2021年10月23日

大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)


大輪の白菊、秋薔薇(フラワーアレンジメント)

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一村や農家の古く柿に蔵

石一つ十輪ほどの秋薔薇

新しき家も幾年秋薔薇

大輪の白菊映えし広間かな


大輪の白菊御前に我が家かな今日も勤めぬ心正しく

大輪の白菊にそえ色違ふ小菊いろいろ映えにけるかも

大輪の白菊活けて塵つかず今日も御前に勤めけるかも


今年は秋がなくて冬になった、今日も寒い、こうなると季語も合わなくなる
北海道で鮭かとれなくてブリが大量にとれたというのも日本の気候が変わり季節が狂うとなる

秋薔薇というとき田舎町であり十輪くらい咲いているのが心にしみる
つまりこの十輪とは人間をイメージするのである
人間の付き合いも親しくなれるのが10人くらいかとも見る
だから何百万とか会員のいる宗教団体などはもうただの数になってしまう
庭に石一つがありそして十輪ほどの秋薔薇が咲いている、それで落ち着くとなる

この辺では震災以後新しく移り住んだ人が多い
十年過ぎてもやはり新しい感じになる、でも徐々に土地になじんでくる
でも土地になじむには時間がかかるのである
だから都会から田舎に移っても老人になると60以後になるとなかなか土地に親しむというかなじむのがむずかしいとなる

大輪の白菊を活けて飾る、その大輪の白菊が家に映える、広間に映える
この生け花は目前で花を見ることで心と一体化するのがいいのである
そしてこの花は何を意味しているかというとやはり中心に大輪の花がありその花はあたかも祭壇なのである
花を礼拝するのではないが花を中心にして人もあるとなる

それは社会でも会社ならそうして穢れの無い花を飾る、それが中心となり人もつとめ働くのがいいのである
でも実際は会社でもそうはなっていない、おそらく花ではなく金の神を祭壇にしているともなる、マモンの神だともなる
ただ神社であれ寺であれ結局汚れた場所になっている
金儲けの場所でもある、だから汚れない場所はないとなる
人間がいることで必ずすでに汚れたものになる

本当の祭壇は自然そのものにある、そこには人間はいない、そうなれば汚れない神域だとなる
とにかく生け花でも中心がありそこに大きな花を挿すことになる
大輪の菊がふさわしいとなる
ただここでは花屋が一軒したなくなり花をそろえられない、スーパーでは生け花するには花がたりないのである






20代で土地を買い家を建て立派な庭を作った80代の人 (新しい産業が生まれないと日本は豊かになれない)


20代で土地を買い家を建て立派な庭を作った80代の人

(新しい産業が生まれないと日本は豊かになれない)


信じられないだろうけどバブル時代は、

16歳の中卒土方でも給料が100万円あった

佐川急便のトラックドライバーの求人でも月給80万円以上あった

anや新聞広告にもよく載ってたから覚えてるやつもいると思う

おれの友達も佐川に2トントラックのドライバーやってたけど22歳で月150万円もらってた
今の若いやつはみんな月給20万円以下


今の時代の差が大きい、知っている人は20代ですでに新しく土地を買い家を建て立派な庭まで作った、20代でそんなことまでできた時代だったと思った
その差は大きい、その頃日本経済はうなぎのぼりで成長していた
その人はトラック運転手であり人より二倍働いた、荷物を運ぶにしても歩合制であり二倍の収入になった、それもあるが収入が今とは二倍くらい違っていたとなる
要するに働けば働くほど収入は増やすことができた

まず貯金していれば金利が7パーセントなのだからそれも信じられないものとなった
今や銀行にあづけるだけで手数料がとられ金利はゼロなのである
地銀などは投資信託をすすめるが実際は素人と同じであった
ただ自分の銀行の利益を上げることしか考えていない、だからとにかく転売をすすめる
その度に手数料が入るからだ、それで株でもリーマンショックで半分になった株が元にもどり上がり始めたとき転売した、それをJーreitに回した
そのJーreitをその地銀の営業の人が信用できなくなりやめたのが良かった
そのあとコロナウィルスで急落したからである

特に田舎の地銀など投資のことなど何も知らないしただ手数料を取るだけの商売である
だから知識のない人はカモになるだけだと知った
ただ今の時代は投資をするなとは言えない、知識のある人はすべきである
でもその知識でも株に通じることは並大抵でないからできないとなる
結局銀行がどうのこうのと言っても自己責任になる
田舎では証券会社でもないし選ぶことが限られているからうまくいかない
それがハンディキャップとなっている

ただ今の時代は本当に給料でも30年間日本でも上がっていないとか日本経済がこれほど落ち込むことは考えられなかった
こういう時代では今の若い人は夢ももてない、自立できないから結婚もできないともなる銀行員など前は公務員と同じく地方ではエリートだったが今や悪徳商人のようにも見られる、銀行は堅い職業と見られていたからである
田舎ではもともと証券とか株は嫌われていた、なにか胡散臭いものとして見ていた
それは別に利子が高いのだからそんなものにかかわる必要がなかったからである
大学の経済学の先生まで株はするなと言ったいたからである
そういう時代は恵まれていた時代だったからそうなっていたのである

20代で結婚して土地を買い家を建て立派な庭を作ることができた
田舎のことでもそういうことは都会でも全国的にそういうことができていたとみる
貯金すれば十年で倍とかなって投資とかめんどうなことにかかわる必要もなかったのである、投資は知識でもむずかしくハードルが高いからである

日本はどうしてこれほど経済が落ち込んだのか?
それは産業の転換が新しいものに転換できなかった
戦後は焼け野原になっても財閥が解体されたとか地主が消滅したとか大改革があった
そして電機産業が起り世界に日本製品が売れた、それで高度成長時代が生まれた
その時それだけではない何もない時代だから地方でれ小さな町工場であれあらゆる場所で起業すると成功していたのである

私の家でも子供相手の駄菓子屋のようなものから始まり小さな店をして売れたのである
物を置けば売れたのである、でも私の家族をみても商売上手とかではなかった
ただ角に店があったから地の利で売れただけだとなる
その店を開くのに5万ほどの金を借りるのに苦労した、銀行でも貸してくれなかった
でもたいした設備もなくて店など開くことができた、そういうふうに簡単に店をもつことができたのである、そういう時代は活気があった
何か起業すると成功しやすかったのである
それはみんながそうであり活気があったとなる
その時子供でもわんさといて神社の境内で遊んでいた、その声がうるさいくらいだった
でも今になると遊んでいる子供もみかけないのである

なぜこんなに日本の経済が落ち込んだのか、その一つの大きな原因が戦前は絹織物生糸を作ることが全国の産業であった、それで私の母親は十年間原町の紡績工場で糸取りとして働いていた、それは全国でそうだったのである
養蚕農家が全国的にあった、それは兜の形をした屋根が今でもいたる所に残っていることでわかる、ここも養蚕農家だったとかわかる
養蚕が日本を支えていたのである、それはアメリカへ輸出されていたのである
でも戦後は焼け野原になり養蚕は終わり電器産業に変わった
その産業の転換に成功して高度成長時代になったのである
あとエネルギーでも石炭から石油に変わったことで大変換になった
鉄道はもともと石炭を運ぶものとして作られた、常磐炭田でもそうだし北海道は石炭の産地であり石炭を運ぶために作られた、夕張とかでも石炭の産地だったからだ
でも石炭から石油に変わると寂れてしまったのである

結局日本が貧困化しているのはこうして産業の転換ができなかった
IT時代になってもそれも韓国や中国より遅れをとった、やはり時代は技術でも変化する
今になると新聞など一軒一軒配ることがどれだけ手間になるか、コストがかかる
もう続けられない、インタ−ネットならもう数人でできることを百倍の手間とコストをかけているとなる、それで大手の印刷会社がやっていけなくなり会社を売るようになったとかある、新聞のコストがかかりすぎるのである
テレビ局でもyoutubeで個人ですら局をもつことがでる

これを比較すると徒歩で旅する時代と汽車で旅すにうよになった時代のように変化している、だからもう新聞とかテレビ局とかは終わりになる
そうしてマスコミの力も相当に弱まった、テレビ局はその装置だけで莫大な金がかっていた、だからこそ第3の権力になっていた、でも残ったのは取材力とか放送する内容になったのである、もともとそこが報道でも重要なものだったのである
だから取材力とかコンテンツを作る人材は必要であり残るとなる
それは別にテレビ局でなくてもyoutubeでも放送できる
現実に教育番組になるとyoutubeがいいとなる、そして大学でもつまらない講義を聞いているよりyoutubeで学べると思った

何かこうして技術の変化があり産業の変化がありそれについていけないと廃れてしまうのが社会である、日本ではそれができなかった、なぜできなかったのか?
日本は物つくりはもともと伝統的に優れていてもITとかの分野は日本の文化と相いれないものがあり苦手でありそれで取り入れることができなかった
明治維新でも物造りではいち早く追いついていたからである
つまり産業の転換ができないためにこれほどまでに落ち込んだとなる
だから経済を回復するために産業の転換が必要になる
電器産業でも韓国に中国に追い抜かれた、すると同じ分野では価格が同じであり差がないから勝負できない、安い方がいいとなるからだ

いづれにしろ時代が変わり養蚕が絹織物産業が興隆した時代から電器産業が興隆して高度成長時代になった、その次なる新しい産業が出てこないと日本がはジリ貧になる
それがITだったのだがそれに遅れた、ただその次なる産業は新たに起これば日本も回復するとなる、でもそれが簡単には今度はできない、それで今度は観光立国とかなったのである、それは落ち目の国がすることである、それで経済が回復することはない
ただ日本には独自の文化がありそれで観光客をひきつけるとういことはあった
でもコロナウィルスでまたそれもそがれたのである

そして今度は負の負担が増える、少子高齢化で老人ばかりふえて福祉関係に金がかかる
何しろ老人は病気になる人が多い、するとそれが負担になる、数が少なければいいが
数が多いから負担になる、若い世代の負担にもなる
結局悪いことは重なる、何かいい面がありそれを見出そうとしてもなかなかない
日本は資源が無いから教育だとか明治から言われた
日本ではそういう基盤があった、寺子屋教育があり読み書きできるとかあった
識字率が高かった、でもそれだけでは今やグロ−バル化するとやっていけない
おそらく日本の弱点は何かまねは上手でも創造力発明がないことである
西欧文明というときそこに発明があったからである

中国文明に習ったのも漢字などを取り入れたのもそこに発明があったからである
日本は独自に発明したものがない、電器産業はそれは独自に発明したものではなくただ先んじて成功したものであり日本独自のものでもなかったのである
それは中国でもアメリカのまねであり中国独自のものを発明していない
だから日本も中国のヨ−ロッパとアメリカのコピーだとなる
それで中国も最近ゆきづまってくる、ただアメリカでも衰退してゆくから次なる興隆する国はどこになるのか?それが見えていないのである

それより世界がもう開発とか限界であり物の生産でも限界でありそこで持続可能社会が言われるようになった、資本主義も限界になった
資本主義は常に資本を投下して成長するシステムでありそれがなくなると終わりになる
後進国があってそこで成長してゆくことによりグロ−バル化資本主義が成立つ、それがなくなると終わりになる、だから世界自体がそうした限界状態になってきているともなる
次なる投資国がないからゆきづまる、そこで中世時代のようになる
それは物を無限をに生産して売る世界ではなく心の内面の追求になる
哲学宗教の時代にもなる、ただカルト教団とか宗教団体はこれは全く資本主義に組み入れられた物欲拡大のものであり心の内面など何にも関係ない、物欲宗教でありそのために毎日祈っているだけである

宗教とか哲学とかは最も離れたものでありだから数だけは増えたとなる
要するにこれからの世界は物欲の追求ではない世界になる
第一ITがコンピュターが人間の頭脳と深く関係しているものであり情報社会とは今までも物欲社会とは違っているからである、そういう時代に生まれたものだからである
だから物欲社会を目指すものは限界に来ているから日本でも高度成長時代はもうまたないつまり物質欲望社会から精神を追求する社会になる、世界で物は飽和状態になる
物を作っても売れないとなる、何が売れるのかとなると今までのような考え方では売れないとなる,アメリカでも金融で支配しているとかなるとそうである
輸入大国にもなっているのだから物を売っても売れない、ただコンピュターを発明してソフトを売っているとなる,ソフトは今までの物つくりとは違って頭脳と深く関係したものだからである
もしかしたらそうして知的遊戯とか精神の遊びの世界が広がる
ゲームとかがそうである、つまり物造りだけで発展した時代は終わったということである



posted by 老鶯 at 15:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 経済社会労働問題