2021年10月09日

デジタル社会になじめない高齢化社会 (でも適応できないと生活もできなくなる)


デジタル社会になじめない高齢化社会

(でも適応できないと生活もできなくなる)

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darkness-鈴木傾城
https://bllackz.com/?p=10290

デジタル化は老人にとってはハードルが高い、ただ老人と言っても60代と70代ではまた別である、70代になるともうついていけないだろう、
自分自身すらスマホがしていないからこの人は老人でありもう時代の技術についていけない人だと見られる
ただパソコンだとすでにWindows 95(1995年)から出ていて自分もしていた
その前にワープロ通信までしていた、パソコン通信までしていた
だから私のパソコンにかかわった歴史は長いと思った
別に自分はパソコンマニアでもなかった、たまたまワープロ通信した結果としてそれで
パソコンの世界に入ったのである
自分は理系でもないしそういう技術的なことにうといからである
それからインタ−ネットが急速に発展したのである

とにかく技術は日進月歩の時代である、古いテレビのドラマで経理の人がソロバンをしていた、まだそういう時代があったのかとふりかえる
ソロバンは習ったけど何の役にもたたなかった

電灯が灯されれば、用なしのランプが駆逐されてしまうだろう。ランプに生活をかける巳之助は電気の導入に頑強に反対したが、結局のところ村への電気導入が決まってしまう。巳之助は逆恨みして、電気導入の寄り合いで議長を務めた区長さんの家に火を放とうとする。

そして50個ほどあった全てのランプを池の縁の木にぶら下げて火を灯すと、泣きながら石を投げつけ、その何個かを割り、ランプに別れを告げるのだった
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%8A%E3%81%A2%E3%81%84%E3%81%95%E3%82%93%E3%81%AE%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%97

これは時代の変化によってこうなった、ランプは電気になりいらなくなったからである
ソロバンでも文選とか活字拾いとかもなくなりそんな技術は役にたたなくなった
その人が職がなくなり犯罪者になったとかのドラマを見た
明治以降大井川の渡しもなくなり静岡では茶を作るようになった
侍が商売してもうまくいかず極貧になった人もいる
汽車が生まれて馬車もいらなくなる、こうして時代の変化で技術の進歩で今まで通用した技術が無用となり仕事がなくなる

社会のデジタル化もそうである、まず新聞でも雑誌でも売り上げが激減してゆく
もうやっていけなくなる、コストがかかりすぎるからである
ネットだと本当は数人でも新聞並みのものが作れる、一人ですら作れる
ただ取材などできないとか設備費はかからないにしてもそうしたもので人件費ではかかるプログでも手間なのである、ワードプレスをしようとしたりSSLしなかったのも失敗だった、何かめんどうでしていないうちみんなSSLになってしまったからである
httpsにしないと危険とみられてアクセスされないことがある
だからこうして技術が変わる時早く手を打たないと遅れたままになり損するのである
それがどういうことかわからないうちに技術が変わってしまっているからである
インタ−ネットの技術は変わり安いからである

だからデジタルになじめない老人はかなり現代社会では不利である
ところが金を持っているのは老人であり数も多い、だからここが足かせとなってデジタル化がすすまないとなる
つまり社会を変えられないでそれで日本は発展もしない取り残された世界の後進国に落ちてきたともなる
老人は新しいものを取り入れることができないからである
機械の操作だけではない、アナログ環境になじんでいるからデジタル社会に適応できないのである、現代では車社会であり車をもたないものは遅れた人、社会に適応できない人にされている
私は自転車を使う人と話が合う、でもそういう人は社会の底辺層になっているのである
車も持てない人は底辺層なのである
私はただ自転車が好きだから乗っている、別に車が無くても生活できるからである
でも車を持たない人は仕事もできないし現代の社会に適応できない人となる
それはスマホを持たない人が現代に適応できないと同じなのである
生活保護の人でも連絡用に携帯を持つことが命令されているからである
それでその費用が払えないと嘆くのである

とにかく否応なく技術は進歩してゆく、それができないと日常生活すらできなくなる
ただデジタルがむずかしいといってもこれも慣れの面がある
最初はむずかしくても操作しているうち慣れてくるのである
ただスマホと携帯は違っていてハードルが高いとなる
デジタル社会になるとそれに適応できないと日常生活すらできなくなる
社会がデジタル化すればどこでもそれを知らないと買い物すらできなくなるからだ
そういうふうに今なりつつある
でも日本では何かデジタル化に抵抗するのはなじめないのは日本の文化が原因しているのかもしれない、日本人は腹でわかるとか話せばわかるとか面と向かったコミニケーションをしてきた経緯がある、直接合わないと信用しないしコミ二ケーションにがとれない
そこでテレワークになってもうまくいかないとなる
それは日本の文化と関係しているからであり必ずしも技術の問題だけではない
AI化も遅れたのはそのためだともみる

ここで共感するのは日本が高齢化社会だということが新しい技術でも社会を変えることがむずかしいたとである
だから高齢化社会はイノベーションできないから遅れる
70以上になるとデジタル化した社会に適応できなくなる、でも団塊の世代とか人口が多いから金ももっているから社会の足かせとなる
もう新聞などは過去ものものである、新聞紙であり紙でしかなくなる、中味がないとそうなる、一軒一軒に配達すること自体もうどれだけ遅れているかとなる
ただ金だけがかかることをしているとなるからいづれは終わりになる

インタ−ネットだと特別のプロだけが報道分野にかかわることではない、別に一人でも新聞でも作ることができるのである
ただ手間になるからその時間を省くことはできない、やはりインタ−ネットだと速報性があるからそれが大きな武器となる
リアルタイムの交信もできるからである、ただインタ−ネットは検索とかで時間がかかるしわからないということがある、そこが手間なのである
でも新聞の記事でも対話的であり自分でプログでコメントして長い文でも書ける
すると相手が知らなくても共同作業しているのである
新聞とテレビは一方的メデアであり視聴者は何も言えない仕組みだったからである
でもNHKですら批判できるのである、そこが変わったことである