2021年10月02日

内発的動機と外発的動機で仕事や勉強の態度が変わる (継続できるのは内発的動機をもつ者である)


内発的動機と外発的動機で仕事や勉強の態度が変わる

(継続できるのは内発的動機をもつ者である)

お金を貰えるから、嫌な仕事でも頑張る。
仕事をサボっていると、怒られるから、真面目に働く。
クラスで1番の成績を収めて表彰されたいから、勉強を頑張る。
テストで低い点をとって恥ずかしい思いをしたくないから、一応最低限の勉強はしておく

常識を覆す、やる気を引き出す科学的方法

ここに書いてあることは自分の思うことと一致していた
前に読んでいたが忘れていた、でもプログを読み返してなるほどなと思った
内発的動機と外発的動機のこともそうだった
内発的動機だと芸術家でも成功する、外発的動機だとか報酬を第一とするから成功しない一時的に有名になったり金が入り成功したように見えても芸術家としては成功しない
肝心の内発的動機がないから報酬をもらうとそれで目的が達成されて終わる
でも内発的動機でつづているものは最後に自分自身の芸術の完成に向かう
ただその時内発的動機だとしても誰にも認められず金銭的にも恵まれないとするとつづけるのはむずかしいとはなる

これは芸術家だけではなく教育にも言える、内発的動機として勉強すればそれは継続するし終わりなき知的好奇心として独習でも勉強しつづける、でも外発的動機だと試験とか外部の評価とか有名高校大学に入ることが目的だとその目的が達成される勉強もしなくなる内発的興味から勉強するならそれは一生でも継続するのである
ライフワークになるのである

内発的動機というとき動物でもそれがあった、チンパンジーに数字を覚えさせようとしたときそれにチンパンジーは夢中になった、チンパンジーも遊ぶことができてそれが面白いからしていた、でも必ずそこで報酬としてバナナとかを与えていたらそのバナナが欲しいということになり数字を覚えることに興味を失ってしまったのである
そういうことを子供でも実験したことをここでは書いている
私自身の経験でも教育とはすべて外発的動機からしていた
また高校まで一回も自分自身で考えることをしなかった、ただ試験のためとか親に認められたい、みんなに頭がいいとみられたいとかしかなかった
つまりすべて外発的動機だったのである、何か知的好奇心から勉強していたのではない
常に試験の点数をあげるためとかあらゆることか外発的動機でしていた
そういう勉強はつづかない、内発的動機でしているのもは一生継続するのである
人間の知的探求心は無限だからである

人生何をするにもやはり内発的動機から始めないと失敗する
でも実際はみんな外発的動機で仕事でも何でもしている、日々の糧を稼ぐためにしている内発的動機と外発的動機は対立する、必ず金にならないからやめる、認められないからやめるとなるのが普通だからである
金にならないと事業だって何でも継続できないからである
この両方を備える仕事とかなかなかないだろう、現実社会ではまずは利益だとなる
利益がでないならやめるとなる、また会社でも認められない
だから例え不正でもノルマを果たせば上司に認められ会社に認められる

でも考えてみると会社でもどういう動機で働くのかが問題になる、内発的動機が問題になる、それがないとモチベーションもあがらないとなる
ただ利益になればいい、売れればいいとしかならないといづれは会社もだめになる
現代は何かこうして意味を求められる時代になる、ただ利益を上げればいいとはならない内発的動機は外部に左右されないことである、その人にとって価値があり意味があることを継続することである、ただそれを全く外部的に認められないし評価されない金も与えられないことがある、そうなると継続することが困難になる
会社経営などは利益があがらなければやめるほかないからである

外発的動機というとき事業を始めた人はただみんなに自分は優秀だということを見せるためにした、確かに会社に勤めいたときは難しい資格をもっていて優秀だったのである
エンジニアとして優秀だったのである、でも事業を始めたときその動機は自分が優秀なのだから会社経営しても成功すると思っていたのである
そこに内発的動機が欠けていたのである、外部に優秀だと見せたいと言うだけだとなる
外発的動機になり内発的動機には欠けていたとなるからだ

つまり人間は常に外部を気にしている、みんなに知られて認められたいという願望が強いでも内発的動機を持つものはそういうことがあってもやはり内発的に継続するものが大事なのである、外部から認める認められないにしろ内発的動機から追求して来たものを一生追求する、特に芸術家となるとそうなる
価値とは相対的なものでなく絶対的なのである
唯一無二になる価値になる、花でもいろいろあってもそれぞれ個性があり相対的に価値があるのではない、その花にしかないものがありそれが価値となっているのである
みんな同じだったら価値がないからである
だから誰でも作れる大量生産できるものはやがて価値がなくなる
それが日本の電器製品とかだったのであり今では韓国でも中国でも同じものを作れるから価値がなくなり売れなくなり日本は衰退したのである
もし日本でしか作れないとかまねできないものだったら依然として価値を持っていたからである

ともかく現代のようにある程度豊かになるとそうした個性が求められるようになる
なにもない時代は個性より同じものでも作って売れる、でも器でも同じものがいいとなっていたのは貧乏な時代なのである、器一つにも個性あるものを求めるようになるからだ
同じもの大量生産する時代なら個性は必要なかったのである
日本の教育もやはり同じであり工業社会に適応する規格品を作ることが教育だったのである、思考脳、感性脳、遊戯脳は必要ないものだったのである
それは大量規格製品を作る時代だったらそれで良かったのである

これからそういうことが通用しなくなった、それでみんなアーティストになれというのも時代が変わったなとなる、そういう時代の変化は老人になるとなかなか理解できない
ベーシックインカムとかでもそうである、働かないいで金がもらえる、そんな馬鹿なことがあるのかとふざけるなとなってしまうのである
ただ自分の場合はそういう生き方をしてきたのは違和感がないのである
ただ企業戦士として働いてきた団塊の世代とかバブル世代とかはそういうことが理解できなくなる、教育だってそうである、大量規格製品を作るのがこれまでの教育だったからである、第一個性を引き出す教育は結構手間になりめんどうになるから先生でもしたくなとなるからだ、一律に教えているのが楽になるからである

ただ正直教育にしても別に先生がいなくても教えなくても自発的動機でしている人は自主的に学べる環境を与えてやればそれだけでもいいとなる
まず家に一冊も本がないとか子供部屋もないとかそういう環境ではいくら自発的に勉強するなってもできないのである
読み書きそろばんくらいの時代ならいいが今は高度な知識社会になるとき対応できないとなる、家にそういう環境があれば自ずと内発的動機で勉強できるとなるからだ

いづれにしろこれからの時代を生きるには今までの感覚では通用しなくなる
社会自体の価値観も変わってきているしグロ−バル化しているしそれは物流だけではない知的なものでもグロ−バル化しているからである
それに対応する能力をつけないとついていけないのである
私がグロ−バル化に反対したというのは過剰な物流のことであり知的なものではグロ−バル化した方がいいのである、それがインタ−ネットで世界的な知の交流時代になったともなる、テレワークの時代になったとなる
大学でもかえってテレワークの方がいいとなるとき実は教授でも教える方でも今度は生徒によって選ばれるのである、それも飛び切り優秀でいなと選ばれないとなる
なぜなら別に個々の大学で人を集めて講義するのと違うからである

その人の興味によって最も優秀な先生からyoutubeとかテレワークで学べばいいとなるからだ、かえって講堂で多人数で講義を受けるよりわかりやすいということもあったというのは別に大講堂で講義を受けるより身につくとなる
教えるも先生も淘汰され時代にもなる、AIの授業にもなる、実際ある分野では翻訳とかではAIが優れているともなるからだ、それで普通の先生は失業する時代になる
ただ創造的に教える先生は残るとなる、創造的なことができる分野は残るとなる
先生はもう選ばれた人しかなれないとか医者でもAIが発達するとそうなる
あらゆる分野でAIとは違ったものをAIにできないものをできる人が生き残るとなるからだ
ただ友達を作るとかその他の人間的なことが育めないことがある
そのマイナス面ももあるがプラスの面も大きいしそれが時代の流れになるとき無視できなくなる、知らないですまなくなるのである
車時代に車を持たないことは時代も社会も知らないことになるから問題なのである
例え車をもっていないくても車社会だから車の知識が必要になる
それで自分自身が車ももたいなで車を知らないことで失敗したのである
身内が交通事故になって自賠責とかでも知らなかったからである
こうして自分は社会から離れて暮らしたのはいいにしてもいろいろなことを知らないことで失敗したのである


posted by 老鶯 at 14:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 教育、心理学など