2021年10月03日

田舎でも農民の生活が主なものではない (農家はほどんど自給する生活だった―長野県生坂村、八坂村)


田舎でも農民の生活が主なものではない

(農家はほどんど自給する生活だった―長野県生坂村、八坂村)


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田舎の夕暮れー尾崎喜八

村の質朴な学校は
もうとっくに授業が終わって、
青葉に包まれた運動場には
小さな木馬が隅の方でおとなしく、
その涼しい校庭で、宿直の先生が
年寄りの小使さんと何か話をして笑ってゐる。
三本の背の高いポプラが無数の葉をそよがせている。
もうぢき暑中休暇の来る楽しい七月の、
美しい空、美しい雲ですね。

麦打ちが済んだあとの、
金いろの麦の穂が散らばってゐる
農家の踏みかためられた仕事場で、
若い百姓の女達が筵をかたづけたり、
からだをはたいたりしてゐる。
健康な生き生きした目、太い腕。
黒くすすけた母屋(おもや)の台所から
竈(かまど)の煙が紫に立ち上る。
暑い一日の熱心な労働がねぎらはれる時の、
美しい空、美しい雲ですね



どうしても昔の生活が失われたので田舎でもわからなくなった
子供の時はまだ明治時代とか大正時代でもそのつづきのような生活があった
特に戦後十年くらいはそうだった、高度成長時代を経て余りにも変わりすぎたのである
村の学校というときそれはなにか今の学校とは違って素朴な感じのものだった
特に木の校舎だからコンクリートの校舎よりあたたかみを感じていた

長野県の奥深い山の村の学校が教室に泊まったことは不思議な経験だった
八坂村とかでありその時も木槿の花が一杯咲いていた
八坂村というとき本当に八つの坂がある山の中の村だったのである
そこを自転車で上り下りしたのである

八坂村木槿のあまた隠されぬ

廃校の校庭に飛ぶオニヤンマ

虫の音や遠く来たりて分去(わかれさり)

ただ記憶としてはあいまいになる、どうしても何十年後にかなると記憶があいまいになる遂にはそんな所に行ったのかとまでなる
自転車ではトンネルが怖い、車の音がトンネルにもの凄い音でひびくからである
そういうことを覚えている、80歳で戦友の代わりにと日本全国を自転車で旅した人がやはりトンネルで死んだのである
自分もそういう恐怖をトンネルで経験している
その人は近くの新地の旅館にも泊まっていたのである、それは一時話題になったが忘れられたとなる

ともかく人間はあらゆることが忘れられる、70過ぎる死ぬ人も多くなり忘れられる
あの「必殺仕事人」の有名な俳優も藤田まことも十年前に死んだことを知らなかった
テレビで再放送しているから生きていると思っていたのである
テレビドラマで再放送している俳優で死んでいる人が結構いるのである
ただその人はテレビの画面だけで知るからその人が生きていると思っていたのである

旅したとしても何十年も過ぎれば記憶もあいまいになり思い出せなくなる
だから旅する時は記憶に残る旅をしないと損なのである
まず車だとどういう道を通ってとか記憶されないだろう、ただ通り過ぎてゆくだけでありその過程が記憶されないのである、もし峠でも歩いて越えたらどうしても苦しいから記憶されることがある、それにしても何十年と過ぎると思い出せなくもなる
それだけ人間の記憶があいまいとなり定かでなる

これが50年も過ぎるとまさに遠い過去となりそこで人に逢ったとして経験でも幻のようになってしまう、そんな人がいたのかとまでなる
現実にもうそんな人がいて逢ったのかも定かでなくなる
それは60年一緒に暮らした家族ですらそうなる、それだけ一緒に生活していたのにあいまいなものとなってゆく

常にこうして時代でも過ぎてゆきたちまち過去になってしまうことが驚きである
それは老人になると嫌でもそれがわかる、人間がこの世にあるは一時なのである
人の出会いも一時でありそれで(さよならだけが人生だ)となるのが今になるとしみじみわかる、みんな結局この世に一時出会い後は永遠に別れるだけだとなる

宿直の先生とお小使いさんとか確かにいた、それが学校の裏方として働いていたのであるそれを記憶している、何か今頃稲刈りの頃、小学校で稲刈りをする頃イナゴを校外で採っていた、それは蝗か食料で売るためだったのである
その頃何か貧しく金にするためだったらしい
戦後十年は戦前とか明治でも江戸時代の生活の続きだったのである
だから燃料は炭だったり江戸時代と変わりないものがあったのだ

麦打ちが済んだあとの、
金いろの麦の穂が散らばってゐる
農家の踏みかためられた仕事場で、
若い百姓の女達が筵をかたづけたり、
からだをはたいたりしてゐる。

農家の庭は広くそこは仕事場だったのである、それは今でもネパールとかベトナムとか遅れた国に行けば見られる光景である
農家という時、そこは一つの自給自足の場だったのである、すべて一通り暮らしができるまかなえる場だったのである
それで農家の出の女性は家で納豆を作っていたとか萱の実から油をとっていたとか油でも菜の花の油とかまた椿油は普通にとっていて女性が髪に使っていたのである
その時代はまず外部から日本でも物が入ってこないからそうなっていたのである

家で自給するほかない生活だったのである、回りのものを利用するしかない生活だったのである、機械も使っていないから人間が労働している姿が目立つ風景である
田植えでも大勢でしていたからである、そういう光景もなくなったとき何か田舎でも生活の匂いがしなくなったのである
だから村の学校でも廃校となり淋しいものとなる、これから少子高齢化でこうした山村はさらに淋しくなる
ただ日本の場合隠されたように村がある、山が多くどうしても人との交流ができない
すると結婚でも村内の男女でするとかなる、閉鎖的になるのが日本の風土である
それも今や車社会になったりすると全く変わってしまったのである
むしろ遠くの人と結婚する、それも日本の果てのような人とも結婚しているのである
その風景があまりにも変わりすぎたのである

田舎でも何か田舎らしい生活が匂いが感じられないのである
肥え溜めは田舎の香水とか言われたがその肥え溜めとかもなくなった
何か田舎でも都会化している、農民は田舎でも一割に満たないとかなる
だからこそ原発が作られ事故になってこの辺はさらに農村的なものが消失して荒廃したとなる
そもそも田舎を知るには農業を知らないと実感できないものである
そういう自分自身が農業のことを知らないとなる
それで小さな畑をしていた女性の話を聞いてそういうものかと自らは何もしないかある程度理解したのである

その女性は本当に生粋の農民の家に育ったからである
一方で野馬追いにも出るような古い鎧が博物館に飾られている家の女性は他から嫁いでも農家の人ではない、田んぼでも貸しているだけであり全然農民ではない、夫も工場勤めのサラリーマンであり農民ではないのである、ただ紙漉きなどをしていた家であり古いのである、ただその女性に全く農家の生活感はないのである
要するに農家の生活感が全体的に消失しているのが現代である、それは田舎でも同じなのである
それで浪江の電気関係の仕事をしている人が回りが草ぼうぼうになっているのに全く関心がなかった、何にも感じないのである、かえって老後の資金を補償金をもらって良かったとかいって何にも原発事故のことで憂えてもいないのである
まさにこの人は田舎に住んでも農業のことなど関係なく原発とかで生活していれば田舎でもそうなってしまうのである
だから田舎だからといっても昔の素朴な風景とかを人でも素朴ということはないのである農家でもみんな車一人一台とかもっているのだから全然違った風景なのである

物を運ぶのは荷馬車だったことがある、子供の時その後ろに乗って遊んだことがあった
馬車屋があったのである、そして梨を作っている農家が鹿島から相馬市までリヤカーで運んで売っていたというから驚きである
15キロくらいある、これは遠いし相当に疲れる、そういう時代は外から物を運ぶこと自体が大変な労力が必要としていた、だから簡単に交流できないのである
それが車時代になって全く変わってしまった、むしろ遠くが近くなり近くが遠くなってしまった、物でも外国から入るからその遠いとういことは地球の裏側にすらなるのである
その変化があまりにも激しかったのである




八坂村の宿

犀川のうねりつたぎつ 流れを沿い下り 
大岡村や生坂村や 八坂村の山深く
あまた咲きしは木槿の花 その花におおわれ
我は入りにき 今日の一夜の宿はあわれ
廃校となりし村の 小学校の改築の宿
ここに六年生の教室と なつかし泊まる卒業生
窓辺に流れのひびき 校舎の廊下をきしみ歩みぬ
窓辺に寄りて外ながむれば 赤とんぼとぶ山の学校
かすかに虫の音や 校舎は古りて生徒はなしも
その山の道の辺 刈り入れの農婦ありにき
道の辻には地蔵や 昔なつかし何語る
童の遊ぶ声もひびかむ 野に山に川に
祭りの太鼓も笛の音も 野に山に森に
村の墓所には女郎花 我がしばし佇みぬ
山々は打ち重なりて 村は閉ざされしかも
八坂村の坂をし上れば 誰そその墓の主や
我を見送る影のありや 我は汗かきかき坂上る
ああ また来てくれと その影は分かれを惜しむ
ああ なつかしき日本の国の 昔の村を思うかも
旅人はるか大町へ 坂を上りて去り行けり





この辺は大町市に近いしその市内である、合併してそうなった
インタ−ネットの写真で見ると廃村地帯にもなっている
その写真が多い、10以上村が廃村になったのか?
これも日本の深刻な現実である
廃校利用があり宿として利用もある、この廃校もまた多いのである
生坂(いくさか)村から八坂村へ行く辺りは廃村が多かった
ただそこが良く思い出せなくなったのである
やはり山々に閉ざされている所は地理がわからなくなるのだ

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ここも人口は半分に減った

八坂村の宿
http://musubu.jp/jijimandai8.htm#toyo





posted by 老鶯 at 15:13| Comment(0) | TrackBack(0) | 歴史(相馬郷土史など)