2021年10月21日

人生を後悔しないために (道徳無き経済の異常性ー人格を歪める資本主義文明社会)


人生を後悔しないために

(道徳無き経済の異常性ー人格を歪める資本主義文明社会)



人生を後悔しないために

高い地位、儀礼、富、学識など、そういうものに到達した人々について
わたしが思うには、彼らの到達したものは彼らの体と魂に結果を残すものではない限り
すべて彼らの身につかず、浪間に消える‐ホイットマン

身につくものが何だったのかになる、それが老年に現れる、身につくものを残らないとしたらそれを追及したことが無駄だともなる、その身についたものは金では計れないのである

あなたは神を知るべき時に知ることを逃した
それは盛りの若き時に求めるべきものだった
その貴重な機会を逃してしまった
その日は遠く帰ってこない

あなたは元気な若き時に冒険すべきだった
若きは短く青春はたちまち過ぎる
きついことは若き時にすべきだった
老いて体力もなく気力もなくなり
果敢にいどむことはできなくなった

あなたは学ぶべき時に学ばなかった
あなたはただ享楽に時を費やした
あなたは何かスキルを身につける時にしなかった
あなたはそこで鍛錬して身につけるべきだった

あなたは遊ぶべき時に遊ばなかった
遊びの時も必要でありそれも人生の内
あなたは広く見聞すべき時にしなかった
外国でも実地に知るべきだった

あなたは人を助けるべき時に助けなかった
あなたは苦しい人に無関心だった
またあなたは近くの危険なことにも無関心だった
そして大事故が起きて身に及んだ

あなたは節制すべきだった
あなたはただ放漫でありただ怠惰だった
外に現れずとも内なる心に実るものがある
享楽にまかせず節制していれば
内に心に実るものが外に現れる
それは隠せおうせず現れる

あなたは何か有益なことをせず
何か学ぶべき時に学ばなかった
学ぶことは限りなくあり
神の創りし世界は多様で広大
しかしあなたはそれを見逃した

あなたは成すべきことを成さなかった
学ぶべき時に学ばなかった
あなたの才能ではない
あなたはただそうした貴重な時間を活かせなかった
その時間をもう取り戻せなくなった

みんな老いれば残るのは後悔だけだ
特に貴重な何かをする学ぶ時間を失ったこと
その時間が取り戻せないことを痛切に悔いる
あなたが費やしたものが無益だったこと
それが最大の悔恨となる知れ

集団の馬鹿騒ぎに己を失い費やされる
あなたの貴重な時間は奪われていたのだ
奴隷ということは時間を奪われたことである
会社であり宗教団体であれそこで奴隷にされる
何かただ使役される、それが金のためだけでも

金を使うのではない、ただ金に使われている労働
そこに真の実りはなく何か実りとして残らない
人は金のために働くのではない
真の実りのために働く時、充実感がある

こうして時間を虚しく費やされると悔いる
例え有り余る金を得ても虚しいとなる
老いて病気になりその金すら使えない
また時間もなくなり使えなくなる

あなたの日はもう終わった
あなたの与えられた時間はもうない
あなたはあとは死ぬだけである
人生の経験で成したことを天にもってゆく

それは財産でも金でもない
この世で経験して学んだことを天にもってゆく
老いて真の実りは現れる
何に時間を使ったかその成果が確実に現れる

それ故に時間を有益に使わなかったものは
老年はみじめであり過去の過ちも闇黒となる
それは罰せられなくても心に現れる
それを偽ることができない

金があっても心が歪んだもの
人格が歪み心も曲がったものが多い
何かそこに異様な奇形な姿を見る
その人は金があっても人格形成に失敗した
もはやその人格は矯正できない

その姿をもって地獄に行くともなる
集団は関係なく個々がそうして問われる
人生はもう結果として現れた
もうそれを是正することはできない!

あなたがあなたの人生を培い作った
あなたにはあなたの時間が与えられていた
時間はみんな平等に与えられていた
ただ時間を活かせなかった!
そしてみんな人生を悔いている

時間はもとにもどらない
そこに人生の厳粛さがあった
人生は一度きりであり
チャンスも一度きり
そのチャンスも逃した

最後にあなたの経験と学びの実りが現れる
個々に違った実りが現れる
それを収穫するのが老年である
そういう実り豊かな老年のために
あなたは時間を無駄にしてはならない
それは人生を無駄にすることだったから

●それぞれの経験と学びが老年に現れ結実する

どんな人でも優秀な人でも人生は後悔に終わる、結局人間の学ぶことでも経験することでもわずかしかないからである
すると何か足りないものとして終わる、自分だと経験したものは旅だった
だからその旅のことをふりかえり俳句とか短歌にしてふりかえる
それは無駄なことではなかった、でも人生はいろいろ多様であり学ぶことも経験することも多様である、普通だと結婚して子供もちとか経験する、もしそういうことでも経験しないと何か欠けたものになる、自分の場合まともな社会生活していないから欠けたものになる、社会性が欠如した人間になっていた

でも普通に結婚して子供を育てた人でも何か必ず欠けている、どう見てもその人はそうして普通の結婚して子供を育てても奇形化した人間になっていた
まとも人格ではない、もう信じられない薄情なものともなりこれが人間なのかとも疑ったただ本人はそんなことを気付いていないのである
その人の人格も長い間の結婚生活とかでも作られて来たのである
ただ付き合いがなかったからわからなかっただけである

ただ確実なのは最後に老年になってその結果が自ずと現れる!

何か学んだものでも経験したものでも確実に老年に現れる、そして最後に偽ることができない、もうそうしてできあがったものを直すことができない
人格でもそうだしその人なりの個性でもそうである
個性とか才能でもその人なり資質があっても天才でない限り人生の時間の中で作ってゆくものだからである
だから老年にはそれぞれの経験したこと学んだことが否応なく現れる
それがむずかしいものではなくても雑学のようなものでも役に立つものとして現れる
また老年になると理解が深まる、理解できないものが理解できるようになる

あのことはそうだったのかとかわかる、またこういう解釈があったのかと理解できる
だから老年は含蓄が深いものになる、それで老人は普通の人でも悟ったようにも見えるのである、賢者にも見えるのである
つまりこういうふうになるのは若い時はなりえないからだ、壮年でもなりえない
老年になると自ずと成るのである、何かが解読されてゆく、理解できなかったものが理解できてからまる人生の糸がほぐれるように理解できるようになる
別にそれは特別の人だけではない、普通の人も人生をふりかえりそうなるのである
あのことはこういうことだったのかと理解するようになる

どんな人生でもそれぞれ違っていて経験も違っていてそれが実りになる
まず何かを経験しない人はいないからである、だから誰しもその経験を老人は語る
遂に千回も認知症になっても語っていた
老人はこうして人生を語ることが仕事にもなる、そこに必ず人生の教訓がある
失敗したことでもこうして失敗したとかなりそれが後の教訓となるのである

●後悔しない人生はない

確かなことは後悔しない人生などないのである
それは人間一個の経験とか学ぶことが極限られたものだからである
例えば会社員の経験がないものはそもそも会社のことがわからないのである
では自分の様に自由に旅した経験は会社員として過ごした人には理解できないとなる
こうして経験するものが違うから理解できなくなる、理解することは自分が経験して学んだことだけだとなるからだ

今退職とかして学び直している人が増えているというときそのことが痛切にわかる
つまり学ぶことをしなかったことを悔いてそうなったのである
もっと学ぶべきことが山ほどあったができなかった、それで退職して時間ができてそうなったのである、でも実際は退職しても学べることは学べる
でも若い時に学ぶこととは違う、むしろ老人になると今まで自分が経験したことを学んだことを深化することであり知識を広げることでもないし新しいことをとりいれずらなくなる、だから老人の学びとは何でも広く浅くではなく狭く深くなるのである
それは自分の経験と学んだことからそうなる

ともかく本を山ほど買っても読んでもびっしりと印しをつけていても理解していなかったでも今になると深く理解できて自分の文脈の中で活かすことができる
そうなったとき実は本当に他者の知識でも思想でも経験ても理解したことになるのだ
老人になって本当の実りがある、ただ若い時はがむしゅらに経験することであり学ぶことである、それは後で雑学でも活きてくるのである
ただそのためには詩にしたように節制が必要であり享楽に費やしたりしていたらそうはならない、意外とこの節制ができない、性であれなんであれ時間は奪われ費やされるのである

●心でも体でも節制が必要

体も節制が必要なのである、何かしら放逸に体でも使っていると必ず老年になるとその積み重ねが体にでてくる、酒とか煙草でもしていると何らか体に影響してくる
また過重な肉体労働をつづけるとそれも老年になるとその積み重なったものが体に出てきて具合悪くなる、ただ必ず老人になると体の故障がどこかにでてくる
でもやはり体でも節制していなと老人になるとその積み重ねで異常がでてくる
スポーツマンでもプロの人も体に負担をかけすぎて早めに死んだり病気になる
それでも何か冒険もしないとか慎重に行き過ぎるのも問題なのである
身体が丈夫な人はやはり常人のできないことができる、それがその人の人生を作るともなるからだ、でも不摂生に酒でもなんでも無理なことを体に良くないことをしているとやはり必ず老年になると不具合がでてくるのである
そして十年くらい同じ年齢でも違ってくる、同じ年齢でも本当に70以上でもこの人は若いなと驚く人がいる、老けている人は本当に体も弱っているからだ

節制でも心の節制も意外と大事なのである
心の節制とは何かとなるがそれは口をつつしむとかである、何か人間はしゃべりすぎることは心を無駄に費やして汚すということもある
悪口を言ったり何かしゃべりすぎることは心をけがし消耗させることにもなる
自然ど合一するには山や樹や石のように深く沈黙することが必要になる
でもこれは社会生活では異常者になるからできないのである
引きこもりだったから自分にはできた、禅僧のように沈黙行をしていたとなる
ただそこで社会性がなくなり異常化していたのである
だから社会性も必要でありそれがないと何か異常化して社会のことすらわからずに苦労することになる、結局人間はなんらかで偏る、社会生活を正常にしていてもそれすら偏ったものとなる、会社員とか公務員でも何かそこでの人生も偏ったものになる
それは社会の一部であり全体ではないからである

心の節制が必要だという時心を汚す無益に消耗することにはあまり人間は気を使わないのである
まずカルト教団などは肝心のこうした心の修行のようなことは一切ない
社会活動であり集団活動であり御利益追求だから会社員とも同じであり世俗社会より世俗的な場所であり宗教的なことは一切ないのである、巨大な企業と会社と同じなのである
それでなぜ宗教の看板をかかげているのか全くわからないとなる
禅宗の沈黙行などはない、真宗とか日蓮宗などは一日題目あげているから世俗社会より騒々しいところでありまた団体化して集団示威行動する、そして社会を威圧する
それはナチスとたいして変わりないのである
そのために危険な団体でありそれが社会を席巻してナチスのようにもなる恐怖があるのだ
ともかく老年には人生の結果ができる、もう偽ることのできない結果がでる
それは恐ろしいことにもなる、青春の放逸なども後悔となり苦しむ

そのために推理ドラマでも必ず若い時の過ちが尾を引いた事件になり悔やむとなっている若い時は過ちを犯しやすいからである、節制でできないからそうなる
それも後悔となるしいろいろなことがただ後悔として苦しめるのである
だから実りある老年になるにはどうするのかを若い時知らねばならない
でも若い時みんな老人がそういうことを言ってもわからないのである
若い時老人の気持ちとかがわからない、理解できないのである
何か青春でも終わりないように見えるし人生でも終わりないように見えるのである
でも人生は終わってみればあっという間だったとなる
こんなに早く終わるのかと驚くばかりになる、それはみんな老人になるとそう思うのである、つまり老人になってみないとわからないことなのである
そこに人間の弱点が盲点があったとなるのである

●会社人間は資本主義社会の奴隷(社畜)ー人格は無視

会社員が資本主義社会で商品であるというときもそうである
つまり人格など関係ない、商品としてして見てないない、会社にとって有能な有益なの商品としてしか見ていない、人間としてどうのこうのは関係ない
そういうふうに人間を見ること自体すでに人間は奴隷であり社畜だとなる
ところが人生は人格を磨き形成して完成するものだと見れば会社員で働くことは人生としては全くそんなことで働いていたら最後に後悔しかないともなってしまうのである
そんな人格まで無視して働いていていいのかともなってしまうのである
でも今の社会は会社員であることなのである、それ以外の道は提供されていないともなるそれも異常だとなる

例えば江戸時代とか戦前までは職人は会社員ではない、会社員となったのは戦後のことなのである
職人は一人で物つくりしていて売っていたのである、会社などなかったのである
小規模のものがあっても会社はない、それでいいものを作るために職人気質とか生まれたそして武士道とか職人道とか商人道とかその道を究める者としてあった
そこに人格など歪めるものがなかったのである、だから本当に資本主義人間とかは何なのだろうとなる、そんな生き方していいのかと疑問になる
そして金がすべてとなり人間はすべて金で計られるようになったのである
そんな社会は人間の社会なのかともなる、そうなら資本主義などやめた方がいいなる
株式などはただ金を右から左に流して巨万の富を得ているとかであり公正の市場でもないのである、それで銀行員とかはそのグロ−バル経済のギャンブル場の賭博場に雇われた人なのかとも見てしまうのである

資本主義はこうしてモラルもなくなったのだからそれを維持することはむずかしいとなる道徳無き経済である、そういうものが維持できるのか?
グロ−バル経済とは世界市場は巨大なギャンブル場でありそこに人格など関係ない
ただ金を唯一の価値としてすべてを商品化して人間も商品化して奴隷にするといことである、この人間はいくらの値段だとかその人に張り付けられている
それは人間そのものを無視したものである、そこに実際は恐ろしい社会の荒廃になる
でも資本主義社会に生きていればみんながそうなるしかない
そうならもう会社員であることでも拒否した方がまともだとまでなってしまう
でもそうなると生きる術がないとなってしまう、でも人間の人生の目的は何なのか?
それがただ財産と金を得ることだとなればそうなってしまう
じも人格の完成だとかなればそんな社会に会社に属していること自体拒否しなくてはならないとなってしまうのである

いづれにしろ株式で生活している人など何か異常なのである
それはまともな生業でもないとなる、そういう仕事が何か人格を歪めていたら老年になって真の実りはなくなる、これも怖いことではないか?
でも人格がどうだとか見る人はまれである、すると現代社会は現代人は何のだとという疑問になる、文明人とは何なのだろうとなる、モラルなき道徳無き人間とは何なのだろうとなる、それが獣社会になってしまわないか?
モラルがないから食うか食われるのか世界でありすべては金で計られ商品化されて値段をつけられる、ところが人生は値段をつけられない金で計れないものに計りしれない価値があることも最後に思いしらされるのである
それは人格が歪んた人は地獄人間になっているのだ、ダンテの地獄編に体が歪になり奇形となっている人間である、つまりそういう地獄人間になることが目指しているのが今の文明なのかとなってしまうのである

そんな人間を作ることが資本主義社会でありまた文明社会だとすると拒絶して生きていた方がいいとなる、ニートの方が増しだともなる
資本主義社会の勝者とは何者なのか?地獄人間でありサタンともなってしまわないか?
ただこの異常性に気づいている人はその中で生きているとき気づかない
それが普通でありそれからはずれた人は異常だとなるからだ
異常な社会に生きている人はそれが異常だと気づかないのである
それでナチスが社会を席巻したときそれが異常だとも気づかない、むしろそれに適合しない人が異常ことされたのである
それはカルト教団ではそうなっている、異常だとすると異常だと見る人は異常にされるのである、数が多ければ正常だとされるのである

でも社会全員が異常だとか見る人はいない!

たいがい会社からはずれた人が異常とみられる、だから何が異常なの正常なのかわからないのである

人間を派遣しているのではなく、人材を派遣しているこの意味ー鈴木傾城

人材とは一部を材として切り取ったものである、人間とは全体のことである
人材とは人間を一部分として材として切り取ったものとして商品化されているというのはわかる、ここで道徳が語らないが道徳無き経済はもう人間社会ともならないのである
獣社会となっている、そんな社会自体何なのだろうとなる、それは地獄社会だということである


abstract mountain and vally


abstract mountain and vally


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写真の合成も創作である、アレンジしたものでも創作になる
これも湖はそのままだが背景の山は創作だからである
全くオリジナルとは別なものだからである

Compositing a photo is also a creation, and even an arrangement is a creation.
This is because the lake is still there, but the mountain in the background is a creation.
This is because it is completely different from the original.

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