売っていた
炭が現金収入になっていた、街中でも炭が燃料であり自分の家にも囲炉裏があったということが不思議になる、そんな生活があったということが不思議である
だからつくづく戦後十年の生活経験は子供にしろ貴重だったとなる
人間はやはり水とか燃料となるものとかが今でも大事である
それが水道とか石油とか電気に変わったからである
結局その電気に変わったことでそれが原発になりこの辺では大被害を受けた
飯館村が一番放射線量が高く被害が大きかったのである
佐須村で泥が25マイクロシーベルトとかあったことには驚いた
それだけ放射線量が高かったのである、南相馬市とかの海岸地域は二日三日やはり20マイクロシーベルとになったが急激に下がったのである
ところが飯館村は一カ月も高い状態がつづいたし福島市でもつづいたのである
だからわからないのは福島市の方が南相馬市より高かったのである
でも補償金はほとんど出ないとなっていたのである
それは東風が吹いて飯館へ吹き福島市まで吹いたからである
春になるとその時海から東風が強く吹くからである、その風にって福島市の方まで流れたのである、その時期が悪かったのである、なぜなら冬だったら北風であり海の方に流されたからである、一カ月遅れて事故になっていたら被害は大きくならなかったのである
その時雪が降ったりしてそれで放射性物質も雪とともに降ったのも不運だったのである
ただ飯館村が原発と関係ないと言うがやはり原発で働いていた人がいたのである
それは給料が三倍にもなるし意外と重労働ではない、何分か交代してやる
中に長くいて作業できないからである、すると休む時間の方が長くなるともなるからだ
原発で働く人はこの辺では本当に多かったからそれで財を築いた人たちもいる
そのことであまり東電を批判できないという人達も多いのである
●飯館村の歴史は古い
こんこんと水は湧きいず紅葉映えここに暮らしの失われしかも
ともかくあのように閉ざされたような隠れた場所に生活していた人がいたということが今になると不思議になる、それが不思議だというときもともとそういう生活が江戸時代からでも継続していたのである、つまり電気も水道もガスでもなくても人はそこで生活してきたのである、一時は戦後引揚者が入ってきて一万人近く住んでいたから驚く
その時は林業が盛んであったから住むことができたとなる
でも基本は自給自足の生活だったのである
第一飯館村には縄文中期の古い遺跡があり縄文時代からでも人は住んでいたのである
まったく人が住まない森でもなかった、もともとは日本がだったら森にどこでも覆われていた、その後稲作技術が入ってきて森が切られて平地になり米が作られて住むようになった、それが弥生時代なのである
そして不思議なのは佐須という地名は焼畑地名なのである、でも焼畑の技術は外部からもたらされた
それが山津見神社が佐須村の中心にあるけどまた綿津見神社があるけどこれは渡来人がここに入植して焼畑を伝えたからである、それで南相馬市には本当に綿津見神社と山津見神社が多い、この二つの神社に対になっていて一体なのである
長野県の安曇町は安曇族が入植した地でありそれで船の祭りが今でも伝えられている
海人族で船の操作にたけた人達だったからである、最近では南相馬市の鹿島区で船の線刻が発見されている
ともかくその一団が相馬藩一体に入植して拓いたのである
でも謎なのはその時代はいつなのか?それが不思議なのである
おそらく縄文時代があり次に弥生時代があったとすると弥生時代だともなる
そんなに古いのかというのも謎である、ただ焼畑農業はこれは実際は稲作より古いのである、それは月と関係している、五穀の神である、山では稗とか粟とか山でとれるから山芋とかもとれるらそれなりに山でとれるものがあり生活があった
だから飢饉の時やるに逃げろというのは何か食料になるものがあったからだとなる
ただ山の生活とかが戦後は特にわからなくなったのである
山津見神社には狼が祭られているけどそれも焼畑と関係している、畑がイノシシとか鹿とか猿とかに荒らされるというとき狼が天敵となっけ追い払ったともなるからだ
加工されたニホンオオカミの頭骨や牙が縄文時代の遺跡から出土していることから、その頃にはオオカミに対する信仰があり、頭骨や牙をお守りにしていたと推測されています
江戸時代以前から伝わる農家の旧家で形成される集落では、住宅や土蔵の入口に武蔵御嶽神社のお犬さまの御札を貼ってお祀りを続けているといいます。
飯館村の旧家からも狼の御札が発見されたのである、ともかくこの狼信仰は犬神信仰となり長く継続されていたし古いのである、縄文時代から信仰の対象ともなっていたからである
飯館村はこうして相当に古い歴史があり飯館村が無くなるとなるとこうした歴史も失われるのである
それより残念なのはここでの森があり自然と一体となり暮らしていた暮らしが失われることである、それが原発事故で一番罪深いことだった
それを象徴しているのが自然の水を湧き水であり山の清水でも利用していたのができない放射性物質に汚染されて水すら飲めなくなった
これが原発事故の酷さを示していたのである
そして補償金で村は分断されてばらばらになって離散してしまった
多額の補償金をもらった結果として不便な村に住みたくないとなり若い人は流出して残されたのは別荘に住んでいる老人だけだとなる
●飯館村の今後はどうなるのかどうすべきなのか
でも若い世代が流出したから村はもう継続できないとなる、多額の金をもらってもそれで村が元の村にもどることはない、飯館村でも補償金で争って分断して二派に分かれた
これもふりかえると南相馬市でもそうだが政府の策略だったのかともみる
補償金で内部抗争して分断された、そうすれば政府を一致して批判するより内部で争うから政府とか東電にとっていいとなるからだ
放射線量など正確に計れないのである、空気自体が汚染されているし水も汚染されているしそうしたらどうして汚染度合いで決められるのか?
そこで政府では大成建設とかにモニタリングボストの下の土をとって放射線量を低くしたのである、それは私もその回りを計ったら放射線量は倍にもなっていた
だからモニタリングボストの放射線量は実際は倍だとなみるべきである
そのことで抗議した
役場にあった線量計の値が平常時の年間許容量(1ミリシーベルト)を1日余りで超える「毎時40マイクロシーベルト超」を計測していたと指摘。驚く長谷川さんに向かって、村職員が「この数字、公表しねえでくれよ。(菅野典雄)村長から『絶対人に言うな』と止められている」と“口止め”されていたことを明かしていた。
長谷川健一さん死因は「甲状腺がん」…福島原発事故と戦った飯舘村の酪農家が投げかけたもの
これショックだった、やはりこれだけ放射線量が高かったら何らかガンになっても不思議でとはない、菅野村長のレリーフがある小さな公園が佐須村にできたがこの人は本当にそうした功績があった人なのかとみる、一か月間これだけの放射線量をあびたらなんらか体でも症状がでる、これから増えるとすると怖い
菅野町長は強引に村人を避難させないようにしたのである
ただその時何が起ったのか急なことで理解できなかった
それは南相馬市でも桜井市長がいち早く北海道に逃げたとか言われる、その真意はわからないがどう対応していいのかわからなくてそうなった
その自分自身も何が起きたのか理解できずに爆発した時でも外を歩いていたのである
ここでも半分は避難したが半分は残っていた
何が起きたのか急なことで理解できないからそうなったのである
いづれにしろ飯館村は自分にとっても思い入れある場所である、自転車で何十回も七曲の坂を上って行っているからである
ただ別に村の人とは何の関係もしていない、花を見て帰るとかだけである
自分にとって一番神秘的だったのは木戸木の森におおわれて流れであった
あそこは手つかずであり神秘的な場所だった、それも道ができてなくなったのが残念だった、ただそこに十軒くらいの戦後に開墾に入った引き揚げ者がいたのである
でも自分はそこには注目していなかった
あんな辺鄙な所に住んだのは住む場所がないからそうなった、そこでもどういう生活をしていたのかわからなくなった
ともかく飯館村は広いから未だにわからない場所がある、森でも広いからである
そういう踏み入っていない場所が相当ある、飯館村が今後どうするのか?
それはもう飯館村だけではどうにもならないのではないか?
もう自治体として自立して存続するのは無理ともなる
ただ土地はか山林を持っている人達がいてそれを利権化しようとするだけの場所になるのか?ソーラーパネルなどは土地を貸すからそうなる
牛の村でもあったがそれも極端に減った、これも存続するのがむずかしくなる
佐須村では花の村として丘に花畑を作ったりはししている、花は放射線と関係ないからである
もともと何か飯館村に入ると草深く野の花でも映えるしきれいに見える、今だ汚されていない花に見えた、そして広いから森の中に隠されるように農家があった
その前の広い庭に畑があり花が映えてひっそり静まっていたのである
それをただ天から神が見ているような感覚になっていたのである
そうして広い場所に森に隠されるように一軒一軒家があるからそれが贅沢だと見ていた
そういうことは都会ではまた街でもありえないからだ
街の庭は狭いし家々が隣り合って窮屈で息苦しいともなっているからだ
それでそこは癒しの場となっていたのである、なにかほっとする場所になっていたのである
●飯館村の貴重なものをとは何だったのか
飯館村の自然自体がなくなったわけではない、やはり森に囲まれた村でありそういう自然はなくなっていない、でも村として自治体として自治できる村なのかとなると今後は相当にむずかしい、だからもう南相馬市と合併するほかない、そこで管理されるほかないと地元の年配の女性が言うのもわかる
その人は村議会選挙で南相馬市の人はかかわるな邪魔だというのとは違っていて飯館村の現状をわかっていてそう言ったのである
飯館村にもいろいろな人がいる、でも一人の印象が悪い人がそれもその村の印象となる
ただ自分にとっては神はその暮らしを隠したというときそこに自然の花がより美しく映えていたとはなる、つまり人ととかかわらないとき自然の美だけが映えていたとなっていたのである
それでもその隠された暮らしすらなくなるとどうなるのか、猿やイノシシに荒らされ放題になってしまう、人はそこに住んでいないからである
だから原発の被害の影響は一番飯館村に現れたのである
そこにあった自然とか暮らしを根こそぎ奪ってしまったのである
木にしても3マイクロシーベルトが樹皮で計ったらあったから森自体が汚染された
その森から放射線は消えないのである、循環しているから消えないのである
落葉になって土に還るけどそれで放射性物質は消えないのである
だから土をとるとか大変な作業になってしまうのである、溜池を除染したけどそれだっけ森から放射性物質がきりなく流れてくるから除染作業は終わらないのである
真野ダムにも相当な放射性物質が貯えられているけどここだってもう除染することが不可能であり依然として飲み水としてペットぺットボトルの水を買って飲んでいる人達がこの辺でいる
要するに水とか空気とか森とか汚染されたら住めなくなるということである
この甚大な被害を修復するのもプルトニウムだったら二万年も毒が消えないとなる
こんなものをなぜ作ったのか、その管理もずさんでありただ「安全神話」を権力で作り金をばらまきそれでよしとしたのである
それでも東電の幹部は訴えられても無罪を主張している、そもそも検察がグルだったから裁くこともできないのである、天下りしているし利益を得ているからである
何が失われたのか?それは村人でも意識しないものでもあったかもしれない
村人でもみんながそこに暮らすことで満足していたわけではないからである
深い泉たぶんそれを知っている
その泉をのぞきこんで 一人の男がそれを知った
それを知ってやがて失ってしまった
宝石がそこに隠されているとも知らないで
乞食の足は砂利をふみつける
一人の男が知ったとはその男は誰のことなのか?宝石が隠されていたが乞食の足によって踏みつけられた、その乞食とは誰なのか何なのか
原発乞食と言われた補償金だけを要求しつづける人達なのか、またそうした自然の村に住んでいても踏みつける人たちなのか、外部の人達なのか、それを示唆した詩がこれだったのである
大倉から佐須へ行く山間の高い場所にあった家の写真をとれないことが失敗だった
もう一回行ってとってこよう